マルタ島のロマン
(malata01b.jpg)
(medmap.png)
(june001.gif)
デンマンさん。。。 今日は地中海の島巡りのお話ですか?
(kato3.gif)
ジューンさんも僕と一緒に旅した地中海の旅が懐かしいでしょう!?
でも、そういう個人的な旅のお話ってぇ、この記事をお読みになるネット市民の皆様には退屈だと思いますわァ。
だから、個人的な話をするつもりはないのですよ。
だったら、どうして わたしが写っているマルタ島の写真などを貼り付けたのですか?
ジューンさんのファンがたくさんいるからですよ。 (微笑)
つまり、わたしはデンマンさんの記事のカバーガールですか?
いけませんか?
そんな事より、どうして急にマルタ島のロマンを持ち出してきたのですか?
あのねぇ~、実は夕べ、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら 次の箇所に出くわしたのですよ。
地中海の底が見えていた
(earth001.jpg)
豆知識: 地中海は、今から500~600万年前に干上がってしまったことがある。 (74ページ)
人類への進化
およそ500万年前、チンパンジーに進化する類人猿と人類へと進化する猿人(アウストラロピテクスなど)が分かれた。
なぜ類人猿と人類は別々の進化の道をたどったのだろうか?
これに対して、「イーストサイド物語」と名付けられた仮説が有力視されている。
人類の祖先の化石は、多くがアフリカの大地溝帯やその東側の乾燥したサバンナで見つかっている。
一方、類人猿は西側の森にしか生息していない。
アフリカの大地溝帯の形成は、今から1000万年前~500万年前に始まっており、人類誕生とほぼ同一の時代なのだ。
大地溝帯は、マントルのホットプルームのはたらきで火山活動が活発になって大地が隆起し、次いで中心が溝になって東西に分裂し始めている場所である。
大西洋からの西風が運んでくる湿った気流は、大地溝帯の高地の西側で上昇気流となって雨を降らせてしまい、東側へきたときにはすでに乾燥してしまう。
このため、大地溝帯とその東側の森は、サバンナに変わった。
森が縮小したため住んでいた類人猿は、サバンナに降りて食べ物を探す必要が生じ、二足歩行や手の使用が始まった。
ここから人類への進化が始まったというわけである。
(chiko03.jpg)
豆知識: 2002年にアフリカ中央部のチャドで、600~700万円前の人類化石「サヘラントロプス・チャデンシス」が発見され、「イーストサイド物語」に異論を唱える説が現れている。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真と地図はデンマン・ライブラリーより)
84-85ページ 『地球のしくみ』
編者: 新星出版社編集部
2007年11月25日 発行
発行所: 株式会社 学研パブリッシング
(earth001.jpg)
豆知識: 地中海は、今から500~600万年前に干上がってしまったことがある。 (74ページ)
人類への進化
およそ500万年前、チンパンジーに進化する類人猿と人類へと進化する猿人(アウストラロピテクスなど)が分かれた。
なぜ類人猿と人類は別々の進化の道をたどったのだろうか?
これに対して、「イーストサイド物語」と名付けられた仮説が有力視されている。
人類の祖先の化石は、多くがアフリカの大地溝帯やその東側の乾燥したサバンナで見つかっている。
一方、類人猿は西側の森にしか生息していない。
アフリカの大地溝帯の形成は、今から1000万年前~500万年前に始まっており、人類誕生とほぼ同一の時代なのだ。
大地溝帯は、マントルのホットプルームのはたらきで火山活動が活発になって大地が隆起し、次いで中心が溝になって東西に分裂し始めている場所である。
大西洋からの西風が運んでくる湿った気流は、大地溝帯の高地の西側で上昇気流となって雨を降らせてしまい、東側へきたときにはすでに乾燥してしまう。
このため、大地溝帯とその東側の森は、サバンナに変わった。
森が縮小したため住んでいた類人猿は、サバンナに降りて食べ物を探す必要が生じ、二足歩行や手の使用が始まった。
ここから人類への進化が始まったというわけである。
(chiko03.jpg)
豆知識: 2002年にアフリカ中央部のチャドで、600~700万円前の人類化石「サヘラントロプス・チャデンシス」が発見され、「イーストサイド物語」に異論を唱える説が現れている。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真と地図はデンマン・ライブラリーより)
84-85ページ 『地球のしくみ』
編者: 新星出版社編集部
2007年11月25日 発行
発行所: 株式会社 学研パブリッシング
地中海が、今から500~600万年前に干上がった事実と“マルタ島のロマン”が関係あるのですか?
もちろんですよ。 だから、上の本の中から僕が気になった箇所を引用したのです。
でも、そもそも“マルタ島のロマン”ってぇ、どういうことですか?
あのねぇ~、ジューンさんと、かれこれ10年ほど前にクレタ島とマルタ島の古代文明について語り合ったことがあるのですよう。 もう忘れてしまったでしょう!?
デンマンさん。。。 ネットで3年前は一昔ですわ。 10年も前のことは大昔ではありませんかァ! 覚えてませんわ。
じゃあ、ジューンさんのためにも ここに書き出しますから、じっくりと読んでみてください。
クレタ島のパリジャンヌ
(cretgal2.jpg)
“Ladies in Blue”—fresco from Knossos, 16th century BC.
上の写真に見るとおり、今から4000年前のクレタ島の女性は、結構ナウい、ファッショナブルな女だったんですよ。 クレタ文明を発掘した考古学者アーサー・エヴァンズがフラスコ画に描かれていた彼女たちを見て、思わず“可愛いパリジェンヌ”と叫んだというエピソードが伝わっているほどです。 4000年前とは思えないほど現代的なセンスを持っていると思いませんか?
言われてみれば確かに現代的なファッションを感じさせますね。
でしょう?
(parisienne5.gif)
Cretan Parisienne in full view
全身を表すとこんな感じになりますよ。 どうですか?
ちょっとスカートが長すぎるようですね。
確かに長いですよ。 でもね、19世紀のパリの本物のパリジェンヌと比べてみてください。
(parisienne3.gif)
どちらの女性と喫茶店に入りたいですか?と問われれば、僕はおそらくクレタ島の女性に声をかけるでしょうね。
そうですか?
そうですよ。 第一、こんなでかい幅広のスカートをはいた女性と喫茶店へ入ってみてくださいよ。 周りの人が迷惑そうな顔をしますよ。
確かに、近頃の喫茶店ではテーブルが、バタバタと倒れてしまうでしょうね。
とにかく、上の二人の格好を見比べると19世紀のパリジェンヌの方がダサいですよ。クレタ島の女性の方がモダンな感じがしませんか?
そうですね。。。
19世紀の女性と比較するのでは、時代が違いすぎるので、同じ時代のエジプトの女性と比べてみましょう。 次の絵の中の女性たちは 今から3500年から3000年前の服装をしています。 上のクレタ島の“パリジェンヌ”とほぼ同じ時代です。
(egypygals.jpg)
一目見ただけでも、エジプトの女性の方がシンプルですよね。。。というか、言葉は悪いですが“土人スタイル”ですよね。 クレタの女たちよりも原始的な感じがします。我々の眼には、どう見てもクレタ島の女性の方が現代的な印象を与えます。 そう思いませんか?
確かにこの写真で比べるとそうですね。
僕がクレタ文明にロマンを感じるのはそのような理由ですよ。 ヘアスタイルといい現代風なスカートといいセックスアピールする胴着といい、19世紀のパリジェンヌよりもパリジェンヌらしいところがありますよ。
フープ・スカートは、どう見ても時代遅れなので、そのように映るのではないですか?
それだけじゃなくて、例えば当時上流社会で流行していた胸を見せる短い胴着(bolero)を身に着けていますよ。当時も細いウエストが好まれたそうです。
確かにファッションを見ると現代的なところがありますね。でも、それだけでは女性のパラダイス、女神の国とは言えないのではないですか?
もちろん、それだけで決め付けるつもりはありません。他にも理由があるんですよ。
どんな?
クレタ文明が栄えた紀元前18世紀から16世紀には実権を持っていたのは王ではなく大巫女だったんだ。
大巫女ですか?
そう。 英語で言うならHigh priestessですよ。
つまり女王ということですか?
女性だから、女王と言ってもいいんだけれど、やはり宗教的な性格が強かったらしい。中世のローマ法王のような権力を持っていたと思えば間違いないよ。
王様は居なかったのですか?
形式的な王様は居たらしい。 でも、実権はなかったようです。
でも、ミノアと言う名前はそもそも王様の名前でしょう?
そのとおりです。
(中略)
クレタ島は母系社会だったんです。話せば長くなるんですが、紀元前4000年頃までは、 ヨーロッパは全域にわたって母系社会だったんですよ。
どうしてそのようなことが言えるのですか?
実は、他のページにこのことを書いたんですよ。でも、英語なんです。まだ訳していません。とりあえず、写真だけここに貼り付けます。
(huyukmother.jpg)
Enthroned Birthing Goddess
from Çatal Hüyük 5700 BC.
(The head was restored.)
(map6.jpg)
わああ、すごーく太った女性が出てきましたね。
この女神は紀元前5700年頃、人が住んでいたチャタル・ヒュユク(Çatal Hüyük)と呼ばれる集落の遺跡から出てきたんですよ。場所は上の地図の小アジアの中に見つけることができます。
この女神が出てきたから母系社会だというのですか?
この女神だけじゃなく、とにかく圧倒的に女神が多いんですよ。ジューンさんはこの小アジアがアナトリア(Anatolia)と呼ばれていることを知っているでしょう?
ええ、知ってますよ。
じゃあ、その意味は何だと思いますか?
意味があるのですか?
あるんですよ。“女神がたくさん居る土地”と言う意味なんです。とにかく母系社会だということを考古学者が出土品からも確認しています。
アナトリア以外からもこのような女神は出てきたのですか?
マルタ島からも見つかっています。
(maltamap.jpg)
(maltavenus3.jpg)
“Venus of Malta”
(maltabig.jpg)
“The Sleeping Venus of Malta”
マルタ文明もやはり母系社会だったのですか?
そうです。
それがどうして父系社会になってしまったのですか?
すでに言ったように、紀元前4000年頃を境にヨーロッパには人類の大移動があったんですよ。
やはり気候と関係あるのですか?
そうらしい。この時は半農半牧を営むインド=ヨーロッパ語族の祖先がヨーロッパ中・東部に侵入・定住したんです。 ジューンさんの遠い祖先の皆さんですよ。 もちろんこの人たちは現在と同様、父系社会を形成していました。
そうなんですか?
そうですよ。 現在は男女同権といわれていますが、基本的には父系社会ですよね。 たいてい父系の姓を名乗ります。 この父系社会というのは戦争が強いんです。 アナトリアの社会でもクレタの社会でも、大きな戦争と言うものがなかった。その事は遺跡からも確認されています。
つまり戦いに弱い母系社会は戦争に強い父系社会の集団に追われるような形でクレタ島やマルタ島に移り住んだと言うわけですか?
そういうことです。
では、クレタ島のミノア王はどう説明されるのですか?
ミノア王の伝説はアカイア人がギリシャ本土から乗っ取りに来てからできた話なんですよ。 それまではミノア王みたいな男の権力者は居なかったんです。
つまり、大巫女さんが実権を握っていたと言うわけですか?
その通りですよ。
『ラピスラズリと美女アメニア(クレタ島)』より
(2005年7月13日)
(cretgal2.jpg)
“Ladies in Blue”—fresco from Knossos, 16th century BC.
上の写真に見るとおり、今から4000年前のクレタ島の女性は、結構ナウい、ファッショナブルな女だったんですよ。 クレタ文明を発掘した考古学者アーサー・エヴァンズがフラスコ画に描かれていた彼女たちを見て、思わず“可愛いパリジェンヌ”と叫んだというエピソードが伝わっているほどです。 4000年前とは思えないほど現代的なセンスを持っていると思いませんか?
言われてみれば確かに現代的なファッションを感じさせますね。
でしょう?
(parisienne5.gif)
Cretan Parisienne in full view
全身を表すとこんな感じになりますよ。 どうですか?
ちょっとスカートが長すぎるようですね。
確かに長いですよ。 でもね、19世紀のパリの本物のパリジェンヌと比べてみてください。
(parisienne3.gif)
どちらの女性と喫茶店に入りたいですか?と問われれば、僕はおそらくクレタ島の女性に声をかけるでしょうね。
そうですか?
そうですよ。 第一、こんなでかい幅広のスカートをはいた女性と喫茶店へ入ってみてくださいよ。 周りの人が迷惑そうな顔をしますよ。
確かに、近頃の喫茶店ではテーブルが、バタバタと倒れてしまうでしょうね。
とにかく、上の二人の格好を見比べると19世紀のパリジェンヌの方がダサいですよ。クレタ島の女性の方がモダンな感じがしませんか?
そうですね。。。
19世紀の女性と比較するのでは、時代が違いすぎるので、同じ時代のエジプトの女性と比べてみましょう。 次の絵の中の女性たちは 今から3500年から3000年前の服装をしています。 上のクレタ島の“パリジェンヌ”とほぼ同じ時代です。
(egypygals.jpg)
一目見ただけでも、エジプトの女性の方がシンプルですよね。。。というか、言葉は悪いですが“土人スタイル”ですよね。 クレタの女たちよりも原始的な感じがします。我々の眼には、どう見てもクレタ島の女性の方が現代的な印象を与えます。 そう思いませんか?
確かにこの写真で比べるとそうですね。
僕がクレタ文明にロマンを感じるのはそのような理由ですよ。 ヘアスタイルといい現代風なスカートといいセックスアピールする胴着といい、19世紀のパリジェンヌよりもパリジェンヌらしいところがありますよ。
フープ・スカートは、どう見ても時代遅れなので、そのように映るのではないですか?
それだけじゃなくて、例えば当時上流社会で流行していた胸を見せる短い胴着(bolero)を身に着けていますよ。当時も細いウエストが好まれたそうです。
確かにファッションを見ると現代的なところがありますね。でも、それだけでは女性のパラダイス、女神の国とは言えないのではないですか?
もちろん、それだけで決め付けるつもりはありません。他にも理由があるんですよ。
どんな?
クレタ文明が栄えた紀元前18世紀から16世紀には実権を持っていたのは王ではなく大巫女だったんだ。
大巫女ですか?
そう。 英語で言うならHigh priestessですよ。
つまり女王ということですか?
女性だから、女王と言ってもいいんだけれど、やはり宗教的な性格が強かったらしい。中世のローマ法王のような権力を持っていたと思えば間違いないよ。
王様は居なかったのですか?
形式的な王様は居たらしい。 でも、実権はなかったようです。
でも、ミノアと言う名前はそもそも王様の名前でしょう?
そのとおりです。
(中略)
クレタ島は母系社会だったんです。話せば長くなるんですが、紀元前4000年頃までは、 ヨーロッパは全域にわたって母系社会だったんですよ。
どうしてそのようなことが言えるのですか?
実は、他のページにこのことを書いたんですよ。でも、英語なんです。まだ訳していません。とりあえず、写真だけここに貼り付けます。
(huyukmother.jpg)
Enthroned Birthing Goddess
from Çatal Hüyük 5700 BC.
(The head was restored.)
(map6.jpg)
わああ、すごーく太った女性が出てきましたね。
この女神は紀元前5700年頃、人が住んでいたチャタル・ヒュユク(Çatal Hüyük)と呼ばれる集落の遺跡から出てきたんですよ。場所は上の地図の小アジアの中に見つけることができます。
この女神が出てきたから母系社会だというのですか?
この女神だけじゃなく、とにかく圧倒的に女神が多いんですよ。ジューンさんはこの小アジアがアナトリア(Anatolia)と呼ばれていることを知っているでしょう?
ええ、知ってますよ。
じゃあ、その意味は何だと思いますか?
意味があるのですか?
あるんですよ。“女神がたくさん居る土地”と言う意味なんです。とにかく母系社会だということを考古学者が出土品からも確認しています。
アナトリア以外からもこのような女神は出てきたのですか?
マルタ島からも見つかっています。
(maltamap.jpg)
(maltavenus3.jpg)
“Venus of Malta”
(maltabig.jpg)
“The Sleeping Venus of Malta”
マルタ文明もやはり母系社会だったのですか?
そうです。
それがどうして父系社会になってしまったのですか?
すでに言ったように、紀元前4000年頃を境にヨーロッパには人類の大移動があったんですよ。
やはり気候と関係あるのですか?
そうらしい。この時は半農半牧を営むインド=ヨーロッパ語族の祖先がヨーロッパ中・東部に侵入・定住したんです。 ジューンさんの遠い祖先の皆さんですよ。 もちろんこの人たちは現在と同様、父系社会を形成していました。
そうなんですか?
そうですよ。 現在は男女同権といわれていますが、基本的には父系社会ですよね。 たいてい父系の姓を名乗ります。 この父系社会というのは戦争が強いんです。 アナトリアの社会でもクレタの社会でも、大きな戦争と言うものがなかった。その事は遺跡からも確認されています。
つまり戦いに弱い母系社会は戦争に強い父系社会の集団に追われるような形でクレタ島やマルタ島に移り住んだと言うわけですか?
そういうことです。
では、クレタ島のミノア王はどう説明されるのですか?
ミノア王の伝説はアカイア人がギリシャ本土から乗っ取りに来てからできた話なんですよ。 それまではミノア王みたいな男の権力者は居なかったんです。
つまり、大巫女さんが実権を握っていたと言うわけですか?
その通りですよ。
『ラピスラズリと美女アメニア(クレタ島)』より
(2005年7月13日)
“クレタ島のロマン”は“パリジェンヌ”が出てくるので、なんとなく解るような気がしますが、マルタ島の“ビーナス”はデンマンさんの好みのタイプではないでしょう!?
ちょっと、と言うよりも、かなり太っていますよねぇ~。 うへへへへへ。。。
それなのに、どうして“マルタ島のロマン”なのですか?
あのねぇ~。。。 そこですよ。。。 上の本を読んでいたら、地中海は、今から500~600万年前に干上がってしまったことがあると書いてある。
だから。。。?
もう一度次の地図を見てください。
(medmap.png)
クレタ島の北に“サントリー二島”という小さな火山島があるのですよ。
(santo002.jpg)
(santo001b.jpg)
ああらっ。。。 懐かしいですわあああァ~。。。
ジューンさん!。。。 懐かしんでいる場合じゃないのですよ。 “マルタ島のロマン”ですからねぇ~。。。
このサントリーニ島が“マルタ島のロマン”と関係あるのですか?
大有りですよ。 このサントリーニ島が あの伝説の“アトランティス”じゃないか!?と考えている人が結構たくさんいる。
(atlantis2.jpg+cleoani.gif)
デンマンさんもサントリーニ島が あの伝説の“アトランティス”だと考えているのですか?
いや。。。 無理にサントリーニ島と あの伝説の“アトランティス”を結びつける必要はないのですよ。 “アトランティス”は実際にあったと僕は思うのです。 でも それは、伝説のように大西洋の沖にあったのではなくて、地中海の底に 今でも遺跡として横たわっていると、僕は考えているのです。 つまり、地中海が干上がったことは何度かあった、と僕は仮定しているのですよ。 その何度目かに、高度に発達した文明が地中海の底近くにあった。
(med001.jpg)
(atlantis3.jpg)
地中海の底にあった“アトランティス”
ところが、やがて氷河が溶け出して大西洋の水位が上がって、閉まっていたジブラルタル海峡の上を乗り越えて海水が滝のように流れ込んだ。
(med002.jpg)
大洪水となって“アトランティス”の住民を押し流してゆく。
(noah01.jpg)
そして、現在、“アトランティス”の遺跡は地中海の底にある。
(atlantis2.jpg+cleoani.gif)
この生き残った人たちの子孫が、あるグループはマルタ島に残って巨石文明を、他のグループはクレタ島に残ってミノア文明を、また エジプトに渡った人たちはピラミッドを作ったのですよ。 僕は、そう考えたのです。 これが僕の“マルタ島のロマン”ですよ。
(laugh16.gif)
【デンマンの独り言】
ところで、エジプトのギザのピラミッドは誰が何のために造ったのか?
伝統的な歴史家の解釈では、古代エジプト人がファラオのお墓にするために造ったということになっています。
しかし、最近、人類学者、地質学者、土木技術者、天文学者、地球物理学者、考古学者、自称歴史学者などによる、新たな発掘や、発見などから、ピラミッドがファラオのお墓であるという解釈は退(しりぞ)けられています。
少なくとも、ギザのあの3つのピラミッドは墓ではないという見方が大勢を占めています。
それに、いつ頃 あのギザのピラミッドが造られたのか?
いわゆる“エジプトロジー学会”の言うところではピラミッドは 2575BC から 2150 BCにかけて造られたということになっています。
しかし、この考え方にも疑問を持っている研究者は多数います。
例えば、ギザの三大ピラミッドおよびナイル川の(当時の)流れ、そして他の多数のピラミッドとの配置に着目し、ピラミッド群は現在から1万500年前の天体の配置を模したものであるという説もあります。
すなわち、ナイルが天の川で、三大ピラミッドがオリオン座のベルト、即ち中央を横切る三つ星に相当、他のピラミッドも星の位置に対応しそれを反映しているということです。
三大ピラミッドのうち、メンカウラー王のピラミッドが他の2つの頂点を結んだ線からずれている点、大きさも他の2つよりも小さいことについて説明する有力な説とも言われています。
ただし、この説はいわゆる“エジプトロジー学会”では認められていません。
ちなみに、聖書は地球の年齢を約6,000年と教えています。
おそらく一部の狂信的な聖書信奉者を除いて、地球の年齢が約6,000年だと考えている人は居ないでしょう!
つまり、ダーウィンの『種の起源』が1859年に出版される以前は、多くの人が地球の年齢が約6,000年だと考えていたのです。
それから、まだ200年経っていません!
要するに、“エジプトロジー学会”の定説は、言ってみれば“聖書の教え”のような教条主義に陥(おちい)っているようです。
そのような教条主義から脱却して、意欲的で、自由な、創造的な発想でエジプトロジーを考える動きがすでに始まっています。
次に示すビデオ・クリップは3時間以上に渡る長いものですが、そのような人たちによる 新しいエジプトロジーの動きです。
英語ですが、映像がふんだんにあって、講義はありません。
実に興味深いビデオです。
3時間見る価値があります。
どうでした?
上のビデオを見ると、最近のエジプトロジーの動向と未来が見えてくると思います。
ところで、ジューンさんと僕の対話の記事は他にもたくさんあります。
時間があったら、下の記事も読んでみてください。
じゃあねぇ~。
(30june.jpg)
■『あらっ、パンツが…』
■『わたし的にはOKです』
■『国際感覚ダントツ』
■『下つき肥後ずいき』
■『おばさんの下着』
■『海に佇むロトの妻』
■『紅のおばさんパンツ』
■『白人女性志向』
■『肥後ずいきとおばさんパンツ』
■『ジューンさんとトイさん』
(godiva05.jpg)
■『国際化でおばさんバンザイ!』
■『真夜中の乙女たち』
■『熟女下着』
■『熟女下着に見るSEO』
■『ノートルダムからジェーン・エア』
■『ジューンさん、人気が出てますよ』
■『ジューンさんの下着姿』
■『脳と恋とチョコレート』
■『ジューンさんの人気』
■『白い下着の熟女』
■『床上手な女と塩野七生』
■『白い熟女の誘惑』
■『寒中水泳 女の子』
■『ヤノマミの1万年』
■『レダの卵』
■『おばさんパンツ熟考』
■『べティーさんの優雅なお尻』
■『ん?デンマンの正体?』
■『臭いにチョーこだわる人』
■『目が痛いの?』
■『自動翻訳ダメなの?』
■『まりちゃんの夢と希望』
■『まりちゃんの希望の翼』
■『世界に散らばる日本人の輪』
■『カナダの式典は2倍長いの?』
■『黒い白鳥』
■『カスカディアと自己顕示欲』
■『ハワイからいいね、いいね』
■『瓜とジューンさん』
■『プロメテウスの黒い白鳥』
■『ジャズ・フェスティバル』
■『仲間はずれはどれ?』
■『FBI捜査官のツブヤキ・ガイド』
■『147歳の誕生日』
■『均質的思考は日本人のクセなの?』
■『今、おばさん下着がアツイ!』
■『きびしい暮しの中のロマン』
■『下着女装ブログ』
■『BCデーと日本の花火』
■『小役人が日本を滅ぼす』
とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださね。
じゃあ、またァ~。。。
(hand.gif)
ところで、エジプトのギザのピラミッドは誰が何のために造ったのか?
伝統的な歴史家の解釈では、古代エジプト人がファラオのお墓にするために造ったということになっています。
しかし、最近、人類学者、地質学者、土木技術者、天文学者、地球物理学者、考古学者、自称歴史学者などによる、新たな発掘や、発見などから、ピラミッドがファラオのお墓であるという解釈は退(しりぞ)けられています。
少なくとも、ギザのあの3つのピラミッドは墓ではないという見方が大勢を占めています。
それに、いつ頃 あのギザのピラミッドが造られたのか?
いわゆる“エジプトロジー学会”の言うところではピラミッドは 2575BC から 2150 BCにかけて造られたということになっています。
しかし、この考え方にも疑問を持っている研究者は多数います。
例えば、ギザの三大ピラミッドおよびナイル川の(当時の)流れ、そして他の多数のピラミッドとの配置に着目し、ピラミッド群は現在から1万500年前の天体の配置を模したものであるという説もあります。
すなわち、ナイルが天の川で、三大ピラミッドがオリオン座のベルト、即ち中央を横切る三つ星に相当、他のピラミッドも星の位置に対応しそれを反映しているということです。
三大ピラミッドのうち、メンカウラー王のピラミッドが他の2つの頂点を結んだ線からずれている点、大きさも他の2つよりも小さいことについて説明する有力な説とも言われています。
ただし、この説はいわゆる“エジプトロジー学会”では認められていません。
ちなみに、聖書は地球の年齢を約6,000年と教えています。
おそらく一部の狂信的な聖書信奉者を除いて、地球の年齢が約6,000年だと考えている人は居ないでしょう!
つまり、ダーウィンの『種の起源』が1859年に出版される以前は、多くの人が地球の年齢が約6,000年だと考えていたのです。
それから、まだ200年経っていません!
要するに、“エジプトロジー学会”の定説は、言ってみれば“聖書の教え”のような教条主義に陥(おちい)っているようです。
そのような教条主義から脱却して、意欲的で、自由な、創造的な発想でエジプトロジーを考える動きがすでに始まっています。
次に示すビデオ・クリップは3時間以上に渡る長いものですが、そのような人たちによる 新しいエジプトロジーの動きです。
英語ですが、映像がふんだんにあって、講義はありません。
実に興味深いビデオです。
3時間見る価値があります。
どうでした?
上のビデオを見ると、最近のエジプトロジーの動向と未来が見えてくると思います。
ところで、ジューンさんと僕の対話の記事は他にもたくさんあります。
時間があったら、下の記事も読んでみてください。
じゃあねぇ~。
(30june.jpg)
■『あらっ、パンツが…』
■『わたし的にはOKです』
■『国際感覚ダントツ』
■『下つき肥後ずいき』
■『おばさんの下着』
■『海に佇むロトの妻』
■『紅のおばさんパンツ』
■『白人女性志向』
■『肥後ずいきとおばさんパンツ』
■『ジューンさんとトイさん』
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■『国際化でおばさんバンザイ!』
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■『おばさんパンツ熟考』
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■『自動翻訳ダメなの?』
■『まりちゃんの夢と希望』
■『まりちゃんの希望の翼』
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■『カスカディアと自己顕示欲』
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■『愛の進化論』
■『畳の上の水練(2011年3月15日)』
■『軍隊のない国(2011年3月21日)』
■『天智天皇は暗殺された』
(2003年7月14日)
■『アナクロニズム(2011年3月27日)』
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