手作り弁当@船着き場
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Subj:真心のこもった
手作りの弁当ありがとう!
きゃはははは…
From: denman@coolmail.jp
To: sayuri@hotmail.com
Cc: barclay1720@aol.com
Date: Wed, December 2, 2015 0:06 AM
Pacific Standard Time
日本時間:12月2日(水)午後5時6分
バンクーバーも行田もそれほど寒さに変わりがありません。
ちょうど行田が寒かったのかもしれません。
でも、12月1日は実に良い天気でしたねぇ。
小百合さんも洗濯物をたくさん干したことでしょう!
ところで、11月29日の日曜には、手作りの弁当をありがとう!
まさか、小百合さんが弁当まで作ってくるとは思いませんでした!(微笑)
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小百合さんが連れてきたトモユキ君が釣りをした場所。。。 と言うよりも僕と小百合さんが弁当を食べて アイリッシュ・クリーム・コーヒーを飲んだ場所は知る人ぞ知る 極めて有名な場所なのですよ。
。。。ていうかあああァ~ 小百合さんと僕のために、わざわざ歴史が用意してくれた場所なのですよ。
ぎゃははははは。。。
どういうこと。。。? と小百合さんが不思議に思うかもしれません。
僕も、改めて本を読んでみてビックリしているのですよ。
では、その箇所をここに書き出しますから、じっくりと読んでみてね。
行田船着き場跡
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(行田)市の中心から国道(125号線)を東へ約500メートル、下町のT字路の左に、古風な木造洋館(デンマン注: 現在は岡田カメラ店)がある。
田山花袋の『田舎教師』に出て来る斉藤医院(文中では原田医院)、それから北へ左折して150メートル、またT字路で、右側が遊園地になっている。
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この公園の地が、行田船着き場で、長野口御門、番所、高札場があった。
(略) つい最近まで、石垣があって、如何にも船着き場らしかった。
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(中略)
昔はどんな水路を通って、ここまで来たかわからないが、とにかく、今から400年前には、下町を中心に行田町が出来、一、六の市が立った記録は、成田氏時代からである。
そして300年前には、関西方面から、市日めあての商人が来たことが古文書に見えている。
天正18年(1590年)『家忠日記』に「宮津衆、行田の市(いち)に人を切る」とあって、京都府宮津の商人が来ている事を示している。
特に船着き場が栄えたのは、見沼代用水が出来てからであろう。
八代将軍吉宗が、普請奉行 井沢弥惣兵衛為永(いざわやそうべえためなが 1663-1738)に命じ、大宮市東の見沼干拓事業を起こし、旧芝川の水路を拡張して、見沼の溜水を荒川におとし、利根川の水を行田市下中條の今の利根道水路取入口(今、見沼代用水元圦口公園になっている)から、延々60キロメートルの水路を作り、更に通船堀を設け水運の便に供した、一大工事で、享保13年(1728年)の完成であるから、今から、270年も前の事である。
(中略)
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英照皇太后
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昭憲皇后
明治19年5月10日、英照皇太后、昭憲皇后陛下が、館林の「つつじヶ岡」に行啓された時、行田の橋本喜助宅で、御着替えをなされ、その荷物が、船で下町の船着き場に運ばれ、下町から橋本喜助宅まで大変な列で賑わった事を、私は祖母(安政6年生まれ)から聞いたことがある。
ついでに、その模様が、『埼玉県史』第7巻に出ているので書いておこう。
「明治19年5月10日午前7時30分新宿停車場より別仕立汽車にて御発車、9時鴻巣駅にて御下乗遊ばされ、同宿鈴木半右衛門方、行田町橋本喜助方等に御小休、川俣にて利根川を御渡船……」とある。
帰路も、橋本喜助方で御着替、鴻巣駅午後7時40分発、9時10分新宿駅御着とある。
吹上駅は明治18年3月1日開設であるのに、何故鴻巣駅(明治16年7月28日開設)で下車されたかわからない。
吹上駅では近くに小休される適当な家がなかったからだろう。
とにかく、行田の船着き場が、幕末から明治中頃まで栄えた事は、想像出来ない程だったらしい。
番所が今の久保田屋さんの所にあり、その前に長野口御門があって通行人を見張り、高札場がある程の賑わいだったという。
ところがある人から「あそこは晒し首場だったそうですね」といわれたので色々調査した結果、次の様な事情がわかった。
即ち弘化3年(1846年)蘭法医の河津省庵が本町横町で開業し、その名声が高くなり、御典医となった。
省庵は常に研究に励み、特に“腑分け”して医学の進歩をはかったが、当時人体を解剖することは許されなかった。
藩では先生の便宜をはかり、下町の高札場に晒し首をした。
それを近くの大長寺内に運び“腑分け”をして寺に葬ったという。
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省庵が日本の眼科医学史上の人となり、『眼科方規』『医則発揮』はそんな事情で生まれたのだろう。
藩の役人も医学の為に随分イキなはからいをしたものだと思う。
下町の晒し首の事実は、日本医学史上に役立ったわけである。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
5-9ページ 『行田史跡物語』
著者: 大澤俊吉
1979(昭和54)年12月20日 初版発行
発行所: 歴史図書社
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(行田)市の中心から国道(125号線)を東へ約500メートル、下町のT字路の左に、古風な木造洋館(デンマン注: 現在は岡田カメラ店)がある。
田山花袋の『田舎教師』に出て来る斉藤医院(文中では原田医院)、それから北へ左折して150メートル、またT字路で、右側が遊園地になっている。
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この公園の地が、行田船着き場で、長野口御門、番所、高札場があった。
(略) つい最近まで、石垣があって、如何にも船着き場らしかった。
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(中略)
昔はどんな水路を通って、ここまで来たかわからないが、とにかく、今から400年前には、下町を中心に行田町が出来、一、六の市が立った記録は、成田氏時代からである。
そして300年前には、関西方面から、市日めあての商人が来たことが古文書に見えている。
天正18年(1590年)『家忠日記』に「宮津衆、行田の市(いち)に人を切る」とあって、京都府宮津の商人が来ている事を示している。
特に船着き場が栄えたのは、見沼代用水が出来てからであろう。
八代将軍吉宗が、普請奉行 井沢弥惣兵衛為永(いざわやそうべえためなが 1663-1738)に命じ、大宮市東の見沼干拓事業を起こし、旧芝川の水路を拡張して、見沼の溜水を荒川におとし、利根川の水を行田市下中條の今の利根道水路取入口(今、見沼代用水元圦口公園になっている)から、延々60キロメートルの水路を作り、更に通船堀を設け水運の便に供した、一大工事で、享保13年(1728年)の完成であるから、今から、270年も前の事である。
(中略)
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英照皇太后
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昭憲皇后
明治19年5月10日、英照皇太后、昭憲皇后陛下が、館林の「つつじヶ岡」に行啓された時、行田の橋本喜助宅で、御着替えをなされ、その荷物が、船で下町の船着き場に運ばれ、下町から橋本喜助宅まで大変な列で賑わった事を、私は祖母(安政6年生まれ)から聞いたことがある。
ついでに、その模様が、『埼玉県史』第7巻に出ているので書いておこう。
「明治19年5月10日午前7時30分新宿停車場より別仕立汽車にて御発車、9時鴻巣駅にて御下乗遊ばされ、同宿鈴木半右衛門方、行田町橋本喜助方等に御小休、川俣にて利根川を御渡船……」とある。
帰路も、橋本喜助方で御着替、鴻巣駅午後7時40分発、9時10分新宿駅御着とある。
吹上駅は明治18年3月1日開設であるのに、何故鴻巣駅(明治16年7月28日開設)で下車されたかわからない。
吹上駅では近くに小休される適当な家がなかったからだろう。
とにかく、行田の船着き場が、幕末から明治中頃まで栄えた事は、想像出来ない程だったらしい。
番所が今の久保田屋さんの所にあり、その前に長野口御門があって通行人を見張り、高札場がある程の賑わいだったという。
ところがある人から「あそこは晒し首場だったそうですね」といわれたので色々調査した結果、次の様な事情がわかった。
即ち弘化3年(1846年)蘭法医の河津省庵が本町横町で開業し、その名声が高くなり、御典医となった。
省庵は常に研究に励み、特に“腑分け”して医学の進歩をはかったが、当時人体を解剖することは許されなかった。
藩では先生の便宜をはかり、下町の高札場に晒し首をした。
それを近くの大長寺内に運び“腑分け”をして寺に葬ったという。
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省庵が日本の眼科医学史上の人となり、『眼科方規』『医則発揮』はそんな事情で生まれたのだろう。
藩の役人も医学の為に随分イキなはからいをしたものだと思う。
下町の晒し首の事実は、日本医学史上に役立ったわけである。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
5-9ページ 『行田史跡物語』
著者: 大澤俊吉
1979(昭和54)年12月20日 初版発行
発行所: 歴史図書社
ということで、明治19年5月10日、行田の橋本喜助宅で着替えて、あの船着き場から英照皇太后、昭憲皇后が、船に乗って、川俣で利根川を渡り、館林の「つつじヶ岡」に行ったのですよ。
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なんと、その船着き場で 僕と小百合さんが弁当を食べたというわけなのです。 (爆笑)
もちろん、それだけではありません!
なんとォ~ 僕と小百合さんは館林の「つつじヶ岡」でも、何度か 10月桜を見たり、白鳥を見たりして、ルンルン気分で散歩したのですよ!
しかも、何度となく白いテーブルで小百合さんとアイリッシュ・クリーム・コーヒーを飲んだ大長寺までが出てくるのですよ!
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ぎゃははははは。。。
そういうわけで、この事でまた今日寝て起きたら バンクーバー市立図書館で記事を書くのです。
面白い記事になるので、小百合さんもぜひ読んでみてね。
とにかく、真心のこもった手作りの弁当ありがとう! きゃははははは。。。
では、今日も一日、小百合さんにとっても 素晴らしい日でありますように。。。
祈ってますねぇ~。
じゃあねぇ。。。バイバ~♪~イ。。。
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デンマンさん。。。 またプライベートなメールを持ち出してきて、こうして記事を書くのですか?
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いけませんか?
だってぇ~、私たちのプライベートな事を記事にしてブログに出しても、このような事を読まされたネット市民の皆様は間違いなく白けますわァ~。
いや。。。 決してそのようなことはありませんよ。。。 行田市の歴史は日本の歴史でもあるのです。。。 なぜなら、英照皇太后と昭憲皇后が行田にやって来て、船に乗って、川俣で利根川を渡り、館林の「つつじヶ岡」に行ったのですよ。。。 上に貼り出した写真を見ただけでも、ネット市民の皆様はすごい人が行田にやって来たのだと知ってビックリしていますよ。
そうでしょうか?
だってぇ~、小百合さんだって自分が生まれ育った館林に英照皇太后と昭憲皇后がやって来たなんて知らなかったでしょう?
知りませんでしたわ。
だから、こうして記事に書くことも意味があるのですよ。。。 僕は、何もプライベートな事を書いてネット市民の皆様を白けさせるつもりはないのですよ。
でも、白けて、途中で他のブログへ飛んでしまったネット市民の皆様もきっと居ると思いますわ。
だから、そういう人は飛んでしまってもいいのですよ。。。 日本もカナダも自由主義の社会ですからね。。。 白けたい人は白けてもいいのです。。。 でもねぇ~、この記事には知られざる日本の歴史が詰まっているのですよ。
そうでしょうか?
だってぇ~、館林の「つつじヶ岡」だけじゃなくて、田山花袋の『田舎教師』に出て来る斉藤医院も出てくるのですよ。。。 この斉藤先生の孫は、僕が子供の頃のホームドクターだったのですよ。
デンマンさんは、この事が言いたかったのですか?
いや、違いますよ。。。 弘化3年(1846年)蘭法医の河津省庵が本町横町で開業し、その名声が高くなり、御典医となった。。。 さらに、晒し首にした遺体を大長寺内に運び“腑分け”をして寺に葬ったというのです。
要するに、この事が言いたかったのですか?
違いますよ。。。 その大長寺で僕と小百合さんが何度となく 白いテーブルでアイリッシュ・クリーム・コーヒーを飲んだのですよ。
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だから、そういう事を書くとネット市民の皆様が白けるのですわ。
小百合さんは、ちょっとばかりプライベートな事に拘(こだわ)り過ぎるのですよ。。。 この記事を読んでいるネット市民の皆様の中には 井戸端会議に顔を出すような噂好きなおばさんだってたくさん居るのですよ。
その証拠でもあるのですか?
ありますよ。。。 ちょっと次のリストを見てください。
海外からのアクセス
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■『Denman Blog』
分かるでしょう!? 日本語がわかる122ヵ国の世界のネット市民の皆様が僕のブログを読んでいるのです。 小百合さんが最近どうしているだろうか? “小百合物語”を読み続けている読者の中には、その事が気にかかっている噂好きのおばさんたちも居るのですよ。
それで行田からバンクーバーに戻ったばかりのデンマンさんは、早々 この記事を書いたのですか?
その通りですよ。。。 いかませんか?
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【卑弥子の独り言】
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ですってぇ~。。。
あなたも少しは日本の歴史を勉強したつもりになりましたか?
世界には 結構 日本語が理解できる たくさんのネット市民の皆様が居るのですわねぇ~。
上のリストを見て、あなたも そう思うでしょう?
話は、変わりますけれど、デンマンさんは“黒いオルフェ”がメチャ好きなのでござ~ますう。。。
だから、あたくしも、この曲に合わせて踊ってしまったのですわ。
うふふふふふ。。。
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■『衝撃の角度』
ところで、小百合さんがどうして「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?
ご存知でござ~♪~ますか?
実は簡単な事なのですわよう。
小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。
小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。
分からない事ではござ~ませんわ。
そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。
現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。
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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。
そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。
軽井沢・雲場池の紅葉
軽井沢のイルミネーション
秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩
とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。
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ですってぇ~。。。
あなたも少しは日本の歴史を勉強したつもりになりましたか?
世界には 結構 日本語が理解できる たくさんのネット市民の皆様が居るのですわねぇ~。
上のリストを見て、あなたも そう思うでしょう?
話は、変わりますけれど、デンマンさんは“黒いオルフェ”がメチャ好きなのでござ~ますう。。。
だから、あたくしも、この曲に合わせて踊ってしまったのですわ。
うふふふふふ。。。
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■『衝撃の角度』
ところで、小百合さんがどうして「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?
ご存知でござ~♪~ますか?
実は簡単な事なのですわよう。
小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。
小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。
分からない事ではござ~ませんわ。
そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。
現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。
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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。
そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。
軽井沢・雲場池の紅葉
軽井沢のイルミネーション
秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩
とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。
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