2026年10月22日木曜日

カウラ事件で涙


 


カウラ事件で涙


 




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デンマンさん。。。今日はカウラ事件 のお話をするのですかァ〜?



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そうです。。。小百合さんはつまらなさそうですねぇ〜。。。


戦争のお話でしょう。。。


そうです。。。いけませんかァ〜?


平和のお話をした方が良いのではありませんかァ〜?


平和を願うためにカウラ事件 を取りあげるのですよ。。。


戦争に関わる悲惨な事件ならば たくさんあるのに、どういうわけでカウラ事件なのですか?


実は、最近、次の動画を観たのですよ。。。


 



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カウラ事件


あの日、僕らの命は


トイレットペーパー


よりも軽かった


 


オーストラリアのカウラにあった太平洋戦争中の日本人将兵を収容する捕虜収容所で起こった集団脱走事件を扱ったドラマです。


このテレビドラマは、2008年7月8日の21:00-23:18に、日本テレビ系列にて放映された単発スペシャルのテレビドラマ。


太平洋戦争の渦中に起きた日本人捕虜脱走事件である「カウラ事件」をテーマとしたドラマである。
戦時の収容所シーンは、富士山麓にオープンセットを建てて撮影された。


エンドロールの後に「このドラマは佐藤憲司氏(現・87歳)の体験談をもとに脚色した物語であり、設定・名称等は実際と異なります」という一文と共に、佐藤と思われる軍服姿の若者の写真が画面に映された。


この佐藤という人物は、脚本を担当した中園ミホの伯父であり、カウラ事件の体験者である。
ドラマ冒頭部におけるオーストラリアでの現代のシーンは、中園が佐藤とのオーストラリア旅行の際に起こったエピソードそのものであり、このドラマが生まれるきっかけでもある。


中園は放送前のインタビューで「元々、戦争が苦手で、戦争映画もあまり見ない私が書いたのだから、普段戦争モノが苦手な人にこそ見て欲しい。そしてこのドラマを見てオーストラリアに行く日本人がお墓参りをしてくれるといいと思います」「本編で書けなかった悲しい後日談があるため、続編を書いてみたい」と語っている。


今作の脚本を担当した中園ミホは「いつかは書かなければならないと思っていた物語だった」と語っている。中園が大学3年生のときに伯父の佐藤憲司に連れられてオーストラリア旅行に行ったが、その際立ち寄ったカウラで伯父が突然泣き崩れ、「俺は捕虜だったんだよ…」と自身がカウラ事件の体験者であると告白したという。


その様子を見た中園はただ事ではないと思ったが、なかなか作品を書ける機会に恵まれず、長年その思いを抱え込んだ。20年近く経って、やっとドラマ班にシノプシスを見せて回ったが、恋愛モノで有名な中園が戦争モノの作品を書くというのに戸惑いを見せるプロデューサーが多く、取り合ってくれなかったという。


ドラマ化に踏み切ったきっかけは、『ハケンの品格』で仕事を共にした小泉孝太郎に企画書を見せたところ「ぜひ、やりたい」と言ってくれたことや、同じドラマに出演していた大泉洋も賛同してくれたことだという。


その後、トントン拍子でドラマ化の話が進み、2007年末頃に正式に制作が決定した。


1944年6月3日、カウラに来て間もない朝鮮人日本兵捕虜の松本タケオより、捕虜が脱走を企てているとの密告があった。
これを重く見たシドニー地区司令部は6月19日、ヴィッカース機関銃2丁を追加配備、更にカウラの収容人数が大幅に定員オーバーした事もあり、将校・下士官を除く兵士700名を、400km西に位置するヘイ(Hay, ニューサウスウェールズ州)の第8捕虜収容所に移すことを計画。


通達はジュネーヴ条約第26条の規定に基づいて移送の前日に行うよう指示されたが、Bキャンプ司令官のラムゼー少佐は3日早い8月4日午後2時ごろ、捕虜の中心格であった金沢、小島、豊島の三名に通達した。


移送者のリストには、下士官と兵士の分離が掲げられていた。


日本兵にとって、下士官と兵の信頼関係は厚く結ばれたものであるという理論に基づき、全体一緒の移送ならば良いが、分離しての移管を受け入れることができない日本兵は、それを契機として捕虜収容所からの脱走を計画することになる。


分離問題は我らの死の時期到来とし、1104名が一様に決着せる死の行動になった。


すなわち、行動の本質は脱走ではなく、他力による死であった。


1944年8月5日午前2時過ぎ程からの深夜帯に豊島の突撃ラッパを合図に、将校と入院者含め不参加者118人を除く900名の日本兵は集団脱走を決行する。


脱走時、携帯する事の出来た武器と言ったものは身近にあるフォーク・ナイフなどの金属製品、野球バットといったものに過ぎず、機関銃が配備されたオーストラリア警備兵に対抗できる状態では無かった。
また、各自自決用の剃刀を持った
。


決行前、作戦命令に従い、足の悪い者は次々と首をつって自殺した。
また、第10班の安倍班長のように、豪州兵との戦闘を拒んで自殺する者もいた。


死者数は235名(オーストラリア人4名、日本人231名)と多数の死傷者を出した。
負傷者数は日本人108名(うち3名が重傷のため死亡)、オーストラリア人4名。



 



せっかく助かったんだから無事に日本に帰れば良いと思うのですけれど、そういう気持ちにはなれなかったんでしょうねぇ〜。。。



そうです。。。当時の日本の軍事教育では捕虜になることは生き恥をさらすことだ、という教えが叩き込まれていましたからねぇ〜。。。


 



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捕虜になったことだけでも生き恥をさらすことになるのに、日本に帰ったとして、捕虜になっていたことが知れたら、本人も家族も村八分になると思い、心のどこかで名誉の戦死になるように死に場所を探していたのですよ。。。



それで、脱走することに反対する人が極めて少なかったのですわねぇ〜。。。


そうです。。。脱走すれば、まともな武器がないから、まず、十中八、九死ぬことが解っていた。。。でも、戦って「名誉の戦死」になる。。。家族に迷惑をかけることにならない。。。だから、脱走することを選んだのですよ。。。


今では考えられないことですわねぇ〜。。。デンマンさんだったら、どうします?


もちろん、脱走には反対票を投じますよ。。。何がなんでも、僕は生きようとしますよ。。。そもそも、僕が当時生きていたら、兵隊などにならずに密航して日本を抜け出し、カナダにゆきますよ。。。


それは卑怯だと思いますわァ〜。。。非国民を出したということで、家族に迷惑がかかるでしょう?


密航する前に、僕と一緒にカナダに逃避行するのが嫌ならば、戦争が終わるまで秩父の両神山の山奥に隠れて暮らすようにと言い残してから横浜からカナダに向けて密航します。。。


そんな事ができるかしら?


戦争で死ぬ気になれば、なんだってできますよ。。。


でも、当時の軍国主義の日本で、デンマンさんのような考えになれるでしょうか?


なれますよ。。。僕は戦後生まれだけれど、経済大国日本で日本国民が世界一だと喜んでいる時に、やがて日本は落ちてゆくと思いカナダに移住しましたからねぇ〜。。。


つまり、衰退してゆく日本を予測していたのですか?


あのねぇ〜、いつまでも世界一のままではいられないのですよ。。。軍国主義の日本に生まれたとしても、やがて日本は負けると思って、僕は密航してカナダにやってきたと思いますよ。


信じられませんわァ〜。。。


もし、小百合さんも軍国主義の日本に生まれていたら、僕は小百合さんを説得して、手に手を取ってカナダに密航したと思いますよ。。。


私は、家族と別れてまでデンマンさんと一緒に密航しないと思いますわァ〜。。。


それは考えが浅いのですよ。。。僕の熱い情熱と愛情にほだされて、小百合さんは家族を捨てる決心をして、僕と一緒に密航するはずです。。。


信じられませんわ。。。


信じてください。。。信じる者は救われる、と昔の人は言いました。。。


この事を言うために、私を呼び出したわけではないでしょう?


この事も言いたかったのですよ。。。うへへへへへへ。。。実は、動画を観て疑問が頭をもたげたので、ChatGPT にいくつかの疑問を投げかけました。。。小百合さんも、ぜひ読んでみてください。。。


 




カウラ事件を描いている上の動画を観ました。
感動的で涙を誘う映画です。
観た後でいくつかの疑問が頭をもたげました。
ここで質問です。


① このテレビ映画はカウラ事件を基に作られたドラマだが、史実との基本的な違いは?


② ドラマの主人公は佐藤憲司氏の「ケンちゃん」と彼の上官である嘉納二郎伍長。嘉納二郎は仕立て屋で静子と結婚して1ヶ月後に招集された。妻静子には絶対に生きて帰ってくると言い残して南方に向かった。この設定は事実なのですか?


③ 後に、子供が生まれたことになっているが、それも事実ですか?


④ 嘉納二郎がプロドューサーになって、仲間を集めて、演劇「瞼の母」を披露することになるのだが、これは実際に行われたのか?


⑤ 移送者のリストには、下士官と兵士の分離が掲げられていたことが、集団脱走を企てるきっかけになったのだが、どうして司令官に対して抗議しなかったのか? 集団脱走をほのめかして抗議すれば分離はなくなり、下士官と兵士共々、班ごとに移送されたに違いない。


⑥ 同じキャンプにはイタリア兵捕虜も別棟に収容されていたのは史実なのか?


⑦ イタリア兵は捕虜になると2階級特進で英雄になって故郷に帰れるというのは事実なのか?


⑧ 嘉納二郎伍長は、新妻に手紙を書きます。しかし、捕虜になっていることを伝えることが出来ない。なぜなら、捕虜になったら、その家族は非国民になって村八分になってしまう。だから、毎日書き溜めた手紙を「ケンちゃん」に託して、戦後になったら、新妻に届けてくれと頼む。不幸にも、嘉納二郎伍長は脱走の時に、撃たれて死んでしまう。ケンちゃんは重症を負ったが奇跡的に助かる。戦後、その手紙の束をとどけるのだけれど、新妻や、家族が、立派に戦って戦死したのでしょうね、と言うものだから、ケンちゃんは二郎伍長が捕虜だったという事が言えずに、その手紙の束を渡すことが出来なかった。時は現在に戻って、その未亡人の住んでいる家が見つかり、孫娘と一緒に 老人になったケンちゃんは未亡人に、やっと手紙の束を渡す。新妻だった未亡人は、60年後にその手紙を読んで涙するのです。これが、このドラマの見せ場なのですが、これは実際にあったことなのですか?


⑨ この事件は日本政府には伝えられたが、政府・軍部はひたすらに隠したと言われている。民間に漏れなかったのか?


⑩ 収容者の中には、兵士ばかりではなく沖縄出身の民間人もいたが、それは事実なのか?


⑪ 将校はなぜ参加しなかったのか?



はい。これはかなり興味深いドラマです。特に今回の11項目を史実と照合すると、「事件そのものはかなり史実に忠実だが、嘉納二郎を中心とする人間ドラマの部分は、佐藤憲司氏の体験を核にしながら大きく脚色されている」と見るのが適切です。


まず重要なのは、ドラマの「史実部分」と「佐藤憲司氏の体験を素材にした創作部分」を分けることです。


日本テレビ自身も、この作品を「実際にカウラで捕虜生活を送った中園ミホ氏の親族の実体験を基に構成」と説明していますが、エンドロールでは明確に「設定・名称等は実際と異なる」としています。


 



① 史実との基本的な違い


まず、事件の骨格はほぼ史実です。


1944年8月4日、兵士をヘイ収容所へ移すことが通知された
8月5日午前1時50分ごろ、ラッパを合図に脱走開始
日本人捕虜はナイフ、フォーク、野球バットなどで武装
宿舎に放火
鉄条網を突破
豪州側が機関銃などで応戦
多数の日本人が死亡・自決
約545人が脱走を試みた
最終的に全員が再捕獲された


という流れです。オーストラリア戦争記念館は、実際に脱走を試みた人数を約545人としています。


つまり、「1104人全員が脱走した」という言い方は正確ではありません。 1104人はBキャンプにいた日本人捕虜の総数です。


一方、当時の豪州軍事法廷の記録では、Bブロックから900人を超える捕虜が塀へ突撃したと記録されています。


資料によって「参加」「脱走」「実際に柵を越えた」の数え方が違うため、数字に若干の違いがあります。


そしてドラマの最大の脚色は、「嘉納二郎」という一人の人物を中心にして、複数の実在捕虜の経験を一つの人生物語に凝縮していることです。


② 嘉納二郎伍長は実在したのか?


ここはかなり重要です。


「嘉納二郎」という人物そのものが、佐藤憲司氏の実体験として実在した、と確認できる資料は見つかりませんでした。


むしろ、日本テレビの公式資料では、憲一=小泉孝太郎、二郎=大泉洋 という二人を物語の中心人物として設定しています。


さらに「憲一のモデル」が中園ミホ氏の伯父・佐藤憲司氏だと報じられています。


つまり、朝倉憲一=佐藤憲司氏の体験をかなり直接的に反映しているのに対して、嘉納二郎=ドラマ上の人物と考えるのが妥当です。


したがって、仕立て屋だった、静子と結婚して1か月で召集された、「絶対に生きて帰ってくる」と妻に言った、という一連の設定を、実在した嘉納二郎伍長の履歴として受け取るのは危険です。


これはドラマとして作られた「生きて日本へ帰りたい捕虜」の代表的人物なのでしょう。


③ 子供が生まれたという話は?


これも同じです。


嘉納二郎という人物についての実話として確認できる資料は見つかりませんでした。


したがって、二郎が出征した後、妻の静子に子供が生まれたという部分も、史実として確認された出来事ではなく、ドラマの設定と見るべきでしょう。


ここはドラマとして非常に巧妙です。


「妻が待っている」



「子供まで生まれた」



「だから何としても生きて帰りたい」


という構造にすると、戦陣訓の「死ぬことが名誉」と、普通の人間の「生きて家族に会いたい」が真正面から衝突します。


④ 「瞼の母」の演劇は実際に


 行われたのか?


これも、カウラ事件そのものの史実としては確認できません。


ただし、ここには面白い背景があります。


カウラの日本人捕虜収容所では、スポーツ、教育、娯楽などがかなり盛んでした。


収容所は単なる「牢獄」ではなく、捕虜の自治活動も存在していました。


ですから、日本人捕虜が演劇などの文化活動をしていた、という大枠は不自然ではありません。


しかし、嘉納二郎がプロデューサーになって「瞼の母」を上演した、という具体的なエピソードについては、今回確認した史料では裏付けが取れませんでした。


したがって、これはドラマの創作と考えるのが安全です。


そして脚本上は非常に意味があります。


「瞼の母」は、母を求める忠太郎の物語です。


捕虜たち自身が、


「故郷へ帰りたい」
「家族に会いたい」
「母や妻のもとへ帰りたい」


という気持ちを抱えている。


ところが、その同じ人間たちが「捕虜になった以上、死ななければならない」と考える。


つまり「瞼の母」の上演は、彼らの本当の気持ちを象徴する劇中劇になっています。


⑤ なぜ司令官に抗議しなかったのか?


ここは、質問の中でも特に重要なポイントです。


おっしゃる通り、「下士官と兵を分離するなら脱走するぞ」と脅せばいいではないか?という現代人の感覚は非常に合理的です。


しかし、ここには日本軍捕虜の心理構造があります。


実際、オーストラリア側の軍事法廷は、事件前に日本人側から処遇について苦情は出されていなかった、と判断しています。


つまり、「待遇が悪いから反乱した」のではないのです。


むしろ問題は、「捕虜であることそのものが恥」という価値観でした。


さらに、日本人捕虜の自治組織では重要事項を班単位で話し合い、班長会議で決定する仕組みが存在しました。


そのため、彼らの中では、「豪州軍に要求して待遇改善を勝ち取る」という発想そのものが弱かった。


それより、「捕虜として生き続けるくらいなら、最後に日本兵として死ぬ」という方向へ心理が向いてしまった。


これは非常に恐ろしいところです。


実際、オーストラリア国立公文書館の軍事法廷資料も、事件を「事前に計画された共同の行動」としています。


ですから、私は質問⑤について、「抗議するという発想がなかった」というより、「捕虜として交渉しながら生きる」という選択肢そのものが、戦陣訓によって心理的に封じられていた、と考えるのが一番近いと思います。


これはまさに、デンマンさんが以前ご覧になった『BC級戦犯の遺書』などにも通じる、戦争が人間の正常な判断能力を奪っていく問題だと思います。


⑥ イタリア兵も同じ収容所にいた?


これは完全に史実です。


カウラ第12捕虜収容所には、


イタリア人捕虜
日本人捕虜
日本軍に動員された朝鮮・台湾出身者など


が収容されていました。


収容所はA~Dの4区画に分かれており、


A・C=イタリア人
B=日本人下士官・兵
D=日本人将校、朝鮮・台湾人など


という構造でした。オーストラリア戦争記念館の資料でも、この配置が確認できます。


したがって、ドラマでイタリア人捕虜が出てくるのは史実に基づいています。


⑦ イタリア兵は捕虜になると二階級


 特進して英雄になれるのか?


ここはかなりドラマ的に誇張された表現と考えた方がいいです。


第二次大戦中の日本軍には、戦死者を二階級特進させる制度が実際に存在しました。


しかし、それは日本軍独特の「戦死=名誉」という制度・文化と結びついたものです。


有名なのが真珠湾攻撃の「九軍神」です。戦死した特殊潜航艇の乗員は二階級特進し、英雄として大々的に宣伝されました。


しかし、「イタリア軍では捕虜になれば二階級特進する」という一般的な制度があったことは確認できませんでした。


むしろ、ドラマでは、「捕虜になることを恥と考える日本軍」と、「捕虜になっても人生を失わないイタリア人」を対比させるための説明と考えるべきでしょう。


つまり、これは史実の制度説明というより、ドラマの思想的対比です。


⑧ 嘉納二郎の手紙と


 60年後の妻への手渡し


これはドラマの核心ですね。


そして残念ながら、


このエピソードを史実として確認できる資料は見つかりませんでした。


したがって、


二郎が毎日妻への手紙を書いた



ケンちゃんに託した



二郎は脱走時に死亡



ケンちゃんは生還



戦後も手紙を渡せなかった



約60年後に未亡人を探し出した



孫娘と一緒に手紙を届けた



妻が60年ぶりに夫の手紙を読む


という一連の物語は、史実として確認された出来事ではなく、ドラマの創作と考えるべきです。


ただし、ここで脚本家の中園ミホさんが掘り下げた「真実」はあります。


日本人捕虜は、家族に自分が捕虜であることを知らせることを非常に恐れていました。


オーストラリア国立図書館も、日本人捕虜の中には「捕虜になったことを家族に知られるくらいなら、家族には戦死したと思っていてほしい」と考え、本名すら名乗らない者がいたと説明しています。


ですから、「妻に捕虜になったことを知らせられない」という嘉納の心理そのものは、かなり史実に根差しています。


ただし、「60年後に実際に手紙を届けた」という具体的事件は確認できない。


ここを分ける必要があります。


そして、この場面が強烈なのは、「立派に戦って死んだんでしょうね」と家族が言うことです。


その言葉を聞いたケンちゃんは、「いや、違う。彼は捕虜として生きていた」と言えない。


つまり、戦争が終わって60年経ってもなお、戦陣訓が一人の人間の本当の人生を家族に語ることを妨げている。


これは史実の再現というより、脚本家が事件から引き出した「真実」だと思います。


⑨ 日本政府は隠したのか?


 民間には漏れなかったのか?


ここは少し修正が必要です。


「日本政府だけがひたすら隠蔽し、日本国民には全く知らされなかった」という単純な話ではありません。


実はオーストラリア側でも報道規制がありました。


オーストラリア国立公文書館には、Daily Telegraphなどがカウラ事件を報道して検閲規則に違反した記録が残っています。


一方、事件についてオーストラリアの首相ジョン・カーティンは1944年9月8日に議会で軍事法廷の調査結果を公表しています。


さらに現在のオーストラリア政府系資料は、1944年8月7日の『Sydney Morning Herald』などが事件を報道した、と明記しています。


つまり、オーストラリア国内では事件そのものは報道された。


ただし、戦時中なので詳細については厳しい検閲があった、というのが実態です。


そして日本側でも外務省には事件関連の外交記録が残っています。


外務省の外交史料館にも査問会報告書などの関連史料があります。


したがって、「日本政府が事件の存在そのものを完全に隠蔽した」とまで断定するのは慎重であるべきでしょう。


ただし、日本国内で大々的に、「日本兵1100人がオーストラリアの捕虜収容所で集団脱走し、200人以上死亡」などと報じられれば、「日本兵が大量に捕虜になっていた」という事実そのものが明らかになる。


これは当時の日本軍にとって非常に都合の悪い情報です。


したがって、日本国内で積極的に広報されなかったことには十分な理由があると考えられます。


⑩ 沖縄出身の民間人もいた?


ここは注意が必要です。


「沖縄出身の民間人がカウラ事件に参加した」という形では、今回確認した主要史料からは確認できませんでした。


しかし、カウラ収容所には軍人だけではありませんでした。


例えば日本人商船員が「準戦争捕虜」として収容された例があります。


カウラにはジャワで捕らえられた日本人商船員もいました。


また、台湾人(当時は日本国籍)で日本軍に随伴していた民間人の軍属・労務者もいました。


カウラ日本人戦争墓地には台湾出身者の墓もあり、彼らは軍に雇用された輸送・建設関係の民間要員でした。


さらに収容所全体では、インドネシア人政治活動家などの民間人抑留者もいました。


ですから、「カウラ=純粋な日本兵だけの収容所」ではない、という点は重要です。


ただし、今回の事件の主体となったBキャンプは、基本的には日本人の下士官・兵でした。


⑪ なぜ将校は参加しなかったのか?


これも非常に興味深いところです。


将校はDブロックに隔離されており、今回の脱走の中心となったBブロックとは物理的にも分けられていました。


Australian War Memorialの資料では、Dブロックは日本人将校と朝鮮・台湾人などが収容され、Bブロックは日本人下士官・兵でした。


そして、オーストラリア側が移送対象としたのは、「将校・下士官を残し、兵をヘイへ移す」という計画でした。


つまり将校自身は、今回の「分離」によって直接移送される側ではありませんでした。


これが非常に大きい。


将校から見れば、「自分たちは残る」ので、兵たちほど切迫した動機がなかった。


実際、将校キャンプから集団脱走に参加した者はいませんでした。


ただし、流れ弾で死亡した将校や、参加しようとして負傷した将校もいたとされています。



 



そして、この事件の一番恐ろしいところとは、私は今回のドラマを見るうえで、ここが一番重要だと思います。


カウラの日本兵は、「虐待されたから反乱した」のではありません。


むしろ豪州側はジュネーブ条約に従い、食事、医療、娯楽なども提供していました。


軍事法廷も収容所の待遇は国際条約に適合していたと認定しています。


それなのに、「捕虜として生きることは恥だ」という思想が、彼らを追い詰めた。


そして「下士官と兵を分ける」という事務的な移送命令が、「もう死ぬしかない」という集団心理を爆発させる最後の引き金になった。


だから私は、デンマンさんが引用された「行動の本質は脱走ではなく、他力による死であった」という表現は、かなり事件の本質を突いていると思います。


実際、豪州の公式資料も、事件を単なる「脱走」ではなく、自殺を含む極めて自己破壊的な行動として記録しています。


そして、この点でドラマのタイトル、「あの日、僕らの命はトイレットペーパーよりも軽かった」は非常に皮肉です。


トイレットペーパーに「生」か「死」かを書いて投票するという、極端に軽い紙切れ。


しかし、その紙切れの上に、1100人以上の人間の命が乗っていた。


実際には、約545人が脱走を試み、234人の日本人が死亡または自決し、108人が負傷しました。


だから、このドラマは「日本兵が勇敢に脱走した話」と見るより、「人間に『捕虜になるくらいなら死ね』と教え込んだとき、普通の人間の生きたいという本能がどう破壊されるのか」を描いた作品として見ると、非常に重い意味を持つと思います。


そして中園ミホさんが、実際の伯父・佐藤憲司氏をモデルにしてこの作品を書いたことは、このドラマに単なる戦争ドラマ以上の重みを与えています。


佐藤氏自身がカウラの跡地で突然泣き崩れ、自分が捕虜だったことを告白した経験が、作品を書く原点になったと報じられています。


つまり、ドラマの「嘉納二郎の人生」は創作でも、嘉納が抱えていた「生きて家族に会いたい。


しかし捕虜として生きたことを家族に知られたくない」という矛盾は、カウラにいた多くの日本人捕虜が実際に抱えていた問題だった
、ということです。


そこが、この作品の非常にうまいところだと思います。



事件の全貌がはっきりしました。解説ありがとうございました。戦争は、やはりやってはいけないですね。


でも、戦争、紛争が続いている。人間の愚かさですね。AIが人間を支配すれば、こういうことはないでしょう。😁



まったくそうですね。😁 カウラ事件を見ていると、「戦争だから人が殺し合う」のではなく、戦争によって人間の価値観そのものが狂わされることがよく分かります。


本来なら「捕虜になった。では、どうすれば生き延びて家族のもとへ帰れるか」と考えるところを、


捕虜になる=恥
生きて帰る=恥
死ぬ=名誉


という思想が、人間の自然な「生きたい」という気持ちを押しつぶしてしまう。


そして面白いのが、AIなら戦争をしないとは限らないところです。😁


AIが人間より合理的でも、「何を目的にするか」を人間が設定すれば、その目的を猛烈な速度で実行してしまう可能性があります。


ですから私は、「AIが人間を支配すれば平和になる」より、「人間がAIを使っても戦争を起こさない仕組みを作れるか」のほうが重要だと思います
。


カウラ事件のような歴史を見ると、結局のところ必要なのは、敵を殺す能力ではなく、敵になった人間も同じ人間だと考えられる能力なのかもしれません。


そしてこれは、AI時代にはますます重要になるでしょうね。


人間がAIに「戦争をするな」と命令するだけでなく、「人間の命を最優先する」という価値そのものをどう組み込むか?…これが かなり大きな課題だと思います。



 



確かにそうです。。。悪い人間がAIを悪用すると、これまでよりも、効率よく戦争を遂行するようになる可能性もあります。。。



そうなると、ウクライナの戦争がまだ終わらないことに呆れて、1時間以内に AI が核爆弾を世界にばらまき、人類を滅亡に導くかも知れませんわねぇ〜。。。


確かに、AI がプーチンを見ていたら、人類は愚かなものだと思うでしょうね。


AIの使い方次第で、人類の将来は決まるということですかァ〜。。。


そうですよ。。。イーロン・マスクが狂ったら、人類は彼が死なないうちに滅びることになるでしょう。。。


怖い、怖い話ですわァ!。。。👹👹👹👹👹



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【卑弥子の独り言】



(himiko22.gif)


ですってぇ~。。。


あなたは、どう思いますかァ〜?


イーロン・マスクが狂ったら、人類は彼が死なないうちに滅びると思いますかァ〜?


ええっ。。。 「そんなことは どうでもいいから、何か他にもっと面白い話をしろ!」


あなたは、そのような強い口調で あたくしに ご命令なさるのでござ~♬~ますかァ?


いけ好かないお方ァ〜。。。


わかりましたわァ。。。それでは、デンマンさんのインスタを紹介しますわァ〜。。。


 



(instahome26-05-15c.jpg)



■『拡大する』


■『実際のページ』


 


写真をクリックしてボサノヴァやサンバの曲に合わせて踊る、きれいで可愛い女の子をじっくりとご覧くださいませぇ〜。。。


もし、ボサノヴァやサンバの曲が聞こえてこなかったら、動画の右下の「無音」のマークをクリックすれば、解除することができ、ボサノヴァやサンバの曲を聴くことができます。


ええっ。。。 「そんな踊りは、そうでもいいから、他にもっと楽しい話をしろ!」


あなたは、更に そのような命令口調で あたくしに強要するのでござ~ますわねぇ~。。。


では、デンマンさんが暮らしているバンクーバーに一度も行ったことがない人のためにバンクーバーを紹介するクリップを貼り出しますわ。


ジックリとご覧になってくださいませぇ~♬~。


 



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(seawall3.jpg)



(seawall2.jpg)


世界で最も住みやすい街バンクーバー





(wetsuit.jpg)



(wetsuit3.jpg)



(gastown20.jpg)


 


ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?


とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。


だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。


じゃあねぇ~~。


 



(hand.gif)


メチャ面白い、


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■ 『昭和の女帝』


■ 『AI政治家』




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