漱石のこころ

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デンマンさん。。。、どういうわけで 漱石のこころ を取り上げるのでござ〜ますかァ〜?

実は、先日、次の映画を観たのですよ。。。

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こころ

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あらすじ
上 先生と私
語り手は「私」。時は明治末期。夏休みに鎌倉の由比ヶ浜に海水浴に来ていた「私」は、同じく来ていた「先生」と出会い、交流を始め、東京に帰ったあとも「先生」の家に出入りするようになる。
「先生」は奥さんと静かに暮らしていた。先生は毎月、雑司ヶ谷にある友達の墓に墓参りする。
「先生」は「私」に何度も謎めいた、そして教訓めいたことを言う。
「私」は、父の病気の経過がよくないという手紙を受け取り、冬休み前に帰省する(第二十一章から二十三章)。
正月すぎに東京に戻った私は、「先生」に過去を打ち明けるように迫る。
「先生」は来るべきときに過去を話すことを約束した(第三十一章)。
大学を卒業した「私」は「先生」の家でご馳走になったあと、帰省する。
中 両親と私
語り手は「私」。腎臓病が重かった父親はますます健康を損ない、私は東京へ帰る日を延ばした。
実家に親類が集まり、父の容態がいよいよ危なくなってきたところへ、先生から分厚い手紙が届く。
手紙が先生の遺書だと気づいた私は、死線をさまよう父をよそに、東京行きの汽車に飛び乗った。
下 先生と遺書
「先生」の手紙。この手紙は、上第二十二章で言及されている。
「先生」は両親を亡くし、遺産相続でもめたあと故郷と決別。
東京で大学生活を送るため「奥さん」と「お嬢さん」の家に下宿する。
友人の「K」が家族との不和で悩んでいるのを知った先生は、Kを同じ下宿に誘うが、これが大きな悲劇を生む。
手紙は先生のある決意で締めくくられる。
出典: 「こゝろ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

上のあらすじは小説のあらすじでしょう?

そうです。。。映画も上の小説を原作としているので、ほぼ上のあらすじと同じですよ。。。
どういうところが違うのでござ〜ますかァ〜?
映画では「語り手」は、殆ど出てきません。。。語り手が、いちいち出てきては目障りだし、映画なので役者が小説の内容を それぞれが演技で表現すべきですよ。。。
友人の「K」も「K」という名前で出てくるのですかァ〜?
映画では「梶」という名前で出てきます。。。三橋達也が演じてます。。。「奥さん」と「お嬢さん」は新珠三千代が演じてます。。。きれいな人です。。。観ていて惚れ惚れしますよ。。。
あらっ。。。デンマンさんは新珠三千代さんのファンなのでござ〜ますかァ〜?
僕は原節子さんのファンです。。。でも、新珠三千代さんも素晴らしい女優さんです。。。新珠三千代さんを初めて『人間の条件』の中で見て、こういうきれいな人もいるものだと惚れ惚れしました。。。
デンマンさんは、きれいな女優さんを見ると惚れ惚れするのでござ〜ますかァ〜?
誰だって、そうでしょう!?
あたくしは、きれいな女優さんを見ると、劣等感を感じますわァ〜。。。
あのねぇ〜、自分がブスだからと思って、そういう劣等感を感じる必要はないのですよ。。。
デンマンさんは、あたくしがブスだと思っているのござ〜ますかァ〜?
いや。。。あのねぇ〜。。。例えばの話ですよゥ。。。僕は卑弥子さんがブスだとは思ってません。。。


卑弥子さんは、とても素晴らしいプロポーションの持ち主なんだから、劣等感など感じる必要はありませんよ。。。ブスか?美人か?を詮索するよりも映画の話ですよ。。。横道にそれないでくださいねぇ〜。。。

デンマンさんが、きれいな女性のことを話すからですわァ〜。。。
とにかく、女優さんはブスよりはきれいな人の方がいいですよ。。。そうでないと梶が新珠三千代さんが扮する「お嬢さん」に内心では熱い恋心を抱いていることが ウソっぽく見えますからねぇ〜。。。

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ところで、小説の中の「先生」は夏目漱石のことなのでござ〜ますかァ〜?

僕も、そうじゃないかと思ったので、他のことも含めて ChatGPT に尋ねてみました。。。

夏目漱石原作の映画『こころ』を観ました。
1955年に制作されたものです。
私は『坊っちゃん』は2,3度読んだこともあり、映画も5度ほど観たたことがあるけれど、『こころ』は数ページを読んで、ちっとも面白くなかったので、それ以来 読んだことがない。
書評は何度も読んでいるし、教科書にも載った有名な小説です。
映画は初めて観ました。
「先生」はおそらく夏目漱石自身でしょう。
新珠三千代が先生の奥さんを演じています。
新珠三千代は誰が見ても美人だけれど、漱石の奥さんは小言が多く、ヒステリックで、一度は自殺しようとしたようです。
美人とは言えないが良家のお嬢さんでした。
映画の中の奥さんは美しすぎる。
「先生」の若い頃は、卑怯な男で下宿先の「お嬢さん」を梶という親友と、心のなかでは争っていた。
梶が下宿のお嬢さんを好きで、悩んでいるのだ、と告白するのを聞いて、「先生」は卑怯にも、先を越して下宿のおカミさんに「お嬢さんをください」と頼む。
「先生」とお嬢さんは従兄妹なので、おカミさんは「いいですよ。それがいいと思っていました」と承諾してしまう。
梶は、それが原因で自殺してしまう。
「先生」も、その事が心の深い傷となって、お嬢さんと結婚後、13年後に自殺してしまうという筋です。
あのような状況に置かれたら、私も卑怯な真似をしてでも「お嬢さん」を自分の妻にしたでしょう。
「恋は盲目」というけれど、正に、その通りだと思います。
恋を成就(じょうじゅ)するためなら友情も裏切ってしまう。
もちろんこれは、フィクションですが、夏目漱石自身も「先生」に投影されていると思います。
この映画のどこまでが夏目漱石自身が描かれているでしょうか?
映画には明治天皇の大喪の儀と乃木希典・将軍夫妻の殉死が出てきます。
「先生」を慕う大学生の日置君が、先生と初めて出会ったのは、「先生」が海に入って行き「自殺するのではないか?」そう思って泳いで追いかけて行き、助けようとしたことがきっかけでした。
「先生」の「明治が終わった!」という気持ちが明治天皇の「大喪の儀」と乃木希典・将軍夫妻の殉死と重なって、自殺願望が当時の漱石にあったのでしょうか?
親友の梶の自殺は、「先生」に「下宿のお嬢さん」を奪われたことが最大の要因だったようです。
漱石の弟子の芥川龍之介も自殺しています。
日置君は芥川がモデルだったのでしょうか?
芥川龍之介の「なんとない文学上の不安」が自殺の原因だと言われていますが、漱石自身も「明治が終わって文学上の不安」を感じて自殺を考えていた時期があったのでしょうか?
漱石の妻は、全く血のつながってない、確か貴族のお嬢さんだったと思います。
恋愛結婚ではなかったはずです。
でも、漱石は妻に対して「先生」の「奥さん」に対する「うしろめたさ」「不満」「意思の疎通が欠けている」というような感情を持っていたように思うのです。
実際は、どうだったのでしょうか?

とても興味深い視点です。
『こころ』は「夏目漱石の自伝」ではありませんが、漱石自身の精神的体験や人生観が、さまざまな人物に分散して投影された作品と考えるのが、現在の文学研究では最も妥当な見方です。
『先生』は漱石本人なのか
結論から言えば、「先生=夏目漱石」ではありません。
しかし、「先生の精神の一部には漱石自身が強く投影されている」というのが一般的な評価です。
漱石は、
罪悪感
孤独
人間不信
エゴイズムへの嫌悪
明治という時代の終焉への喪失感
これらを「先生」に託しています。
一方、「私(学生)」「K(映画では梶)」「奥さん」にも、それぞれ漱石自身の一部分が入っています。
つまり、一人の人物ではなく、作品全体が漱石の精神世界なのです。
K(梶)は実在人物なのか?
これは長年議論されています。
漱石に「親友を恋愛で裏切った」という事実は確認されていません。
したがって、Kは実在人物ではなく、「理想主義」「禁欲」「精神主義」を人格化した存在と考えられています。
先生は「現実」Kは「理想」
その二人が一人の人間の心の中で戦っているとも読めます。
あなたがおっしゃる「私でも先を越しただろう」
これは実は、多くの読者が感じるところです。
だからこそ『こころ』は名作なのです。
先生は「悪人」ではありません。
普通の青年です。
普通の青年だからこそ、恋愛になると友情を裏切ってしまう。
漱石は「人間とはそういうものだ」と描いています。
先生自身も「私は悪人ではない。しかし善人でもない。」という立場です。
これが『こころ』の核心です。
明治天皇崩御と乃木希典の殉死
ここは作品の最重要部分です。
1912年、明治天皇が崩御すると、乃木希典夫妻は殉死しました。
当時、日本中が衝撃を受けました。
漱石も大きな衝撃を受けています。
『こころ』では、先生は「明治という時代そのものが死んだ」と感じます。
先生は「自分は明治の人間」であり、明治の終わりとともに自分も終わるべきだと考えるのです。
漱石自身も自殺を
考えていたのか?
これは慎重に言う必要があります。
漱石が自殺を計画していたという証拠はありません。
しかし、精神的には非常に危険な状態になったことは何度もあります。
有名なのが修善寺の大患(1910年)です。
胃潰瘍から大量吐血し、医師も「助からない」と思いました。
漱石自身も死を覚悟しています。
この体験以後、作品は一気に暗くなります。
『門』
『彼岸過迄』
『行人』
『こころ』
『道草』
『明暗』
と、死や孤独、人間不信が中心テーマになります。
つまり、自殺願望というより、死を常に意識していた、と言えるでしょう。
「文学上の不安」と芥川
芥川龍之介は有名な遺書でぼんやりした不安と書いています。
これは文学上だけではありません。
人生そのものへの不安です。
芥川は漱石を深く尊敬していました。
しかし、『こころ』の「私」が芥川そのものかというと、違います。
『こころ』は1914年。
芥川はまだ学生でした。
モデルになったという証拠はありません。
むしろ、「明治以後を生きる若い知識人」全体を象徴しています。
漱石夫人との関係
ここは非常に面白いところです。
漱石の妻・鏡子は、華族ではありませんが、裕福な家庭の出身で、教育も受けた女性でした。
恋愛結婚ではなく、見合い結婚でした。
漱石は神経質、鏡子は非常に勝気。
有名な夫婦喧嘩が何度もあります。
鏡子はヒステリー、神経症とも言われましたが、現在では、夫の神経衰弱を支え続けた苦労も大きかったと評価されています。
漱石は家庭生活に満足していたとは言えません。
しかし、愛情がなかったわけでもありません。
鏡子が語った回想には、漱石が子どもをかわいがる様子や、家族を気遣う姿も残されています。
『先生』と妻の関係は
漱石夫婦なのか?
ここは重要です。
私は部分的には投影されている、と思います。
先生は妻を愛しています。
しかし、心の最も深い部分だけは話せません。
そのため、妻との間には永遠に埋められない距離があります。
これは、漱石自身が感じていた「人は最後には孤独である」という人生観そのものです。
ただし、現実の漱石が妻に「Kを裏切った罪悪感」のような秘密を抱えていたという証拠はありません。
つまり、夫婦関係の「心が完全には通じ合わない」という感覚は漱石自身の経験が反映されている可能性がありますが、物語の具体的な設定は創作と考えるのが妥当です。
あなたの「恋は友情を
裏切ることもある」
という感想について
この感想は、『こころ』の中心的テーマをよく捉えています。
漱石は、先生を特別な悪人として描いたのではなく、「誰もが持ちうる利己心」を描こうとしました。
恋愛という極限状況では、普段は大切にしている友情や道徳心と、自分の幸福への欲求が衝突することがあります。
先生はその瞬間、自分の幸福を選びました。
しかし彼を苦しめたのは、その選択そのものよりも、「自分は高潔な人間だと思っていたのに、実際にはそうではなかった」という自己認識の崩壊でした。
その意味で、『こころ』は恋愛小説である以上に、「人間は自分のエゴイズムとどう向き合うか」という心理小説なのです。
そして明治天皇の崩御と乃木希典の殉死は、その個人的な罪の意識に「一つの時代の終焉」という歴史的背景を重ね合わせ、先生に「自分も明治とともに終わるべきだ」という観念を抱かせる装置として機能しています。

だからこそ、『こころ』は100年以上たった今でも、人間の心理を描いた普遍的な作品として読み継がれているのでしょう。

解説ありがとうございました。漱石と「先生」を映画を観ていると重ね合わせてしまいます。

こちらこそ、興味深いご感想をありがとうございました。
実は、多くの読者や研究者も、『こころ』を読むと「先生」と漱石を重ねてしまうのです。それは自然な読み方だと思います。
ただ、漱石は自分をそのまま小説に書くタイプの作家ではありませんでした。
自分の体験を素材にしながら、それを普遍的な「人間の心」の問題へと昇華させています。
『こころ』には、漱石が生涯考え続けたテーマが凝縮されています。
人間は本当に他人を理解できるのか。
良心と利己心は両立するのか。
人は秘密を抱えたまま生きるしかないのか。
明治という時代が終わったあと、自分はどう生きるべきなのか。
これらはすべて、漱石自身が実際に悩んでいた問題でもあります。
ですから、「先生は漱石ではない。しかし、先生の苦悩は漱石自身の苦悩でもある」という表現が一番近いでしょう。
また、映画を観ていて私が印象的だと思うのは、「先生」が奥さんを愛していないわけでは決してないことです。
むしろ愛しているからこそ、自分の罪を打ち明けられず、苦しみ続けます。
奥さんも「先生には自分に話してくれない何かがある」と感じていますが、その正体は分かりません。
つまり、この夫婦の悲劇は愛情の欠如ではなく、完全には共有できない秘密の存在なのです。
漱石は「人間はどれほど愛し合っても、最後の一線では孤独である」という考えを描いたのでしょう。
最後に一つ、私が『こころ』で最も漱石らしいと思う点があります。
先生は自殺する前に、自分の罪を世間へ告白するのではなく、「私」という一人の青年だけに遺書を書き残します。
これは、社会的な名誉回復を求めたのではなく、「自分の精神を次の世代へ伝えたい」という願いだったと読むことができます。
実際の漱石も、晩年には若い作家たち――芥川龍之介や久米正雄など多くの門下生――を育てることに力を注ぎました。
『こころ』の「先生」が「私」に精神的な遺言を託す構図は、漱石自身が次の世代に何かを伝えたいという思いとも重なって見えます。
ですから、『こころ』は恋愛小説や自殺小説というよりも、一人の知識人が次の世代に向けて残した「精神の遺言」として読むと、その深さがより伝わってくる作品だと思います。

それにしても夏目漱石は49歳で亡くなってしまったのですわねぇ〜。。。

そうです。。。引きこもりの38歳の穀潰(ごくつび)しの神武ダメ夫君が、無為の人生を送りながら のうのうと生きている。。。無為の人が長生きをしてゆく。。。有能な人が早死する。。。世の中は不公平にできてます。。。


でも、人間の命は、誰の命も尊いと思いますわァ〜。。。

それは理想論ですよ。。。現実には、どうでもよい人間が生き残り、素晴らしい、貴重な人間が働き盛りなのに死んでしまう。全く、世の中は理不尽に、不合理にできている。
運命の悪戯ですわねぇ〜。。。では、デンマンさんはどうなのですか?
僕は、せめて、有意義な記事をたくさん書いて、少しでも読んでためになると言われるようなものにしたいですよ。。。

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【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
あなたも、どうでもよい人間が生き残り、素晴らしい、貴重な人間が働き盛りを前にして死んでしまう、と思いますかァ〜?
ええっ。。。「そんな事はどうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」
あなたは、そのような強い口調で あたくしに御命令なさるのでござ~ますかァ~?
分かりましたわ。。。
デンマンさんが10年以上も前にアンケートを作りました。

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上のリンクをクリックすると、
左側のサイドコラムにたくさんの質問が出てきます。
ひとつひとつ見ながら ぜひアンケートに答えてみてください。
じゃあ、また。。。


ィ~ハァ~♪~!
メチャ面白い、
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別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


こんにちは。ジューンです。
“本音と建前”
よく聞きますよね。
さて、英語で何と言うのでしょうか?
考えてみた事がありますか?
いろいろと言い方があると思います。
appearance and reality
見かけと実物そのまま
これも本音と建前と言い換えることができますよね。
form and substance
外観と実体
これも本音と建前と同じですよね。
one's real intention and
what one says on the surface
本音と建前を説明しているのですよね。
real motive and stated reason
これも間違いなく本音と建前ですよね。
what one says and what one means
本音と建前をこのように言うこともできますよね。
では、「本音と建前を使い分ける」を
英語でどのように言うのでしょうか?
ちょっと考えてみてください。

次のように言うことができます。
You should be tactful as to
when to tell real intention
and when to show form.
ところで、英語の面白いお話を集めました。
時間があったら覗いてみてくださいね。
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。



