あすかにますじんじゃ
(asuka61.jpg)
あらっ。。。デンマンさん。。。 「飛鳥坐神社」ってぇ、「あすかにますじんじゃ」と読むのでござ~♪~ますかァ~。。。? おほほほほほ。。。
あれっ。。。 卑弥子さんは知らなかったのですか?
だってぇ~、初めて「飛鳥坐神社」という漢字を見たら誰だってぇ「あすかざじんじゃ」と読みますわよう。
あのねぇ~、実は、僕も初めて「飛鳥坐神社」という漢字を見た時には「あすかざじんじゃ」と読んでしまったのですよ。 しかも堂々とブログにそう書いたのですよ。
あらっ。。。 マジで。。。?
冗談でもデマカセでもありません。 僕はまったく疑問を持たずに「飛鳥坐神社」を「あすかざじんじゃ」と読むのだと記事の中で書いてしまったのですよ。
どなたかデンマンさんに注意した方が現れたのですか?
現れたのです。
どなたですのォ~? ジューンさんですか? シルヴィーさんですか? それとも、めれんげさんですか?
いや、僕の知らないネット市民の人からコメントをもらったのですよ。
あらっ。。。 マジで。。。? いつ頃のことですか?
ずいぶん前のことですよ。 僕はほとんど忘れかけていたのです。
それなのに、どうして今になって「あすかにますじんじゃ」を持ち出してきたのですか?
実は、その人がまたコメントを書いてくれたのですよ。
あらっ。。。 マジでぇ~。。。? でも、どうして「飛鳥坐神社」を「あすかざじんじゃ」と読むのではなく、「あすかにますじんじゃ」と読むのだと教えてくださった方と同一人物だと判ったのですか?
いや。。。 それが最初にコメントを読んだ時には判らなかったのですよ。
。。。んで、どのようなコメントをもらったのですか?
次のようなコメントです。
(goo30501.gif)
赤い枠で囲んだコメントをもらったのでござ~ますか?
そうです。 GOOにある僕のブログに投稿した記事にコメントを書いてくれたのです。
(goo30325.gif)
。。。んで、上のコメントを読んで、すぐに以前にコメントを書いてくださった方だと判ったのでござ~ますか?
いや。。。 全く判らなかった。 I have no idea. でしたよ。
。。。で、どのようなわけでデンマンさんの記憶の中で「飛鳥坐神社」と結びついたのでござ~ますか?
あのねぇ~、僕はまずGOOのコメントの中から「飛鳥」についての記事に書かれたコメントを探そうとしたのですよ。 でもねぇ~、コメントの数を見てあきらめました。
どうして。。。?
ちょっと次のコメント一覧を見てください。
(goo30501b.gif)
見れば解るようにコメントがついた記事が 全部で 10 (記事/1ページ) X 125ページ = 1、250 記事 もあるのですよ。 ほとんどはスパムコメントですけどね。。。 いちいち見てゆくと、恐ろしく時間がかかってしまう。
それで、どうなさったのでござ~ますか?
簡単なことですよ。 GOOGLEで次のように検索してみたのです。
(gog30502.gif)
あらっ。。。 49,600件もヒットするのでござ~ますか?
そうなのです。 僕も驚きましたよ。
。。。んで、トップに表示された記事の中に「飛鳥坐神社」を「あすかざじんじゃ」と読むのは間違いだと書かれたコメントが載っていたのでござ~すか?
そうなのですよ! 49,600件もヒットする内の、まさかトップに出てくるとは思ってみ見ませんでしたよ。 検索エンジンの威力ですよ!
マジで「飛鳥坐神社」を「あすかざじんじゃ」と読むのは間違いだと書かれたコメントがあったのでござ~ますか?
そうなのです。 久しぶりでそのコメントにお目にかかりましたよ。 (微笑)
MESSAGE SENT THROUGH YOUR WEBSITE
This form was submitted: Jun 10 2011 / 04:52:14
userid = barclay1720
Your_Name = Gペガサス
Your_Email_Address = galaxyturfxxxx@yahoo.co.jp
Comments:
Thank you for using Bravenet Email Form Processing!
『飛鳥坐神社(2011年6月21日)』より
This form was submitted: Jun 10 2011 / 04:52:14
userid = barclay1720
Your_Name = Gペガサス
Your_Email_Address = galaxyturfxxxx@yahoo.co.jp
Comments:
はじめまして。
このサイト、楽しませていただいています。
ただ、飛鳥坐神社を「あすかざ・じんじゃ」と堂々と
書いてらっしゃるのは笑えます。
最近のちょっとした歴史ブームで飛鳥を訪れる
人も多く、飛鳥坐神社が「あすかにます・じんじゃ」
と読むのは常識になっていると思います。
このサイト全体のクオリティ評価に影響すると思い
ますので、至急訂正されることをお勧めします。
余計なお世話を申しました。
このサイト、楽しませていただいています。
ただ、飛鳥坐神社を「あすかざ・じんじゃ」と堂々と
書いてらっしゃるのは笑えます。
最近のちょっとした歴史ブームで飛鳥を訪れる
人も多く、飛鳥坐神社が「あすかにます・じんじゃ」
と読むのは常識になっていると思います。
このサイト全体のクオリティ評価に影響すると思い
ますので、至急訂正されることをお勧めします。
余計なお世話を申しました。
Thank you for using Bravenet Email Form Processing!
『飛鳥坐神社(2011年6月21日)』より
あらっ。。。 飛鳥坐神社を「あすかにます・じんじゃ」と読むのは常識だと書いてますわよう。 デンマンさんが虚仮(コケ)にされているのですわ。 おほほほほほ。。。
実は、僕も初めて読んだ時にはちょっとムカつきましたよ。 でもねぇ~、「知るは一時の恥、知らぬは一生の損!」という格言もありますからね。 僕は改めて感謝の気持ちを持ったのですよ。
デンマンさん、それは違いますわよ。 「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」と言うのですわ。
とにかく、誰でも「初体験」がありますからね。 初体験というものは貴重なものですよ。
あらっ。。。 デンマンさんの初体験は、たぶん失敗に終わったのでしょうね? うふふふふふ。。。
卑弥子さん、 そのように答えにくい質問をしないでくださいよ。
。。。んで、そもそも「飛鳥坐神社」のことで何を書いたのでござ~ますか?
卑弥子さんは忘れてしまったのですか?
あたくしは『新しい古代史サイト』のマスコットギャルをしていますけれど、とにかくデンマンさんの記事はたくさんあるのでいちいち覚えていませんわよ。
分かりました。 卑弥子さんのために書き出しますから、しばらくぶりに楽しんでください。
飛鳥坐(あすかざ)神社の神事と
古代ギリシャの
ディオニソス神話
by Akira Kato (デンマン)
August 2, 2003
(dithyramb4.jpg)
(greek02.gif)
案内役の卑弥子こでーす。
こんにちは。あたくし、今回は古代のギリシャ民族衣装を着てみました。
どうしてかって、お尋ねですか?
もちろん、気まぐれなどではありませんよ。
ちゃんと理由があります。というのは、ギリシャの神話には欠かせないディオニソスについてお話しするためです。
先ず、この上の絵を見てください。祭りを祝う人の輪の真ん中に置かれている石造物、これ、何だか分かりますか?
もし、前のページを見ているならばすぐに分かると思います。
そうです、飛鳥で見られる「マラ石」なのです。本物は16フィート(4.8メートル)もあるんですよ。
上の「マラ石」と同じものを次の写真で示します。
これはギリシャのデロス島にあります。
(phallus1.jpg)
(worldmp3.gif)
比較のために、飛鳥の「マラ石」をもう一度ここに披露します。
(maraishi2.jpg)
古代のギリシャでは、飛鳥にある飛鳥坐神社と同じように豊饒の儀式を行います。
飛鳥坐神社の神事は神社の舞台で行われますが、ギリシャの場合には屋外です。
この点を除くと、この2つの祭りは非常に良く似ています。
ギリシャでは「マラ石」はディオニソスの化身だと考えられています。
飛鳥坐神社には4柱の神様が祭られています。しかし、2月の第1日曜日に、御田(おんだ)祭と呼ばれる民族学的に、きわめて珍しい神事は、この4柱の神様のなかでも、とりわけ子宝と関係の深い御皇産霊神(たかみむすびのかみ)がギリシャのディオニソスとちょうど同じような役目をするようです。
この御皇産霊神は、飛鳥坐神社の境内の奥に祭られています。そのお姿は次の写真で示すとおり、なんと「マラ石」なのです。
(tengu07b.jpg)
奥の大石 御皇産霊神
(たかみむすびのかみ)
確かに似ているようです。古代ギリシャのディオニソスと御皇産霊神(たかみむすびのかみ)、ディオニソス誕生祭と飛鳥坐神社の御田(おんだ)祭。
しかし何と言っても、ギリシャと日本の距離は、ペルシャと日本の間よりもさらに遠いのです。
果たしてこれらのものは関連があるのでしょうか?では、このあたりで加藤さんにバトンタッチいたします。
ディオニソス誕生祭とはディオニソスの生まれを祝うと同時に、豊饒を祝い、また次の年の豊穣を祈ります。
ディオニソスはワインの神でもあります。従って、この時には、飲んで歌って踊って日本で言えば、さしずめ、盆と正月が一緒に来たような気分で愉快に祭りを楽しみます。
この祭りは、紀元前9世紀ないしは8世紀頃に始められたと言われています。ギリシャの部族が“orgia”と呼んで毎年祝っていた祭りがその起源のようです。この時には、飲めや歌えのドンちゃん騒ぎをしたようで“orgy”という英単語は、このorgiaから派生した言葉です。orgasm(オーガズム)も、これに関連した言葉です。
ディオニソス誕生祭は集落の近くの広場で行われるのが普通です。収穫時には、一族がこの広場に集まって、籾から穀物を分けるための共同作業をします。今でも、ギリシャの片田舎にゆくと、このような広場が見られます。
祭りの時には、この広場の真ん中に、上の絵で示したように、マラ石を立てて、その回りに村の人々が集まってワインを飲み、歌って踊ってドンちゃん騒ぎをし、一年のウサを晴らし、それと共に豊饒を祝うわけです。
ディオニソス神話
ディオニソスは、全能の神ゼウスと人間のセメレの間に生まれた子供です。セメレはテーべという王国の姫で、とても美しい女性でした。
夫ゼウスの浮気に気づいた妻ヘラは、セメレを懲らしめるために、いろいろ策略をめぐらしました。
彼女はセメレの乳母の姿に身を変えて、セメレのところにやって来ました。そしてやさしく彼女にささやきました。
「あなた様のところに通っていらっしゃる方は、本物のゼウス様なのでしょうか。なにか証拠となるようなものを、ゼウス様にお願いしてみたらいかがでしょう」
それでセメレはゼウスに、「どうか天上より、光り輝く衣装を着けて来て下さいませ」と頼みました。 ゼウスは、以前に「なんでも望みを聞いてあげよう」と誓っていたので、仕方なく光の衣装をつけてセメレの部屋を訪れたのです。
しかし、生身の人間であるセメレは、それを見たとたん、たちまち焼け死んでしまいました。
ヘラの策略にまんまとはまってしまったのでした。セメレがすでに身ごもっているのを知っていたゼウスは、急いで火の中から子供を取り上げ、ヘラに隠れてニンフたちにその子を預けました。まさに九死に一生を得て誕生したのが、ディオニソスなのです。
一説には、ゼウスの太腿に埋め込んで誕生まで養ったとも言われています。このようなわけで、ディオニソスは2度生まれた、といわれるようになりました。
成長すると、ディオニソスはブドウの木を栽培し、そこから液を搾り出す方法を考えました。また、彼が世界中をさまよっているうちに、女神のレアは彼に宗教の儀礼を教えたのです。彼は母セメレの故郷のテーべに帰って、人々に儀式やブドウの栽培の仕方を教えました。
こうして彼はぶどう酒と祝祭の神としての地位を確立したのです。
マラ石はどのように伝わったのか?
上の神話に出てくるぶどう酒というのがキーです。日本へも間違いなくぶどう酒が伝えられたはずです。
なぜ、そういうことが言えるのか?それは、正倉院にワイングラスがペルシャから伝わっているからです。
(winglass.gif)
このグラスがどのように造られ、どのように大和へ伝わったか、ということは、このページ (飛鳥とシルクロード)で説明しています。
リンクをクリックすると新しいウィンドーが開きます。読んでください。
ワイングラスだけ伝わって、ぶどう酒が伝わらなかったというのもおかしな話です。私は、間違いなく伝わったと思います。ただし、日本の土壌には当時ぶどうの木がうまく根付かなかったのでしょう。あるいは、ぶどう酒が、酒に親しんでいた当時の日本人の口に合わなかったのかもしれません。あるいは、あまりにも高価だったので、庶民の口には届かなかったのかもしれません。
いずれにしても、ぶどう酒が日本へ伝わっていたということは、酒船石などというものが石造物の中にあることからも、傍証できます。
ペルシャ人がぶどう酒を作るために造ったのがこの酒船石ではないか、と私は見ています。
このことについては、このページ (酒船石の謎)で説明します。
ペルシャから伝わったものは、この他にもまだたくさんあります。狛犬や唐獅子も、元はといえば、ペルシャからつたわってきたものです。
このことについては、このぺージ (ペルシャ人の石工が飛鳥にやって来た)で述べています。
ワイングラスも伝わった。ぶどう酒も伝わってきた、狛犬も、唐獅子も、ペルシャから伝わってきた。ペルシャ人の石工さえ流れ流れて、
お隣の中国から半島づたいにやって来た。
聖徳太子の個人教授の中にもペルシャ人が居たほどです。
しかも、聖徳太子の体内には、16分の1だけペルシャ人の血が流れていたかもしれない。これまでのページの中で述べてきただけでも、このように、ペルシャ人の存在が、チラチラ古代史の中に見え隠れしているのです。
だとするなら、なぜ「マラ石」だけが、伝わらなかったのか?という素朴な疑問が頭をもたげます。むしろ、伝わってきて当然だ、と言いたいわけです。
だけど、マラ石は日本独自に
作られたのではないの?
もちろん、その可能性が全くないとは言いません。日本には昔から、道祖神といわれる石造物が各地にありました。
しかし、平安時代に始まったということぐらいで、はっきりしたことは分かっていないようです。
平安時代も含めて、それ以降も村や荘園に住む百姓は、自由ではなかったのです。なぜなら地頭や領主の方針で百姓は土地に縛り付けられていたわけです。
そのようなわけで、よそへ行くことに慣れていなかった。だから、よそ者に対しても警戒の目を向けました。
また、よそからどんな悪霊が村に入ってくるかもしれない、という心配もありました。
村の境界は、あの世とこの世の境目だとも考えられていて、常に神聖な場所とされていました。 そこで、村を守るために道祖神がそういう道の分岐点などにまつられたわけです。
道祖神
道祖神は、塞の神(さえのかみ)とも呼ばれていて、疫神や悪霊などが村に入ってくるのをくいとめたり、追い払う神としてあがめられました。また、旅の神、生殖の神ともされたのです。
この道祖神は、元々「マラ石」から派生したのではないかと私は推定しています。
このページの初めに掲げた飛鳥坐神社の近くにあるマラ石は道祖神の先駆者じゃないかと見ています。
なぜか?
飛鳥坐神社の奥に祭られている御皇産霊神(たかみむすびのかみ)の御神体こそ、道祖神の原型で、「マラ石」は集落を守るために道端に置かれたのではないか?そう見ています。
(dousojin3.jpg)
従って、「マラ石信仰」が広くその土地の人々に受け入れられている間は、上の左に示すような、立派なペニスの形をとどめていますが、
やがて、「マラ石信仰」が仏教に取って代わられてゆきます。そうすると、時代が下るに従って、この形を目にすることに馴染めないものを感じ始めてきます。
要するに、仏教というニューファションが広まると、「マラ石信仰」の石造物の形がダサイ物に見えてくるわけです。そうなると、左側の道祖神はすたれてゆき、右側の、お地蔵様のような道祖神がニューファションとして登場してくる、とこういうわけです。
ためしに、現在まで残っている道祖神を見渡してください。圧倒的に、お地蔵様の形が優勢です。これはなぜかといえば、見た目が悪いとか、エロチックだから目立つところに置いておけないとか、そのような理由ではなく、むしろ、「マラ石信仰」が廃れたためだと思います。
「マラ石信仰」というのは「ディオニソス信仰」そのものです。これほど分かりやすい信仰はない。日本では何よりも「マラ石」を、いわゆる「子授けの神様」という形で受け入れているようです。
その証拠に、飛鳥坐神社の神事をもう一度見てください。夫婦和合の神事が滞りなく完了すると、役員がお多福の着物のすそを広げて、後始末を手伝います。要するに、おこぼれを拭い取るわけです。この拭い取る紙が非常にえんぎが良いということになっています。
つまり、拭くの紙(ふくのかみ)と福の神(ふくのかみ)をもじっているわけです。神事の後、この紙を何枚となく観衆めがけて撒き散らすのですが、これをとって持ち帰れば、子宝に恵まれ、家内安全、福が訪れること間違いなしということで、写真に見るように、争って「拭くの紙(ふくのかみ)」を奪い合います。
信じられますか?これ、お札(お金)を投げているのではないのです。お札なら、私も仲間入りして、共に奪い合ったことでしょう。
お月様に、ロケットで行けるという時代に、子授けの神様をまだかなりの人たちが信じているのです。
この手を伸ばして「拭くの紙(ふくのかみ)」を奪い合っている人たちの中には、おそらく、創価学会の信者、キリスト教徒、イスラム教徒はいないでしょう。
このように「マラ石信仰」、つまり「ディオニソス信仰」というのは、分かりやすい信仰です。この信仰が廃れたのは、ギリシャやローマではキリスト教が起こったからです。日本では仏教が広まったためです。
ではなぜ、飛鳥坐神社には、
この神事が残ったの?
なぜなら、飛鳥坐神社に祭られている神様が反主流派の神様だからです。主流派の神様というのは、天照大神(あまてらすおおみかみ)の系列の神様のことです。つまり、現在の皇室の先祖とされている神様のことです。
現在の皇室の先祖は九州からやってきて、大和にあった古い王朝を倒して新しい王朝をたてました。
これが私たちが学校で教えられる大和朝廷です。この時の天皇が、現在まで続いていることになっています。
現在の皇室の先祖に倒された古い王朝の大王が大国主命(おおくにぬしのみこと)です。この征服の話が古事記の中の神話では、
大国主命が現在の皇室の先祖に大和の国を譲ったことになっています。その後、娘の三日比売命(みかひめのみこと)を大和に残して大国主命は出雲に移ります。
この三日比売命は人質にとられたようなものです。神話の中では、この三日比売命は皇室をお守りしているということになっています。
もっと分かりやすく説明すれば、現在の皇室の先祖は、非常にむごいやり方で、前王朝の大王を殺して大和の国を奪い取ったわけです。
だから、たたりが怖かったのです。それで、前王朝の殺された人たちの霊を鎮魂するために飛鳥坐神社を含め、前王朝の由緒ある場所に、たくさんの神社を建てて鎮魂したというわけです。
「マラ石信仰」、つまり「ディオニソス信仰」は、このような神社が建てられている頃にペルシャ人を通して日本へ持ち込まれたわけです。
まだ仏教が日本へ導入される前です。今でも、子授けの神様を信じる人が居るくらいですから、この当時、仏教も入ってくる前ですから、たくさんの信者がいたことでしょう。「マラ石信仰」は、当時としては、ニューファッションですから、飛鳥坐神社もマラ石を取り入れたわけです。
それが今に伝えられる御皇産霊神(たかみむすびのかみ)の御神体です。
しかし、やがて蘇我氏が政権を握って、仏教を導入します。当然のことながら、仏教以外の宗教を禁止します。
「マラ石信仰」、つまり「ディオニソス信仰」も駄目な宗教の中に入ります。しかし、飛鳥坐神社は例外でした。
なぜか?
この神社には、現在の皇室の先祖にむごい仕打ちを受けて殺された霊が眠っているからです。
このむごいやり方で殺された古い王朝の大王たちの怨霊は、そおっとしておかねばなりません。さもないと、たたりをなして不吉な事件を起こし、現王朝を危機に陥(おとしい)れないとも限りません。
「触(さわ)らぬ神にたたりなし」という言葉を聞いたことがあると思います。
まさにこの言葉どおりです。
飛鳥坐神社は特別な神社です。
従って、もしこの神社が「マラ石」を祭っているのであるなら、当時の朝廷は許すしか仕様がなっかたのです。そのような理由で、この神社には奇祭といわれる神事が今に伝えられているというわけです。
では、次に亀石の謎に迫りたいと思います。
最後まで
読んでくれて
ありがとう。
面白そうなリンクを
下に並べました。
クリックして読んでね。
■亀石の謎
■猿石の謎
■天武天皇と天智天皇は
同腹の兄弟ではなかった。
■聖徳太子の母親は
ペルシャ人だった?
■蘇我氏は高句麗からやって来た
■天智天皇は暗殺された
■定慧出生の秘密
■藤原鎌足と長男・定慧
■渡来人とアイヌ人の連合王国
■なぜ、蝦夷という名前なの?
■平和を愛したアイヌ人
■藤原鎌足と六韜
■古事記より古い書物が
どうして残っていないの?
■今、日本に住んでいる人は
日本人でないの?
■マキアベリもビックリ、
藤原氏のバイブルとは?
『飛鳥坐(あすかざ)神社の神事と
古代ギリシャのディオニソス神話』より
(2003年8月2日)
古代ギリシャの
ディオニソス神話
by Akira Kato (デンマン)
August 2, 2003
(dithyramb4.jpg)
ディオニソス誕生祭
(Dithyrambos)
【元々の意味: ディオニソスは2度生まれた】
(Dithyrambos)
【元々の意味: ディオニソスは2度生まれた】
(greek02.gif)
案内役の卑弥子こでーす。
こんにちは。あたくし、今回は古代のギリシャ民族衣装を着てみました。
どうしてかって、お尋ねですか?
もちろん、気まぐれなどではありませんよ。
ちゃんと理由があります。というのは、ギリシャの神話には欠かせないディオニソスについてお話しするためです。
先ず、この上の絵を見てください。祭りを祝う人の輪の真ん中に置かれている石造物、これ、何だか分かりますか?
もし、前のページを見ているならばすぐに分かると思います。
そうです、飛鳥で見られる「マラ石」なのです。本物は16フィート(4.8メートル)もあるんですよ。
上の「マラ石」と同じものを次の写真で示します。
これはギリシャのデロス島にあります。
(phallus1.jpg)
(worldmp3.gif)
比較のために、飛鳥の「マラ石」をもう一度ここに披露します。
(maraishi2.jpg)
古代のギリシャでは、飛鳥にある飛鳥坐神社と同じように豊饒の儀式を行います。
飛鳥坐神社の神事は神社の舞台で行われますが、ギリシャの場合には屋外です。
この点を除くと、この2つの祭りは非常に良く似ています。
ギリシャでは「マラ石」はディオニソスの化身だと考えられています。
飛鳥坐神社には4柱の神様が祭られています。しかし、2月の第1日曜日に、御田(おんだ)祭と呼ばれる民族学的に、きわめて珍しい神事は、この4柱の神様のなかでも、とりわけ子宝と関係の深い御皇産霊神(たかみむすびのかみ)がギリシャのディオニソスとちょうど同じような役目をするようです。
この御皇産霊神は、飛鳥坐神社の境内の奥に祭られています。そのお姿は次の写真で示すとおり、なんと「マラ石」なのです。
(tengu07b.jpg)
奥の大石 御皇産霊神
(たかみむすびのかみ)
確かに似ているようです。古代ギリシャのディオニソスと御皇産霊神(たかみむすびのかみ)、ディオニソス誕生祭と飛鳥坐神社の御田(おんだ)祭。
しかし何と言っても、ギリシャと日本の距離は、ペルシャと日本の間よりもさらに遠いのです。
果たしてこれらのものは関連があるのでしょうか?では、このあたりで加藤さんにバトンタッチいたします。
ディオニソス誕生祭の起源
ディオニソス誕生祭とはディオニソスの生まれを祝うと同時に、豊饒を祝い、また次の年の豊穣を祈ります。
ディオニソスはワインの神でもあります。従って、この時には、飲んで歌って踊って日本で言えば、さしずめ、盆と正月が一緒に来たような気分で愉快に祭りを楽しみます。
この祭りは、紀元前9世紀ないしは8世紀頃に始められたと言われています。ギリシャの部族が“orgia”と呼んで毎年祝っていた祭りがその起源のようです。この時には、飲めや歌えのドンちゃん騒ぎをしたようで“orgy”という英単語は、このorgiaから派生した言葉です。orgasm(オーガズム)も、これに関連した言葉です。
ディオニソス誕生祭は集落の近くの広場で行われるのが普通です。収穫時には、一族がこの広場に集まって、籾から穀物を分けるための共同作業をします。今でも、ギリシャの片田舎にゆくと、このような広場が見られます。
祭りの時には、この広場の真ん中に、上の絵で示したように、マラ石を立てて、その回りに村の人々が集まってワインを飲み、歌って踊ってドンちゃん騒ぎをし、一年のウサを晴らし、それと共に豊饒を祝うわけです。
ディオニソス神話
ディオニソスは、全能の神ゼウスと人間のセメレの間に生まれた子供です。セメレはテーべという王国の姫で、とても美しい女性でした。
夫ゼウスの浮気に気づいた妻ヘラは、セメレを懲らしめるために、いろいろ策略をめぐらしました。
彼女はセメレの乳母の姿に身を変えて、セメレのところにやって来ました。そしてやさしく彼女にささやきました。
「あなた様のところに通っていらっしゃる方は、本物のゼウス様なのでしょうか。なにか証拠となるようなものを、ゼウス様にお願いしてみたらいかがでしょう」
それでセメレはゼウスに、「どうか天上より、光り輝く衣装を着けて来て下さいませ」と頼みました。 ゼウスは、以前に「なんでも望みを聞いてあげよう」と誓っていたので、仕方なく光の衣装をつけてセメレの部屋を訪れたのです。
しかし、生身の人間であるセメレは、それを見たとたん、たちまち焼け死んでしまいました。
ヘラの策略にまんまとはまってしまったのでした。セメレがすでに身ごもっているのを知っていたゼウスは、急いで火の中から子供を取り上げ、ヘラに隠れてニンフたちにその子を預けました。まさに九死に一生を得て誕生したのが、ディオニソスなのです。
一説には、ゼウスの太腿に埋め込んで誕生まで養ったとも言われています。このようなわけで、ディオニソスは2度生まれた、といわれるようになりました。
成長すると、ディオニソスはブドウの木を栽培し、そこから液を搾り出す方法を考えました。また、彼が世界中をさまよっているうちに、女神のレアは彼に宗教の儀礼を教えたのです。彼は母セメレの故郷のテーべに帰って、人々に儀式やブドウの栽培の仕方を教えました。
こうして彼はぶどう酒と祝祭の神としての地位を確立したのです。
マラ石はどのように伝わったのか?
上の神話に出てくるぶどう酒というのがキーです。日本へも間違いなくぶどう酒が伝えられたはずです。
なぜ、そういうことが言えるのか?それは、正倉院にワイングラスがペルシャから伝わっているからです。
(winglass.gif)
このグラスがどのように造られ、どのように大和へ伝わったか、ということは、このページ (飛鳥とシルクロード)で説明しています。
リンクをクリックすると新しいウィンドーが開きます。読んでください。
ワイングラスだけ伝わって、ぶどう酒が伝わらなかったというのもおかしな話です。私は、間違いなく伝わったと思います。ただし、日本の土壌には当時ぶどうの木がうまく根付かなかったのでしょう。あるいは、ぶどう酒が、酒に親しんでいた当時の日本人の口に合わなかったのかもしれません。あるいは、あまりにも高価だったので、庶民の口には届かなかったのかもしれません。
いずれにしても、ぶどう酒が日本へ伝わっていたということは、酒船石などというものが石造物の中にあることからも、傍証できます。
ペルシャ人がぶどう酒を作るために造ったのがこの酒船石ではないか、と私は見ています。
このことについては、このページ (酒船石の謎)で説明します。
ペルシャから伝わったものは、この他にもまだたくさんあります。狛犬や唐獅子も、元はといえば、ペルシャからつたわってきたものです。
このことについては、このぺージ (ペルシャ人の石工が飛鳥にやって来た)で述べています。
ワイングラスも伝わった。ぶどう酒も伝わってきた、狛犬も、唐獅子も、ペルシャから伝わってきた。ペルシャ人の石工さえ流れ流れて、
お隣の中国から半島づたいにやって来た。
聖徳太子の個人教授の中にもペルシャ人が居たほどです。
しかも、聖徳太子の体内には、16分の1だけペルシャ人の血が流れていたかもしれない。これまでのページの中で述べてきただけでも、このように、ペルシャ人の存在が、チラチラ古代史の中に見え隠れしているのです。
だとするなら、なぜ「マラ石」だけが、伝わらなかったのか?という素朴な疑問が頭をもたげます。むしろ、伝わってきて当然だ、と言いたいわけです。
だけど、マラ石は日本独自に
作られたのではないの?
もちろん、その可能性が全くないとは言いません。日本には昔から、道祖神といわれる石造物が各地にありました。
しかし、平安時代に始まったということぐらいで、はっきりしたことは分かっていないようです。
平安時代も含めて、それ以降も村や荘園に住む百姓は、自由ではなかったのです。なぜなら地頭や領主の方針で百姓は土地に縛り付けられていたわけです。
そのようなわけで、よそへ行くことに慣れていなかった。だから、よそ者に対しても警戒の目を向けました。
また、よそからどんな悪霊が村に入ってくるかもしれない、という心配もありました。
村の境界は、あの世とこの世の境目だとも考えられていて、常に神聖な場所とされていました。 そこで、村を守るために道祖神がそういう道の分岐点などにまつられたわけです。
道祖神
道祖神は、塞の神(さえのかみ)とも呼ばれていて、疫神や悪霊などが村に入ってくるのをくいとめたり、追い払う神としてあがめられました。また、旅の神、生殖の神ともされたのです。
この道祖神は、元々「マラ石」から派生したのではないかと私は推定しています。
このページの初めに掲げた飛鳥坐神社の近くにあるマラ石は道祖神の先駆者じゃないかと見ています。
なぜか?
飛鳥坐神社の奥に祭られている御皇産霊神(たかみむすびのかみ)の御神体こそ、道祖神の原型で、「マラ石」は集落を守るために道端に置かれたのではないか?そう見ています。
(dousojin3.jpg)
従って、「マラ石信仰」が広くその土地の人々に受け入れられている間は、上の左に示すような、立派なペニスの形をとどめていますが、
やがて、「マラ石信仰」が仏教に取って代わられてゆきます。そうすると、時代が下るに従って、この形を目にすることに馴染めないものを感じ始めてきます。
要するに、仏教というニューファションが広まると、「マラ石信仰」の石造物の形がダサイ物に見えてくるわけです。そうなると、左側の道祖神はすたれてゆき、右側の、お地蔵様のような道祖神がニューファションとして登場してくる、とこういうわけです。
ためしに、現在まで残っている道祖神を見渡してください。圧倒的に、お地蔵様の形が優勢です。これはなぜかといえば、見た目が悪いとか、エロチックだから目立つところに置いておけないとか、そのような理由ではなく、むしろ、「マラ石信仰」が廃れたためだと思います。
「マラ石信仰」というのは「ディオニソス信仰」そのものです。これほど分かりやすい信仰はない。日本では何よりも「マラ石」を、いわゆる「子授けの神様」という形で受け入れているようです。
その証拠に、飛鳥坐神社の神事をもう一度見てください。夫婦和合の神事が滞りなく完了すると、役員がお多福の着物のすそを広げて、後始末を手伝います。要するに、おこぼれを拭い取るわけです。この拭い取る紙が非常にえんぎが良いということになっています。
つまり、拭くの紙(ふくのかみ)と福の神(ふくのかみ)をもじっているわけです。神事の後、この紙を何枚となく観衆めがけて撒き散らすのですが、これをとって持ち帰れば、子宝に恵まれ、家内安全、福が訪れること間違いなしということで、写真に見るように、争って「拭くの紙(ふくのかみ)」を奪い合います。
信じられますか?これ、お札(お金)を投げているのではないのです。お札なら、私も仲間入りして、共に奪い合ったことでしょう。
お月様に、ロケットで行けるという時代に、子授けの神様をまだかなりの人たちが信じているのです。
この手を伸ばして「拭くの紙(ふくのかみ)」を奪い合っている人たちの中には、おそらく、創価学会の信者、キリスト教徒、イスラム教徒はいないでしょう。
このように「マラ石信仰」、つまり「ディオニソス信仰」というのは、分かりやすい信仰です。この信仰が廃れたのは、ギリシャやローマではキリスト教が起こったからです。日本では仏教が広まったためです。
ではなぜ、飛鳥坐神社には、
この神事が残ったの?
なぜなら、飛鳥坐神社に祭られている神様が反主流派の神様だからです。主流派の神様というのは、天照大神(あまてらすおおみかみ)の系列の神様のことです。つまり、現在の皇室の先祖とされている神様のことです。
現在の皇室の先祖は九州からやってきて、大和にあった古い王朝を倒して新しい王朝をたてました。
これが私たちが学校で教えられる大和朝廷です。この時の天皇が、現在まで続いていることになっています。
現在の皇室の先祖に倒された古い王朝の大王が大国主命(おおくにぬしのみこと)です。この征服の話が古事記の中の神話では、
大国主命が現在の皇室の先祖に大和の国を譲ったことになっています。その後、娘の三日比売命(みかひめのみこと)を大和に残して大国主命は出雲に移ります。
この三日比売命は人質にとられたようなものです。神話の中では、この三日比売命は皇室をお守りしているということになっています。
もっと分かりやすく説明すれば、現在の皇室の先祖は、非常にむごいやり方で、前王朝の大王を殺して大和の国を奪い取ったわけです。
だから、たたりが怖かったのです。それで、前王朝の殺された人たちの霊を鎮魂するために飛鳥坐神社を含め、前王朝の由緒ある場所に、たくさんの神社を建てて鎮魂したというわけです。
「マラ石信仰」、つまり「ディオニソス信仰」は、このような神社が建てられている頃にペルシャ人を通して日本へ持ち込まれたわけです。
まだ仏教が日本へ導入される前です。今でも、子授けの神様を信じる人が居るくらいですから、この当時、仏教も入ってくる前ですから、たくさんの信者がいたことでしょう。「マラ石信仰」は、当時としては、ニューファッションですから、飛鳥坐神社もマラ石を取り入れたわけです。
それが今に伝えられる御皇産霊神(たかみむすびのかみ)の御神体です。
しかし、やがて蘇我氏が政権を握って、仏教を導入します。当然のことながら、仏教以外の宗教を禁止します。
「マラ石信仰」、つまり「ディオニソス信仰」も駄目な宗教の中に入ります。しかし、飛鳥坐神社は例外でした。
なぜか?
この神社には、現在の皇室の先祖にむごい仕打ちを受けて殺された霊が眠っているからです。
このむごいやり方で殺された古い王朝の大王たちの怨霊は、そおっとしておかねばなりません。さもないと、たたりをなして不吉な事件を起こし、現王朝を危機に陥(おとしい)れないとも限りません。
「触(さわ)らぬ神にたたりなし」という言葉を聞いたことがあると思います。
まさにこの言葉どおりです。
飛鳥坐神社は特別な神社です。
従って、もしこの神社が「マラ石」を祭っているのであるなら、当時の朝廷は許すしか仕様がなっかたのです。そのような理由で、この神社には奇祭といわれる神事が今に伝えられているというわけです。
では、次に亀石の謎に迫りたいと思います。
最後まで
読んでくれて
ありがとう。
面白そうなリンクを
下に並べました。
クリックして読んでね。
■亀石の謎
■猿石の謎
■天武天皇と天智天皇は
同腹の兄弟ではなかった。
■聖徳太子の母親は
ペルシャ人だった?
■蘇我氏は高句麗からやって来た
■天智天皇は暗殺された
■定慧出生の秘密
■藤原鎌足と長男・定慧
■渡来人とアイヌ人の連合王国
■なぜ、蝦夷という名前なの?
■平和を愛したアイヌ人
■藤原鎌足と六韜
■古事記より古い書物が
どうして残っていないの?
■今、日本に住んでいる人は
日本人でないの?
■マキアベリもビックリ、
藤原氏のバイブルとは?
『飛鳥坐(あすかざ)神社の神事と
古代ギリシャのディオニソス神話』より
(2003年8月2日)
あらっ。。。 面白いではござ~ませんか?
。。。でしょう!? 卑弥子さんがウハウハ喜ぶようにデロス島とディオニソス誕生祭(Dithyrambos)のビデオクリップをゲットしたのでじっくりと見てください。
世界遺産デロス島
ディオニソスの死のダンス
ディオニソスの悲劇
どうですか? 卑弥子さんもギリシャのデロス島へ行ってみたくなったでしょう!?
デンマンさん。。。 連れて行ってくださいな。
やだよう。
どうして、そのようにつれないことを言うのでござ~♪~ますか?
卑弥子さんと一緒だと、いつ破廉恥なことをするかと思って僕はハラハラするのですよ。 デロス島へ着いたら、まず間違いなくフラダンスを踊りだすだろうと思うのですよ。
フラダンスぐらい踊ったってぇよいではござ~ませんか!
やだよう! 卑弥子さんに付きまとわれたら、かわゆい女の子が寄ってきませんからね。
(tahiti22e.jpg)
【小百合の独り言】
ですってぇ~。。。
デロス島、エーゲ海・キクラデス諸島に所在するギリシャの島です。
古代ギリシャの時代には聖地とされた島です。
ヘレニズム文化の宗教的・芸術的・商業的な中心地として栄えました。
島内には遺跡が数多く残っています。
歴史的には「デロス同盟」が結ばれたことで知られています。
(delos02.jpg)
デロス島が栄えていた当時は、アケメネス朝ペルシアがしばしばギリシャに攻め込んできました。
それで紀元前478年に古代アテナイを中心として結成されたポリス間の軍事同盟が「デロス同盟」です。
アテナイを盟主としてイオニア地方など主にエーゲ海の諸ポリスが参加しました。
軍船をキオス、サモス、レスボスなどの都市国家(ポリス)が拠出し、他の都市国家は資金を拠出しました。
当初はデロス島で開かれる代表会議で同盟に加わる各ポリスが意見を表明し、拠出された資産を同島におかれた金庫で共同管理していました。
やがて、ペルシアの軍事的脅威が薄れると、紀元前454年に同盟の金庫はアテナイへ移されました。
そのようなわけでデロス島の会議も形骸化し、アテナイはデロス同盟の資金や海軍を勝手に流用するようになったのです。
パルテノン神殿の建設といったアテナイの公共事業も、この同盟資金が用いられたと考えられています。
(delos03.jpg)
同盟から離脱しようとするポリスには見せしめとして壊滅的な打撃を与えることもありました。
はやくから脱退を図ったナクソス島は武力で鎮圧され、タソス島の離脱もおさえられて制裁金が科されました。
こうして次第に同盟はアテナイが他の諸ポリスを支配する機関へと変貌していったのです。
こうした状況を指して、「アテナイ海上帝国」と形容する歴史家もいます。
こうした「アテナイ海上帝国」の台頭に強い懸念を抱いたスパルタは、アテナイの専制的支配に対して離反するポリスが現れると、これを支援する姿勢をみせるようになりました。
こうしてスパルタ・アテナイ間の緊張が先鋭化し、紀元前431年には両者の対立は頂点に達し、ギリシアの諸ポリスによる深刻な内戦であるペロポネソス戦争が勃発したのです。
紀元前404年、アテナイの敗北が決まるとデロス同盟は解散しました。
ところで、卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。
■『曲屁(きょくべ)』
■『天神様と東日本大震災』
■『日本は良い国か?』
■『日本を良い国に…』
■『エロい熟女』
■『アッと驚くマキアベリ!』
■『良寛さんの顔』
■『あなたの中の阿修羅』
■『蝦夷って悪い意味?』
■『伎楽は呉の音楽?』
■『呉越の謎』
■『紅のボートピープル』
■『蕎麦屋と忠臣蔵』
■『ピンクと桃色』
■『妻の不貞』
■『卑弥子さん、ご指名ですよ!』
■『徳子と小督の悲話』
■『美貌の女院』
ですってぇ~。。。
デロス島、エーゲ海・キクラデス諸島に所在するギリシャの島です。
古代ギリシャの時代には聖地とされた島です。
ヘレニズム文化の宗教的・芸術的・商業的な中心地として栄えました。
島内には遺跡が数多く残っています。
歴史的には「デロス同盟」が結ばれたことで知られています。
(delos02.jpg)
デロス島が栄えていた当時は、アケメネス朝ペルシアがしばしばギリシャに攻め込んできました。
それで紀元前478年に古代アテナイを中心として結成されたポリス間の軍事同盟が「デロス同盟」です。
アテナイを盟主としてイオニア地方など主にエーゲ海の諸ポリスが参加しました。
軍船をキオス、サモス、レスボスなどの都市国家(ポリス)が拠出し、他の都市国家は資金を拠出しました。
当初はデロス島で開かれる代表会議で同盟に加わる各ポリスが意見を表明し、拠出された資産を同島におかれた金庫で共同管理していました。
やがて、ペルシアの軍事的脅威が薄れると、紀元前454年に同盟の金庫はアテナイへ移されました。
そのようなわけでデロス島の会議も形骸化し、アテナイはデロス同盟の資金や海軍を勝手に流用するようになったのです。
パルテノン神殿の建設といったアテナイの公共事業も、この同盟資金が用いられたと考えられています。
(delos03.jpg)
同盟から離脱しようとするポリスには見せしめとして壊滅的な打撃を与えることもありました。
はやくから脱退を図ったナクソス島は武力で鎮圧され、タソス島の離脱もおさえられて制裁金が科されました。
こうして次第に同盟はアテナイが他の諸ポリスを支配する機関へと変貌していったのです。
こうした状況を指して、「アテナイ海上帝国」と形容する歴史家もいます。
こうした「アテナイ海上帝国」の台頭に強い懸念を抱いたスパルタは、アテナイの専制的支配に対して離反するポリスが現れると、これを支援する姿勢をみせるようになりました。
こうしてスパルタ・アテナイ間の緊張が先鋭化し、紀元前431年には両者の対立は頂点に達し、ギリシアの諸ポリスによる深刻な内戦であるペロポネソス戦争が勃発したのです。
紀元前404年、アテナイの敗北が決まるとデロス同盟は解散しました。
ところで、卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。
■『曲屁(きょくべ)』
■『天神様と東日本大震災』
■『日本は良い国か?』
■『日本を良い国に…』
■『エロい熟女』
■『アッと驚くマキアベリ!』
■『良寛さんの顔』
■『あなたの中の阿修羅』
■『蝦夷って悪い意味?』
■『伎楽は呉の音楽?』
■『呉越の謎』
■『紅のボートピープル』
■『蕎麦屋と忠臣蔵』
■『ピンクと桃色』
■『妻の不貞』
■『卑弥子さん、ご指名ですよ!』
■『徳子と小督の悲話』
■『美貌の女院』
メチャ面白い、
ためになる関連記事
■ 『きれいになったと感じさせる
下着・ランジェリーを見つけませんか?』
■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』
■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』
■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に別荘を持つことを
夢見る小百合さんの物語』
■ 『今すぐに役立つホットな情報』
■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』
『あなたもワクワクする新世代のブログ』
■ 『バンクーバーの寒中水泳』
0 件のコメント:
コメントを投稿