象を連れた戦い

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デンマンさん。。。、 今日は象を連れた戦い のお話ですかァ〜?

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そうです。。。ジューンさんはつまらなそうですねぇ〜。。。
いいえ、そんな事はありませんわァ。。。象がどんなふうに戦うのか?…興味がありますわァ。。。
次のように戦うのですよ。。。

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あらっ。。。まるで象のタンクですわねぇ〜。。。こういう戦いが実際にあったのですか?

2000年以上も前に、こういう戦いが実際にあったのです。
どこで戦ったのですか?
イタリアです。。。
イタリアには象はいないでしょう?
アフリカから象を連れてイタリアに遠征したのですよ。。。
まさかァ〜。。。ジブラルタル海峡があるじゃありませんかァ〜。。。
象を船に乗せて海峡を渡ったのです。。。
数十頭もですか?
そうです。。。37頭の象を連れていった。
そんなにも。。。でも、イタリアに着くにはアルプス山脈を越えねばならないでしょう?
そうです。。。像を歩かせてアルプス山脈を越えたのですよ。。。
ウソでしょう?。。。考えられませんわァ〜。。。アルプス山脈を歩いて越すなんて。。。あの大きな体では無理ですわァ〜。。。
無理を承知で山越えさせたのですよ。。。27頭が山を超えたというのです。。。
どうして、デンマンさんはそんな事まで知っているのですかァ〜?
実は、つい最近、次の動画を観たのですよ。。。

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カンナエの戦い

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カンナエの戦いは、紀元前216年8月2日、アプリア地方のカンナエで起こった第二次ポエニ戦争における共和政ローマとカルタゴの戦い。
紀元前218年、アルプス山脈を越えてイタリア本土に侵入したカルタゴの将軍ハンニバルは、トレビア川の戦い、トラシメヌス湖畔の戦いで、ローマ軍に甚大な被害を与えた。
ローマの元老院は、急遽ファビウス・マクシムスを独裁官に任命し、戦力を再編する時間を稼ぐことにした。
ファビウスは、ハンニバルとの決戦を巧妙に避け、持久作戦を展開してカルタゴ軍の消耗を待った。
しかし、ハンニバルによってイタリア全土が略奪にさらされると、ファビウスのそうした姿勢は臆病だと指摘され、決戦を望む声が湧き起こった。
これを受けてローマの元老院は、ファビウスの任期が切れると同時に、ルキウス・アエミリウス・パウルスとガイウス・テレンティウス・ウァロの両名を執政官に任命し、積極策に転じた。
両執政官は、総計8万以上の軍団を率いてハンニバルの迎撃に向かった。
パウルスはハンニバルとの正面対決を避けるべきだと主張していたが、ウァロは決戦を望んでいた。
紀元前216年8月2日、南イタリアのアプリア地方のカンナエ付近で、ローマ軍とハンニバル率いるカルタゴ軍約5万人が対峙、当日の最高指揮官であるウァロが決戦を挑んだため、カンナエの戦いが生起した。
この戦闘に参加した両軍の兵力および布陣は以下のようなものである。
ローマ軍(ローマ同盟軍含む)
歩兵約80,000
騎兵約6,000
ローマ軍は1万人を野営地の警備に残し、残りの7万人を戦場に展開させた。
布陣は主力である重装歩兵を中央に置き、その前面に軽装歩兵を展開、右翼をローマ騎兵、左翼を同盟国騎兵が固める配置であった。
その作戦意図は重装歩兵による中央突破にあり、そのために各中隊(マニブルス)の間隔を狭くして戦列中央を厚くしていた。
中央の指揮は前執政官(プロコンスル)のセルウィリウスが担当し、パウルスは右翼騎兵、ウァロは左翼騎兵を指揮した。
カルタゴ軍
歩兵約40,000
騎兵約10,000
カルタゴ軍の布陣は、中央に重装歩兵、その前面に軽装歩兵、両翼に騎兵を置くのはローマ軍と同様だったが、ハンニバルは重装歩兵を弓なりに湾曲させて配置し、張り出した中央部に兵を集中させて縦深を深くした。
これはハンニバルの意図が、中央で敵主力を拘束している間に両翼を突破し、敵全体を包囲することにあったためである。
猛攻が予想される中央には、ある程度の損害を前提としてガリア歩兵とヒスパニア歩兵を置き、その両翼には熟練のカルタゴ歩兵を置いた。
さらに歩兵戦列の右翼にはヌミディア騎兵を、左翼にはヒスパニア・ガリア騎兵を配置した。
カルタゴ軍はローマ軍に比べて全軍に占める騎兵の割合が多く、その質も量もローマ軍の騎兵に比べて高かった。
ハンニバルは、ヌミディア騎兵をハンノ・ボミルカル(ハンニバルの甥)に指揮させ、ヒスパニア・ガリア騎兵はハスドルバルに指揮させた。
ハンニバル自身は左翼のカルタゴ歩兵を率い、右翼のカルタゴ歩兵はマゴに指揮させた。
戦闘展開
戦闘開始と同時に、ローマ軍の重装歩兵はカルタゴの歩兵戦列を突破するために前進した。
ヒスパニア・ガリア歩兵は少しずつ押されていたが、弓なりの配置のおかげで、ローマ軍中央の前進速度を多少緩やかにすることができた。
その間にカルタゴ軍左翼のヒスパニア・ガリア騎兵が優勢な戦力でローマ軍の右翼騎兵を圧倒し、これを壊走させた。
一方、カルタゴ軍右翼のヌミディア騎兵とローマ軍左翼の同盟国騎兵は互角の戦いを繰り広げていた。
自軍の戦列中央が圧倒されつつあるのを見たハンニバルは、両翼のカルタゴ歩兵を前進させ、ローマ軍戦列の両翼を押し込んだ。
一方、ローマ軍の右翼騎兵を壊走させたハスドルバル指揮下のヒスパニア・ガリア騎兵は、大きくローマ軍の背後を駆け抜けると、自軍のヌミディア騎兵と交戦しているローマ軍左翼の同盟国騎兵を背後から挟撃した。
戦力的に劣勢となった同盟国騎兵はほどなく壊走を始めた。
カルタゴ騎兵は逃げる同盟国騎兵を追わず、今度はローマ軍中央の後方へと回り込んだ。
ローマ軍の中央戦列は、ほとんどカルタゴ軍中央を突破しかけていたが、戦列の両翼にいるカルタゴ歩兵はいまだ優勢であり、その方面のローマ軍は前進することができなかった。
この時点で、ローマ軍中央の陣形はV字になりつつあった。
そこへ両翼のローマ軍騎兵を壊走させたカルタゴ軍騎兵が後方から襲いかかってきた。
後方を突かれたローマ軍はパニック状態に陥って極度に密集したため、中央の兵は圧死する者まで現れた。
前方をガリア歩兵、両側面をカルタゴ歩兵、後方をカルタゴ騎兵によって完全包囲下に置かれたローマ軍は、逃げることも中央突破もできずに殲滅されることとなった。
損害
この戦闘で、ローマ軍はおよそ5万から7万の戦死者を出し、野営地に残されていた部隊も多くが降伏して捕虜となった。
その日の最高指揮官であるウァロは戦場から逃れたが、一方の指揮官であるパウルスは戦死した。
また、中央の指揮を任されたセルウィリウスも戦死し、リウィウスは従軍していた80人以上の元老院議員とその候補者が戦死したとしている。
当時の元老院は最大でも300人を超えなかったため、4人に1人以上が死んだことになる。
カルタゴ軍の死者はポリュビオスが5,700人と記し、その大半は戦列中央のガリア兵だったとしているが、リウィウスはハンニバルが8,000以上の遺体を埋葬したとしている。
戦後と影響
この大敗北の後、ローマはハンニバルとの正面決戦を避け、持久戦に持ち込むことにした。
ファビウス・マクシムス、マルクス・クラウディウス・マルケッルスの両名を執政官とし、攻撃対象をシチリア、ヒスパニアなどのカルタゴ周辺へと変更し、外からの切り崩しを狙った。
さらに優勢な海軍力を生かしてカルタゴ海軍を脅かし、カルタゴ本国からのハンニバルへの補給を断った。
そして、戦力の再編とともに、カンナエの敗戦の原因といえる騎兵の育成に努め、これが後のザマの戦いの勝利に結びつくことになった。
もっとも、騎兵の調達は相変わらず困難であることに変わりなく、同盟国の騎馬やヌミディア騎兵に頼ることが多かった。
一方のハンニバルは、この勝利によってローマ同盟都市が離反することを期待したが、同盟都市の結束は依然として固く、十分な成果は上がらなかった。
敵地での補給に苦しむハンニバルは、ローマを攻めずに肥沃でカルタゴ本国とも連絡をつけやすいイタリア南部(マグナ・グラエキア)へ主攻を切り替えた。
この戦いから特に包囲戦の有効性が強調されるが、ローマの敗因は包囲されたことによりパニック状態になり、有効な組織的対応が出来なかったことにある点に留意する必要がある。
もしローマ歩兵が包囲側の攻撃に耐え、そのまま前進して包囲網を突破し、左右に展開出来たならば、逆に寡少なカルタゴ軍を包囲できたことになり、全く違った結果となっていたと考えられる。
後年、この戦いは包囲殲滅戦の手本とされ、ドイツ帝国陸軍のシュリーフェン・プランや、日露戦争の奉天会戦の日本軍もこれを参考にした。
また、現代の教書でもこの戦いは重要視されている。
この戦術は兵力が馬から戦車に変わった現在においても有効であり、スターリングラード攻防戦ではソ連軍がドイツの第6軍をこれと同じ戦術で包囲殲滅している。
しかし、あまりにも見事である為、多くの軍人が同じ夢を見て真似をするが、大半はハドリアノポリスの戦いのように包囲に失敗し、大抵が壊滅的な損害を被り敗北してしまう例がほとんどである。
出典: 「カンナエの戦い」Wikipedia
それにしてもアフリカのカルタゴから、はるばる海をこれアルプスを越え、37頭の象を連れて、歩いてイタリアまで行ったなんて、常識では考えられませんわァ〜。。。

現在の感覚ではそうだけれど、当時は、それ以外に方法はなかった。。。貨車に乗せて運ぶにも、線路はありませんからねぇ〜。。。トンネルもない。。。歩いて山越えをする以外にありませんよ。。。
それほどしてまで、なぜ戦争しなければならないのですかァ〜?
今だって、プーチンがウクライナで戦争をやらせているでしょう? 歴史は繰り返してきたのですよ。。。
でも、プーチンは先頭に立って戦っていませんよねぇ〜。。。
それが昔と違うところですよ。。。リーダーが悪賢くなって、自分は戦わずに、他の人達に戦争をやらせているのです。。。
カルタゴの将軍ハンニバルは、とてつもない遠征をしたものですわねぇ〜。。。
とんでもない戦争をしたので、2200年も前の戦いが現代まで語り継がれてきたのですよ。。。
そんな事をしなくても話し合いで解決できたでしょうに。。。
それができないから戦争したのですよ。。。戦争したいやつがいるのですよ。。。僕も動画を観ていくつか疑問が浮かんできたので ChatGPT に尋ねてみました。

『Decisive Battles: Cannae』というドキュメンタリーを観ました。
非常に興味深い内容でしたが、観た後で次のような疑問が頭をもたげました。
ここで質問です。
① アルプス山脈を越えてイタリア本土に侵入した40,000人のカルタゴ軍の補給はどうやって行われたのか?
② 40,000人は歩兵のみ。補給に携わる人達を含めると、いったい何人がアルプス山脈を越えたのか?
③ 象を20頭以上引き連れていたはずだがアルプス越えをどうやって行ったのか? エサの補給も大変だったろう?
④ 双方の歩兵と騎兵を合わせると、80,000+ 6,000(ローマ軍)+40,000+10,000(カルタゴ軍)= 136,000人になる。 これだけの人間が戦ったことになるが、いったいこれだけの兵隊を収容するだけの戦場があったのか?
⑤ 日本では貴族院議員は太平洋戦争には参加しなかったが、従軍していた80人以上の元老院議員とその候補者が戦死した。元老院議員までが戦争に参加するというのは、どういうことなのか?
⑥ カルタゴ軍が2倍ちかいローマ軍を打ち破った勝因は?
⑦ ドイツ帝国陸軍のシュリーフェン・プランは、包囲殲滅戦を手本として実際に勝ったのか?
⑧ 日露戦争の奉天会戦の日本軍も包囲殲滅戦を手本として実際に勝ったのか?
⑨ スターリングラード攻防戦ではソ連軍がドイツの第6軍をこれと同じ戦術で包囲殲滅した。 ドイツ軍は包囲殲滅戦を知っていたはずなのに、なぜ殲滅されたのか? 司令官が愚鈍だったのか?
⑩ ハドリアノポリスの戦いでは、なぜ失敗したのか?
⑪ シリア戦後、ハンニバルはローマの追っ手から逃れようとクレタ島、さらに黒海沿岸のビテュニア王国へと落ち延びた。ハンニバルのビテュニア滞在を知りながらしばらくは静観したローマだが、元老院は使者としてティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌスを送り、ビテュニア王プルシアス1世にハンニバルの身柄の引渡しを迫った。これを察知したハンニバルは逃亡を企てたが果たせず自害した。奴隷に首を絞めさせたとも、毒薬を仰いだとも伝わっている。史実はどうだったのか?

はい。これはカンナエの戦いを理解するうえで非常に面白い11項目です。
特に①〜④については、「カンナエに8万のローマ兵と5万のカルタゴ兵が集まった」という数字を、そのまま現代の軍隊のように考えると混乱します。 古代軍の兵力数字にはかなりの推定が入り、しかもハンニバル軍は218年のアルプス越えからカンナエまでに、現地で大幅に再編・補充されています。
まず大事な点を一つ訂正します。
ハンニバルがアルプスを越えたときの兵力は、カンナエの4万人ではありません。
ポリュビオスによれば、アルプス越え後にイタリアへ入ったのは約2万人の歩兵と6,000騎兵。象は27頭程度だったとされます。つまり「4万人の歩兵+補給部隊がアルプスを越えた」のではありません。
では順番に見てみましょう。
①4万人のカルタゴ軍はどうやって
補給したのか?
ここがハンニバルの戦争の最大の難問です。
カルタゴから毎日食料を船で運んできたわけではありません。
基本は、
現地調達
同盟したガリア人などからの供給
占領した都市・要塞の食料庫を利用
農村から穀物・家畜などを徴発
カルタゴから海路で補給
イタリア南部の都市を味方につけて補給基地化
という組み合わせでした。
実際、カンナエでハンニバルが占領した町には、ローマ軍が周辺から集めた穀物などの物資が蓄えられていました。ポリュビオスは、ハンニバルがカンナエの城塞を占領したことで、ローマ軍の食料・物資集積所を奪ったと記しています。
つまり、ハンニバル軍そのものが巨大な補給車列を引き連れてイタリアを移動したというより、進軍しながら敵の補給基地を奪い、現地から食料を調達し、味方になった都市・部族を利用するという方式です。
これはハンニバルの戦術的才能とは別の意味で重要です。
カンナエで勝ったハンニバルが、ローマそのものを占領できなかった最大の問題の一つが、この補給問題だったからです。
ローマ軍はイタリア半島という巨大な人的・農業的基盤を持っていました。一方、ハンニバルは敵地の奥深くにいる遠征軍でした。
だから、「カンナエでは勝てても、戦争全体ではローマを屈服させられない」という構造があったわけです。
② 補給担当者を含めると、
アルプスを越えた人数は何人?
これについては、正確な数字は分かりません。
しかも「4万人」という前提が違います。
有力な古代史料によると、ハンニバルはイベリアを出発した時点で、およそ5万人規模の兵力を持っていましたが、アルプスを越えてイタリアへ到達した時点では、
歩兵:約20,000
騎兵:約6,000
象:約27
程度になっていました。
つまり戦闘員だけで約26,000人。
そこに、
象使い
工兵
医療担当者
調理・食料担当
鍛冶職人
馬丁
その他の従者
捕虜・奴隷など
が加わっていたでしょう。
しかし、これらの人数を古代史料は正確に記録していません。
したがって、「アルプスを越えたカルタゴ軍は全部で何人だったか?」には、確定した数字は出せません。
ただし重要なのは、約5万人規模だった軍隊が、アルプス越えだけで半分近くまで減ったということです。
これは非常に大きな損失です。近年の研究でも、アルプス越えは人間だけでなく、馬・象を含めたエネルギーと食料の問題が極めて厳しかったとされています。
③ 20〜40頭もの象をどうやってアルプス越えさせたのか?
これは本当に驚くべきところです。😁
実際には、出発時の象は37頭程度だったとされます。
ローヌ川を渡る時点では37頭だったという伝承があり、アルプスを越えてイタリアに到着した時には27頭程度になっていました。
そして象は、
山道を歩かせる
川を渡らせる
崖道を通す
雪の中を進む
食料を確保する
必要があります。
しかも象は巨大です。
一頭数トン。
そして大量の植物を食べます。
したがって、デンマンさんが、「エサの補給も大変だったろう?」と考えたのはまさにその通りです。
象そのものが巨大な移動式兵站問題だったと言ってよいでしょう。
ただし、象の餌を全部運んだわけではありません。
山岳地帯では、
草
木の葉
枝
その他の植物
など、現地の植生を利用しました。
だからこそ、季節・地形・天候が極めて重要だったわけです。
そして面白いことに、象の多くはアルプスを越えても、その後のイタリア戦役で次々と失われます。
最終的には「スルス(Surus)」という象が最後の1頭として有名になります。
古代資料には、ハンニバルがこの象に乗っていたという伝承もあります。
④13万人以上も戦場に入るスペース
があったのか?
ここは非常に面白い疑問です。
結論からいうと、
ありました。
ただし、136,000人が一枚の平面にびっしり横一列に並んだわけではありません。
そして、デンマンさんが計算された 80,000+6,000+40,000+10,000=136,000 にも注意が必要です。
ローマ軍の8万人+6千人は、古代史料に基づく推定値ですが、8万人全員が同じ瞬間に戦闘線に立っていたわけではありません。
ポリュビオスによれば、ローマ軍の約1万人は野営地の警備などに残されていました。
さらに古代の兵力数字そのものにも誤差があります。
それでも、戦場に10万人を超える人間がいたこと自体は十分あり得ます。
では、そんな大軍がどう収まったのか。
ポイントは「縦深」です。
ローマ軍は横に広げるのではなく、異常なほど深く配置しました。
研究によって推定値には差がありますが、ローマ軍の正面幅はおおむね2〜3km程度と推定されています。ある軍事史研究では約2kmと計算されています。
つまり、横幅2〜3km × 奥行き数百mという巨大な密集隊形です。
実際、研究者によってはカンナエの戦場を、「約2km程度の空間に10万人以上を詰め込んだ」と考えています。
そして、これが後で悲劇になります。
ローマ軍は「人数が多い」ことが逆に弱点になりました。
前から押され、左右から押され、後ろから騎兵に襲われる。
すると、逃げるスペースがない。
さらに後方から押してくる味方がいる。
結果、兵士同士が密集して、自分たち自身が動けなくなる。
これがカンナエの恐ろしさです。
単なる「包囲」ではありません。
巨大な兵力そのものが罠になった。
⑤ なぜ元老院議員まで
戦場にいたのか?
ここは共和政ローマと近代国家の大きな違いです。
デンマンさんの、「日本では貴族院議員は太平洋戦争には参加しなかった」という比較は非常に分かりやすいです。
共和政ローマでは、政治家=軍人でもあるという社会でした。
ローマのエリートは、軍事 → 政治 というキャリアを歩むのが普通でした。
いわゆるcursus honorum(名誉の道)です。
軍務を経験し、

財務官

按察官

法務官

執政官
という政治的キャリアを積んでいく。
軍事経験は政治家としての重要な資格でした。
したがって、元老院議員が軍隊を指揮することは、むしろ当然だった。
さらに第二次ポエニ戦争はローマ存亡の危機です。
近年の研究では、カンナエで死亡した「元老院階級に属する者、あるいは元老院入りの資格を持つ者」が80人程度いたと分析されています。
しかも、これは単に「老人の元老院議員80人」という意味ではありません。
軍務に就いていた若い元老院階級の男性たちが大量に戦死したのです。研究では、当時の若年元老院階級人口のほぼ全面的な動員に近かった可能性が指摘されています。
これはローマが、「国家存亡のため、政治エリート自身も前線に出る社会」だったことを示しています。
⑥ なぜカルタゴ軍はほぼ半分の
兵力で勝てたのか?
ここがカンナエの核心です。
単純に、「ハンニバルが天才だった」だけではありません。
大きく分けると5つあります。
1.騎兵の圧倒的優勢
これが非常に重要です。
ポリュビオス自身がカンナエについて、カルタゴ軍の騎兵 superiority が勝利の主要因だったとしています。
カルタゴ側:
約10,000騎
ローマ側:
約6,000騎
しかもカルタゴ騎兵の質が高かった。
特にヒスパニア・ガリア騎兵がローマ騎兵を破った。

ローマ右翼騎兵が崩壊。

カルタゴ騎兵が戦場を大きく迂回。

ローマ左翼騎兵の背後を攻撃。

ローマ騎兵が壊滅。

カルタゴ騎兵がローマ歩兵の背後へ。
この流れが決定的でした。
2.ローマ軍の「厚すぎる中央」
ローマ軍は中央突破を狙いました。
そのため、歩兵を非常に深く配置した。
これは正面攻撃に対しては強い。
しかし、横方向への柔軟な運動能力を失った。
ハンニバルはそこを利用しました。
3.ハンニバルは中央を「わざと」後退させた
これが有名な半月形の陣形です。
中央のガリア・ヒスパニア兵がローマ軍に押される。
普通なら、「中央が崩壊した!」と思います。
しかしハンニバルは、それを利用しました。
ローマ軍が中央を押すほど、ローマ軍自身がカルタゴ軍の奥深くへ入り込んでいく。
すると左右からアフリカ歩兵が内側へ向かってくる。
そして後方から騎兵。
つまり、ローマ軍自身が包囲の中心へ進んでいった。
4.カルタゴ軍の兵種を使い分けた
これもハンニバルの巧みさです。
ガリア兵・ヒスパニア兵を中央。
経験豊富なアフリカ兵を左右。
騎兵を両翼。
つまり、全軍を同じように使わなかった。
異なる民族・兵種の長所を組み合わせたのです。
5.ローマ軍自身の巨大さが災いした
これが最も皮肉なところです。
ローマ軍は、強すぎたから負けたとも言えます。
8万人という巨大な軍隊を狭い場所に深く配置した。
そして前進した。
すると、前の兵士は敵に押し込まれ、後ろの兵士は前へ押す。
そこへ左右と後方から敵が来る。
結果、「兵力の多さ」が「身動きの取れなさ」に変わった。
これがカンナエです。
⑦ シュリーフェン・プランは
カンナエを真似して勝ったのか?
いいえ。1914年のドイツ軍は勝っていません。
ここはかなり重要です。
シュリーフェンはカンナエを非常に重視しました。
しかし1914年のドイツ軍の作戦は、シュリーフェン本人の1905〜06年の構想そのものではなく、後継者モルトケ(小モルトケ)によって修正されたものでした。
ドイツ軍はベルギーを通ってフランス軍の側面・背後を回り込み、包囲して決戦を強いる構想を持っていました。
ところが、第一次マルヌ会戦でドイツ軍の進撃が停止。
包囲殲滅は完成しませんでした。
その後、西部戦線は塹壕戦へ。
したがって、カンナエ → シュリーフェン → ドイツ軍勝利ではありません。
むしろ、カンナエ型の巨大な包囲殲滅を狙ったが、1914年には完成しなかったと考えた方が正確です。
なお「シュリーフェン・プラン」という名前自体についても、後世の軍事史ではかなり議論があります。1914年に実行されたものを単純に「シュリーフェンの設計図」と呼ぶのは問題があるとされています。
⑧ 奉天会戦はカンナエを
再現して勝ったのか?
こちらも、「カンナエそのものを再現して勝った」とするのは正確ではありません。
ただし、日本陸軍が包囲・側面攻撃・退路遮断を重視したことは確かです。
奉天会戦は1905年2月20日〜3月10日に行われ、
日本軍:約27万人
ロシア軍:約29万人
という巨大戦でした。
日本軍はロシア軍を正面から一挙に包囲殲滅したわけではありません。
ロシア軍は大きな損害を受けながら北へ撤退しました。
つまり、「カンナエのような完全包囲・殲滅」ではない。
しかし、側面・背後への圧力によってロシア軍の退却を促したという点では、包囲戦思想との共通性があります。
⑨ なぜドイツ第6軍はカンナエ型の
包囲に引っかかったのか?
ここは非常に面白いです。
「ドイツ軍はカンナエを知らなかった」からではありません。
むしろ逆です。
ドイツ軍はカンナエを非常に重視していました。
問題は、カンナエを知っていることと、包囲されたとき脱出できることは別だということです。
1942年11月、ソ連軍はウラヌス作戦を開始。
ドイツ第6軍そのものを正面から破るのではなく、ルーマニア軍など、ドイツ軍の弱い側面を攻撃しました。
そして左右から戦車部隊が進み、1942年11月23日に包囲完成。
第6軍は巨大なポケットに閉じ込められました。
ここで決定的だったのが、ヒトラーの「撤退禁止」です。
パウルスは撤退を要求しました。
しかしヒトラーは拒否。
その代わり、空輸で補給すると約束しました。
ところが必要量を空輸できない。
つまり、「包囲されたら突破する」という軍事的原則より、「その場を死守する」という政治的命令が優先された。
これが致命的でした。
ですから、「パウルスが愚鈍だった」だけで説明するのは不十分です。
より正確には、軍事的に撤退が必要な状況になっても、ヒトラーが政治的・象徴的理由から撤退を許さなかった。
そしてパウルスは最終的にそれに従った。
1943年1月31日にパウルスが降伏し、2月2日に最後のドイツ軍部隊も降伏しました。
⑩ ハドリアノポリスではなぜ
包囲殲滅に失敗したのか?
ここはカンナエとの比較が非常に面白いです。
378年8月9日。
ローマ皇帝ヴァレンスがゴート族と戦ったハドリアノポリスの戦いです。
この戦いは、単純に「ゴート族の包囲作戦がカンナエのように成功した」とは言えません。
むしろ、ローマ側の判断ミスが重なった結果と考えた方がよいでしょう。
主な問題は、
① ゴート軍の規模を過小評価
ローマ軍の偵察が敵兵力を正確につかめていませんでした。
② ヴァレンスが援軍を待たなかった
西方の皇帝グラティアヌスの軍が来る可能性があった。
しかしヴァレンスは待たなかった。
③ ローマ軍が疲労・空腹・渇きに苦しんでいた
これも大きい。
④ 騎兵が早期に戦闘を始めてしまった
統制が崩れていきました。
⑤ ゴート騎兵が到着
ローマ軍が想定していなかった騎兵戦力が戦場に現れました。
その結果、ローマ軍の隊列が圧縮され、
カンナエと非常によく似た「兵士が密集して戦闘能力を失う」状況
が生まれました。
研究者も、ローマ軍の敗北について、情報不足・指揮判断・部隊配置などを重視しています。
ですから、「包囲戦術を真似したら必ず勝てる」わけではない。
ここがカンナエの重要な教訓です。
⑪ハンニバルは本当に
毒を飲んだのか?
これは非常に面白いところです。
結論から言うと、「毒を飲んだ」という説が最も一般的ですが、死に方の細部は確定できません。
ハンニバルは紀元前183年頃、ビテュニア王プルシアス1世のもとにいました。
ローマはハンニバルを危険人物として追跡していました。
ローマの使者として派遣されたのが、ティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌスです。
ハンニバルは逃亡しようとしました。
しかし、住居には複数の地下通路があったという伝承があります。
プルタルコスによれば、ハンニバルは地下道から逃げようとしましたが、出口が王の兵士によって塞がれていることを知りました。
そして自殺を決意します。
ここからが面白い。
古代史料には複数の説があります。
説① 毒
リウィウスの伝える説。
ハンニバルは毒を用意しており、それを飲んだ。
これが最もよく知られている説です。
説② 毒薬ではなく牛の血
別の伝承では、牛の血を飲んで死んだとも言われています。
これはテミストクレスなどの故事と結びついた伝説的要素が強い。
説③ 絞殺
プルタルコスが紹介する別説では、衣服を首に巻きつけ、奴隷に後ろから引っ張らせて絞殺したとされています。
したがって、「ハンニバルは奴隷に首を絞めさせて死んだ」と断定することはできません。
最も無難なのは、ローマに引き渡されることを避けるため自殺したことはほぼ確実だが、毒殺・絞殺など死に方の細部は古代史料間で一致していないという説明です。
そして、カンナエについて
一番面白いこと
今回の11個の質問を全部つなげると、実は一つの非常に重要なことが見えてきます。
カンナエは「包囲殲滅戦の必勝法」ではありません。
むしろ、敵の巨大な軍隊を、自分から逃げられない状態に誘導することに成功した、極めて特殊な成功例なのです。
カンナエでは、
ローマ軍の巨大さ

中央突破への自信

中央への過度な集中

カルタゴ軍中央の意図的後退

ローマ軍が深く入り込む

両翼からカルタゴ歩兵

背後からカルタゴ騎兵

ローマ軍が密集

自分の人数そのものが脱出を妨げる
という「連鎖」が起こりました。
だから、シュリーフェンも、奉天の日本軍も、ソ連軍も、ドイツ軍も、カンナエの形だけを真似れば同じ結果になるわけではない、ということです。
特にスターリングラードは非常に象徴的です。
ソ連軍は「第6軍の中央を正面突破して全滅させた」のではありません。
ドイツ軍の両側にいた弱い同盟軍を突破して、その後ろで包囲した。
つまり、「強い敵の正面を攻撃するのではなく、弱い部分を破って敵の逃げ道を奪う」というところがカンナエと共通しています。
そして、ハドリアノポリス、第一次マルヌ、スターリングラードを並べると、さらに重要な教訓が出てきます。
包囲する側が勝つとは限らない
包囲された側が脱出できるかどうかが決定的。
カンナエのローマ軍は脱出できなかった。
スターリングラードの第6軍も脱出できなかった。
一方、1914年のドイツ軍はマルヌで包囲殲滅を完成できず、逆に後退した。
だからこそ、「カンナエ」は軍事史上の完璧な美しい戦術であると同時に、何度も再現を試みられては失敗する、非常に危険な「夢」でもあったのだと思います。

なお、デンマンさんが今回挙げられたカンナエの兵力・損害についても、史料間にかなりの食い違いがあります。
たとえばポリュビオスはローマ軍の戦死者を約7万人とする一方、リウィウス系の数字はかなり違います。
現代研究では「8万人対4万人」という数字を文字通りの確定値として扱わず、古代史料の誇張・算定方法を考慮して幅を持たせるのが普通です。
ポリュビオス自身の記述でも、ローマ軍約7万人死亡、カルタゴ軍5,700人死亡という数字になっています。
そして何より驚くのは、アルプスを越えた時点では2万歩兵+6千騎兵程度だった軍隊が、ガリア人などを吸収しながら再編され、約2年後には約5万人規模の軍隊としてカンナエに現れていることです。
つまりハンニバルは、「4万人をアルプス越えさせた将軍」ではなく、むしろ「アルプス越えで半壊した遠征軍を、イタリアの現地勢力を取り込みながら再建し、ローマ軍と互角以上の軍隊に作り替えた将軍」と考えると、その凄さがかなりよく見えてきます。

解説ありがとうございました。近代戦にまで影響を与えたハンニバルの戦法はすごかったのですね。
でも、その影で象は大変な思いをしたようです。象は実際に役に立ちましたか?

はい。😁 象は「心理的・戦術的には役に立ったが、ハンニバル軍の勝敗を決めた主役ではなかった」と考えるのが一番妥当です。
①🐘1.カンナエでは、実は象は
ほとんど活躍していません
これは意外なところです。
紀元前216年のカンナエでは、ハンニバル軍の勝利を決定づけたのは、
ガリア・ヒスパニア歩兵による中央の柔軟な後退
アフリカ歩兵による両翼からの攻撃
ヒスパニア・ガリア騎兵によるローマ騎兵の撃破
騎兵によるローマ軍後方への回り込み
でした。
象が包囲を完成させたわけではありません。
そもそも、アルプスを越えた象の多くは、その後の寒さ・病気・栄養不足などで失われています。
🐘2.それでは、なぜハンニバルは
象を連れて行ったのか?
古代の戦象には、現代の戦車とは違う価値がありました。
一番大きかったのは、「敵に与える心理的衝撃」です。
ローマ兵の多くは象を見慣れていません。
巨大な動物が、
大きな音を出す
突進する
鼻を振り回す
背中に兵士を乗せている
わけですから、馬が驚いて騎兵隊が乱れる可能性があります。
特に古代戦では、騎兵の馬が象を恐れることが重要でした。
したがって戦象は、「敵兵を直接踏み潰す兵器」というより、「敵の隊列や馬を混乱させる特殊兵器」と考えた方が近いです。
🐘3.実際に役立った戦いもあります
有名なのがトレビア川の戦い(紀元前218年)です。
ハンニバルは象を含む軍隊を使い、ローマ軍を撃破しました。
ただし、ここでも象だけで勝ったわけではありません。
ハンニバルは、騎兵+伏兵+地形+象+ローマ軍の疲労を組み合わせています。
つまり、象はハンニバルの「一つの道具」だったわけです。
🐘4.ところが、象は非常に
維持費が高い
ここがデンマンさんのおっしゃる、「象は大変な思いをした」という話につながります。
まさにその通りです。😁
象は、巨大な兵站問題です。
一頭を維持するためには大量の食料と水が必要です。
さらに、
象使い
飼育係
獣医的な世話
移動経路
川を渡る設備
山道の確保
なども必要。
そして馬よりもずっと特殊な動物なので、戦争のために大量に運用するのは難しい。
アルプス越えなんて、まさに、「いったい誰がこんなことを考えたんだ?」というレベルです。😂
🐘5.しかも、ローマ人はすぐに
対策を覚えた
これも重要です。
ローマ軍は戦象に何度も遭遇するうちに、「象は恐ろしいが、無敵ではない」と学習しました。
たとえばザマの戦いでは、スキピオが象対策を準備しています。
ローマ軍の歩兵隊列に象が通り抜けられる間隔(通路)を設ける。
象が突進してきたら、正面から力で止めるのではなく、通路に誘導して、そのまま通り過ぎさせる。
さらにラッパなど大きな音を使って象を混乱させることも行われました。
そして、象の突進をかわした後にローマ軍が攻撃する。
つまり、一度見た「秘密兵器」は、秘密兵器ではなくなる。
これが戦争の恐ろしいところです。
🐘6.結局、象は
「役に立った」のか?
私はこう整理するのが一番分かりやすいと思います。
役割 評価
敵の心理的威圧 ◎
敵騎兵・馬への威圧 ◎
敵陣形の攪乱 ○
正面戦闘の主力 △
長期間の軍事運用 △〜×
アルプス越え 😱
カンナエの勝利への貢献 限定的
つまり、「役に立たなかった」わけではない。
しかし、「ハンニバルの勝利を生んだ秘密兵器だった」わけでもない。
むしろハンニバルの本当の武器は、敵の心理、地形、騎兵、歩兵、伏兵、偽装、情報を組み合わせて、敵に「自分から罠の中へ入らせる」能力だったと思います。
そしてカンナエを見ると、それがよく分かります。
象なしでもハンニバルはカンナエに勝った可能性が高い。

しかし、騎兵なしでは、あの包囲殲滅はほぼ不可能だったでしょう。
ですから、ハンニバル軍を支えた動物を重要度で考えると、意外にも、象より「馬」のほうが圧倒的に重要だったと言えます。
そして、アルプス越えで苦労した象たちの中から最後まで生き残った有名な象が「スルス(Surus)」です。
なんとも皮肉なことに、ハンニバル本人が歴史上の英雄として後世まで語り継がれる一方で、何千kmも一緒に旅をした象たちは、ほとんど記録に残っていないんですよね。🐘
このあたりは、ハンニバルという人物を「天才的な軍事指揮官」というだけでなく、古代の巨大な遠征軍をどうやって維持したのかという兵站の視点から見ると、さらに面白くなります。
象が本当に可哀想ですわァ〜。。。スルスしか生き残らなかった。。。スルスにノーベル平和賞をあげたいですわァ〜。😁😁😁😁😁

それにしても、象を使うなんて、とんでもないことですよ。。。初めて象を見たイタリア兵はビックリしたでしょう。。。腰を抜かしたかもしれませんよ。。。
象は戦争に使うべきではありませんわ。。。動物園だけで大切に飼われるべきです。。。

(laugh16.gif)

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【卑弥子の独り言】
(himiko22.gif)
ですってぇ~。。。
あなたも、象を戦争に使うなんて考えられないでしょう?
象が可哀想ですわァ〜。。。
ええっ。。。「そんな事は、どうでもぃいから、他にもっと面白い話をしろ!」
あなたは、そのような命令口調で あたくしにご命令なさるのでござ〜ますかァ〜?
いけすかないお方ァ〜。。。
わかりましたわァ。。。それでは、デンマンさんのインスタを紹介しますわァ〜。。。

(instahome26-05-15c.jpg)
写真をクリックしてボサノヴァやサンバの曲に合わせて踊る、きれいで可愛い女の子をじっくりとご覧くださいませぇ〜。。。
もし、ボサノヴァやサンバの曲が聞こえてこなかったら、動画の右下の「無音」のマークをクリックすれば、解除することができ、ボサノヴァやサンバの曲を聴くことができます。
ええっ。。。 「そんな踊りは、そうでもいいから、他にもっと楽しい話をしろ!」
あなたは、更に そのような命令口調で あたくしに強要するのでござ~ますわねぇ~。。。
分かりましたわぁ。。。 では、ちょっと次のクリップを見てくださいなァ。。。
思わず笑ってしまいますわ。。。

(dog807.jpg)
ええっ。。。? 「犬や猫のことは どうでもいいから他のもっと面白い話をしろ!」
あなたは、更に あたくしに そのような強い口調でご命令なさるのでござ~ますかァ~?
分かりましたわァ~。。。
あなたが、そうおっしゃるのならば、あたくしの個人的なお話しをいたしますわァ。
実は、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”が殿方の注目を集めているのでござァ~ますわよう。
うふふふふふふふ。。。
ええっ。。。 信じられないのでござ~ますかァ?
じゃあ、ちょっと次の検索結果を見てくださいまし。。。
(gog60409a.png)
「卑弥子 ヴィーナスのえくぼ」と入れてGOOGLEで検索する殿方が多いのでござ~ますわァ。
つまり、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”を目当てにやって来るのですわァ~。。。
うふふふふふふ。。。
あなたも、ビックリするでしょう?
ジムで汗を流して “ヴィーナスのえくぼ”をゲットいたしました。。。
(buttdimp5.jpg)
スタイルもよくなったのでござ~ますわァ~。。。
(curtain5.jpg)
いかがでござ~ますか?
でも。。。、でも。。。、“天は二物を与えず”と申します。。。
これほどスタイルが良くなったというのに、あたくしは未だに独身でござ~ますのォ。。。
世の中は、なかなか思うようにゆかないものですわァ~。。。
ところで、あなたは『万夜一夜物語』を読んだことがござ~ますかァ~?
“千夜一夜物語”ではなくてぇ、“万夜一夜物語”ですわ。
(manya02.jpg)
デンマンさんが書いたのでござ~ますわよう。
ええっ。。。 10,001の話が書かれているのかってぇ~。。。?
とにかく、上のリンクをクリックして読んでみてくださいませぇ~。。。
あなたも、絶対にビックリするようなお話が出てきますわァ。
『万夜一夜物語』だけでは、物足りないのでしたら、
ジューンさんが登場する面白いお話もたくさんあります。
興味のある方は、どうか次のリンクをクリックして読んでくださいましねぇ~。。。
(roten101.jpg+cleoani.gif)
■『慫慂』

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(malata019c.jpg)
(sylvie122.jpg)
とにかく、次回も興味深い記事が続きますわ。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。

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(chiwawa5.gif)
こんにちは。ジューンです。
スパムメールが相変わらず多いですわよね。
あなたのメールボックスにも、
ジャンクメールがいっぱい入っているでしょう!?
スパムメールを飛ばしているのは
いったい、どういう人たちなのでしょうか?
出会い系サイトのオーナーたちが多いそうですわ。
彼らは会員を集めるためにスパムメールをばら撒きます。
そのためにメールアドレスのリストを購入しています。
では、そのようなリストを販売している人は
どうやってメールアドレスを集めているのでしょうか?
ロボット(自動巡回プログラム)によって
自動収集させているのです。
ところで、サーチエンジンの自動巡回ロボットは
毎日世界中のサイトを訪問し、
その内容をデータベースに書き込んでいます。
同じように、このメールアドレス収集巡回ロボットも、
HTMLソースを分析し、
メールアドレスらしきものをどんどん記録してゆきます。
でも、使っていないメールアドレスが
たくさんあるのですよね。
あなたの使っているメールアドレスのことを
考えてください。
あなたはメールアドレスをいくつ持っていますか?
一つだけではないでしょう?
10以上持っているのではありませんか?
多分、ほとんどのメールアドレスは使ってないでしょう?
そのために、現在実際に使っている
メールアドレスを集めるために、
怪しい人物が使用度の高いメールアドレスを
集めているのですわよ。
だから、あなたもむやみに信用できない人に対して
返信しないようにしてくださいね。
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