2010年2月27日土曜日

愛の呉音

 

愛の呉音
   


愛の呉音







【小百合の独り言】



実は、私も祖先が百済からの難民だったなんて、デンマンさんに教えていただくまで全く知らなかったのですわ。

百済から当時の平城京(現在の奈良市)に行ったようです。

でも、土地があまりなさそうなので開拓団に加わって、デンマンさんの祖先と一緒に武蔵国まで行ったのですってぇ。



私の実家は館林にあるのです。

行田市のデンマンさんのご実家から車で20分から30分です。

ホントに、目と鼻の先です。

そのような近くに住んでいたのにデンマンさんと私は日本で出会ったことはなかったのです。

不思議な事に、私がデンマンさんに初めてお会いしたのはカナダのバーナビー市でした。

私が13年間借りていた“山の家”だったのです。



バーナビー市というのはバンクーバー市の東隣にある町です。

上の地図の赤い正方形で示した部分を拡大すると次のようになります。



この地図の Deer Lake (鹿の湖)の畔(ほとり)に私が借りていた“山の家”があったのです。







この家でデンマンさんと15年ほど前に初めてお会いしました。



この上の写真は、デンマンさんがコラージュしてでっち上げたのですけれど、ちょうど、このように寅さんのような格好をしていたのですわ。

うふふふふふ。。。

それだけに、私は強烈な第一印象を持ちました。

でも、どうして私の祖先とデンマンさんの祖先が一緒に百済からやって来たの?

私にはよく理解できなかったのです。

デンマンさんは、おっしゃいました。

DNA に“海外飛躍遺伝子”が焼きついているのですってぇ。

デンマンさんと同じようにして、その DNAの飛躍遺伝子が1400年の眠りから覚めて、私は館林から佐野を経由してカナダのバーナビーに渡ったのです。

そして、デンマンさんと“山の家”で出会ったのでした。

これだけでは、単なる偶然ですよね。

でも、ジューンさんは次のように言ってましたわ。





こんにちは。ジューンです。

袖触れ合うも他生の縁

(そでふれあうもたしょうのえん)

聞いたことがあるでしょう?

なかなか味わいのある諺ですよね。

袖が触れ合うようなちょっとしたことも、

前世からの深い因縁によって

起こるものである、と言う事です。

わたしは、初め、“袖触れ合うも多少の縁”

だと思ったのですわ。うふふふふ。。。

つまり、袖が触れ合ったのは、

全く偶然ではなくて、少しは

そうなる運命にあったのよう。。。

私は、そのように思い込んでいたのです。

でも、「多少」じゃなく「他生」だと。。。

「他生」というのは「前世」の事だと、

デンマンさんに教わったのですわ。

調べてみたら、「他生」とは

「前世」と「来世」の事を言うのですって。

上の諺では、文脈から

「前世」となる訳ですよね。

この世の事は「今生(こんじょう)」と言うのです。

そう言えば「今生の別れ」と言う語句を

何度か耳にしたことがありました。

仏教の輪廻(りんね)と

関係のある諺なのでしょうね。

わたしは英語では

この諺は無いと思っていたのですけれど、

調べてみたら、次のようなものがありましたわ。

A chance acquaintance is

a divine ordinance.

Even a chance meeting is

due to the karma in previous life.

つまり、「偶然の出会いは神の定め」

と言う事なのです。

多分、日本の諺を英訳したのでしょうね。

カナダでは耳にしたことがありませんわ。






『出会い系の悪魔 (2008年9月10日)』より



デンマンさんと私の出会いは、偶然の出会いのように見えて偶然ではないのですってぇ。

つまり、私とデンマンさんに共通するモノが実にたくさんあるのですわ。

“海外飛躍遺伝子”もその一つです。

それに、車で30分も走れば会える距離に住んでいたのに、私とデンマンさんが初めて出会ったのは、何千キロも離れたバーナビーだったのです。

いろいろな話をデンマンさんから聞かされるにつけ、

デンマンさんの祖先と私の祖先が1400年程前に百済から日本に一緒に渡ってきた事が分かるような気がしてきたのです。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、まだ興味深い話題が続くと思いますわ。

あなたもどうか、またあさって読みに戻ってきてくださいね。






『愛の呉服 (2010年2月25日)』より





デンマンさんの祖先が戦争に敗れて百済から日本へやって来たように、呉の国の人たちも戦争に敗れてたくさんの人が“ボートピープル”になって日本にやってきたのでござ~♪~ますか?



当然ですよう。ベトナムからだって日本に難民がやって来たぐらいなんだから、それよりももっと近い呉の国から難民が来なかったら、その事の方が不思議ですよう。





。。。んで、どうして呉服が日本人に使われるようになったのでござ~♪~ますか?

“同病相哀れむ”

実は、難民であるという境遇が似ていたことから、呉からやって来た難民の子孫と僕の祖先の男が結婚したのですよう。その呉人の血を持つ女性は、とっても手先が器用で美しかった。



あらっ。。。なんだか、あたくしに似ていますわねぇ~。。。うふふふふふ。。。んで、その女性と、デンマンさんのように美人に誘惑されやすい祖先の男性が家庭を持ったのでござ~♪~ますか?

うしししし。。。卑弥子さんには良く分かりますねぇ~。。。実は、そうなのですよう。。。それで、僕の祖先の家庭に呉の織物や着物の縫製方法が伝わったのですよう。日本人がこれまで見たこともないような素晴らしい着物を仕立てたので、評判になった。

それが、日本に呉服が広まるきっかけになったのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。呉服が日本に広まる元を築いたのですよう。言ってみれば初めての呉服屋を開いたのです。

マジで。。。?

僕は冗談を言っているのではありません。

でも、どうして、デンマンさんはご存知なのですか?

だから、僕の祖先が何世代にもわたって語り継いできたのですよう。

まさかァ~。。。?

卑弥子さんは信じることができないのですか? 

だってぇ~。。。

あのねぇ~。。。「呉服」が現在でも使われているように、漢字の読み方でも、いまだに「呉音」が使われているのです。。。つまりねぇ~、いかに多くの難民が呉からやって来たかという証拠ですよう。

でも、デンマンさんの祖先だけが何世代にもわたって呉服が広まったという話を語り継いできたというのは可笑しいではござ~♪~ませんか?

いや。。。ちっとも可笑しくありません。

どうして。。。?

僕が受け継いでいる DNA の中にその秘密が隠されているのですよう。

あのねぇ~、デンマンさん!。。。いい加減な事をおっしゃらないでくださいましなァ~。。。小百合さんが上の独り言の中でも DNA に“海外飛躍遺伝子”が焼きついているような事をおっしゃっていますが、そのような事は誰も信じませんわ。

だったらねぇ、ここで取って置きのエピソードを卑弥子さんに教えますよう。

そのようにもったいぶらないで、細木数子のよにズバリ!とおっしゃってくださいな。

実は、すでに記事に書いた事なのですよう。引用するから卑弥子さんもじっくりと読んでくださいね。



クラシックを指が記憶
 


 



クラシックというのは当然の事ですが大衆音楽ではないですよね。

では大衆音楽というのはどのようなものなのか?

大衆にアピールする音楽という事になりますよね。

歌謡曲や演歌です。

でも、僕はこの両方とも感覚的に受け付けないんですよね。

とにかく、紅白歌合戦を30年近く見ていませんから。。。

まともに歌える曲がありません。

カラオケは2度行っただけです。

日本で開かれた高校の同窓会の2次会にカラオケバーへ行きました。

僕は結局1曲も歌いませんでした。

もう一度は、バンクーバーのロブソンストリートにあった日本人が経営しているカラオケバーに行きました。

中国からバンクーバーに留学するためにやって来た3人の女の子がカラオケバーに行きたいと言うんで、付き合いましたがその時も僕は1曲も歌いませんでした。

カラオケと言うのは僕はどうも好きになれないですね。



8年ほど前に上海に行った時にカラオケバーが多いのにびっくりした事があります。

中国人の女の子が、なぜカラオケバーへ行きたいか?という理由が納得できたものです。

とにかく“カラオケ”は全世界へ広まったようですよね。

“カラオケ (karaoke)”はそのまま英語になってしまいました。

バンクーバーにもカラオケを置いてあるバーやスナックがけっこうあります。

実は、僕は20年以上海外で暮らしているのです。

だから、海外志向の僕は、もともと歌謡曲だとか演歌は好きではありませんでした。

いまでも、歌謡曲とか演歌は全く聴きたいとは思いません。

では、どういうものが聴きたくなるかというと日本の民謡や童謡です。

民謡ならば。。。、

津軽じょんがら節、ソーラン節、秩父音頭、五木の子守歌、ドンパン節、デカンショ節、炭坑節、黒田節、。。。

といったものがいいですよね。

この中でも津軽じょんがら節が僕の心の琴線に触れてきます。



それから童謡ですよね。

“夕焼小焼” だとか “月の沙漠” などがいいですね。

僕はある日、近くのショッピングモールへ行ったのですが、

バックグラウンドミュージックに“夕焼小焼”が流れていたんですよね。

“夕焼~♪~け小焼け~♪~の赤とんぼォ~♪~”

もちろん日本語の歌は収められていなくてメロディーだけだったのですが。。。



初めはちょっと不思議な感覚に襲(おそ)われましたが、間違いなく“夕焼小焼”だと分かると、涙がこみ上げてくるような感動がジンワリと滲(にじ)み出してきましたよ。

“ああぁ~~、日本の童謡だぁ~。。。なつかしいなああああ。。。”と、しみじみと思いながら、立ち止まって耳を傾けました。

三つ子の魂(たましい)百までも。。。と言いますよね。

子供の頃の純真な心に響いてきた歌と言うのは、絶対に消えないもののようです。

僕の体に染(し)み込んでいるような歌なんでしょうね。

では、クラシックとは一体僕にとって何なのか?

はっきり言って、どうでもいい音楽です。

僕は音楽が嫌いではないのですが、とりわけ好きでもない。

一応LPを何枚か持っていますが、すべてはアメリカのポップスと洋画の主題曲です。

日本のものは一枚もありません。

もちろん、クラシックは一枚も持っていません。

では、僕のこれまでの人生でクラシックは全く縁がなかったのか?

実は、小学生の頃に僕は知らずにクラシックとの触れ合いがあったのです。

器楽クラブに入っていて4年生の時に“ハンガリア舞曲第5番”を

5年生の時に“美しく青きドナウ”を演奏したことがあります。

僕が受け持って弾いていた楽器はコントラバスです。

あのチェロをもう2回りほど大きくした楽器です。

まだ背が低かったので椅子の上に乗って弾いたものでした。

今では楽譜が読めますが、その当時は楽譜を読んで音を出していたわけではないんですよ。

先生が一通り指の位置を教えてくれたのです。

そうやって、記憶しながら弾いたのですから、今から考えると自分ながら“神業(かみわざ)”ではなかったのか?!と思えるほどです。

関東甲信越地区のコンクールで3位になった事があって、

そのとき審査委員長から“ベースの響きが良かった”と褒(ほ)められたことを覚えていますが、それ程うれしくはなかった。

当時はもう、器楽クラブで演奏する熱が冷めていて、どうでもいい気持ちで演奏していたためです。



ところが、中学生になってから、再びクラシックとの出会いがありました。

クラシックとの出会いと言うより“乙女”との出会いと言った方が良いかもしれません。




『ん?クラシック興味ある?』より

(2006年6月13日)





あらっ。。。また良い所でお止めになってしまったのでござ~♪~ますわね?この後でデンマンさんの衝撃の告白が続くのですか?



あのねぇ~。。。今日は僕の衝撃の告白が話題ではないのですよう。

もう、これまでのお話など、どうでもよいですわァ~。。。あのォ~。。。、上のお話の続きをお聞かせくださいな。

卑弥子さん!。。。愚かな事を言わないでくださいよう。。。卑弥子さんが僕の話を信じようとしないから、こうして今日の記事を書き始めたのではないですか!急に話題を変えることはできませんよう!んもお~~。

分かりましたわ。このお話が済んだら続きを読ませてもらいますわ。。。んで、クラシックがどうだと言うのでござ~♪~ますか?

卑弥子さんは、どこを読んでいたのですか?。。。卑弥子さんにも分かるように、ちゃんと赤字で書きましたよう。

そうやって、記憶しながら弾いたのですから、

今から考えると自分ながら

“神業(かみわざ)”ではなかったのか?!

と思えるほどです。

つまり、楽譜なしで記憶だけを頼りに全曲を弾いたのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。

適当に。。。なんとなく。。。誤魔化すようにして弾いていたのではないのですか?

あのねぇ~、そのとき審査委員長から“ベースの響きが良かった”と褒(ほ)められたのですよう。誤魔化すようにして、適当に弾いていたら、ほめられなかったでしょう!

つまり、デンマンさんが小学生の時には記憶力が抜群だったとおっしゃりたいのでござ~♪~ますか?

あのねぇ~、おばあさんの話によると、僕の祖先には「語り部」が居たと言うのですよう。


語り部

語り部(かたりべ)とは、昔から語り伝えられる昔話、民話、神話、歴史的史実などを現世に語り継いでいく人である。

歴史的には部民制の一部に語部があり、話芸タレントについて「現代の語り部」というような紹介の仕方もよく見受けられる。

若干ニュアンスは異なるが、語り手と呼ぶ場合もある。

部民制(べみんせい)とはヤマト王権の制度であり、王権への従属・奉仕の体制、朝廷の仕事分掌の体制をいう。

トモ制(ともせい)とも称する。

その種類は極めて多く、大きく2つのグループに分けることが出来る。

1つは何らかの仕事にかかわる一団で、もう1つは王宮や豪族に所属する一団である。

前者には語部・馬飼部、後者には蘇我氏・大伴氏などがあげられる。

語部(かたりべ)は、伴造(とものみやつこ)である語造(かたりべのみやつこ)氏に率いられ、朝廷の儀式の場で詞章(かたりごと)を奏することをその職掌とした。

蘇我氏や大伴氏が蘇我部や大伴部を所有しえたのも、彼らが王権を支える臣・連として、朝廷組織のなかにその位置を占めていたからである。

律令制の実施に伴って廃止されていく。

律令制の実施後の部称は、たんに父系の血縁を表示するだけの称号であるにすぎず、所属する集団との関係を示すものではない。

670年(天智9)の庚午年籍(こうごのねんじゃく)以後、すべての人民が戸籍に登録されるようになると、部称は個人の姓として残され、以後は代々父系によって継承されることになったのである。

出典:

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

マジで、デンマンさんの祖先には「語り部」が居たのでござ~♪~ますか?

だから卑弥子さんにも、その事が信じられるように僕は上のエピソードを持ち出してきたのですよう。

つまり、記憶力抜群の家系だと、デンマンさんはおっしゃりたいのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。僕の DNA に“語り部遺伝子”が焼き付いているのですよう。

つまり、“海外飛躍遺伝子”の他に、デンマンさんの DNA には“語り部遺伝子”も焼き付いているのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。うししししし。。。

でも、それってぇ~、なんとなく作り話っぽいのでござ~♪~ますわ。

要するに、卑弥子さんは僕の話を信じたくないのですね?

だってぇ~。。。

だっても、とっても、あさっても、ないのですよう。僕の DNA には間違いなく“海外飛躍遺伝子”と“語り部遺伝子”が焼き付いているのですよう。だから、僕は、これまで、2005年からの記事は、すべてバンクーバーで書いている。“海外飛躍遺伝子”の仕業(しわざ)ですよう。しかも、上で説明したとおり、神業的にクラシックをコントラバスで弾いたのですよう。

でも、その証拠でもあるのでござ~♪~ますか?

ありますよう。器楽部を指導していた五月女(そうとめ)先生がレコード会社に頼んで SP にレコーディングしたのですよう。その時の演奏が今でも残っていますよう。

聴きたいのですけれど、 SPプレーヤーがござ~♪~ませんわ。それってぇ、大正時代のお話でござ~♪~ますか?

何を言っているのですか!僕は戦後生まれで戦後育ちですからね。

分かりましたわ。。。でも、どういう訳で『愛の呉音』などというタイトルにしたのでござ~♪~ますか?

だから、呉人の血を引く人には記憶力の良い人が多かった。

デンマンさんも、その一人だとおっしゃりたいのでござ~♪~ますか?

そうですよう。すでに話したように、僕の先祖は呉人の美しい娘さんと結婚したのですよう。

それで、現在の日本語には多くの“呉音”が残っているのでござ~♪~ますか?

そうですよう。たくさんの呉人が難民として日本にやってきたのです。しかも、呉人には記憶力の優(すぐ)れた人がたくさんいた。

そのために「呉音」が日本語の中にたくさん残ったとデンマンさんは強調したいのでござ~♪~ますか?

その通りですよう。

でも、あたくしが調べたら違う事が書いてありましたわ。

ん。。。?卑弥子さんが調べたら違う事があいてあったァ~?

そうですわ。『ウィキペディア』には、次のように書いてござ~♪~ましたわ。


呉音



呉音(ごおん)とは、日本漢字音(音読み)の一つ。

奈良時代に遣隋使や留学僧が長安から漢音を学び持ち帰る以前にすでに日本に定着していた漢字音をいう。

漢音同様、中国語の中古音の特徴を伝えている。

一般に、呉音は仏教用語をはじめ歴史の古い言葉に多く使われ、漢音にくらべるとやや古めかしい感じのする傾向がある、とされる。

が、そうとばかりは言えない面もある。

慣用的に呉音ばかり使う字("音"<オン>,"領"<リャウ>等)、漢音ばかり使う字("健"<ケン>,"軽"<ケイ>等)も少なくなく、両者は日常的に混用されているものである。

呉音は雑多なものを含んでいると考えられ、漢音ほどの整った体系を備えていない。

歴史

5, 6世紀に導入され、一般的に中国の南北朝時代、南朝の発音が直接、あるいは朝鮮半島(百済)経由で伝わったと言われるが、これは「呉」音という名称や倭の五王が南朝の宋に朝貢したことや朝鮮半島から儒教や仏教など多くの文物を輸入したという歴史的経緯が根拠となるのであろう。

しかし、呉音が本当に南方系統の発音かどうかについて、それを実証できるような史料はない。


対馬音や百済音といった別名が示すように古代の日本人は呉音は朝鮮半島からきたと考えていた。

呉音は仏教用語や律令用語でよく使われ、漢音導入後も駆逐されず、現在にいたるまで漢音と併用して使われている。

なお『古事記』の万葉仮名には呉音が使われている。

呼称について

呉音しか読音がない時代には名称などなく、後に漢音が導入されて以降につけられた名称である。

かなり定着していたことから古くは和音(やまとごえ・わおん)と呼ばれ、平安時代中期以降、呉音と呼ばれるようになったが、これらの語は漢音の普及を推進する側からの蔑称であったらしい。

中国の唐代、首都長安ではその地域の音を秦音と呼び、それ以外の地域の音、特に長江以南の音を「呉音」とか「呉楚之音」と呼んでいた。

帰国した留学生たちが、これにもとづいて長安の音を正統とし、日本に以前から定着していた音を呉音と呼んだものと考えられる。

また対馬音(つしまごえ・つしまおん)・百済音(くだらごえ・くだらおん)という名称もあるが、欽明天皇の時、百済の尼僧、法明が対馬に来て呉音で維摩経を読んで仏教を伝えたという伝承によるものである。

音のあいまいさについて

常用字でない漢字音について、漢音はその認定が中国の韻書などの反切資料を中心に行われるのに対して、呉音は日本に古くから伝わる仏典資料や律令などの歴史的史料が中心になるため、その認定が難しい部分があり、各漢和字典ごとに異なっている場合が多い。

出典:

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



あのねぇ~、卑弥子さん。。。言論の自由・表現の自由の現代社会では、誰がどのような事を言おうとも、書こうとも、表現しようとも、ネットでは自由です。

そうですわ。。。だから。。。?

だから、上の『ウィキペディア』の説明も、日本語が分かる世界のネット市民の一人が書いたものですよう。

もちろんですわ。だから。。。?

だから、僕の説明も上の説明も卑弥子さんが良識に基づいて正しいものか?間違っているのか?を判断するのです。

つまり、あたくしが主役なのでござ~♪~ますか?

そうですよう。この記事を読んでいる一人一人が主役なのですよう。

つまり、ネット市民の一人一人が良識でもって判断しなければならないとデンマンさんは主張なさるのでござ~♪~ますか?

そのとおりです。真理は常に書き換えられてゆくものです。天動説が地動説で書き換えられたように。。。

要するに、デンマンさんは『ウィキペディア』の説明は間違っている。。。少なくとも片手落ちだとおっしゃりたいのでござ~♪~ますか?

その通りです。

その根拠は。。。?

あのねぇ~。。。音だけ持ち出してきても片手落ちなのですよう。僕は「呉服」を持ち出してきた。なぜだと思いますか?

「呉服」は、もともとは呉の国の服だったからだと、デンマンさんはおっしゃいましたわ。

そうですよう。。。だったら「呉音」は。。。?

「呉の国で発音されていた音」でござ~♪~ますか?

その通りですよう。『ウィキペディア』のように音だけ持ち出してきて説明しようとしても、重箱の隅を突っつくだけで終わってしまう。「呉服」も「呉音」も切っても切れない関係にあることを知れば、答えは自(おの)ずから見えてくるものですよう。うししししし。。。。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ~。。。

確かに、「呉服」も「呉音」も切っても切れない関係にあると思いますわ。

でも、だからと言って、「呉音」を「呉の国で発音されていた音」だと断定する事には問題があると思うのでござ~♪~ます。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、まだ興味深い話題が続くと思いますわ。

あなたもどうか、またあさって読みに戻ってきてくださいね。

では、また。。。



 

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こんにちは。ジューンです。

「呉音」と聞くと、わたしは

「ご恩」を思い浮かべてしまうのですわ。

卑弥子さんがワープロの変換ミスで

たくさんの記事を書いていますよね。

次のお話は面白くて、

ちょっぴりエロくてワロタ!

『10秒台では素人』

最近、ネットをサーフィンしていたら

変換ミスがより少ない 

ATOK 日本語入力システムを

紹介していました。

岐阜とセット

ギフトセット

ちょっと笑える変換ミスですよね。

わたしが使っている notepad のワープロでは

“ごおん”を入れて変換しようとすると

次のような表が現れます。


ご恩

呉音

五音

御恩

5音(全数字)

5音(半数字)

ごおん

ゴオン



ATOK では文脈を考慮した

変換をするのでしょうか?

あとで調べてみようと思います。

ところで、英語の面白い話をまとめました。

興味があったら、

次のリンクをクリックして

読んでください。

■ 『あなたのための 楽しい英語』



■ 『動物感動物語』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。



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