2014年11月25日火曜日

かねつき堂と亀姫



 

かねつき堂と亀姫

 


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デンマンさん。。。 どうして「かねつき堂」と「亀姫」が並ぶのですか?


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小百合さんには思い当たることがありませんか?

「かねつき堂」は分かります。 私が行田へ行くときは、決まって立ち寄ってゼリーフライを買いますから。。。

そうです。。。そうです。。。 今年の秋にも立ち寄りましたよねぇ~。。。

そうでしたわ。。。 でも、どうして「かねつき堂」を取り上げる気になったのですか?

たまたま小百合さんの次の手紙に出くわしたのですよ。




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2014年4月14日 (月曜日)

デンマンさん お元気ですか?
日本は桜も終わり初夏です。。。と言いたいところですが その前にデンマンさんの嫌いな梅雨があります。
私も日本のジメジメとした梅雨には鳥肌が立つほど 生理的に拒絶反応が起こります。

2月のバレンタインには 少しでもデンマンさんの心も体も温まるようにと小包を送ったのですが、たぶん税関で引っかかったようです。
つい、詰め込めるだけ箱の中に いろいろと詰め込んでしまったので、申告書類にはずいぶん“漏れ”があったのです。

2008年から毎年バレンタインの小包を送っており これまでには問題がなかったので 今回も大丈夫だと思ったのですわ。
ところが 今回は珍しく税関で調べたようです。
大きな金額ではないので保険はかけていなかったし
また、税関で問題があった時に 送り返すようにと返送のための郵便料金も支払っていませんでした。
ケチっていたわけではないのです。
このような事が起こると予測していたら 返送用の郵便料金も払っていたでしょう!

とっても残念です。
もう一度送ろうかな?
その内 気が向いたら 送るかもしれません。
期待せずに待っていてください。

小百合より


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『古代蓮と軽井沢タリアセン夫人』より
(2014年4月27日)



この手紙が どうだと言うのですか?



バレンタインの小包が郵便局に届いたという通知が5月2日に僕のマンションのメールボックスに入っていたのです。

そう言えば、そのようなことをデンマンさんは言ってましたわねぇ~。。。

その時、僕はバンクーバー市立図書館からの帰りに 指定されたロブソン・パブリック・マーケットの中にある郵便局に立ち寄って 小百合からのバレンタインの小包を受け取ってきたのですよ。


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もう、ずいぶん前のことになりますけれど、デンマンさんの手元に無事について よかったですわねぇ~。



小百合さんが上の手紙を書いた時には すでにバレンタインの小包を郵便局に出してから 2週間近く経っていたのですよ!

そうですわ。。。 でも、また小包が行方不明になるかもしれないと思ったので、手紙には郵送したことを伏せていたのです。 もし、知らせて1ヶ月以上も経っても 小包がデンマンさんの手元についてないと、お互いに心配のあまり、ストレスがたまって癌にでもなったらバレンタインどころではありませんわア。

あのねぇ~、その程度のストレスでは 癌になりませんよう。

とにかく、1度あることは2度あると昔の人は言ってましたから。。。 うふふふふふ。。。

僕は、小百合さんが 1度で懲(こ)りて 2度と小包を送らないと思っていましたからねぇ~。。。

それで、上の手紙と「かねつき堂」が関係あるのですか?

あるのですよ。 小百合さんは僕が仙台で暮らしたことがあるのを覚えていて「仙台辛味噌ラーメン」をバレンタインの小包の中に入れたのですよ。 そのラーメンを食べながら、いつか小百合さんと一緒に仙台へ行く機会があったら 旨い“仙台辛味噌ラーメン”を食べさせる店を紹介しようと思ったのですよ。

そのお店ってぇ仙台のどこにあるのですか?

原町にあるのです。


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あらっ。。。 「くるまやラーメン」なら行田市にも支店があるじゃありませんか! ゼリーフライを売っている「かねつき堂」の近くにありますわ。


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『拡大する』


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その通りです。 でもねぇ~、「くるまやラーメン」行田店では“仙台辛味噌ラーメン”は作ってないのです。



つまり、今年の秋、デンマンさんが帰省した時に「かねつき堂」で“おやつ”にゼリーフライを食べたのを思い出して、こうしてタイトルに書き加えたのですか?

そういうことですよ。。。

でも、「かねつき堂」がデンマンさんにとって、何が特別なのですか?

特別と言うほどの事はないのだけれど、上の写真を見て小百合さんは、不思議に思うことがありませんか? 「かねつき堂」の写真をもう一度じっくりと見てください。。。 “鐘つき堂”の鐘がないでしょう!?

言われてみれば、確かに写真の中の鐘楼に鐘がありませんわねぇ~。。。 どこにあるのか、デンマンさんは知っているのですか?

城趾公園内にあるのですよ。


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でも、僕が子供の頃には城趾公園内にはなかった。



どこにあったのですか?

「かねつき堂」のすぐそばにあったのですよ。 今でも本丸跡の北側、国道125号線を隔てて諏訪曲輪の土塁跡が残っています。


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この土塁の上に鐘楼があって、そこに鐘があったのです。 大晦日には108つの除夜の鐘が響いたものですよ。 でも、この鐘は、もともと行田にはなかった。



あらっ。。。 そうなのですか?。。。どこにあったのですか?

江戸時代の桑名藩にあったのですよ。

桑名ってぇ、三重県の桑名ですか?

そうです。

どうして桑名藩にあったのですか?

次のような運命をたどって、行田、つまり、江戸時代の忍藩にやってきたのですよ。

忍の時鐘

忍の時鐘程、幾回も動かされたものは少ないであろう。
この鐘こそ240年の時の流れを体験した唯一のものといえよう。
鐘が歴史を知っているとでも表現したい様な、波乱の運命を背負っている。

松平侯三代忠雅は相続争いの為(白川騒動)に二代忠弘の孫でありながら、11歳で家督相続し白川城より山形城へ、8年間で福山城(広島県)へ、12年間で桑名城へ移封となった。
正徳元年7月(1711年)のことである。
一生涯で遠隔の地を移封になった藩主は少ないであろう。 (略) そして侍従少将となり異例の出世であった。

忠雅は桑名入城を記念し「永保家国」(銘文)を祈り、享保2年(1717年)11月にこの鐘を桑名城内に完成させた。
260年前の事である。

ところが宝暦5年(1755年)1月12日桑名城下町本町から出火、海風にあふられて320軒、居城各門を焼失する大火となってしまった。
この洪鐘も力一杯乱打され、鐘自身も火を受け、ひびが入ってしまった。

父忠雅が誇っていた洪鐘を破損不能にした事を残念とし、宝暦14年(1764年)2月父忠雅の銘文と自分の銘文を入れて、現在ある洪鐘を改鋳した。
鐘を改鋳したからでなく、偶然にも四代は忠刻(ただとき)という名である。
鋳造した冶工は広瀬出雲大掾藤原道次、彫工は藤原儔次で親子であるらしい。
わざわざ書いたのは桑名市に広瀬家の後裔の方がいらっしゃるので、友好都市として敬意を表したいからである。

それから60年、五代目の忠堯(ただたか)の文政6年、突然武州忍へ移封となったのである。


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この鐘も桑名港から海路を渡り、東京湾から利根川を上って酒巻に着き、この地に運ばれたわけである。
そしてここ二階櫓の上に安住し、広い忍沼にその音色を響かせたのである。

六ツ(むつ)と正午の時を報せ、慶応4年(1868年)1月14日大雪の夜、維新の急変の一報を藩士集合と乱打された。
それから5年、明治政府は東京に一番近い親藩である理由で、本年中に忍城の建物等一切の取り壊しを命じて来た。
藩財政は取り壊しをするどころではなかった。
強制入札で借金を棒引きして売りつけ、引きとらせたという。
だから「私の家の門は忍城の木で造った」とか、「家の蔵は忍城のものだそうだ」とかいう人が多い。

この時鐘は二階櫓から降ろされて櫓は取り壊したものの、時鐘の引き取り手がないので、そこに野ざらしにされたままだった。
ところが、“忍城の鐘”の音色がいいのは金がたくさん入っているからだと噂され、イボ(乳頭)を盗む者が出て来てしまった。
今も幾つかないままに昔を物語っている。

明治7年仕方なく東照宮が今の地に移されたので、鐘のみ社務所の前にひと先ずおいて盗難をさけた。
世川農士麿は何としても鐘の響きを聞かせたいと有志をつのり、宅地を提供してそこに今の形のものを造り、昔通りの時を撞いた。
何しろ時計のない時代だから唯一の時を報せるものだったのである。

明治14年1月6日今の中央小学校の地に、埼玉県下最初の洋風二階建ての学校、進修館が新築されたのを機に、その玄関の前に移転した。
それから進修館小学校は移り大正11年、忍高等女学校となり、やはり時の鐘は打ち続けられた。
昭和20年忍高女は進駐軍の病院に接収されたので万一を思い、今の東照宮、諏訪曲輪西端の今の地に移されたのである。

想えば数奇な運命をたどった洪鐘である。
忍城時代ここにあったことを書いておかないと、いつしか昔から東照宮の所にあったと思い込まれてしまう。
多聞櫓、二重櫓の南、白壁の数百米の塀の中、大きな鐘掛松といわれた松の大木の脇の、二階櫓の上から打ち響く鐘の音は広い忍沼を渡り、行田町中はおろか、物の本には“四里四方響く”とさえ書いてある。
16粁四方まではどうかと思うが、風向きでは随分遠くまで聞こえたという。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)



134-138ページ 『行田史跡物語』
著者: 大澤俊吉
1979(昭和54)年12月20日 初版発行
発行所: 歴史図書社



上の本が書かれた1979年には、鐘は東照宮の裏にあったのです。 つまり、諏訪曲輪の土塁の上に鐘楼があって、そこにあったのです。



。。。で、城趾公園ができた時に、現在の場所に移されたのですか?

そうです。

ところで、亀姫はどうなったのですか?

上の本の中に“東照宮”がでてきたけれど、この東照宮にある徳川家康の肖像は、もともと家康の長女の亀姫が持っていたものなのですよ。

行田市の東照宮


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例祭は 4月17日。

祭神は家康公、松平忠明、それから八幡大神が祀られており、大坂夏の陣後の復興に尽力した家康公の長女・亀姫の 4男である松平忠明が、元和3年(1617) 4月、大坂城外の川崎に創建したのがはじまりという。

この川崎東照宮(廃絶)は、2代将軍秀忠により、姉である亀姫に伝えられた家康公の木像を御神体とした。


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又、亀姫は父・家康公の肖像画も頂いており、のちに忠明に伝えられている。

忠明は大和国郡山へと移ると、寛永2年(1625)には大和郡山城内にも社殿を造営して、家康公の肖像を安置したといわれ、以来、藩主・藩士崇敬の社となった。

その後、移封の都度に東照宮は遷座された。

文政6年(1823)、忠明の子孫・松平忠尭(ただたか)は伊勢桑名から忍へと移封するにあたり、忍城内の下荒井の地へ東照宮を勧請した。

社領は、大和郡山当時より100石を受け継ぎ、明治維新まで続くことになるが、その地は埼玉古墳群(さきたまこふんぐん・行田市埼玉)の辺りであったと伝えられている。

又、慶応4年(1868)、鳥羽伏見の戦いの引揚げに際して、時の藩主・松平忠誠は大坂蔵屋敷内の川崎東照宮の御神体であった家康公の木像を、忍東照宮に遷座したと伝えられている。

その後、明治 4年(1871)に藩主が東京に移住したため、忍東照宮は祭祀断絶の危機を迎えるが、旧藩士らにより、同 7年(1874)に下荒井の地より、忍城本丸の一部である諏訪郭内の諏訪神社境内に忍東照宮の本殿を移し、同33年(1900)には藩祖である松平忠明を配祀、現在に至っている。

尚、現在の拝殿は昭和
5年(1930)に造営されたもので、又、亀姫から松平忠明に伝わった、家康公の肖像画(徳川家康画像・県文化)は、現在も忍東照宮にある。


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出典: 『忍東照宮』

(写真はデンマンライブラリーより)



どうして亀姫が家康の肖像を持っていたのですか?



亀姫は家康の長女でもあり、やはり何かと気遣っていたらしい。 嫁いでから久しぶりに会った亀姫に、家康が「何か望む物があったら、何なりと申せ」と言ったらしい。

それで、亀姫は何と答えたのですか?

健気(けなげ)にも、亀姫は「父上とは しばしばお会いすることができないので、どうか肖像画をくださいませ。 そうすれば、父上といつも一緒に居られるような気がいたします」と言ったらしい。

亀姫のその気持ち、何となく分かりますわ。 私は一人っ子で、父には大変可愛がられたので、結婚してからも、父と撮った写真は大切にしていますから。。。

ほおォ~。。。 そうだったのですか? 僕は亀姫の話を聞いた時に、なんだかゴマをすってぇ、あとでもっと高価なものをねだるのではないか?! 僕は、そう思ったのですけどねぇ~。。。

それで、家康は娘の求めに応じて御用画家に自分の肖像画を描かせたのですか?

そうなのです。。。それが行田の東照宮に伝わる肖像画ですよ。 家康には“狸オヤジ”というような悪賢いイメージがあってぇ、現在に伝えられている家康の肖像画は、まさに“狸オヤジ”を想わせるような肖像画が多いのですよ。


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上の家康の肖像も“狸オヤジ”というイメージです。 でも実物は、亀姫に持たせた肖像画のように、それほど悪いイメージではなかったらしい。 家康が生前に描かせた肖像画というのは、行田市の東照宮に伝わっている肖像画だけだということですよ。



つまり、行田の東照宮に伝わっている肖像画が家康にもっとも似ているということですか?

そういうことになりそうです。

でも、御用画家が気を遣って、実物よりも良い男に描いたのではありませんか?

うん、うん、うん。。。 そのような可能性も充分にありますよねぇ~。。。



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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。
そうですわよねぇ~。
御用画家が家康に気に入ってもらいたいために、実物よりも いい男に書いたということは充分にありそうでござ~♪~ますわァ。

誰が見ても“狸ジジイ”のような肖像画を描いたら、絶対に首が飛んでしまいますものねぇ~。。。
あなただって、そう思うでしょう?

ところで、どうして小百合さんが「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?
ご存知でござ~♪~ますか?

実は簡単な事なのですわよう。
小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。
小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。
分からない事ではござ~ませんわ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉



軽井沢のイルミネーション



秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩



とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


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