2026年10月17日土曜日

マッキンリー大統領と日露戦争


 


マッキンリー大統領と日露戦争


 





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動画が沢山貼り出してあるので全部の動画が表示されるまで時間がかかります。


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ケイトー。。。、今日は マッキンリー大統領と日露戦争 の話をするのォ~?



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そうです。。。シルヴィーも興味があるでしょう?


もちろん、興味があるけれど、マッキンリー大統領と日露戦争が関係あるのォ〜?


だから、その関係について話そうというわけですよ。。。


日露戦争に関係があるのはセオドア・ルーズベルトでしょう?


そうです。。。その事はよく知られています。。。


日露戦争とは関係ないと思うのに、どういうわけでマッキンリー大統領を取り上げるのォ〜?


実は、つい最近、次の動画を観たのですよ。。。


 



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ウィリアム・マッキンリー(William McKinley)は, 1843年1月29日にオハイオ州北東部、ヤングスタウン近郊のナイルズで、9人兄弟の7番目として生まれた。
第25代大統領。最後の南北戦争従軍経験者の大統領であり、19世紀最後かつ20世紀最初の大統領。
また、暗殺されたアメリカ合衆国大統領4人のうちの3人目である。


1880年代までに共和党の全国的指導者であった。
彼の選挙戦のテーマは、1890年のマッキンリー関税に代表されるような、繁栄のための公式として高率輸入関税を導入することであった。


1896年の大統領選における共和党候補として、彼は対抗馬の民主党候補ウィリアム・ジェニングス・ブライアンに対して金本位制を掲げ、人種間での多元論を促進した。


彼の選挙戦はマーク・ハンナによって指揮され、新たな選挙戦の広告スタイルを導入し、キャンペーン技術は最大のライバルであるウィリアム・ジェニングス・ブライアンを打ち破った。


1896年の大統領選は「進歩の時代」の始まりを示した再編の選挙であるとしばしば考えられる。


大不況特に1893年恐慌後、回復に向けて国を率い、金本位制を導入した。


マッキンリーはスペイン帝国政府に対し、キューバでの蛮行を止めるように要求した。
アメリカ合衆国の世論はスペイン帝国に対する憤慨で沸き立っていた。


そして1898年、米西戦争が勃発した。
戦争はアメリカ合衆国の完全勝利で終結した。
アメリカ合衆国軍はスペイン艦隊を壊滅させ、90日間でキューバとフィリピン総督領を軍事占領した。


1898年のパリ協定の結果、スペイン帝国の植民地であったプエルトリコ、グアム、フィリピンはアメリカ合衆国に併合され、キューバはアメリカ合衆国の占領下に置かれるなど、アメリカ合衆国にとって非常に有利な状況となった。


米比戦争そのものに対する支持は広範囲に及んだが、民主党とアメリカ反帝国主義連盟は共和制の価値が失われることを恐れて、激しくフィリピンの併合に反対した。


また、1898年にハワイ共和国を併合、同国の全ての居住者がアメリカ国民となった。


1900年の大統領選で再びウィリアム・ジェニングス・ブライアンと争い再選を成し遂げたが、無政府主義者のレオン・チョルゴッシュによって暗殺された。


彼の後任は副大統領のセオドア・ルーズベルトが引き継いだ。


 



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マッキンリー大統領の副大統領がセオドア・ルーズベルトだったのねぇ〜。。。



そういうことですよ。。。


マッキンリー大統領が暗殺されたので、自動的にセオドア・ルーズベルトが大統領に昇進したというわけねぇ〜。。。


そうなのですよ。。。もし、マッキンリー大統領が暗殺されなかったら、セオドア・ルーズベルトは大統領にはなっていなかったかもしれないのですよ。。。


そうねぇ〜。。。それまでに一番若い42歳の大統領になったのねぇ〜。。。


選挙では、年齢の関係から大統領には選ばれなかった可能性が強いのです。。。


つまり、マッキンリー大統領が暗殺されなかったら、セオドア・ルーズベルトが大統領になることは、まずなかったということねぇ〜。。。


そうです。。。だとすると、日露戦争の時にセオドア・ルーズベルトが大統領として講和の仲介役になるということもなかった。。。


なるほどォ〜。。。それで マッキンリー大統領と日露戦争 というタイトルにしたわけなのねぇ〜。。。


そういうことです。。。他にも質問があったので ChatGPT に尋ねてみました。。。


 




上の衝撃的な動画を観ました。ここで質問です。


① マッキンリー大統領によって、それまでの内政重視の孤立外交から、対外国に向けた政策に乗り出した。その意図は?


② マッキンリー大統領は無政府主義者のレオン・チョルゴッシュによって暗殺された。当時、無政府主義者の勢力は、どの程度だったのか?


③ キャリー・A・ネイションは、マッキンリー大統領の暗殺を賞賛した。なぜなのか? この女性はどういう人物なのか?


④ アラスカ州にある北米大陸の最高峰は彼にちなんで「マッキンリー山」と命名された。その後、2015年8月にアメリカ連邦政府は先住民の呼称である「デナリ」に変更することを明らかにした。2025年1月に政府はマッキンリー山に再び改称した。なせ?


⑤ 一発目の弾丸は容易に発見されたが、医師は二発目の弾丸を発見することができなかった。弾丸を探すことでより多くの害を及ぼすことが考えられた。さらに、マッキンリーの容体が回復しているように見えたため、医師は弾丸を体内に残すことを決定した。博覧会には新たに開発されたX線検査機が展示されていたが、医師はそれを使用することでどのような副作用が生じるかが分からなかったため、体内の弾丸を捜索するのに使用されることはなかった。現場の博覧会の救急病院の手術室には電灯の照明は一つもなかった。大統領を眠らせるために可燃性のエーテルを使用したため、ろうそくの炎を使用することができず、医師は傷の治療の間、手術台に日光を反射するために鍋を使用した。マッキンリーの担当医師は彼が回復すると信じていた。そして彼はバッファローにある博覧会会長の自宅で一週間以上静養した。9月12日の朝、彼は事件以来初めて食事 - トーストとコーヒーの小カップ -をとった。しかしながらその日の午後に容体が悪化し、急速に衰弱し始めた。マッキンリーはショック状態に陥り、1901年9月14日午前2時15分、銃撃の8日後に傷の周りの壊疽のため死去した。58歳であった。臨終の言葉は「それは神の思し召しだ。It is God's way; His will be done, not ours.」であった。現在であれば、より良い手術が施され回復したに違いないと思うが?


⑥ アメリカで2番目に暗殺されたガーフィールド大統領は1881年7月2日、大統領就任の4か月後にギトーによって銃撃された。ワシントンD.C.の鉄道駅で、ギトーは背後からガーフィールドを44口径リボルバーで撃った。弾丸はガーフィールドの体内で発見することが出来ず、アレクサンダー・グラハム・ベルは弾丸を見つけようとして、金属探知機を考案した。しかし探知機は金属のベッドフレームを誤認し見つけることは出来なかった。ガーフィールドは感染症で病状が悪化したうえ、衰弱した体で転地したため、1881年9月19日に転地療養先のニュージャージー州エルバロンで死去した。医師が弾丸摘出のために滅菌しない指で患部を探ったり、手を突っ込んだり、針で肝臓を傷つけるなどの荒療治がなかったら死ぬことはなかったとされる。医者が滅菌しない指で患部を探ったりするのは、現在では考えられないが。。。現在ならば、ガーフィールド大統領も回復したに違いない。


⑦ 暗殺者ギトーには、精神的に問題があったのか? つまり、精神病患者だったのか?


⑧ マッキンレー大統領が暗殺され、棚ぼたで、セオドール・ルーズベルトが大統領に昇格した。もし、マッキンリー大統領が生存していたら、日露戦争は日本の負けになったと思うが? つまり、日本は、もう戦えない状態にあった。その時点でルーズベルトが大統領の仲介で講和条約が結ばれた。 マッキンリー大統領が生存していたら、それはありえなかっただろう。


⑨ マッキンリー大統領が暗殺された事により、それ以降、大統領身辺の警護をしっかりすることを法令により義務付けた。それゆえに、ケネディ大統領暗殺までに、大統領暗殺の未遂はあったけれど(例えばレーガン大統領暗殺未遂事件)、マッキンリー大統領が暗殺されてから62年間、大統領は暗殺されなかった。つまり、CIAが身辺の警護をしっかりとやっていた。ということは、ケネディ大統領暗殺されたのは、CIA警護にぬかりがあった。…というよりも、暗殺にCIAが関わってたという状況証拠にはなりはしないか?



非常に興味深い論点が並んでいます。マッキンリーの暗殺は、単なる「大統領が一人の狂信者に殺された事件」ではなく、アメリカが国内中心の共和国から、世界政治・帝国・大統領警護・近代的医療の時代へ移っていく転換点として見ると、かなり面白くなります。


まず一点だけ訂正すると、マッキンリーが「それまでの孤立外交をやめて突然対外政策に乗り出した」という理解は、少し単純化されています。19世紀アメリカは決して完全な孤立主義ではなく、モンロー主義、対外貿易、ハワイ・太平洋への進出などを続けていました。マッキンリーは、それまでの膨張傾向を一気に加速し、アメリカを本格的な世界強国に押し上げた大統領と考える方が正確です。


では、順番に見てみます。


 



① なぜマッキンリーは対外政策へ


 大きく乗り出したのか?


一言で言えば、


「アメリカの経済力が巨大化したので、それに見合う海外市場・海軍力・海外拠点が必要になった」


ということです。


マッキンリーの政策には、少なくとも4つの要素がありました。


1.海外市場の獲得


1890年代のアメリカは工業生産力が急速に拡大していました。


しかし高関税によって国内市場を保護する一方、


「作った商品をどこへ売るのか?」


という問題が生じます。


そこでマッキンリーは、1890年代末になると「海外市場」を非常に重視するようになります。


実際、暗殺前日の1901年9月5日の演説でも、


「排他的な時代は過ぎた。貿易と商業の拡大こそ緊急の問題だ」


という趣旨を述べています。


これは非常に象徴的です。


2.太平洋への進出


ハワイ併合、フィリピン獲得、グアム獲得は別々の事件ではありません。


ハワイ → 太平洋 → フィリピン → 中国市場


という一本の戦略的な線でつながっています。


マッキンリー自身、ハワイについては、フィリピンへの進出を支える太平洋上の重要拠点として考えていました。


 



 


3.中国市場


これが非常に重要です。


列強が中国を「勢力圏」に分割し始めると、アメリカは、


「中国をヨーロッパ諸国や日本に独占させるな」


と考えました。


そこでジョン・ヘイ国務長官を通じて門戸開放政策(Open Door Policy)を打ち出しました。


これは、中国を植民地として分割するのではなく、各国が中国市場に平等にアクセスするという政策です。


つまりマッキンリーは、単純な「領土帝国主義者」だけではありません。


領土を取る帝国主義と、自由貿易・市場アクセスを求める帝国主義が混在していたと見るべきでしょう。


4.キューバ問題


一方、キューバでは事情が違います。


マッキンリーは当初、スペインとの戦争を避けようとしていました。現在の研究では、彼は世論やUSSメイン号爆沈などに押されながらも、最後まで外交的解決を試みた大統領として再評価されています。


しかし最終的に米西戦争となり、結果としてアメリカは、


プエルトリコ
グアム
フィリピン


を獲得し、キューバにも強い影響力を持つことになります。


したがって、マッキンリーは「帝国を作ろう」とだけ考えていたというより、経済・安全保障・海軍・市場・キューバ問題が合流して、結果的にアメリカを帝国的な世界国家へ押し上げた、という理解が一番近いと思います。


② 1901年当時、


 アメリカの無政府主義者


 はどの程度いたのか?


ここは面白いところです。


結論から言うと、「巨大な国民運動」ではありませんでしたが、「無視できない社会的・政治的勢力」でした。


しかも人数を正確に数えることが非常に難しい。


無政府主義者は政党の党員証を持つような組織ではなかったからです。


研究者ポール・アヴリッチによれば、19世紀末から20世紀初頭のアメリカでは、無政府主義者はピーク時に数万人規模に達していたとされ、シカゴ、ニューヨーク、パターソンなどの工業都市に集中していました。


また、無政府主義系の新聞・雑誌が多数の言語で発行されていました。


ただし重要なのは、無政府主義者=暗殺者ではないことです。


無政府主義には、


労働運動
自主管理
国家権力の否定
個人の自由
女性解放
反戦
反資本主義


など、かなり幅広い思想がありました。


その一部に、「支配者を暗殺することによって革命を起こす」という「行為によるプロパガンダ(propaganda by the deed)」が存在したのです。


実際、1886年のヘイマーケット事件、1892年の暗殺未遂、1898年のオーストリア皇后エリーザベト暗殺、1900年のイタリア国王ウンベルト1世暗殺、1901年のマッキンリー暗殺と、政治的暴力が連続していました。


したがって1901年のアメリカ人から見ると、「無政府主義者は、少人数だが非常に危険な国際的革命ネットワーク」に見えたわけです。


しかしマッキンリー暗殺については、捜査の結果、Czolgosz(チョルゴッシュ)以外の共犯者も組織的陰謀も確認されませんでした。


ここは非常に重要です。


③ キャリー・A・ネイションが暗殺を


 賞賛したのはなぜか?


この女性は実に強烈です。


Carrie A. Nation


キャリー・ネイションは禁酒運動(temperance movement)の過激な活動家でした。


彼女の武器は、斧(hatchet)です。


彼女は酒場に乗り込み、「酒は社会を破壊する!」として、斧で酒瓶や家具などを破壊しました。


そのため、“Carrie the Saloon Wrecker”と呼ばれました。


1900~1903年にはカンザス州などで酒場を次々と襲撃し、何度も逮捕されています。


では、なぜマッキンリー暗殺を喜んだのか?


理由は極めて単純です。


彼女はマッキンリーを、酒造業者・ビール業者・酒場を保護する政治家と見ていたからです。


1901年9月、彼女は演説でマッキンリー暗殺を喜び、死を望む趣旨の発言をしたと当時の資料に記録されています。


ただし、ここで面白いことがあります。


キャリー・ネイションは無政府主義者ではありません。


むしろ非常に宗教的なキリスト教徒です。


彼女は、「神のために酒場を破壊する」という信念を持っていました。


つまり、


Czolgosz=無政府主義による暴力
Carrie Nation=宗教的道徳運動による暴力


という、全く違う思想なのです。


この二人が「大統領の死を歓迎する」という一点だけで重なった。


これは当時のアメリカ社会がいかに政治的・宗教的に激しく分断されていたかを示す興味深い事例です。


④ なぜ「デナリ」が2025年に再び


 「マッキンリー山」になったのか?


 



 


ここは2025年のトランプ政権の政治的・歴史的価値観が直接関係しています。


2015年、オバマ政権は連邦政府の正式名称をDenaliに戻しました。


Denaliはコユコン語系の先住民名称で「高いもの」「大きなもの」に近い意味を持ちます。


USGSも、先住民社会との歴史的関係やアラスカで長く使われてきた名称であることを説明しています。


ところが2025年1月20日、トランプ大統領は大統領令14172を出し、Mount McKinley への復帰を命じました。


理由は大統領令自身がかなり明確に述べています。


マッキンリーは米西戦争で勝利した
経済成長を実現した
関税によってアメリカの製造業を保護した
アメリカの領土を拡大した
暗殺によって命を失った
「American greatness」を象徴する人物として顕彰すべき


という論理です。


したがってこれは単なる地名変更ではなく、「アメリカ史をどう記憶するか」という歴史認識の政治でもあります。


なお重要なのは、山はMount McKinleyに戻ったが、国立公園の名称はDenali National Park and Preserveのままという点です。


(デンマン注: トランプは大横領になる前にオバマ大統領を囲む食事会で会食者の面前で揶揄された(馬鹿にされた)事があった。それ故、オバマを嫌った。対抗意識があった。オバマのすることにはいちいち気に食わなかった。だから、Mount McKinleyにもどした。それで、腹の虫が収まった。 だから、国立公園の名称には、触れなかった。)


⑤ マッキンリーは現在なら


 助かったのか?


これはかなり高い確率で、「助かった可能性が非常に高い」と思います。


ただし「必ず助かった」とまでは言えません。


当時の手術は本当に悲惨でした。


銃弾は2発。


一発は胸骨付近をかすめただけでした。


もう一発が腹部に入り、胃を前後に貫通し、さらに腎臓・膵臓付近を損傷していました。


問題は、銃弾そのものより、感染 → 壊疽 → 敗血症性ショックでした。


解剖では胃の銃創周辺、腎臓付近、膵臓に壊疽が発生していました。


X線を使わなかったのも興味深い。


Pan-American ExpositionにはX線装置がありました。


ところが、「人体にどのような影響があるのか?」がまだ十分分かっていませんでした。


そのため使用されませんでした。


現在から見ると、「目の前にあるのに使わなかった」ので非常に惜しく感じます。


ただし、ここは少し注意が必要です。


X線で銃弾を見つければ必ず助かった、とは言えません。


銃弾を摘出すること自体よりも、腹部感染を防止・治療できるかどうかが決定的だったからです。


国立医学図書館も、最終的な死因を銃弾による出血ではなく、銃創の経路に発生した壊疽と細菌感染による敗血症性ショックとしています。


しかも手術環境が驚くほど原始的。


当時の手術室には十分な電灯がありませんでした。


太陽光を金属製の皿などに反射させて手術部位を照らしたという記録もあります。


現代なら、


CT
X線
超音波
全身麻酔
無菌手術
抗菌薬
輸血
ICU
敗血症治療
腹部外傷専門外科


があります。


したがって、「1901年だから死んだ」という側面はかなり大きいでしょう。


⑥ ガーフィールドも現代なら


 助かったか?


これも、かなり高い確率で助かったと思います。


ガーフィールドの場合は、マッキンリー以上に「医療行為そのもの」が問題になっています。


医師たちは銃弾を探すために、洗浄していない指を傷口に入れて探った。


当時はまだ無菌操作が十分に普及していませんでした。


Library of Congressも、傷口を多数の医師の「洗っていない指」が探ったことと、その結果生じた感染が死因になったと説明しています。


そしてベルの金属探知機も面白いですね。


ベルは電話技術を応用して、induction balanceという装置を作りました。


これが現在の金属探知機の原型です。


ところが失敗しました。


しかし、装置そのものが悪かったとは限りません。


大きな問題は、


ガーフィールドのベッドに金属製スプリングがあった
医師が「銃弾は右側にある」と思い込んでいた
ベルはその場所を中心に探させられた
実際の銃弾は反対側にあった


ことでした。


つまり、「発明されたばかりの金属探知機が役に立たなかった」のではなく、「医師の思い込みと検査条件によって、本来の能力を発揮できなかった」という面があるのです。


そしてガーフィールドの場合も、最終的には感染症が致命的になりました。


⑦ ギトーは精神病患者だったのか?


これはかなり興味深い問題です。


私なら、「重い精神的不安定さがあった可能性は非常に高い。しかし、現代医学の診断名をそのまま遡及することはできない」と答えます。


彼には、


誇大妄想
自分が歴史的英雄だという確信
政治的使命感
神から選ばれたという考え
現実との著しい乖離
異常な自己中心性


が見られました。


彼は、「自分がガーフィールドを倒せばチェスター・アーサーが大統領になり、自分は重要な地位を得る」と本気で考えていました。


NPSも、現代なら精神鑑定によって「心神喪失」を認められ、精神科治療に送られた可能性がある人物として説明しています。


しかし当時の裁判では、「自分の行為が違法だと分かっていたか」が重要でした。


ギトーは自分が何をしているのか理解しており、逃走しようともしています。


そのため陪審は責任能力を認め、死刑としました。


したがって、「政治的動機を持った精神的に非常に不安定な人物」と考えるのが最も妥当でしょう。


⑧ マッキンリーが生きていたら


 日露戦争は日本の負けだったか?


ここは、私は少し違う見方をします。


「日本が勝てなかった可能性」はありますが、「マッキンリーなら日本を負けさせた」とまでは言えません。


むしろ重要なのは、マッキンリーとルーズベルトの東アジア政策には連続性もかなりあった、ということです。


(デンマン注: しかし、金子堅太郎とルーズベルトはハーバード大学の同窓で、金子はルーズベルトに仲介してくれと頼んだ。マッキンリーと金子は、赤の他人。)


マッキンリーは1900年の年次教書で、日本について非常に好意的に評価しています。


日本を、


近代国家として成功
中国の領土保全を支持
門戸開放を支持
東アジアの平和・秩序に貢献


する国として評価していました。


これはかなり重要です。


つまり、マッキンリー=反日ではありません。


むしろ1901年時点では、アメリカにとって日本は、中国・太平洋政策上の重要な協力相手だったのです。


ただし、戦争の結末は別問題


1904年の日露戦争では日本は軍事的に大勝しましたが、経済的には非常に苦しくなっていました。


1905年になると、


日本の戦費負担
ロシアの軍事的損失
両国の財政問題


が重なり、双方が和平を必要としていました。


そこでルーズベルトが仲介した。


ポーツマス条約は、


日本の韓国における優越権
南満州での権益
南樺太


などを日本側に認めましたが、ロシアから賠償金を取ることはできませんでした。


 



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■『動画を観る』


 


そして日本国内では「勝ったのに賠償金がない」として大きな不満が爆発しました。


マッキンリーだったら?


ここは反実仮想なので断定できません。


しかし私は、「マッキンリーなら日本の完全勝利を阻止した」というより、「マッキンリーも日本とロシアの双方に妥協を求め、何らかの和平仲介を試みた可能性が高い」と考えます。


なぜなら彼の中国政策は、「ロシアを追い出して日本だけを強くする」というものではなく、「どの国も中国市場を独占してはいけない」という勢力均衡政策だったからです。


したがって、ルーズベルトのポーツマス外交は「マッキンリー路線と完全に別物」ではありません。


むしろ、マッキンリーのOpen Door政策 → ルーズベルトの東アジア勢力均衡政策という連続性を見る方が面白いと思います。


⑨ そして一番興味深い


 CIAはケネディ暗殺に


 関与したのでは?


ここは慎重に分ける必要があります。


まず、デンマンさんの指摘の前半、マッキンリー暗殺後、大統領警護が強化されたこれは正しいです。


ただし、「法律によって直ちに厳重警護が義務化された」という理解には少し修正が必要です。


1901年の暗殺後、議会側からSecret Serviceによる大統領警護を求める動きが起こり、1902年にSecret Serviceが大統領の常時警護を正式に担うようになりました。


つまり、McKinley → Secret Serviceによる大統領常時警護という歴史的因果関係は確実です。


そして実際、1901年から1963年まで、大統領は暗殺されませんでした。


しかし、ここから「だからCIAがケネディを暗殺した」は飛躍します


最大の理由は、CIAは大統領の身体警護機関ではないからです。


大統領の物理的警護を担当していたのは、Secret Serviceです。


CIAではありません。


 



 


そしてCIAが設立されたのは1947年です。


したがって、「マッキンリー以後、大統領が暗殺されなかった



CIAの警護が優秀だった



ケネディが暗殺された



CIAが警護をわざと失敗させた」という論理にはなりません。


ただし、ここからが非常に面白い


実は、ケネディ暗殺については、「政府機関に問題がなかった」とも言い切れません。


1970年代の米国議会の下院暗殺特別委員会(HSCA)は、Secret Serviceについて、脅威情報を十分に分析・利用しなかった、ダラスでの警護が十分ではなかった、と批判しています。


さらに、CIAについても情報収集・情報共有に重大な問題があった、としています。


そして非常に重要なのが、HSCAは「ケネディ暗殺はおそらく単独犯ではなく、陰謀によるものだった可能性が高い」と結論したことです。


ところが同時に、CIA、FBI、Secret Serviceが暗殺に関与した証拠は見つからなかった、とも明確に結論しています。


ここは非常に重要なポイントです。


つまり、「ケネディ暗殺には陰謀があった可能性が高い」と「CIAが暗殺を実行した」は別の命題なのです。


前者にはHSCAという公式調査の裏付けがあります。


しかし後者については、HSCAの調査では証拠が確認されていません。



 



では、デンマンさんの「状況証拠」という考え方はどうか?


私はこう整理するのが一番公平だと思います。


確認できる事実


①1901年:マッキンリー暗殺。



②1902年:Secret Serviceが大統領常時警護を担当。



③1963年:ケネディ暗殺。



④1979年:HSCAがSecret Serviceの警護を不十分だったと評価。



⑤:CIAについても情報収集・共有に重大な欠陥があった。



⑥:HSCAは「陰謀の可能性」を認めた。



⑦:しかしCIAが暗殺を実行したという証拠は発見されなかった。


この順番です。


したがって、「CIAが関与したのではないか?」という疑問を持つこと自体は歴史研究上不自然ではありません。


実際、CIAには当時、対カストロ暗殺計画など非常に重大な秘密工作が存在していたことが後に明らかになったため、疑念が生じる背景はありました。


しかし、「警護に穴があった」→「CIAが暗殺に関与した」という推論には、途中に大きな証拠の空白があります。


マッキンリー暗殺の本当の歴史的意味


今回の9項目を全部つなげると、私はマッキンリー暗殺をかなり大きな転換点として見ることができると思います。


マッキンリー以前


国内産業



高関税



国内市場中心



19世紀型共和国


から、マッキンリー時代


工業力の巨大化



海外市場の必要性



ハワイ・フィリピン



中国・Open Door



海軍力



世界政治への本格参加へ移ります。


そして1901年の暗殺によって、マッキンリー → セオドア・ルーズベルトという、アメリカ史上非常に重要な政権交代が起きます。


ルーズベルトは42歳という若さで大統領になり、マッキンリーの帝国的外交をさらに積極化させました。


その後、


パナマ運河
→ 日露戦争仲介
→ ノーベル平和賞
→ 「棍棒外交」
→ アメリカの世界大国化


へ進んでいく。


だからこそ、もしマッキンリーが1901年9月に死なず、あと4~7年大統領を続けていたら、アメリカ外交だけでなく、日本の日露戦争、朝鮮・満州問題、そして20世紀初頭の太平洋秩序まで違った展開になっていた可能性があります。


ただ、ここは非常に面白い反実仮想です。


「マッキンリーが生きていたら、ルーズベルトは大統領にならなかった」だけではありません。


実は1900年選挙でマッキンリーが副大統領候補に選んだのが、まさにセオドア・ルーズベルトでした。


つまりマッキンリーは、本人の死によって、「自分の後継者になるはずだった人物を、予定よりはるかに早く大統領にしてしまった」のです。


これは歴史の皮肉として、非常に興味深いところだと思います。



解説ありがとうございました。理解がさらに進みました。



どういたしまして。今回のマッキンリーについては、「暗殺事件」だけを見るよりも、アメリカが19世紀型の大陸国家から20世紀の世界大国へ転換していく過程の中に置いて見ると、非常に面白い人物だと思います。


特に、マッキンリー → ルーズベルト → 日露戦争 → ポーツマス条約 → アメリカの太平洋進出という流れは、今後の日本史・アメリカ史を考えるうえでも重要ですね。


また、ガーフィールドとマッキンリーの暗殺を比較すると、「暗殺者」よりも、当時の医療技術や警護体制、そして政治社会そのものが大統領の生死を左右していたことがよく分かります。


そして最後のCIAについての問題は、ケネディ暗殺を考える際に、「証明された事実」「政府機関の失態」「状況証拠」「推測」をきちんと分けることが非常に重要だと思います。


今回も大変興味深いテーマでした。



 



マッキンリーの時代にはアメリカ西部への伝統的なフロンティア開拓は終了しており、新しく国外の「海のフロンティア」開拓を推し進めた。



国内の反対の声にもかかわらず、アメリカを国際的な帝国主義政策へ突き進めたのねぇ〜。。。


彼は保護貿易主義を取り、外国製品に対して実に57%という史上最高の関税率をかける「ディングレー関税法」を制定させたのですよ。。。


対外的には米西戦争へ国を導き、1898年にはハワイ諸島を併合したわァ〜。。。


そうです。。。この時に大隈重信総理から「これほど激烈で宣戦布告か最後通牒に等しいような外交文書は見たことがない」という抗議を受けている。。。


つまり、ルーズベルトと違い、日本・日本人に対して好感を持っているわけではないみたいねぇ〜。。。


その可能性がありますよ。。。そういうわけで、金子堅太郎のような人物が仲介を頼んでも、むしろ無視したかも知れない。そもそも、会わなかっただろう。


この点、CharGPT は触れていない。この点を質問すべきだったが、すでに遅い!


米西戦争ではフィリピンの独立勢力を支援するが、戦争に勝利するや一転して現地勢力を弾圧し、フィリピンおよびカリブ海のスペインの旧植民地をアメリカの保護下に置いたのです。。。


それでも、マッキンリーは1900年に再選された。領土を拡大したから、再選されたのかも知れない。



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【ジューンの独り言】



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ですってぇ~。。。


あなたは、どう思いますか?


マッキンリー大統領が暗殺されなかったら、日本は日露戦争に負けたと思いますか?


ええっ。。。「そういう事は、どうでもいいから 他に面白い話をしろ!」


あなたは、そのような強い口調で わたしにご命令なさるのですかァ〜?


いけすかない おかたァ〜。。。


分かりましたわァ。


実は、デンマンさんはインスタで サンバやボサノヴァで踊る きれいで可愛い女の子たちを紹介しています。


ここに写真を貼り出すので 気に入った女の子の踊りを見てください。。。


 



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■『拡大する』


■『実際のページ』


 


写真をクリックすれば踊りを鑑賞できます。。。


音声が出てない場合は、動画の右下の「無声」マークをクリックすれば、解除されてミュージックを聴くことができます。


ええっ。。。 「そんなことはどうでもいいから、他にもっと楽しい話をしろ!」


あなたは、そのような命令口調で 更に あたくしに強要するのですかァ〜。。。


分かりました。。。、シルヴィーさんが出てくる面白い記事は他にも たくさんあります。。。


次の記事の中から面白そうなものを選んで読んでください。



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■『サイバー戦争』


■『エロくて、ごめんね』


■『モバイル社会とガラケー』


■『元老のアメリカ』


■『ケネディ家の呪い』


■『欧米を敵に回す』



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■『ソフィアからこんにちわ』


■『ドイツが原爆をロンドンに』


■『いまだに謎』


■『さらば大前研一』


■『空飛ぶスパイ』


■『愛情はふる星@ベトナム』


■『ヒラリーと塩野七生』


■『ケネディ夫人@インドネシア』


■『究極の大前研一批判本』


■『フェルメールと謎の女』


■『ヒトラーを殺そうとした男』



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■『帝銀事件の謎?』


■『ChatGPTも間違う』


■『イラン戦争のウソの動画』


■『人工知能エンティティ』


■『クリミア・タタール人の悲劇』


■『日輪の遺産とGHQ』


■『Xから日論の遺産』


■『自衛隊廃止?』


■『9.11事件を事前にCIAは知っていた?』


■『本能寺の変の真相は?』


■『悪事を働くボット』


■『ソ連収容所と瀬島龍三』


■『黒死病と天然痘』


■『JFK暗殺カバーアップ』


■『原爆の父の秘密』


■『解放奴隷がローマを支配』


■『BC級戦犯』



とにかく、今日も一日楽しく愉快に


ネットサーフィンしましょう。


じゃあね。 バーィ。



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ィ~ハァ~♪~!


メチャ面白い、


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