2012年4月26日木曜日

ラピスラズリ万年筆と源氏物語

ラピスラズリ万年筆と源氏物語


(lapispen3.jpg)




デンマンさん...昨日もラピスラズリのお話をしたばかりではござ~♪~ませんか?



『群青の石とロマン』

(2012年4月25日)




実は、今日の話をするために、わざわざ2005年に書いた記事を改めて持ち出してきたのですよ。

どうしてですか?

不思議な事があるもので2月14日に僕は次の記事を書いたのですよ。



『ラピスラズリと紺瑠璃杯』

(2012年2月14日)




覚えてますわよ。 旅猫マイケルさんからコメントをいただいたので、それを基にして書いたのでしたよね。



そうです。 昨日書いた記事のオリジナルは『ラピスラズリとラピスラズリ・ロード』という記事で、これは2005年6月17日に書いたのです。 それ以来コメントが付かなかったのに、旅猫マイケルさんが今年の2月に初めてコメントを書いてくれた。 一度あることは二度あるもので、4月22日に「小笠 k.y.」さんから同じ記事にコメントをもらったのですよ。

偶然でしょうか?

いや。。。決して偶然ではないはずですよ。

つまり、旅猫マイケルさんがコメントを書いたことが引き金になっているとデンマンさんは思っているのでござ~♪~ますか?

もちろんですよ。

でも、どういうわけで。。。?

あのねぇ~、旅猫マイケルさんがコメントを書いてくれたので、僕はうれしくなって、その事について記事を書いたのですよ。 それが次の記事です。

『ラピスラズリと紺瑠璃杯』

(2012年2月14日)


この記事の中でオリジナルの記事『ラピスラズリとラピスラズリ・ロード』を引用したのです。 そうすることによって、このオリジナルの記事の評価が高くなる。

何の評価でござ~♪~ますか?

検索エンジンが掲載順序を決める時の評価ですよ。

要するに、デンマンさんが2月14日に『ラピスラズリと紺瑠璃杯』を書いたことによって『ラピスラズリとラピスラズリ・ロード』の掲載順位が上昇したと言うのですか?

その通りですよ。

マジでそうなったのでござ~♪~ますか?

なりましたよ。 その検索結果があるから見てください。


(gog20425.gif)



あらっ。。。マジですわね。 オリジナルの記事が 6番目に表示されていますわ。



記事のタイトルは『ラピスラズリとラピスラズリ・ロード』でも、ファイルの名前は「ラピスラズリ lapis lazuli」になっているので検索結果には、そのように表示されているのです。 最初のページに表示されるようになったので検索する人の目に付きやすくなったのですよ。 それで、またコメントをもらうことになったのです。

。。。で、どのようなコメントをいただいたのでござ~♪~ますか?

ここに貼りだすから卑弥子さんも読んでみてください。



Beaverland Net Form Processor
From: ogasa.k.y@****.enjoy.ne.jp
To: barclay1720@aol.com
Date:Sun, Apr 22, 2012 10:58 pm
Pacific Sunlight Saving Time
日本時間: 4月23日 午後2時58分


MESSAGE SENT THROUGH YOUR WEBSITE

This form was submitted:
Apr 22 2012 / 22:58:46

userid = barclay1720
YahGeo = crete-lapis-superb
Your_Name = 小笠 k.y.
Your_Email_Address = ogasa.k.y@****.enjoy.ne.jp

Comments:


万年筆に趣味があります。
数年前、クロスの3本セットを手に入れました。
群青色の素晴らしいものでした。
原料がラピスラズリと書いてあったのですが、深く調べませんでした。



今回、調べてみてびっくりしました。
バダフシャン炭鉱にのみ産するということも知りうれしくなりました。
ありがとうございました。
今後もよろしくご指導ください。





なるほどねぇ~...「小笠 k.y.」さんは検索エンジンで調べたのですわね。 そしたらデンマンさんの記事が6番目に表示されていたのでクリックして読んだのでござ~♪~ますわねぇ。



そういうことですよ。 だから、旅猫マイケルさんが書いてくれたコメントを基にして記事を書いたので、オリジナルの記事の評価が検索エンジンで上昇したわけです。

それで、ネット市民の皆様に目に付きやすくなったのでござ~♪~ますか?

そうです。。。だから考えてみれば、旅猫マイケルさんのコメントのあとで、「小笠 k.y.」さんのコメントが続いたのは至極当然なことなんですよ。

これからもコメントを書いてくださる方が続くかしら?

この記事が投稿されたので、また順位が上がりますよ。 コメントが数珠繋(じゅずつな)ぎのようには続かないだろうけれど忘れた頃に、また書いてくれる人が現れますよ。

。。。で、デンマンさんもラピスラズリの万年筆を愛用しているのでござ~♪~ますか?

僕は、そういう高価なものは使わない主義です。 高いのは6万円ぐらいするのですよ。 安いパソコンが買える値段です。 僕はもともと万年筆は性に合わないタチで、100円ショップで売っている10本セットのボールペンが一番使い易いのですよ。

そのようなものがあるのでござ~♪~ますか?

日本の百円ショップで買ったことはないけれど、すぐそこのデンマン・モールのショッパーズ・ドラッグマートで10本100円ほどで売っているので僕は愛用しているのです。



デンマン・モールのショッパーズ・ドラッグマート



使い捨てのボールペンですか?



そうです。

ラピスラズリ万年筆を愛用していないということは、デンマンさんは正倉院にあるようなラピシラズリのグラスを愛用しているのですか?






まさかァ~。。。もし、本物を買おうとしたら1億円以上しますよ。 グラスに1億円なんて、とても出せませんよ。 それに、そんな金どこを探してもありません。 (苦笑)



じゃあ、どうしてデンマンさんはラピスラズリに興味を持ったのでござ~♪~ますか?

ラピスラズリに歴史ロマンを感じるからですよ。

歴史ロマンでござ~♪~ますか?

卑弥子さんは、つまらなそうに言うけれど、卑弥子さんが『源氏物語』に惹かれるように、僕はラピスラズリに惹かれるのですよ。

『源氏物語』とラピスラズリを一緒にしないでくださいな。

あれっ。。。卑弥子さんともあろう有能な源氏物語研究家が、そのような事を言おうとは思いもよりませんでしたよ。

あらっ。。。なぜですか?。。。古典文学と「群青の石ころ」を一緒にしないでくださいと言うのが可笑しいのでござ~♪~ますか?

やだなあああァ~。。。『源氏物語』にもラピスラズリが登場しますよ。

ラピスラズリなど出てきませんわ。。。絶対に出てまいりません!

あれっ。。。卑弥子さんは知らないのですか?

あたくしは、これでも京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している准教授でござ~♪~ますわ。 もう10年近く講義しておりますけれど、ラピスラズリが出てきたためしがないのでござ~♪~ますゥ。

あのねぇ~、確かに“ラピスラズリ”という言葉は出てきませんよ。 でもねぇ~、思い出してくださいよ。 僕は昨日の記事の中で次のように書いていたはずです。


ラズリは、アラビア語の、天・空・青を意味する“allazward”から派生しました。
このアラビア語はペルシャ語の紺碧色に由来する“lazward”が語源です。
フランス語の“azur”は、“l” が冠詞であるかのように扱われ、ラテン語から脱落して生まれたものです。
スペイン語やポルトガル語で青を意味する“azul”もここから来ており、イベリア半島が8~13世紀半ばまでイスラム世界であった名残りです。

このラピスラズリの鉱物名はラズライト(lazurite)と呼ばれます。
産地が数カ所しかない貴重な鉱物で、変成作用を受けた石灰岩の中に見つけることが出来ます。

lazurite (lazurite3.jpg--145x170)
青色の原因はイオウです。
ラズライト中にイオウが過剰に存在すると、イオウは鉄と結びついて金色の黄鉄鉱を形成します。
右側の標本の金色部分が黄鉄鉱です。
白色の部分は方解石です。
黄鉄鉱のみ含んでいるものが重宝されています。
いわゆる“金色の斑点が輝く群青の石”です。

このラズライトが取れる有名な鉱山がアフガニスタンのバダフシャン(Badakhshan)です。
この産地のバダフシャンは有史以前から知られており、現在も最良の原石が採れる最大の鉱山です。
長いあいだ唯一の鉱山でしたが、最近ではロシアのバイカル湖畔やチリの鉱山でも採取されています。

ラピスラズリは日本名を青金石といい、古くは瑠璃(るり)と呼ばれていました。
この瑠璃は星の瞬く夜空を連想させる美しい宝石であったようで、5000年以上も前から珍重されていたんですね。





『群青の石とロマン』より
(2012年4月25日)




最後に赤字で強調したから今度は思い出したでしょう!?



あらっ。。。あたくしとしたことが。。。お恥ずかしいですわ。 ど忘れしておりました。 そうでしたわ、平安時代にはラピスラズリは瑠璃と呼ばれていたのですわ。

そうですよ。。。その通りですよう。

デンマンさんがおっしゃるのは、頭中将と夕顔の娘である玉鬘(たまかずら)のことですわね?

その通りですよ。 玉鬘の幼名が瑠璃君なのです。

それにしてもデンマンさんはお詳しいのですわね。 玉鬘が幼い時に瑠璃君と呼ばれていたのを覚えている人なんて、めったに居ないものでござ~♪~ますわ。

あのねぇ~、実を言うと僕は知らなかったのですよ。 たまたまラピスラズリの事を書くことになったので、ついでに調べたのですよ。

でも、デンマンさんのお話を聞いて、玉鬘がなぜ幼い時に「瑠璃君」と呼ばれたのかが良く理解できましたわ。

ほおォ~。。。なぜですか?

夕顔の遺児・玉鬘は母の死後、4歳で乳母一家に伴われて筑紫へ下国したのですわ。 おそらく、この乳母は、若くして亡くなってしまった夕顔のこと、それに彼女の遺児の玉鬘のことを不憫に思ったのですわ。 九州まで下って来て暮らしているけれど、乳母は玉鬘の父親が頭中将である事を、この幼子に肝に銘じて欲しいと思ったのですわ。

つまり、身分の高い宮廷人の子供だという事を幼心にも理解していて欲しいと乳母は願ったわけですか?

そうでござ~♪~ますわ。 それに、乳母の目にも、この子が星の瞬く夜空を連想させる美しい女の子だったのですわよ。 それで“瑠璃のように高貴で美しい女の子”なので「瑠璃君」と呼んだのですわ。 きっと。。。

なるほど。。。、卑弥子さんは、乳母の立場になってそう考えるわけですか?

そうですわ。

僕は作家の立場になって。。。つまり、もともとその幼名を考え出した紫式部女史の立場になって考えるべきだと思うのですよ。 





乳母が「瑠璃君」という幼名をつけたことになっていたとしても、いろいろな名前を考え出したのは作家である紫式部女史なのだから。。。



そうでしょうかしら?。。。んで、デンマンさんは紫式部女史がどのような思いを込めて、幼かった頃の玉鬘を「瑠璃君」と呼ばせたと思うのでござ~♪~ますか?

それを説明するには夕顔の短い一生を見てみる必要があるのですよ。


夕顔の短い一生



夕顔は三位中将の娘として生まれる。
父の死後、頭中将(当時は少将)と結ばれて一女(後の玉鬘)をもうけるが、本妻の嫉妬を恐れて姿を消し、市井にまぎれて暮らしている。
光源氏が17歳の頃、従者・藤原惟光の母親でもある乳母の見舞いにゆく。
その折、乳母の家の隣家の垣根に咲くユウガオの花に目を留めた光源氏が、その花の美しさに惹かれて取りにやらせたところ、邸の住人(夕顔)が和歌で返答する。
市井の女とも思えない教養に興味を持った光源氏は、身分を隠して彼女のもとに通うようになる。

可憐なその女は自分の素性は明かさないものの、逢瀬の度に頼りきって身を預ける風情が心をそそり、光源氏は彼女にのめりこんでいく。
あるとき、逢引の舞台として寂れた某院(なにがしのいん、源融の旧邸六条河原院がモデルとされる)に夕顔を連れ込んだ光源氏であったが、深夜に女性の霊(六条御息所とも言われるが不明)が現れて恨みごとを言う。
夕顔はそのまま人事不省に陥り、明け方に息を引き取った。




夕顔の儚(はかな)い一生を見るだけでも、読む人は同情を寄せざるを得ない。 彼女は人に憎まれるような性格ではない。 むしろ人に好かれる可憐で朗らかな性格の持ち主なのですよ。 卑弥子さんに説明するのは「釈迦に説法」になるけれど、光源氏は短い間の付き合いであったにもかかわらず夕顔にのめりこみ、死後も彼女の面影を追うのですよ。



それで。。。?

当時は怨霊信仰というものがあった。 菅原道真の例がもっとも有名です。 とても才能のある人で宇多天皇に重用されて「寛平の治」を支えた一人であり、醍醐天皇の時に右大臣にまで昇った。 しかし、左大臣・藤原時平に妬(ねた)まれて讒訴(ざんそ)され、大宰府へ権帥(ごんのそつ:副司令官)として左遷され、903年に悲痛な思いのまま現地で亡くなった。 死後、地震や落雷が多発して人が死んだので、道真が朝廷に祟りをなしたとされた。 それで道真の怨霊を鎮(しず)めるために朝廷は正一位・太政大臣の位を贈ったのです。 だから、現在でも菅原道真は天神様として神様になってますよ。

つまり、「瑠璃君」というのは、罪もなく六畳御息所(ろくじょうのみやすどころ)の霊に取り殺された夕顔を鎮魂(ちんこん)するために紫式部女史がその遺児に贈った最大級の美辞だとデンマンさんは考えているのですか?

そうですよ。 ちょうど道真に死後、正一位・太政大臣の位を贈ったようなものです。

そうでしょうかしら。。。?

だってねぇ、道真が亡くなったのが903年ですよ。 紫式部女史が生まれたのは、いろいろな説があるけれど、970年から978年の間だとされている。 卑弥子さんも十分すぎるほど知っていることだと思います。 菅原道真の事件が起こってから紫式部女史が生まれるまで、100年と経ってなかった。 紫式部女史が子供の頃、まだ生々しい恐ろしい話が伝わっていたはずです。

でも、『源氏物語』は歴史書ではござ~♪~ませんわ。

もちろん、『源氏物語』は紫式部女史の創作ですよ。 でもねぇ、史実の中にモデルを求めている。 すべてが架空の出来事と言うわけではない。

つまり、夕顔にもモデルが居たとデンマンさんは想定するのですか?

当然ですよ。 『源氏物語』は夢物語でも御伽噺でもない。 紫式部女史が史実の中にモデルを求めて書いた小説だと僕は信じているのです。 だから、夕顔のモデルの霊を慰めるために作品の中で、その遺児に最大級の美辞を与えて霊を慰めたのだと僕は考えているのです。 その時、紫式部女史のオツムに思い浮かんだのは5000年以上も前から珍重されていたラピスラズリ---星の瞬く夜空を連想させる美しい瑠璃ですよ。 それで、夕顔の遺児の幼名を「瑠璃君」にしたのです。

それがデンマンさんの歴史ロマンでござ~♪~ますか?

そうです。。。どうですか?。。。卑弥子さんも、ありそうな事だとは思いませんか?


【卑弥子の独り言】



ですってぇ~。。。
"夕顔の怨霊"と瑠璃君という玉鬘の幼名を結びつけた怨霊説を打ち出した源氏物語研究者は、あたくしの知る限り、まだ居ないと思います。
試しに「"夕顔の怨霊" 瑠璃君」と入れて検索してみたのでござ~♪~ますわ。
結果は次のようになりました。


(gog20426.gif)

『あなたが読んでいる時点での検索結果』

ネット上でも"夕顔の怨霊"と瑠璃君という玉鬘の幼名を結びつけた怨霊説を打ち出した記事はないのですわ。

でも、あなたがこの記事を読んでいる時点では、この記事のタイトルが検索結果として表示されると思います。
試しに上のリンクをクリックしてくださいませ。

驚かれたでしょう?
結構、たくさんの記事が表示されていると思います。

どうしてデンマンさんは同じ記事をたくさんのサイトに投稿しているの?

あなたも、そう思われるでしょう?
アメブロ(http://ameblo.jp/)のように「言葉狩り」、「写真狩り」をしているサイトが、現在でも、結構あるのですわ。
それで、未公開にされたり、削除されたり、あるいはブログが丸ごと削除されることがあるのです。
かつて、デンマンさんは何度もそのような経験をしているので、一つや二つのブログが丸ごと削除されてもよいように、いくつかのブログをまとめて「デンマン・シンジケート」を構築したのでござ~♪~ますわ。
検索すると同じ記事がいくつも表れるのは、そういう経緯があるのです。

とにかく、興味深い記事が続くと思います。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあ、また。。。






ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

英語には次のような表現があります。

I haven't done anything to earn his enmity.

【彼の怨(うら)みを買うような事をした覚えはないわ。】

だから、英語圏にも怨霊信仰がないわけではありません。

でも、平安時代のような大掛かりな怨霊信仰は

北米にはありません。

現在の日本にもないと思います。

キリスト教が広まっている国では

怨霊に取りつかれるよりも

悪魔に取りつかれる方が一般的です。

その悪魔祓(はら)いをする人が映画でもおなじみの

エクソシスト(Exorcist)です。

かつてはカトリック教会の役職の一つでした。

日本語では「祓魔師」(ふつまし)と訳されます。

しかし、第2バチカン公会議後の教会制度の

見直しにあたって廃止されました。

1973年に映画『エクソシスト』が公開されると、

当時の人々の間に「悪魔憑き」や「悪魔祓い」が話題に上りました。

そのため、世界各地で悪魔祓いを求める声が起こるようになったのです。

これに対応するため、司教が特別に

悪魔祓いの職務を行う司祭を任命することが

行われるようになったということです。

実際、ローマ司教区には特別に任命されたエクソシストがいます。

あなたは怨霊を信じていますか?

悪魔祓いを信じている人が居るのですから、

あなたが怨霊を信じても異常ではありませんよ。 (微笑)

ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてください。



『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。バーィ




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