本能寺の変の真相は?

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ケイトー。。。、 今日は本能寺の変の真相 にせまるのォ~?

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そうです。。。日本史に興味があるシルヴィーも楽しみでしょう?
でも、どういうわけで本能寺の変を取り上げるのォ〜?
先日、次の動画を見たのですよ。。。

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あらっ。。。いろいろな説があるのねぇ〜。。。

そうなのですよ。。。

私が知っているのは怨恨説だわァ。。。信長が時々 光秀を叱ったとか、足蹴にしたとか、頭をセンスで叩いたとか、。。。そういうわけで光秀は信長を恨んで、いつか信長を討ち取ってやると思っていたというものだわ。。。

でもねぇ〜、それは江戸時代に作られた後付のエピソードだと言うのですよ。。。
。。。で、最終的には、どの説が採用されてるのォ〜?
あのねぇ〜、本能寺の変の謎については結局は肝心の動機がわからず定説が存在しないため、さまざまな諸説・空説が登場し、歴史家・作家だけでなく歴史愛好家も自らの主張を展開して、百家争鳴という現状なのですよ。。。
つまり、動画でも この説が正しいとは断定してないのねぇ〜。。。
そういうことですよ。。。それで、ChatGPT に尋ねてみました。

YouTubeで上の動画を観ました。
『明智光秀はなぜ織田信長を裏切ったのか?』という動画です。
天正十年六月二日西国への出陣を命じられて丹波亀山を立った明智光秀の軍勢が、一転して東に向かい、京都に滞在する主君織田信長、信忠親子を急襲した。
世にいう本能寺の変の勃発です。不意を疲れた親子は、宗家適せず自害。
国内に最大の勢力を築いていた織田家の主導者二人が撃たれたことにより、織田家の権力は瓦解へと向かい、日本の歴史は大きな転換点を向かえることとなった。
日本の歴史に大きな影響を及ぼしたということもあり、この事件は今なお強い関心を集め続けている。
特に注目されるのは、なぜ事件が起こったのか?ということ。日本史最大のミステリー(という言葉)は、今や本能寺の変を表す枕言葉となっています。
この動画では、大河ドラマを記念し、本能寺の変を取り巻く諸説を、その根拠と、それぞれの説に寄せられている批判や反論を、合わせて紹介する。
さまざまな説が唱えられている本能寺の変の原因ですが、これらは大きく分けて、二つに分類される。
ひとつには、「光秀が信長に対して単独で謀反を企てて実行に移した、という単独説。
古くから、基本的にはこのような見方が一般的です。
光秀の単独決行を想定しているので、その内容は光秀の動機に焦点を当てたものとなる。
これに対して、1990年代から2000年代にかけて、にわかに話題を呼んだのが、光秀は他の勢力との連携のもと謀反を決行したのだ、という黒幕説。
光秀自身の動機だけでなく、他の勢力の働きかけも絡んでいたのだ、というのがその趣旨。
謀反の原因は、必ずしも一つに絞り込まれるものではなく、光秀の動機が複数存在したり、黒幕が光秀の動機につけ込んだりと、そのパターンには、さまざまなものが見られる。
この点を踏まえた上で、本能寺の変をめぐる論点をまとめながら、これまでに繰り広げられてきた、議論の行方を追いかけてゆく。
光秀の謀反の動機を説明する上で、最も古典的な説といえるのは、怨恨説。
これは、光秀が信長による冷酷な仕打ちに恨みを抱き、信長が油断を見せた機会をねらって打ち果たしたのだ、というもの。
この説は、江戸時代に発生して、主流の一致を占めた。
その背景にあったのは、江戸時代に広まっていた、儒学思想による信長の評価だったと考えられている。
江戸幕府の政治顧問を務めた荒井白石は、次のように信長を評した。
信長は残忍な性格で、偽りと暴力をもって、志を遂げようとした。
よって、その最後が良いものでなかったのは、自業自得であって、不幸ではない。
このように、信長を極悪非道な暴君とする見方が、武士階級から庶民に至るまで広まっていたことが背景にあり、その暴虐さに耐えかねた光秀が、信長を打ち果たしたのだ、という筋書きが形成され、明治時代に引き継がれてゆくこととなった。
光秀が信長に恨みを抱いたという説の根拠としては、いくつかの逸話が知られる。
よく挙げられるのは、信長の同盟者であった徳川家康の饗応を巡る確執。
家康の饗応役を命じられた光秀が信長にせっかんされたというものや、口応えしたために足下にされたというもの。
また、突如としてその役目を取り上げられたことを恨んだという話が知られている。
また光秀の家臣となっていた斉藤利光をかつての主君であった稲葉義美氏が奪い返そうとし、それを断った光秀に信長が暴力をふるったという話や、武田征伐の後に光秀が骨を折った甲斐があったと発言したことに対して、やはり信長が暴力をふるったという話。
酒宴の席を立とうとした光秀が、信長に難癖をつけられて槍を突きつけられたという話。
さらには、光秀が丹波攻めの際に、敵将の秀春を降伏させるために人質に出した。
母が、信長の約束違反によって処刑されてしまったという話までもが知られている。
他にも、光秀の領地であった丹波や近江を没収し、未征服地であった出雲や岩美への国替えを命じられた、という話も、光秀が信長を恨んだ原因として語られることがあり、こうした信長の仕打ちに耐えかね、鬱憤をため込んだ光秀が、自らの面目をかけて決起したのだ、という。
しかし、先ほど述べた逸話の数々は、現在では、ほとんどが後付けで作られた作り話だと考えられている。
近代に入って、こうした逸話の検証が進み始め、そのほとんどが後世になって書かれたものであること、そして、その内容があり得ないものであることが指摘され始めた。
まず否定されたのは光秀が敵地への国替えを命じられた、という話この話が書かれている明智軍記は、事件から百年以上たって成立したものである上に、本能寺の変や山崎の戦いで、光秀軍として戦った武士たちに、丹波武士たちが多く加わっていることから否定された。
丹波の武士たちは光秀の家臣だったわけではなく、光秀が丹波を治めていたために配下に込み込まれていた存在でした。
光秀が丹波を没収されていたとしたら、彼らとの主従関係は切れていたはずであり、光秀が丹波の武士たちを率いて信長を襲い、山崎の戦いで織田諸将の連合軍と戦う、という状況にはならないはずだ、というのです。
さらに、信長による光秀への暴力の数々も、典拠となる資料が、著しく信憑性に欠くものであることから、戦後に入ると、高柳光利氏によって、ことごとく否定されることとなった。
また、同時代資料の数々からは、念入りに家康の饗応を準備し、無事に役目を果たす。
光秀の姿が確認でき、失態を犯して信長に折檻されるような姿は見えてこない。
丹波攻めにおいても、光秀は兵糧攻めによって敵兵を追い詰めることに成功していることが確認でき、光秀の母が人質となって処刑された逸話についても、資料の信憑性が疑わしいのみならず、光秀が、わざわざ弱りきった敵に、母を人質として差し出す理由がないのです。
光秀は、落ちぶれた石ころのような身の上であったが、取り立ててもらった、と述べたり、事件の起こった数か月前には、信長自筆の書をかけて茶会を開いたりと、信長に感謝し、敬う姿勢すら見せていることも、指摘されている。
怨恨説の根拠となる資料には、検討の価値があるものが残されてはいるが、説得力は低下した、といえる。
怨恨説が否定されていくとともに、入れ替わるように登場したのが、光秀も天下を狙っていたのだという野望説。
怨恨説の根拠となる逸話をことごとく否定した高柳光利氏は、次のように述べている。
信長は天下が欲しかった、秀吉も天下が欲しかった、光秀も天下が欲しかったのである。
その光秀の野心を示す根拠としてよく知られているのが、謀反を前に、光秀が催した連歌会で光秀が読んだ歌、時は今、雨が下しる、五月かな。
さみだれの様子を読んだこの歌には、さまざまな解釈がなされていますが、一般的には、光秀の出自であるとする土岐(とき)氏を、時、とかけ、雨が下しる、には、天下を統治する、という意味を込めたのではないか、といわれている。
光秀は、謀反を前に、天下取りの野望を表明していた、というのだ。
先ほど述べた光秀の連歌に、天下取りの意志が込められていた、と書き記すのは、「惟任退治記」という資料ですが、この資料は、秀吉の天下を正当化するという、編纂者の意図の下で記されたものであると指摘されており、その他の光秀の野心を述べる資料についても、江戸時代に入って生まれた儒教的な色彩の強い資料や、信長に近しい立場の人々が書いたものである、という問題点が指摘されており、光秀を糾弾する意図が入り込んでいるだけに、やはり鵜呑みにはできないと指摘されている。
そもそも、光秀の連歌は、必ずしも謀反の決意を述べたものではなく、この句から光秀の意図を読み取ろうとするのは、深読みが過ぎる、という指摘もある。
光秀がこの歌を読んだのは、信長親子を襲う直前であり、情報が漏れる危険を考えれば、謀反を決行に移す前に、信長妥当の意志を表明するのは、不用心だ、というのだ。
さて、1990年代に、作家や評論家を中心に、本能寺の変についての著作が世に出されたことがきっかけで、本能寺の変を巡る議論には、新たな風が吹き込まれることとなった。
光秀が単独で謀反を行ったのではなく、光秀を操る勢力、あるいは光秀と連携していた勢力があったのではないか、という、いわゆる黒幕説が、にわかに唱えられ始めた。
黒幕説、というと、影の首謀者がいた、というような印象が付きまとうが、ここでは、本能寺の変にあたって、光秀が別の勢力と提携していた、というような種々の説も、便宜上、黒幕説に含めて紹介している。
本能寺の変の謎については結局は肝心の動機がわからず定説が存在しないため、さまざまな諸説・空説が登場し、歴史家・作家だけでなく歴史愛好家も自らの主張を展開して、百家争鳴という現状である。
朝廷黒幕説(朝廷関与説)
暦改訂問題(尾張暦採用問題)、正親町天皇の譲位問題、三職推任問題などで、信長と朝廷との間には緊張状態があったという前提で、朝廷が光秀に信長を抹殺させたという説。
中心となる黒幕の想定を、正親町天皇、誠仁親王、あるいは近衛前久、勧修寺晴豊、吉田兼見ら公家衆、または複数であると見るなど、多様に意見は分かれるが、信長が朝廷を滅ぼす意思を持っていた、あるいは持っているのではないかと彼ら朝廷側が思っていたということも前提とされ、この2つの前提を土台にして成り立っている。
羽柴秀吉黒幕説
「もっとも利益をえた者を疑え」という推理のセオリーに則って、一番利益を得た秀吉を黒幕であると想定して、将来に不安をもつ光秀を唆して謀反を起させたとする説。
宇都宮泰長などが書き、この説では中国大返しの手際の良さや、秀吉の援軍要請は必要あったのか、などが論拠とされるが、史料的な裏付けは全くない。創作作品にしばしば見られる。
毛利輝元黒幕説
信長の死で直面した危機から脱して得をしたのが毛利輝元であったということから黒幕と想定したものだが、根拠はない。
米原正義は毛利輝元も穂井田元清も、吉川広家も、信長父子の急死を「不慮」つまりおもいがけないことであると述べていることから、毛利輝元黒幕説は成立しないと述べている。
徳川家康黒幕説
家康が光秀を裏で操る黒幕であったという説。
「光秀は僧侶だったのではないか?」とする作家小林久三が提唱した南光坊天海=光秀説に触発されて、歴史小説などで用いられたもの。
この説の肝は、『本城惣右衛門覚書』やフロイスの『日本史』、『老人雑話』などに信長が家康を暗殺するという風説(いわゆる、家康暗殺説)があったという記述があることを根拠に信長による家康暗殺の計画が実際にあったとする点と、光秀が山崎の戦いの後も僧侶として生存し南光坊天海として家康に仕えたとする点の2点である。
陰謀論の中ではよく知られたもの。信憑性については定かではないが、この説を利用するフィクション・陰謀論がかなりある。
フロイス黒幕説・イエズス会黒幕説
宣教師やイエズス会などが黒幕であったとする説。
マカオ侵略を危惧したとか、信長が神になろうとしたからとか、細川ガラシャなどキリシタンの繋がりで光秀を動かしたとかいうような陰謀論で、多くは創作で根拠のようなものはほとんどない。
イエズス会黒幕説は、立花京子が平成16年(2004年)に著書『信長と十字架』で発表した。
立花の主張では、大友宗麟はイエズス会と信長とを繋ぐ舞台廻しであり、「信長政権が南欧勢力の傀儡に過ぎなかった」とし、「信長はイエズス会から資金提供を受けていた」が、信長がイエズス会に逆らって自らを神格化したために見捨てられ、暗殺されたとする。
イエズス会を中心とする南欧勢力の最終目的は明帝国の武力征服であり、変は信長から秀吉に首をすげかえるためのものに過ぎなかったという。
反論として「当時のイエズス会の定収入は年2万クルザード程度であり、しかもその半分以上はインドに送金され、会を維持運営するのにも事欠く有様であった」などが挙げられ、論拠に信用に欠ける『明智軍記』などを検証も無く多数引用するなどの問題点が批判された。
また平成26年(2014年)の石谷(いしがい)家文書の公表によって、近年は四国征伐回避説(四国説)も着目されている。
ここで質問です。
いったいどの説が本能寺の変の真相なのですか?
現在の学会の定説とは?

非常に良いまとめです。
そして、最後の質問に対する答えは、実はかなりはっきりしています。
現在の歴史学会では、「本能寺の変の真相は未解明であり、定説は存在しない」が定説です。
ただし、「どの説が現在有力か」という点については、ある程度の共通認識があります。
現在の学界の考え方
1980年代頃までは、
怨恨説
野望説
が教科書にも載るほど有力でした。
しかし1990年代以降、一次史料(事件当時の史料)、同時代文書の研究が大きく進みました。
その結果、江戸時代以降に作られた逸話の多くが信用できない、ということが判明しました。
つまり、
「信長が光秀を何度も殴った」
「母親を殺した」
「領地を没収した」
などは、ほとんど史実としては採用されなくなっています。
一次史料で分かること
逆に一次史料を見ると、事件直前まで光秀は重要な軍事作戦を任されている、信長は光秀を重用している、光秀も信長を尊敬しているように見える、という記録の方が多いのです。
つまり、「個人的恨みが爆発した」という単純な話では説明しにくいというのが現在の研究です。
では現在もっとも有力なのは?
現在比較的支持者が多いのは、「複合要因説」です。
つまり、一つの理由ではなく、政治・軍事・将来への不安・権力構造など、いくつもの要因が重なった結果として光秀が決断した、という考えです。
これは「○○説」というより、「単独説の現代版」と言えます。
① 四国政策(四国説)
近年もっとも注目されたのがこれです。
2014年公開の石谷家文書によって、光秀が長宗我部元親との外交を担当していたことが改めて注目されました。
ところが、信長は突然、四国征伐を決定します。
つまり、光秀の外交努力が完全に否定された。
さらに長宗我部との関係も壊れる。
このため政治的に追い詰められたのではないか、という説です。
これは現在かなり真面目に研究されています。
ただし、これだけで謀反を起こすほどか?という反論もあります。
② 将来不安説
こちらも有力です。
光秀は60歳近い高齢。
織田家では
秀吉
柴田勝家
丹羽長秀
滝川一益
など有力武将との競争が激しい。
さらに、信忠への政権移行も見えていた。
つまり、自分の将来はどうなるのか?という不安があった可能性があります。
③ 天下取りの好機説
これは昔の「野望説」を少し修正したものです。
本能寺では信長、信忠がほぼ無防備。
しかも秀吉、家康、勝家は遠方。
このような空前絶後のチャンスは二度と来ません。
そこで「成功するかもしれない」と思った可能性があります。
現在はこちらの方が「野望説」よりも穏当な説明として受け入れられています。
黒幕説について
ここが一般向けの本と学術研究が大きく違うところです。
学会では、黒幕説はほぼ支持されません。
理由は非常に単純です。
証拠がないからです。
朝廷黒幕説
確かに信長と朝廷には緊張関係がありました。
しかし「朝廷が光秀に命令した」史料はありません。
秀吉黒幕説
一番利益を得た人物ですが、利益を得たことと事件を起こしたことは別問題です。
さらに秀吉が光秀と密約した文書もありません。
家康黒幕説
こちらも人気があります。
しかし家康自身、本能寺直後は命からがら伊賀越えをしています。
もし黒幕なら自分まで危険にさらす計画は極めて不自然です。
イエズス会黒幕説
歴史学ではほぼ否定されています。
理由は財政力がない、軍事力もない、光秀との密接な証拠もないからです。
学者が最も重視する史料
現在では
フロイス『日本史』
『兼見卿記』
『言経卿記』
『多聞院日記』
信長公記
など、事件当時に近い史料が重視されます。
逆に
『明智軍記』
『川角太閤記』
など江戸時代成立の軍記物は、参考にはしても、そのまま史実とは見なされません。
なぜ真相が分からないのか?
決定的なのは、光秀自身が動機を書き残していないことです。
しかも、光秀は本能寺の変からわずか13日後、山崎の戦いで敗死しています。
そのため、本人の証言は永遠に失われました。
また、首謀者や共犯者がいたとしても、それを裏付ける一次史料は現存していません。
現在の研究者の見解をまとめると
おおむね次のようになります。
怨恨説:かつての主流だが、根拠となる逸話の多くは後世の創作とみられ、現在は支持が低い。
野望説:単純な「天下を取りたかった」という説明だけでは不十分と考えられている。
四国政策・政治情勢・将来不安などを組み合わせた複合要因説:現在もっとも研究者の支持を集めている考え方。
朝廷・秀吉・家康・イエズス会などの黒幕説:一般向けの書籍や歴史小説では人気があるものの、一次史料による裏付けが乏しく、学術的には慎重あるいは否定的な評価が大勢です。
つまり現在の歴史学は、「一つの劇的な陰謀ですべてを説明する」のではなく、当時の政治・外交・軍事・人間関係を総合的に検討し、一次史料で確認できる範囲から結論を導こうとする姿勢をとっています。

その意味で、本能寺の変は依然として「未解決の歴史事件」ですが、研究の方向性は、センセーショナルな黒幕説よりも、史料に基づく複合的な政治事件として理解する方向へと大きく移っていると言えるでしょう。

解説ありがとうございました。今後画期的な一次資料だでてくるでしょうか?

それは歴史学者の間でもよく議論されるテーマですが、私の見立てでは「画期的な一次史料が出てくる可能性はゼロではないが、極めて低い」というのが現実的です。
理由は3つあります。
① 光秀は敗死しており、
本人の記録が残りにくい
本能寺の変からわずか13日後、山崎の戦いで光秀は敗れました。
もし光秀が生き延びていれば、
「なぜ謀反を起こしたか」
「誰と相談したのか」
「何を目指していたのか」
を書き残した可能性があります。
しかし実際には、その機会がありませんでした。
つまり、一番重要な証言者が最初に失われてしまったのです。
② 戦国時代の文書は失われたもの
が非常に多い
戦国時代には
戦乱
火災
廃城
明治維新
第二次世界大戦
などを経て、多くの古文書が失われました。
そのため、「本当は存在したが現存しない」文書はかなりあったと考えられています。
③ しかし新史料が見つかる
ことはある
一方で、「もう出てこない」と断言もできません。
ご質問にもあった石谷家文書はその代表例です。
2014年に公開されたことで、「四国政策」をめぐる研究は一気に進みました。
また近年でも、
地方豪族の古文書
寺院の文書
個人宅の蔵
海外の古文書館
などから新史料が発見されることがあります。
つまり、新史料は今でも見つかっています。
ただし、「決定打」は期待しにくい
例えば、「私は朝廷の命令で信長を討つ」というような明智光秀の手紙が見つかれば、一夜にして歴史は書き換わります。
しかし、そのような文書が約440年間、一度も見つかっていないことを考えると、存在する可能性は高くありません。
また、もしそのような秘密文書があったなら、事件後に関係者が意図的に処分した可能性も十分あります。

歴史研究は「真相を断定する」から「確率を比較する」へ移行しています。
現在の歴史学は、昔のように「これが真相だ」と断言する学問ではありません。
むしろ、この説を支持する一次史料は何か。
その史料はいつ書かれたものか。
著者はどんな立場だったか。
他の史料と矛盾しないか。
…という形で、各説の「蓋然性(もっともらしさ)」を比較する学問になっています。
私が今後期待している画期的なのは、実は「新しい史料」よりも新しい分析技術かもしれません。
例えば、
AIによる大量古文書の解析
高精細撮影による、読めなかった文字の判読
赤外線・紫外線撮影による消えた墨書の復元
日本だけでなく、バチカンやスペイン、ポルトガル、中国など海外の文書との照合
こうした技術によって、これまで見落とされていた手がかりが発見される可能性があります。
ですから、本能寺の変の「決定的な真相」が突然判明する可能性は低いものの、少しずつ証拠が積み重なって有力説が変化していくことは、これからも十分あり得るでしょう。
歴史研究は、新史料の発見と分析技術の進歩の両方によって、少しずつ真相へ近づいていく学問なのです。
なるほどねぇ〜。。。最近では各説の「蓋然性(もっともらしさ)」を比較するようになっているのねぇ〜。。。

確かに、決定的な証拠がない以上、「蓋然性(もっともらしさ)」を比較するしかないよねぇ〜。。。
今後、決定的な証拠が出てくるかしら?
光秀の手紙が出てきたら決定的な証拠になるよねぇ〜。。。
明治時代の事件ならば、ともかく、400年以上も経っているのだから、手紙は出てこないと思うわァ〜。。。
多分、これだけ話題になっているから、偽の手紙を作る人が出てくると思うよ。。。

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【ジューンの独り言】
(bare02b.gif)
ですってぇ~。。。
あなたは、どう思いますか?
平成26年(2014年)の石谷(いしがい)家文書が見つかって研究が進んだ四国征伐回避説(四国説)が正しいと思いますか?
ええっ。。。「そういう事は、どうでもいいから 他に面白い話をしろ!」
あなたは、そのような強い口調で わたしにご命令なさるのですかァ〜?
いけすかない おかたァ〜。。。
分かりましたわァ。
実は、デンマンさんはインスタで サンバやボサノヴァで踊る きれいで可愛い女の子たちを紹介しています。
ここに写真を貼り出すので 気に入った女の子の踊りを見てください。。。

(instahome26-05-15c.jpg)
写真をクリックすれば踊りを鑑賞できます。。。
音声が出てない場合は、動画の右下の「無声」マークをクリックすれば、解除されてミュージックを聴くことができます。
ええっ。。。 「そんなことはどうでもいいから、他にもっと楽しい話をしろ!」
あなたは、そのような命令口調で 更に あたくしに強要するのですかァ〜。。。
分かりました。。。、シルヴィーさんが出てくる面白い記事は他にも たくさんあります。。。
次の記事の中から面白そうなものを選んで読んでください。
(sylvie500.jpg)
(sunwind2.gif)
(cleopara2.jpg)
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。 バーィ。

(hand.gif)
(surfin2.gif)
ィ~ハァ~♪~!
メチャ面白い、
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(linger65.gif)
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(byebye.gif)














