愛のカタルシス
Subj:そのうち「幸せの青い鳥」を ゆっくりと探そうと思います。
Date: 13/05/2010 6:29:18 PM
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日本時間:5月14日(金曜日)午前10時29分
From: ********@***.biglobe.ne.jp
To: barclay1720@aol.com
長い返信ありがとうございます。何度も繰り返して読ませていただきました。
そうですよね。私はデンマンさんにメールを書くことで心理的な抑圧を解放していたのかもしれません。
カタルシスですか?
何度か耳にした事のある単語でしたが、自分の事として読まされると全く違ったインパクトを持ってオツムに染み込んできます。
私が意識の下に追いやった“封印された恋”は、乱歩先生に従えば反社会的願望になるのですね。私が健全な心を保つためには「カタルシス」が必要であり、私は無意識にそれを求めていたのだと。。。霊感を得たように分かったような気がしました。
精神分析学の発見したところによると、ヒステリーその他の神経的疾患(しっかん)の大部分は、反社会的願望の抑圧が原因となっているそうですが、私の“封印された恋”は、やがて意識に上って私の精神を蝕(むしば)むような運命にあったのかもしれません。
狂ってしまいたい
せつない声をあげて
あなたの背中を抱きしめる
そのくちびるが
その指先が
わたしを狂わせる
この濡れた身体の
一番深い場所で
溶け合うように
あなたとひとつになる
その熱いくちびるで
乱れた呼吸を吸い取って
あなたの欲望で
わたしを燃やしつくして
by めれんげ
2010.02.12 Friday 12:41
『愛の涙』に掲載
(2010年2月16日)
デンマンさんのご指摘の通り、私はめれんげさんの上の詩を読んだのでした。
確かに、意識の下に追いやろうとした“封印された恋”が墓石をもたげて出てきてしまったのです。
主人は3週間ニューヨークに出張。
私は、一人パソコンの前にすわって、めれんげさんの熱い詩に向かっておりました。
意識の下に追いやろうとした“封印された恋”が墓石をもたげて私の胸に這い上がってきたのです。
その夜、悶々(もんもん)として、私はなかなか寝付けませんでした。
精神分析療法は、一口に言えば、意識下に抑圧し切れなくなった過剰願望の「カタルシス」である。
この場合カタルシスは、分析者が患者自身の口から、その密(ひそ)かなる願望を詳細に物語らせ、心理的抑圧を解放することによって行われる。
夢が同じ意味で「カタルシス」である。
そして、芸術もまた、別の意味での夢として「カタルシス」の作用を行うのだ。
この部分を読んで、なるほどと納得させられました。
私は無意識のうちにカタルシスを求めていたのですね。
封印された不倫の恋が葬られている墓石の下に「愛の青い鳥」が居ないことを玲子さんは知っている。
「愛の青い鳥」は、メーテルリンクじゃないけれど、墓石の下などには居ない。
そうです。
「愛の青い鳥」は、玲子さんの家庭の中に居るのです。
玲子さんも、その事を知っていたはずです。
でも、心理的抑圧を解放しなければならなかった。
それで、玲子さんは、知ってか?知らぬか?僕にメールを書いた。
デンマンさんの洞察力に改めて感服いたしました。
多分、その通りだと思います。
カタルシス
ギリシャ語 katharsis=浄化
1) 劇、特に悲劇を見ることによって
日ごろのストレスを解消し、
さっぱりした感じになること。
2) 自己の直面する苦悩などを
表出する事によって
コンプレックスを解消すること。
三省堂 「新明解国語辞典 (第2版)」より
そうですよね。
今の私は、デンマンさんにメールを書いて、心理的抑圧を解放し、日ごろのストレスまで解消して、さっぱりした気分になっていますよ。
おかげで、気持ちを入れ替えて、また忙しい、あわただしい家事に立ち戻っています。
でも、「幸せの青い鳥」は、この日常茶飯事の中に潜んでいると言うのでしょうか?
そのように思わない限り、人生は砂漠のようになってしまうでしょう。
そのうち私も「幸せの青い鳥」を身近に探そうと思います。(微笑)
いづれにしても、デンマンさんの返信をありがたく読ませていただきました。
まずは、お礼まで。。。
かしこ
デンマンさん。。。あんさんは、玲子さんのメールを持ち出してきて、実は、わたしを批判しようとしているのとちゃうん?
ん。。。? わてがめれちゃんを批判しようとしている?
そうですう。
どのように。。。?
あんさんは次のように書いてますやん。
封印された不倫の恋が 葬られている墓石の下に 「愛の青い鳥」が居ないことを 玲子さんは知っている。 「愛の青い鳥」は、 メーテルリンクじゃないけれど、 墓石の下などには居ない。 そうです。 「愛の青い鳥」は、 玲子さんの家庭の中に 居るのです。
確かに、わては上のように書いたでぇ~。。。、でも、めれちゃんを批判するってぇ~、わては、この上の小文で、どのようにめれちゃんを批判しようとしていると思うのやァ~?
あんさんは、わたしが家庭を持とうとせずに恋愛に現(うつつ)を抜かしていることを暗に批判しようとしていますねん。
つまり、めれちゃんは、自分が家庭を持とうとせずに恋愛に現(うつつ)を抜かしていると思うておるのんかァ~?
思うてません。。。わたしではのうてぇ、あんさんが、そう思うてはるねん。
わては。。。、わては、一度も、そのような事をめれちゃんに言うたこともないでぇ、書いたこともないのやでぇ~。。。
でも、あんさんは、そう思うてますのやろう?
かなわんなあああァ~。。。めれちゃんは、勝手にそのように思い込んでしもうたのやァ。
勝手やあらへんでぇ~。。。、あんさんは上のように書いてますやん。
確かに、書いているけれど、めれちゃんが勝手に誤解しているのやないかいなァ~!
誤解も、六階も、七回の裏もありませんがなァ~。。。あんさんは、最近、マジでわたしにつめとうしておりますねん。
めれちゃんに冷たくしているなんてぇ、そのような事はあらへん。
その証拠でもあるのォ~?
もちろんやァ。めれちゃんは、かつて次のようなアツアツで萌え萌えの短歌を書いていたのやでぇ~。
くちづけ
罪深き ことと知りつつ この夜も きみのくちづけ もとめて止まぬ
by めれんげ
2009.01.14 Wednesday 14:21
もう1年以上も前の短歌ですやん。
1年前であろうが2年前であろうが、そのような事はどうでもええねん。要は、めれちゃんのアツアツで萌え萌えの短歌に、わても熱くなって5つも返歌を書いているのやでぇ~。。。読んでみィ~なァ。
罪深き ことと言えども きみゆえに われは求める 熱きくちびる
柔肌に 熱き血潮を 秘めながら きみは濡れたり 萌え萌えになり
いつまでも きみのぬくもり この腕に 別れがつらい 朝顔のつゆ
朝まだき きみは涙で 見送るも まだ覚めやらぬ 愛のぬくもり
めれちゃんや ああ、めれちゃんや めれちゃんや きみの短歌に ムレムレになり
うしししし。。。
最後は、関西人のめれちゃんのウケ
をねらって、こころならずも
ギャグをこめた狂歌で閉めくくりました。
じゃあねぇ。
\(^δ^)/ キャハハハ。。。
2009-01-15 07:46 AM
『即興の詩 くちづけ』のコメント欄より
『めれんげさんと六条の御息所』に掲載
(2010年2月12日)
このようなアツアツな短歌を書く男なんて、そうたくさんおらへんでぇ~。。。、それなのに、めれちゃんは、わてが冷たくしておると言うのんかァ~?
確かに、あんさんは、すぐにムレムレになるところがありますのやァ。うふふふふふ。。。
やだなあああァ~。。。ムレムレと書いたのは、笑ってもらうために、そう書いたまでやねん。。。本当は、心の底からめれちゃのことをいとおしく思っているのやないかいなァ。
言葉は重宝ですよってに、何とでも言えますやん。
つまり、上の証拠を見せたにもかかわらず、めれちゃんが家庭を持とうとせずに恋愛に現(うつつ)を抜かしていることをわてが批判しようとしている。。。まだ、そのように思い込んでおるのんかァ~?
そやかてぇ~、最近のあんさんを見ていると、人妻に関心が移ってますねん。。。それでぇ。。。小百合さんばかりか。。。玲子さんのお尻まで追いかけてますやん。
やだなあああァ~。。。めれちゃんは考えすぎやんかァ!んもお~~。。。確かに家庭を持つ事は大切やでぇ~。。。でもなァ、だからと言って、わてが家庭を持っている人妻に関心が移っているわけではないねん。
そやかてぇ、最近、あんさんは玲子さんと小百合さんに夢中になってますやん。
めれちゃん!。。。いいかげんにしいやあああァ!。。。上のような熱い短歌を詠めると言う事は、めれちゃに対しても十分以上に夢中になっていると言う証拠なのやでぇ~!
そうやろか?
あのなァ~、このような事を言い合っていても埒(らち)が開(あ)かへんから言うけれど、そもそも玲子さんは、めれちゃんの上の熱い詩の何に惹かれたと思うのや?
わたしの詩を読みはってぇ、封印したはずの恋を思い出したのですやん。
確かに玲子さんはそのように書いている。でもなァ、実は、そればかりではないねん。
他に何があると、あんさんは言わはるのォ~?
めれちゃんのあふれるばかりの情熱と、その情熱を詩に表現する自由な心に惹かれたのやがなァ。その詩の中に“文学少女の面影”を見て感動したのやがなァ。
私は骨の髄まで
文学少女なのです
「文学少女」は普通の小説である。
探偵小説壇には普通の小説に似たものを書く人も多いけれど、その気迫において「文学少女」までいたっている作品は非常に少ないのではないかと思う。
短い短編の中に類型ではあるが、しかし決して通常人ではない一人の文学少女の生涯が、簡潔に、しかし溢れる「情熱」と「自尊心」とをもって描かれている。
。。。
僕はかつて、「日本探偵小説傑作集」の序文で、探偵作家諸君の作風を紹介したことがあるが、その中で木々高太郎君だけは、少し見誤っていたことを告白しなければならない。
彼の文学執心には医学者の余技以上のものがある。単なる精神分析作家ではない。
文学心に燃ゆること、探偵小説界彼の右に出(い)ずるものもないほどであることが、だんだん分かってきた。
僕は彼の作品に、スリルまでに高められた「情熱」と「自尊心」とを感じる。
それが人を打たぬはずはない。
「文学少女」でいえば、わざと学校の答案を間違って書くというくだり、
「恋愛は二人のことだけれど文学は孤独の業である」というくだり、
大心池(おおころち)博士が具体的表現ということから女主人公の文学素質を看破するくだり、
有名な小説家に自作を剽窃(ひょうせつ)されて怒るよりも喜ぶという心理、
その謝礼金の小切手を夫が費消(ひしょう)したことを知って、突如としてメチルアルコールを買いに行くあたりの描写、
そして、女主人公が獄中で一躍流行作家となる運命。
「先生、痛みなどは何でもありません。私は始めて人生を生きたいという希望に燃えて来ました。
(中略)
文学というものは、なんという、人を苦しめ、引きちぎり、それでも深く生命の中へと入って消すことのできないものでしょう。
でも、私はもう七度(たび)も生まれてきて、文学の悩みを味わいたいのです。
私は骨の隋まで文学少女なのです」
これは女主人公が普通の人には堪えられぬ程の骨の痛みに堪えながら、大心池先生に叫ぶ言葉であるが、僕はそれを作者木々高太郎の絶叫ででもあるように錯覚して、快い戦慄を禁じえなかったのである。
そして...
「お願いが一つあるのです。。。それは私はもう一度生まれてきて、文学をいたします。そしたら、やっぱり先生が見出してくださいますわね」
「。。。ミヤが心の内で、先生に接吻しているのを許してください」
…とやせ細った手を上げたが、それは先生を身近く招くためではなくて、近づこうとする先生を、近づかぬように制するためであった。
…という幕切れの、パッと消えてゆく情熱の花火が、消え行く刹那、たちまちその色彩を一変して見せるかのごとき、すっきりしたあの味。
僕は木々高太郎君が、「情熱」の作家であることを知っていた。
しかし彼のより以上の特徴が自尊心の作家であるということをハッキリ認識したのはつい三四ヶ月以来である。
僕は以前からも、それを漠然と感じて、「気迫」という言葉で言い表わしていたが、「自尊心」というのがもっと適切である。
pp.511-513 「文学少女」より
『江戸川乱歩全集 第25巻 鬼の言葉』
監修: 新保博久・山前譲
2005年2月20日 初版1刷発行
発行所: 株式会社 光文社
『文学は孤独の業 - 文学少女の孤独』に掲載
(2009年5月26日)
デンマンさん。。。あんさんは、どうしてこの文章を持ち出してきやはったん?
玲子さんは、この“文学少女の面影”をめれちゃんに見て感動したのやがなァ!
玲子さんは上の記事も読みはったん?
そうやァ。
どうして、あんさんに分かりはるのォ~?
玲子さんにも、わてにも、“文学少女の面影”を見て感動するだけの文学的な素養があるねん。そやから、玲子さんはレンゲさんの『不倫の悦びと苦悩』を読んで以来、ずっと、わてのブログを読みながら、めれちゃんの詩や短歌に注目してきたのやァ。
玲子さんは、あんさんに、そう言わはったん?
いちいち、わてに言わなくても、わてには分かるねん。“文学少女の面影”を見て感動するだけの文学的な素養が無かったら、玲子さんは、わてにメールを書く事もなかったのやでぇ~。
それで、あんさんは“文学少女の面影”が、どうやと言うねん?
つまり、玲子さんは、めれちゃんの熱い詩の中に、文学少女の悦びと苦悩を読み取ったのやがなァ。。。それが、また玲子さんの“封印された恋”の悦びと苦悩でもあった。そこに、共感したのや。
【レンゲの独り言】
ですってぇ~。。。
いつものように、デンマンさんの理屈っぽいところが出ていますけれど、なんとなく分かるでしょう?
めれんげさんの熱い詩を読んだ時
“封印された恋”が頭をもたげてきて玲子さんの気持ちを悩ませたのでした。
でも、ただ悩んだだけではなく、悦びも感じていたとデンマンさんは推察するのです。
あなたは、どう思いますか?
とにかく、まだ興味深い話題が続きます。
あなたも、また明後日、読みに戻ってきてくださいねぇ。
では。。。
あなたが絶対、 見たいと思っていた 面白くて実にためになるリンク ■ 『きれいになったと感じさせる下着・ランジェリーを見つけませんか?』
こんにちは。ジューンです。 “縁は異なもの 味なもの” (えんはいなもの あじなもの) よく耳にしますよね。 男と女のめぐりあい、結びつきというものは、 予測がつかない。 ほんとうに不思議なもの、 おもしろいものだ、ということですよね。 さて、英語では何と言うのでしょうか? 考えてみたことがありますか? 次のように言います。 Inscrutable are the ways people are brought together. 人の出会いというのは、 良く分からないものだわ。 次のように言うこともできます。 There is no telling which two will make a couple. どの二人がカップルになるのか? 誰にも見当がつかないものだわ。 ところで、卑弥子さんが面白いサイトを やっています。 興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして 覗いてみてくださいね。 とにかく、今日も一日楽しく愉快に ネットサーフィンしましょうね。 じゃあね。バーィ
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