2026年8月21日金曜日

バターン捕虜収容所


 


バターン捕虜収容所


 





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デンマンさん...、今日は、バターン捕虜収容所 を見せてくれるのですかァ〜?



そうです。。。ジュンコさんも、興味があるでしょう。。。


バターンって、どこにあるのですか?


フィリピンのマニラ湾に突き出ているバターン半島のことです。。。そこに捕虜収容所があったのですよ。


 



 



太平洋戦争の時の捕虜収容所ですかァ〜?



そうです。。。日本軍がアメリカ人の捕虜を収容していたのですよ。。。


どうして、80年も前の捕虜収容所を取り上げるのですかア〜?


実は、その捕虜収容所を舞台にした映画を見たのです。。。


 



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Women of Valor


 


第二次世界大戦を舞台にした戦争ドラマ。
バズ・クリク監督、スーザン・サランドンとクリスティ・マクニコル主演。
1986年11月23日にCBSで初放送され、1998年3月10日にDVDが発売された。


 


あらすじ


1942年4月、アメリカ陸軍の看護師グループが日本軍に捕らえられます。


彼女たちはアメリカ兵と共にバターン死の行進に連行され、バターン半島の捕虜収容所に収容され、そこで約3年間を過ごす


 



 


物語は、収容所を生き延び、日本軍に不利な証言をした陸軍看護師長、マーガレット・アン・“マギー”・ジェサップ中尉を中心に展開する。


彼女は数年後、大佐としてアメリカ合衆国議会小委員会で証言し、女性捕虜たちへの武勲勲章の授与を訴えました。


 


キャスト


スーザン・サランドン:マーガレット・アン・ジェサップ中尉/大佐
クリスティ・マクニコル:T・J・ノーラン
アルバータ・ワトソン:ヘレン・プレスコット少尉
ヴァレリー・マハフィー:キャサリン・R・グレース少尉
スザンヌ・レデラー:ゲイル・ポルソン少尉
パトリック・ビショップ:中山纏大尉
テリー・オキーン:トム・パターソン少佐
ネヴァ・パターソン:ジュディス・イーソン夫人
ジェイ・アコヴォーン:レーダー大尉


 


批評


本作は概して否定的な評価を受けた。主な批判の一つは、リアリティに欠けるという点だった。


また、劣悪な環境下で生き抜こうとするキャストの容姿についても批判された。


ニューヨーク・タイムズ紙は、物語は状況描写よりも人物描写にもっと焦点を当てるべきだったと評した。




出典: 『Women of Valor』
From Wikipedia, the free encyclopedia


 



実際にあった話なのですかァ〜?



いや。。。実際にあった話そのものじゃない。。。フィクションですよ。でも、アメリカ兵を収容した捕虜収容所は実際にあったので、フィクションだと言えども、当時の捕虜収容所で実際に起こった事件などを織り交ぜて映画にしたのですよ。。。


批評を読むと、あまり評判は良くなかったみたいですねぇ〜。。。


実際は、もっと酷かったらしい。。。実際に捕虜になって収容された人がまだ生きていたから、その人達からクレームが出たんだと思う。


つまり、映画で見るよりも、もっと劣悪な環境だったのですか?


そうです。。。着ていた衣服なども、映画で見るよりは もっとボロボロになっていたんでしょう。。。


収容所での人間ドラマみたいなものはあまり描かれてなかったのですかァ〜?


深刻な心理描写みたいなものはなかったけれど、けっこう観ていて、いろいろな人間模様が出ていて面白かったですよ。。。面白かったというのは語弊があるかも知れない。。。収容されていた人にとっては、ちっとも面白いものではなかったのだから。。。


。。。で、何が印象的だったのですか?


いくつか疑問の点があったので ChatGPT に尋ねてみました。。。ここに書き出すのでジュンコさんも読んでみてね。。。


 




1986年に制作されたアメリカのテレビ映画『ウーマン・オブ・ヴァラー(Women of Valor)』を観ました。


フィクションだと言いながらも、他のドキュメンタリーを観て比較すると、当時のバターン半島の捕虜収容所の様子をかなり忠実に描いているように見えました。


テレビ映画なので、この映画よりも、ひどくは描けなかったでしょう。
とにかく、バターン死の行進は酷かったらしい。
死人がずいぶんと出たようです。


私が注目したのは捕虜収容所・所長の中山纏大尉です。
パトリック・ビショップという日系アメリカ人が演じています。
日系アメリカ人ですが、アメリカで産まれて育ったようです。
訛りの強い妙な日本語を喋ります


映画では描いていませんが、戦時中、アメリカの強制収容所では若者の暴動が何度か起こったようで、政府も困り果てて、アメリカに忠誠を誓う者と天皇に忠誠を誓う者を別けて、天皇に忠誠を誓う者は日本に強制送還した。
中山纏大尉は後者に属して日本へ帰還したようです。


兵隊が規則違反した者を殺そうとしたり、ひどい体罰を与えようとすると、中山纏大尉は兵隊が、そうするのを止めさせます。
軍国主義に染まっている日本人の兵隊と違い、彼は人の命を尊重し、体罰には否定的です。
アメリカで生まれ育ったということで、その点を強調したのでしょう。


日本の兵隊が はずかしめを受けたと言って、切腹しようとすると中山纏大尉は「オマエの命は生き神様の天皇陛下に捧げたモノだから、ここで自分勝手に、切腹して命を粗末にしてはならない」と言って、切腹を思いとどまらせます。


多分、このようなシーンが 実際に捕虜収容所で終戦を迎えて生き残った者から見るとリアリティに欠けたと見えたのでしょう。
現実には、捕虜収容所では人命は軽んじられ、毎日のように死者が出ている様子は、映画の中でも描かれています。


ただし、死体は見せません。殺人現場も見せません。
シートで包まれた人型のモノを二人のアメリカ兵が天秤棒で吊るして墓場に運んでゆく姿が 数回映し出されるだけです。
死体を見せ、殺人現場を見せたら、もっとリアリティが出たでしょうが、テレビ映画だから、そこまでは描けなかったでしょう。


この映画では描かれなかった、アメリカの強制収容所で若者の暴動が何度か起こり、政府も困り果てて、アメリカに忠誠を誓う者と天皇に忠誠を誓う者を別けて、天皇に忠誠を誓う者は日本に強制送還した。
後者の一人が中山纏大尉だった


この辺の経緯・状況と、アメリカの強制収容所での暴動、その顛末を解説してください。



ご覧になった映画で描かれる中山纏大尉は、実在の人物をある程度下敷きにしていますが、かなり脚色された人物です。


ご質問の「日系アメリカ人がなぜ日本軍将校になったのか」を理解するには、戦時中のアメリカの日系人強制収容政策を知る必要があります。


 



アメリカの日系人強制収容


1942年2月、真珠湾攻撃の後、ルーズベルト大統領は大統領令9066号を発令し、西海岸に住む約12万人の日系人(約3分の2はアメリカ市民)が財産を失い、内陸部の収容所へ送られました。


ここで重要なのは、一世(日本生まれ)二世(アメリカ生まれの市民)が区別されず、一緒に収容されたことです。


このこと自体が、現在ではアメリカ史における重大な人権侵害と評価されています。


「忠誠登録質問票


(Loyalty Questionnaire)」


1943年、アメリカ政府は収容者全員に忠誠調査を行いました。


特に問題になったのが有名な第27問「米軍に従軍する意思があるか」と第28問「天皇その他外国政府への忠誠を放棄し、アメリカに無条件の忠誠を誓うか」でした。


これが大混乱を招きます。


一世の場合アメリカ国籍を取得できない法律だったため、「天皇への忠誠を放棄する」と答えると、無国籍になる危険がありました。


二世の場合、市民であるにもかかわらず「忠誠を証明しろ」と言われ、「そもそも自分はアメリカ人なのに、なぜ疑われるのか」という怒りが広がりました。


「ノー・ノー(No-No)」


と答えた人々


27・28問とも"No"と答えた人たちは「No-No Boys」と呼ばれました。


しかし、これは必ずしも親日派という意味ではありません。


理由は様々でした。


例えば市民権を侵害されたことへの抗議、家族を守りたい、軍隊に行きたくない、日本への愛着などです。


トゥーリーレイク隔離収容所


No-Noと判断された人々はトゥーリーレイク戦争移住センターへ集められました。


ここでは日本支持派、抗議派、単なる不満分子が混在しました。


そのため内部対立も非常に激しくなります。


 



 


暴動は何度も起きた


映画では触れられていませんが、トゥーリーレイクでは労働争議、ストライキ、デモ、治安部隊との衝突が何度も発生しました。


1943年には非常事態が宣言され、軍隊まで投入されています。


ただし、「暴動」というよりは、抗議行動や集団的抵抗と呼ぶほうが実態に近いものも多くありました。


日本へ送還された人々


1944年には Renunciation Actという法律ができ、アメリカ市民でも市民権放棄が可能になりました。


その結果、約5,500人の日系アメリカ人が市民権放棄を届け出ています。


その多くは収容所での極限状態や心理的圧力の中で判断したもので、戦後になって「本意ではなかった」として裁判で市民権を回復した人も少なくありません。


日本へ渡った日系人


終戦後、数千人が日本へ渡りました。


ところが、敗戦直後の日本は食糧不足、空襲被害、仕事不足という極めて厳しい状況でした。


そのため、「アメリカへ戻りたい」と考える人も非常に多くなります。


中山纏大尉のような人物は


実在したのか?


ここが映画の脚色部分です。


日系アメリカ人が日本軍将校になった例は実際に存在しました。


しかし、映画の中山纏のようにアメリカ育ちの日本軍将校で捕虜収容所長という人物は確認されていません。


また、部下の虐待を止める人格者という人物像については、史実にそのまま一致する人物が確認されているわけではありません。


これは、日米二つの文化の間で揺れる人物を象徴的に描くための脚本上の創作と考える研究者が多いです。


なぜ映画であのように描いたのか?


1980年代のアメリカでは、日本軍=残虐という単純な描き方から、「個人には様々な人間がいた」という描き方へ少しずつ変わり始めていました。


そのため、中山という人物には日本軍人としての義務、アメリカ的な人権感覚、天皇への忠誠という三つの価値観を同居させ、単純な悪役ではなく葛藤を抱えた人物として描こうとしたのでしょう。


一方で、ご指摘の切腹を思いとどまらせる場面などは、当時の日本軍の実態や捕虜収容所の苛烈さを知る元捕虜や歴史研究者から見ると、やや理想化・象徴化された演出と受け止められる余地があります。



 



実際の収容所では、組織全体として極めて過酷な環境にあり、多数の捕虜が栄養失調、病気、虐待などで命を落としました。


つまり、この映画は収容所の劣悪な生活環境や女性捕虜の苦難については比較的史実に沿った描写を目指しつつも、中山纏という人物には「敵にも人間性はあった」というメッセージを託したドラマ上の創作要素が強く反映されていると考えるのが、最も妥当な見方でしょう。



ドイツ系アメリカ人も強制収容所に送られました。 イタリア系アメリカ人はどうだったのですか?



はい。イタリア系アメリカ人も 「敵性外国人 (enemy aliens)」 として一定の制限を受けました。 しかし、 日系・ドイツ系・イタリア系では扱いにかなり大きな違いがありました。


 



日系アメリカ人


最も厳しい措置を受けたのが日系人です。


•約12万人が強制収容
•約3分の2はアメリカ市民(二世)
•財産や農地、商店を失う人が続出
•西海岸から事実上追放


これは現在では、人種的偏見と戦時ヒステリーによる重大な人権侵害だったと評価されています。


ドイツ系アメリカ人


ドイツ系は事情がかなり異なります。
アメリカには当時約800万人以上のドイツ系住民がおり、全員を収容することは現実的ではありませんでした。


そのため、


•ナチ党関係者
•スパイ容疑者
•危険人物と判断された者


を中心に約1万1千人ほどが抑留されました。


また、中南米諸国から連れて来られたドイツ人もいました。


イタリア系アメリカ人


イタリア系はさらに軽い扱いでした。


当時アメリカには約500万人のイタリア系住民がおり、その多くはアメリカ社会に深く溶け込んでいました。


開戦直後、


約60万人のイタリア国籍保持者は 「敵性外国人」 とされ、


•夜間外出禁止
•移動制限
•漁船の使用禁止
•ラジオ没収
などの措置を受けました。


しかし、1943年になるとイタリアが連合国側へ転じたこともあり、多くの制限は解除されました。


強制収容されたのは約1,500~2,000人程度とされ、日系人とは比較にならない規模でした。


なぜ扱いが違ったのか?


最大の理由は人口規模と社会的背景です。


日系:
人口:約12万人 強制収容:約12万人 対象:集団全体


ドイツ系
人口:約800万人以上 強制収容:約1万1千人 対象:危険人物中心


イタリア系
人口:約500万人 強制収容:約1,500~2,000人 対象:危険人物中心


さらに、


①人種的偏見


当時の日系人は外見で識別しやすく、「日本人は忠誠心が疑わしい」という偏見が強く存在しました。


一方、ドイツ系・イタリア系は白人であり、 何世代もアメリカ社会に同化している人が多く、一般市民との区別が つきませんでした。


②人数が多すぎた


ドイツ系やイタリア系を全員収容すると、経済も社会も成り立たなくなります。
そのため、「危険人物だけ」を対象にしました。


③戦況の違い


1943年9月、 イタリアはムッソリーニ政権が崩壊し、連合国と休戦しました。
そのため、イタリア系住民への警戒も急速に弱まりました。
一方、日本とは1945年8月まで激戦が続いたため、日系人への厳しい政策も長く維持されました。


映画『ウーマン・オブ・ヴァラー』


との関係


この映画に登場する中山纏大尉のような日系アメリカ人が日本側に渡った背景には、こうした日系人だけが受けた特に厳しい差別的政策があります。


もちろん、収容された日系人の大多数はアメリカへの忠誠を失ったわけではありません。


しかし、 財産を奪われ、自由を制限され、「敵」と見なされた経験から、アメリカ政府への深い失望や怒りを抱いた人もいました。その一部は、日本への送還を選択したり、市民権を放棄したりしました。



 



その意味で、中山纏大尉という人物設定は、「二つの祖国の間で引き裂かれた日系人」の象徴として創作されたものと考えると理解しやすいでしょう。



ドイツ人の収容所では暴動はあったのですか?



結論から言うと、日系人のトゥーリーレイク収容所のような大規模な暴動は、ドイツ人収容所ではほとんど起きていません。


これは収容者の性格や収容政策の違いによるところが大きいです。


 



ドイツ人収容所の実態


ドイツ系アメリカ人全体が収容されたわけではなく、収容されたのは主に
•ドイツ国籍を持つ外国人
•ナチ党員と疑われた者
•スパイ容疑者
•危険人物と判断された者
でした。


つまり、「敵国民全体」を収容したのではなく、「危険とみなされた個人」が対象でした


そのため収容人数も比較的少なく、一つの収容所が数千人規模になることはあまりありませんでした。


暴動が少なかった理由


①収容目的が違う


日系人は「何もしていない一般市民」まで大量に収容されました。
一方、ドイツ人は「危険人物」として個別に収容されました。


したがって「なぜ自分たち全員が収容されるのか」という日系人収容所特有の集団的な怒りは生まれにくかったのです。


②ナチ支持者同士の対立


興味深いことに、ドイツ人収容所では暴動よりも収容者同士の対立が問題になりました。


例えば
•熱烈なナチ支持者
•反ナチのドイツ人
•ユダヤ系ドイツ人
が同じ施設に入れられることもありました。


当然、
•脅迫
•暴行
• 嫌がらせ
などが発生しました。


アメリカ政府は後に「ナチ支持者」と「反ナチ派」を分離する措置を取っています。


③統制が効いていた


収容者数が少なく、施設も比較的小規模だったため、看守側も統制しやすかったと言われています。


日系人との決定的な違い


トゥーリーレイクでは
•約1万8千人以上
•忠誠登録問題
•家族分断
•市民権放棄
•将来への絶望


が重なり、抗議行動やストライキ、軍の出動を伴う大きな騒乱が起きました。


これほど政治的・社会的に緊張した状況は、ドイツ人収容所にはほとんど見られませんでした。


ただし、例外もありました


全く事件がなかったわけではありません。


例えば、テキサス州の収容施設などでは、
•脱走未遂
•看守との衝突
•ナチ式敬礼をめぐる騒動
•ヒトラー支持を公然と表明する集団
などが報告されています。


しかし、これらは局地的な事件であり、 トゥーリーレイクのように収容所全体を揺るがす大規模な暴動には 発展していません。


なぜ日系人収容所だけが大きな


騒乱になったのか?


歴史学者の多くは、その背景として次の三点を挙げています。


•収容規模が桁違いで、 約12万人もの日系人が対象となったこと。


•アメリカ市民(二世) が多数含まれていたこと。 市民でありながら自由を奪われたことへの不満は非常 に大きくなりました。


•忠誠登録質問票によって、家族や共同体の中にまで「アメリカへの忠誠」 と 「日本への忠誠」という対 立が持ち込まれたことです。


このような条件が重なったため、 日系人収容所では抗議運動や騒乱が起こりやすくなりました。



 



一方、ドイ ツ人収容所ではそのような構造的要因が比較的弱く、大規模な暴動には至らなかったと考えられています。



つい最近、 Nazi Town in USA というドキュメンタリーを観ました。


 



 


驚いたことに、1930年代には、アメリカに、いわゆる「アメリカ・ナ チ党員」が数十万人、百万人を超えていたかも知れません。
戦時中は、かなりなナチ党員が居たはずです。
日系アメリカ人に対するような警戒心はなかったのですか?



その点は、多くの歴史研究者が重視しているところです。


現在の歴史学では、日系アメリカ人の強制収容は、純粋な軍事的必要性だけでは説明できず、人種的偏見が大きく影響したという見方が主流です。


例えば、1983年にアメリカ議会の委員会(Commission on Wartime Relocation and Internment of Civilians)は、長期間にわたる調査の結果、強制収容は「軍事的必要性」ではなく、


人種的偏見(racial prejudice)


戦時ヒステリー(war hysteria)


政治指導力の欠如(failure of political leadership)


が主な要因だったと結論づけました。


その報告書は、その後の政策にも大きな影響を与えています。


一方で、当時の政府や軍が全く根拠なく行動したわけではないことも理解しておく必要があります。


1941年12月の真珠湾攻撃はアメリカ本土に大きな衝撃を与え、「西海岸でも破壊工作やスパイ活動が起きるのではないか」という強い不安が広がりました。


軍や一部の政治家は、そのリスクを非常に深刻に受け止めていました。


しかし、その「不安」がそのまま「日系人全体が危険である」という判断につながった点に問題があったと、現在では評価されています。


ご指摘のように比較してみると、その違いがよく見えてきます。


ドイツ系:親ナチ団体が実在し、FBIも監視していたが、主として危険人物を個別に摘発した。


イタリア系:親ファシスト団体は存在したが、活動実態に応じた個別対応が中心だった。


日系:大規模な親日政治団体は存在せず、多くは一般市民だったにもかかわらず、西海岸の日系人社会全体が強制退去・収容の対象となった。


この比較が、戦後のアメリカで「なぜ日系人だけが集団的措置の対象になったのか」という問いにつながり、政策の再検証が進められるきっかけとなりました。


興味深いのは、アメリカはこの問題を公式に見直したことです。1988年にはCivil Liberties Act of 1988が成立し、連邦政府は強制収容について公式に謝罪するとともに、生存者への補償を行いました。


これは「国家が過去の政策を誤りだったと認め、法的措置によって是正を図った」例として、世界的にもよく取り上げられています。


この一連の経緯は、戦争や国家の危機の中では、安全保障上の懸念と個人の権利との均衡をいかに保つかという、現代にも通じる重要な教訓を示していると言えるでしょう。



現在では、人種差別がだいぶ和らいでいますね。良い傾向です。カナダでも、人種差別は、現在では、ほとんど問題になっていません。ホモホビアはありますが。。。



おっしゃる通りです。全体として見ると、北米では第二次世界大戦当時と比べて、人種差別は法制度の面でも社会意識の面でも大きく改善されました。


アメリカでは、


1964年の公民権法


1965年の投票権法


日系人強制収容への1988年の公式謝罪と補償


などを経て、「人種を理由に集団全体を扱うべきではない」という考え方が社会に定着してきました。


カナダでも、多文化主義(Multiculturalism)が国の政策として採用され、1971年には世界で初めて多文化主義を国家政策として掲げました。


その後、1988年には多文化主義法が制定され、多様な文化的背景を持つ人々が共存することが国の理念の一つとなっています。


そのため、バンクーバーやトロントのような都市では、アジア系住民が非常に多く、人種的な多様性が日常の風景になっています。


もっとも、「ほとんど問題になっていない」という一方で、研究や統計を見ると、人種差別が完全になくなったわけではありません。


例えば、新型コロナ流行初期には、アジア系住民への嫌がらせや暴力事件が北米各地で報告されました。


就職や住宅などで、人種による無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)が残っているという研究もあります。


ヘイトクライム(憎悪犯罪)は現在でも発生しています。


つまり、法律上の平等は大きく進んだものの、社会の中の偏見が完全に消えたわけではないというのが現状です。


一方、ご指摘のホモフォビア(同性愛者への偏見・差別)については、これは近年の重要な社会課題の一つです。


カナダは世界的に見るとLGBTQ+の権利保護が進んでいる国で、2005年には同性婚が全国で合法化されました。


しかし、制度が整っていても、学校でのいじめやSNSでの中傷、宗教的・文化的背景からくる偏見などは依然として存在します。


そのため、法制度の進展と社会意識の変化には時間差があることがわかります。


歴史を振り返ると興味深いのは、差別の対象は時代によって変化してきたことです。


第二次世界大戦中は日系人やドイツ系・イタリア系への警戒が強く、戦後は黒人の公民権運動が大きな課題となり、近年は性的少数者や宗教的少数者など、多様な集団の権利が社会的議論の中心になっています。


この変化は、「ある集団を一括りにして評価するのではなく、一人ひとりを個人として見る」という考え方が少しずつ広がってきたことを示していると言えるでしょう。


もちろん課題は残っていますが、長い歴史の流れで見れば、北米社会はより包摂的な方向へ進んできたと評価してよいと思います。



解説ありがとうございました。



どういたしまして。今回の一連のご質問は、一つの映画から始まって、


バターン死の行進


日系アメリカ人の強制収容


ドイツ系・イタリア系との比較


アメリカ国内の親ナチ運動


戦時中の人種差別


へと発展し、歴史を立体的に見ることができる良いテーマだったと思います。


歴史を学ぶ上で大切なのは、「誰が善で誰が悪か」という単純な構図ではなく、当時の社会や政治がどのような判断を下し、その結果どのような影響が生じたのかを検証することです。


第二次世界大戦中のアメリカは、民主主義国家でありながら日系人を強制収容しました。


一方で戦後には、その政策を自ら検証し、誤りを認めて謝罪と補償を行いました。この二つの側面を併せて見ることで、一つの国や社会をより客観的に理解できます。


また、ご覧になった『Women of Valor』のような作品は、戦争を単なる戦闘ではなく、「捕虜」「民間人」「女性」「日系人」といった様々な立場から描いている点に価値があります。史実と創作を区別しながら鑑賞すると、作品への理解も一段と深まります。


これまでのやり取りからも感じましたが、映画やドキュメンタリーをご覧になった後に、「史実はどうだったのか」「別の立場から見るとどう見えるのか」と掘り下げて考察される姿勢は、歴史を理解する上で非常に有効です


また興味深い作品をご覧になりましたら、ご一緒に史実との比較や背景を検討できればと思います。



 



戦時中に、アメリカに100万人近いアメリカ・ナチ党員が居た、というのはマジで驚きですわねぇ〜。。。



日系アメリカ人並みに強制収容所に収容したら大変なことになっていたでしょう・・・


ドイツ系アメリカ人は500万人以上いたでしょうから、収容所を作るだけでも大変ですわねぇ〜。。。


戦争当時、アメリカでは日本人と見られただけで強制収容所に入れられてしまったのですから、マジで人種差別ですよ。。。僕が当時アメリカにいて、強制収容所に入れられたら、暴動を起こしましたよ。。。日本に強制送還されたら、中山纏大尉のような人間になっていたでしょう。。。


デンマンさんが収容所長になっていたら戦後になって東京裁判で、きっと絞首刑にされていたでしょうねぇ〜。。。


僕は、そうなっていても、それほど残酷なことはしませんよ。。。


解りませんわよゥ。。。アメリカで人種差別された腹いせに、アメリカ人捕虜をバッタ、バッタと斬り殺していたかもしれませんわァ〜。。。


とにかく、平和な時代に生まれてよかったですよ。。。戦争だけは、どんなことがあってもゴメンですよ。。。



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【ジューンの独り言】



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ですってぇ~。。。


あなたも、戦争だけは、どんな事があっても やってはいけないと思いますかァ〜?


ええっ。。。 「そんなことは どうでもいいから、他に何か面白いことを話せ!」


あなたは、そのような強い口調で、わたしにご命令なさるのですかァ〜?


分かりましたわぇ〜。。。


実は、デンマンさんが インスタで、サンバやボサノヴァで踊るきれいで可愛い女の子を紹介しています。


あなたのお気に入りは次の写真のどれですか?


 



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『拡大する』


『実際のページ』


 


写真をクリックして踊りを鑑賞しましたか?


もし、サンバやボサノヴァの曲が聞こえなかったら、動画の右下の「無音」のマークをクリックすれが、解除されて曲を聴くことができます。


ええっ。。。 「そんなことは どうでもいいから、他に何か面白いことを話せ!」


あなたは、更に そのように わたしにご命令なさるのですかァ~?


いけすかないおかたァ〜。。。


分かりましたわ。。。では、あなたも信じられないような 人間を紹介しますわ。。。うふふふふふ。。。


 



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ええっ。。。 「そんなバカバカしい動画は どうでもいいから、他に何か もっと面白いことを話せ!」


分かりましたわ。。。 じゃあ、更に面白い動画をお目にかけますわ。。。


ワンワンちゃんが人間の言葉をしゃべります!


 



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ええっ。。。? 「そんな馬鹿バカしい動画など、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」


あなたは、また そのような命令口調で わたしに強要するのですか?


わかりましたわァ。。。


では、たまには日本の歴史の話も読んでみてくださいなァ。


日本の古代史にも、興味深い不思議な、面白いお話がありますわァ。


次の記事から興味があるものをお読みくださいねぇ~。。。



天武天皇と天智天皇は


同腹の兄弟ではなかった。


天智天皇は暗殺された


定慧出生の秘密


藤原鎌足と長男・定慧


渡来人とアイヌ人の連合王国


なぜ、蝦夷という名前なの?


平和を愛したアイヌ人


藤原鎌足と六韜


古事記より古い書物が


どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は


日本人でないの?


マキアベリもビックリ、


藤原氏のバイブルとは?


ところで、他にも面白い記事がたくさんあります。


興味のある方は次の記事も読んでみてくださいね。


 



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『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』


『今すぐに役立つホットな情報』




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