2011年7月9日土曜日

冷し中華と思い出堂

 
冷し中華と思い出堂






梅雨のころになると、いよいよ違和感たっぷりの一行が登場する。
「冷し中華はじめました」
純喫茶にまるで似合わない貼り紙が、店のまえのガラスケースに一枚、店内の壁にも一枚。 季節の到来だ。
(夏がやってくる!)
けれども、一度も食べたことはない。 隣のテーブルでおじさんやおばさんや近所のこどもが食べているのを何度となく目にしてきたから、すっかり食べたことがある気になっているのだ。 それは冷し中華の基本のような端然としたたたずまいである。
きゅうり。 ハム。 錦糸卵。 トマト。 紅しょうが。 練り辛子。

 (中略)

いっぽう、季節を待たずに1年中食べられる冷し中華もある。 季節感が薄いとか冬に食べておいしいのかとか、そういう問題ではすでにない。 なにしろ昭和8年に誕生した元祖の名も誉れ高い冷し中華は、店の大名物である。 わざわざ目当てにいらっしゃるお客さまにもぜひ召し上がっていただきたいからという、もてなしのひと品なのだ。





神田神保町「三省堂」の脇を入って進むと、すずらん通り沿いに一軒の上海料理店がある。



間口は狭いが、縦に細長く5階建て。 創業明治39年、「揚子江菜館」である。 自他共に「元祖」を謳う冷し中華は、正式名を「五色冷拌麺」 1470円。 たじろぐお値段だ。



   「五色冷拌麺」

となり町の純喫茶の冷し中華なら例年650円からいっこうに動かないが、それと較べれば倍以上の堂々たる超高級価格である。 けれども、この味がときおりなつかしい。 「揚子江菜館」の冷し中華は、時代が変わってもいつまでも健在であってほしいと願わずにいられない、そんなけなげな味なのだ。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)




64 - 65ページ
『焼き餃子と名画座』
著者: 平松洋子
2009年10月13日
発行所: 株式会社アスペクト




デンマンさんは冷し中華が好物なのですか?



好きですねぇ~。。。やっぱり夏には、なくてはならない食べ物ですよ!

「揚子江菜館」の「五色冷拌麺」がデンマンさんの大好物なのですか?

いや。。。残念ながら僕はまだ「揚子江菜館」で「五色冷拌麺」を食べたことがない。

それなのに、どうして1470円もする冷し中華を取り上げたのですか?

自他共に認める「冷し中華」の「元祖」というのを読んで興味が湧いたのですよ。 昭和8年に「冷し中華」が誕生したというけれど、僕は明治の頃からあるものとばっかり思っていましたよ。 文明開化で牛鍋(ぎゅうなべ)や牛肉が入ったスキヤキを食べるようになったのだから「冷し中華」が中国から入っていたとしても当然だと思っていたのですよ。 小百合さんはどうですか?

そうですわね。。。私も明治時代には「冷し中華」があったと思っていましたわ。。。で、デンマンさんはバンクーバーでも冷し中華を作って食べるのですか?

いや。。。カナダでは今までに自分で作って冷し中華を食べたことはないのですよ。

どうして。。。?

冷し中華を食べたいほど暑くならないし。。。なんとなく場違いな気がして、これまで特にバンクーバーで食べたいと思ったことがないのですよ。

チャイナタウンに行けば食べられるのでしょう?

もちろん、日本の「冷し中華」のようなものがあるでしょうね。 でも、カナダで「冷し中華」のようなものを食べたことがない。

どうして。。。?

日本のように蒸し暑くならないからだと思いますよ。 なぜか「冷し中華」が食べたいという気持ちにならない。

そういうものですか?

僕が子供の頃、真夏になるとお袋が冷し中華を作ってくれたのですよ。 レストランで冷し中華を食べた記憶がない。 僕の冷し中華の味はお袋の味なのですよ。



きゅうり。 ハム。 錦糸卵。

トマト。 紅しょうが。 練り辛子。




こういう写真を見ると無性に食べたくなってきますよ。



自分で作るのが面倒であればチャイナタウンへ行って食べればいいではありませんか?

あのねぇ~、でも、バンクーバーの夏は日本の夏と較べると、ちょっと涼しい。 僕はもともと冷たい食べ物は遠慮するほうなのですよ。

だったらお寿司も冷たいではありませんか!

だから、僕は一人で食べる時にはお寿司を食べることはないのですよ。 当然一人で寿司屋に行ったこともない。

つまり、真夏の汗がダラダラたれるときじゃないと、デンマンさんは「冷し中華」を食べる気にならないのですか?

その通りですよ。 生暖かい日に冷し中華を食べても旨くない。 冷し中華を食べる時にはミンミンゼミがギャーギャー、ジージー、ミーン、ミーン鳴いていないとイマイチ食べる気がしない。。。汗がダラダラたれている時が一番旨いのですよ。

デンマンさんは先入観にとらわれすぎているようですわね。

でも、僕にとって「冷し中華」って、そういう食べ物だったのですよ。 冷房が効いたレストランで食べるものではなかった。

。。。で、タイトルの「思い出堂」って何ですの?

「三省堂」のことですよ。

「三省堂」がデンマンさんにとって特別な意味があるのですか?

そうなのですよ。 僕が初めて三省堂本店を訪れたのは忘れもしません高校1年生になった夏ですよ。

また、どうして、そのような事をはっきりと覚えているのですか?

あのねぇ、僕にとって「三省堂」というのは「文化の香り」や「高尚な気分」を感じさせるところだったのですよ。

どういうわけで。。。?

埼玉県行田市にある行田中学校の2年生の時のクラスメートに島澤さんという女の子がいたのですよ。 その子がしばしば単行本を読んでいた。 彼女はその単行本をきまって三省堂の包み紙でカバーをして読んでいた。

その三省堂の包み紙がデンマンさんに「文化の香り」や「高尚な気分」を感じさせたのですか?

そうなのですよ。

でも、どうして包み紙が。。。?

あのねぇ、話せば長いのだけれど、彼女のお父さんは行田市の市会議員などをしていて、昔は足袋工場などを経営していたようで、かなり金持ちで文化の高い生活をしていたのですよ。

つまり、デンマンさんが小学生の頃垣間見たハイカラな上流社会に育った女の子だったのですわね?

そうなのですよ。 このことで、かつて卑弥子さんと話したことがあるのですよ。 小百合さんのことも出てくるので、ちょっと読んでみてくださいね。


 
上流社会





今日は上流社会についてお話なさるのでござ~♪~ますか?



そうですよう。でもねぇ、僕は上流社会だとか下層社会だとか。。。そう言うようにレッテルを貼る事は嫌いなのですよう。

どうしてでござ~♪~ますか?デンマンさんは下層社会に生まれて育ったので、上流社会に対して嫉(そね)みとか、妬(ねた)みを感じているのでござ~♪~ますか?

ほらねぇ~。。。十二単を着ていると、そのような事を言うのですよねぇ~。。。僕はそのように言われるのが一番イヤなのですよう。

つまり、あたくしが本当の事を申し上げたので、デンマンさんは頭に来て、ムカついているのでござ~♪~ますわね?

ますます僕の気に障る事を卑弥子さんは、わざと言うのですか?

わざとではござ~♪~ませんわ。あたくしは思ったとおりの事を言っているのでござ~♪~ますう。常日頃からデンマンさんが本音で生きなさいと言っているので、あたくしはデンマンさんの助言どおりに、心に浮かんだ事をズバズバと申し上げているのでござ~♪~ますわ。

心に浮かんだとしても、言わなくていい事まで言う必要は無いのですよう。

でも、上流社会についてデンマンさんがお話になるのですから、あたくしの申し上げている事は決して脇道にそれているとは思いませんわ。

でも、卑弥子さんは、まるで日頃の鬱憤(うっぷん)を晴らすかのように、わざと僕の気持ちを不愉快にさせていますよう。

いいえ、それはデンマンさんの誤解でござ~♪~ますわ。あたくしは『小百合物語』のホステス役としてデンマンさんのお手伝いをしているだけでござ~♪~ますわ。おほほほほ。。。

だったら僕を不愉快にさせるような事を言わずに、今日の話題に沿った事を言ってくださいよう。

分かりましたわ。。。んで、デンマンさんにとって上流社会とは、どのようなものなのでござ~♪~ますか?

実は、僕は思いがけなく、子供の頃に上流社会を垣間見た事があるのですよう。

どのようにして、でござ~♪~ますか?

ちょっと次の写真を見てください。


 


実はねぇ、この写真は僕がコラージュして作ったものですよ。僕が小学校1年生か2年生の頃覗き見た別世界のイメージですよ。



行田ですか?

そうですよ。行田の町は戦前、足袋で知られた町だったのですよ。日本の足袋生産の7割から8割を占めていたと言われたほどです。行田の町を歩くと、どこからとも無く、次のような音が聞こえてくると言うのですよ。




フンジャトッテ、カッチャクッチャ

フンジャトッテ、カッチャクッチャ

フンジャトッテ、カッチャクッチャ






何ですか、これは。。。?



足袋を作る女工さんがミシンを踏む音ですよ。フンジャとは、ミシンを踏んで、トッテとは、給料を貰って、カッチャで、行田のフライを買って、クッチャでフライを食べるわけですよ。それで、ミシンを踏む音がフンジャトッテ、カッチャクッチャと聞こえると言うのですよ。

つまり、“行田のフライ”と言うのは、女工さんのための食べ物だったのでござ~♪~ますか?

調べてみると、どうも、そうらしいのですよう。

。。。んで、上のカッチャクッチャは、デンマンさんが語呂合わせで作ったのですか?

違いますよう。昔から行田で言い伝えられています。ところが太平洋戦争後、アメリカからナイロンの靴下が入ってきて、足袋産業はすっかり落ちぶれてしまった。僕が小学生の頃には足袋を履いて学校へ行く生徒なんて全く居ませんでしたよ。

それで、足袋と白いドレスを着た女性の写真は、一体どのような関係があるのでござ~♪~ますか?

行田の本町(ほんちょう)通りと言うのが町のメインストリートなんですよ。その通りには足袋で財を成した人の大邸宅と工場が建っていた。でも、僕が小学生の頃はほとんどの工場が足袋を作らず、学生服だとか作業衣を作るようになっていた。でも、つぶれてゆく工場が後を絶たなかった。その一つが上の写真ですよ。

つまり、足袋で財を成した人の大きな邸宅があったのですわね?

そうですよ。でも、僕が小学校へ行く道筋にあったその邸宅は、いつも大きな門が閉まっていた。門が開いているのを見たことが無かった。

それで。。。?

いつも大きな門が閉まっていて中が見えない。子供心に、この家の門の中はどのようになっているのだろうか?好奇心が湧いてきたのですよう。

それで、デンマンさんは覗いてみたのでござ~♪~ますか?

そうですよ。がっしりとした大きな門も風雪に晒されてガタが来て隙間ができていました。それで、その隙間から覗いたのですよ。

そうして見たのが上の写真のイメージだったのですか?

そうですよ。びっくりしましたよ。白いドレスを着ている人なんてアメリカ映画でしか見たことが無い。それに晴れているのに白いパラソルなんかさしている。“晴れているのに、なぜ傘をさしているのだろう?” それまで、パラソルをさしている女性を見たことが無かったのですよ。とにかく、幻想的というか、初めて見る夢のような光景に、別世界と言う感じがしたものですよ。白いドレスと、白いテーブルに椅子、日本人離れしたイデタチの女性。僕はフランスに行ったような錯覚に囚われたのですよ。フランスに行けば、おそらくこのような光景を見るに違いない。。。そう思ったものですよ。

それで、なぜ、デンマンさんが小学生の時に見た貴婦人は結婚式でもないのに、結婚式の時に着るような白いドレスを着ていたのですか?

確かに、普段、着るようなものじゃないですよね。





それで、貴婦人は一人っきりで居たのですか?



実は、少なくとも二人居たのですよ。相手は同じ年頃の男の人でしたよ。二人はテーブルに腰掛けてコーヒーか紅茶を飲んでいたのですよ。

他にも人が居たのですか?

テーブルに座っていたのは二人だけでした。でも、ちょっと離れたところに人が居たようにも記憶しているのですよ。

一体何をしていたのでござ~♪~ますか?

だから、僕と小百合さんが白いテーブルに座って大仏を見ながら、いろいろと取り留めの無い話をしていたように、そのカップルもお互いに気心が知れているように気兼ねなく楽しそうに話をしているように見えましたよ。

ただ無駄話をしていただけでしょうか?

なぜ、あのような白いドレスを着て周りの世界とはあまりにもちがった“外国”でお茶を飲みながら談話していたのか?僕にだって、なぜなのか断言できませんよ。想像を膨らませる以外には答えようが無いですね。

デンマンさんはどう思われるのですか?

僕は“最後の晩餐”ならぬ、“最後の茶会”だったのではないだろうか?今、考えてみると、そのように思えるのですよ。つまり、華麗で豊かな時代が終わったのですよ。行田の足袋産業は斜陽化していた。すでに繁栄の時代の終焉は見えていたのですよ。その女性は30代の半ばだったかもしれません。一緒に居た男性は夫だったかも知れません。二人はハネムーンにパリに行ったのかもしれません。





女性は、パリで着たドレスを出してきて身につけたのかもしれませんよ。工場も邸宅も人手に渡ってしまった。それで最後の茶会を夫と二人で楽しんでいたのかもしれません。



でも、その邸宅は、いわば風雨に晒されて朽ち果てるような佇(たたず)まいだったのでござ~♪~ましょう?

そうですよう。工場は操業していなくて、廃業に追い込まれていたようです。大きな門もペンキがはげて、かなり傷(いた)み始めていましたよ。でもねぇ、二人の思い出の中では、真新しい邸宅のままだったかもしれませんよ。

もしかして、その二人は幽霊なのでは。。。?

まさかぁ~。。。僕は学校が終えてから通りがかりに覗いたのだから午後3時半か4時ごろでしたよ。晴れ渡っていて、雲もほとんど無くイイ天気でした。芝生の色が鮮やかに記憶に残っていますよ。第一、幽霊だったら、足が無いでしょう?僕の見たその二人には足がちゃんとありましたよ。だいたい幽霊ならば、晴れ渡った昼下がりに出てきませんよう。

それで。。。男の人はどのような服装をしていたのでござ~♪~ますか?

それが。。。やっぱり普段着ではないのですよ。タキシードのようなパシッと決めた服装をしていましたよ。とにかく、アメリカ映画の中でしか見かけないようなカップルでしたよ。その前にも後にも、行田では見たこと無いような、とびっきりハイカラな格好をしていましたよ。

もしかして、デンマンさんが夢を見て。。。その夢を現実と混同していたのではないですか?

もし夢ならば、20年も30年も記憶に残りませんよ。あの鋳鉄(ちゅうてつ)でできた白いテーブルと白い椅子ね。。。これが、とにかく印象的に僕の脳裏に焼きついたのですよ。

そんなモノがですか?

卑弥子さんは、“そんなモノ”と言うけれど、当時小学生の僕はテレビの『名犬ラッシー』にハマっていたのですよ。庭にある洒落(しゃれ)た鋳鉄製(ちゅうてつせい)の白いテーブルと白い椅子は『名犬ラッシー』の中でしか見たことが無かったのですよ。言わばそれは僕にとってアメリカを象徴しているようなものだった。それが、大きな門の隙間から覗いた向こう側の庭にあった。そこにアメリカを覗き込んだような驚きでしたよ。ショックと言った方が的確かもしれませんよ。それほど衝撃的に小学生だった僕のオツムのスクリーンに焼きついてしまったのですよ。

それほど衝撃的だったのですか?

そうですよ。アメリカは僕にとってテレビの中の世界だった。言わば夢の世界だった。その夢の世界が大きな門の向こう側にあった。僕が知らずに毎日通っていた道の傍らに別世界があったのですよ。

どれぐらい覗いていたのですか?

どんなに長くても5分以上は覗いていませんでしたよ。

カップルが居たのは門からすぐ近くだったのですか?

門から20メートルほど離れていましたね。

デンマンさんが覗いていることは気づかれなかったのですか?

気づいている様子は全く無かったですね。楽しそうに夢中になって会話している様子でしたよ。

今でもその場所はあるのでござ~♪~ますか?

もう、20年近く前にその場所は取り壊されて新しい建物が建っていますよ。

行田のどの辺にあったのでござ~♪~ますか?



本町(ほんちょう)通りにあったのですよ。この上の地図だと125号が本町通りです。僕が小学校の頃の面影はほとんど無くなってしまいました。“徳樹庵(とくじゅあん)”という居酒屋がありますが、ここにあったと思うのですよ。



今は居酒屋になっていますが10年ぐらい前は、この店は洋食屋だった。まだ僕のオヤジが生きていた頃で、僕が帰省した時には家族でこの店に食べに行ったものですよ。タバスコが食卓にあって、オヤジが“こういう物は初めて見るなぁ~”と言って興味深そうにカレーに振りかけて食べていたことがあった。今、思い出しましたよう。





面白いお父さんでしたのね?ところで、小百合さんと一緒にパスタを食べたと言うお店は、上の地図ではどこにあるのでござ~♪~ますの?



大長寺の隣に赤い丸がつけてあるでしょう? ここがパスタの店ですよ。







大仏からすぐ近くでござ~♪~ますの?

すぐですよ。ほんの目と鼻の先ですよ。2007年の11月、この大仏の前に初めて白いテーブルと椅子を見たとき、小学生だった時のあの衝撃が再び僕のオツムに蘇(よみがえ)ったのですよ。




『ローズティーと生八ツ橋』より
 (2010年11月19日)




つまり、その島澤さんという女の子も、上のエピソードに出てくるような白いドレスに身を包んで、パリで生まれ育ったようなハイカラな雰囲気をかもし出していたのですか?



そうなのですよ。 僕は行田でも、どちらかといえば下町の庶民暮らしの中で育った。 大体、単行本を読むなんて柄(がら)じゃなかったのですよ。 それだけに、なぜか島澤さんの存在が気になった。 つまり、僕には小さい頃から海外志向があったのですよ。 パリとかロンドンとかニューヨークといった言葉に妙に惹かれたのです。

でも、「三省堂」はパリとかロンドンとかニューヨークと関係ないじゃありませんか?

だけど、パリで生まれ育ったような島澤さんが三省堂の包み紙でカバーをして単行本を読んでいるのですよ。 要するに連想ですよ。

つまり、島澤さんを介して、デンマンさんのオツムの中で「三省堂」がパリとかロンドンとかニューヨークといったハイカラな雰囲気と結びついたわけなのですわね?

その通りですよ。 それで僕も、そのハイカラな雰囲気を身に着けようとして高校1年生の夏に「三省堂」の本店へ行ってPenguin Booksの単行本、つまり、ペーパーバックのドフトエフスキー原作・英語版の『白痴(Idiot)』を買ってきた。

どうしてドフトエフスキーの『白痴』なのですか? ドフトエフスキーはパリ、ロンドン、ニューヨークとは全く関係ないロシアの作家ではありませんか!

とにかく、日本以外の有名な海外の作家であれば誰でもよかったのですよ。 ドフトエフスキーという有名な作家の名前は僕にとってハイカラな雰囲気と充分に結びついていた。 違和感がなかった。

それで英語で『白痴(Idiot)』を読んだのですか?

夏休みに読むつもりだったのですよ。

それで読みきったのですか?

それがねぇ~。。。とても僕の英語力で読めるような作品ではなかったのですよ。 とにかく、400ページ近くあったと思うのですよ。 普通の単行本を3冊ぐらい合わせたほどの分厚い本だったのです。

でも、高校1年生でそれにチャレンジするなんて、すごいではありませんか!

そうなのですよ。 意気込みだけはすごかったのですよ。 ところが読み始めたのはいいけれど、初めの1ページに知らない単語がズラズラと出てきて訳語をページに書き込んでいたら、やがて、もう足の踏み場もないというようにページが真っ黒になってしまったのですよ。 言葉を逐語訳するだけにエネルギーを使い果たして、段落の意味を理解するだけの気持ちのゆとりもなかった。 5ページか6ページ辞書と首っ引きで訳したら、もう、それ以上読む気がなくなってしまって、ウンザリしてしまったのですよ。

そのまま投げ出してしまったのですか?

高校2年生になれば英語力が格段についているだろうから、「来年の夏休みに読もう」というわけで、本箱の片隅にしまったのです。

それで翌年の夏に読みきったのですか?

それがねぇ~、ウンザリした気持ちがあまりにも強すぎて翌年の夏になってもPenguin Booksの単行本を手に取る気持ちが起こらない。

結局、2度と手に取らなかったのですか?

その通りですよ。 実家の物置小屋の中に埃をかぶったまま今でも眠っていると思うのですよ。

つまり、それ以来、英語版の『白痴(Idiot)』を読んでないのですか?

英語版であろうが日本語版であろうが僕のオツムは『白痴(Idiot)』に拒否反応を示すのですよう。

でも、Charlotte Brontë の "Jane Eyre"を原語で読んでDiane さんと本の内容について英語で意見の交換をしているではありませんか?



"Complicated Love"

(Tues. July 5, 2011)




そうです。 今ならば『白痴(Idiot)』を3日あれば読めますよ。



でも、もう読まないのですか?

あのねぇ~、実はバンクーバーの図書館でDVDを借りて『白痴(Idiot)』を観てしまった。

英語版のDVDですか?

いや、黒澤明監督が作った『白痴(Idiot)』ですよ。


白痴 (The Idiot)



監督: 黒澤明
製作: 小出孝
脚本: 久板栄二郎
出演者: 森雅之、三船敏郎、原節子
配給: 松竹
公開: 1951年5月23日
上映時間: 166分

『白痴』(はくち)は、ドストエフスキーの小説 『白痴』を原作とした日本映画である。
監督は黒澤明で、1951年(昭和26年)に公開された。
原作はロシア文学であるが、本作では舞台が昭和20年代の札幌に置き換えられている。
当初4時間だった作品であるが、松竹の意向で大幅にカットされた。

あらすじ

亀田と赤間は北海道へ帰る青函連絡船の中で出会った。
亀田は沖縄で戦犯として処刑される直前に人違いと判明して釈放されたが、そのときの後遺症で癲癇性の白痴にかかってしまったのだった。
札幌へ帰ってきた亀田は狸小路の写真館のショーウィンドーに飾られていた那須妙子の写真に心奪われる。
しかし彼女は愛人として政治家に囲われていた。

逸話

キネマ旬報で、珍しくベストテンに入らなかった作品。
ドストエフスキーを敬愛する黒澤にとっては、念願の仕事であったと同時にプレッシャーも非常に大きかった。
撮影がなかなか思うように進まず、精神的重圧のあまり近くにあったナイフで手首を切ろうとしたところ、三船敏郎にナイフを取り上げられたという。



原節子(那須妙子役)

(デンマン注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)




出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




黒澤監督が作った『白痴(Idiot)』を観たといっても、映画と小説では違うでしょう?



もちろん違うでしょう。 でもねぇ、大筋で大きな違いがあるはずがないし、大して面白い話ではなかったのですよ。

期待はずれだったのですか?

その通りですよ。 原節子さんが出ているのを知って、かなり期待して観たのだけれど期待はずれでした。

どうして。。。?

小津安二郎監督作品に出ている原さんのイメージがあったから、『白痴(Idiot)』の中の原さんがまるで別人のように感じられたのですよ。

なにも原さんという女優さんにこだわらなくてもよいではありませんか? 物語として楽しめばいいのですわ。

あのねぇ~、あの映画に原さんを起用したのは失敗だったと思いますよ。

どうしてですか?

小津安二郎監督が作った『東京物語』と『晩春』を観て原節子さんの性格女優の素晴らしさを観た後で、黒澤明監督の『白痴』を観るのは、まるで真冬に「冷し中華」を食べさせられたようなウンザリした気分になりましたよ。 消化不良を起こしたのです。 原さんに無理やり嫌な性格を出させたような演出ですよ。 あの役は原さんではなく、京マチコさんがふさわしと僕は思いましたね。

デンマンさんは原節子さんにハマッているのではありませんか?

そうかもしれません。 でもねぇ、黒澤明監督の作品はほとんど好きだけれど、僕にとって『白痴』だけはダメですね。 真冬の冷し中華です。 消化不良を起こすのですよ。 うししししし。。。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ~。。。
なにも『白痴』と「冷し中華」を結びつけることはないのでござ~♪~ますわァ。
「冷し中華」は冬場に食べても、おいしいのですわよ。
だから、「揚子江菜館」では1年中を通して「冷し中華」をメニューの中に入れているのでござ~♪~ますわ。

あなただってぇ、冬場に「冷し中華」を食べたいと思うでしょう?

ええっ。。。? 「冷し中華」は、やっぱり夏場に食べるものだとあなたはおっしゃるのですか?

まああァ~。。。考えてみるまでもなく、食べ物ってぇ、その人によって好き好きでござ~♪~ますからね。
でも、デンマンさんのように冬場に「冷し中華」を食べると消化不良を起こす人もいるのですわ。

とにかく次回も面白くなりそうですう。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ。






ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

ためになる関連記事





■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』



■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


■ 『今すぐに役立つホットな情報』

『夢とロマンの横浜散歩』

『愛とロマンの小包』

『下つきだねって言われて…』



『銀幕の愛』



『パリの空の下で』

『愛の進化論』

『畳の上の水練(2011年3月15日)』

『軍隊のない国(2011年3月21日)』

『アナクロニズム(2011年3月27日)』





こんにちはジューンです。

“蓼食う虫も好き好き”

日本語にはこのような諺がありますよね。

他に草があるにもかかわらず

辛い蓼(タデ)を食べる虫も居るように、

人の好みは様々で、

一般的には理解しがたい場合もある。


このような意味ですわ。

確かに、そうですわよね。

「冷し中華」を1年中食べても飽きない人も

いると思いますわ。

わたしは「冷し中華」はイマイチです。

どちらかと言えばフランス料理や

イタリヤ料理の方が好みに合います。

映画もそうですわよね。

人によって好みはさまざまです。

さて、英語で上の諺は何と言うのでしょうか?

考えてみたことがありますか?

次のように言います。

There is no accounting for tastes.

分かりますよね。

味の好みについては

誰にでも理解できる

決まった説明などないのよ。


意訳すればこのような意味です。

その通りだと思うでしょう!?



ところで、英語の面白い記事を集めてみました。

時間があったら次のリンクをクリックして

読んでみてくださいね。

■ 『あなたのための愉快で楽しい英語』



 『あなたもワクワクする新世代のブログ』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。




0 件のコメント:

コメントを投稿