あなたは狙われている!
あなたは
狙われている!
いったい 誰なん だ?
。。。んで、どうして2月10日の転送量が最高に増えているのでござ~♪~ますか?
あのねぇ~、2月6日に転送量が最低になったのだけれど、この日を境に、僕は新しい画像はすべて fileden.com の画像置き場にアップロードしているのですよう。
つまり、2月7日以降の記事には fileave.com に保存してある画像を使っていないのでござ~♪~ますわね?
その通りです。
それなのに、どうして2月10日の転送量が最高に達しているのでござ~♪~ますか?
だから、2月10日に GOO の僕のブログの古い記事を何度もクリックした愚か者が居たのですよう。
なぜ。。。?
データ転送量が限度を越えて、僕のブログの画像が真っ白になるように。。。
つまり、悪意のイタズラでござ~♪~ますか?
そうです。転送量が 1GB を越えるように故意に fileave.com に置いてある画像が含まれている古いページを何度も表示させたのです。
マジで。。。?
僕は冗談を言っているわけではありません。
でも、どうして転送量が限度に近づいていることを知っていたのでござ~♪~ますか?
その愚か者は、次の記事を読んでいたのですよう。
■『氷河からの女』 (2010年2月6日)
【小百合の独り言】
だから、私は心配していたのですわ。
このような事がきっと起こるだろうと私は思っていたのです。
ええっ。。。誰がそのようなイタズラをするのかってぇ。。。?
デンマンさんは、かつて次のような記事を書いていたのですわ。
■『アクセスアップと激励』 (2009年1月14日)
この上の記事の中でデンマンさんはスンミンちゃんというネットで飼えるペットを紹介しているのです。
アクセス数が、なんと 40、786、234 もあります。
デンマンさんも素直に喜んであげれば良いのに、
一言多いのですよね。
言わなくても良い事まで書いてしまうのです。
つまり、次のようなことまで書いてしまいます。
40、786、234 ÷ 1、393 = 29、279 アクセス/日
1日あたりのアクセス数が3万近くあると言うのです。
それだけで止めておけば良いのに
デンマンさんは余計なことを書いてしまうのです。
つまり、巡回ツールを使ってアクセス数を故意に上げているのだと書いてしまう。
スンミンちゃんの飼い主が、この記事を読んだら、当然良い気持ちはしないですよね。
巡回ツールを使って飼い主がアクセス数をあげているような事を書かずに、アクセス数が多いことを素直に喜んであげればいいのです。
もちろん、私はスンミンちゃんの飼い主が仕返しに、
伝送量が限度を越えるように、2月10日に古い記事を何度も何度も巡回ツールでアクセスしたと言っているわけではありません。
私は、その証拠を突き止めるような技術的な知識はありません。
ただ、デンマンさんの批判グセを心配しているだけです。
ブログであまり 批判しなように。
デンマンさんは自分が批判されると、すぐに
ネットで 言い返す癖
やめた方がイイ。
他人は関係ない
人には 冷たく。 強く。 熱くならず。
血が引く位に・・
いやでしょうー
さあ どんな 返信?
イタズラで済んでいるうちは良いのですが、
デンマンさんの命までが狙われたら大変です。
だから批判も、ほどほどにして欲しいと私は思っているのです。
もちろん、デンマンさんの記事を読むと勉強になるような事もたくさん書いてあります。
これからは批判する記事は少なめに、
人のためになるような記事をたくさん書いて欲しいと思います。
では。。。
デンマンさん。。。こうして小百合さんも心配していますわよう。
そうなのですよう。僕のためを思って心配してくれるのは本当にありがたいことです。
だから、批判は、ほどほどにした方がよいですわ。
でもねぇ~、イタズラされたぐらいで言うべき事も言わないのは人間として恥ずべきことですよう。
デンマンさん。。。そのようにカッコいい事を言いたい気持ちは、あたくしにも分るのでござ~♪~ますわ。
僕は何もカッコいい事を言いたい訳じゃないのですよう。
いいえ。。。デンマンさんはカッコいい事を言って女性にもてようとしているのでござ~♪~ますわ。
別に僕は、カッコいい事を言って女性にもてようとしているのではありませんよう。んも~~
いいえ。。。無理をしなくてもよろしゅうござ~♪~ますわ。デンマンさんのこれまでの言い方を見ていると、カッコいい事を言って女性にもてようとしているのが見え見えですわァ~。
卑弥子さん!。。。勝手に決め付けないでくださいよう。だいたい、僕が膨大なアクセス数の謎を暴いたぐらいで、僕の命を狙う人は居ませんよう。
でも、デンマンさんは自殺に絡んだ謎の死を暴(あば)こうとしているのでござ~♪~ますわ。
横田昭夫
横田 昭夫(よこた あきお)
1942年生まれ。
2008年2月12日に死亡。
行田高等学校(現・埼玉県立進修館高等学校)を卒業後、行田市役所に入庁。
1992年に同市企画部参事兼秘書課長、翌1993年に教育次長となる。
その後、助役を経て前市長・山口治郎の後継者として2003年の市長選挙に出馬。
市の職員組合や医師会などの支持を得て当選し、同年5月1日から2007年4月30日まで1期4年にわたり行田市長を務めた。
市長に就任後は、市民への調査結果などから羽生市や南河原村との合併協議に吹上町を加える事を主張し、市長など三役と教育長の給与を減額する条例を提出した。
また、2003年8月には行田市が教育特区に指定され、小学生の英語教育や30人学級のモデルケースとなった。
2006年には赤字となっていた西武園競輪場での年1回の競輪開催の見直しを決めている。
2007年の市長選挙にも当初は立候補を表明していたが、「相手陣営からの攻撃に疲れた」として最終的に出馬を断念した。
一説には公共事業を巡る確執があったという。
なお、2003年の選挙の際にも怪文書が出回ったとして行田警察署に告訴状を提出し、受理されている。
2008年2月12日、群馬県みなかみ町の温泉旅館の客室で首を吊って自殺。
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いや。。。暴こうとしているのではなくて、このような自殺が日本から無くならねばならないと祈っているのですよう。
いいえ。。。それは言葉の綾(あや)でござ~♪~ますわ。実は、デンマンさんは謎の死の真相を突き止めようとしているのですわ。。。そうでしょう?
今のところ、横田前市長は自殺したと言うことに、ほぼ決まっているようです。
でも、デンマンさんは疑っているのでしょう?
いや。。。別に疑っている訳ではないのですよう。
いいえ。。。ごまかさないでくださいましなァ~。。。デンマンさんは月光仮面かウルトラマンになったつもりで真相を暴こうとしているのですわ。
卑弥子さんは、結構、年を重ねているのですね。月光仮面かウルトラマンとか。。。うししししし。。。最近のミーちゃんハーちゃんには分りませんよう。
デンマンさん!。。。話題を変えないでくださいなぁ!。。。あたくしをごまかしても小百合さんはごまかせませんわよう。
どうしてですか?
どうしてですかってぇ~。。。デンマンさんがムキになって行田市政の黒い霧の真相を暴こうとしている事を小百合さんは良~♪~くご存知だからですわ。だから、次のようにも心配していたのでござ~♪~ますわ。
【小百合の独り言】
ですってぇ~。。。
私はデンマンさんが心配なのですわ。
ええっ?。。。どうしてかってぇ。。。?
だってぇ~。。。横田前市長の自殺に関して、ちょっと首を突っ込みすぎていると思うのです。
多分、この記事を読んだら、ムカついてくる人だって居ると思うのですわ。
事件について、あまり穿(ほじく)り出されると、悪くすれば刑務所行きになるかもしれないと心配している人だって居ると思うのですわ。
中には、かつての赤軍派のような過激な人だって居ると思うのです。
そのような人がムカつけば、おそらく、デンマンさんを暗殺する事だって考えられると恩うのですわ。
私ってぇ、ちょっと考えすぎでしょうか?
うふふふふふ。。。
とにかく、まだ興味深い話題が続くと思いますわ。
あなたもどうか、またあさって読みに戻ってきてくださいね。
では。。。
あのねぇ~、小百合さんは心配のし過ぎなのですよう。
でも、昔の人は言いましたわ。
“転ばぬ先の杖”
転んでからでは遅いのでござ~♪~ますわ。
うん、うん、うん。。。確かに命は一つきりですからねぇ。殺されたら終わりですよう。でもねぇ~、殺されるのが怖くて言いたい事も言えないとしたら、死んでいるのも同じですよう。
でも、死んでは詰まりませんわ。
しかし、やりたいこともできない。言いたい事も言えない。。。これでは、何のために生きてるのか分らないでしょう?
でも、殺されるかもしれないのに、わざわざ殺意を誘うようなことを言うことはないのでござ~♪~ますわ。
つまり、やりたい事がやれなくても、言いたい事が言えなくても、卑弥子さんは、ただ生きているだけで満足なのですか?
だってぇ~。。。生きていれば美味しい物が食べられますわよう。うふふふふふ。。。
卑弥子さんは、旨い物が食べられればそれで満足なのですか?
だってぇ~。。。死ぬよりはマシでござ~♪~ますわ。
“死んで花実が咲くものか”
昔の人は、このようにも言ったのでござ~♪~ますわ。
つまり、長生きすることが卑弥子さんの人生の目的なのですね?
あと。。。美味しい物を食べることですわ。うふふふふふ。。。
あのねぇ~、夕べ面白い記事を読み返したのですよう。卑弥子さんのような人には特に参考になるかもしれないから、ここに書き出します。じっくりと読んでみてねぇ。
「健康で長生き」してどうする
長寿ブーム真っ盛りである。
抗加齢(アンチエイジング)医学が持て囃され、抗酸化、免疫力アップの食品が重宝されて食卓を賑している。
メタボ健診が義務付けられ、強制的に腹囲などを計測されるバカバカしさ。
右を向いても左を向いても、長寿関連商品が氾濫し、世の中、“長生き”することを渇望している。
一体、何のために、そんなに長生きしたいのか?
先日、テレビを眺めていて思わず座りなおした。
健康そのもので赤銅色に日焼けしたお爺さんが出てきて、肱立て伏せや砲丸投げを見せ、無病息災をひたすら誇っているではないか。
90歳を過ぎていて、これという仕事があるわけでもないらしい。
只々健康なだけであった。
どうやら長生きを賛美するだけが狙いの番組らしく、何が目的で長生きするのですかといった類の質問は制作側から禁止されている気配で、そっちの方で息が詰まった。
一体、何がやりたくてその年まで元気なの?といった気軽な問いかけ一切ご法度の雰囲気に、茫然とする心地だった。
これまで人の数倍は仕事してきた、疲れたよ、せめて次の仕事に掛かる前の数年間無為に過ごす暇を呉れよ、というならこちらも、そりゃ大変ですな、ご苦労様、と労(ねぎら)いの言葉の一つもかけることは出来る。
目的あっての人生である。
ただ生きているだけでは人生ではない。
それが何時の間にか不老長生が人生の目標に化けて、老人を長生き故に尊しと持ち上げる時代が来てしまった。
読者諸氏もご記憶にあろう。
南の徳之島に泉重千代なる超老人が居て、テレビ画面を賑やかにしていたことを。
当時、世界最高齢ということで、加齢の度に、つまり誕生日毎にテレビ局が押しかけて、重千代爺さんのお散歩姿を放映する。
爺さんは風船さながらに家をでてフラフラする。
酒屋に入って焼酎をグラスで一杯旨そうに飲む。
しかし彼の目は死人のそれで、何を見、何を考えているのか、さっぱり分らない。
私はこの爺さんをテレビで見るたびに、オーイ重千代爺さんの家のものは居ないのかア、と怒鳴ったものだ。
まともな時代なら、こういうボケ老人が一人でフラフラするのを家族は恥として許さなかったのだ。
それが一枚のテレカか何かと引き換えに、醜悪な姿を全国に垂れ流して恬(てん)として恥じない。
冒頭に書いた肱立て伏せの老人の家族も偶々本記事をお読みなら、今や死語と化した老醜という言葉を辞書で確認して頂きたいものだ。
鮮やかな引き際
私がかくあれかしと羨む死に方を示してくれたのは、女流作家の宇野千代さんだった。
90歳を出てなお矍鑠(かくしゃく)としていた同女史は、テレビに出てきて「私って寿命がないんじゃないかしら、もう健康そのものなの」と艶然と笑っていらしたが、その後、風邪をこじらせて急逝なさった。
実に鮮やかな引き際だった。
私も当年76歳、とうに古希を超えた。
あいつは今惰性で生きている、という言い方は自分にぴったりである、と思っている。
シナリオの註文は無く、雑文書きも高が知れているので、已む無く雨後の筍的私大の講師を渡り歩いているうちに昭和と平成の端境期に脳梗塞で死にかけ、次に心臓発作でも死にそびれ、遂に教壇から全面撤収、突然毎日が日曜になって10年が経つ。
今の所、未だステッキ使って何とか歩いている。
しかし、いずれ来るはずの歩行不能時期を少しでも遅らせようとして、週二日、老人ホームのリハビリに通っている。
声帯の老化防止策として昔の唱歌を歌わされるのに辟易している。
声は確かに出易くなったようだが、唱歌斉唱時の情けなさに耐えるのは辛い。
ボールペンで小さな漢字を書くのも怪しくなった。
仮にも原稿書きが、肉筆が駄目になるようでは生きている意味が無い。情けない、の一言に尽きる。
そろそろ安楽死したい。
人生碌でもない事ばかりした人間としては、無痛死までは欲張らない。
前の心筋梗塞ほどの痛みは御免だが、多少の苦痛はこれ甘受しつつ、地球から辞去したい。
墓は要らない。
散骨で十分だが、後で家族が面倒臭がるからここは極く平凡に、新藤兼人氏が勧進元の映画人の墓に入ることにしてある。
隅田川河畔にある念仏寺、多門寺境内に建てられた共同墓地で貧乏な映画人ばかり、既に片岡千恵蔵から殿山泰司等が入っている。
殿山泰司さんは生前、泰ちゃん石さんと呼び合う仲好しだったので、再会が楽しみだ。
宇野さんにあやかって、もう好い加減、人生失礼したい。
元脚本家 石堂淑朗
69-70ページ 『週刊新潮』
2008(平成20)年10月30日号
ずいぶん長々と引用してデンマンさんは何がおっしゃりたいのでござ~♪~ますか?
やだなあああぁ~、僕の言いたい箇所をわざわざ赤字にしたではないですか!
目的あっての人生である。 ただ生きているだけでは 人生ではない。
デンマンさんは、あたくしが、ただ生きているだけだと思っているのでござ~♪~ますか?
だってぇ、卑弥子さんは次のように言ったでしょう!
生きていれば美味しい物が 食べられますわよう。
これでは人生の目的には、ならないのでござ~♪~ますか?
旨い物を食べるのでは、ただ生きているのと変わりがないでしょう。
でも、長生きだけが人生の目的でも、あたくしは良いと思うのですわ。
だから、ただ生きているだけでは、“目が死んでいる”と石堂さんが書いているのですよう。
つまり、何をしてもいいから、目が生き生きとしていればよろしいのでござ~♪~ますわね。
そうですよう。長生きしていても、目が死んでいるようでは、結局、人生は死んでいるのも同じだと石堂さんは言っているのですよう。
それにしても、「もう好い加減、人生失礼したい」なんてぇ、あたくしには、とっても言えませんわ。あたくしは、80歳になっても、90歳になっても必死にしがみつくよにして生きようとすると思うのでござ~♪~ますわ。
つまり、しがみつくようにして生きて、貪欲に旨い物を食べるのですか?
もちろん、それは冗談ですわよう。。。あたくしは源氏物語と共にあの世へ行くのですわァ~。
マジで。。。?
もちろんですわ。。。でも、そのような事を初めに言っても誰も信じてくださらないから、あたくしは旨い物が食べたいと申し上げたのでござ~♪~ますわ。おほほほほほ。。。ところで、デンマンさんはどうして石堂さんの文章を持ち出してきたのでござ~♪~ますか?
実は、上のエッセーが載っていた週刊誌は2008年の10月に日本に帰省したときに漫画喫茶・ネット喫茶の「みるみる」のお持ち帰りコーナーでゲットしたものだったのですよう。
それをバンクーバーまで持って行ったのでござますか?
そうなのですよう。僕は石堂淑朗という名前に見覚えがあった。元脚本家というのがヒントで、確かNHKの時代劇ドラマのクレジット画面で石堂さんの名前を見たような気がするのですよう。
「健康で長生き」してどうする
この言葉がインパクトを持って僕の目に飛び込んできたのですよう。
この記事を書くまでずっと気になっていたのでござ~♪~ますか?
そうなのですよう。。。いつか、上のエッセーで記事が書けると思っていた。
でも、そのインパクトってぇ、デンマンさんにとって何でござ~♪~ますか?
宇野さんにあやかって、 もう好い加減、 人生失礼したい。
石堂さんはこのように書いている。あのねぇ~、僕ならば、自分に残されたものをやり遂げねばならない。そのためには、それが成し遂げられるまで、何としても生きねばならない。。。この思いが絶対だというのに、石堂さんのように淡々として「生」を諦められるものだろうか?この人は、いったい人生で何をやったと言うのだろうか?ただ脚本を書いて、それで人生におさらばしたいと言うのだろうか?。。。そのような疑問が僕のオツムの中を巡り回ったのですよう。
それで、石堂さんがどのような事を人生でやってきたのか?調べてみたのでござ~♪~ますか?
もちろん、石堂さんのこれまでの人生をすべて調べるなんて不可能な事だけれど、運良く『ウィキペディア』にエントリーを見つけた。ちょっと読んでみてください。
石堂 淑朗 (いしどう としろう)
1932年7月17日生まれ
日本の脚本家、評論家。
広島県尾道市出身。
東京大学文学部独文学科卒業。
卒業論文のテーマはカフカだった。
高校を2年生の夏に中退し、大検を受けて広島大学に入学するも中退し、東京大学に入学。
東大在学中から、同期の種村季弘、吉田喜重らと「同人誌」を刊行。
1955年、吉田と松竹大船撮影所に入社。
渋谷実のもとで助監督修行。
1960年に『太陽の墓場』で脚本家デビュー。
大島渚、吉田喜重、篠田正浩、田村孟らとともに、“松竹ヌーヴェルヴァーグ”と言われた60年代初頭の映画革新運動の中心的役割を果たした。
同年、大島と共同脚本を執筆した『日本の夜と霧』が浅沼稲次郎刺殺事件で上映禁止になると、翌1961年、松竹を退社した大島と行動をともにし、大島主宰の「創造社」の同人となった。
1960年代の脚本を手がけた、大島監督『太陽の墓場』、吉田喜重監督『水で書かれた物語』、実相寺昭雄監督『無常』、浦山桐郎監督『非行少女』などは、戦後の映画史を代表する作品となっている。
大島と袂を分った1965年以後は、フリーの脚本家となりテレビでの活動が増え、『マグマ大使』、『シルバー仮面』や『帰ってきたウルトラマン』などの特撮ヒーローもの、『必殺仕掛人』や『子連れ狼 (萬屋錦之介版)』といった時代劇、SFドラマ『七瀬ふたたび』、銀河テレビ小説の第1回作品『楡家の人びと』などさまざまなジャンルの作品を手がけているが、一貫して反俗的作風で知られる。
映画では1989年の『黒い雨』が、多くの賞を独占した。
俳優として、テレビドラマ『必殺仕掛人』や映画『必殺! THE HISSATSU』で悪役を、大島渚の映画『絞死刑』でコミカルな拘置所の教誨師役を演じている。
また『ウルトラマンタロウ』にもゲスト出演、大河ドラマ『花神』には力士役で出演した。
政治的に保守派の評論家となり、多くの文章を書いている。
亀井龍夫が編集長をつとめていた頃の「新潮45」に随筆を寄せていたことでも有名である。
1991年から日本シナリオ作家協会会長、
1992年日本映画学校校長、
1993年、近畿大学文芸学部客員教授に就任するなど後進の指導にもあたる。
近大時代には清水崇らを育てた。
その他の弟子に阿井渉介ら。帝京平成大学の教授を勤めていたが、体調不良により退職した。
趣味は将棋であり、かつては「文壇名人戦」の常連でもあった。
またプロの将棋の観戦記も、かつてはよく書いていた。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
。。。んで、デンマンさんは、どう思ったのでござ~♪~ますか?
「人間の証明」を書いた森村誠一さんが1933年1月2日の生まれなのですよう。いわゆる早生まれで、石堂さんとは同じ学年です。この世代は敗戦の影響を強く受けているようですよね。
それで。。。?
この世代は雑草のごとく逞しく生きてきたような印象を僕は持ちますよう。僕の叔父もこの世代だけれど、一直線の経歴ではないのですよ。
一直線でないとは。。。?
叔父は実家が貧乏農家だったから、農作業を手伝いながら定時制の高校を出て、大学も定時制で、苦学しながらお金を稼いで、それで就職を考えて全日制の大学に変わるのですよう。。。僕が生まれた頃は、もう戦後のどさくさは過去のものになって、たいていの人が一直線の人生を歩み始めるのですよう。僕の身の回りで定時制の高校に行った人など居なかった。
つまり、石堂さんも、森村さんも、デンマンさんの叔父様も、一直線の人生ではなくて、どちらかと言えばジグザグ人生を歩んできたとおっしゃるのでござ~♪~ますか?
そうですよう。僕の知り合いや友達は、ほとんどが一直線の人生ですよう。
デンマンさんの人生は。。。?
海外に飛び出さなければ、僕の人生も一直線でしたね。今頃は松下電器の事業部長になっていたかも知れません。
デンマンさんは、一直線の人生が嫌だったのでござ~♪~ますか?
そうなんですよう。何年か先がすぐに見通せるような人生は歩みたくなかった。だから、一生サラリーマンで人生を終えるなんて考えただけでも鳥肌が立ってきましたよう。
つまり、ジグザグ人生は、デンマンさんの望むところだったのでござ~♪~ますわね?
そうなのですよう。でも、石堂さんや、森村さん、そして僕の叔父などは一直線の人生を望んでも、なかなか叶(かな)えられなかったのでしょうね。
つまり、戦後のどさくさの中で少年時代、青年時代を過ごしたからでござ~♪~ますか?
そうですよう。石堂さんが高校2年生で中退したのは1949(昭和24)年ですよう。まだ、日本には敗戦の面影が色濃く残っていたはずですよう。
それで、石堂さんが淡々として人生におさらばできる気持ちがデンマンさんには分ったのでござ~♪~ますか?
たぶん、やる事をやってきたという気持ちが強いのでしょうね。上の経歴を見ても感じますよう。
デンマンさんには、まだやる事をやってきたという実感が無いのでござ~♪~ますか?
ないですねぇ~。。。だから、その実感が得られるならば、僕は死んでもかまわないと思っているのですよう。うししししし。。。
マジで。。。?
半分マジです。だから、何が何でも、旨いものが食べたいからと言って必死で「生」にしがみつく気持ちはないですよう。
【卑弥子の独り言】
ですってぇ~。。。
そうでしょうかしら。。。?
“言うは易し行うは難し”
そうですよね。
昔の人は上のように言ったのでござ~♪~ますわ。
デンマンさんだって、死がそこまで来れば、生にしがみつくかもしれないのですわ。
とにかく、まだ興味深い話題が続くと思いますわ。
あなたもどうか、またあさって読みに戻ってきてくださいましねぇ。
では、またぁ~。。。
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