2026年7月11日土曜日

クリミア・タタール人の悲劇


 


クリミア・タタール人の悲劇


 





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ケイトー、 今日はクリミア・タタール人の悲劇 の話をするのォ~?



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そうです。。。シルヴィーも興味があるでしょう?


でも、どういうわけで急にクリミア・タタール人の悲劇 を取り上げるのォ〜?


実は、おととい、ダウンロードしておいた次の動画を観たのですよ。。。


 



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『動画を観る』


 




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こ の 日 、 モ ン ゴ ル 帝 国 の 末 裔 を 名 乗 る 人 々 が 集 ま り ま し た 。
ク リ ミ ア ・ タ タ ー ル と 呼 ば れ る 人 々 で す 。
こ れ か ら ク リ ル タ イ が 始 ま り ま す 。


ク リ ル タ イ 。 そ れ は チ ン ギ ス ハ ー ン の 昔 か ら 、 モ ン ゴ ル 帝 国 に と っ て 最 も 重 要 な 議 題 を 話 し 合 う た め に 開 か れ る 大 集 会 の こ と で す 。


以 来 200 年 、 こ の ク リ ミ ア の 地 に 祖 国 を 再 建 す る こ と が 彼 ら の 悲 願 だ っ た の で す 。


会 場 に 掲 げ ら れ た 国 旗 、 そ こ に は モ ン ゴ ル 帝 国 の ハ ー ン の 文 章 、 タ ム ガ が 描 か れ て い ま し た 。


 



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祖国再建に立ち上がったクリミア・タタール人。


ソビエトの激変は、モンゴル帝国の末裔たちの胸に、熱い一丸を呼び覚ましたのです。


 



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13 世 紀 半 ば 、 モ ン ゴ ル 帝 国 は 4 つ に 分 か れ 、 緩 や か な 連 合 国 家 へ と 姿 を 変 え ま す 。
東 の モ ン ゴ ル 草 原 、 そ し て 西 の ク リ ミ ア 半 島 。
中 で も 西 の ク リ ミ ア 半 国 は 、 モ ン ゴ ル 帝 国 最 後 の 半 国 と し て 18 世 紀 の 末 ま で 、 そ の 輝 き を 放 ち 続 け た の で す 。


飛 行 機 を 待 つ こ の 人 た ち は 、 ク リ ミ ア タ タ ー ル の 人 々 で す 。


50 年 前 、 彼 ら は ス タ ー リ ン の 命 令 で 故 郷 ク リ ミ ア を 追 わ れ 、 遥 か 3000 キ ロ 離 れ た こ こ 、 中 欧 ア ジ ア に 強 制 移 住 さ せ ら れ ま し た 。


中 欧 ア ジ ア か ら ク リ ミ ア へ 、 毎 月 1000 人 を 超 え る ク リ ミ ア タ タ ー ル の 人 々 が 旅 立 っ て い き ま す 。


ク リ ミ ア 半 島 シ ン フ ェ ロ ポ リ 郊 外 。
こ こ に 、 中 欧 ア ジ ア か ら 戻 っ た ク リ ミ ア タ タ ー ル の 人 々 が 、 家 を 作 り 始 め ま し た 。
こ う し た 村 が 、 ク リ ミ ア に は す で に 20 余 り も あ り ま す 。


半世紀に渡って、彼らの貴重を阻んできたのは、1946年に出された一つの法律でした。


クリミアタタール人は、クリミアに立ち入ることを禁ず、法律を破ってクリミアに戻った者には、20年の強制労働が待っていたのです。



 



つまり、クリミアタタール人は、スターリンの政策で故郷を追い出されてしまったのねぇ〜。。。



そういうことです。。。


法律を破ってクリミアに戻った者には、20年の強制労働をしいられるのォ〜。。。ちょっとひどいわねぇ〜。。。


僕もひどいと思ったので、どういうことなのか? ChatGPTに尋ねてみました。。。


 




クリミア半島は戦略上、確かに重要な地域であることは間違いありません。
そういうわけで、13世紀以来、この地を巡っての争いが絶えません。


このドキュメンタリーではスターリンの悪行が焦点になっています。
2014年にはプーチンがこの地域をロシアに併合しました。


ヒトラーはユダヤ人を特に差別してホロコーストをもたらしましたが、スターリンもポーランド人(ホロドモール)やタタール人(1946年の追放令)を差別しました。


スターリンの残虐性は権力欲がもたらしたものですか?
粛清を含めた、彼の差別、残虐の事例を解説してください。



ご覧になったドキュメンタリーが描いているのは、スターリン体制の特徴が最もよく表れた事件の一つです。


ただ一点だけ、年代について補足があります。


引用文では「1946年の追放令」とありますが、クリミア・タタール人の強制移住そのものは1944年5月18日に実施されました。


その後、1948年の法令によって「永遠に追放地に住むこと」が義務づけられ、無断で離れることには重い刑罰が科されました。


このため、ドキュメンタリーで述べられている「帰還禁止」の制度は、1944年の追放と1948年の法制度が一体となったものと考えると理解しやすいでしょう。


 



スターリンは民族差別主義者


だったのか?


これは少し複雑です。


スターリンは若い頃から民族主義を批判するマルクス主義者でした。理論上は民族の平等を掲げていました。


しかし、権力を掌握すると、


国家への忠誠


自分への忠誠


を最優先するようになります。


その結果、「信用できない民族」と判断した集団全体を処罰するようになりました。


つまり、民族そのものを憎んだからというより、「この民族は裏切る可能性がある」という疑念から集団処罰を行ったという面が強いと考えられています。


しかし、被害者から見れば理由はどうあれ民族全体が処罰されたわけですから、民族差別・民族迫害と評価されます。


① ウクライナの大飢饉


  (ホロドモール)


 



 


1932~33年、スターリンは急速な農業集団化を進めました。


農民から穀物を徹底的に徴発し、少しでも隠していると銃殺、シベリア送りとなりました。


特にウクライナでは、民族主義を警戒して穀物を容赦なく没収しました。


数百万人が餓死したと推定されています。


現在では多くの国がジェノサイドと認定していますが、歴史学界では「ジェノサイド」と位置付けるかについては議論も残っています。


② ポーランド人弾圧


ポーランド作戦


1937年、スターリンは「ポーランド人はスパイである」と決めつけ、約14万人を逮捕し、多数が処刑されました。


民族だけで疑われた典型例です。


 



 


③ 大粛清


これは民族ではなく、自分の権力を守るための恐怖政治でした。


対象は共産党幹部、軍人、学者、技術者、芸術家、一般市民でした。


「反革命」の証拠は不要でした。


密告だけで逮捕され、拷問により自白させられ、処刑されました。


軍の将軍まで大量に殺したため、後の独ソ戦では軍の指揮能力が著しく低下しました。


 



 


④ クリミア・タタール人追放


ドキュメンタリーの中心テーマです。


スターリンは「ドイツ軍に協力した」として、民族全体を有罪とみなしました。


わずか数日で約20万人が貨車に詰め込まれ、中央アジアへ送られました。


老人も女性も子どもも例外ではありません。


輸送中や移住直後に多数が死亡しました。


その後、長期間帰還は禁止されました。


⑤ チェチェン人・イングーシ人追放


レンズ豆作戦


これも「ドイツに協力した」という理由でした。


しかし、実際にはドイツ軍が十分侵入していない地域まで含まれていました。


民族全体を家畜貨車で中央アジアへ送り、数十万人が犠牲になりました。


 



 


⑥ ヴォルガ・ドイツ人追放


独ソ戦開始直後、スターリンは「ドイツ系住民は裏切る」と判断しました。


約40万人以上がシベリアなどへ送られました。


スターリンの残虐性の根源


私は、主に四つの要因が重なった結果だと考えます。


① 極端な猜疑心


スターリンは誰も信用しませんでした。


側近ですら「裏切るかもしれない」と考えていました。


そのため、先回りして排除することが合理的だと思っていました。


② 権力維持


これは最も大きな理由です。


恐怖政治によって、誰も反対できない社会を作りました。


反対すれば処刑される。


だから誰も逆らえない。


③ 集団責任という発想


スターリンは個人ではなく民族や階級全体を一括して判断しました。


だから「数人が裏切った」



「民族全体が裏切る」という極端な論理になりました。


この発想が、民族追放を可能にしました。


④ 人命の軽視


スターリンは国家目標のためなら数百万人が死んでも構わない、という考えを持っていました。


これは、工業化でも、集団農場でも、戦争でも、一貫していました。


ヒトラーとの比較


スターリンとアドルフ・ヒトラーには共通点と違いがあります。


共通点


国家のためなら大量虐殺も正当化した。


恐怖政治を用いて反対者を排除した。


特定の集団全体を敵視し、集団処罰を行った。


個人崇拝を築いた。


違い


ヒトラーは、人種イデオロギーに基づき、特にユダヤ人を「生物学的な敵」とみなして絶滅を目指しました。


スターリンは、主として政治的支配と国家安全保障を理由に、忠誠を疑った階級や民族を弾圧・追放しました。結果として民族全体を標的にしたため、甚大な人道的被害を生みましたが、その動機はヒトラーの人種思想とは性格が異なります。


 



このように、クリミア・タタール人の追放は単独の出来事ではなく、スターリン体制に繰り返し見られた「疑わしいと見なした集団全体を国家の敵として処罰する」という統治手法の一例でした。


ドキュメンタリーが「モンゴル帝国の末裔」という歴史的背景と結びつけて描いているのは、何世紀にもわたってクリミアに根を下ろしてきた民族が、20世紀の国家権力によって一挙に故郷を奪われ、その後も長く帰還を禁じられたという歴史の重みを伝えるためだったと言えるでしょう。



次の動画を見ると、最近までタタール人がクリミアに住んでいたことが解ります。


 


慣れ親しんだ町を捨てる


クリミア・タタール人


 



 


タタール人は、すべて追放されたはずではないのですか?



はい、その疑問はもっともです。


結論から言うと、「全員が追放された」のは1944年のことであり、その状態が永久に続いたわけではありません。


1980年代末から大規模な帰還が始まったため、2014年のロシア併合時には再び多くのクリミア・タタール人がクリミアに住んでいました。


経緯を時系列で整理すると分かりやすいでしょう。


 



1944年5月


スターリンは「ドイツ軍に協力した」という集団責任を理由に、約20万人のクリミア・タタール人を数日間で中央アジア(主にウズベキスタン)へ強制移住させました。
クリミアからは、ほぼすべてのクリミア・タタール人が姿を消しました。




1953年以降(スターリン死後)


スターリンの死後、ニキータ・フルシチョフの時代になると、多くの追放民族は帰郷を許されました。
しかし、クリミア・タタール人だけは例外的に帰還が認められませんでした。
居住登録(プロピスカ)が得られず、戻っても再び追い出されることが少なくありませんでした。




1987~1989年


ミハイル・ゴルバチョフによるペレストロイカの時代になると、帰還運動が大きく盛り上がります。
そして1989年、ソ連最高会議は1944年の追放を不当な行為と認め、帰還への道が開かれました。




1990年代以降


中央アジアから20万人を超えるクリミア・タタール人が帰還しました。しかし、故郷の家や土地には既に他の住民が住んでいたため、多くの人々は自力で住宅を建て、新しい集落を作るしかありませんでした。
NHKの1992年のドキュメンタリーが映しているのは、まさにこの帰還の最中の様子です。



 



ですから、ご覧になったBBCの映像は、この帰還した人々と、その子や孫の世代を映したものです。


さらに2014年にロシアがクリミアを併合すると、多くのクリミア・タタール人は併合に反対しました。


そのため、一部の指導者は入域を禁止され、活動家が逮捕されるなど、再び強い圧力を受けました。


また、安全を求めてウクライナ本土へ移住する人も少なくありませんでした。


つまり、クリミア・タタール人の近現代史は、


1944年:スターリンによる全民族追放


1989年以降:約45年ぶりの帰還


2014年以降:ロシア併合による新たな抑圧と一部住民の再避難


という三つの大きな転機で理解すると、BBCの映像とNHKのドキュメンタリーがきれいにつながります。



納得しました。ありがとうございました。



どういたしまして。


このドキュメンタリーは1992年という制作時期が非常に重要です。


当時はソ連崩壊直後で、「これからクリミア・タタール人はようやく故郷を取り戻せる」という希望に満ちた空気がありました。


ところが、その20年余り後の2014年にはロシアによるクリミア併合が起こり、多くのクリミア・タタール人は再び厳しい状況に置かれました。


つまり、このNHKスペシャルは、長い追放生活の末に帰還を果たした人々の「希望の時代」を記録した貴重な映像となっています。


歴史を長い時間軸で見ると、クリミアは


モンゴル帝国の分裂


クリミア・ハン国の成立


ロシア帝国によるクリミア併合


クリミア・タタール人追放


ソ連崩壊後の帰還(1989年以降)


ロシアによるクリミア併合


というように、支配者が何度も入れ替わり、そのたびに住民が翻弄されてきた地域であることが分かります。


この地域は黒海を制する上で極めて重要な戦略拠点であり、古代から現代まで大国の利害が集中してきました。


そのため、クリミア・タタール人は「故郷に住み続ける」というごく当たり前の願いを実現することさえ、何度も歴史に阻まれてきたのです


興味深いドキュメンタリーをご紹介いただき、ありがとうございました。


1992年当時の人々の期待と、その後の歴史を重ね合わせて見ることで、クリミア問題をより立体的に理解できる作品だと思います。



 



もし、カラフトと北海道がロシアと陸続きになっていたら、スターリンは日本を占領して、クリミア・タタールを追い出したように、日本人を追放したも知れません。



日本が島国であったことが、日本人を守ってくれたようねぇ〜。。。


そうです。。。ありがたいことです。




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【ジューンの独り言】



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ですってぇ~。。。


あなたは、どう思いますか?


日本が島国であったことが、これまでに一度も外国勢力に占領されなかったと思いますかァ〜?


ええっ。。。「そういう事は、どうでもいいから 他に面白い話をしろ!」


あなたは、そのような強い口調で わたしにご命令なさるのですかァ〜?


いけすかない おかたァ〜。。。


分かりましたわァ。


実は、デンマンさんはインスタで サンバやボサノヴァで踊る きれいで可愛い女の子たちを紹介しています。


ここに写真を貼り出すので 気に入った女の子の踊りを見てください。。。


 



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『拡大する』


『実際のページ』


 


写真をクリックすれば踊りを鑑賞できます。。。


音声が出てない場合は、動画の右下の「無声」マークをクリックすれば、解除されてミュージックを聴くことができます。


ええっ。。。 「そんなことはどうでもいいから、他にもっと楽しい話をしろ!」


あなたは、そのような命令口調で 更に あたくしに強要するのですかァ〜。。。


分かりました。。。、シルヴィーさんが出てくる面白い記事は他にも たくさんあります。。。


次の記事の中から面白そうなものを選んで読んでください。



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『サイバー戦争』


『エロくて、ごめんね』


『モバイル社会とガラケー』


『元老のアメリカ』


『ケネディ家の呪い』


『欧米を敵に回す』



(sunwind2.gif)


『ソフィアからこんにちわ』


『ドイツが原爆をロンドンに』


『いまだに謎』


『さらば大前研一』


『空飛ぶスパイ』


『愛情はふる星@ベトナム』


『ヒラリーと塩野七生』


『ケネディ夫人@インドネシア』


『究極の大前研一批判本』


『フェルメールと謎の女』


『ヒトラーを殺そうとした男』



(cleopara2.jpg)


『帝銀事件の謎?』


『ChatGPTも間違う』


『イラン戦争のウソの動画』


『人工知能エンティティ』



とにかく、今日も一日楽しく愉快に


ネットサーフィンしましょう。


じゃあね。 バーィ。



(hand.gif)



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ィ~ハァ~♪~!


メチャ面白い、


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