日本人とユダヤ人

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デンマンさん...、今日は日本人とユダヤ人 のお話ですかァ〜?

そうです。。。ジュンコさんは、つまらなそうですねぇ〜。。。
いいえ、そんな事はありませんわァ〜。。。ユダヤ人は今でも迫害されているのです。。。

こういうニュースを見ると、どうしてなのォ〜?…なぜ今でも、と思わずにいられませんわァ〜。。。

確かに、そう思うのは当然ですよねぇ〜。。。
デンマンさんは、どういうわけで 日本人とユダヤ人 を取り上げたのですか?
実は先日、次の動画を観たのですよ。。。

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1937年(昭和12年)12月26日 第1回極東ユダヤ人大会が開かれた際、関東軍の認可の下で3日間の予定で開催された同大会に、陸軍は「ユダヤ通」の安江仙弘陸軍大佐をはじめ、当時ハルピン陸軍特務機関長を務めていた樋口(当時陸軍少将)らを派遣した。
この席で樋口は、前年に日独防共協定を締結したばかりの同盟国であるナチ党政権下のドイツの反ユダヤ政策を、「ユダヤ人追放の前に、彼らに土地を与えよ」と間接的に激しく批判する祝辞を行い、列席したユダヤ人らの喝采を浴びた。
この頃は、まだナチもユダヤ人絶滅を具体的な施策として考えていたわけではなく、単に自領からのユダヤ人追放を企図していただけだった。
そうした状況下、翌1938年(昭和13年)3月、何千人というユダヤ人がドイツの迫害下から逃れるため、ソ満国境沿いにあるシベリア鉄道・オトポール駅(Otpor、現在のザバイカリスク駅)まで逃げて来ていた。
しかし、亡命先である米国の上海租界に到達するために通らなければならない満洲国の外交部が入国の許可を渋り、彼らは足止めされていた。
極東ユダヤ人協会の代表のアブラハム・カウフマン博士から相談を受けた樋口はその窮状を見かねて、部下であったハルビン憲兵隊特高課長の河村愛三少佐らとともに即日ユダヤ人への給食と衣類・燃料の配給、そして要救護者への加療を実施。
更には膠着状態にあった出国の斡旋、満洲国内への入植や上海租界への移動の手配等を行った。
日本は日独防共協定を結んだドイツの同盟国だったが、樋口は南満洲鉄道(満鉄)総裁だった松岡洋右に直談判して了承を取り付け、満鉄の特別列車で上海に脱出させた。

樋口季一郎という人がユダヤ人を救ったのですか?

ヒトラーの迫害を逃れるために満州国に入るためにソ連との国境の近くまでやってきたのですよ。。。でもビザがないと入れない。。。当時の日本は、ドイツと同盟を結んでおり、ユダヤ人を受けいるとヒトラーを激怒させるのではないか!?。。。そう思う日本人が多かった。。。それを知りつつも樋口季一郎は、ビザを発給してユダヤ人を受け入れたのですよ。。。
第二次世界大戦が勃発した>1939年からリトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原千畝(ちうね)さんが、ナチス・ドイツの迫害によりポーランドなど欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情してビザを発給したことは有名ですが、他にも同じような事をした日本人がいたのですわねぇ〜。。。知りませんでしたわァ。。。
実は、僕も知らなかった。。。そういうわけで他にも疑問が頭をもたげたので ChatGPT にいろいろと尋ねてみたのです。。。

『樋口季一郎:ヒトラーが激怒した男。2万人のユダヤ人を救った奇跡の日本軍人』という動画を観ました。
とても感動的な動画でした。ここで質問です。
① 樋口季一郎は、歩兵第41連隊長時代に起きた相沢事件で、直前まで部下だった者が起こした不祥事であったため進退伺いを出した。しかし、上官の小磯国昭(後年の首相)に慰留され、満洲国のハルビンに赴任する。この事件の主犯・相沢中佐との関係はどうだったのか? 犯行を前もって知っていたのか?
② 占守島の戦いに樋口自身は、どの程度関与していたのか?
③ ソ連対日参戦時には、樺太の戦いにおいて、民間人犠牲者も増大していく中で8月15日のポツダム宣言受諾後も戦闘継続を指示した。 これは史実なのか?
④ 日本側にはユダヤ資本とユダヤ人を満洲国に導入できないかという河豚計画があった。この河豚計画とは、どのような意図があったのか?
⑤ イスラエルのハイファ大学の日本研究家であるロテム・コーネル教授は、①樋口によって助けられたと証言するユダヤ人がいない、②オトポール事件について十分な内容の資料は結局は樋口自身の遺稿のみである、③ユダヤ人の国外脱出が激しくなったのは1938年の「水晶の夜」事件以後で、1938年には数十人程度の満州移動しかなく、また、彼らは移動中に別段困難な目には遭っていない、④カウフマンは別に樋口がこのような形でユダヤ人救援を行ったことは語っていない、⑤この問題を取上げる動きは東条英機の再評価につなげようとする近年の歴史修正主義の動きとつながっていることを指摘している。また、ユダヤ教ラビで当時の極東ユダヤ人社会の中心人物の一人であった上智大学心理学者のビクター・ソロモン教授は、朝日新聞の記事が他でも紹介されたのをきっかけにそこで初めてこの話を知ったとして、1971年1月に樋口の遺族や先の樋口の元部下である河村を含む日本イスラエル協会関係者らを招き、彼らの話を聞く会を催し、記者らにもこの事件について資料を持つ者がいれば情報を寄せるよう募ったが、特段の情報がその後寄せられたという話は見いだせない。 この件についての真偽は?
⑥ 「ヒグチ・ルート」の通過者は増え続け、東亜旅行社(現在の日本交通公社)の記録によると、ドイツから満洲里経由で満洲へ入国した人の数は、1938年だけで245人だったものが、1939年には551人、1940年には3,574人まで増えている[12]。ただし、早坂隆によると1941年(昭和16年)の記録がなく、数字のうち少なくない割合でユダヤ人が含まれていると考えられるが、その割合が不明であり累計が2万に到達したかは不明としている。真相は?
⑦ 独国からの再三にわたる抗議も、東条は「当然なる人道上の配慮によって行ったものだ」と一蹴したとされる。東條英機の善良な一面ですが、これは史実ですか?
⑧ 1943年5月に樋口の指揮下にあった陸軍部隊のうち、アラスカ準州のアッツ島守備隊は玉砕した。動画では、大本営がアッツ島守備隊の増援要請を拒否し同島守備隊を見捨てることを決定したとき、樋口はこれに激怒し、アッツ島守備隊を見捨てる代わりに、海軍兵らと共に多数の陸軍兵士らが残っていたキスカ島については海軍に協力させて陸軍兵士も必ず助けることを大本営に約させたとするものもあるが、そのようなことがあったことを裏付ける同時代資料や当事者証言はない。むしろ樋口はアッツ島守備隊に対して、米軍相手に奮戦し玉砕する覚悟を望む電文を送っている。史実はどうなっているのか?
⑨ スターリンは、極東国際軍事裁判に際し当時軍人として札幌に在住していた樋口を「戦犯」に指名した。これについてノンフィクション作家の早坂隆は、樋口の経歴がウラジオストック特務機関員、ハルビン特務機関長、さらに第5方面軍司令官であったことから、ソ連によって『敵の大物』であり、とくに特務機関長であったことが大きいとしている。起訴されたのか? 裁判では、どうなったのか?
⑩ 冷戦が始まる中で米軍がロシア通として知られた樋口の情報網を利用したかった事やイギリスからの圧力、ユダヤ人らの運動など様々な事が重なり日本占領統治を主導していた連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)のダグラス・マッカーサーはソ連からの引き渡し要求を拒否、樋口の身柄を保護した。その情報網は、イギリス、アメリカに継承されたのか?

はい。今回の動画は、樋口季一郎という人物そのものは実在し、北方防衛やユダヤ人問題で重要な行動をしたことも史料で確認できる一方、「2万人を救った英雄」という物語には、かなり大きな史料上の問題がある、という整理が最も妥当だと思います。
特に重要なのは、2025年にケンブリッジ大学出版局の Modern Asian Studies に掲載された、ハイファ大学のロテム・コーネル教授らによる査読論文です。この論文は、オトポール事件について従来の「2万人救出」説を本格的に再検討しています。論文は、事件が完全な創作である可能性、あるいは「小規模な出来事が戦後に極端に誇張された可能性」まで提示しています。
では、10項目を順番に見ていきます。
①樋口季一郎は相沢三郎の犯行を
事前に知っていたのか?
結論から言えば、「樋口が相沢の永田鉄山暗殺を事前に知っていた」という確かな史料はありません。
相沢三郎は1933年から歩兵第41連隊で樋口の部下でした。1935年8月に樋口が福山を離れた直後、相沢は東京の陸軍省で軍務局長・永田鉄山を斬殺しました。相沢事件は皇道派と統制派の対立を激化させ、翌1936年の二・二六事件につながっていきます。
むしろ確認できるのは、樋口が相沢の政治的・思想的な傾向を問題視していたということです。
資料には、樋口が相沢の革新的な言動を抑えることに苦労し、上層部に転任を進言したという記述があります。
したがって、樋口は相沢の危険性をある程度認識していた

しかし、永田暗殺を事前に知っていた証拠はない

部下だった相沢が重大事件を起こしたため、連隊長として責任を感じ進退伺いを出した
という理解が適切です。
つまり、「相沢の思想的傾向を知っていた」ことと「暗殺計画を知っていた」ことは全く別です。
② 占守島の戦いに樋口自身は
どの程度関与したのか?
ここはかなり重要です。
樋口は実際に第5方面軍司令官でした。防衛研究所の資料でも、1945年8月18日のソ連軍による占守島上陸に対して、樋口が反撃を命じたことが確認できます。
ただし、「樋口が占守島で直接戦闘を指揮した」という理解は間違いです。
現地の第91師団を指揮していたのは堤不夾貴中将です。
樋口の立場は、第5方面軍司令官として方面軍全体を指揮し、占守島の現地部隊に反撃を命じた上級司令官です。
防衛研究所の資料には、樋口が「断固反撃」を電令し、ソ連軍上陸部隊に水際で大損害を与えたことが明記されています。
したがって、ここは動画の英雄物語だけでなく、「樋口=占守島で戦った現場指揮官」ではなく、「方面軍司令官として反撃を決断した」と理解するのが正確です。
③ 8月15日以後も樺太で戦闘の
継続を指示したのか?
これは史実です。
ここはむしろ、防衛研究所というかなり重要な一次史料に近い公的研究機関の説明で確認できます。
防衛研究所によれば、樋口は8月3日の段階でソ連軍による樺太侵攻を予測し、第88師団に準備を命じています。
そしてソ連軍が8月11日に南樺太へ侵攻。
日本が8月15日にポツダム宣言受諾を決定した後も戦闘が続き、8月19日に樋口は「飽ク迄自衛戦闘ヲ敢行スベシ」と命じています。
ここは非常に微妙な問題です。
「日本が降伏したのに樋口が勝手に戦争を続けた」だけではありません。
当時、
日本は降伏を決定
しかしソ連軍は侵攻を継続
北海道へのソ連軍進出も懸念されていた
大本営も「自衛行動は妨げず」という方針を出した
という状況でした。
したがって樋口自身は、これは降伏後の対ソ自衛戦闘だと考えていました。
ただし、その戦闘によって南樺太で民間人を含む多数の犠牲者が出たことも事実です。
したがって、「北海道防衛のための自衛戦闘だった」という樋口側の論理と、「降伏後も戦闘を継続したため民間人を含む犠牲が拡大した」という結果は、両方とも史実として押さえる必要があります。
④ 河豚計画とは何だったのか?
ここは動画の説明より、もっと複雑です。
「河豚計画」は、単純な「日本がユダヤ人を人道的に救おうとした計画」ではありません。
1930年代、日本の一部の軍人・財界人らが、ヨーロッパからユダヤ人を満洲などに移住させ、ユダヤ資本・技術を日本の満洲経営に利用することを考えていました。
中心人物として、
安江仙弘
犬塚惟重
鮎川義介
などが挙げられます。
特に鮎川義介には、5万人規模のドイツ系ユダヤ人を満洲へ移住させ、ユダヤ系アメリカ資本を誘致する構想がありました。
つまり、人道+経済+外交+対ソ戦略が混ざった政策でした。
「ユダヤ人だから救おう」という純粋な人道主義だけではありません。
むしろ、「ユダヤ人を満洲に定着させれば、アメリカのユダヤ系資本・世論との関係を改善できるのではないか」という非常に現実的な外交・経済政策でもあったわけです。
しかも面白いことに、安江などには反ユダヤ的な考えと親ユダヤ的な実利主義が同居していました。
つまり当時の日本の「ユダヤ人政策」は、現代の感覚で単純に「親ユダヤ」と分類すると見誤ります。
⑤ ロテム・コーネル教授の批判は
どこまで正しいのか?
ここが今回の最大のポイントです。
2025年のコーネル、ジョシュア・フォーゲル、ディラン・オブライエンの論文は、まさにこの問題を正面から検証しています。
そして、デンマンさんが挙げた問題点は、かなり正確です。
特に重要なのが、「2万人」という数字の出所です。
研究者の丸山直起氏は、2万人という数字は樋口の回想録に由来し、他の資料による裏付けがないと指摘しています。
さらに、樋口自身の回想録以前の記述では「何千人」という表現だったものが、後の出版物で「2万人」になっている問題も指摘されています。
実際、東亜旅行社の資料などから確認できる人数は、
1938年:245人
1939年:551人
1940年:3,574人
です。
ただし、この数字は「ドイツから満洲里経由で満洲へ入った人」であって、全員がユダヤ人だったわけではありません。
したがって「245+551+3574=ユダヤ人4,370人」とすることもできません。
一方で、ユダヤ人が実際に満洲・上海へ逃れたこと自体は確実です。
たとえばアブラハム・カウフマン自身の1967~68年の証言がヤド・ヴァシェム資料館に残っています。
ここが重要です。
したがって、「オトポール事件は完全な捏造」と断定するのも行き過ぎです。
しかし、「樋口が2万人を救った」も現在の史料では確認できません。
むしろ、何らかのユダヤ人救援・通過支援は存在した可能性が高いが、その規模と樋口個人の役割が戦後に大幅に英雄化された可能性があるというのが、現在の研究から導かれる慎重な位置づけでしょう。
カウフマンとの関係も面白い。
ここもデンマンさんの疑問は鋭いです。
コーネルらは、カウフマンのヤド・ヴァシェム証言を実際に検討しています。
安江仙弘についてはかなり好意的に何度も言及しています。
ところが、樋口については同じ程度の具体的な証言が確認できません。
これは「樋口が何もしなかった」ことの証明ではありませんが、「カウフマン自身が後年、樋口による2万人救出を明確に証言した」という単純な話ではないことを示します。
⑥ 「ヒグチ・ルート」で本当に
2万人が救われたのか?
ここはかなりはっきりしています。
2万人という数字は確認できません。
一方で、「ヒグチ・ルート」と呼ばれる人の流れそのものは存在した可能性が高い。
東亜旅行社の数字として、
年 ドイツ→満洲里経由の満洲入国者
1938 245
1939 551
1940 3,574
という数字が紹介されています。
ただし、これはユダヤ人だけの統計ではありません。
さらに1941年の記録が欠落しているため、「1938~1941年の累計で2万人」という計算もできません。
実際、研究者の間ではもっと小さい数字も提示されています。
数千人規模と推定する説
100~200人程度と推定する研究
満鉄関係者による「厳密な意味でビザを得た者は約100人」という推計
などがあります。
したがって現在のところ、「数千人程度だった可能性はあるが、2万人という数字は裏付けられていない」くらいに置いておくのが妥当でしょう。
⑦ 東條英機がドイツの抗議を
「人道上の配慮」と一蹴した?
これはかなり慎重に扱う必要があります。
樋口の回想録には、ドイツから抗議があり、それに対して日本側が人道上の問題として処理したという話があります。
しかし、コーネルらの研究では、こうした「ドイツ政府が激しく抗議し、東條が人道上の理由で突っぱねた」という物語について、一次資料による裏付けが弱いことが問題にされています。
特に、樋口の回想録に出てくる「ドイツの抗議」は、現在確認できるドイツ外交文書との対応関係を慎重に検討する必要があります。
したがって、「東條英機がユダヤ人を救うためにナチス・ドイツに敢然と反抗した」とまで描くのは危険です。
一方、日本政府がユダヤ難民を一律にドイツ式迫害政策へ追い込まなかったこと自体は事実です。
そして日本政府のユダヤ人政策は、人道だけでなく、外交・経済・対米関係など複数の動機によって形成されていました。
つまり、東條についても「善人だった/悪人だった」という人物評価にするより、「当時の日本政府がどのような外交計算の中でユダヤ難民政策を決定したのか」を見る方が歴史的には有益です。
⑧樋口は本当に「アッツを見捨てる
代わりにキスカを救え」と
要求したのか?
ここは、かなり面白いところです。
まず確認できる事実。
樋口はアッツ島の防備増強を要求していました。
米軍が上陸すると、樋口は逆上陸による救援作戦を具申しました。
しかし大本営はアッツ島放棄を決定。
その後、樋口はアッツ島守備隊に対して「最後まで善戦敢闘し、最後には散華する」趣旨の電文を送っています。防衛研究所も、樋口がアッツ島守備隊に「散華」を要求したことを記録しています。
つまり、「樋口はアッツを絶対に救おうとした」というだけではありません。
救援を要求したが不可能となり、最終的には玉砕を受け入れたという非常に悲劇的な立場です。
そしてキスカについては、後世の物語として、「アッツを捨てるならキスカを必ず救え」と樋口が大本営に約束させたという話があります。
しかし、デンマンさんが指摘された通り、この「交換条件」を直接裏付ける同時代史料は非常に弱い。
したがって、
確実性が高い部分
樋口はアッツ救援を要求した
大本営はアッツ放棄を決定した
樋口は最終的に玉砕を指示した
キスカ撤退作戦が実施された
木村昌福らによって約5,200人が撤収した
確証の弱い部分
樋口が「アッツを捨てる代わりにキスカを必ず救え」と大本営に約束させた
樋口の激怒がキスカ撤退決定の直接的原因だった
となります。
これはかなり重要な違いです。
⑨ スターリンは樋口を戦犯に
指名したのか? 起訴されたのか?
ここは、
「ソ連が引き渡しを要求した」ことと、「東京裁判で起訴された」ことを分ける必要があります。
スターリン側が樋口を戦犯として問題視し、身柄引き渡しを要求したという記録・回想はあります。
しかし、樋口が極東国際軍事裁判で起訴され、法廷に立ったわけではありません。
つまり、
ソ連側から戦犯として問題視された

引き渡し要求があった

GHQ側が引き渡さなかった

樋口は東京裁判の被告にはならなかった
という流れです。
防衛研究所の資料でも、樋口が戦後も日本に残り、1945年12月に予備役となった経歴が確認できます。
⑩ マッカーサーが樋口を
保護した理由?
情報網は米英に継承されたのか?
ここはかなり面白いが、断定してはいけない部分です。
樋口自身の回想によれば、戦後の米軍取調官キャッスル中佐から、英国側が樋口の引き渡しに反対したと聞いたとされています。
そして樋口の孫・樋口隆一氏は、その背景として、樋口が1920年代にポーランド駐在武官だった時代に知り合った英国のエドマンド・アイアンサイドとの関係を推測しています。
アイアンサイドは後に英国陸軍参謀総長となりました。樋口とはソ連に関する情報交換などをしていたとされます。
ただし、「アイアンサイドがマッカーサーに圧力をかけ、樋口を救った」というところまでは、現在のところ確定した一次史料ではありません。
さらに、「米軍が樋口の情報網をそのまま引き継いだ」という説も、かなり魅力的ではありますが、具体的な情報網の継承を裏付ける十分な史料は確認できません。
ただし、樋口が対ソ連情報の専門家だったことは間違いありません。
彼は、
ロシア語
ウラジオストク
ハバロフスク
ポーランド
ハルビン
対ソ情報
特務機関
という経歴を持っていました。
しかも戦後、米軍のカウンター・インテリジェンスが彼を取り調べています。
したがって、「米軍が樋口の対ソ知識を利用した」こと自体は十分あり得るが、「戦前の樋口の情報網が米英情報機関へ組織的に継承された」とまで言うには証拠不足というところでしょう。
まとめると
今回の動画で一番注意したいのは、「確認できる樋口」と「後世に英雄化された樋口」が混ざっていることです。
問題 現時点での整理
① 相沢事件 相沢は樋口の部下。樋口が思想的危険性を認識していた形跡はあるが、暗殺計画を事前に知っていた証拠なし
② 占守島 樋口は第5方面軍司令官として反撃を命令。現場指揮官ではない
③ 樺太 8月15日後も自衛戦闘継続を命じたことは史料で確認できる
④ 河豚計画 ユダヤ人救済だけでなく、資本・技術・対米外交・対ソ戦略を含む実利的計画
⑤ オトポール 何らかの救援・通過支援は否定しきれないが、「樋口が2万人救出」は強く疑問視されている
⑥ ヒグチ・ルート 245→551→3,574という数字はあるが、ユダヤ人だけではない。2万人説は証明されていない
⑦ 東條 「人道上の配慮」でドイツの抗議を一蹴したという有名な話は、一次史料による裏付けが弱い
⑧ アッツ・キスカ アッツ救援を要求→放棄→玉砕指示は確認できる。「アッツと引き換えにキスカ救出」は史料的に弱い
⑨ 戦犯 ソ連から引き渡し要求を受けたが、東京裁判で起訴されたわけではない
⑩ 米英との関係 英国が引き渡しに反対したという樋口の回想はあるが、情報網がそのまま米英に継承されたという説は未証明

そして、私は今回の問題では⑤と⑥が最も重要だと思います。
なぜなら、樋口の人物評価以前に、「本当に2万人だったのか?」という数量問題が崩れると、「ヒトラーが激怒した」「2万人を救った」「東條がドイツに毅然と反抗した」という一連の英雄物語のかなりの部分を、もう一度史料から組み立て直さなければならないからです。
しかも2025年のコーネルらの研究は、単なるネット上の「樋口否定論」ではなく、Cambridge University Press の査読付き学術誌に掲載された研究論文です。
一方で、だからといって「樋口のユダヤ人救援は全部嘘だった」とするのも早計です。
カウフマンの証言や当時の日本政府・外交資料、1938~40年の満洲への人の流れなど、実際にユダヤ難民が日本・満洲の支配地域を通過し、一定の日本側支援を受けていたことを示す資料は存在します。
ですから、一番面白いのは、「樋口は英雄か、英雄ではないか」ではなく、実際に何人が、誰の助けによって、どのルートを通り、どこへ逃れたのか?…を一つ一つ再構成することだと思います。
これはデンマンさんが以前からやっておられる「動画の物語をそのまま信じず、一次資料・数字・当事者証言を照合する」という検証方法に、まさに向いている題材です。

解説ありがとうございました。物語と史実がよりはっきりしてきたと思います。物語や英雄伝説には、曖昧な部分や後世に増幅された部分がたくさんありますね。

まさにそうだと思います。😁
歴史上の人物を調べていると、「実際に起きたこと」と「後世に作られた物語」が少しずつ重なっていくことがあります。
特に英雄伝説では、
実際の出来事
→ 本人の回想
→ 遺族・関係者の証言
→ 新聞・テレビ・書籍による紹介
→ 「○万人を救った英雄」という分かりやすい物語
という具合に、時間が経つほど物語が整理され、強調されていくことがあります。
樋口季一郎の場合も、
ユダヤ難民が満洲・上海方面へ逃れたこと
日本側の一部が彼らの移動を助けたこと
樋口がユダヤ人問題に関心を持っていたこと
戦後、樋口自身がその功績を語ったこと
など、史実として検討できる部分があります。
その一方で、
「2万人を樋口一人が救った」
「ヒトラーが激怒した」
「東條英機が人道主義からナチスに毅然と抵抗した」
「アッツ島を見捨てる代わりにキスカ救出を約束させた」
となると、途端に史料による裏付けの問題が大きくなります。
そして、ここが歴史を調べる面白いところですね。
「全部本当」か「全部嘘」かの二択ではない。
実際の出来事が一つあって、それが後世の人々によって意味づけされ、英雄物語として膨らんでいく。その過程そのものが、また歴史になります。
デンマンさんがよくやっているように、映画やドキュメンタリーをまず一つの「物語」として楽しみ、その後で、
「これは一次資料で確認できるか?」
「数字の出所はどこか?」
「本人以外の証言はあるか?」
「同時代資料に書かれているか?」
と照合していくと、人物像がむしろ立体的になります。
樋口の場合も、英雄像を全部取り去る必要はありません。
確認できる行動は確認できる行動として評価し、確認できない「2万人」という数字や劇的なエピソードは保留する。――このくらいの距離感が、歴史を見るうえで非常に大切だと思います。

ネット市民は英雄伝説が好きです。。。英雄伝説じゃないと観てもらえないので必要以上に美化します。樋口季一郎の場合も、2万人という必要以上に数字を水増ししているようです。

樋口季一郎さんは、ソ連通であり、長らく、ハルピンで特務機関長を勤めていたのでしたね。。。
そうです。。。戦後の冷戦を考えればイギリスも、アメリカも喉から手がせるほど欲しい人材です。。。だから、GHQは、彼の情報網と戦犯の取引をしたと思います。
ちょうど、731部隊の石井中将と同じようにですか?
そうです。。。樋口季一郎さんはA級戦犯にならなかった。。。戦争にも裏の裏があるという話です。
うまく立ち回ったものの勝ちですわねぇ〜。。。
人間、正直者だけでは生きてゆけません。したたかになる必要もあります。樋口季一郎さんが特務機関長であったことを忘れてはなりません。アヘン・ビジネスで、しこたま軍資金を作った男ですから。。。
いろいろな面を持っている人なのですわねぇ〜。。。
そうです。。。100%善人だという人はいませんよ。。。つまり、欠点よりも長所の方が多いという人だと思います。。。

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【ジューンの独り言】
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ですってぇ~。。。
あなたは、どう思いますかァ〜?
A級戦犯を逃れるという悪賢いところがあったとしても、ユダヤ人を救ったということは立派なことですよねぇ〜。。。
ええっ。。。 「そんなことは どうでもいいから、他に何か面白いことを話せ!」
あなたは、そのような強い口調で、わたしにご命令なさるのですかァ〜?
分かりましたわぇ〜。。。
実は、デンマンさんが インスタで、サンバやボサノヴァで踊るきれいで可愛い女の子を紹介しています。
あなたのお気に入りは次の写真のどれですか?

(instahome26-05-15c.jpg)
写真をクリックして踊りを鑑賞しましたか?
もし、サンバやボサノヴァの曲が聞こえなかったら、動画の右下の「無音」のマークをクリックすれが、解除されて曲を聴くことができます。
ええっ。。。 「そんなことは どうでもいいから、他に何か面白いことを話せ!」
あなたは、更に そのように わたしにご命令なさるのですかァ~?
いけすかないおかたァ〜。。。
分かりましたわ。。。では、あなたも信じられないような 人間を紹介しますわ。。。うふふふふふ。。。

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