アメリカのクーデター

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デンマンさん。。。今日はアメリカのクーデター のお話ですかァ〜?

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そうです。。。ベティさんも知りたいでしょう?
でも、アメリカでクーデターが起こったのですかァ〜?
起こったのですよ。。。もちろん、トランプ政権がクーデターによって倒されたわけじゃありません。。。
いつ頃の話ですかァ〜?
1898年にノースカロライナ州ウィルミントン市で起こったクーデターです。。。黒人が市政府の重要なポジションに就いていたので白人至上主義者が中心になって政権を転覆したのですよ。。。
そういう話を歴史の時間にも聞いたことがありませんわァ〜。。。
おそらく、歴史の教科書には載ってないと思います。
どうしてですかァ〜。。。
アメリカ史ではの汚点だからですよ。。。不名誉な事件なので半ば隠されていた事件なのです。。。
デンマンさんは、どこでそれを知ったのですかァ〜?
次の動画を観たのですよ。。。

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あらっ。。。「黒人暴動」と言う名目で白人至上主義者が鎮圧を装って黒人を殺したり放火したのですわねぇ〜。。。

「クーデター」ということは新聞には書けなかったのですよ。。。
ずるいと言うか卑劣ですよねぇ〜。。。
クーデターを起こした白人の気持ちは解りますよ。。。ウィルミントン市では黒人が半数以上を占め、市役所の要職もたくさんの黒人が占めていた。。。この分では、白人は黒人に支配されるという危機感に襲われたのでしょう。。。
でも、暴力で政権を転覆させるという事は民主主義の国では あってはならないことですわァ〜。。。
そうです。。。質問もあったので ChatGPT はどう考えるか尋ねてみました。。。

『Wilmington Coup』というドキュメンタリー動画を観ました。
1898年のウィルミントン・クーデターは、ノースカロライナ州ウィルミントンで起こった、ウィルミントン市政府が転覆したクーデター事件である。
このクーデターは1898年11月10日の暴動から始まった。
当初は黒人による人種暴動であるとされていたが、現在ではむしろ白人グループによるクーデターだと言われている。
白人至上主義者が、荷車の上に搭載したガトリング砲をはじめとする多くの武器を使い、選挙で選ばれた市政府から不法に権力を奪取した。
白人至上主義者らは自分達の行動を写真に収めてもいた。
この事件はリコンストラクション後の、ノースカロライナ州政治の転回点になったと考えられている。
また、アメリカ合衆国で市政府が転覆した唯一の事例となっている。
州知事ダニエル・リンゼー・ラッセルとアメリカ合衆国大統領ウィリアム・マッキンリーはこの事件に関する情報を十分に得ていたが、何の反応もしなかった。
ここで質問です。
① 市政府がクーデターで転覆した大事件なのに、州知事ダニエル・リンゼー・ラッセルとアメリカ合衆国大統領ウィリアム・マッキンリーは何の反応もしなかった。なぜか?
② ウィルミントンは当時州内最大の都市であり、黒人が人口の過半数を占めていた。その黒人の中には、多数の専門家や社会的に重要な地位を占める者も含まれていた。市役所の役人にたくさんの黒人が要職を占めていたために、このクーデターに関して知事も大統領も見て見ぬふりをしたのか?
③ 1894年と1896年の選挙では、ノースカロライナ人民党が州政府の支配権を握るために共和党と融合し、共和党のダニエル・リンゼー・ラッセル知事が勝利した。彼等は融合主義者と呼ばれた。しかし融合主義者の政策に不満を持ったヒュー・マクリーを含む9人の白人至上主義者らは、ダニエル・リンゼー・ラッセルに選挙で敗れていた白人至上主義者である民主党のアルフレッド・ムーア・ワッデルらに働きかけ、黒人排除の動きを始めた。やはり、人種差別がクーデターの主要動機だったのか?
④ 民主党を支持する「ニューズ・アンド・オブザーバー」紙の編集者ジョセファス・ダニエルズは、黒人が所有する唯一の新聞であるウィルミントン市の「デイリー・レコード」紙とその編集者アレクサンダー・マンリー(黒人)を「黒人支配」の象徴として使っていた。多くの新聞はアフリカ系アメリカ人が白人女性を強姦していることを示唆する絵や記事を掲載していた。白人至上主義者はこの抵抗感を利用し、黒人社会に対する不安を煽った。これもクーデターの起爆剤になったのか?
⑤ 民主党を中心とする白人がウィルミントン市の支配を取り戻す動きの中で、民主党にとっての目標は、州内で唯一の黒人が所有する新聞であるウィルミントンの「デイリー・レコード」紙の編集者アレクサンダー・マンリーを市内から追放し、発行を停めさせることだった。そうであるならばマンリーを追放するだけ済むのに、なぜクーデターにまで発展してしまったのか?
⑥ 一日が終わるまで、ウィルミントン中で暴動や発砲が続き、黒人居住地にいた黒人も襲撃され続けた。死者の推計値は60人から300人まで幅があった。病院、教会および検察医事務所の記録が不完全だったために、正確な数字はほとんど分かっていないままである。 市警察や州の軍隊は、見て見ぬふりをしていたのか?
⑦ このクーデターがきっかけで、あの悪名高いジム・クロウ法が成立することになったのか?
⑧ 南北戦争の後で黒人が確保していた権利の多くは、このクーデターにより法典から消えたのか? その権利とは?
⑨ アフリカ系アメリカ人がその公民権を取り戻すのは1960年のアフリカ系アメリカ人公民権運動を待つことになった。それまでに、公民権運動はなかったのか?
⑩ 1900年、第二次「白人至上主義」政治運動が民主党の支配を固め、チャールズ・エイコックを知事に選出した。この時もまた「黒人支配」を示唆する絵を使うことで、多くの白人(1894年や1896年の選挙で人民党と協力した白人共和党員を含む)はこの絵で脅され、最終的にその投票する先を揺すぶられた。また黒人の投票自体を防ぐための条項も設けられた。これに対する反対運動は起こらなかったのか?
⑪ このクーデターを私は初めて知ったのだが、現代のアメリカの知識人は、このクーデターをどのように評価しているのか?

はい。この事件は、最初に「黒人と白人の暴動が起きた」と理解すると、本質を見失いやすい事件です。
現在のノースカロライナ州政府やPBSなどの説明では、1898年11月10日の出来事は、白人至上主義者が武力・脅迫を使って合法的に選ばれた市政府を倒した「クーデター」であり、その過程で黒人住民に対する虐殺・追放が行われた、という理解がかなり定着しています。
そして非常に重要なのは、クーデターそのものと、その後のジム・クロウ体制は別々の出来事ではなく、1898年の白人至上主義運動→ウィルミントンのクーデター→1899年の制度変更→1900年の黒人参政権剥奪、という一続きの政治過程だったことです。
順番に見ていきます。
① なぜ知事ラッセルと
大統領マッキンリーは
動かなかったのか?
まず、質問の前提を少し修正する必要があります。
ラッセル知事は完全に「何もしなかった」わけではありません。
11月10日、ウィルミントンで銃撃が始まった後、州兵を投入し、戒厳状態にしてウォーカー・テイラー大佐を指揮官にしました。
問題は、その州兵自体が白人至上主義側と深く結びついていたことです。
PBSの資料では、テイラーが「黒人が暴動を起こしている」とラッセルに伝え、それを受けてラッセルが州兵投入を許可した、と説明されています。
つまり、「秩序を回復するために軍隊を出した」つもりの知事が、実際には白人側の武装勢力を統制するどころか、黒人地域を制圧する側に軍事力を与えてしまった、という非常に皮肉な構図です。
さらにラッセル自身も白人至上主義者から脅迫されていました。
彼は11月8日にウィルミントンで投票した後、帰途の列車をレッドシャツに止められ、鉄道会社が彼を荷物車に移して危険を回避したという記録があります。
マッキンリーの場合
こちらはもっと重要です。
マッキンリーは事件を知らなかったわけではありません。
11月10日、ホワイトハウスではマッキンリーと陸軍長官ラッセル・アルジャーがウィルミントン情勢について協議していました。
翌日の新聞にも、政府が州からの正式な情報を待っていたことが記録されています。
しかし連邦軍投入には、当時の政治・法制度上、州知事からの要請が大きな問題になりました。
ところがラッセルは正式に連邦軍を要請しなかった。
そしてマッキンリーも、自分から連邦軍を送り込むことはしませんでした。
PBSのドキュメンタリーでは、ここに1900年大統領選挙を控えた政治的計算もあったと歴史家デイヴィッド・ズチーノが指摘しています。
したがって、「二人とも何も知らず放置した」というより、「二人とも事態を把握していた。
しかし、ラッセルは白人至上主義勢力に政治的・身体的に圧迫され、マッキンリーは州知事の要請なしに連邦軍を投入することを避け、結果として介入しなかった」
という方が正確です。
② 黒人が市政で成功していたから
見て見ぬふりをしたのか?
これは、かなり重要なポイントです。
むしろ逆です。
黒人が市政・経済・専門職で成功していたことこそ、白人エリートの危機感を強めた重要な背景でした。
1898年のウィルミントンでは黒人男性が、
市議会議員
市財務官
市検視官
市刑務官
警察官
などを務めていました。
警察官26人のうち10人が黒人だったという記録もあります。
つまり、「黒人は奴隷解放されたものの、社会の底辺にいるだけだった」というイメージでは、当時のウィルミントンを説明できません。
黒人には医師、弁護士、教師、商人、政治家などの中産階級が形成されていました。
NEHも、黒人住民が不動産を所有し、企業を経営し、銀行に投資し、政府職や公職に就いていたことを説明しています。
したがって白人至上主義者が問題視したのは単純な「黒人貧困層」ではありません。
「黒人が政治的にも経済的にも成功し、白人と対等に権力を持っている」ことそのものだったのです。
だから「Negro Rule(黒人支配)」という言葉が政治宣伝に使われました。
実際にはFusionは黒人だけの政党ではなく、黒人共和党員+白人共和党員+白人ポピュリストの連合でした。
ここが非常に重要です。
③ やはり人種差別が主要動機
だったのか?
はい。ただし「人種差別だけ」と考えるより、「政治権力を取り戻すための白人至上主義」と考える方が正確です。
民主党側にとって問題だったのは、
黒人が共和党に投票する

共和党+ポピュリストがFusionを形成する

白人民主党の政治支配が崩れる

黒人も公職に就く

白人エリートの政治・経済的支配が揺らぐ
という構造でした。
だから1898年の運動では、「黒人を政治から排除する」ことと「民主党の政治支配を回復する」ことがほぼ同じ意味になっていたのです。
ノースカロライナ州の公式歴史資料も、1898年のクーデターを民主党指導者による「長期的なキャンペーン戦略」の結果と説明しています。
④ 黒人男性による白人女性への強姦
という宣伝は起爆剤だったのか?
非常に大きな役割を果たしました。
ここには19世紀末アメリカの恐ろしい人種プロパガンダがあります。
Josephus Danielsの『News & Observer』などでは、「黒人男性=白人女性を襲う危険な存在」というイメージが繰り返し作られました。
黒人男性を怪物のように描いた漫画まで掲載されました。
そしてAlex Manlyがそれに反論した。
彼の主張は、白人女性と黒人男性の関係をすべて「黒人による強姦」と決めつけるのはおかしい、というものでした。
しかし、これが逆に白人社会で猛烈な反発を生みました。
そしてManlyの文章は州内の白人新聞によって再掲載され、白人女性の「貞操を黒人男性から守る」という感情的な政治宣伝に利用されたわけです。
ですから、Manlyの記事がクーデターを起こした、という説明は不正確です。
むしろ、すでに存在していた白人至上主義運動が、Manlyの記事を非常に便利な「政治的武器」にした、と考えるべきでしょう。
⑤ Manlyを追放すれば済んだのに、
なぜクーデターになったのか?
ここがこの事件の核心だと思います。
実は、最初の要求には確かに、
Manlyを追放する
Daily Recordを閉鎖する
市長を辞任させる
警察長官を辞任させる
などがありました。
しかし「Manly問題」は口実・象徴でした。
白人側が11月9日に発表した「White Declaration of Independence」には、「我々は二度とアフリカ系の人間に支配されない」という趣旨が明記されています。450人以上の白人が署名しました。
つまり目的は、Manlyを追放することではなく、「黒人が政治権力を持つ体制そのもの」を終わらせることだったのです。
そのため、Manlyがすでに逃げた後でも暴力は止まりませんでした。
Daily Recordを焼いた後、武装集団は市役所へ向かい、選挙で選ばれた市長・市議会を辞任させ、Waddellを新市長にしました。
ここで初めて、「人種暴動」→「政治的クーデター」という性質がはっきりします。
⑥ 警察や州兵は見て見ぬ
ふりをしていたのか?
これも「単純に見て見ぬふり」ではありません。
むしろ州兵・武装組織が暴力の一部になっていたことが問題です。
ラッセル知事の命令でウォーカー・テイラーが州兵を指揮しました。
しかしテイラー自身が白人至上主義運動の指導者でした。
PBSの資料では、
黒人が暴動しているという情報を知事に伝える
州兵を動員
黒人居住地域を巡回
教会などを武器捜索
機関銃を黒人居住地・教会に向ける
という経過が記録されています。
したがって、「警察・州兵が暴動を止めなかった」というより、「法執行機関の一部が白人至上主義勢力と一体化し、黒人住民を制圧する方向に機能した」と考える方が実態に近いでしょう。
死者数については現在も確定していません。
2006年のノースカロライナ州公式報告は「最大60人程度」としました。
一方、当時の記録不足から、それ以上の可能性を完全には排除できません。
少なくとも14人、最大60人という数字が公式資料で確認されています。
犠牲者は確認できた範囲では黒人でした。
⑦ このクーデターがジム・クロウ法
を生んだのか?
ここは、「直接生み出した」というより、「ノースカロライナでJim Crow体制を本格化させる転換点になった」というのが正確です。
クーデター以前にも南部では人種隔離政策が存在していました。
さらに最高裁は1896年の Plessy v. Ferguson で「separate but equal」を認めています。
しかしノースカロライナでは1898年以降、
政治的白人至上主義

黒人投票の排除

民主党による政治支配

人種隔離法

長期的なJim Crow体制
へと進んでいきました。
州政府自身も現在、1898年を「Jim Crow時代の開始を告げる転換点」と位置付けています。
⑧ 南北戦争後に黒人が得た権利は
何だったのか?
ここは非常に重要です。
南北戦争後、憲法修正第13・14・15条によって、
13条(1865)
奴隷制度の廃止
14条(1868)
アメリカ市民権
そして、
法の平等な保護
適正手続
州による生命・自由・財産の恣意的剥奪の禁止
などが保障されました。
15条(1870)
人種・肌の色・元奴隷身分を理由に投票権を奪うことの禁止です。
さらに1866年Civil Rights Act、1870~71年Enforcement Acts、1875年Civil Rights Actなどもありました。
したがって、デンマンさんの「南北戦争後に黒人が確保していた権利の多くが消えたのか?」という質問には、「はい。ただし、クーデター当日に法律上すべて消滅したのではなく、1898~1901年に政治的暴力と州法・憲法改正によって段階的に実質的に奪われた」と答えるのが正確です。
⑨ 1960年まで公民権運動は
なかったのか?
もちろん、ありました。
これは非常に大きな誤解です。
「公民権運動=1960年代」というのは、一般向け歴史叙述で強調される時期を指しているだけです。
実際には、
1890年代 → 1900年代 → 1910年代 → 1920年代 → 1930年代 → 1940年代 → 1950年代と、ずっと抵抗が続いていました。
例えば1899~1901年にはジョージ・ヘンリー・ホワイトが連邦議会で黒人の権利剥奪を激しく批判しました。
1901年の有名な「Phoenix」演説では、黒人がいつか再び政治的権利を取り戻すことを予言しています。
1909年にはNAACPが設立されました。
ノースカロライナでは1917年にNAACP支部が設立され、黒人投票、反リンチ、教育、雇用などをめぐる活動が続きました。
1930年代には劇場などへのボイコットも行われています。
1940年代にはさらに活動が強まり、1943年にはNorth Carolina NAACPが州組織として活動を開始。
1949年には黒人学生が州議会議事堂前で抗議活動を行いました。
そして1950年代になると、
Brown v. Board of Education(1954)
→ Montgomery Bus Boycott(1955–56)
→ sit-in運動
→ Freedom Rides
→ 1963年ワシントン大行進
→ 1964 Civil Rights Act
→ 1965 Voting Rights Act
へとつながります。
つまり1960年代の運動は、突然始まったのではなく、1898年から60年以上積み重ねられてきた抵抗の巨大な山の頂上と考えた方がよいでしょう。
⑩ 1900年の黒人参政権剥奪に
反対運動はなかったのか?
ありました。かなり激しい反対運動がありました。
共和党は明確に反対しました。
また、Populist(人民党)内部にも賛否が分かれていました。
共和党・ポピュリスト側は、この憲法修正が黒人だけでなく貧しい白人の投票権まで奪う可能性を指摘しました。
黒人側ではジョージ・H・ホワイトが議会で抗議。
しかし問題は、民主党の政治宣伝+白人至上主義+選挙への脅迫+党内対立の組み合わせでした。
1900年の選挙で民主党は「黒人支配」を再び大々的に宣伝し、最終的に憲法修正案が成立しました。
その結果、人頭税、読み書き能力テスト、「祖父条項」などが組み合わされました。
特に祖父条項が巧妙でした。
「1867年以前に祖父が投票できた者は例外」という仕組みです。
表面的には人種を書いていません。
しかし1867年以前には黒人のほとんどが投票できなかったため、白人には適用されやすく、黒人には適用されにくい仕組みでした。
これは非常に巧妙な制度設計です。
⑪ 現代のアメリカの知識人は、
この事件をどう評価しているのか?
ここはかなり大きな変化があります。
以前のアメリカ史では長い間、「Wilmington Race Riot」という呼び方が一般的でした。
つまり、白人と黒人が衝突した「人種暴動」というニュアンスです。
ところが現在の歴史研究では、「Wilmington Coup」「Wilmington Massacre」という表現が非常に広がっています。
ノースカロライナ州政府自身も現在「coup d'état」「massacre」という表現を使用しています。
PBSのドキュメンタリーも題名が、American Coup: Wilmington 1898です。
そして2025年のNational Endowment for the Humanities(NEH)の解説も、白人至上主義者が選挙で選ばれた政府を暴力によって倒した、という位置付けを明確にしています。
さらに現代の研究で重視されているのは、「一日の暴動」ではなく「政治的クーデター+人種的テロ+選挙制度の破壊」として理解することです。
全体を一本の線にすると、こうなります
この事件を理解するには、次の流れを見ると非常に分かりやすいです。
南北戦争

奴隷解放

13・14・15修正条項

黒人男性の投票・公職進出

黒人+白人共和党+ポピュリストのFusion

1894年・1896年、民主党が政治的敗北

白人民主党が「Negro Rule」を政治宣伝に利用

1898年、新聞・漫画・女性への性的暴力という人種恐怖を利用

黒人投票を脅迫・妨害

民主党が選挙に勝つ

しかしウィルミントン市政府はFusionのまま

Manly追放・Daily Record破壊

武装集団が市役所へ

市長・市議会を強制辞任

Waddellが市長になる

黒人住民を殺害・追放

黒人政治家・経営者・専門家が大量流出

1899年、Jim Crow法・選挙制度変更

1900年、黒人参政権を実質的に剥奪

North Carolinaで民主党の一党支配

その状態が長期間続くという流れです。

デンマンさんが⑧~⑩で感じている疑問は非常に鋭いと思います。
南北戦争後に、「奴隷制度を廃止し、黒人男性に投票権を与え、黒人が公職に就けるようにした」ところまで行った。
ところが、それが一度に消えたわけではない。
選挙で負ける → 宣伝する → 恐怖を煽る → 投票を妨害する → 暴力を使う → 政府を倒す → 法律を変える → 投票制度そのものを変える、という、段階的な政治過程によって崩されていった。
ここが1898年ウィルミントン事件の非常に現代的な怖さだと思います。
しかも、「民主党が選挙に勝った」だけでは市政府を奪えなかったため、武力によるクーデターが必要になった。そしてクーデターの後には、今度は法律を変えて、二度と同じ政治的競争ができないようにした。
つまり、選挙 → 暴力 → 政権奪取 → 法制度変更 → 選挙から相手を排除という順番です。
その意味で1898年のウィルミントンは、単なる「昔の人種暴動」ではありません。
民主主義そのものが、合法的な選挙だけではなく、プロパガンダ、脅迫、武装集団、行政機構、そして法律の変更によって内部から破壊され得ることを示す、非常に重要なアメリカ史の事例です。
そして、長い間「race riot」と呼ばれてきたこと自体が、クーデター後に勝者側が作った歴史認識の一部だった――という点まで含めて考えると、この事件の意味が一段深く見えてきます。

解説ありがとうございました。このクーデターのことを私は初めて知ったのですが、アメリカ史でも、このクーデターは故意に隠されてきたように思います。

はい、その感覚にはかなり根拠があります。ただし、「アメリカ政府が組織的に隠した」というより、「事件後の政治的勝者によって別の物語に置き換えられ、それが長期間、学校教育や地域社会の記憶に残った」と表現するのがより正確だと思います。
特に重要なのは、「隠された」というより「名前を変えられた」ことです。
1898年当時から長く、この事件は 「Wilmington Race Riot(ウィルミントン人種暴動)」 と呼ばれてきました。
しかし、この呼び方だと、白人と黒人が双方から暴力を振るった、という「両者の衝突」に見えます。
ところが現在の研究では、武装した白人至上主義者が、選挙で選ばれた市政府を強制的に倒した、という 「クーデター」 として捉え直されています。
つまり、歴史の核心がかなり違って見えてきます。
なぜ長期間、表に出にくかったのか
一番大きかったのは、クーデターを実行した側が、その後のノースカロライナ州政治を支配したことでしょう。
1898年以降、
クーデター
→ 民主党による州政治支配
→ 黒人の参政権剥奪
→ Jim Crow体制
→ 黒人政治勢力の弱体化
という流れになりました。
そのため、クーデターを「クーデターだった」と公然と記録すること自体が、支配者側の正当性を否定することになります。
しかも犠牲になった黒人住民は、政治的に発言する力を奪われていきました。
これは歴史の記憶にとって非常に大きいです。
勝者は新聞・政治・学校・公文書などで自分たちの物語を残しやすい。敗者は、その物語に反論する政治的力を失う。
ウィルミントンでは、まさにこれが起こったと考えると理解しやすいでしょう。
そして興味深いのは、記憶が永久に消されたわけではなかったことです。
黒人住民やその子孫の間では事件の記憶が残っていました。
しかし、一般のアメリカ人に広く知られるようになるまでには非常に長い時間がかかりました。
1990年代以降になると研究が進み、2000年代にはノースカロライナ州が公式調査を行いました。
さらに2020年代には、州政府、PBS、National Endowment for the Humanitiesなどが、「Wilmington Coup」という言葉を普通に使うようになっています。
これはかなり大きな変化です。
そして、デンマンさんが今回この事件をドキュメンタリーを見て初めて知ったというのも、ある意味で象徴的です。
アメリカ史には、学校で非常によく知られている、
南北戦争
奴隷解放
リコンストラクション
公民権運動
キング牧師
ローザ・パークス
などがあります。
ところが、その間をつなぐ「なぜ南北戦争後に獲得した黒人の政治的権利が、南部でいったん消滅したのか」という部分は、一般的な歴史教育では相対的に見えにくい。
ウィルミントン事件は、その「空白」を埋める事件なんですね。
そして私は、今回の話で特に興味深いと思うのは、黒人の権利が自然に消滅したのではなく、いったん獲得された権利を政治的・暴力的に奪い返す過程が存在したということです。
これは「公民権運動が1960年代に突然始まった」という歴史観も修正します。
実際には、
1865~1870年代の権利獲得

1870~90年代の黒人政治参加

1898年ウィルミントン・クーデター

1898~1901年の参政権剥奪

1900~50年代の長い抵抗

1950~60年代の公民権運動
という、約100年にわたる長い歴史だったわけです。
デンマンさんがこれまで「英雄伝説や後世の物語と史実を分けて見る」ことを重視されていましたが、この事件もまさに同じです。
「人種暴動」という後世の物語を一枚はがしてみると、その下から「選挙で選ばれた政府を武力で倒した」という、全く違う歴史が出てくる。
そこが、この事件の怖さでもあり、歴史を調べる面白さでもあると思います。
確かに、このクーデターは、アメリカ史の汚点だと思いますわァ〜。。。

この事件のために黒人はビビってしまって、以前のように白人に対してモノが言えなくなったようです。
それまでは優秀な黒人が多数搬出していたのに、黒人全体が再度のクーデターを恐れて引いてしまったようですわねぇ〜。。。
そういうことですよ。。。でも21世紀になって黒人も目覚めて過去の「黒人暴動」を白人至上主義のクーデターということを明るみに出してネット上にも公開したのですよ。
でも、クーデター当時から比べればオバマ大統領ややマーティン・ルター・キングのような人物が出てきて黒人も頑張っているということですわねぇ〜。。。
これからは1898年のようなクーデーターは起こらないでしょう。。。
【ジューンの独り言】
(bare02b.gif)
ですってぇ~。。。
あなたは、どう思いますか? 黒人が政府の要職をたくさん占めるようになると、また白人至上主義者が中心になってクーデターが起こると思いますかァ〜?
ええっ。。。「そんな事は、どうでもいいから、他にもっと楽しい話をしろ!」
あなたは、そのような命令口調で あたくしに催促するのですかァ〜。。。
いけすかない お方ァ〜。。。
わかりましたわァ。。。それでは、デンマンさんのインスタを紹介しますわァ〜。。。

(instahome26-05-15c.jpg)
写真をクリックしてボサノヴァやサンバの曲に合わせて踊る、きれいで可愛い女の子をじっくりとご覧くださいませぇ〜。。。
もし、ボサノヴァやサンバの曲が聞こえてこなかったら、動画の右下の「無音」のマークをクリックすれば、解除することができ、ボサノヴァやサンバの曲を聴くことができます。
ええっ。。。 「そんな踊りは、そうでもいいから、他にもっと楽しい話をしろ!」
あなたは、更に そのような命令口調で あたくしに強要するのでござ~ますわねぇ~。。。
わかりましたわァ。。。
たまたま わたしは、次の動画に出くわしましたわ。。。

(dog-baby7.gif)
人間の母親のような仕草に、思わず笑ってしまいましたァ~。。。
ええっ。。。「そんな事はどうでもいいから、もっと他に面白いことを話せ!」
あなたは、更に、更に そのような命令口調で わたしに面白いことを話せとご命令なさるのですかァ~?
分かりましたわァ~。。。
じゃあ、シロイルカ(ベルーガ)の面白い動画をお見せしますわ。。。

(beluga-ball.gif)
あなたも、上のシロイルカを可愛いと思いますか?
犬をぺットとして飼ったことがある人はわかると思いますけれど、
ボールを放り投げると、飽きることなく犬は拾いにゆきますよねぇ~。。。
上のシロイルカも、ちょうど愛犬がボールを拾いにゆくように、飽きることなく泳いでボールを追いかけます。。。
そういうところが可愛いのでしょうねぇ~。。。
ええっ。。。「そんな事はどうでもいいから、もっと他に面白いことを話せ!」
あなたは、更にそのような命令口調で わたしに面白いことを話せと言うのですかァ~?
分かりましたわァ~。。。
じゃあ、気分を変えるために、改めて次の動画を見てください。。。

(dog-kingyo2.gif)
貴方は、上のワンちゃんが金魚を食べてしまうと思いましたか?
ええっ。。。「そんな事はどうでもいいから、他にもっと面白いことを話せ!」
あなたは、そのような強い口調で 更に わたしにご命令なさるのですかァ~?
分かりましたわァ。。。
デンマンさんが10年以上も前にアンケートを作りました。

(wp91228.gif->june21-11-29.jpg->art09-12-26.jpg)
上のリンクをクリックすると、
左側のサイドコラムにたくさんの質問が出てきます。
ひとつひとつ見ながら ぜひアンケートに答えてみてください。
ええ。。。、「そんな暇ないよ!」
じゃあ、たまには、古代のお話も読んでみてくださいね。
意外に面白いですわよ。。。
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