上原良司の遺書

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デンマンさん。。。今日は上原良司の遺書 のお話をするのですかァ〜?

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そうです。。。小百合さんはつまらなさそうですねぇ〜。。。
特攻隊員の遺書でしょう?
そうです。。。22歳で命を捨てねばならなかった学徒兵の遺書です。。。
どうせなら、楽しみながら読めるようなお話をして欲しいものですわァ〜。。。
楽しみながらは読めないけれど、感動的な考えさせられる遺書ですよ。。。
なぜ、もっと楽しいお話を取り上げないのですか?
実は先日、次の動画を観たのですよ。。。

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上原良二の名前を知らなくても、「聞け、わだつみの声」という書籍や、映画を耳にしたことがある人は、多いのではないでしょうか。
陸軍特別攻撃隊として、死を目前に書き残した首帰は、聞け、わだつみの声の、本文の一編に、収録されてるだけでなく、プロローグとしても、採用されるなど、二編の遺稿が、収録されています。
戦死した特攻隊員が、家族や、恋人に宛てた遺書や、手紙が、数多くありますが、自らを、自由主義といった、上原領事が残した手記は、異質とされながらも、多くの人に読みつがれています。上原が残した遺遺稿は、私たちに何を伝えているのでしょうか?
上原領司は、昭和十六年に、慶応義塾大学与科に入学。翌年に、慶応義塾大学経済学部に入学します。その十二月に戦争が勃発。昭和十八年、十二月一日に陸軍省に入営し、熊谷陸軍内飛行学校に入校。
神奈川県厚木の相模原教育隊で、飛行操縦訓練に励みました。軍に入隊する前は、他の学生たちと同じように日本の勝利を喜んでいましたが、次第に、自由主義思想に傾いていきます。きっかけは、大学時代に熱中したイタリアの哲学者、歴史学者、政治家である、ベネデッド・クローチェの著書でした。
クローチェは、ムッソリーニが推し進めるファシズムに反対し、自由の尊さを訴えた人物で、このことが上原に大きな影響を与えました。特に、翻訳本クローチェが愛読書となりました。
上原は、自由主義思想に基づく自分の考えを主張してたびたび、上官を怒らせました。熊谷陸軍飛行学校を卒業した上原はこの頃から、先人手帳と名付けた手帳に、自分の言葉を記すようになります。
自由は、人間性なるが故に、自由主義国家軍の勝利は明白である。日本は、思想的に、既に敗れているのだ。なんで、勝つを得んや。軍の指定食堂で、上原はいつも、日本は負けるよ、と言っていました。
食堂を経営していた、鳥浜留が、憲兵につかまるから、やめなさい、と言っても、聞かなかったと言います。日本の敗戦を、確信しながらも、自由の国に憧れ、自由主義として、出撃する。それが、上原の覚悟でした。
昭和二十年四月、特攻を志願した上原は、帰郷を許され、家族や友人のもとを訪れました。上原家では、日本は破れる。俺が戦争で死ぬのは、愛する人たちのため。戦死しても、天国に行くから、靖国神社にはいないよ、と言い、家族を心配させました。
軍隊に帰るとき、家から少しはなれた橋のたもとから、遠くに見送る家族に向かって、さよなら、さよなら、さよなら、と、三度も言って、別れを告げました。これまでに聞いたことのない、大きな声を聞いた母親は、良司は死ぬ気でいるんだ。最後の別れに来たんだ、と思ったと言います。
五月十一日の朝、上原は、母からもらった煙草の最後の一本に、火をつけます。そして、その空き箱の裏に、歌を読み、記しました。

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出撃の
朝の楽しき
一服は、
我がたらちねの
賜しものなり
六時三十分、第一攻撃隊を戦闘に、知覧飛行場を離陸します。上原は、沖縄嘉手納湾上の敵艦船に突入し、二十二歳の若さで、戦死しました。死後に、煙草の空き箱は、母親のもとに、届けられました。
書き残した短歌を読むと、お母さんからもらったタバコを吸いながら、悩みも、未練も、振り切ってさっぱりした気分で出撃してゆく姿が思い浮かびますわねぇ〜。。。

なるほどォ〜。。。確かに、そんなふうにも読めますねぇ〜。。。
デンマンさんは、違う思いで出撃していったとおもうのですかァ〜?
辞世の句ですからねぇ〜。。。女々(めめ)しいことは書けないですよ。。。少なくとも、いさぎよく出撃していったと思われたいですよ。。。ただ、天皇陛下のためではなく、お母さんのため、愛する人のために、国を守るために、死にゆくという気持ちがこめられています。。。
天皇陛下のため。。。なんて書いたらヤバいでしょうねぇ〜。。。デンマンさんならば、どういう辞世の句を残しますかァ〜?
僕は、辞世の句など残しませんよ。。。そもそも戦争に行きません。。。奥秩父の山の中で戦争が終わるまで隠れて暮らすか。。。あるいは、横浜から密航してカナダに逃げていますよ。。。
そんな事をしたら、残された家族が非国民扱いされ、村八分になって、悲惨な生活を余儀なくされますわよ。。。
とにかく、僕は戦争は、何が何でも反対ですよ。。。どう思われようが、自分の一生は自分で決めて寿命を全(まっと)うしますよ。。。
内心では そう思っていても、多くの若者が上原良二さんのように特攻機に乗って戦艦に突っ込んでいったのですわァ〜。。。
でもねぇ〜。。。そういう時代でも、断固として戦争に反対して、信念を貫いた人たちがいたのですよ。。。
徴兵拒否した人たち
「灯台社」の人たちは徴兵を拒否したのですか?

そうです。。。だから、弾圧され、多くの人が刑務所にぶち込まれたのですよ。。。
戦争に行った人も徴兵拒否して戦争に行かなかった人も、大変だったのですわねぇ〜。。。どうしたらよいのでしょうか?
そういう疑問を持つのは当然のことです。。。動画を観た後で、僕もいくつか質問があったので ChatGPT に尋ねてみました。。。小百合さんも読んでみてね。。。

『上原良司の遺書・自由主義と愛国の精神』という動画を観ました。
とても感動的な動画でした。観た後でいくつかの疑問が頭をもたげました。
ここで質問です。
① ベネデッド・クローチェの自由主義とは?
② 自由主義は、個人の自由をできるだけ尊重する考え方が中心です。一般には、国家や権力が人の生き方に過度に介入しないことを重視します。 そもそも軍隊に入るということは自由が束縛されるということです。どうして中立国に逃避するという考えが思い浮かばなかったのか?
③ 私の父親は独学で代用教員の試験に合格して18歳で教壇に立ちました。その父親は天皇は生き神様だとは信じてなかったし、また、神話も仕方なく教えていたと言ってました。その父親も軍隊にとられ、仕方なく戦場に赴いたと言いました。どうして逃げなかったのか?と尋ねたら、そんな事ができる世の中ではなかった。戦争を拒否したら監獄行きで、家族は村八分の憂き目に遭う。しかし、そのような時代でも、実際に軍隊に入るのを拒否した灯台社の人々がいました。だから、自分の信念に忠実であるならば、戦争を拒否するのは可能だったということです。死ぬことを考えれば、戦争を拒否することは出来るはずでは?
④ 自由主義思想に感銘を受け、自由主義国家軍の勝利は明白であると信じながら、なぜ上原良司は特攻に志願したのか? その心理とは?
⑤ 軍隊に入るのが嫌で戦争中 山の中に(あるいは家の中だったか?)ずっと隠れていたという話を聞いたことがありますが、そう言う事例が実際にあったのですか?
⑥ 私が当時生きていたら、密航してでも国外に脱出すると思うのですが、そう言う事例がありますか? つまり、失敗して検挙された事例?
⑦ 軍国主義の潮流に流されないで、断固として戦争を拒否した人間はいたと思うのです。例えば、灯台社の人々。 こういう人たちと、軍事体制に呑み込まれてしまう人々では、何が違うのですか? 教育、信仰、宗教、遺伝、性格ということを考えたうえで、決定的な要因がありますか?

とても重要な問いだと思います。特に③〜⑦は、単に「上原良司はなぜ逃げなかったのか」という個人心理だけでなく、「同じ戦時下にいて、なぜ人によって行動が全く違ったのか」という問題につながっています。
まず一点、史実上の名前は上原良司(うえはら・りょうじ)です。1922年生まれ、1945年5月11日に22歳で特攻死しました。慶應義塾大学在学中に学徒出陣し、クローチェの影響を受けた自由主義思想を持っていたこと、遺稿の一つが「明日は自由主義者が一人この世から去って行きます」と結ばれることは確認できます。
そして、今回の質問を考えるうえで非常に重要なのは、「自由主義者だったのだから、当然逃げるべきだった」と考えるだけでは、上原や当時の人々の行動を十分には説明できないということです。
① ベネデット・クローチェの
「自由主義」とは?
ベネデット・クローチェの自由主義は、現在よく使われる「政府は個人に干渉するな」という意味だけではありません。
ここが上原を理解するうえで非常に重要です。
クローチェにとって自由とは、
人間が自分自身の判断によって歴史をつくっていく精神的・倫理的な自由
という、かなり哲学的なものでした。
クローチェはファシズムに対して、
国家
人種
階級
指導者
教義
などを絶対視して、人間の批判的判断を停止させることを批判しました。
近年の研究でも、クローチェの自由主義は「個人の自由放任」というより、歴史を批判的に考え、自分自身で判断し、自由を不断に実現していく倫理的な生き方として説明されています。
だから上原の、
「自由は、人間性なるが故に……」
という考え方は、かなりクローチェ的です。
つまり、「自由だから軍隊から逃げる」とは必ずしもならない。
むしろ、「自由な人間として、自分の判断で、この不自由な状況の中でどう生きるか」という問題になるのです。
ここが非常に面白いところです。
②自由主義者なのに、なぜ中立国
へ逃げなかったのか?
これはまさに核心ですね。
ただし、「中立国へ逃げる」という選択肢は、理論上は存在していても、1943~45年の日本人青年にとって現実的な選択肢とはかなり違いました。
上原が軍隊に入ったのは1943年です。
日本はすでに総力戦体制に入っており、
海外渡航そのものが容易ではない
日本の旅券・渡航管理がある
戦争によって国際交通が大幅に制限されている
中立国へ行くための具体的なルートがほとんどない
戦争中の日本から突然スイスなどへ逃げることは極めて困難
という状況でした。
ただし、ここで重要な反証があります。
「誰も逃げられなかった」わけではありません。
実際、日本では昔から徴兵忌避が存在しました。
研究によれば、徴兵検査から逃れるため、
失踪する
身体を故意に傷つける
病気を装う
学生の身分を利用する
海外へ移住する
など、さまざまな方法が使われました。
さらに、海外移住を利用した徴兵忌避はかなり現実的な方法でした。
例えば1936年の陸軍統計では、「外国在留」を理由とする徴兵延期者が5万3819人いたとする研究があります。
つまり、「逃げるという選択肢そのものが存在しなかった」という説明は正確ではありません。
③ お父様の話は、
実は非常に重要です
お父様がおっしゃった、「そんな事ができる世の中ではなかった」という言葉。
これは非常に重い証言だと思います。
そして、ここには重要な区別があります。
「逃げることができない」と「逃げることを選択できない」は違います。
法律的・物理的には逃げる方法が存在しても、社会的・心理的には「逃げる」という選択肢を自分の人生の選択肢として認識できない、ことがあります。
お父様が言った、戦争を拒否したら監獄行きになる、家族まで村八分になる、という認識は、その典型です。
そして実際に灯台社の人々は、それを承知の上で拒否しました。
国立国会図書館の資料によれば、1939年、灯台社に属する3人の兵士が兵役拒否を申し出て、その後、集団そのものが激しい弾圧を受けました。
つまり、「拒否できなかった」のではなく、「拒否した場合に何が起こるかを知ったうえで、それでも拒否しなかった人が多数いた」ということです。
これは大きな違いです。
④ では、なぜ上原良司は特攻に
志願したのか?
ここは私は、「愛国心」だけでは説明できないと思います。
むしろ上原の場合、
① 日本の敗戦を予想していた
② 自由主義の勝利を信じていた
③ 日本の軍国主義を批判していた
④ それでも自分自身は軍隊に残った
という、非常に複雑な状態です。
ここには一種の「自己犠牲による意味づけ」があった可能性があります。
上原は、「日本のために死ぬ」というより、「愛する人々のために自分が死ぬ」という意味づけをしています。
そして、「日本は負ける」と考えながら、「自由主義の世界が勝つ」ことを信じて死んでいく。
これは普通の軍国青年とはかなり違います。
実際、上原の遺稿には自由主義思想と日本の敗戦予測が明確に表れています。
さらに近年の上原研究では、研究者が、「最後まで死ななくていい可能性もあると思っていたからこそ、遺稿を隠していたのではないか」「彼は本当は生きたかったのではないか」という解釈も提示しています。
これはもちろん一つの解釈ですが、非常に興味深いです。
つまり、「死を恐れない英雄」と見るより、「生きたい人間が、死ぬことに意味を与えようとしていた」と考えたほうが、人間としての上原が見えてくるのではないでしょうか。
⑤ 実際に「山や家に隠れて兵隊に
行かなかった人」はいたのか?
いました。
しかも、これは伝説ではありません。
徴兵忌避の研究では、
失踪
逃亡
親戚の家に隠れる
病気を装う
身体を傷つける
などが確認されています。
面白い実例があります。
戦争末期、農民作家の山田多賀市は、「妻子を残して戦争に行けるか」という理由で徴兵忌避を決意し、自分の死亡診断書を偽造して「自分は死亡した」ことにするという方法を取ったと研究で紹介されています。
そして実際に徴兵を逃れることに成功しています。
したがって、「みんな嫌だったけれど、仕方なく行った」というのも正確ではありません。
逃げた人もいた。拒否した人もいた。偽装した人もいた。
ただ、その人たちは戦後まであまり「英雄」として記録されなかったのです。
⑥ 密航して国外へ脱出した人は?
これも興味深いところで、海外へ逃れるケースは実際にありました。
特に沖縄などでは海外移民を利用した徴兵忌避がかなり存在しました。
研究によると、1930年代には、「兵隊に行くのが嫌な人は南洋へ行った」という証言があります。
実際、南洋諸島などへの移民には、貧困だけではなく徴兵忌避を目的としたものも含まれていました。
さらにもっと露骨な例もあります。
1907年の沖縄では、ある男性が他人の旅券を借り、別人の名義を使って妻とともにハワイへ逃亡したという記録があります。
これは徴兵忌避が目的とされ、旅券を貸した人物も処罰対象になりました。
したがって、「国外脱出して兵役を逃れようとした日本人」は確実に存在します。
ただし、これは主として明治~昭和前期の事例です。
1944~45年の日本から、戦火を突破して中立国へ密航するというのは、さらに難易度が高かったでしょう。
⑦ では「拒否できる人」と
「呑み込まれる人」の違いは
何なのか?
ここが一番面白い質問だと思います。
そして私は、「教育」「宗教」「遺伝」「性格」のどれか一つが決定的だった、とは考えにくいと思います。
むしろ、いくつもの要因が重なっています。
① 家族への責任
「自分が逃げれば家族がどうなるか」
これは非常に強力です。
本人だけが監獄に入るならまだしも、「息子が非国民だ」となれば家族まで社会的制裁を受ける。
これが逃亡の大きな抑止力になりました。
② 周囲の人間
人間は一人で思想を形成しているわけではありません。
周囲が、「兵隊に行くのは当たり前だ」と言っている環境と、「戦争は間違っている」と言っている環境では、同じ人間でも行動が変わります。
これは非常に大きい。
③ 宗教・思想
灯台社の人々の場合は、宗教的信念が非常に強かった。
だから、
国家が命令する
↓
しかし神の命令と矛盾する
↓
国家より信仰を優先する
という明確な判断基準を持てた。
これは重要です。
国家が、「天皇陛下のために死ね」と言っても、「私の信仰では殺人をしてはいけない」という国家より上位の価値基準が存在していた。
だから拒否できた。
④ 思想の「内面化」の強さ
これも重要です。
単に、「戦争は嫌だな」と思っている人と、「私は絶対に人を殺さない」と確信している人では違います。
前者は状況によって変わります。
後者は、自分が損をしても原則を守ることができます。
灯台社の人々には、この強い確信があった。
⑤ 性格
性格も無関係ではないでしょう。
例えば、
権威に従いやすい
周囲に合わせる
危険を避ける
家族を第一に考える
反抗心が強い
一人で決断できる
などの違いはあり得ます。
しかし、「反抗的な性格だから兵役拒否をした」と単純化することもできません。
状況によっては、非常に反抗的な人間でも軍隊に従います。
そして「教育」はかなり重要だと思います。
ここでお父様の話と上原良司がつながります。
お父様は、天皇は生き神様ではない、神話も本当だとは思っていなかった、と認識していた。
つまり、国家が教えることと、自分が本当に信じていることを区別する能力があった。
これはかなり重要です。
一方、上原の場合はクローチェの本を読むことによって、「日本という国家が言っていること」を、「世界史・哲学の視点」から相対化することができた。
だから、「日本は思想的に負けている」と考えることができた。
これは軍国主義の中では非常に特殊な精神状態です。
ただし、ここで非常に重要なことがあります。
「灯台社の人は強く、上原は弱かった」という話でもありません。
私はむしろ逆に、
上原
→ 国家の思想を批判できた
→ 日本の敗戦も予測した
→ 自由主義を信じた
→ しかし軍隊から逃げず、特攻した
灯台社
→ 国家より上位にある宗教的信念を持った
→ 兵役そのものを拒否した
→ 弾圧・投獄を受けても信仰を守った
という違いを見るほうが面白いと思います。
つまり、「自由思想を持っていること」と「国家命令を拒否すること」は同じではない。
ここが今回の最大のポイントでしょう。
上原良司という人物の最大の「矛盾」
私は上原の魅力は、むしろこの矛盾にあると思います。
自由主義者なのに軍隊にいる。
日本が負けると思っているのに戦う。
軍国主義を批判しているのに特攻する。
自由な世界を信じながら、自分は自由を奪われた状態で死んでいく。
これは論理的には矛盾しています。
しかし、人間としては非常にリアルです。
人間は、「自分の思想に完全に従って行動する」とは限らないからです。
家族、友人、仲間、社会、教育、恐怖、責任、名誉、愛情、罪悪感、そして「自分はどう生きるべきか」という自己イメージ。
これらが全部絡み合っています。
だから、上原の遺稿が今でも読まれるのだと思います。
単なる「特攻隊員の美しい遺書」なら、これほど長く読み継がれなかったでしょう。
むしろ上原は、「自由を信じた人間が、自由を奪われた時代にどう生きたのか」という、非常に現代的な問題を残しています。
そして、あなたのお父様の話や灯台社の人々を並べると、さらに面白くなります。
同じ日本に、
「仕方なく従った人」
「逃げた人」
「偽装した人」
「宗教的信念から拒否した人」
「思想的には軍国主義を否定しながら、軍隊に残った人」
が同時に存在していた。
つまり、戦時下の日本人を「みんな洗脳されていた」とか、「みんな仕方なく戦争に行った」と一括りにするのは、史実から見ると不十分なのです。
徴兵忌避そのものはかなり広範に存在し、研究では失踪・逃亡・海外渡航・病気の偽装など多様な形態が確認されています。
そして、「拒否する人」と「従う人」を分けた決定的な一個の遺伝的・性格的要因が確認されているわけではありません。
むしろ、信念の強さ、家族関係、地域社会、宗教、教育、仲間、国家による監視と処罰、本人が持っていた「自分は何者か」という自己認識などの相互作用として考えるほうが妥当です。

その意味では、上原良司の遺稿が私たちに伝えている最大のものは、「自由とは何か」だけではなく、「自由を信じる人間でさえ、自由のない社会の中では、その自由を行動に移せないことがある」という、恐ろしく重い人間の現実なのだと思います。
そしてこれは、デンマンさんが以前おっしゃっていた「一人の人間を完全に信じ切ってしまうことの恐ろしさ」とも、実はつながっています。
国家であれ指導者であれ思想であれ、最終的には「自分自身で考える力」を失わないことが重要なのだと思います。

解説ありがとうございました。「自由を信じる人間でさえ、自由のない社会の中では、その自由を行動に移せないことがある」そうならないようにしようと思いますが、非常に厳しい課題ですね。

そうですね。非常に厳しい課題だと思います。
ただ、上原良司や灯台社の人々を考えると、「自由を守る」というのは、いざという時に英雄的な行動を取ることだけではないのかもしれません。
むしろ平時から、
「みんながそう言っている」ことを疑ってみる
国家や指導者の言葉でも、自分で事実を確かめる
自分と反対の意見にも耳を傾ける
「命令だから仕方がない」で思考を止めない
人間の命や尊厳を、国家の都合より上に置く
自分が間違っている可能性も認める
こうした小さな習慣を持っておくことが、非常時に自分の判断を失わないための準備になるのでしょう。
そして、私は今回のお話で特に興味深いと思ったのは、「自由な社会を作ること」と「自由な人間でいること」は別問題だということです。
制度として自由な国に住んでいても、周囲の空気に合わせて、自分で考えることをやめれば自由ではなくなる。
逆に、非常に不自由な時代でも、「これはおかしい」と考え続けた人はいた。
上原良司も、灯台社の人々も、お父様も、それぞれ全く違う形でこの問題を私たちに残しているように思います。
そして、「自分なら絶対に逃げる」と考えることさえ、少し注意が必要なのかもしれません。
平時の自分ならそう思えても、実際に、
「拒否すれば自分だけでなく家族も危険になる」
「周囲の全員が従っている」
「警察や憲兵に監視されている」
「明日どうなるか分からない」
という状況に置かれたとき、自分がどう行動するかは分かりません。
だからこそ、「自分は絶対に大丈夫だ」と思うより、「自分も流される可能性がある」と自覚しておくことのほうが、むしろ自由を守る力になるのではないでしょうか。
上原良司の遺稿は、英雄を作るための文章というより、私にはむしろ、「人間は、自由を失ってから自由の大切さに気づくのでは遅い」という警告のように感じられます。
戦争を絶対に繰り返さないためにも、こういう人々の記録を「昔の悲劇」として終わらせず、自分ならどう判断するかを平時から考えておくことには、大きな意味があると思います。

日本が戦場になったらどうなるかァ〜?
ほとんどの日本人が仕方なく武器を取って戦うと思いますわァ。。。
あのねぇ〜。。。かつての軍国主義の日本とは違うのですよ。。。平和ぼけした最近の若者が武器を取って死ぬかもしてない戦場に出てゆくと思いますかァ〜? 多くの若者は自衛隊に任せて、僕のように山奥で戦争が終わるまで隠れて暮らすか、横浜から貨物船か、タンカーに密航して海外に逃亡しますよ。。。
そうでしょうか?
勇ましく武器を取って戦う人は極めて少ないと思いますよ。。。
でも、日本を守るためにデンマンも戦って欲しいですわァ〜。。。
僕はカナダで暮らしているのですよ。。。わざわざ、戦場になった日本に死ぬためにゆきたくありません。。。
それは薄情ですわァ〜。。。自分勝手ですわァ〜。。。デンマンさんだって、日本で生まれ育ったのではありませんかァ〜。。。日本に恩があるはずですわァ〜。。。
政治家が戦争やると決めたんだから、政治家が戦争やればいいのですよ。。。僕は絶対戦争には反対です。。。戦争には参加しません。。。

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【卑弥子の独り言】
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ですってぇ~。。。
あなたは、どう思いますかァ〜?
戦争をやると決めた政治家たちと自衛隊員が戦場で戦うべきだと思いますか?
ええっ。。。 「そんなことは どうでもいいから、何か他にもっと面白い話をしろ!」
あなたは、そのような強い口調で あたくしに ご命令なさるのでござ~♬~ますかァ?
いけ好かないお方ァ〜。。。
わかりましたわァ。。。それでは、デンマンさんのインスタを紹介しますわァ〜。。。

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写真をクリックしてボサノヴァやサンバの曲に合わせて踊る、きれいで可愛い女の子をじっくりとご覧くださいませぇ〜。。。
もし、ボサノヴァやサンバの曲が聞こえてこなかったら、動画の右下の「無音」のマークをクリックすれば、解除することができ、ボサノヴァやサンバの曲を聴くことができます。
ええっ。。。 「そんな踊りは、そうでもいいから、他にもっと楽しい話をしろ!」
あなたは、更に そのような命令口調で あたくしに強要するのでござ~ますわねぇ~。。。
では、デンマンさんが暮らしているバンクーバーに一度も行ったことがない人のためにバンクーバーを紹介するクリップを貼り出しますわ。
ジックリとご覧になってくださいませぇ~♬~。
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世界で最も住みやすい街バンクーバー
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ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?
とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。

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