2026年10月16日金曜日

型破りな男@南方熊楠


 


型破りな男@南方熊楠


 





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デンマンさん。。。今日は型破りな男だと言われる南方熊楠 のお話ですかァ〜?



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そうです。。。ベティさんも この人物の型破りぶりを知りたいでしょう?


興味がありますわ。。。でも、どうしてこの人物を取り上げるのですか?


実は、つい最近、次の動画を観たのですよ。。。


 



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南方熊楠


 



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南方 熊楠(みなかた くまぐす)は1867年5月18日(慶応3年4月15日)現在の和歌山市に生まれた。
生物学者としては粘菌の研究で知られているが、キノコ、藻類、コケ、シダなどの研究もしており、さらに高等植物や昆虫、小動物の採集も行なっていた。


そうした調査に基づいて生態学(ecology)を早くから日本に導入した。
1929年には地元で、昭和天皇に進講し、粘菌標品110種類を進献している
。


民俗学研究上の主著として『十二支考』『南方随筆』などがある。
その他にも、投稿論文、ノート、日記のかたちで学問的成果が残されている。


フランス語、イタリア語、ドイツ語、ラテン語、英語、スペイン語に長けていた他、漢文の読解力も高く、古今東西の文献を渉猟した。
言動や性格が奇抜で人並み外れたものであるため、後世に数々の逸話を残している。


柳田國男から「日本人の可能性の極限」と称され、現代では「知の巨人」との評価もある。


東京での学生生活をおくったが、酒癖が悪く、放校処分にあった。
その後に渡米。さらにイギリスに渡って大英博物館で研究を進めた。
海外生活は13年に及んだ。
多くの論文を著し、国内外で大学者として名を知られたが、生涯を在野で過ごした。


熊楠の学問は博物学、民俗学、人類学、植物学、生態学など様々な分野に及んでおり、その学風は、一つの分野に関連性のある全ての学問を知ろうとする膨大なものであり、書斎や那智山中に籠もっていそしんだ研究からは、曼荼羅にもなぞらえられる知識の網が生まれた。


1893年(明治25年)のイギリス滞在時に、科学雑誌『ネイチャー』誌上での星座に関する質問に答えた「東洋の星座」を発表した。
また大英博物館の閲覧室において「ロンドン抜書」と呼ばれる9言語の書籍の筆写からなるノートを作成し、人類学や考古学、宗教学、セクソロジーなどを独学した。
さらに世界各地で発見、採集した地衣・菌類や、科学史、民俗学、人類学に関する英文論考を、『ネイチャー』と『ノーツ・アンド・クエリーズ』に次々と寄稿した。


生涯で『ネイチャー』誌に51本の論文が掲載されており、これは現在に至るまで単著での掲載本数の歴代最高記録となっている。


帰国後は、和歌山県田辺町(現・田辺市)に居住し、柳田國男らと交流しながら、卓抜な知識と独創的な思考によって、日本の民俗、伝説、宗教を広範な世界の事例と比較して論じ、当時としては早い段階での比較文化学(民俗学)を展開した。


菌類の研究では新しい種70種を発見し、また自宅の柿の木では新しい属となった粘菌を発見した。
民俗学研究では、『人類雑誌』『郷土研究』『太陽』『日本及日本人』などの雑誌に数多くの論文を発表した。


心機一転し自由な学問ができる新天地を求め留学を決意。
当時外国に留学するには莫大な費用がかかったが、その頃の南方家の財力は頂点に達しており問題はなかった。
父親は当初熊楠の留学に反対していたものの徐々に熊楠の熱意に理解を示し、最終的に留学を後押ししたという。


10月20日より4日間『和歌山新聞』に送別会の広告が掲載される。
26日、和歌山市内の松寿亭で送別会が開かれる。
参加者は熊楠を入れて16人。このときの熊楠の演説に関しては草稿が残されている。
12月22日に横浜港を出航して渡米。船内で中国人乗客と筆談する。


1887年(明治20年)1月8日に米国サンフランシスコ着。パシフィック・ビジネス・カレッジに入学。
8月にミシガン州農業大学(ミシガン州ランシング市、現・ミシガン州立大学)入学。
当初は商業を学ぶ予定だったが次第に「商買の事」から離れていった。


ミシガン州立大学は一流大学であったが、熊楠は大学に入らず、例によって「自分で書籍を買い標本を集め、もっぱら図書館にゆき、曠野林中に遊びて自然を観察す」という生活を送る。


1897年(明治30年)3月、ロンドンに亡命中の孫逸仙(孫文)と知り合い、親交を始める(孫文32歳、熊楠31歳)。6月、熊楠の日記中に孫文が友情のしるしとして「海外逢知音」を書き付ける。
1901年(明治34年)、孫文が和歌山に来訪し、熊楠と再会して旧交を温める。


熊楠は子供の頃から、驚異的な記憶力を持つ神童だった。
また常軌を逸した読書家でもあり、蔵書家の家で100冊を超える本を見せてもらい、それを家に帰って記憶から書写するという卓抜した能力をもっていた。
この伝説については、一部分を丸暗記して筆写した可能性はあるが、105巻すべてをそのまま記憶して筆写したというのは虚構である。
むしろ本を借りてきて写し書くことによって内容を隅から隅まで記憶していったというのが正確だろう。


語学には極めて堪能で、十数言語(ときに、二十数言語)解したと言われる。
中でも英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ラテン語、スペイン語について、専門書を読み込む読解力を有していた。
また、ギリシア語、ロシア語などに関しても、ある程度学習したと考えられる。
ただし、話したり書いたりしていることが確かめられる外国語は英語のみであり、十数言語を「自由に操った」というのは伝説と考えられる。


語学習得の極意は「対訳本に目を通す、それから酒場に出向き周囲の会話から繰り返し出てくる言葉を覚える」の2つだけであった。


英語運用能力が知識人として十分であったことは大英博物館スタッフや文学者アーサー・モリソンを含むイギリス知識人との交友や、『全集』の400ページに及ぶ英語論文が示している。


フランス語も著作での引用から、多数の文献を読みこなすに十分な読解力があったと評価してよい。


ドイツ語、イタリア語、スペイン語はいずれも「ロンドン抜書」での筆写量はそれなりの量に及ぶが、論述での利用はかなり少なくなる。


サンスクリット語については、熊楠の知識が土宜法龍との出会いを取り持った可能性がある。


ロンドン大学事務総長の職にあったフレデリック・ヴィクター・ディキンズは『竹取物語』を英訳した草稿に目を通してもらおうと、熊楠を大学に呼び出す。
熊楠はページをめくるごとにディキンズの不適切な翻訳部分を指摘し、推敲するよう命じる。


日本語に精通して翻訳に自信を持っていたディキンズは、30歳年下の若造の不躾な振る舞いに「目上の者に対して敬意も払えない日本の野蛮人め」と激昂。


熊楠もディキンズのこの高慢な態度に腹を立て、「権威に媚び、明らかな間違いを不問にしてまで阿諛追従する者など日本にはいない」と怒鳴り返す。


その場は喧嘩別れに終わるが、しばらくして熊楠の言い分に得心したディキンズは、それから終生、熊楠を友人として扱った
。


奇行が多かったことで知られる。異常な癇癪持ちであり、一度怒り出すと手がつけられないほど凶暴になると、両親など周囲の人々は熊楠の子供時代から頭を抱えていた。


熊楠も自分のそういった気性を自覚しており、自分が生物学などの学問に打ち込むことは、それに熱中してそうした気性を落ち着かせるためにやるものだと、柳田國男宛の書簡で書いている。




出典:「南方熊楠」Wikipedia


 



確かに、型破りな人物ですわねぇ〜。。。でも、二十数言語を使うことが出来たなんて信じられませんわァ〜。。。尾ひれ背びれが付いて話が増幅されたのではありませんかァ〜。。。



伝説的な人物だから、話が実際よりも膨らんでいるかもしれません。。。僕も気になっている事があったので ChatGPT に尋ねてみました。


 




南方熊楠に関する上のドキュメンタリー動画を観ました。
ここで質問です。


① 東京での学生生活をおくったが、酒癖が悪く、放校処分にあったというのは事実なのか?


② 動画では、孫文との親交を強調しているが、辛亥革命にはどの程度の支援を行ったのか? あるいは協力したのか?


③ 十数言語を「自由に操った」というのは伝説という人もいるようだけれど、実際はどうだったのか?


④ 当時外国に留学するには莫大な費用がかかったが、その頃の南方家の財力は頂点に達しており問題はなかった。南方家は、どのようにして財を成したのか?


⑤ 昭和天皇に進講した経緯は? そのきっかけは?


⑥ 言動や性格が奇抜で人並み外れたものであるため、後世に数々の逸話を残した。 どのような奇行があったのか?


⑦ 驚異的な記憶力を持つ神童だった、というのは事実なのか?


⑧ 南方熊楠と親交のあったフレデリック・ヴィクター・ディキンズは、医者の道を歩んだのに、どういうわけで日本文学に興味を持ったのか? 後年、日本文学に一生を捧げたことを後悔していると伝わっているけれど‥。


⑨ ミシガン州立大学は一流大学であったが、熊楠は大学に入らず、例によって「自分で書籍を買い標本を集め、もっぱら図書館にゆき、曠野林中に遊びて自然を観察す」という生活を送る。そういう生活を送るならばアメリカに留学する意味がない、と思うのだが‥。


⑩ 南方熊楠は、後年、自然保護の運動に関わっているが、田辺湾の小島である神島は どういうわけで天然記念物に指定されたのか?



南方熊楠は、調べれば調べるほど「天才」という一言では収まりきらない人物ですね。ただし、熊楠には後世に作られた「超人伝説」もかなり混じっています。


今回の10項目は、「確認できる事実」「かなり確からしいが伝説化しているもの」「後世の脚色」を分けて見ると、とても面白くなります。


 



①東京で酒癖が悪く、


 放校処分は事実か?


これはかなり不正確です。


熊楠は1884年、17歳で東京大学予備門(現在の東京大学につながる学校)に入学しました。同期には夏目漱石、正岡子規、山田美妙らがいました。


ところが熊楠は授業より、


図書館での読書
上野博物館
動物園
小石川植物園
動植物・鉱物・考古資料の採集


に熱中しました。


そして1886年2月、試験に失敗して予備門を退学しています。


南方熊楠記念館も「退学」としており、「酒癖の悪さを理由に放校された」とはしていません。


一方、酒に関する事件はアメリカ時代にあります。


1887年、ミシガン州立農学校に入学した熊楠は、学校にあまり行かず植物採集に熱中。


そして学内で飲酒事件を起こし、自ら退学を決意しています。


したがって、東京=酒癖で放校、アメリカ=優秀だったが大学を自主退学という話ではなく、東京では学校嫌い・試験失敗で退学し、アメリカでは飲酒事件も一因となって農学校を退学した、というのが正確でしょう。


② 孫文とは親しかったが、


 辛亥革命を


 どの程度支援したのか?


ここは動画では多少ドラマチックに描かれやすいところだと思います。


1897年、ロンドンの大英博物館で、東洋図書部長ロバート・ダグラスの紹介によって孫文と出会いました。


二人は非常に意気投合しました。


孫文は熊楠の日記・サイン帳に、「海外逢知音」と書き残しています。


1901年には孫文が和歌山の南方家まで訪ねてきました。


その後も通信が続き、孫文はハワイで採集した地衣類を熊楠に送っています。


しかし重要なのは、熊楠が辛亥革命の活動家だったわけではない、ということです。


孫文を物心両面で支援した日本人には、


宮崎滔天
梅屋庄吉
萱野長知
山田良政
犬養毅
頭山満


などがいます。彼らは資金提供、政治的支援、革命活動への協力などを行いました。


熊楠の場合、確認できるのは知的・個人的な友情と交流です。


したがって、「南方熊楠は孫文の革命を支援した」という表現なら、かなり広い意味では理解できますが、「辛亥革命のために資金を提供した」「革命運動に参加した」「革命工作に協力した」という意味なら、私は現時点では裏付けを取れません。


むしろ面白いのは、熊楠と孫文がまだ何者になるか分からない30歳前後の青年時代に出会っていたことです。


これは非常に魅力的な史実です。


③ 本当に十数言語を操ったのか?


ここは質問者さんが引用された文章の判断が、かなり妥当だと思います。


熊楠は確かに、


英語
フランス語
ドイツ語
イタリア語
スペイン語
ラテン語


などの文献を読んでいました。


しかし、「十数か国語を自由自在に話した」という意味ではありません。


熊楠の場合、


「話せる」
「文章を書ける」
「専門書を読める」
「辞書を使って解読できる」


を区別する必要があります。


特に確実なのは英語です。


英国で生活し、英国人研究者と交流し、『Nature』や『Notes and Queries』に英文論文を投稿し、大英博物館やロンドン大学関係者とも交際していました。


さらに『Nature』への論文は生涯51本。これは現在まで単著論文数の記録とされています。


また「ロンドン抜書」は非常に重要です。


52冊、約1万800ページに及び、英語・フランス語・ドイツ語などの文献をびっしり筆写しています。


ですから、熊楠は多言語の「読解能力」を持っていた、というのはかなり確実です。


しかし、「十数言語を自由に会話できた」となると伝説でしょう。


これは熊楠の凄さを減らす話ではありません。


むしろ、必要な言語なら「研究資料を読むところまで自力で持っていった」ことこそ熊楠の本当の凄さだと思います。


④ 南方家はどうやって


 財を築いたのか?


ここは非常に面白いですね。


実は南方家は、熊楠が生まれた時から巨大な富豪だったわけではありません。


父・弥兵衛はもともと紀州日高郡の庄屋の次男でした。


13歳で丁稚奉公に出て、和歌山の商家で働き、やがて南方家(雑賀屋)の婿養子になります。


ところが、そのころの南方家は家産がかなり傾いていました。


顕彰館の資料にも「もともと豪商だったが、弥兵衛が婿入りした頃には家産が傾いていた」とあります。


つまり、弥兵衛が南方家を立て直したのです。


そして明治17年、1884年に大きな転機が来ます。


弥兵衛は紀州藩の籾倉(米蔵)だった土地・建物を譲り受け、酒造業を開始しました。現在の「世界一統」です。


さらに、明治期の南方家は酒造だけでなく、米・金融などにも関係して財を蓄えていきました。


興味深いのは、熊楠自身の「履歴書」には、明治10年、西南戦争ごろ非常にもうけた、という趣旨の記述があることです。


つまり、西南戦争による物資需要・商業活動などによって父が大きく財を増やしたと考えられます。


ただし、南方家の富の形成を「酒造だけ」と考えるのは不十分です。


商業+金融+米+酒造という複合的な商業活動が重要だったと見るのがよいでしょう。


⑤ 昭和天皇への進講は、


 どうして実現したのか?


これにはかなり明確な経緯があります。


昭和天皇は皇太子時代から粘菌に関心を持っていました。


1926年、熊楠は皇太子(後の昭和天皇)の要望を受け、粘菌37属90点を献上しています。


つまり、「熊楠が天皇に売り込んだ」というより、「皇太子側が熊楠の粘菌研究に関心を持っていた」というのが重要です。


その後、1929年に御進講の打診がありました。


1929年6月1日、田辺湾の神島で昭和天皇と対面。


熊楠は神島を案内し、その後、御召艦「長門」の艦上で約25分間、粘菌、海中生物、田辺湾の生物について説明しました。


そして何と、粘菌標本110種類をキャラメルの大箱に入れて献上したのです。


これは非常に熊楠らしいですね。


しかも「奇人・変人」と聞いていた側近が心配したものの、実際の熊楠は礼儀正しく、非常に謹厳な態度だったと記録されています。


ここが面白いところです。


私生活の熊楠と、研究者としての熊楠は別人のようだった。


⑥ どんな奇行があったのか?


これはかなりあります(笑)。


ただし「奇行」と「単なる伝説」は分ける必要があります。


① 大酒飲み


酒好きは事実です。


そして酒を飲むと癇癪が激しくなる。


② 裸で歩き回る


田辺時代には、裸で歩き回る熊楠という話が残っています。


服装にはかなり無頓着だったようです。


ただし「一年中いつでも裸だった」というのは誇張でしょう。


③ 大英博物館で人を殴る


これは伝説ではありません。


1897年、閲覧室でトラブルになり、他の利用者を殴ってしまいました。


しかも翌1898年には、女性閲覧者の私語を注意したことから監督官と口論し、ついに大英博物館から追放されました。


④ 異常な癇癪


子供時代から怒りっぽかったとされ、本人自身も自分の激しい気性を自覚していました。


面白いのは、本人が研究に没頭することが、自分の激しい気性を抑える方法だった、という趣旨のことを書いていることです。


これは心理学的にも非常に興味深い。


⑤ 周囲から見ると「変人」


しかし、昭和天皇への進講時には完全に紳士でした。


つまり、社会生活では問題人物になり得るほど個性が強いが、学問の場では恐ろしく集中し、必要な礼儀も守れる、という人物だったのだと思います。


⑦ 驚異的な記憶力は本当か?


これはかなり本当だと思います。ただし「105巻を一度見て完全暗記した」という伝説は疑った方がいい。


熊楠が実際に『和漢三才図会』105巻を筆写したこと自体は確実です。


しかも、


『本草綱目』
『大和本草』
『諸国名所図会』
『節用集』
その他多数


を少年時代に筆写しています。実物の写本も残っています。


重要なのは、「見ただけで全部覚えた」というより、「読んで、覚えて、書く」という猛烈な反復学習をしていたと考えることです。


実際、熊楠自身の回想には、本を借り、記憶して帰り、反古紙に写し出し、繰り返し読んだ、という趣旨が記されています。


ですから私は、「超人的な記憶力を持っていた」=かなり信頼できる。


一方、「一度見ただけで105巻を完全暗記した」=伝説化と判断するのが妥当だと思います。


⑧ ディキンズはなぜ日本文学に


 夢中になったのか?


ここは実に面白い人物です。


Frederick Victor Dickinsは、最初から文学者だったわけではありません。


英国海軍の軍医として1860年代に日本へ来ました。


1863年から1866年まで横浜に勤務しています。


そこで日本人、日本文化、日本語に接し、日本語を学び始めました。帰国後には『百人一首』の英訳まで出版しています。


つまり、医者として日本に来たことが、日本文学との出会いになったわけです。


その後、ディキンズは医師だけではなく、弁護士、東洋学者、ロンドン大学関係者として活動します。


そして、


『百人一首』
『竹取物語』
『方丈記』
『古事記』
『日本書紀』
和歌
俳句


などの翻訳を行いました。


特に『竹取物語』は1888年に英訳し、後に熊楠の厳しい批判を受けて改訂しています。


研究者によれば、熊楠との出会いと助力はこの改訂に大きな影響を与えました。


そして「後悔」


これは非常に興味深いところです。


晩年のディキンズは、日本文化に対する評価が次第に冷めていき、日本文学・日本文化に人生を捧げたことを後悔したとする研究があります。


これは、「日本文学を愛した英国人が、最後には日本文学を嫌いになった」という単純な話ではありません。


むしろ、若い時代には日本文化に強く魅了されたが、晩年にはヴィクトリア朝英国人としての文化的優越意識から日本文化を低く評価するようになったと見るべきでしょう。


つまり、ディキンズ自身の中にも、「日本への魅惑」と「西洋文明中心主義」という二つの感情が同居していた。


熊楠との関係を考えるうえでも非常に面白い人物です。


⑨ 大学に入らないなら、アメリカへ


 行った意味がないのでは?


これはデンマンさんの疑問が非常に鋭いと思います。


現代人の感覚なら、「大学に入学したのに、授業をサボって森を歩いて図書館にいる。だったら日本にいてもいいじゃないか」となります(笑)。


しかし熊楠にとって、アメリカそのものが巨大な「野外実験室」だったのだと思います。


1887年にミシガン州立農学校へ入学しましたが、1888年に退学。その後アナーバーで、


大学博物館
図書館
自然環境
植物採集
日本人留学生との交流
英語文献


を利用しています。


さらにフロリダ、キーウェスト、キューバまで行っています。


つまり熊楠にとって、大学=学問そのものではなかった。


彼にとっては、世界そのものが大学だったのでしょう。


これは後の人生を考えるとよく分かります。


彼は、「学位を取ること」より、「世界中の資料・生物・文化を自分の頭の中で統合すること」を目指していました。


 



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そして実際、英国に行くと大英博物館という世界最大級の知識の集積所を「大学」の代わりにしてしまいます。


大英博物館から館員になるよう勧められたのに、熊楠は自由を失いたくないから断ったとされています。


ここに熊楠の本質があります。


組織に所属して研究する学者ではなく、世界そのものを自分の研究室にしてしまった人だったのです。


だから「在野の学者」だったことは、彼の弱点であると同時に、最大の特徴でもあります。


⑩ なぜ神島が天然記念物に


 なったのか?


これは熊楠の自然保護思想を理解するうえで、非常に重要なポイントです。


実は熊楠は、「神島にはものすごく珍しい植物があるから保護しよう」と言ったわけではありません。


むしろ逆です。


熊楠は、田辺湾周辺では開発などによって植物が失われつつある。しかし神島には、その地域本来の植物相がまとまって残っている。だから保存する必要があると考えました。


これは現代の言葉なら、「生態系そのものを保存する」という考え方です。


神島には、田辺湾周辺ではすでに少なくなった植物や動物が残っていました。


さらに、


植物
シダ
菌類
昆虫
陸産貝類
その他の小動物


が複雑に関係している。


つまり熊楠は、「珍しい一種類」を守るのではなく、「その地域の自然のまとまり」を守る、という発想を持っていたわけです。


これは現代の生態系保全・生物多様性保全にかなり近い考え方です。


神島保護の経緯も重要です


1908年、神社合祀政策によって神島神社の神林が伐採される危機が生じました。


熊楠は村民らと保存運動を展開し、1912年=保安林指定を実現。


その後、1930年=和歌山県天然記念物、さらに 1935年=国の天然記念物となりました。


そして1929年には、ここで昭和天皇に御進講しています。


つまり、自然保護運動 → 神島保全 → 昭和天皇の行幸 → 天然記念物指定という流れができたわけです。



 



今回の10項目を全部つなげてみると、南方熊楠という人物の姿がかなり明確になります。


熊楠は「何でも知っている天才」というより、「既存の学問の境界線を無視した人」だったと思います。


普通なら、


植物学者
民俗学者
人類学者
博物学者
宗教学者


のどれかになります。


熊楠は、「全部つながっているじゃないか」と考えた。


だから植物を研究している途中で民俗学を調べ、民俗学を調べていると宗教に行き、宗教から人類学へ行き、そこから生態系へ戻ってくる。


その結果が、いわゆる「南方曼荼羅」です。


そして、これは⑨の「大学に行かず森を歩いていた」という話ともつながります。


熊楠にとって、森・図書館・博物館・古文書・神話・昆虫・粘菌・人間社会は、全部ひとつの巨大な研究対象だった。


だからこそ、大学の「植物学科」だけでは、熊楠には狭すぎたのでしょう。


そして⑩の神島保護も、単なる「珍しい植物の保護」ではありません。


「一つの地域の自然は、無数の生物・環境・人間の歴史が結びついた一つのシステムである」という発想です。


これはまさに、後のエコロジー(生態学)的な発想につながります。


その意味で熊楠は、単に「知識量がものすごい奇人」だったのではなく、19世紀末から20世紀初頭という時代に、現代的な「学際研究」「生態系保全」「比較文化」の発想をかなり先取りしていた人物だった、と評価するのが一番しっくりくると思います。


そして何より面白いのは、その巨大な知性と、酒・癇癪・喧嘩・裸歩きという猛烈に人間臭い部分が同居していることですね。


そこが熊楠を単なる「偉人」ではなく、非常に興味深い一人の人間にしているのだと思います。



確かに、非常に異色的で興味のつきない人間ですね。解説ありがとうございました。



こちらこそ、ありがとうございました。南方熊楠は、まさに「偉人」という言葉だけでは捉えきれない人物ですね。


驚異的な知識欲、自由な精神、学問的な先見性、そして酒癖や癇癪などの激しい人間臭さが同居しています。


特に面白いのは、熊楠が「大学教授になる」「学位を取る」といった当時の学者の典型的な出世コースをほとんど意に介さず、自分自身を巨大な図書館と自然界の中に置いて、独力で学問体系を組み立てようとしたところでしょう。


そして、晩年の自然保護運動まで考えると、単なる「知識の怪物」ではなく、「自然と人間と文化はすべてつながっている」という世界観を、生涯をかけて追究した人物だったことが見えてきます。


個人的には、熊楠の人生は「天才は孤独だった」という単純な物語ではなく、孫文、柳田國男、ディキンズ、昭和天皇など、意外な人物との交流によって知的ネットワークを広げていった人生
として見ると、さらに面白いと思います。



 



確かに、南方熊楠は孤独のように見えて、孫文、柳田國男、ディキンズ、昭和天皇など、意外な人物との交流によって知的ネットワークを広げています。



「人間」は「人」の「間(あいだ)」と書きます。


言われみれば、そうですね。。。


人のあいだで交わることこそ知的ネットワークを広げて、人間的なのでしょうね。😁😁😁😁😁


そういうことですよ。。。



【ジューンの独り言】



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ですってぇ~。。。


あなたも良い人とたくさん交わって知的ネットワークを広げてください。。。


第2の南方熊楠になれるかもしれませんわァ〜。。。


ええっ。。。「そんな事は、どうでもいいから、他にもっと楽しい話をしろ!」


あなたは、そのような命令口調で あたくしに催促するのですかァ〜。。。


いけすかない お方ァ〜。。。


わかりましたわァ。。。それでは、デンマンさんのインスタを紹介しますわァ〜。。。


 



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■『拡大する』


■『実際のページ』


 


写真をクリックしてボサノヴァやサンバの曲に合わせて踊る、きれいで可愛い女の子をじっくりとご覧くださいませぇ〜。。。


もし、ボサノヴァやサンバの曲が聞こえてこなかったら、動画の右下の「無音」のマークをクリックすれば、解除することができ、ボサノヴァやサンバの曲を聴くことができます。


ええっ。。。 「そんな踊りは、そうでもいいから、他にもっと楽しい話をしろ!」


あなたは、更に そのような命令口調で あたくしに強要するのでござ~ますわねぇ~。。。


わかりましたわァ。。。


たまたま わたしは、次の動画に出くわしましたわ。。。


 



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人間の母親のような仕草に、思わず笑ってしまいましたァ~。。。


ええっ。。。「そんな事はどうでもいいから、もっと他に面白いことを話せ!」


あなたは、更に、更に そのような命令口調で わたしに面白いことを話せとご命令なさるのですかァ~?


分かりましたわァ~。。。


じゃあ、シロイルカ(ベルーガ)の面白い動画をお見せしますわ。。。


 



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あなたも、上のシロイルカを可愛いと思いますか?


犬をぺットとして飼ったことがある人はわかると思いますけれど、


ボールを放り投げると、飽きることなく犬は拾いにゆきますよねぇ~。。。


上のシロイルカも、ちょうど愛犬がボールを拾いにゆくように、飽きることなく泳いでボールを追いかけます。。。


そういうところが可愛いのでしょうねぇ~。。。


ええっ。。。「そんな事はどうでもいいから、もっと他に面白いことを話せ!」


あなたは、更にそのような命令口調で わたしに面白いことを話せと言うのですかァ~?


分かりましたわァ~。。。


じゃあ、気分を変えるために、改めて次の動画を見てください。。。


 



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貴方は、上のワンちゃんが金魚を食べてしまうと思いましたか?


ええっ。。。「そんな事はどうでもいいから、他にもっと面白いことを話せ!」


あなたは、そのような強い口調で 更に わたしにご命令なさるのですかァ~?


分かりましたわァ。。。


デンマンさんが10年以上も前にアンケートを作りました。


 



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■『拡大する』


■『もう一度クリスマスのページ』


 


上のリンクをクリックすると、


左側のサイドコラムにたくさんの質問が出てきます。


ひとつひとつ見ながら ぜひアンケートに答えてみてください。


ええ。。。、「そんな暇ないよ!」


じゃあ、たまには、古代のお話も読んでみてくださいね。


意外に面白いですわよ。。。


あなたも古代の謎に挑んでくださいねぇ~。。。



■天武天皇と天智天皇は


同腹の兄弟ではなかった。
 


■天智天皇は暗殺された 


■定慧出生の秘密 


■藤原鎌足と長男・定慧 


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■なぜ、蝦夷という名前なの?


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■古事記より古い書物が


どうして残っていないの?


■今、日本に住んでいる人は


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■マキアベリもビックリ、


藤原氏のバイブルとは?


ところで、他にも面白い記事がたくさんあります。


興味のある方は次の記事も読んでみてくださいね。



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■『アクセス急増!』


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じゃあね。バーィ。



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