2026年11月5日木曜日

20世紀驚異的不倫事件


 


20世紀驚異的不倫事件


 





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デンマンさん。。。今日は20世紀驚異的不倫事件 のお話をするのですかァ〜?



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そうです。。。小百合さんはつまらなさそうですねぇ〜。。。でも、内心では、どういう不倫なのか? 知りたくてウズウズしているのでしょう?


そういう下衆(げす)の勘繰(かんぐ)りは止めてくださいなァ〜。。。どうして私が不倫に興味をもたねばならないのですかァ〜?


無理してまで、そういうように無関心をよそおう必要はありませんよ。。。女性は、たいてい、この種のゴシップが大好きなんだからァ〜。。。


そんな事より、どういうわけで、急に20世紀驚異的不倫事件を取り上げるのですかァ〜?


実は、つい最近、次の動画を観たのですよ。。。


 



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白蓮事件


 


白蓮事件は、大正時代の1921年(大正10年)10月20日、筑豊の炭鉱王・伊藤伝右衛門の妻で、歌人として知られる柳原白蓮(伊藤燁子あきこ)が滞在先の東京で出奔し、社会運動家で法学士の宮崎龍介と駆け落ちした事件である。


 



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新聞紙上で妻白蓮から夫への絶縁状が公開され、それに対して夫・伝右衛門から反論文が掲載されるマスコミのスクープ合戦となり、センセーショナルに報じられた。


10月22日、大阪朝日新聞朝刊社会面に「『筑紫の女王』伊藤燁子 伝右衛門氏に絶縁状を送り 東京駅から突然姿を晦(くら)ませす 愛人宮崎法学士と新生活?」の見出しで失踪の第一報が伝えられる。
失踪当日の様子、身辺の整理、宮崎龍介との出会いの経緯と唯一当事者である龍介の談話を掲載し、一面を埋める扱いで伝えられる。大阪朝日の単独スクープであった。


同日の夕方、各紙一斉に報じ、地元福岡の九州日報では「伊藤燁子夫人が紛失した」と大見出しで記事をあげ、「一本の巻紙」に伊藤家を去る理由を綴り、それまでに与えられた調度品と共に送付された事を伝えた。


朝日と競い合う立場の大阪毎日新聞は、夕刊9面に白蓮夫人と伊藤氏の別れ話が事実であるという関係者の証言を小さく取り上げるのみであった。
大阪朝日は同日夕刊で、さらに単独スクープの燁子から伝右衛門に当てた「絶縁状」を全文公開する。


取材合戦


伝右衛門は福岡へ戻る途中で立ち寄った京都の宿「伊里」で、22日朝刊の報道を知って驚愕する。
たまたま京都に来ていた燁子の兄・柳原義光と連絡を取り合い、その日のうちに落ち合っている。
宿に詰めかける記者に対し、一切の取材を拒否していた伝右衛門は、同日の夕刊で絶縁状が公開された事で、ようやく数社のインタビューに応じる。


その頃の燁子は東京府下中野の弁護士・山本安夫の元に、伊藤家から伴った女中と共に匿われていた。
山本は龍介の父・宮崎滔天の友人であり、子供の頃から親しい龍介に相談を受け、燁子の身柄を預かっていた。
22日夜、山本は新聞各社に燁子の居所を連絡し、記者が押し寄せて取材が行われ、23日朝刊には記者に対応する燁子の写真が掲載される。
また22日夜には別の場所で龍介が萬朝報記者の訪問を受け、「すべては山本氏に一任している」と語る。


朝日のスクープは、姦通罪を逃れるため、龍介が新人会の仲間で友人の赤松克麿や朝日新聞記者の早坂・中川らに相談し、マスコミを利用して世論に訴え、人権問題として出奔を正当化するために仕掛けられたものだった。


当初の予定では、絶縁状を伝右衛門に郵送した後に失踪が記事になる予定であったが、新米記者の早坂・中川の動きから19日には事を察知した大阪朝日が、失踪翌日には記事を出そうとした事から、龍介側から掲載を1日伸ばす要請が入り、その代わりに絶縁状を渡す交換条件が出された。


赤松の説得を受けた大阪朝日はその条件を呑み、スクープ記事掲載は1日延期された。
絶縁状の文章は燁子の書いた原文に赤松・龍介らの手が入ったものであり、「私は金力を以つて女性の人格的尊厳を無視する貴方に永久の訣別を告げます。私は私の個性の自由と尊貴を護り且培ふ為めに貴方の許を離れます」という自由と人権を訴える大正デモクラシー当時の社会風潮が反映されたものだった。


反響


女から男に宛てて、新聞という公器を使って縁切りの宣言を行うという前代未聞の出来事に対し社会的反響は大きく、大阪朝日24日夕刊には、5百余通の投書が殺到した事が書かれ、世間を大いに揺るがす事件として受け止められた。


柳原家や燁子が身を寄せた山本家には多くの賛否の手紙の他、脅迫まがいのものも届いた。


完全に出遅れた大阪毎日新聞には、福岡支局在籍時代に燁子と親しく交流があった記者・北尾鐐之助がおり、失踪直前の19日にも連絡を取り合って会う約束をしていた事から、20日に龍介側から流れてきた伊藤夫妻離別の噂、21日午後に京都から入った燁子家出の情報も北尾によってデマであると打ち消されていた。


2日間の空白の後、22日公開された朝日の絶縁状で事実を悟った北尾は京都に赴き、面目をかけて伝右衛門に食い下がり、3時間のインタビューを取りつけて巻き返しを図る。


10月24日、大阪毎日新聞で北尾の筆による「絶縁状を読みて燁子に与ふ」という絶縁状への反論文の連載記事が始まる。
手記の公開を渋る伝右衛門に対し、事後承諾の形での掲載となった。


燁子を悲劇のヒロインとして取り扱った朝日に対し、毎日は女性評論家による燁子への批判コメントを掲載し明確に伝右衛門サイドに立った記事であった。
「俺の一生の中に最も苦しかつた十年」と燁子との結婚生活での苦悩を語る伝右衛門のインタビューは、自分が受け取る前に新聞公開された憤りや屈辱感と、伊藤家の内情を詳細に語った生々しいものとなる。
連載は3回目になって伊藤家からの中止要請が入り、4回で終了となった。


新聞での反響は、第一報では燁子の行動を止むを得ない、という同情する世論があったが、二報・三報と詳しい内容が伝わってくるにつれ、糾弾すべき行為とする割合が増えている。
その行動には反対しても、結婚自体には同情する男性の意見があった一方、女性は燁子により厳しい批判を寄せた。


11月4日に時の首相である原敬暗殺事件が起きているが、その大事件の最中にも報道記事の勢いが衰える事はなく、白蓮事件の顛末が世間の関心を集めた。


決着


10月24日に福岡に戻った伝右衛門は親族会議を開き、友人の炭鉱主らも同席する。
そこで宮崎龍介・赤松克麿らの思想的背景が問題となる。
伝右衛門ら炭鉱主は当時頻発していた米騒動やストライキに神経をとがらせており、彼らによって労働争議の標的にされる恐れがあった。


また姦通罪で訴える事は、今上天皇の従妹である燁子を投獄する事でもあり、宮崎側に関与する事は避け、問題は柳原家と伊藤家の両家の間のみに絞られた。
燁子が送った絶縁状はこの日の午後に天神邸に届いている。


11月1日夜、東京丸の内の日本工業倶楽部の一室に伊藤・柳原両家関係者が招集される。
伊藤家の意向を受けた伝右衛門の妹婿・伊藤鉄五郎と伊藤家支配人・赤間嘉之吉の他、介添人として麻生太吉が上京、柳原家は当主の義光と燁子の姉婿・入江為守らが出席し、奥平昌恭伯爵が仲介役となる。
この席で燁子を伊藤家から正式に離縁する事が決められ、伊藤家に残した燁子所有の調度品や衣類・宝石類(約5万円[6])を柳原家に託し、燁子名義の土地・家屋・株券(約2百万円)などは名義を変更して伊藤家に返還する事などが決められた。


11月2日、仲介役の奥平伯爵が築地精養軒で新聞通信社に燁子と伝右衛門の離縁を発表し、3日付の新聞に掲載される。


 



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事件からわずか10日後、伊藤家側は極めて寛大な処置で迅速に身を引いた。


伝右衛門は一族に「末代まで一言の弁明も無用」と言い渡し、「上京して姦夫姦婦を二つに重ねて四つに叩き斬る」と息巻く地元の血気盛んな男達にも「手出しは許さん」と一喝した。
以降、伊藤家では白蓮の話題はタブーとなり、伝右衛門はその後一切事件について語らなかった。
11月3日の新聞には、憔悴しきった義光が「何故燁子は死んで呉れぬか、尼寺へも行ってくれぬのか」と号泣する姿が周囲の涙を誘ったとある。


福岡天神町の銅御殿落成の翌日、11月27日に伝右衛門と燁子の離婚が成立する。




出典: 「白蓮事件」Wikipedia


 



ずいぶん昔のことですわねぇ〜。。。



でも小百合さんは、この不倫のことは聞いたことがあるでしょう?


チラッと小耳に挟んだことがありますわァ〜。。。


そうではないでしょう。。。小百合さんは女子校時代に図書館でこの不倫事件を調べたことがあるでしょう?


どうして、そのように下衆の勘繰(かんぐ)りをなさるのですかァ〜? デンマンさんこそ不倫に関心があるのですわァ〜。。。だから、上の動画を見つけ出して、ウハウハしながら、よだれを垂らしてジックリと観たのでしょう?


あれっ。。。幸代さんは、その時、夢中で見ていた僕の背後に近寄って、息を殺しながら僕に知られないように密かに観ていたのですかァ〜?


そんなみっともない真似はしませんわァ〜。。。いったい私を呼び出して何をしようというのですかァ〜?


小百合さんと もう一度上の動画を観て、しみじみと語り合おうと思ったのですよ。。。


それならば、帰らせてもらいますわ。。。私は不倫には全く興味がありませんから。。。


ちょっと待ってくださいよ。。。せっかく出てきたんだから、この話が終わるまで僕と付き合ってください。。。お願いします。。。


それならば、卑弥子さんを呼ぶといいですわァ。。。あの方は、こういうお話が大好きですから‥。


 



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いや‥。卑弥子さんじゃダメなんですよ。。。あの人は、不倫の話になると恥も外聞もなく、すぐエッチな話をし始めるのですよ。。。このブログはアダルトブログではありません。。。



いったい何を話そうと言うのですか?


まず、僕が ChatGPT にいろいろと尋ねてみたのですよ。。。それで、小百合さんも ひとまず ChatGPT が解答したものを読んで欲しいのです。。。


 




『柳原白蓮の人生』という上に表示したドキュメンタリー動画を観ました。
柳原白蓮とは、20世紀の驚異的な不倫事件のヒロインです。
ここで質問です。


① 当時は大正デモクラシーの時代ですが、恋愛結婚は、どの程度の広がりを見せていたのですか? 当時の見合い結婚と恋愛結婚の統計はありますか?


② 現在の見合い結婚率と大正デモクラシー時代の見合い結婚率の比較


③ 当時の離婚率と現在の離婚率の比較


④ 燁子の最初の結婚相手の北小路資武には知的障害があったと言われるが、それは重度の障害だったのか? 結婚生活への影響は?


⑤ 絶縁状の文章は燁子の書いた原文に赤松・龍介らの手が入ったものであり、「私は金力を以つて女性の人格的尊厳を無視する貴方に永久の訣別を告げます。私は私の個性の自由と尊貴を護り且培ふ為めに貴方の許を離れます」という自由と人権を訴える大正デモクラシー当時の社会風潮が反映されたものだった。 この人権を訴える文章は燁子の書いた原文にはなかったと言うけれど、それは事実なのか?


⑥ そもそも、この絶縁状を新聞に載せるというのは誰のアイデアだったのか?


⑦ この事件の影響で離婚は増えたのか?


⑧ 伊藤伝右衛門は、なぜ姦通罪で訴えなかったのか?


⑨ 伊藤伝右衛門が身を引いた理由とは?


⑩ 姦通罪で訴える事は、今上天皇の従妹である燁子を投獄する事でもあり、右翼団体や政府、関係機関はどのような動勢・態度を示したのか?


⑪ 華族から平民になると、どのような特典が失われるのか?


⑫ 伊藤伝右衛門は一族に「末代まで一言の弁明も無用」と言い渡し、「上京して姦夫姦婦を二つに重ねて四つに叩き斬る」と息巻く地元の血気盛んな男達にも「手出しは許さん」と一喝した。
以降、伊藤家では白蓮の話題はタブーとなり、伝右衛門はその後一切事件について語らなかった。無学の伊藤伝右衛門にしては、立派な態度・対処だと思うが、実際はどうだったのか?


⑬ 憔悴しきった柳原義光が「何故燁子は死んで呉れぬか、尼寺へも行ってくれぬのか」と号泣する姿が周囲の涙を誘ったとあるが、燁子の異母兄であるこの男にも知的障害があったのか?



とても面白い事件です。今回あらためて資料を突き合わせると、白蓮事件は単なる「大正時代の不倫スキャンダル」ではなく、①旧来の家制度、②華族制度、③姦通罪、④大正デモクラシー、⑤新聞の商業化、⑥青年知識人の社会運動が一つの事件に集中して現れた出来事だったことが分かります。


特に重要なのは、「白蓮が一人で新聞に絶縁状を送りつけた」という理解はかなり不正確だという点です。
宮崎龍介・赤松克麿・早坂二郎らがかなり周到に仕掛けた「メディア戦略」だったことが、近年の研究でかなり明確になっています。


順番に回答します。


 



①大正デモクラシーの時代、


 恋愛結婚はどの程度

 広がっていたのか?


結論からいうと、


1921年ごろの日本では、恋愛結婚はまだ少数派で、見合い結婚が圧倒的に多かった


と考えてよいです。


国立社会保障・人口問題研究所の「出生動向基本調査」は、戦前の結婚について、見合い結婚が約7割だったとしています。しかも恋愛結婚と見合い結婚の比率が逆転するのは1960年代末です。


大まかに時代を並べると、


時代    見合い結婚 恋愛結婚
戦前    約70%   約30%程度
1950年代  約半数   約半数
1960年代後半 恋愛結婚が見合いを逆転 恋愛結婚優勢へ
1990年代  1割前後  9割前後
現在    数%程度  9割以上


という大きな変化です。


ただし注意が必要です。


1921年そのものについて「見合い70%、恋愛30%」という全国統計が存在するわけではありません。


これは後年の出生動向調査が、戦前に結婚した人々の結婚過程を回顧的に調べたものです。


したがって、「1921年の日本人夫婦の70%が見合いだった」と断定するより、「戦前の結婚では見合いが約7割を占めていたと、後年の全国調査から推定される」と言うのが正確です。


②現在と大正時代の見合い結婚率


これはかなり劇的です。


現在の国立社会保障・人口問題研究所の調査では、結婚相手との出会い方として「見合い」はごく少数です。2021年の第16回調査でも、現在の若い世代では、学校、職場、友人、インターネットなどが中心になっています。


一方、戦前は約7割。


つまり、約70% → 現在は数% という変化です。


白蓮の時代には、「好きな人と結婚したい」という希望そのものが、現在とは比較にならないほど社会制度と衝突しやすかったわけです。


だから白蓮事件で「個性の自由」「女性の人格的尊厳」という言葉が強烈な意味を持ったのです。


③ 当時の離婚率と現在の離婚率


ここは非常に興味深いです。


厚生労働省の人口動態統計によると、


1921年(大正10年):0.94‰
1920年:0.99‰
1925年:0.87‰
1930年:0.80‰


でした。


一方、現在は、


2024年:約1.55‰
2025年:1.50‰


です。2025年は17万9,068組でした。


したがって、人口1000人当たりの離婚率で比較すると、


1921年 0.94
2025年 1.50


です。


現在の方が約1.6倍になります。


ただし、ここには重要な注意があります。


昔と現在では、


結婚年齢
女性の経済的自立
家制度
離婚手続き
女性の社会的地位
再婚
非婚化


などが全く違います。


したがって「昔の夫婦は現在より仲が良かった」と、この数字から判断することはできません。


むしろ、昔は離婚したくても離婚しにくかったという制度上の事情があります。


④北小路資武には本当に


 知的障害があったのか?


ここはかなり慎重に見る必要があります。


一般の白蓮伝記・紹介記事には、「北小路資武には知的障害があった」という記述がかなりあります。


しかし、私が確認した範囲では、医学的な診断記録など、重度の知的障害を裏付ける一次資料は確認できませんでした。


したがって、「知的障害者だった」と断定するのは危険です。


一方で、同時代の人物評として、


学業が非常に苦手だった
中学校を卒業できなかった
子供っぽい行動をした
嫉妬深かった
暴力を振るった
女中との関係を持った


という話は伝えられています。


ですから、少なくとも、燁子が非常に早い年齢で結婚させられ、夫婦関係に強い困難を抱えたこと自体はかなり確実です。


ただし、「重度の知的障害だった」というところまで進む証拠はありません。


そして結婚生活への影響は非常に大きかったでしょう。


燁子は15歳で長男を出産しています。1905年には離婚して実家に戻っています。国立国会図書館もこの結婚と離婚を確認しています。


⑤「女性の人格的尊厳」


 「個性の自由」は

 白蓮自身の文章だったのか?


ここは、質問にある説明はかなり正しいです。


ただし「全部が赤松・龍介の創作」という意味ではありません。


重要なのは、白蓮自身が書いた下書きがあり、それを赤松克麿らが大幅に改稿したということです。


明治大学の博士論文で当時の資料・新聞・回想を比較した研究では、新聞掲載版について、燁子が下書きしたものを、赤松克麿が改造運動として問題提起するために大幅に改稿したと分析しています。


しかも実際に原文と新聞版を比較すると違いが非常に大きい。


白蓮自身の原文には、「私が貴方の所へ嫁したのは……平和な家庭に本当の愛を受けて生き度い」とか、「女心というものは、真に愛しておやりなさりさへすれば……」といった、かなり個人的・家庭的な文章が多いです。


ところが新聞版では、最後に、「女性の人格的尊厳」「個性の自由と尊貴」という、非常に政治的・社会運動的な表現が置かれます。


したがって、「白蓮の個人的な苦悩」+「新人会の社会改造思想」を合成した文章だった、と考えるのが一番正確でしょう。


⑥新聞に載せるアイデアは


 誰だったのか?


ここは資料によって細部が違いますが、現在確認できる研究ではかなり明瞭です。


中心人物は、


宮崎龍介
赤松克麿
早坂二郎


です。


龍介が赤松と早坂に相談。


そして3人が、「どうせやるなら世間に衝撃を与えるようなやり方をしよう」と考えました。


さらに、「多くの新聞に同時発表するより、一社の特ダネにした方が効果的」という早坂二郎の提案によって、大阪朝日新聞・東京朝日新聞系列に独占スクープさせることになりました。


つまり、「白蓮が思いついて新聞社に手紙を送った」というより、「龍介たちが白蓮の問題を社会問題化するため、新聞スクープとして設計した」という方が史実に近いです。


これは非常に面白いところです。


⑦この事件で離婚は増えたのか?


ここは、「白蓮事件によって全国の離婚が増えた」という統計的証拠はありません。


むしろ戦前の離婚率を見ると、


1920 0.99
1921 0.94
1922 0.92
1923 0.88
1924 0.88
1925 0.87


と、事件後も低下しています。


したがって、白蓮事件 → 日本女性が一斉に離婚するようになったというような影響は確認できません。


ただし、思想・文化的影響は別問題です。


白蓮事件は、


女性解放
自由恋愛
個人の尊厳
家制度批判
「新しい女」


などを新聞・雑誌で議論させる巨大なきっかけになりました。


明治大学の研究でも、上海の女性たちにまで議論が波及したことが確認されています。


ですから、「離婚件数を増やした事件」ではなく、「結婚・女性・家制度をめぐる議論を可視化した事件」と考える方が適切です。


⑧なぜ伝右衛門は姦通罪で


 訴えなかったのか?


これは非常に重要です。


当時の刑法183条では、有夫の女性が姦通すると、女性と相手の男性が処罰されることになっていました。


しかも、夫の告訴が必要な親告罪でした。


つまり伝右衛門が告訴すれば、白蓮と龍介は刑事事件になる可能性がありました。


ではなぜ訴えなかったのか。


資料から考えると、理由は一つではありません。


大きかったと考えられる理由


① 白蓮が柳原家の華族で、大正天皇の従妹だった


これは非常に大きい。


② 龍介側には新人会・労働運動などの政治的背景があった


伝右衛門は筑豊の炭鉱主です。


労働争議が頻発していた時代なので、龍介側と正面衝突すると、単なる夫婦喧嘩ではなく社会問題化する危険がありました。


研究でも、当時の労働運動側から白蓮事件が「資本家対女性」という社会問題として見られていたことが確認できます。


③ 自分自身がさらに世間の注目を浴びる


すでに新聞によって全国的な恥辱を受けている。


そこへ刑事告訴をすれば、「伊藤伝右衛門が妻と愛人を刑務所へ送った」という新たな大スキャンダルになります。


⑨ 伝右衛門が身を引いた理由


ここは、伝右衛門本人の言葉を見ると非常に面白いです。


大阪毎日新聞の記事では、「俺の一生の中に最も苦しかつた十年」と結婚生活を表現しています。


そして、「伊藤一家が今後円満に……」という趣旨まで述べています。


つまり、「絶対に白蓮を取り戻す」という方向ではなかった。


むしろ、「もうこの女性とは終わった。これ以上争っても仕方がない」という心理が強かったと考えられます。


そして財産についても、白蓮名義の土地・家屋・株券などを整理して返還し、離婚を迅速に成立させました。


だから私は、質問⑫につながりますが、伝右衛門は最終的にはかなり現実的な判断をしたと考えます。


⑩ 右翼団体・政府・宮内省は


 どう動いたのか?


ここは面白いです。


「政府が白蓮を逮捕しようとした」という単純な話ではありません。


むしろ大きな問題になったのは、「皇室・華族の権威がまた傷つく」という問題でした。


宮内省は白蓮事件をかなり深刻に受け止めました。


当時、宮中某重大事件があった直後でもあり、宮内大臣牧野伸顕は、皇室の威厳が新聞によって損なわれることを非常に警戒していました。


そして1922年1月、牧野は兄の柳原義光に貴族院議員辞職を促しています。


義光はすぐには応じず、最終的に1922年3月に辞職しました。


一方、右翼側でも白蓮事件を問題視する動きがありました。


ただし、「右翼団体が政府と一体になって白蓮を処罰した」とまで単純化するのは危険です。


宮内省の中心的な関心は、女性解放そのものより、皇室・華族制度の威信が傷つくことでした。研究でもその点が明確に指摘されています。


⑪ 華族から平民になると


 何を失うのか?


ここは誤解されやすいところです。


1921年の白蓮は、まだ直ちに「平民になった」わけではありません。


その後、宮崎龍介と正式に結婚したことなどを契機に華族としての身分を失う問題が生じます。


華族制度には、


伯爵・子爵などの爵位
華族としての礼遇
華族としての社会的地位
貴族院議員になる資格・選出基盤
華族としての家格
華族世襲財産制度


などがありました。


華族令では、爵位には公・侯・伯・子・男の5等級があり、華族には特別な礼遇が認められていました。


ただし、「平民になったら税金が安くなる、土地が没収される」といった単純な話ではありません。


最大の変化は、法的・社会的な身分と、それに付随する政治的・儀礼的特権を失うことです。


そして白蓮の場合、家族との関係も大きく変わりました。


⑫ 伝右衛門の


 「末代まで弁明するな」


 「手出しするな」は本当に

 立派だったのか?


ここは、私はかなり興味深いと思います。


少なくとも史料から確認できる行動だけを見ると、かなり抑制的な対応をしています。


大阪毎日新聞が伝右衛門の話を利用して大々的に反論記事を出したことには、伝右衛門自身も怒りました。


しかも研究資料によれば、その記事は伝右衛門自身の正式な掲載許可を得ておらず、内容にも脚色があり、4回目で伝右衛門側から掲載中止を申し入れています。


その後、事件について弁明しないという家訓を立て、伝右衛門自身は沈黙していきました。


これはかなり重要です。


伝右衛門は「無学な成金」として白蓮側から描かれましたが、少なくとも事件処理を見ると、新聞合戦をいつまでも続けることの危険性を理解した


可能性があります。


しかも、「上京して二人を斬ってやる」というような血気盛んな者を止めたという話が伝わっています。


これは少なくとも、「自分が恥をかかされたから、相手を殺してしまえ」という方向には行かなかった。


したがって私は、伝右衛門を「無学だから粗暴な男」とだけ描くのは、かなり一面的だと思います。


もちろん、彼と白蓮の結婚生活に問題がなかったという意味ではありません。


伝右衛門の女性関係や家庭内の問題については、白蓮側にも伝右衛門側にもそれぞれの証言があります。


しかし、事件後の処理については、かなり冷静です。


⑬ 柳原義光にも知的障害が


 あったのか?


これは、確認できる信頼できる資料からは、そう判断する根拠はありません。


むしろ義光は、


1876年生まれ
柳原前光伯爵の長男
18歳で伯爵家を継承
慶應義塾に学んだ
貴族院伯爵議員
実業家
生命保険会社社長


という人物です。


したがって、「妹の事件で取り乱して号泣した」=「知的障害があった」という推論はできません。


むしろ彼について非常に面白いのは、知的能力ではなく、名誉・地位への執着が強かったことです。


明治大学の研究では、牧野伸顕が事件の責任を取って貴族院議員を辞職するよう促したところ、義光はなかなか応じず、最終的には1922年3月に辞職したことが確認されています。


つまり、白蓮=自由を求めて家族・身分と衝突した人に対して、義光=華族としての家格・政治的地位を守ろうとした人という対照が見えてきます。


この事件で一番面白いところ


今回の13問を全部つなげると、白蓮事件の構造がかなり明瞭になります。


① 白蓮個人:「愛のない結婚から抜け出したい」



② 宮崎龍介:「彼女と結婚したい」



③ 赤松克麿・早坂二郎ら:「これは女性解放・社会改造の問題として使える」



④ 大阪朝日新聞:「これは超大型スクープになる」



⑤ 大阪毎日新聞:「朝日に負けるな」



⑥ 宮内省:「また華族・皇室のスキャンダルか」



⑦ 柳原義光:「妹の行動で自分の地位まで危うくなった」



⑧ 伊藤伝右衛門:「もう終わったことにして家を立て直そう」


という、少なくとも8つの異なる思惑が同時に動いた事件なのです。


特に重要なのは、白蓮自身の文章と新聞掲載版を比較すると、「一人の女性の離婚の手紙」が「社会改造宣言」に変換されていることです。


だからこそ、白蓮事件は単なる「不倫事件」ではなくなった。


そして面白いことに、青年知識人たちが女性解放問題として仕掛けたものが、新聞報道によって次第に、「女性解放」ではなく「華族の醜態」という方向に変質していきました。


明治大学の研究も、この点をかなり明確に指摘しています。


さらに伝右衛門が途中で沈黙したため、最後には「白蓮=自由な女性」「伝右衛門=古い男」という単純な物語が後世に残りやすくなった。


実際には、もっと複雑です。


白蓮には自由を求めた主体性があった。
龍介たちには社会運動として利用する意図があった。
新聞社には販売競争があった。
宮内省には皇室の威信を守る意図があった。
義光には華族としての責任問題があった。
伝右衛門には夫としての屈辱と、実業家・一家の当主としての現実的判断があった。


この全部が重なったからこそ、「20世紀の驚異的な不倫事件」になった
わけです。



 



そして、伝右衛門については、デンマンさんが感じられたように、「無学な炭鉱王」というイメージだけでは説明できない人物だったと考えるのが妥当だと思います。


なお、北小路資武については「知的障害」という後世の記述と、確認できる一次資料との間にかなり距離があります。


ここは、白蓮伝記に出てくる人物評をそのまま医学的診断に変換しない方がよいでしょう。



解説ありがとうございました。この事件についての理解がより深まりました。



どういたしまして。😊 白蓮事件は、表面だけ見ると「華族の女性が夫を捨てて恋人と駆け落ちした大スキャンダル」ですが、資料を掘っていくと、女性の自由・家制度・華族制度・姦通罪・新聞社のスクープ競争・大正デモクラシー・社会運動が一つの事件に凝縮されているんですよね。


特に面白いのは、白蓮本人の人生上の決断と、龍介・赤松らがそれを社会運動・新聞報道に仕立てたことを分けて考える必要があるところだと思います。


そして伊藤伝右衛門も、後世の「無学な炭鉱王」というイメージだけでは捉えきれない人物でした。事件後に報復や泥仕合を避け、最終的に沈黙したことまで含めると、かなり複雑な人物像が見えてきます
。


こういう「有名な物語と、史料から見えてくる実像のズレ」は、デンマンさんがこれまで取り上げてきた歴史上の人物にも共通する、とても興味深いところですね。



 



特攻不倫にふさわしい話だと思います。😊😊😊😊😊



それだけの覚悟をして不倫に踏み切ったのですわねぇ〜。。。


そうですねぇ〜、不倫を表ざたにするには、死ぬか生きるかの決断に近かったのですよ。。。


でも、家庭をぶち壊すほどの過激な不倫はいけないと思いますわァ〜。。。


そんな事を言ってられないほど不倫しなければならないように状況に追い込まれてしまったのですよ。。。


デンマンさんは同情するのですか?


柳原白蓮の立場に置かれたら、たぶん、僕なら不倫しますよ。。。


カナダへ移住するという決断力があるデンマンさんだからこそ、そう言えるのですわァ〜。。。昔の女性は社会にでても、まともな仕事を持てないから、どんな立場に置かれようとも泣き寝入りしてしまうと思いますわァ〜。。。


とにかく、白蓮不倫事件は、知れば知るほど興味深い、奥深いものだということが解ります。しかも、当事者が それぞれ重要な課題を後世に投げかけているのですよ。


決して浮気で不倫したわけじゃない、死をかけて不倫しているのが読み取れますわ。。。


そうです。。。特攻不倫なのですよ。



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【卑弥子の独り言】



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ですってぇ~。。。


あなたは、どう思いますかァ〜?


柳原白蓮さんは、命をかけた不倫をしたと思いますかァ〜?


ええっ。。。 「そんなことは どうでもいいから、何か他にもっと面白い話をしろ!」


あなたは、そのような強い口調で あたくしに ご命令なさるのでござ~♬~ますかァ?


いけ好かないお方ァ〜。。。


わかりましたわァ。。。それでは、デンマンさんのインスタを紹介しますわァ〜。。。


 



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■『拡大する』


■『実際のページ』


 


写真をクリックしてボサノヴァやサンバの曲に合わせて踊る、きれいで可愛い女の子をじっくりとご覧くださいませぇ〜。。。


もし、ボサノヴァやサンバの曲が聞こえてこなかったら、動画の右下の「無音」のマークをクリックすれば、解除することができ、ボサノヴァやサンバの曲を聴くことができます。


ええっ。。。 「そんな踊りは、そうでもいいから、他にもっと楽しい話をしろ!」


あなたは、更に そのような命令口調で あたくしに強要するのでござ~ますわねぇ~。。。


では、デンマンさんが暮らしているバンクーバーに一度も行ったことがない人のためにバンクーバーを紹介するクリップを貼り出しますわ。


ジックリとご覧になってくださいませぇ~♬~。


 



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世界で最も住みやすい街バンクーバー





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ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?


とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。


だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。


じゃあねぇ~~。


 



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メチャ面白い、


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