2011年11月11日金曜日

パリ夫人

パリ夫人
 

 
 




Subj:小百合さん、おはよう!

夕べ小百合さんの夢を見ましたよう!

きゃはははは…


From: denman@coolmail.jp
To: sayuri@hotmail.com
Cc: barclay1720@aol.com
Date: 28/11/2010 5:29:09 PM
Pacific Standard Time
日本時間:11月29日(月)午前10時29分
 
 


パリのセーヌ川の右岸を小百合さんと一緒に歩いているのです。
空は抜けるように青くて
どこからともなくイヴ・モンタンの歌う「枯れ葉」が聞こえてくるのですよう。
もう、僕は感激ですよう!





「シャンソン - 枯葉」

ロマンチックでもあり、またメランコリックでもあり、
何とも言えなく いいですよねぇ~。

僕は、当然、小百合さんの腰に手を回すのですよう。
うししししし。。。

「デンマンさん!くすぐったいから、お尻に手を当てないでねぇ~」
小百合さんは、半分白けたように僕を見つめて、そう言うのですよう。
でも、僕は何と言われようと、もう、うれしくて、うれしくて仕方がないのですよう。
パリのセーヌ川のプロムナードを小百合さんと一緒に散歩しているのですからねぇ。
これ以上のロマンはないのではないかと、僕はもうウキウキ、ドキドキ、ウハウハしているのです。
きゃはははは。。。

夢を見ているのに、僕自身はマジで現実のつもりなのですよう。
夢を見ているなんて、僕自身は少しも思っていない!
そのくせ、夢の中で、「これは夢じゃないの!?」
そう思っているのだから、今から思い出すと、しまりのない夢でしたよう。

「小百合さん、せっかくパリにやって来たのだから、この辺で Hよりも感じるハグをしませんか?」
僕が、そう言うと、小百合さんはニッコリするのだけれど、僕が抱きしめようとすると、するりと僕の腕から抜け出てしまうのですよう。
「小百合さん。。。そのように恥ずかしがらなくてもいいではありませんか? 僕も小百合さんもパリに居るのですから。。。さあ、記念に心を込めてハグしましょうね」
僕がそう言うと、小百合さんは、ちょっとムカついて言うのですよう。

「デンマンさん! 日本人の団体の観光客の人たちがジロジロ見てるわ。 ほら、あそこ。。。だから、おやめになってぇ~」
小百合さんの指差す方を見ると、旗を振っている添乗員の後を、山梨県の山奥の方からやって来た、団体のおじさん、おばさんたちが、僕と小百合さんを確かにジロジロ見てるのですよう。

やっぱり、パリも日本人の観光客の人たちで、ごった返しているのですよう。うもお~~。

「あらっ。。。デンマンさん。。。こんな所にインドカレーのお店がありますわ」
小百合さんが、そう言ったので指差す方を見ると、なんと、利根川を渡った所にある千代田町の本場のインドカレーの店があるではないですか!
小百合さんは、パリでも本場のインドカレーが食べられると、大喜びで店の中に入ってしまいました。



パリに来てまでインドカレーはねえだろう!?

僕は、カレーを食べ飽きているので心の中で、そう叫びましたよう。
でも、小百合さんが店の中に入ってしまったので、僕が一人で外に居るのもバカバカしいので、仕方なく入りましたよう。
そしたら、なんと千代田町のあの店に居たナナさんが居るではありませんか!
ナナさんは、インド生まれインド育ちなのに、日本語がうまいのですよう。
小百合さんと楽しそうに再会を喜び合っているではありませんか!

「ナナさん、いつパリに支店を出したの?」
「あらっ。。。デンマンさんもパリにやって来たのですか? パリのこのお店が本店で、日本の千代田町にあるお店の方が支店なのですわよう」
相変わらず愛嬌があって、ニコニコと笑顔を振りまいている様子は、インドの「愛の女神」かと思うほど、彼女の愛の精神が伝わってきますよう。



「デンマンさん。。。あの時は“激辛”を食べたのに、あまり辛くはないと言ってましたよね。 だから、今日は“超激辛”を食べてみてくださいな」
もう、こうなったら、“超激辛”でも、“めちゃ超激辛”でも、ナナさんの薦める物を何でも食べようと思いました。

その時、近くのテーブルで食べている女性二人が楽しそうに笑いながら僕を見ているのに気づいたのですよう。
なんと、ブルックリンのマリアさんと、カナダのマルサの女・ナンシーさんですよう。
いくらなんでも、これはできすぎているよ!

パリに千代田町のインドカレーの店があり、
しかも、ナナさんが居るのは偶然としても、
こともあろうに、ブルックリンのマリアさんが居るのは偶然にしてはできすぎている。
さらに、小百合さんがパリにやって来たのをかぎつけて、カナダのマルサの女・ナンシーさんまでがパリにやって来たなんて、絶対に信じられない。

「小百合さん。。。これは絶対に夢だよう! 夢か現実か?見極めるために、ちょっと僕のほっぺたをつねってみてよ」
僕は小百合さんに向かって、そう言ったのです。
「分かりましたわ」 小百合さんは、そう言うと思いっきり僕のほっぺたをつねったのですよう。んもお~~。。。
その痛さで目が覚めたと言う訳です。
うしししし。。。

考えてみたら、小百合さんにメールを書いてまで話すような夢ではなかったですよね。(爆笑)



でも、夢の中で小百合さんに会えてうれしかったですよう。
小百合さんも、軽井沢タリアセン夫人になりきって、たまには僕の夢でも見てね。
きゃはははは。。。

じゃあねぇ。
 





『パリの空の下で』より
(2010年12月1日)




デンマンさん、どうして去年のメールなど持ち出してきたのですか?



あのねぇ~、小百合さんが軽井沢タリアセンにある「睡鳩荘(すいきゅうそう)」や雲場池のそばにあった「ニューグランド ロッジ」になぜこだわるのか? 行田の水城公園にやってくると、僕の「足袋御殿」の話に興味を抱いた。 なぜなのか? 僕はちょっと不思議に思ったのですよ。



睡鳩荘



ニューグランド ロッジ



足袋御殿



その事とタイトルの「パリ夫人」が関係あるのですか?



あるのですよ。 考えてみると、どの建物も庶民が住んだり、滞在するような建物ではないのですよ。 「貴族社会」というか、「上流社会」というか? あるいは「裕福層」の人々たちが住んだり、滞在したりする建物なのですよ。

「パリ夫人」で思い出しましたけれど、デンマンさんは「舶来夫人」という記事を書いたばかりですわね。



『舶来夫人(2011年11月7日)』



よく覚えてますね。



だってぇ、上の記事を書いたのは、まだつい最近ではありませんか!

「舶来夫人」というタイトルにしたのも、もとをただせば小百合さんの上流志向というか? 豪華なものというか? そのようなものに寄せる思いが気になったからなのですよ。

それで、今度はどう言う訳で「パリ夫人」なのですか?

あのねぇ~、考えてみたら僕にも「上流社会」を垣間見たような思い出があったのですよ。

その思い出ってぇ。。。?

かつて卑弥子さんと「上流社会」について話したことがあるのですよ。 ちょっと読んでみてください。






今日は上流社会についてお話なさるのでござ~♪~ますか?



そうですよう。でもねぇ、僕は上流社会だとか下層社会だとか。。。そう言うようにレッテルを貼る事は嫌いなのですよう。

どうしてでござ~♪~ますか? デンマンさんは下層社会に生まれて育ったので、上流社会に対して嫉(そね)みとか、妬(ねた)みを感じているのでござ~♪~ますか?

ほらねぇ~。。。十二単を着ていると、そのような事を言うのですよねぇ~。。。僕はそのように言われるのが一番イヤなのですよう。

つまり、あたくしが本当の事を申し上げたので、デンマンさんは頭に来て、ムカついているのでござ~♪~ますわね?

ますます僕の気に障る事を卑弥子さんは、わざと言うのですか?

わざとではござ~♪~ませんわ。 あたくしは思ったとおりの事を言っているのでござ~♪~ますう。 常日頃からデンマンさんが本音で生きなさいと言っているので、あたくしはデンマンさんの助言どおりに、心に浮かんだ事をズバズバと申し上げているのでござ~♪~ますわ。

心に浮かんだとしても、言わなくていい事まで言う必要は無いのですよう。

でも、上流社会についてデンマンさんがお話になるのですから、あたくしの申し上げている事は決して脇道にそれているとは思いませんわ。

でも、卑弥子さんは、まるで日頃の鬱憤(うっぷん)を晴らすかのように、わざと僕の気持ちを不愉快にさせていますよう。

いいえ、それはデンマンさんの誤解でござ~♪~ますわ。 あたくしは『小百合物語』のホステス役としてデンマンさんのお手伝いをしているだけでござ~♪~ますわ。 おほほほほ。。。

だったら僕を不愉快にさせるような事を言わずに、今日の話題に沿った事を言ってくださいよう。

分かりましたわ。。。んで、デンマンさんにとって上流社会とは、どのようなものなのでござ~♪~ますか?

実は、僕は思いがけなく、子供の頃に上流社会を垣間見た事があるのですよう。

どのようにして、でござ~♪~ますか?

ちょっと次の写真を見てください。





実はねぇ、この写真は僕がコラージュして作ったものですよ。 僕が小学校1年生か2年生の頃覗き見た別世界のイメージですよ。



行田ですか?

そうですよ。行田の町は戦前、足袋で知られた町だったのですよ。日本の足袋生産の7割から8割を占めていたと言われたほどです。行田の町を歩くと、どこからとも無く、次のような音が聞こえてくると言うのですよ。




フンジャトッテ、カッチャクッチャ

フンジャトッテ、カッチャクッチャ

フンジャトッテ、カッチャクッチャ






何ですか、これは。。。?



足袋を作る女工さんがミシンを踏む音ですよ。フンジャとは、ミシンを踏んで、トッテとは、給料を貰って、カッチャで、行田のフライを買って、クッチャでフライを食べるわけですよ。それで、ミシンを踏む音がフンジャトッテ、カッチャクッチャと聞こえると言うのですよ。

つまり、“行田のフライ”と言うのは、女工さんのための食べ物だったのでござ~♪~ますか?

調べてみると、どうも、そうらしいのですよう。

。。。んで、上のカッチャクッチャは、デンマンさんが語呂合わせで作ったのですか?

違いますよう。 昔から行田で言い伝えられています。ところが太平洋戦争後、アメリカからナイロンの靴下が入ってきて、足袋産業はすっかり落ちぶれてしまった。 僕が小学生の頃には足袋を履いて学校へ行く生徒なんて全く居ませんでしたよ。

それで、足袋と白いドレスを着た女性の写真は、一体どのような関係があるのでござ~♪~ますか?

行田の本町(ほんちょう)通りと言うのが町のメインストリートなんですよ。その通りには足袋で財を成した人の大邸宅と工場が建っていた。 でも、僕が小学生の頃はほとんどの工場が足袋を作らず、学生服だとか作業衣を作るようになっていた。 でも、つぶれてゆく工場が後を絶たなかった。その一つが上の写真ですよ。

つまり、足袋で財を成した人の大きな邸宅があったのですわね?

そうですよ。でも、僕が小学校へ行く道筋にあったその邸宅は、いつも大きな門が閉まっていた。門が開いているのを見たことが無かった。

それで。。。?

いつも大きな門が閉まっていて中が見えない。 子供心に、この家の門の中はどのようになっているのだろうか?好奇心が湧いてきたのですよう。

それで、デンマンさんは覗いてみたのでござ~♪~ますか?

そうですよ。 がっしりとした大きな門も風雪に晒されてガタが来て隙間ができていました。 それで、その隙間から覗いたのですよ。

そうして見たのが上の写真のイメージだったのですか?

そうですよ。 びっくりしましたよ。 白いドレスを着ている人なんてアメリカ映画でしか見たことが無い。 それに晴れているのに白いパラソルなんかさしている。 “晴れているのに、なぜ傘をさしているのだろう?” それまで、パラソルをさしている女性を見たことが無かったのですよ。 とにかく、幻想的というか、初めて見る夢のような光景に、別世界と言う感じがしたものですよ。 白いドレスと、白いテーブルに椅子、日本人離れしたイデタチの女性。 僕はフランスに行ったような錯覚に囚われたのですよ。 フランスに行けば、おそらくこのような光景を見るに違いない。。。そう思ったものですよ。

それで、なぜ、デンマンさんが小学生の時に見た貴婦人は結婚式でもないのに、結婚式の時に着るような白いドレスを着ていたのですか?

確かに、普段、着るようなものじゃないですよね。





それで、貴婦人は一人っきりで居たのですか?



実は、少なくとも二人居たのですよ。相手は同じ年頃の男の人でしたよ。 二人はテーブルに腰掛けてコーヒーか紅茶を飲んでいたのですよ。

他にも人が居たのですか?

テーブルに座っていたのは二人だけでした。 でも、ちょっと離れたところに人が居たようにも記憶しているのですよ。

一体何をしていたのでござ~♪~ますか?

だから、僕と小百合さんが白いテーブルに座って大仏を見ながら、いろいろと取り留めの無い話をしていたように、そのカップルもお互いに気心が知れているように気兼ねなく楽しそうに話をしているように見えましたよ。

ただ無駄話をしていただけでしょうか?

なぜ、あのような白いドレスを着て周りの世界とはあまりにもちがった“外国”でお茶を飲みながら談話していたのか? 僕にだって、なぜなのか断言できませんよ。 想像を膨らませる以外には答えようが無いですね。

デンマンさんはどう思われるのですか?

僕は“最後の晩餐”ならぬ、“最後の茶会”だったのではないだろうか? 今、考えてみると、そのように思えるのですよ。 つまり、華麗で豊かな時代が終わったのですよ。 行田の足袋産業は斜陽化していた。すでに繁栄の時代の終焉は見えていたのですよ。 その女性は30代の半ばだったかもしれません。 一緒に居た男性は夫だったかも知れません。 二人はハネムーンにパリに行ったのかもしれません。





女性は、パリで着たドレスを出してきて身につけたのかもしれませんよ。工場も邸宅も人手に渡ってしまった。それで最後の茶会を夫と二人で楽しんでいたのかもしれません。



でも、その邸宅は、いわば風雨に晒されて朽ち果てるような佇(たたず)まいだったのでござ~♪~ましょう?

そうですよう。 工場は操業していなくて、廃業に追い込まれていたようです。 大きな門もペンキがはげて、かなり傷(いた)み始めていましたよ。 でもねぇ、二人の思い出の中では、真新しい邸宅のままだったかもしれませんよ。

もしかして、その二人は幽霊なのでは。。。?

まさかぁ~。。。僕は学校が終えてから通りがかりに覗いたのだから午後3時半か4時ごろでしたよ。 晴れ渡っていて、雲もほとんど無くイイ天気でした。 芝生の色が鮮やかに記憶に残っていますよ。 第一、幽霊だったら、足が無いでしょう?僕の見たその二人には足がちゃんとありましたよ。 だいたい幽霊ならば、晴れ渡った昼下がりに出てきませんよう。

それで。。。男の人はどのような服装をしていたのでござ~♪~ますか?

それが。。。やっぱり普段着ではないのですよ。 タキシードのようなパシッと決めた服装をしていましたよ 。とにかく、アメリカ映画の中でしか見かけないようなカップルでしたよ。 その前にも後にも、行田では見たこと無いような、とびっきりハイカラな格好をしていましたよ。

もしかして、デンマンさんが夢を見て。。。その夢を現実と混同していたのではないですか?

もし夢ならば、20年も30年も記憶に残りませんよ。 あの鋳鉄(ちゅうてつ)でできた白いテーブルと白い椅子ね。。。これが、とにかく印象的に僕の脳裏に焼きついたのですよ。

そんなモノがですか?

卑弥子さんは、“そんなモノ”と言うけれど、当時小学生の僕は『名犬ラッシー』にハマっていたのですよ。


『名犬ラッシー』



ラッシーは、元来は、イギリス系アメリカ人の作家であるエリック・ナイト(Eric Kngiht 1897-1943)が創造し、短編として、1938年のサタデー・イブニング・ポスト紙上で掲載された話「名犬ラッシー 家路 Lassie Come-Home」の主人公である。
1940年には単行本の小説として出版された。

ナイトのオリジナルの話では、英国ヨークシャーに住む幼い少年が、類い希な美しさと気高さを持ったラフコリーを所有していたが、少年の一家が経済的な困窮に直面したとき、やむをえず、ラッシーを金持ちの貴族に売却した。
少年と犬は別離を悲しみ、わけても新しい所有者が、自分の領地のあるスコットランドへと、何百マイルもの彼方にラッシーを連れて行ったため、悲しみはいやましに増大した。
しかしラッシーは、コリーの持つ本能と勇気で逃げだし、小説は、ラッシーが故郷へと、彼女の愛する少年のいる土地へと、家路を辿る苦難の旅を描いている。

1954年-1974年には、アメリカでTVドラマ・シリーズとして製作され、放映された。
このドラマは、日本では、「名犬ラッシー」として、1957年11月3日 - 1966年4月23日、TBS系列で放映された。






出典:
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庭にある洒落(しゃれ)た鋳鉄製(ちゅうてつせい)の白いテーブルと白い椅子は『名犬ラッシー』の中でしか見たことが無かったのですよ。 言わばそれは僕にとってアメリカを象徴しているようなものだった。 それが、大きな門の隙間から覗いた向こう側の庭にあった。 そこにアメリカを覗き込んだような驚きでしたよ。 ショックと言った方が的確かもしれませんよ。 それほど衝撃的に小学生だった僕のオツムのスクリーンに焼きついてしまったのですよ。



それほど衝撃的だったのですか?

そうですよ。アメリカは僕にとってテレビの中の世界だった。言わば夢の世界だった。その夢の世界が大きな門の向こう側にあった。僕が知らずに毎日通っていた道の傍らに別世界があったのですよ。

どれぐらい覗いていたのですか?

どんなに長くても5分以上は覗いていませんでしたよ。

カップルが居たのは門からすぐ近くだったのですか?

門から20メートルほど離れていましたね。

デンマンさんが覗いていることは気づかれなかったのですか?

気づいている様子は全く無かったですね。楽しそうに夢中になって会話している様子でしたよ。

今でもその場所はあるのでござ~♪~ますか?

もう、20年近く前にその場所は取り壊されて新しい建物が建っていますよ。

行田のどの辺にあったのでござ~♪~ますか?



本町(ほんちょう)通りにあったのですよ。 この上の地図だと125号が本町通りです。 僕が小学校の頃の面影はほとんど無くなってしまいました。 “徳樹庵(とくじゅあん)”という居酒屋がありますが、ここにあったと思うのですよ。



今は居酒屋になっていますが10年ぐらい前は、この店は洋食屋だった。 まだ僕のオヤジが生きていた頃で、僕が帰省した時には家族でこの店に食べに行ったものですよ。 タバスコが食卓にあって、オヤジが“こういう物は初めて見るなぁ~”と言って興味深そうにカレーに振りかけて食べていたことがあった。 今、思い出しましたよう。





面白いお父さんでしたのね?ところで、小百合さんと一緒にパスタを食べたと言うお店は、上の地図ではどこにあるのでござ~♪~ますの?



大長寺の隣に赤い丸がつけてあるでしょう? ここがパスタの店ですよ。









大仏からすぐ近くでござ~♪~ますの?



すぐですよ。 ほんの目と鼻の先ですよ。 去年(2007年)の11月、この大仏の前に初めて白いテーブルと椅子を見たとき、小学生だった時のあの衝撃が再び僕のオツムに蘇(よみがえ)ったのですよ。 僕の実家はこの大仏を目指してやってくればすぐに分かりますからね、それで小百合さんにメールを書くときに僕は“ロマン・スポット”の事を書いたのですよ。

つまり、ロマン・スポットとは、鋳鉄(ちゅうてつ)でできた白いテーブルと椅子が置いてある場所でござ~♪~ますか?

そうですよう。 僕が、あの幻の上流社会の大邸宅の庭に見た白いテーブルと椅子ですよう。



Re: 10月22日 大仏のロマン・スポット
From: barclay1720@aol.com
To: fuji@adagio.ocn.ne.jp
Date:Sun, 21 Oct 2007 7:16 pm


早いですねぇ~
。。。と言う僕も日本に来てから、たいてい6時半に目が覚めてしまうのですよ。
それで、もう一眠りと思って起き出すのが8時半から9時です。
今日は8時半に起き出して、NHKの朝の“おはよう日本”を見ながらゆっくりと朝食をとって。。。
もちろん、すべて自分で用意して食べますよ。

味噌汁は、お袋が夜寝る前に作るのです。
大体、できたものを温めて食べますね。
あるいは鮭やタラコ、メンタイコをチンして食べます。

そういえば、今思い出しましたが、日本へ来てからまだ納豆を食べていませんでしたよ。
明日の朝、食べようと思います。(^ー^*) 

では、小百合さんからのメールをお待ちします。



今度お目にかかる時には、ぜひ小百合さんを大仏のロマン・スポットにご案内しようと思いますよ。
お昼ごろ、昼ごはんを食べずにやってきてください。
でも、期待しすぎないように。。。
小百合さんにとっては、つまらないかもしれません。。。

by デンマン

\(^Д^)/ギャハハハハ。。。。




『ロマンと小百合さん』より
(2007年11月24日)




このメールの中で書いた“大仏のロマン・スポット”こそ、僕にとって小学生の頃見た白いテーブルと白いドレスの女性を思い起こさせるロマンあふれるスポットなのですよ。



分かるでしょう? この白いドレスの女性がありありと思い出されてきたのですよ。 当然の事ですが、上のメールを書いているとき、僕のオツムの中で白いドレスの女性が小百合さんへと変身していったのですよ。



そうして僕はこのロマン・スポットで小百合さんと会うことになったと言う訳ですよ。うへへへへ。。。





それで。。。それでぇ~、。。。デンマンさんは小百合さんと。。。、あのォ~。。。この2つの椅子に。。。あのォ~。。。仲良く。。。仲良く腰掛けたのでござ~♪~ますかぁ~? そうやって。。。そうやって。。。恋人同士のように、年甲斐もなく若返って楽しい時間をすごしたのでござ~♪~ますかア?



ん?。。。年甲斐もなく若返ったぁ~。。。? それは。。。それは、余計なことでしょう?

余計な事ではござ~♪~ませんわ。 つまり。。。つまり。。。デンマンさんが妄想していたロマンの中に小百合さんを押し込めたのですわねぇ~?

やだなあああぁ~。。。僕は。。。僕は、別にロマンを妄想していたのではありませんよゥ。 実際に30年前に起こった事なのですよ。 僕は、はっきりとこの目で見たのですよ。

でも。。。でも。。。デンマンさんは白いドレスの女性の代わりに小百合さんをそのロマンの中に押し込めて、大仏の前の白い椅子とテーブルに置き換えて、ロマンを実現しようとしたのですわぁ~。

ちょっと。。。ちょっと。。。卑弥子さん!。。。あなたは、なぜかムキになっていますよねぇ。。。どういう訳ですかア?。。。そんなに感情的にならないでくださいよゥ。


  
 
『上流社会(2008年8月28日)』より




判りましたわ。。。それで、デンマンさんはパリにこだわるのですわね。。。つまり、私を「パリ夫人」にみたてて小学生の頃に垣間見た白いドレスの夫人を偲んでいるのですね。



うしししし。。。いけませんか?

別にいけないことはありませんけれど。。。このようなお話をしたところで読む方々は面白くも、なんともないと思いますわ。

あのねぇ~、そのように決め付けることはありません。 誰にでも似たような思い出というものがありますよ。 この話を聞いて小学生の頃の思い出を懐かしむ人だってきっと居ると思うのですよ。

そうでしょうか?

ところで、小百合さんにだって同じような思い出があるのではありませんか?

そうですわね。

ぜひ話してくださいよ。

デンマンさんのお話があまり長くなったので、その話はまたの機会にいたしますわ。

そうですかァ。。。残念だなァ~。。。

期待しないで待っててくださいな。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ~。。。
小百合さんのお話がぜひ聞きたいものでござ~♪~ますわ。
あなただってぇ、小学生の頃に同様な思い出がおありでしょう?
ぜひ、コメントに書いてくださいね。
お待ちしておりますわ。

とにかく、興味深い話題が続きますゥ。
どうか、あなたもまた読みに戻って来てくださいまし。
じゃあ、またねぇ。。。






ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

“旅の恥はかきすて”

日本では、よくこのような諺を耳にしますよね。

あなただって聞いた事があるでしょう?

もちろん外国でも

似たような諺がたくさんありますわ。

ところで、英語では何と言うのでしょうか?

考えてみた事がありますか?

A man away from home

need feel no shame.

 
文字通りに訳せば、

「家を遠く離れた者は恥を知る必要がない」

と言う意味です。
 
You can throw away all

inhibitions while on a trip.


「旅に出たら普段恥ずかしくって

できない事をやっていいのよ」

と言う意味です。

You can cut loose while traveling.

砕けて言えば上のように言うこともできます。

また、次のような言い方もあります。

Leave your sense of shame at home.

「(旅に出る時には)恥ずかしいなんて思う気持ちは

家においてくればいいの」

しかし、あまり人に迷惑をかけない方がよいですよね。

ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。




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