黙庵 四睡図 エピソード
(4sleep2.jpg)
デンマンさん。。。今日は三題噺(さんだいばなし)でござ~♪~ますか?
卑弥子さんは題目3つを折り込んで即興で演じる僕の落語が聴きたいのですか?
面白そうですわ。 黙庵 四睡図 エピソードという3つのお題を並べたのでござ~ますから、当然、面白いお話をしてくださるのでしょう?
卑弥子さんがお望みならば三題噺をしてもいいですよ。 でもねぇ、この3つの言葉は関連しているから、このまま話を続ければ何の苦労もなく三題噺になってしまうのですよ。
じゃあ、このままお話を続けてくださいましな。
あのねぇ~、僕はたまたま上の浮世絵を目にしたのですよ。 これは絵の中にも書いてあるように「風流四睡」というタイトルなのです。 高 崇谷(こう すうとく)という江戸時代の。。。18世紀後半に活躍した絵師が描いたものです。 花魁(おいらん)と二人の禿(かむろ)と猫が眠っているのですよ。
つまり、高級娼婦と見習いの女の子二人、それに猫を含めた4つの人物と動物が眠っているので「四睡」でござ~ますか?
その通りです。
。。。で、「黙庵 四睡図 エピソード」というタイトルの中の「四睡図」は上の絵のことなのでござ~ますか?
いや。。。 僕の記事のタイトルの中の「四睡図」は冒頭に掲げた「風流四睡」のことじゃなくて、大元(おおもと)の「四睡」のことです。
大元の「四睡」ってぇ、どういうことでござ~ますか?
実は、「風流四睡」を描いた高崇谷の師匠が英 一蝶(はなぶさ いっちょう)という弟子の門下なのですよ。
つまり、英一蝶の孫弟子ですわね?
その通りです。 この一蝶先生の絵の中に同じ構成の絵があるのですよ。
つまり、高崇谷は大先生の絵を真似して描いたということでざ~ますか?
その通りです。 しかも、この大先生の英一蝶は狩野探幽の「四睡之図」を真似て描いた。 さらに、この狩野探幽がお手本にしたのが黙庵の「四睡図」なのですよ。
それで、デンマンさんは「黙庵 四睡図 エピソード」というタイトルにしたのですか?
いや。。。 実は、そうではないのですよ。 僕は黙庵の描いた「四睡図」を見たことがある。
(4sleep3.jpg)
これが黙庵さんの描いた「四睡図」でござ~ますか?
そうです。 驚くべきことに「四睡図」を描いた人はたくさんいる。 次の2つの「四睡図」は長沢芦雪(ながさわ ろせつ)という絵師が描いた。
(4sleep4.jpg)
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次の「四睡図」は仲春洋という絵師が描いたものです。
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あの有名な喜多川 歌麿(きたがわ うたまろ)も「四睡図」を描いている。
。。。んで、どうして「黙庵 四睡図 エピソード」というタイトルにしたのですか?
これほど真似をされる大元の「四睡図」を描いた黙庵さんだから、きっと有名なエピソードがあるに違いない! 僕はそう思ってGOOGLEで検索したのですよ。 その検索結果を見てください。
(gog30222d.gif)
あらっ。。。 「黙庵 四睡図 エピソード」入れて検索した時の“複合キーワード”をそのままタイトルにしたのですわね?
そうなのです。 (微笑)
。。。んで、枠で囲んであるのがデンマンさんが書いた記事なのですか?
下の2つは僕のブログなんだけれど、上の2つはGOOの「評価・レビュー・口コミ・感想」のページなのですよ。 つまり、キーワードに関連したブログを紹介しているページなのです。 赤枠で囲んだタイトルをクリックすると次のページが表示されます。
(goo30218b.gif)
あらっ。。。「谿明」という絵師のことがデンマンさんが書いた『癒しと水墨画(PART 2)』に出てくるのでござ~ますか?
実は、僕は「谿明」という絵師の名前を聞いたことがない。 それでウィキペディアで調べてみたのですよ。
(wik30223.gif)
見れば分かるようにサンマーメン(生碼麺、生馬麺、三碼麺)と呼ばれる神奈川県の“ご当地ラーメン”を出す「谿明飯店」というレストランがヒットするだけなのですよ。
(sanma02.jpg)
まず間違いなく「谿明」という名前は有名な水墨画家の名前じゃないですよ。
それなのにどうしてデンマンさんの記事が紹介されているのですか?
記事の中に“谿”と“明”が出てくるからでしょうね。
。。。んで、青枠で囲んだページはどうなのでござ~ますか?
タイトルをクリックすると次のページが表れます。
(goo30218.gif)
あらっ。。。 「牧谿(もっけい)」は有名な中国の宋の時代の水墨画家ですわね。 あたくしも存じ上げておりますわ。。。で「牧谿」は『癒しと水墨画(PART 2)』に出てくるのでござ~ますか?
もちろん出てきますよ。 ちょっとその部分を読んでみてください。
(sesshu2.jpg)
あらっ、デンマンさん。。。上のイラストの中のあたくしは水墨画の中で癒されているのでござ~♪~ますか?
その通りですよ。 卑弥子さんが平安朝の絵巻の中から出てきて雪舟の時代の山水画の中で癒されているのですよ。 うへへへへ。。。
でも、どうして急に山水画などを持ち出してきたのですか?
卑弥子さんは急に水墨画の世界にタイムスリップしたように思うかもしれないけれど、実は、僕は7月の下旬に日本美術史の本をバンクーバー図書館から借りてきて水墨画の世界にかなり浸っていたのですよ。
(lib20802c.gif)
赤枠と青枠で囲んである2冊ですか?
そうです。
デンマンさんは源氏物語の世界ではなくて水墨画の世界にハマッているのでござ~ますか?
いや。。。ハマッているというほど水墨画が好きではありません。 でもねぇ、赤枠で囲んである本をパラパラめくっていたら水墨画に出くわしたのですよ。
あたくしの背景にある水墨画は雪舟さんが書いたのでござ~ますか?
その通りです。 でも、雪舟さんの自筆のものではなくて他の人が模写したものですよ。 だけど、まるで本物のように良く描けています。
デンマンさんは、この背景になっている水墨画が気に入ったのですか?
いや。。。気に入ったというより僕の心がスウ~ッと吸い込まれてゆくようなすがすがしさを感じたのですよ。
あたくしには、なんだか落書きのように思えるのですけれど。。。おほほほほほ。。。んで、どういう所がそれほど良いのでござ~ますか?
もともと僕は幻想的なものに惹かれる感性を持っているのかもしれません。 (微笑)
マジで。。。? 上の背景の水墨画は幻想的なのですか?
あのねぇ~、雪舟さんが生きていた頃、水墨画を描くということは日本の風景ではなく中国の風景を描くことだったらしい。 上の方に霞(かす)んで見えるのは霧がかかってうっすらと見える中国の山ですよ。 なんとなく幻想的な気分が表現されていると思いませんか?
そうでしょうか?
あのねぇ~、僕が初めて水墨画を見た小学生の頃、どうしてこんな出鱈目(でたらめ)な山を書くものかと不思議に思ったというよりも呆れたものですよ。 こんな山があるはずないじゃないか! 山と言えば富士山のような山が典型的な日本の山ですからね。。。 僕が生まれ育った行田市からは、よく晴れた日には富士山が見えるのですよ。
あらっ。。。今度は富士山を背景にあたくしが癒されているのですわね。 うふふふふふ。。。でも、デンマンさんのふるさとからマジで富士山がこんなにきれいに見えるのですか?
マジですよ。 僕の実家から自転車で20分ぐらい行ったところに久下橋がある。 その橋の袂から見たのが上の写真の富士山ですよ。
あたくしも一度、デンマンさんのふるさとから富士山を見てみたいものですわ。
僕の実家の東北の方には赤木山、それに北の方には榛名山。。。どの山も裾を引いて山水画に書かれているような垂直にそそり立っているような山とは大違いですよ。 初めて水墨画に描かれている山を見たとき、とても山とは思えなかった。 こんな山があるはずがない! 下手糞な絵を描くものだと子供心に馬鹿にしていたものですよ。 でもねぇ、中国へ行って初めて水墨画で描かれているような実物の山を見た時にはビックリしましたよ。
(sesshu0.jpg)
「桂林水墨画」の世界
「百聞は一見にしかず」。。。たぶん、これは雪舟が中国へ行って実物の山を見た時に言った言葉じゃないか! そう思ったほどですよ。
あらっ。。。デンマンさんは実物の変な山を見るために中国に行ったのですか?
もちろん、山だけを見るためではありません。 上海に行ったついでに水墨画の世界に浸りたいと思って田舎に言ったのですよ。
ところで、雪舟さんも中国に行ったことがあるのですか?
あるのですよ。 本には次のような書いてあります。
雪舟は、日本の水墨画の転換期にいる。
雪舟によって「水墨画の日本化」が“始まる”、あるいは“達成された”ということになっているからだ。
雪舟は「日本的水墨画の完成者」ということになっていて、「それまでは“本場の中国の方がエラくて、日本製のものはオリジナリティーのない二流だ”と思われていたのを雪舟が覆(くつがえ)した」ということになっている。
がしかし、これは別に室町時代の評価ではなくて、ず~っとあとの近代になってからの評価である。
(中略)
中国から日本に帰ってきた雪舟は、大内氏の山口県には行かず、大友氏のいる大分県に行く。
なにしろ当時は応仁の乱でゴタゴタしていた。
雪舟は大分県に天開図画楼(てんかいとがろう)というアトリエを開く。
大友氏の援助があったのは当然のことだろう。
天開図画楼で制作に励んだ後、しばらくの間、雪舟は日本各地を転々と旅する。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易いように改行を加えています)
156ページ 『ひらがな日本美術氏 2』
著者: 橋本治
1997年8月25日発行
発行所: 株式会社 新潮社
雪舟によって「水墨画の日本化」が“始まる”、あるいは“達成された”ということになっているからだ。
雪舟は「日本的水墨画の完成者」ということになっていて、「それまでは“本場の中国の方がエラくて、日本製のものはオリジナリティーのない二流だ”と思われていたのを雪舟が覆(くつがえ)した」ということになっている。
がしかし、これは別に室町時代の評価ではなくて、ず~っとあとの近代になってからの評価である。
(中略)
中国から日本に帰ってきた雪舟は、大内氏の山口県には行かず、大友氏のいる大分県に行く。
なにしろ当時は応仁の乱でゴタゴタしていた。
雪舟は大分県に天開図画楼(てんかいとがろう)というアトリエを開く。
大友氏の援助があったのは当然のことだろう。
天開図画楼で制作に励んだ後、しばらくの間、雪舟は日本各地を転々と旅する。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易いように改行を加えています)
156ページ 『ひらがな日本美術氏 2』
著者: 橋本治
1997年8月25日発行
発行所: 株式会社 新潮社
遣唐使は廃止されて定期的に中国へ行くことはなくなっていたけれど、中国文化・芸術は当時ではやはり現在の“アメリカ映画”や“欧米ファッション”のようにもてはやされていた。 だから雪舟も当然、本場の水墨画に触れたいと思って当時の明国に渡ったに違いないのですよ。
。。。で、中国で絵の勉強してきたのですか?
ところが雪舟はそのつもりで中国へ行ったのだけれど、ついに素晴らしい絵の先生に恵まれなかったらしく、自分が日本で師事していた先生である周文(しゅうぶん)。 それに周文の先生である如拙(じょせつ)の絵の方が素晴らしくて、ますます日本人の二人を尊敬したと言うのですよ。
つまり、“灯台もと暗し”だったのですわね。
そうなのです。
でも、雪舟は日本各地を転々として、どうして京都に住まなかったのですか?
あのねぇ~、雪舟が生きていた頃は京都は応仁の乱で大変だったのですよ。 なにしろ、応仁の乱で戦国時代が幕を開けたようなものですからね。 雪舟が生まれたのは1420(応永27)年ですよ。 明国に渡ったのが1468(応仁2)年。 つまり、応仁の乱が勃発したので、まるで逃げるようにして中国に渡ったのですよ。 中国の各地を回り、約2年間本格的な水墨画を勉強しようとした。 結局、あまりいい先生に恵まれずに1469(文明元)年に日本へ帰ってきた。
でも、応仁の乱の最中でしょう?
そうですよ。 だから、京都を離れて各地を放浪したのですよ。 周防、今の山口県や。。。、豊後、今の大分県、それに石見にまで行って水墨画を描いた。
でも、戦国時代になるから京都以外でも戦いが始まっているのではありませんか?
でも、京都はすっかり興廃してしまって、むしろ地方に行った方がいいスポンサーが居たのですよ。 冒頭の卑弥子さんの背景になっている「破墨山水図(はぼくさんすいず)」を雪舟が描いたのは1495年、雪舟が76歳の時なのです。 今の山口県で描いたのですよ。
あらっ。。。76歳になっても、まだ絵を描いていたのでござ~ますか?
そうなのです。 1501(文亀元)年にも「天橋立(あまのはしだて)」まで行って水墨画を描いていますよ。 没年は確実な記録はないのだけれど 1506(永正3)年に87歳で亡くなったと言われているのです。 どうやら死ぬまで水墨画を描き続けていたようです。
あらっ。。。87歳まで生きたのですか。。。現在でも長寿者の仲間入りができるではござ~ませんか!
そうなのですよ。
それで雪舟さんが87歳まで生きられた事と水墨画が関係あるとデンマンさん言いたいのですか?
当然でしょう! 雪舟が生きていたのは騒乱の時代ですよ。 現在のように平和な時代ならば80歳を過ぎても生きている人は珍しくないけれど、今から500年ほど昔ですよ。 平均寿命はおそらく40歳から、長くても50歳ですよ。 織田信長が「人間50年。。。」という謡(うたい)を唸(うな)っていた頃ですからね。
つまり、水墨画を描くことによって雪舟さんは癒しを得られてストレスから開放され、癌にかからず戦争にも巻き込まれないで長く生きられたと言うのですか?
そうですよ。 だから雪舟さんが死ぬまで水墨画を描いていた事が何よりの証拠じゃありませんか!
でも、ちょっと信じられませんわ。
信じてくださいよ。 「信じる者は救われる」と言うじゃありませんか! (微笑)
それと、これとは違いますわ。 冗談言ってないで、その長寿の秘訣を話してくださいな。
あのねぇ~、雪舟さんより百年ほど前に黙庵(もくあん)さんという禅僧が居たのですよ。 この人は鎌倉幕府が滅亡する10年ほど前に、元の時代の中国に渡った。
禅の修業のためにでござ~ますか?
そうです。 日本に帰ってくる気持ちはあったようだけれど、結局日本には帰ってこないで、1345年に中国で亡くなったのですよ。
あらっ。。。まあ。。。じゃあ、デンマンさんと同じように異国で骨になったのでござ~♪~ますわね。
卑弥子さん!。。。んもお~~。。。僕はまだバンクーバーで骨になってませんよ!
冗談ですわよ。 そのようにムキにならないでくださいな。 それで、その黙庵さんがどうだとおっしゃるのでござ~ますか?
あのねぇ~、黙庵さんよりも100年後に、明の時代に中国に渡った雪舟さんは「中国にはロクな先生はいない」と言って日本へ帰ってきたのだけれど、当時の中国人で水墨画を描く連中は雪舟さんのことなど全く知らなかったに違いない。
あらっ。。。それでは、黙庵さんは中国人の間で有名だったのですか?
そうなのですよ。 中国では水墨画でチョー有名人である牧谿(もっけい)の「再来」とまで言われたのですよ。
マジで。。。?
だから日本では、ある時期まで黙庵さんを中国人だと思っていた人がほとんどだったと言うのです。
それはすごいことでござ~ますわ! それで、黙庵さんはどのような水墨画を描いたのでござ~ますか?
あのねぇ~、雪舟さんや黙庵さのように禅僧で絵を描く専門の人を「画僧」と呼んでいたのだれど、この人たちは元々禅の修業の一環として水墨画を描いた。 だから、何を描いてもいいと言うようなものではなかった。
。。。んで、「画僧」さんは何を描いていたのでござ~ますか?
本来、「道釈画(どうしゃくが)」を描く人を「画僧」と言ったのですよ。 “道”は道教、 “釈”は“釈迦”で、禅の思想にかかわってくる道教系の仙人と仏教系の人物を描いたのですよ。
それなのに雪舟さんはどうして風景画などを描いたのですか?
「道釈画」だけじゃつまらないので風景画を“禅の心”で描いたのですよ。
。。。んで、具体的に黙庵さんは、どのような「道釈画」を描いたのでござ~ますか?
僕が最も感銘を受けたのは次の「四睡図」ですよ。
(mokuan2.jpg)
こんなものにデンマンさんは感銘を受けたのですか?
あのねぇ~、これも誰かが模写したもので本物ではない。 でもねぇ~、本物を写真で見ると、それでも素晴らしさが心にひしひしと染み透って来るのですよ。
それで、具体的に何に感銘を受けたのでござ~ますか?
描く人の心が円満で癒されてなければ、とてもこの二人の表情を一筆では描けないと思ったのですよ。
二人の表情というのは中央の人物と、向かって左側の目を細めて薄ら笑いを浮かべている人のことですか?
その通りですよ。
薄ら笑いがそれほどにデンマンさんの心に染み込んだのでござ~ますか?
あのねぇ~、中央の人は「豊干禅師(ぶかんぜんじ)」という禅僧なのですよ。 なぜかいつも虎を連れているお坊さんです。 その両側の二人は寒山(かんざん)と拾得(じっとく)ですよ。 禅の修行をして悟りを開く、それで自由人になる。 寒山と拾得は子供のままジジーになったと言う自由人です。 この薄笑いには自由で癒されて満ち足りている様子が見える。
そうかしら。。。?
つまり、禅の修業を通して「道釈画」を描き、「道釈画」を描くことによって禅の修行をしている。 その禅の心がこの二人の表情に良~く出ているなァ~。。。そう思って僕は感動したのですよ。
じゃあ、「破墨山水図」を描いた雪舟さんは禅の修行をおろそかにしていたと、デンマンさんは言うのですか?
いや。。。雪舟さんは「道釈画」を書く境地で「破墨山水図」を描いたと思いますよ。 京都は応仁の乱で荒廃している。 世は戦国時代に向かって荒(すさ)んでゆく。 そのような不安で未来がないような時代にあって雪舟さんがどうして87歳まで水墨画を描いていられたのか?
雪舟さん自身が子供ジジーの心境にでもならない限り、87歳まで生きられなかったと。。。?
その通りですよ。。。水墨画を通して禅の心。。。無と、すべてのもからの自由をゲットしていたのですよ。 そうでなければ、僕の心に訴えるものがなかったはずです。
『癒しと水墨画』より
(2012年8月22日)
水墨画のことで卑弥子さんは僕とこうして対話したのをすっかり忘れていたのでしょう?
デンマンさんだってぇ、忘れていたのでしょう?
いや。。。僕は覚えてましたよ。 なぜなら、上のエピソードを見つけるために「黙庵 四睡図 エピソード」を入れて検索したのだから。。。
【ジューンの独り言】
ですってぇ~。。。
デンマンさんの説明もかなり無理をしているように見えますわ。
でも、「四睡図」を描いた黙庵さんが、初めは中国人ではないかと思われていたというのは面白いですよね。
おそらく中国人になりきったつもりで水墨画を一生懸命に描いていたのだと思います。
その執念のようなものが絵を見る日本人に“中国人”という印象を与えたのだと思います。
ところで、卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。
(hime003.jpg)
■『感じてストで和露他』
■『笑える漢字クイズ』
■『哀れなネアンデルタール』
■『佐伯今毛人は臆病者か?』
■『笑わせる漢字でござ~ます』
■『卑弥子@婚活』
■『プロメテウスの第2の火』
■『うむうむ、ふむふむ人間』
■『コギャルと甘え』
■『癒しと水墨画』
■『東電八分』
■『怒りっぽいあなたに』
■『床上手だよ!』
■『床上手@docomo』
■『漢字で体操ざ~ます』
■『曲屁(きょくべ)』
■『天神様と東日本大震災』
■『日本は良い国か?』
■『日本を良い国に…』
■『エロい熟女』
■『アッと驚くマキアベリ!』
■『良寛さんの顔』
■『あなたの中の阿修羅』
■『蝦夷って悪い意味?』
■『伎楽は呉の音楽?』
■『呉越の謎』
■『オバマ大統領と継体天皇』
■『色男不比等』
■『目の前で米軍のヘリが落ちた』
■『見ちゃだめよ!』
■『白い鯛焼き』
■『真夜中のマリア』
■『女に溺れる清盛』
■『北本から見る富士』
■『エロい源氏物語』
■『ロマンと弥勒と阿修羅』
■『冷血頼朝』
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
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じゃあね。バーィ。
ですってぇ~。。。
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その執念のようなものが絵を見る日本人に“中国人”という印象を与えたのだと思います。
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ィ~ハァ~♪~!
メチャ面白い、
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