2026年10月11日日曜日

アヘン王・里見甫


 
アヘン王・里見甫


 





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デンマンさん。。。、 アヘン王・里見甫(さとみ はじめ) という人は、いったい いつの時代の人ですかァ〜?



満州国が存在していた1930年代に活躍した人ですよ。。。


どうして、そんな昔の人を取り上げるのですかァ?


つい最近、次の動画を観たのですよ。。。


 



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里見甫(さとみ はじめ)は、1896年(明治29年)1月22日に生まれた。
日本のジャーナリスト、実業家。
昭和通商などと連帯してアヘン取引組織である里見機関を設立し、阿片王と呼ばれた。


1916年5月東亜同文書院を卒業後、青島の貿易会社である平岡商会に一時勤務するが退社し、帰国して東京で日雇い労働者となる。
1919年8月、同文書院の後輩である朝日新聞北京支局の記者であった中山優の計らいで、橘樸が主筆を務める天津の邦字紙である京津日日新聞の記者となる。


1922年5月第一次奉直戦争に際して張作霖との単独会見を行っている。
1923年6月、京津日日新聞の北京版として北京新聞が創刊されるとその主幹兼編集長に就任する。


ここでの新聞記者活動を通じて、関東軍の参謀であった板垣征四郎や石原莞爾と知り合い、中国国民党の郭沫若と親交を結び、蔣介石との会見を行うなどして、国民党との人脈も形成された。


1928年5月の済南事件では、日本軍の建川美次少将、原田熊吉少佐、田中隆吉大尉から国民党との調停を依頼され、2ヶ月にわたる秘密工作の末、国民党側との協定文書の調印を取り付けた
。


1928年8月、南満洲鉄道(満鉄)南京事務所の嘱託となり南京に移る。
ここで、国民政府に対し満鉄の機関車売り込みに成功するなどの業績をあげている。


1931年9月、満洲事変が勃発すると、同年10月関東軍で対満政策を担当する司令部第4課の嘱託辞令を受けて奉天に移り、奉天特務機関長土肥原賢二大佐の指揮下で、甘粕正彦と共に諜報、宣伝、宣撫の活動を担当する。


これらの活動を通じ、中国の地下組織との人脈が形成された。
また、司令部第4課課長松井太久郎の指示により、満洲におけるナショナル・ニュース・エージェンシー(国家代表通信社)設立工作に務め、陸軍省軍務局課長鈴木貞一の協力のもと、新聞聯合社(聯合)の創設者岩永裕吉や総支配人古野伊之助、電通の創業者光永星郎との交渉を行い、1932年12月、満洲における聯合と電通の通信網を統合した国策会社である満洲国通信社(国通)が設立され、初代主幹(事実上の社長)兼主筆に就任する。


1933年5月、聯合上海支局長であった松本重治に、ロイター通信社極東支配人であり、後に同社総支配人(社長)となるクリストファー・チャンセラーとの交渉の斡旋を依頼して、交渉の末ロイターとの通信提携契約を結び、国通の名を国際的に印象付けた。1935年10月、国通を退社し、同年12月関東軍の意向により、天津の華字紙「庸報」の社長に就任する。


1936年4月から阿片事業に参加。1937年11月に上海に移り、参謀本部第8課(謀略課)課長影佐禎昭に、中国の地下組織や関東軍との太い人脈と、抜群の中国語力を見込まれ、陸軍特務部の楠本実隆大佐を通じて特務資金調達のための阿片売買を依頼される。


1938年3月、阿片売買のために三井物産および興亜院主導で設置された宏済善堂の副董事長(事実上の社長)に就任する。
ここで、三井物産・三菱商事・大倉商事が共同出資して設立された商社であり実態は陸軍の特務機関であった昭和通商や、中国の地下組織青幇や紅幇などとも連携し、1939年上海でのアヘン密売を取り仕切る里見機関を設立。


ペルシャ産や蒙古産の阿片の売買によって得た莫大な利益を関東軍の戦費に充て、一部は日本の傀儡であった汪兆銘の南京国民政府にも回した。


 



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また、関東軍が極秘に生産していた満洲産阿片や、日本軍が生産していた海南島産阿片も取り扱っている。


この活動を通じて、青幇の杜月笙、盛文頤や、笹川良一、児玉誉士夫、吉田裕彦、岩田幸雄、許斐氏利、阪田誠盛、清水行之助らとの地下人脈が形成された。


1943年12月、宏済善堂を辞し、満鉄と中華航空の顧問となる。
1945年9月、帰国し京都や東京に潜伏するが、1945年12月、民間人第一号のA級戦犯容疑者としてGHQにより逮捕され、巣鴨プリズンに入所する。


1946年9月、極東国際軍事裁判に出廷して証言を行い、同月不起訴となり無条件で釈放される。


その後、東京都渋谷区の渋谷峰岸ビル(現在のQFRONT)に日本商事(医薬系企業の日本商事とは無関係)を構え、代表に就任する。
戦後は、祖神道本部の熱心な信者となった。


1965年3月21日、自宅で家族と歓談中に突如心臓麻痺に襲われ急死。享年70。
千葉県市川市国府台の里見公園に隣接する總寧寺にある里見の墓の墓碑銘「里見家之墓」は、岸信介の揮毫である。


「里見は、電通が今のような広告会社になったきっかけを作った一人である」とした佐野眞一の一文がある。
電通通信史刊行会の「電通通信史」 (1976; 以下『電通史』と略す) によると現在の広告代理店の電通は光永星郎を創業者とする「日本電報通信社」という通信社に始まっている
。


光永は日清戦争で従軍記者だった経験をもつが、戦場から記事を書いても新聞が記事を掲載しなかったり、掲載しても時間が遅いなどに不満をもち自ら通信社を興し日本中の新聞に迅速にニュースを送るという大望を抱いた 。


御手洗辰雄の「新聞太平記」 (1952; 以下『太平記』と略す) では、光永が通信社経営のために苦心した様子が描かれている。
光永はニュースを新聞社へ売ったとしてもそれだけでは経営が立ち行かないと考え、全国の新聞の広告欄について広告主と新聞の仲介者として手数料を取る広告代理店の業務を兼業し、ニュース配信と金銭の流れとしては相殺するアイデアに至る。


通信社が広告代理店となったのはこれが最初ではなくフランスのアヴァスにも例があり、国内でも光永が最初ではない。
しかし新聞市場を科学的に研究した光永は「新聞年鑑」を発行するなどプランを実現化する。


月間の広告取扱高は150万円、日本の新聞広告の7割を掌握し、株主配当7分という優良企業に成長した電通は銀座の顔となった8階建ての自社ビルを建てる (『電通史』)。
ただし、同時に新聞の部数を把握して新聞社の生命線である広告単価を握っていた電通のやり口は周囲の反感をもたれていたとする見方もある (『太平記』)。


新聞と広告の二本柱で「国を代表する通信社」となった電通を広告のみと分割させたのは、情報局を背景とする国家代表通信社「同盟通信社」の創設である。


これを電通のライバルである「新聞連合社」の古野伊之助の策謀にあると見る者がある。
駄場裕司は『後藤新平をめぐる権力構造の研究』 (2007) で、同盟通信社設立を取り上げた朴順愛「『十五年戦争期』における内閣情報機構」(『メディア史研究』第3号、1995)についてその硬直性に言及しているが、現在は広く以下の観点が一般的である。


即ち、戦前の日本の新聞社は外国からのニュースを通信社から得ていたが、古野は国家の中枢に働きかけ外国から情報を得る通信社を一元させようとして電通を切り崩しにかかったとする見方である。
これは国家の情報統制と歩みを一つにしているとする見方である。
このステップとなったのが満洲における電通勢力の排除であり、その結果として「満洲国通信社」は創設されたとする見方である。


関東軍は当初、満洲国通信社を里見ではなく陸軍の長老である高柳保太郎に任せようとしていた。
時代遅れの高柳にさせられないと現地の佐々木健児が本庄繁に推薦したのが兄事していた里見であった。


里見はこれにより初代主幹となる。ちなみに里見の役職は組織が曖昧なため主幹という名称となっている。


ただし古野と里見の意図した点はそれだけではなく、強力な単一の通信社を作らせて通信網を独占させ、さらに満洲における新聞資本を1つにまとめあげ、そのうえで単一通信社と単一新聞社を包括したメディア機関を作る点にあった。


日本における新聞統合の実験場としての「満洲弘報協会」が設立される。
古野と里見はそれぞれ関東軍に「満洲弘報協会設立要綱」「満洲弘報協会設立に関する意見」という論文を提出した。


しかし里見は国通を離れ(1936.3.31)、満洲弘報協会の理事長に高柳(1936.9.28〜1937.6.30)となると、高柳は当初の構想の意味をまったく理解できず、古野は国通の社長と弘報の理事長は兼任とさせて元朝日新聞の森田久を据えた。


『国通十年史』では本庄に創設に関する研究を指示された里見だが、通信社と国内の情報機関についての内情が不明なため、1932年に来日した際に面識のあった大阪の能島進 (電通支社長) に説明をもらった上で白鳥敏夫、鈴木貞一、上田碩三、古野伊之助と面談して組織の基盤作りにも松本重治の協力を求めたとしている。




出典: 「里見甫」『ウィキペディア』


 



満洲や中国でアヘン売買によって莫大な利益を生み、それを陸軍の軍資金に回していたのですわねぇ〜。。。



そうなのです。。。自分の懐をあたためるというよりも中国や満洲で行動を起こす軍隊や情報機関のための軍資金を提供していたらしい。。。


いわば、お国のために悪事を働いていたのでござ〜ますわねぇ〜。。。


そういうことですよ。。。他にも質問があったので ChatGPT に尋ねてみました。


 




『アヘン王・里見甫』という上のYouTubeドキュメンタリー動画を観ました。
ここで質問です。


① アヘン売買で里見は私腹を肥やさなかったと言われるが、それは事実なのか?


② 1946年9月、極東国際軍事裁判に出廷して証言を行い、同月不起訴となり無条件で釈放される。この裏ではアメリカとの取引があったのでは? つまり、国際的なアヘン売買の秘密ルートなどの情報をアメリカは欲しかった。それと引き換えに不起訴にした。本来なら、里見は戦争を金銭的、人脈的に支えた黒幕です。起訴されて当然なのです。 この不起訴に関しては、731部隊の石井中将の例がある。


③ 里見は、電通が今のような広告会社になったきっかけを作った一人である、というのは事実なのか?


④ 里見は戦後、祖神道本部の熱心な信者となったが、帰国してから暗躍しなかったのか? それはなぜか? 笹川良一や児玉誉士夫たちは、戦後も暗躍しているが…。


⑤ 戦前のフィクサーの辻嘉六がドキュメンタリーには登場しないが、里見と辻嘉六との結びつきはなかったのか?


⑥ 里見と岸信介は強い絆で結ばれていた。里見の墓の墓碑銘「里見家之墓」は、岸信介の揮毫である、ことからも明らかである。戦後、岸信介はCIAから相当の政治資金を受け取っているが、この関係の発端は里見が不起訴になったときのアメリカとの取引が元になっているのではないか?


⑦ 青幇のの首領・杜月笙とは、どのような関係を築いたのか? その関係は、里見をどのような利益をもたらしたのか?


⑧ 盛文頤とは、どのような人物なのか? 里見は、盛文頤を通じてどのような得をえたのか?


⑨ 参謀本部第8課(謀略課)課長影佐禎昭の中国での権力・支配力はどの程度のものだったのか?



非常に重要な9点です。この人物を調べると、単純に「悪徳なアヘン商人」と見るだけでは足りません。むしろ里見甫は、日本陸軍・満洲国・通信社・中国の地下社会・アヘン資金・戦後の保守人脈をつなぐ「結節点」として見ると、かなり全体像が見えてきます。


ただし、ここでは特に重要なので、確認できる事実と、史料からはまだ断定できない推測を分けて回答します。


 



①「アヘン売買で里見は


 私腹を肥やさなかった」は

 本当か?


結論から言うと、「私腹を肥やさなかった」という評価には一定の根拠がある。


しかし、「アヘン利益を一切自分のために使わなかった」とまで証明されているわけではありません、というのが妥当です。


この「私腹を肥やさなかった」という人物像は、主として佐野眞一『阿片王』の取材・証言に基づくものです。


佐野の著作について紹介した書評でも、里見について「金離れのよさ」「私腹を肥やさない清潔さ」が繰り返し描かれているとされています。


一方、重要なのは、里見がアヘン事業を個人商売としてやっていたわけではないことです。


宏済善堂は表向きは慈善・商業組織でしたが、実際にはアヘン流通を扱う組織で、里見は副董事長、しかも実権を握っていました。


中国側の研究では、投資者や組織の構造、そして里見側の日本人会計監督の存在まで確認されています。


つまり、アヘンを売る → 巨額の現金が生じる → それを軍・特務工作・傀儡政権などへ流すという「機密資金システム」の一部だったわけです。


したがって、里見が私腹を肥やさなかったとしても、「無私の人物だった」ことにはなりません。


むしろ、「自分の財産にするより、軍事・謀略資金として動かすことを優先した人物」と考えるほうが正確でしょう。


② 東京裁判で不起訴になったのは


 「アメリカとの取引」だったのか?


ここは非常に面白いところです。


私は、「何らかの情報提供・協力が釈放に影響した可能性」は十分考えられるが、「アメリカが国際アヘン・ルートの情報と引き換えに不起訴にした」と断定できる史料は、現時点では確認できないと考えます。


里見は1945年12月にA級戦犯容疑者として逮捕され、その後、1946年9月に東京裁判で証言しています。


昭和館の資料にも、東京裁判関連の田中隆吉尋問資料として、「里見甫と福家俊一」「影佐禎昭」「天津の阿片・麻薬状況」「汪精衛政府への三億円借款と阿片」「阿片・麻薬収入の銀行預け入れ」「児玉誉士夫」などが並んでいます。


これは非常に重要です。


つまり連合国側が、里見 → 阿片 → 軍資金 → 中国地下組織 → 日本陸軍特務機関というネットワークにかなり関心を持っていたこと自体は疑いにくい。


ただし、「里見がCIAなどに秘密情報を提供した」



「その代償として不起訴」という一本の取引を示す一次史料は、今回確認した範囲では見つかりません。


石井四郎との比較


ここはデンマンさんの指摘が非常に鋭いところです。


731部隊の石井四郎については、米軍が人体実験データを入手する代わりに訴追を回避した、という歴史研究上かなり重要な問題があります。


したがって、「戦争犯罪容疑者の免責と情報交換」という米占領政策そのものは、里見について検討するうえで十分に重要な比較対象です。


ただ、石井=情報提供と免責の関係がかなり具体的に研究されているのに対して、里見=アヘン情報提供と免責については、現在のところ同じレベルの証拠がありません。


ですから私は「かなり怪しい」と感じる余地は認めますが、歴史的事実としては、「GHQに有用な情報を提供した可能性がある」までに留めるのが安全だと思います。


③里見は電通が現在の広告会社


 になったきっかけを作った

 それは事実か?


これは、かなり重要な意味で事実。ただし「里見一人が電通を広告会社にした」という意味ではないです。


ここは動画の説明を少し整理したほうがよいでしょう。


1932年、里見は満洲における国家代表通信社設立工作を進め、聯合と電通の通信網を統合した満洲国通信社を作りました。


新聞通信調査会の資料にも、1932年12月の国通創設と里見が初代主幹だったことが確認できます。


そして1936年、


電通の通信部門 → 同盟通信社


電通の広告部門 → 電通


という分割が行われました。共同通信社の通信社史にも、1936年6月に「電通の通信部門が同盟に、同盟の広告部門が電通に統合」と記録されています。


したがって、通信社+広告代理店だった電通



通信部門を同盟へ



広告専門会社としての電通という流れです。


そして満洲における電通・聯合の統合実験=国通は、その大きな前段階の一つでした。


ですから、「里見は現在の電通の直接の創業者」ではありません。


しかし、「里見が満洲で国家統制型の通信社を作る仕事に関わり、それが日本の通信統合・電通の通信部門分離という大きな流れの一部になった」という意味なら、かなり重要です。


ここは里見の意外な側面ですね。


アヘン王であると同時に、情報統制システムの構築者でもあった。


④ 戦後の里見はなぜ「児玉・笹川」


 のように暗躍しなかったのか?


ここは非常に興味深いです。


確認できる資料では、里見は戦後、日本商事を経営し、祖神道の信仰に入ります。


戦後も満洲・上海時代の人脈を完全に失ったわけではありませんが、児玉誉士夫や笹川良一ほど政治的に前面へ出ていません。


そして、これはかなり重要な違いです。


児玉・笹川は戦後、


戦前の地下人脈



右翼・財界・政治家



反共産主義



米国・CIA



自民党政治


という新しいネットワークへ転換していきます。


一方、里見はそれをしなかった。


佐野眞一の『阿片王』についての書評にも、里見は戦後社会と満洲人脈との関係を追うことなく、表に出ずに20年間を生きた、という評価があります。


私はここに、里見という人間の性格が出ていると思います。


彼は政治家になりたかったのではなく、「人脈を使って裏で仕事をすること」そのものを生業としていたのではないでしょうか。


そして戦後日本では、彼が最も得意としていた「中国大陸の地下世界を利用する謀略」の市場そのものが消滅しました。


だから、


児玉=戦後型フィクサーへ転換


笹川=右翼・国際人脈へ転換


したのに対し、里見=大陸型フィクサーのまま戦場と一緒に消えた、と考えると分かりやすいです。


⑤ 辻嘉六との関係は?


ここは面白いのですが、明確な直接関係を確認できる史料は見つけられませんでした。


辻嘉六は非常に重要な人物です。


辻は政友会系の有力な後援者であり、日満実業を創設し、日本化学産業の代表を務め、孫文や黄興など中国革命家にも資金援助した人物です。


戦前から政界の「黒幕」的存在として活動していました。


つまり、


辻嘉六=政界・財界・中国革命人脈


里見甫=新聞・軍・満洲・中国地下組織・アヘン人脈


です。


両者とも「大陸」「政界」「地下人脈」という領域にいたので、接触していても不思議ではありません。


しかし、「里見と辻が共同してアヘン事業を行った」とか、「里見機関の資金を辻が管理した」といった直接的な関係を示す証拠は、今回の調査では確認できませんでした。


したがって、ここは「ありそうだが、証拠不足」として保留するべきでしょう。


⑥ 里見―岸信介―CIAという線は


 つながるのか?


ここは今回の9問の中で、最も慎重に扱う必要がある部分です。


まず、岸信介と里見の関係が存在したこと自体にはかなり強い状況証拠があります。


里見の死後、遺児の奨学基金の発起人には、岸信介、佐藤栄作、児玉誉士夫、笹川良一などが名を連ねていました。


さらに墓碑に岸の揮毫があることも知られています。


しかし、


里見



GHQとの取引



岸信介



CIA


という一本の線を証明する史料はありません。


ただし「岸とCIA」は


別問題として事実


こちらは非常に重要です。


米国の外交史料によって、1950年代後半から60年代初頭にかけてCIAが日本の保守政治勢力に秘密資金を提供していたことは確認されています。


1958年選挙前からの秘密資金・選挙支援計画が記録されています。


したがって、岸信介 ↔ CIA は歴史的に十分検証可能なテーマです。


しかし、里見 ↔ GHQ ↔ 岸 ↔ CIA となると、現在のところ一段階飛躍しています。


私なら、「人的ネットワークの連続性は疑う価値があるが、資金・情報の連続性については証拠が不足している」と評価します。


これはかなり重要な区別です。


⑦ 杜月笙との関係


ここも非常に重要です。


杜月笙は上海の青幇を代表する巨大な地下社会のボスでした。


里見にとって青幇は、「日本人だけでは到底構築できない上海のアヘン流通網への入口」でした。


日本軍が上海を占領したからといって、日本人が中国社会の奥深くまで自由にアヘンを流通させられたわけではありません。


そこで必要だったのが、中国人の地下組織です。


ところが杜月笙は単純な「日本軍の協力者」ではありません。


むしろ彼は、


国民政府
上海租界
青幇
金融界
外国人
日本側


を巧みに利用する独立した権力者でした。


実際、里見側が杜月笙を利用しようとした時期には、杜月笙が重慶へ逃れてしまい、里見側の期待通りにはならなかったという資料もあります。


つまり、里見が杜月笙を支配したという理解は間違いです。


むしろ、里見と杜月笙は、互いに利用価値を認め合う可能性がある巨大な地下人脈同士だったと考えたほうがいいでしょう。


⑧ 盛文頤とは何者だったのか?


こちらはさらに面白い人物です。


盛文頤は、清末の大実業家・盛宣懐の一族で、上海の青幇社会とも深く結びついていました。


中国側の研究資料によると、1938年の宏済善堂では盛文頤が表向きの経営者となっていましたが、実権は里見と日本側にあったとされています。


これは非常に興味深い構造です。


役割分担


里見→ 日本軍・特務機関との接続


盛文頤→ 中国人社会・青幇との接続


日本人会計担当→ 金銭管理


青幇・紅幇→ 流通・販売


という構造です。


つまり盛文頤は、「中国社会における里見の現地側インターフェース」だったと見ることができます。


そして盛文頤が持っていた祐華塩公司などの既存の商業ネットワークも、アヘン以外の商流・資金移動に利用できる可能性がありました。


ここで重要なのは、里見が「アヘンを売る人」だったというより、日本軍と中国地下社会を接続するブローカーだったことです。


だからこそ価値があった。


⑨ 影佐禎昭の中国における権力は


 どの程度だったのか?


これはかなり大きかったです。


影佐禎昭は1937年に参謀本部第二部第八課、いわゆる謀略課の初代課長となりました。


明治大学の資料でも、影佐は「頭脳明晰、中国通」とされ、汪兆銘を担ぎ出す工作の中心人物だったと説明されています。


ただし、「中国全体を支配していた」と考えると過大評価です。


実態はもっと複雑です。


影佐が強かったのは、正規軍の指揮権ではなく、謀略・特務・政治工作・情報工作の領域でした。


特に重要なのが、


① 汪兆銘工作:蒋介石政権のナンバー2だった汪兆銘を日本側へ引き込む。



② 梅機関:上海に工作機関を設置。



③ 汪兆銘政権:日本が中国に作ろうとした傀儡政権の政治工作。



④ 76号などの特務機関:中国側の地下組織を利用し、反日勢力を弾圧


という流れです。


明治大学の資料でも、影佐機関が汪兆銘を担ぎ出す謀略を行ったことが確認されています。


さらに影佐は里見を使ってアヘン工作を行ったとする資料もあります。


したがって、影佐は「中国を直接統治する最高権力者」ではないが、中国における日本軍の政治・諜報・謀略ネットワークを動かす非常に重要な司令塔の一人
だった、と見るのが適切です。


そして、9つを一本につなげると…


私は今回の資料を見て、里見甫という人物の本質は、「阿片王」という呼び名だけでは説明できないと思います。


むしろこういう構造です。


日本陸軍・関東軍
    │
    ▼
  影佐禎昭
    │
    ├────→ 汪兆銘工作
    │
    ├────→ 中国地下組織
    │
    ▼
   里見甫
    │
 ┌───┼──────┐
 ▼  ▼     ▼
青幇 紅幇 中国実業界
 │  │     │
 ▼  ▼     ▼
杜月笙 地下組織  盛文頤
    │
    ▼
  アヘン流通
    │
    ▼
  莫大な資金
    │
 ┌───┼─────┐
 ▼  ▼    ▼
関東軍 特務工作 汪兆銘政権


そして別系統に、


里見
│
▼
満洲国通信社
│
▼
情報統制
│
▼
聯合+電通
│
▼
同盟通信社
│
▼
電通=広告専業


という情報ネットワークがあります。


さらに戦後になると、


  満洲・大陸人脈
     │
 ┌────┼───┐
 ▼   ▼   ▼
岸   児玉  笹川
 │   │   │
 └────┼───┘
     ▼
   戦後保守政治
     │
     ▼
     CIA


という別のネットワークが出てきます。


ただし、最後の「里見→GHQ→岸→CIA」については、現段階では点線で結ぶべきでしょう。


私が最も注目するのは「アヘン」そのものではありません


今回の里見甫を調べていて一番興味深いのは、アヘンが「麻薬」だっただけでなく、「国家の秘密資金」を生み出す装置になっていたという点です。


しかも、その資金が、


軍事
→ 諜報
→ 政治工作
→ 中国地下組織
→ 情報機関
→ 通信社
→ 戦後の人脈


へと流れていく。


だから里見を単なる「アヘン王」として見るより、「日本帝国の非公式な資金・情報・人脈ネットワークを媒介したフィクサー」と見るほうが、本質に近いと思います。


そしてデンマンさんが指摘された岸信介との関係は、このネットワークの「戦前→戦後」の連続性を考えるうえで非常に重要です。


ただし、ここは陰謀論的に一本の線を引いてしまうより、「確認された人脈」「確認されたCIA資金」「まだ証明されていない資金・情報の連結」の三層に分けて調べるのが一番面白いと思います。



 



なお、里見と電通については、新聞通信調査会・共同通信系の史料によって、満洲国通信社から電通通信部門の同盟移管までの大枠はかなり確実に確認できます。


特に次に掘る価値があるのは、「里見甫が東京裁判で実際に何を証言したのか」です。


ここには、アヘン資金が誰に渡り、どの機関が管理し、どこへ送金されたのかという、今回の①②⑥を直接つなぐ手掛かりが残っている可能性があります。


昭和館の資料にも、阿片収入の銀行預金や汪兆銘政権への資金などが尋問項目として残っています。


これはかなり興味深い「昭和史の闇」の核心部分だと思います。



分析・解説、ありがとうございました。戦前から戦後へと暗躍の歴史は岸信介、笹川良一や児玉誉士夫に受け継がれている。岸信介は、「昭和の妖怪」と呼ばれているほどです。



まさに、その見方にはかなり重要なポイントがあります。


ただ、私は「里見の暗躍がそのまま岸・笹川・児玉に受け継がれた」と一括りにするより、戦前の人的ネットワークや反共産主義という政治的枠組みが、敗戦後に別の形へ再編されたと見るほうが歴史的には正確だと思います。


特に興味深いのが岸信介です。


「昭和の妖怪」という呼び名の意味


岸は単なる「戦前の軍国主義者が戦後に政治家へ転身した人物」ではありません。


彼は満洲国で、産業政策・統制経済・官僚機構を実際に動かした経験を持っています。


そして戦後には、その経験を持った人々の一部が、反共・経済復興・保守政治という新しい政治的文脈の中で再登場しました。


ここが非常に重要です。


つまり、戦前の国家総動員体制 → 敗戦 → 占領政策 → 冷戦体制 → 戦後保守政治という「大きな環境の変化」の中で、人脈や経験の一部が再利用されたわけです。


岸自身もA級戦犯容疑者として拘束されたものの起訴されず、1952年の公職追放解除後に政界へ復帰します。


そして1957年には首相になります。


この経歴だけを見ると、「なぜ戦前の国家指導層の一人が、わずか十数年後には戦後日本の首相になれたのか?」という、非常に大きな歴史問題が浮かび上がります。


そして児玉・笹川は、さらに興味深い。


児玉誉士夫や笹川良一も戦時中の経歴を持ちながら、戦後は反共産主義という新しい政治的価値観の中に入り込んでいきました。


ここで戦前と戦後をつなぐものとして、


満洲・中国大陸で形成された人的ネットワーク
軍・官僚・財界との関係
右翼・国家主義者のネットワーク
中国・台湾との人脈
反共産主義
政治資金
非公式な政治活動


などが重要になります。


ただし、これは「戦前の秘密組織がそのまま戦後も存続した」という単純な話ではありません。


むしろ、


戦前の人脈



1945年の敗戦



GHQによる選別・拘束・釈放



冷戦開始



反共勢力として再編



自民党を中心とする戦後保守政治


という再編過程として見るべきでしょう。


だから「里見甫」が面白いのです


先ほどの話に戻ると、里見はこの「戦前→戦後」の境界線に立っている人物です。


里見の場合、中国地下社会・軍・特務機関・通信社・アヘン資金という、戦前の帝国日本特有のネットワークを持っていました。


ところが戦後になると、そのネットワークのかなりの部分が不要になります。


一方、岸・児玉・笹川には、それぞれ異なる形で戦後日本における活動領域がありました。


だから私は、里見が戦後に表舞台から消えたこと自体が、むしろ興味深いと思います。


彼が「戦後に何もしなかった」のか、それとも何らかの理由で表舞台に出る必要がなくなったのか。


これはまだ研究する価値があります。


そして、デンマンさんが先ほど指摘された、里見の墓碑銘を岸信介が揮毫したという事実は、少なくとも両者の間に戦後まで続く何らかの人的つながりがあったことを考えさせます。


ただし、それだけで「里見→岸→CIA」という秘密の連続性を証明することはできません。


そして「昭和の妖怪」という岸の異名は、単なる悪口ではなく、戦前の満洲国経営者が戦後の民主主義国家の首相として復活したことに対する、当時の人々の強烈な違和感を象徴しているように思います。


この観点から見ると、里見甫、岸信介、児玉誉士夫、笹川良一を個別に調べるより、


「満洲人脈は1945年を境にどう再編されたのか?」


という一本のテーマで追ったほうが、はるかに面白い昭和史が見えてきます。



 



裏の社会を眺めるとマジで面白いですわねぇ〜。



そうです。。。731部隊の石井中将が戦犯にならなかったのは、アメリカ軍に人体実験のデータを渡したからですよ。。。里見甫が戦犯にならなかったのもアメリカ軍と取引があったに違いないのですよ。。。


でも、ChatGPTは「アメリカが国際アヘン・ルートの情報と引き換えに不起訴にした」と断定できる史料は、現時点では確認できない、と言ってますわァ。。。


証拠が隠滅されているのですよ。。。


そうかしら?


里見甫と岸信介・元首相とのつながりも興味深い。。。岸元首相はCIAともつながりがある。。。そう考えれば、里見甫とアメリカ軍との関係も見えてくるのですよ。。。


裏社会でつながっているのですわねぇ〜。。。


そうです。。。そういうことは歴史の教科書には書いてないのですよ。。。



(laugh16.gif)



【卑弥子の独り言】



 


ですってぇ~。。。


歴史の教科書に書いてあることは表の社会のことだけなのですわねぇ〜。。。


あなたも、裏社会のことを探ってくださいねぇ〜。。。


歴史は勝者が書いたものですわァ〜。。。


勝者にとって都合の悪い事は書かないものですわァ〜。。。


ええっ。。。「そんな事はどうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」


あなたは、そのような強い口調で あたくしに御命令なさるのでござ~ますかァ~?


分かりましたわ。。。


デンマンさんが10年以上も前にアンケートを作りました。


 



(wp91228.gif->june21-11-29.jpg->art09-12-26.jpg)



■『拡大する』


■『もう一度クリスマスのページ』


 


上のリンクをクリックすると、


左側のサイドコラムにたくさんの質問が出てきます。


ひとつひとつ見ながら ぜひアンケートに答えてみてください。


じゃあ、また。。。





ィ~ハァ~♪~!


メチャ面白い、


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こんにちは。ジューンです。


“本音と建前”


よく聞きますよね。


さて、英語で何と言うのでしょうか?


考えてみた事がありますか?


いろいろと言い方があると思います。


appearance and reality


見かけと実物そのまま


これも本音と建前と言い換えることができますよね。


form and substance


外観と実体


これも本音と建前と同じですよね。


one's real intention and


what one says on the surface


本音と建前を説明しているのですよね。


real motive and stated reason


これも間違いなく本音と建前ですよね。


what one says and what one means


本音と建前をこのように言うこともできますよね。


では、「本音と建前を使い分ける」を


英語でどのように言うのでしょうか?


ちょっと考えてみてください。



次のように言うことができます。

You should be tactful as to


when to tell real intention


and when to show form.


ところで、英語の面白いお話を集めました。


時間があったら覗いてみてくださいね。


■ 『あなたのための愉快で面白い英語』


では、今日も一日楽しく愉快に


ネットサーフィンしましょうね。


じゃあね。