熱き肌
やわ肌の あつき血汐に ふれも見で さびしからずや 道を説く君
by 与謝野晶子
あれっ。。。めれちゃん!。。。また、すごい短歌を持ち出してきたなァ~。
デンマンさん。。。あんさんは、この短歌がすごいと言わはるのォ~?
だってぇ~、どのように読んでも、上の短歌を詠んだ晶子さんは「余計な事は言わんでぇ、さっさと抱いて欲しいねん!そして、私の肌の内に流れている愛の血潮を感じとって欲しいわァ!」と言うてるのやでぇ~。
あんさんにも分かりはるのォ~?
その辺でコスプレして遊んでおる女子中学生が読んでも分かるやんかァ~。
あんさんも晶子さんの歌を知っていましたのやろう?
うん。。。わても中学生の時に、国語の先生がこの歌を黒板に書いたので、読んだ覚えがあるでぇ~。
そんなら、わたしが書いた次の短歌を読んで、あんさんにもわたしの気持ちが分かりますやろう?
すごいなァ~。。。めれちゃんは、こないな強烈な愛欲の短歌を詠んでいたのやなァ!。。。
あんさん!。。。ちいっとも強烈ではありまへんでぇ~。晶子さんが詠んだ上の短歌は1901(明治34)年に出版された『みだれ髪』という処女歌集に書いてあるねん。
みだれ髪
『みだれ髪』は歌人・与謝野晶子作の処女歌集。
1901年(明治34年)8月15日、東京新詩社と伊藤文友館の共版として発表。
表紙装丁デザインは藤島武二。
女性の恋愛感情を素直に詠んだ斬新な作風は当時賛否両論を巻き起こした。
1973年(昭和48年)に、孫の与謝野馨(後の第74代内閣官房長官)によって主婦の友社から復刊されている。
晶子が雑誌「明星」などに投稿した作品を、与謝野鉄幹の編集で作られた。
発表当時は晶子は鳳姓で、初版本も「鳳晶子」名義である。
『みだれ髪』発刊直後の1901年(明治34年)10月1日、晶子は鉄幹と結婚。与謝野姓を名乗った。
『みだれ髪』の歌の殆どは、鉄幹への強い恋慕の感情が見られる。
「明星」の編集を行っていた鉄幹は晶子の才能を認め、投稿を勧めていた。
晶子も鉄幹の作品に強く引かれる物を感じていた。
1900年(明治33年)8月、関西に来た鉄幹は晶子と出会い、意気投合。
2人で京都に遊ぶ。
既に結婚し、子までなした鉄幹だが、晶子の為、妻と離婚している。
今と違って「家」の意識が強い時代である。
当然非難中傷が2人に振りかかる。
「文壇照魔鏡」なる匿名のゴシップ記事が出まわり裁判沙汰となる。
晶子は周囲の冷淡な目を振り払うかのように彼を想う歌を作り、ついに堺の家を飛び出して鉄幹のもとへ走る。
鉄幹も晶子への想いを受けとめ、歌集『みだれ髪』としてまとめあげたのであった。
人口に膾炙した歌も多く、次の歌が良く知られている。
「その子二十櫛にながるる黒髪の 「清水へ祇園をよぎる桜月夜 「やわ肌のあつき血汐にふれも見で 「むねの清水あふれてつひに濁りけり 「くろ髪の千すじの髪のみだれ髪 「人の子の恋をもとむる唇に
おごりの春のうつくしきかな」
こよひ逢ふ人みなうつくしき」
さびしからずや道を説く君」
君の罪の子我も罪の子」
かつおもひみだれおもいみだるる」
毒ある蜜をわれぬらむ願い」
上の幾つかの歌からでも判るように、あまりにもストレートな恋愛表現は慎ましやかな女性を善しとする当時の道徳観から見て到底受け入れられないものであった。
はたして『みだれ髪』は、次のように徹底的に非難された。
此一書は既に猥行醜態を記したる所多し人心に害あり世教に毒あるものと判定するに憚からざるなり。
(「歌の華」明治34年9月号)
しかし、上田敏は純粋に芸術面から高く評価して次のように評した。
「耳を欹しむる歌集なり。詩に近づきし人の作なり。情熱ある詩人の著なり。唯容態のすこしほのみゆるを憾とし、沈静の欠けたるを瑕となせど、詩壇革新の先駆として、又女性の作として、歓迎すべき価値多し。其調の奇峭と其想の奔放に惘れて、漫に罵倒する者文芸の友にあらず。」
上田敏は、このように保守的な論陣を非難、新しい文学の誕生であると評価した。
こうした騒ぎは大阪の無名の女性歌人を一躍文壇に押し上げ若い読者を魅了し、鉄幹と晶子のゴシップで購買数が落ち込んだ「明星」は逆に売れ出したという。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
100年以上も前の事やなァ~!?
そうですねん。。。晶子さんの“熱い血汐”の短歌が100年以上前に詠まれた事を考えれば、わたしの「くちづけ」の短歌なんてぇ、可愛いものですやん。
わては、そうは思わんでぇ~。
あんさんは浦島太郎さんになってしもうとるねん。
わては、確かに海外生活が長いけれど日本の事については、結構、知っているつもりやでぇ~。
でも、最近の若い女性がどのように愛を求め、愛に対して、いかに行動的になっているのか?あんさんは全く知りまへんやろう?
知っているつもりやけどなァ~。
いいえ。。。あんさんは知りはらへんわァ。
。。。で、どないになってるん?
次のようになってますねん。あんさんも、しっかりと読んで欲しいわァ~。。。
20代カップルの付き合ってから
初エッチまでの期間は?
2010年03月03日
20代の男女がお付き合いを始めてから初エッチするまでの平均期間。
そのもっとも多かった回答は、ともに「1カ月以内」。しかし男性より女性の方が「2週間以内」の各項目で2~3割ほど初エッチまでの期間が短いという結果が出ました。
これはスゴレンがヒトメボと共同で、20代の男女2974名におこなった「付き合ってから初エッチまでの平均期間は?」というアンケートの結果。
<20代男女の結果>
【付き合う前】男性12.0%(女性15.6%)
【1日以内】男性4.6%(女性6.7%)
【1週間以内】男性15.4%(女性16.8%)
【2週間以内】男性8.6%(女性10.8%)
【1カ月以内】男性28.7%(女性22.3%)
【3カ月以内】男性20.4%(女性17.3%)
【6カ月以内】男性5%(女性4.7%)
【1年以内】男性2.4%(女性2.7%)
【1年以上】男性2.8%(女性3.2%)
平均日数 男性67.6日(女性66.6日)
男女ともに初エッチまでの平均期間の多い順は似ており、回答も交際後「1カ月以内」が中心なのです。
ところが、あらあら? 女性の方の期間が「付き合う前」「1日以内」「1週間以内」「2週間以内」の項目でそれぞれ2~3割ほど早い結果となっています。
【調査概要】
調査対象:スゴレン・オトメスゴレン訪問ユーザー
調査時期:2010年1月5日~1月19日
調査方法:インターネット調査
出典: オトメスゴレン
ふ~ん。。。初エッチまで平均で約2ヶ月やなァ。
ふ~ん、じゃありませんがな。あんさんも現在の若い女性の愛と性の実態について、少しは勉強したらどうやのォ~?
あのなァ~、上の記事ならば、わても読んだでぇ~。
マジで。。。?
めれちゃんが信じようとしやへんと思ってぇ、わては、ちゃんとソフトカメラでスクリーンを撮っておいたでぇ。見てみィ~なァ。
あんさんは、ちゃんと記事を読んでいたにもかかわらず、わたしの愛の心をもてあそんではったん?
ん。。。?わてがめれちゃんの愛の心をもてあそんでいたァ~?
そうですやん。。。あんさんとわたしは2004年の7月に初めてネットで出おうたのですやん。
確かに、そのとおりやァ。。。それが、どないしたと、めれちゃんは言うのやァ?
かれこれ丸6年になりますのやでぇ~。
つまり。。。、つまり。。。、初エッチまでの期間が長すぎると、めれちゃんは苦情を言うつもりなんかァ~?
アホらしくて、そのような質問に答えられますかいなァ!んもお~~。
あのなァ~、その事なら、わてはすでにめれちゃんに言うたやないかいなァ。
何てぇ~。。。?
もう、忘れてしもうたのかァ~?次のように小泉先生の興味深い記事を紹介したやないかいな。もう一度じっくりと読んでみィ~なァ。
40年も寝かせた熟酢(なれずし)
熊野地方の秋刀魚の熟酢(なれずし)
中国の歴史の中でも最も古い伝統食品といえば何と申しましても熟酢(なれずし)であります。
魚や肉を飯(めし)と共に甕(かめ)に漬け込んで醗酵させてから食べるもので、日本では近江(おうみ;滋賀県)の鮒酢(ふなずし)が有名です。
強烈な匂いが印象的であります。
通常、日本の熟酢は漬け込んでから半年ぐらいしてから食べますが、中国では1年とか2年ぐらい経ったものを食します。
ところが、広西チュワン族自治区三江県程陽村の村長さんの家で出合いました鯉(こい)の熟酢は、漬け込んでからなんと40年目のものでありました。
どうして40年前に漬けられたものであるかを知ったかといいますと、チュワン族は長男が誕生すると必ず鯉の熟酢を大きな甕に何十匹も漬け込んで保存しておき、たとえば成人になった祝いの日とか結婚式とかといった目出度い人生の節目には、甕から1匹、2匹と取り出して、その祝いの席で振舞うのが習わしであります。
私が訪ねたその村長宅では、日本から珍客がやって来たというので、当年とって40歳になる長男が、40年の年月を経た鯉の熟酢を甕から出してきて、ご馳走してくれたのでありました。
その悠久の熟酢に包丁を入れますと、かなり硬かったのでありますが、味は超硬質のチーズを食べるような感覚で大層美味でありました。
またその時、同時に10年前に漬け込んだという豚肉の熟酢も出されましたが、こちらの方も濃いうま味の中に乳酸菌による醗酵で出ました酸味が快く、こちらの方も美味でございました。
この様子は1998年3月にNHK衛星第2テレビ『すばらしき地球の旅---発酵食品のルーツを探る』で放送され大きな話題を呼びました。
260-261ページ
『アジア怪食紀行』
著者: 小泉武夫
2001年4月30日第一刷発行
発行所: 株式会社徳間書店
『愛の可能性を信じて…』に掲載
(2010年2月26日)
あんさんは、また40年ものの「鯉の熟酢」を持ち出してきて“恋の熟酢”とシャレてぇ、恋を40年も熟成させるべきやと言わはるのォ~?
いや。。。40年は、どう考えてもオーバーやなァ。うへへへへへ。。。でもなァ~、せめて10年ぐらいは恋を熟成させる必要があると、わては思うてるねん。
つまり、初エッチする前に10年ぐらい恋を熟成させる必要があると、あんさんは主張しやはるのォ~?
そやかてぇ、小泉先生も言うているのやでぇ~。
何てぇ~。。。?
次のように言うてるがなァ~。。。
10年前に漬け込んだという 豚肉の熟酢も出されましたが、 こちらの方も濃いうま味の中に 乳酸菌による醗酵で出ました 酸味が快く、こちらの方も 美味でございました
分かるやろう?10年熟成させると、濃いうま味が出て、酸味も快く、美味になるのやでぇ~。
つまり、恋も10年ぐらい熟成させると、濃いうま味が出て、初エッチがとっても素敵なものになると、あんさんは言わはるのォ~?
うへへへへへ。。。あきまへんか?
デンマンさん!。。。あんさんは、マジで、そのような、しょうもない事を信じているのォ~?
信じては、あきまへんかァ~?
あっか~♪~ん!。。。あんさん!。。。冗談もいい加減にしいやあああァ~。。。
わては、結構、真面目に信じているのやでぇ~。
何をぬかしてけつかんねん!。。。戦前ならば、まだしも、付きおうてから初エッチまで約2ヶ月になった現在、10年間、恋を熟成させてから事に及ぶなんて、時代錯誤もはなはだしいねん。
あのなァ~、めれちゃん。。。時代の流れに押し流されたらあかんでぇ~。。。人間は動物とは違うのやから、自分の信念に素直に生きるのが一番なんやでぇ~。
あんさんは、そないな道学者のような事を言うから、晶子さんが上の歌を詠んだのですやん。
やわ肌の あつき血汐に ふれも見で さびしからずや 道を説く君
あんさんは、わたしに道を説いているのですがなァ~。。。あんさんは、まるで明治時代に戻ってしもうたように古めかしい道徳を持ち出してきよったのですねん。
ちゃうねん。自分の信念に素直に生きる、という事は決して道徳の教えではあらへん。
いづれにしても、わたしの柔肌の熱き血汐に触れもみで、あんさんは理屈をこね回しているだけですやん。
あのなァ~、そう思っているのは、わてだけではないのやでぇ~。
他に誰が、あんさんのようなアホな事をマジで信じていやはるのォ~?
太田さんが次のように書いているのやがなァ~。。。
Demonisch な Mozart という理解はもう古い、と誰かが言っていた。古いか新しいか、という問題ではないであろう。
とにかく、“Don Giovanni (K.527)” の基調は d-moll である。同じく d-moll の “Requiem (K.626)” を引き合いに出す迄もなく、このオペラが、死と隣り合わせになっている官能の表出していることは、確かに感じられる。
それと同時に、この作品は、opera giocoso である。
Opera buffa でも opera seria でもない。
石像の登場などは、まさに、漫画であるけれど、A. Berg が R. Wagner を引用しているように、Wagner は、Mozart のこの部分を引き合いに出したことがあった。
Opera giocoso なるものの曖昧さは、第一幕にある、あの有名な Menuetto を聴いても感知できる。
あの Menuetto は官能の退廃の極致であろう。
私が Kierkegaard の言う、官能の直接性を感じたのは、皮肉にも、この部分に於いてであった。
しかし、私がまだ少年だった頃、この曲の出どころを知らないで、これをヴァイオリンで奏いていたときは、こんな曲の何処に取り柄があるのか、と訝しがったのを憶えている。
次には、オルガン用の、その次にはピアノ用の楽譜を見たり、弾かされたり、この曲が編曲されて種々の本に載っていた、そんな時代もあったのである。
あの平凡な Menuetto が、ひとたび、オペラの中で処を得ると、これ程までに淀んだ雰囲気を表現できるのは驚きであった。
これを、練習用にか、子供に弾かせる、というのは無神経、無教養、無自覚、悪趣味も過ぎていた、と今にして憤りすら感じている。
私は、道学者ではない。そして、ユダヤ教もキリスト教も、元来は、一夫一婦制などを肯定も否定もしていない、と判断している。
それにしても、人類はよくも飽きもせずに、こうした色事を続けるものである。
それを、あるがままに作品として提出する、その意図の根源が demonisch ではなくして何であろう。
要は、男も女もみなこうしたものであるかどうかを認めるかどうかにあろう。
私は、こんなものであろう、と思っているが。
蛇足(コーダ):
諸悪の根源は、やはり、一夫一婦制にある。
そのうちに、ここカナダでは、重婚の禁止は信教の自由に反する、とイスラム教徒が主張しだすのではないか。
いや、それ以前に、それは信教の自由に反する、と言う意味で人権の侵害である。
大体、信教の自由だけではなく、職業の選択の自由すらもなく、不自由な生活を強いられている人間、日本の天皇に側室(複数)を世話しても良いではないか。
そして、皇室からは、相続税をとるべきではない。
彼らは、人間であっても国民ではないからである。
これは、天皇制を維持するのであれば、を前提としての話である。
【デンマン注:】
Kierkegaard:
キルケゴール (デンマークの哲学者)
A. Berg:
アルバン・ベルク (オーストリアの作曲家)
R. Wagner:
リヒャルト・ワーグナー (ドイツの作曲家)
d-moll: 二短調 (D minor)
Menuetto: メヌエット
(英: minuet、独: Menuett、仏: menuet、伊: minuetto)
ヨーロッパの舞曲のひとつ。
4分の3拍子で、各小節の1拍目にアクセントが置かれる。
比較的ゆったりとしたリズムで、小刻みな足どりで優雅に踊られる宮廷舞踊である。
フランスの民俗舞踊に由来する。
バロック時代に独立した楽曲として、また、組曲の1曲として数多く作曲された後、交響曲やソナタの楽章(普通は第3楽章)に取り入れられた。
「メヌエット」とは細歩という意味。
フランス語のムニュ(小さいという意味)ということばからついた名まえと言われる。
楽譜には menuetto と綴られる。
改行を加え読み易くしました。強調のため青字と赤字にしたのはデンマンです。アルバムのカバーを貼り付けたのもデンマンです。あしからず。
45ページ
Wolfgang Amadeus Mozart
(1756 - 1791)
『間奏曲集 (主題なき変奏)』 作品2
著者: 太田将宏
初版: 1994年1月 改定: 2006年6月
太田さんの文章を引用して、あんさんは何が言いたいん?
つまり、20代のカップルが付き合い始めてから初エッチするまでの期間が約2ヶ月である、というようなアンケート調査を見れば、太田さんは間違いなく次のように言うのですよう。
それにしても、人類は よくも飽きもせずに、 こうした色事を続けるものである。
それを、あるがままに作品として 提出する、その意図の根源が demonisch(悪魔的)ではなくして 何であろう。
要は、男も女も みなこうしたものであるかどうか を認めるかどうかにあろう。 私は、こんなものであろう、 と思っているが。
それで、あんさんは太田さんの意見に全面的に賛成しやはるの?
いや、全面的に賛成するわけではあらへん。
。。。で、どういうところが違いはるの?
それを話す前に、『ドン・ジョヴァンニ (Don Giovanni)』が、どういうものか知らない人も居るだろうから、『ウィキペディア』の説明を、ここに要約して書き出すわァ。
ドン・ジョヴァンニ
『ドン・ジョヴァンニ (Don Giovanni)』は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが1787年に作曲したオペラ・ブッファ(あるいはドラマ・ジョコーソ)である。
初演は、作曲を依頼したプラハのエステート劇場で同年10月29日にモーツァルト自身の指揮で行われた。
また、ウィーンでの初演は1788年5月7日であった。
台本は『フィガロ』に引き続きロレンツォ・ダ・ポンテによった。
ドン・ジョヴァンニはスペインの伝説の放蕩者ドン・ファンの物語の主人公である。
もっとも古い作品はティルソ・デ・モリナ(1630年)といわれるが、ダ・ポンテはオペラ化するにあたり、同時代のベルターティの先行作『ドン・ジョヴァンニまたは石の客』(1787年)やモリエールの『ドン・ジュアン』(1665年)を参考にしたものと思われる。
特に、ドンナ・エルヴィーラはモリエールの創作と思われ、この作品からの影響は明らかである。
モーツァルトは、この作品を「ドラマ・ジョコーソ」と呼んだ。
ドラマが正調の悲劇を表すのに対しジョコーソは喜劇的の意味であり、作曲者がこの作品に悲喜劇両方の要素を込めたと解釈する研究者もいる一方、単に喜劇の意味であるとする解釈もある。
このような議論が生ずる理由の一つは、第2幕の最後に置かれたドン・ジョヴァンニの地獄落ちに至る場面の強烈な音楽や、執拗に彼を追いかけるエルヴィーラの行動と彼女に与えられた音楽に、通常のオペラ・ブッファらしからぬ悲劇性を感じ取ることができるからであろう。
演奏時間は第1幕90分、第2幕80分で、合計約2時間50分
登場人物
ドン・ジョヴァンニ Don Giovanni(バリトン)
女たらしの貴族。従者のレポレッロの記録によると、スペインですでに1003人の女性と関係を持ったという。
レポレッロ Leporello(バス)
ジョヴァンニの従者。
ドンナ・アンナ Donna Anna(ソプラノ)
騎士長の娘でオッターヴィオの許嫁。
騎士団管区長 Il Commendatore(バス)
アンナの父。娘を救おうとしてジョヴァンニに殺されるが、石像として彼に悔い改めるよう迫る。
ドン・オッターヴィオ Don Ottavio(テノール)
アンナの許婚。
ドンナ・エルヴィーラ Donna Elvira(ソプラノ)
かつてジョヴァンニに誘惑され、その後捨てられたブルゴスの女性。始終ジョヴァンニを追い回し、彼を改心させようと試みる。
ツェルリーナ Zerlina(イタリア語の発音ではゼルリーナ)(ソプラノ)
村娘でマゼットの新婦
マゼット Masetto(バス)
農夫。ツェルリーナの新郎
あらすじ
第1幕
幕が開く。時間は明け方。場面はセビーリャ市内、騎士長の邸宅の前で、従者レポレッロはこんな主人に仕える仕事はいやだとぼやいている。
ドン・ジョヴァンニはドンナ・アンナの部屋に忍び込んだが、彼女に騒がれ逃げようとした。
そこへ騎士長が登場し、ジョヴァンニに斬りかかるが逆に殺される。
騎士長宅から逃れたジョヴァンニがレポレッロを見つけたところで、昔棄てた女のドンナ・エルヴィーラに見つかってしまう。
しかしジョヴァンニはその場をレポレッロに任せて去る。
残されたレポレッロはエルヴィーラに
「旦那に泣かされたのはあんただけじゃないよ。イタリアでは640人、ドイツでは231人、しかしここスペインでは何と1003人だ。」
と有名な「恋人のカタログの歌」を歌って慰めたつもりになっている。
あきれてエルヴィーラは去る。
場面が変わり、マゼットとツェルリーナの新郎新婦が村の若者とともに登場し、結婚の喜びを歌っているところにドン・ジョヴァンニが現れる。
早速ツェルリーナに目をつけた彼は皆を自宅に招待して喜ばせる。
しかしツェルリーナを自らエスコートしようとするので、マゼットは拒む。
ツェルリーナが大丈夫だといい、ジョヴァンニが剣をちらつかせるので、「わかりましたよ旦那」としぶしぶ引き、妻に皮肉をいって去る。
思わぬ展開に半べその彼女を早速ドン・ジョヴァンニが口説く「お手をどうぞ」のデュオ。
ツェルリーナはあっけなく彼に手を取られて屋敷に向かおうとするが、そこに再び現れたエルヴィーラが彼女を連れ去る。
「今日はついてないな」とぼやくジョヴァンニの前にオッターヴィオとアンナが登場する。
ますますまずい。
しかし彼女は今朝忍び込んで父親を殺した者がジョヴァンニだとは気づいていない。
適当にごまかしてその場を去るが、彼の別れ際のひとことを聞いて、アンナは今朝の男が彼だと気づく。
オッターヴィオはまだ信じられない。
ここで恋人を慰めるアリアを歌う。
場面は変わってドン・ジョヴァンニの屋敷。
彼は招待客に酒や料理を振る舞い、「皆で元気に酒を飲め、おれはその間にカタログの名前を増やすのだ」という「シャンペン・アリア」を豪快に歌う。
再びマゼットとツェルリーナが登場。
マゼットは新婦が軽薄で浮気者だと怒っている。
新婦は「ぶってよ私のマゼット」と下手に出て機嫌を取るので、単純なマゼットはすぐに機嫌を直す。
そこにエルヴィーラ、アンナ、オッターヴィオが仮面をつけてやってくる。
みんなでダンスをしているとジョヴァンニはツェルリーナを別室に連れて行く。
大声をあげる彼女。
それをきっかけに3人は仮面を脱ぎ捨て、ドン・ジョヴァンニを告発する。
彼はレポレッロを犯人に仕立ててごまかそうとするが、もはや誰もだまされない。
大混乱の内に隙をみてジョヴァンニ・レポレッロとも逃げ出し、第1の幕が降りる。
第2幕
夕方。レポレッロが主人にぼやいている。
「もうこんな仕事はいやだ、お暇をもらいたい」というのだが、最終的には金をもらって慰留されてしまう。
さて今夜のジョヴァンニはエルヴィーラの女中を狙っている。
強引に衣服を取り替えたレポレッロをエルヴィーラの家の前に立たせ、隠れていかにも反省したような嘘をつく。
騙された彼女を変装したレポレッロに、どこかに連れ出させてしまうと、彼女の部屋の窓の下でセレナードを歌う(「窓辺に出でよ」)。
そこにマゼットが村の若い衆とともに登場する。
みんな棍棒などをもち、これからドン・ジョヴァンニを捕らえて懲らしめるのだという。
これを聞いたジョヴァンニはレポレッロの振りをして皆をあちこちに散開させ、自分とマゼットだけになると、棍棒でマゼットを打ち据えて去る。
痛がるマゼットのもとにツェルリーナがやってきて、「そんな痛みはこの私が直してあげるわ」といって慰める。
マゼットの手をとって自分の胸にあて、すっかりその気になって痛みも忘れた新郎といそいそとその場を去る。
さて、エルヴィーラと思わぬデートをする羽目になったレポレッロは、何とかごまかして彼女から離れようとしたが、運悪くアンナとオッターヴィオと出くわしてしまう。
逃げようとするとマゼットとツェルリーナとも出会ってしまう。
彼がドン・ジョヴァンニだと思っている4人は彼を殺そうとするが、エルヴィーラが現れて命乞いをする。
4人は驚くが許そうとしない。
しかし、レポレッロがついに正体を明かすので呆れる。
レポレッロは平謝りしながら隙をみて逃げ出す。
真夜中の2時、墓場でレポレッロと落ち合ったドン・ジョヴァンニに対し騎士長の石像が突如口をきく。
恐れおののくレポレッロと対照的に、ジョヴァンニが石像を食事に招待するというと、石像はそれを承知する。
ドン・ジョヴァンニは早速屋敷で食事の支度を始める。
楽士が流行の音楽を演奏している。
晩餐が始まり、ジョヴァンニは旺盛な食欲を見せてレポレッロに呆れられる。
ジョヴァンニが摘まみ食いしているレポレッロをからかっているところにエルヴィーラが登場し、生き方を変えてと懇願する。
しかしジョヴァンニがまともに相手にしないので、彼女は諦めて去ろうとする。
突然、玄関で悲鳴を上げた彼女は別な出口から逃げ去る。
何事かとレポレッロが見に行くとやはり悲鳴を上げて戻ってきた。
騎士長の石像が約束どおりやってきたのである。
石像はジョヴァンニの手を捕まえ、「悔い改めよ、生き方を変えろ」と迫る。
初めて恐怖を感じながらも執拗に拒否するドン・ジョヴァンニ。
ついに「もう時間が無い」といって石像が消えると地獄の戸が開き、ジョヴァンニを引きずり込む。
そこへエルヴィーラ・アンナ・オッターヴィオにマゼットとツェルリーナが登場する。
しかしレポレッロの説明を聞き、彼が地獄に落ちたことを知る。
アンナは悪人であるドン・ジョバンニのために一年の喪に服すといい、オッターヴィオも従う。
エルヴィーラは愛するドンジョバンニのために修道院で余生を送るという。
マゼットとツェルリーナは家にもどってようやく落ち着いて新婚生活を始めようとする。
レポレッロはもっといい主人を見つけようという。
一同、悪事をなす者のなれの果てはこうだと歌い、幕となる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
。。。で、あんさんは太田さんとどこが違うと言わはるのォ~?
太田さんは次のように言うてるねん。
それを、あるがままに作品として 提出する、その意図の根源が demonisch(悪魔的)ではなくして 何であろう。
それで、あんさんは、どうだと言うのォ~?
わては、太田さんの言うように色事があるがままに『ドン・ジョヴァンニ』の中で作品化されているとは思わないのや。
つまり、充分にフィクション化されていると言わはるの?
そうやァ。。。太田さんが「石像の登場などは、まさに、漫画である」と書いているけれど、その漫画化のゆえに、『ドン・ジョヴァンニ』は充分にフィクションになっている。
それで。。。?
めれちゃんの『極私的詩集』にコメントを付けた岩下さんは、次のように書いていた。
新しい才能を直感
つまり寂寥感なんですね。
孤独なんですね。
詩は、でも癒してはくれません。
孤独を際立たせるだけです。
他者に訴えるには、それなりのフィクションが必要です。
虚実皮膜の間でしか芸術はありません。
こどくな心情を吐露して、
自分の死にたがっていることを、主張しても、
他人は喜びません。
文学も詩も所詮エンタメですから、
多くの視聴者を得るしかありません。
それ以外は自慰行為です。
孤独な詩は、孤独な死であり、
表現はエンタメ、それほど自分を貶めたくない、
芸人になりたくないのなら、自慰行為をつづけるしかありません。
小説家や詩人にたくさん会いましたが、
彼らは自分を売る芸人でした。
それが悪いとはいいませんが、
それをしたくない人間はブログしかありません。
どこかでだれかが、こころの叫びをきいているかも、
というパーソナルな、しかしみえないつながりしかありません。
でもマスコミのように汚れていない、
ミニコミは、これからの芸術かもしれません。
ネットサーフィンしてたら、
たまたま新しい才能を直感したので、コメントしました。
ブログのタイトルが変わっても、本質はおなじです。
がんばってください。応援します。
岩下俊三
July 30, 2009 17:00
『「極私的詩集」 極私的詩集にチェーンジ!』の
コメント欄より
『美しい愛のコラボ』に掲載
(2009年11月26日)
岩下さんのコメントがどうだと、あんさんは言わはるのォ~?
まさに岩下さんが言った通りだと、わては思うねん。
どういうこと。。。?
つまり、漫画的な要素が無かったら、『ドン・ジョヴァンニ』は、太田さんが言うdemonisch(悪魔的)な面ばかりが強調されてしまう。要するに私小説的な嫌らしさだけが残ってしまう。
それで、あんさんは何が言いたいねん?
『ドン・ジョヴァンニ』は、見方によれば勧善懲悪の物語になっている。
どういう訳で。。。?
最後に次のように書いてある。
一同、悪事をなす者のなれの果ては こうだと歌い、幕となる。
それが『ドン・ジョヴァンニ』のテーマやのォ~?
いや。。。それは見る人によって違うと思うでぇ~。はっきり言える事は、『ドン・ジョヴァンニ』は当時の素晴らしいエンタメになっている。テーマは見る人が自分で考えればいいことやん。楽しければ、それでいいという人だってたくさん居ると思うでぇ~。
それだけの事を言うために、あんさんは、長々といろいろなものを引用しやはったん?
もちろん、違うがなァ。
。。。で、いったい何が言いたいねん?
あのなァ~、与謝野晶子は次のように詠(うた)った。
やわ肌の あつき血汐に ふれも見で さびしからずや 道を説く君
by 与謝野晶子
それが、どうやと、あんさんは言わはるのォ~?
晶子の思いは、当然、鉄幹に向けられたものだった。
それで。。。?
鉄幹は晶子の才能を認め、投稿を勧めた。晶子も鉄幹の作品に強く引かれる物を感じていた。1900年(明治33年)8月、関西に来た鉄幹は晶子と出会い、意気投合。2人で京都に遊ぶ。
でも、わたしとあんさんの現実世界での熱い出会いは、まだないねん。
ネットで何度も何度も逢ってるやないかいなァ~。
でも、それは逢っているうちに、はいらへん。
その話は、一応脇に置いといてぇ。。。あのなァ~、鉄幹は、すでに結婚しており、子までなしていた。でも、晶子のため、妻と離婚した。今と違って「家」の意識が強い時代だったから、当然、非難中傷が2人に振りかかった。
どのように。。。?
今で言えば、2ちゃんねるのような「文壇照魔鏡」なる匿名のゴシップ記事が出まわったのや。それで、裁判沙汰になった。でも、晶子は周囲の冷淡な目を振り払うかのように彼を想う歌を作り、ついに堺の家を飛び出して鉄幹のもとへ走った。
。。。で、鉄幹さんは?
鉄幹も晶子の熱い思いを受けとめ、歌集『みだれ髪』としてまとめあげた。。。つまり、“愛のコラボ”やがなァ。
あんさんは、この“愛のコラボ”が言いたかったん?
いや。。。ちゃうがなァ。
だから、何が言いたいねん?。。。じれったいなァ~、んもお~~。
あのなァ~、めれちゃんは次のように詠んだ。
くちづけ
罪深き ことと知りつつ この夜も きみのくちづけ もとめて止まぬ
by めれんげ
鉄幹が晶子の才能を認めたように、わては、めれちゃんのたくさんの作品の中に、きらめく才能を認めたのやがな。上の短歌は、その一つやでぇ~。
それが、どうやと、あんさんは言わはるのォ~?
だから、めれちゃんが平成の小野小町になって、わてが平成の文屋康秀(ふんやのやすひで)になって“愛のコラボ”で協力し合って、『即興の詩』と『極私的詩集』を盛り立ててゆくのやがなァ~。
そのような事を言うたら、日本語が分かる世界のネット市民の皆様に、また、あんさんは笑われますのやでぇ~。
あのなァ~、人生はたったの一度なんやァ。
だから。。。?
だから、阿波踊りの文句じゃないけれど。。。
えらいやっちゃ♪、えらいこっちゃ♪、
よいよいよいよいィ~♪~
踊るアホ~にィ♪、見るアホ~♪
同じアホなら踊りゃにゃソン損~♪~
えらいやっちゃ♪、えらいこっちゃ♪、
よいよいよいよいィ~♪~
『平成の小野小町』より
(2009年10月3日)
あんさんは、この事が言いたかったのォ~?
そうや、同じアホなら踊りゃにゃ損と言う事やァ。そう言う訳で一生懸命ブログに“愛のコラボ”の記事を書いているわけやァ~。うしししし。。。
【レンゲの独り言】
ですってぇ~。。。
長々と、いろいろな文章を引用してきて、最後がこれですってぇ~。。。
うふふふふふ。。。
あなたも白けたでしょう?
あたしも白けましたわ。
でも、デンマンさん本人は、あれで、結構真面目なんですわ。
そこがまた、滑稽に見えるのですよね。
あなたも、そう思いませんか?
とにかく、あさっても興味深い話題が続きそうです。
どうか、あなたもまた読みに戻ってきてくださいねぇ。
では。。。
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おほほほほ。。。。 今日はジューンさんに代わって、 あたくしが出てまいりましたわ。 あなたはパソコンの前で一人っきりですか? あたくしは、一人で居ても 寂しく思うことってあまりないのですわよ。 どうしてかって。。。? 一人で居る時には源氏物語を読んで 夢を広げているのですわ。 うふふふふ。。。 かえって、夢が大きく膨らんで楽しいのですわよ。 でも、やっぱり素敵なボーイフレンドが 欲しいですわよね。 あなただって、そう思うときってあるでしょう? 。。。んで、あたくしもブログで 頑張っているのですわよ。 ええっ?ブログをやると、 どういうすばらしことがあるのかって? それはね、デンマンさんのブログを見れば 分かりますわよ。 あなたも、この写真のレンゲさんってぇ 知っているでしょう? レンゲさんのワクワクするような、 ヒヤヒヤするようなお話を読んだぁ~? ん? ま~だなのォ~? ダメよゥ、そいじゃあぁ~ 次のリンクをクリックして 読んでごらんなさいよう。 面白いからぜひ読んでね。 このレンゲさんは、実はデンマンさんが ネットで出会った女性なのですわよ。 デンマンさんが6年程前にネットで出会って、 それ以来、お二人はラブラブなんですのよう。 あなたがまだ、その記事を読んでいないのだったら、 ぜひ読んでね。 つまりね、ブログを書くと、 そのような出会いもあるという事なのよォ~。 だから、あたくしもブログを始めようと 思ったのでござ~♪~ますのよ。 ええっ?それは不純な動機だとおっしゃるのですか? 何を言ってんのよォ~~。んもお~~ 不純であろうが、なんであろうが、 あたくしはボーイフレンドが 欲しいのでござ~♪~ますわよゥ。 。。。そいでもって、ネットでデンマンさんのような すばらしい殿方との出会いがあるのならば、 これ以上の幸せは無いのでござ~♪~ますのよ。 うふふふふふ。。。。 お分かりですかぁ~~? あたくしだって、こうしてラブラブに 萌えたいのでござ~♪~ますわよゥ~~。 うしししし。。。。 ええっ?でも、そうゆうのは 不純だと言うのですかぁ~? あなたは、まだ、そのような下らないことに、 こだわっているのですかあ~? んもお~~ 不純だろうが、なんであろうが、 結果としてデンマンさんのような すばらしい殿方と出会えて、 上のようにラブラブになって 萌えることが出来たなら、 これ以上の幸せは無いので ござ~♪~ますわよ。でしょう? どうなのよ。。。?あなた。。。? このように萌え萌えになったことがあるのォ~? ないでしょう? だから、ブログを始めるのよおゥ~~ 今度は分かったでしょう? 分かって頂戴よ?んも~~!! うへへへへ。。。。 そう言う訳なのよゥ~。 だから、わりィ~事は言わないから、 あなたも騙されたと思って 次のリンクをクリックして 今から始めるのよ!ねっ? お願いよゥ~ うしししし。。。 頼むわよねぇ~。うへへへへ。。。。 あなたはいい子だから絶対に ブログを始めてくれるわよねぇ~♪~? ええっ? そんなことはどうでもいいから、 何か面白い事を話せっつんですかあああァ~♪~ 貴方は、あたくしのお願いを 聞いてくれないのですかぁ~? ええっ? 聞いてあげるから、面白いことを話せと あなたはあたくしに強要するのですかァ~? いやなお方ぁああぁ~~~ 分かりましたわ。 どうよ、これ。。。? この女の子、パンツに噛み付かれているのよ。 笑えるでしょう? あなたも、もっと笑って楽しい気分にならない? 次のリンクをクリックして覗いてみてね。 ダメよ!生返事だけして この場を誤魔化そうとしちゃぁあああ~~ 絶対見てよねぇ。 貴方が面白い話をしてって、 強要したのですからねぇ~。 見ないとダメよォ~ おほほほほ。。。。 とにかく、今日も一日楽しく愉快に ネットサーフィンしましょうね。 じゃあね。バーィ
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