2011年7月16日土曜日

思い出のベンハー

   
思い出のベンハー




ベンハー



『ベン・ハー』(Ben-Hur: A Tale of the Christ、副題『キリストの物語』)とはアメリカのルー・ウォーレスが1880年に発表した小説である。

1880年11月12日、ルー・ウォーレスの発表した小説『ベン・ハー』はたちまちアメリカで大ベストセラーとなった。
小説はフィクションであるが、イエス・キリストをはじめ『新約聖書』ゆかりの人物たちを織り交ぜた構成だった。

小説『ベン・ハー』のこの発行部数記録が破られることになるのは1936年の『風と共に去りぬ』を待たねばならない。
この小説はすぐに舞台化され好評を博したため、何度も上演された。

やがて映画の時代が訪れると『ベン・ハー』の最初の映画化がおこなわれた。
戦車競走のシーンはあきらかにソポクレスの悲劇『エレクトラ』の劇中のオレステスの守り役による戦車競走と事故死の虚偽の報告から多くの着想を得ている。

あらすじ

ローマ帝国支配時代のユダヤ人貴族ユダ・ベン・ハーの数奇な半生にイエス・キリストの生涯を交差させて描く。

紀元26年、ローマ帝国支配時代のユダヤにローマから一人の司令官が派遣される。
彼の名前はメッサーラ。
メッサーラは任地のエルサレムで幼馴染のベン・ハーとの再会を喜び合う。
ベン・ハーは貴族の子でユダヤ人とローマ人ながら2人は強い友情で結ばれていた。



しかし、2人の立場はエルサレムでは支配者と被支配者。
そのことが2人の友情に亀裂を生むことになる。
その折も折、新総督が事故にあいそうになる事件が起きたことで、ベン・ハーはメッサーラに総督暗殺未遂の濡れ衣をきせられ、家族離散、自身は当時奴隷以下の扱いであった罪人におとされるという憂き目にあう。
護送中、苦しむ彼に一杯の水をくれた男がいた。
その男こそがイエス・キリストであるということをベン・ハーはまだ知らなかった。

罪人としてガレー船のこぎ手(番号で呼ばれ、船が沈没すれば捨てられる捨て駒である)とされたベン・ハーは海戦において司令官の命を救うという大殊勲をあげ、彼を見込んだ司令官の養子にまでとりたてられる。
戦車競走の新鋭としても注目されることになり、ユダヤへ戻って家族を探していたベン・ハーは母と妹が死んだという報に涙し、メッサーラへの復讐の鬼と化した。

やがてエルサレムでの戦車競走で不敗のメッサーラに挑むことになるベン・ハー。
激闘の末、ライバルのメッサーラを倒したベン・ハーは、瀕死のメッサーラから思いもかけない言葉を聞くことになる……。

1925年の映画



ラモン・ノバッロがベン・ハーを演じたサイレント映画である。
これが大ヒットとなった。
サイレント映画ながら前代未聞の390万ドルという未曾有の制作費が投下された大スペクタクル映画であった。
群集の場面では実に12万人ものエキストラが動員されている。
戦車競走の場面のフィルムの長さは全長60kmにも及んだが、編集されて229mになった。

この戦車競走の場面こそが1959年版『ベン・ハー』の戦車競走シーンのモデルとなり、『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』のポッドレースの場面の元ネタとなったのである。
メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)によって製作されたこの映画は1925年の大ヒットとなり、550万ドルというサイレント映画史上第3位の興行収入を稼ぎ出している。
あまりの人気に1930年代に入ると音声がついたバージョンも公開されている。

1959年の映画



1959年に公開された名匠ウィリアム・ワイラー監督の『ベン・ハー』は知名度や世界的な名作としての評価においてその揺るぎない地位を獲得した。
同年アカデミー賞にて11部門を獲得。

(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)




出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『杜の都の映画』に掲載
(2009年3月8日)




デンマンさん。。。あんさんはどうしてまた古い映画を持ち出してきやはったん?



バンクーバーの図書館から『ベン・ハー』のDVDを借りて20年ぶりでじっくりと観たのやがなァ~。

どうして今更『ベン・ハー』やのォ~?

たまたま、めれちゃんが書いた次の短歌を読んだのやァ。


ひとを選びて
 
 

 
 
木々の芽は

未だ固く

閉じれども

ひとを選びて

その花を誇る

 
  
by めれんげ
 
2009.03.07 Saturday 23:32




『即興の詩 ひとを選びて』より

『その詩が戯作なら
人生も戯作やでぇ~』
に掲載
 (2009年3月11日)




わたしが2年以上も前に書いたものやん。



そうやァ。。。その時、わては次のようなコメントを書いたのやでぇ~。 覚えてるかァ~?




う~♪~ん。。。
めれちゃんが人生をじっくりと考えながら詠んだということが良~く出ておるがなぁ~

そうやがなぁ~
ひとを選ぶッちゅうことは、とっても大切な事やと思うでぇ~

でもなぁ~
人間ちゅうもんは、神様やあらへんから完璧な人はおらへんのやでぇ~
だから、モンスターエンジンだって、神さんのことをよォ~取り上げるけれど、あの二人も完璧ではあらへん。
うしししし。。。

人間ちゅうもんは、50%の欠点と
50%長所を持って生まれてきよるのやでぇ~
もちろん、聡明なめれちゃんも知っておるのやがなぁ~

でも、ついつい人間が不完全だと言うことを
めれちゃんは忘れてしまうのやぁ。
それで、完璧を求めてしまうのやがなぁ~
それが、たぶん、めれちゃんに不幸をもたらすのやぁ~

そうして詠んだのが次の詩なんやでぇ~


行き違う愛という言葉
 
 

 
 
わたしに必要なのは

わたしひとりを

愛してくれるひと

わたしひとりが

そのひとに抱かれる
 
・ 
 
愛という言葉を

ふりまくひとに

わたしは別れを告げる

 
  
by めれんげ
 
2009.02.10 Tuesday 11:01




【即興の詩】
『行き違う愛という言葉』より


わては、これから『小百合物語』の中で
『ベンハー(Ben-Hur)』の事を書くのやけれど、

■ 『杜の都のデート (2009年3月10日)』

“愛”を別の言葉で言い換えれば、
“許す”ということなんやでぇ~
わては、あの映画を見て、しみじみとそう思ったのや!
ええ映画やったでぇ~

めれちゃんは観たことがあるかぁ~?
とっても感動的な映画やったぁ。

『ベンハー』の中で言おうとしていることは
人間は憎しみ合うものではなくて
許し合うと言うことやがなぁ~

ユダ ベンハー(Judah Ben-Hur)の心の恋人 エスター(Esther)が言おうとしていたことは、憎しみ合うことでなくて許し合うと言うことやでぇ~
ベンハーは、初め、聞く耳を持たなかった。
憎しみの炎を燃え上がらせてしまう。
しかし、やがてエスターの言うことが分かるようになってゆくのやでぇ~

ミーハーでも理解できるように映画の中では奇跡を起こしたのやけれど、ベンハーは、エスターの言うことをやがて理解する。

キリストさんも出てくるのやでぇ~
でも、映画の中でキリストさんの顔を見せへんのやぁ~。

ケチィ~~!

わては、そう思ったもんやぁ~ うへへへへ。。。

でもなぁ~、あの映画の中で本当にキリストらしいのは、エスターだった。
エスター役のハイヤ・ハラリート(Haya Harareet)はきれいな人やったでぇ~



普通の意味で「きれい」なんじゃない!
心がきれいな人なんやでぇ~

あの映画の中で主要な役をした俳優で、現在でも生存しているのはエスター役のハイヤ・ハラリートだけだと言うことや。
なんだか、不思議な気がするなぁ~

とにかく、あの映画は素晴しかった。
1200円ぐらい払ったけれど、12万円分ぐらいの価値があったと思ったでぇ~。
うん、うん、うん。。。

。。。んで、めれちゃんのこれまでの短歌と詩は120万円分ぐらいの価値があるでぇ~
うしししし。。。
マジで。。。

そやから、これからも、あんじょう詩と短歌を書いてぇ~やぁ。
頼んだでぇ~
おおきにィ~

\(^_^)/ キャハハハ。。。

by 心の恋人 (デンマン)

2009-03-08 06:13 AM
 



『即興の詩 ひとを選びて』のコメント欄より

『その詩が戯作なら人生も戯作やでぇ~』に掲載
 (2009年3月11日)




めれちゃんも覚えてるやろう?



忘れましてん。

思い出したくないのんかァ~?

そうやあらへん。 マジで忘れてましてん。

つまり、わてに言われて今、思い出しよったのかァ~?

そうですねん。 確かに、あんさんは上のような事を書きましたわ。 そやけど、わたしが書いた短歌を読みはってぇ、あんさんは『ベンハー』を観る気になりはったん?

そうやァ。

『ベンハー』ってぇ、あんさんにとって、それほど思い出深い映画やのォ~?

ようやねん。

どないな訳で。。。?

あのなァ~、『ベンハー』は本当にハラハラ、ドキドキするような素晴しい映画なのやァ。

確かに、そないに書いてありますわ。

わては大学生の時に、高校三年生の恵子さんと奈緒子さんと3人で観に行ったのやがなァ。

どうして女の子を二人も連れて観に行きはったん?

わては恵子さんと二人きりで行きたかったのやァ。 でもなァ、それを聞いた奈緒子さんが一緒に行きたいとゆうたのやァ。 二人は親友やったのやがなァ。 そやから、わては仕方がなく3人で観に行ったのや。

両手に花やんかァ~! あんさんにしてみれば一生に一度あるか?ないか?の願ってもないことやんかァ。

奈緒子さんが1週間前に『ベンハー』を観たと聞いた時には嫌な予感がしたものや。

1週間前に観ていたのに奈緒子さんは、どうしてまたあんさんと恵子さんと観ようとしやはったん?

マジでちょう感激したよってに、もう一度観たいと言うたのやァ。

それで。。。?

わてと恵子さんがハラハラ、ドキドキしながら観ているのに、いい所になると奈緒子さんがベラベラと筋を話してしまうやァ。 んもお~~。

例えば。。。?




その折も折、新総督が事故にあいそうになる事件が起きたことで、

ベン・ハーはメッサーラに総督暗殺未遂の濡れ衣をきせられる。




この事故と言うのんは、ベンハーの邸宅の前で起こるのやァ。 新総督の行列がベンハーの家の前を通るのやけど、その行列を屋上に上がってユダ ベンハーとお母さんと妹の3人で見物してるねん。 ところが妹の不注意で手摺(てすり)の瓦を落としてしまうのやァ。



それで。。。?

新総督は馬に乗っていたのやけど、その馬の目の前に落ちるねん。 馬は驚いて棒立ちになって新総督を振り落としてしまう。 その衝撃で新総督は意識不明の重態になってしまうねん。 そうゆう事を奈緒子さんは、ベラベラしゃべってしまうのやがなァ。 んもお~~。


ねえ、ねえ、ねえ。。。あのテスリの瓦がおちるのよう。。。

ああああ。。。落ちたわァ。。。んで、新総督は意識不明になって。。。

それがもとで、ベンハーも、お母さんも妹も牢屋に入れられてしまうのよう。 可哀想にィ~


あんさんがが“黙れ!”と言えばいいじゃおまへんかァ!

言えるかいなァ!

どないな訳で言えへんのォ~?



奈緒子さんは、僕のアイドルのラムちゃんに、めちゃ似てるねん。

つまり、あんさんは奈緒子さんにも心が動かされはったん?

いや。。。わてだけやないねん。 前列に座っていた20代の会社員風の男が、ムカついて振り向いたのやがなァ。。。あれっ。。。このムカつきようやと、奈緒子さんに怒鳴(どな)り散らすかな?。。。そう、わては思うたのやァ。

それで、その会社員はどないしやはったん?

頭に来て奈緒子さんを睨(にら)んだのやァ。 わての代わりに怒鳴ってくれと、わては祈るような気持ちで期待したのやがなァ。。。

。。。んで、ムカついたその男は奈緒子さんに“黙れ!”と怒鳴(どな)りはったん?

ところが、奈緒子さんの顔を見るとデレ~として口をポッカリ開けて、しばらく見とれてしまいおったァ。

マジで。。。?

わても半分可笑しくなったり呆れたりでぇ。。。そやけどなァ、その男の気持ちが、わてには手に取るように分かったでぇ~。。。

結局、その男は何も言わへんかったん?

何も言えへん。。。も~“一目惚れ”やがなァ~!。。。奈緒子さんはラムちゃんにそっくりやったから、その男も驚いたようやでぇ~。。。つうかァ~、とんでもない美人を生まれて初めて目にしたように、コロッと表情が変わるほどに奈緒子さんに惹かれてしもうたのやがなァ。

それで。。。?

暗闇に目が慣れているとは言え、映画館の中やから、はっきりと見えるわけじゃない。 5分ぐらいしたら、本物のラムちゃんかどうか? どうしても気になるらしくて、また振り向いたのやがなァ~。。。

それで。。。?

奈緒子さんも映画の筋をベラベラしゃべりっぱなしやったから、多少気になっていたようやァ。

奈緒子さんも、その男の人に文句を言われると思いはったん?

そうやァ。 それで、半分照れるような。。。半分謝(あやま)るような。。。泣き笑いのような、崩れた笑いを浮かべたのやがなァ。

。。。んで?

かわゆい女の子が笑ったものやから、崩れた笑いにしろ、泣き笑いにしろ、“一目惚れ”した男の目には、心に染み込むような素晴しい笑顔に映ったらしいでぇ~。。。その男は、少しオツムが足りないところがあったようやァ。 奈緒子さんに好意をもたれたと勘違いしてニッコリ笑い返しているのやがなァ! ドアホ! わては、そないに思うたでぇ~。。。

それで。。。?

馬鹿な男が居るものやと、わては呆れてしもうたのやァ。

。。。んで、それからも奈緒子さんは、いい所に差し掛かると筋をべれべらとしゃべりまくりはったん?

そうなのやァ。 そやけど、そのうち誰もがシーンと静まるような場面に差し掛かったのやァ。

どの場面やったの?

次のシーンやァ。


涙なくしては見られないシーン



やがてエルサレムでの戦車競走で不敗のメッサーラに挑むことになるベン・ハー。
激闘の末、ライバルのメッサーラを倒したベン・ハーは、瀕死のメッサーラから思いもかけない言葉を聞くことになる……。

【ネタバレ注意!】

瀕死のメッサーラは、最後の力を振り絞ってベンハーに言うのだった。
オマエの母親と妹は死んだんじゃない。
犬が喰うようなエサを食べて長いこと地下牢で生きていた。
オマエが帰ってくるまでずうっとだ。



オマエが司令官の養子になって帰ってきたので
俺はビックリして部下にオマエの母親と妹がまだ生きているかどうか調べさせた。
どうなったと思う?
ライ病にかかっていたよう!
とても見られないほど顔が崩れていたと、部下が言ってたでぇ~。
まるでお化けだとよう。。。(苦痛の中の嘲笑)

オマエは俺に勝ったつもりだろうが、そうじゃない。
オマエは、これから俺以上に苦しむのさ。
俺はこれでおしまいだ。
でも、オマエの苦しみはこれから始まるのだ。

よく聞け!
オマエの母親と妹は町外れのライ病者の番外地で生きている。
廃人になって。。。お化けになって。。。
うふふふふ。。。

ベンハー!よく聞け!
これから苦しめ!
俺以上に苦しめ!

死ぬ前に、これだけオマエに言っておきたかった。
あばよ。
地獄で会おうぜ。。。

メッサーラから死ぬ前に会いたいと言う伝言を聞いたとき、
彼から謝罪の言葉を期待していたベンハーにとって、
彼の衝撃の言葉はベンハーを打ちのめした。

彼は苦悩した結果、ライ病に冒される危険を犯して
ライ病者の番外地へ行くことに決心した。
一目でもいいから母親と妹に会いたかった。

ある日、ベンハーはおぞましいライ病者の間を
母親と妹を探してさまよっていた。
その時、パンと果物を入れたカゴを持ってやって来るエスター(Esther)に偶然出くわすのだった。
もちろん、彼の母親と妹を世話するためだった。
エスターは死の病にかかる事を承知で、もう長いこと彼の母親と妹の面倒を見ていたのだった。

ベンハーは、母親と妹の元へ連れて行ってくれと頼む。
エスターはそれだけはできないと断わる。



“「もう死んだものと諦めてもらっていた方がいいのよ。このように変わり果てた姿を息子に見せる事は、さらに悲しみを与える事になるだけだわ」
お母様はそのように語って、あなたに会う事をかたくなに拒んだのよう。”

分かった。姿は見ないから、せめて声だけでも聞きたい。
そう言ってベンハーはさらにエスターに頼み込んだ。

「では、声だけね」
そういう条件でエスターは、しぶしぶ母親と妹の暮らす洞窟に連れて行くのだった。



「いつも悪いわねぇ。それで、息子は元気にしているの?。。。そう、良かったわ。一目でもいいから会いたいわ。でも、こんな姿になっては、とても会う勇気が湧かないわ。あの子がさらに苦しむのが見えるから。。。」




『杜の都のデート』より
(2009年3月10日)




映画の中のベンハーは、この母親の言葉を聞いて、それ以上聞く事に耐えられず涙ながらに洞窟から抜け出すのやがなァ。 そしたら、奈緒子さんが感極まって泣き出すねん。 んも~~。。。もちろん、ワンワン泣くわけじゃあらへん。 そやけど、前列のあの男が振り向くほどに声を出して泣くねん。



あんさんは、どないしやはったん?

もちろん、わてかてDVDを一人だけで見ていれば声を出してまでは泣かへんけれど、涙をあふれさせて観ていたやろなァ。 わては、その時グッと涙をこらえたのやァ。 確かに感動的で、もらい泣きするような場面だったのやでぇ~。。。

それで、どないになりはったん?

あの男も涙ぐみながら奈緒子さんの様子を振り返ったままで、じっと見ているねん。 アホかいなァ~!?

あんさんは。。。?

わては、その二人の様子を見ていたら、呆れたというか可笑しいというか。。。映画を見た感動が半減してしもうたのやがなァ。 んもお~~。。。とにかく、奈緒子さんには半分呆れたり、半分感心させられたり。。。

どうして。。。?

どうしてってぇ。。。さんざしゃべり続けて、静かになったと思うたら、今度は泣き出すねん。 しかも馬鹿な会社員の男が振り向いて、涙を浮かべながら、まるで奈緒子さんを慰めるように見つめているねん。 アホかァ~! わてはもう、半分以上呆れて、馬鹿馬鹿しくなってきよったでぇ~。。。

それで、奈緒子さんのどういう所に、あんさんは感心しやはったん?

あのなァ~、同じ映画を2度目に観て、あれだけ感極まって泣けるのだから大したものだやと思うたのやァ。。。人の痛みに共感するというか。。。感受性が豊かな女の子やと感心したでぇ~。。。

それで、恵子さんは。。。?

恵子さんも、わても半分以上白けてしもうたのやァ。 馬鹿な会社員が涙を浮かべて、ずうっと奈緒子さんを見つめている姿は、白けないで見ていられへん。

恵子さんもマジで白けやはったん?

そうやァ! 涙を浮かべて奈緒子さんを振り返ったまま見つめている馬鹿な会社員を見て、恵子さんは笑いをこらえておったでぇ~。。。

それにしても、あんさんは昔の事をよう覚えておりますのやねぇ。

そやから言うたやないかいなァ。 『ベンハー』はそれ程強烈に印象に残った映画やったのやァ。

そいで、今回観た『ベンハー』はどうやったのォ~?

あのなァ~、わてが大学生の時に観たのは1959年に作られた映画やったのやけど、バンクーバー図書館で借りたDVDは4枚一組のコレクターズ版やったのやァ。 そやから1925年に作られた映画も3番目のディスクに含まれていたのや。



【4ディスク・コレクターズ版 DVD】



これがそのコレクターズ版 DVDやの?



そうやァ。 1925年に作られた映画は1959年制作の映画とだいぶ違(ちご)うとるねん。 大筋は同じでも宗教的なことが強烈に映像の中に出てきよる。

たとえば。。。?

マリアさんが後光をチカチカさせながら出てきたりしよるねん。 (微笑)





マリアさんの神々(こうごう)しいお姿をあんさんは初めて見やはったん?



そうやァ。 1959年制作の映画には「後光」はないねん。 マリアさんは、ごく普通の大工の妻として出てくるだけやねん。 それになァ~、最後の晩餐のシーンまであるねん。





レオナルド・ダ・ヴィンチの描いた「最後の晩餐」と違(ちご)うてキリストさんは横を向いて顔を見せへんのやァ。 (微笑)



あんさんは、そないな、どうでもええことばかり見てたん?

どうでもよくあらへんがなァ。 ごっつう大切なところやでぇ! 1925年制作の映画はキリスト教信者には涙が出てくるほどありがたい映画やと思って見る事ができるねん。

あんさんは涙が出てきやへんかったん?

出てくるかいなァ! あのなァ~、悲嘆にくれた若い母親が死んだ赤ん坊をキリストさんの前に差し出すねん。 すると、キリストさんが赤ん坊の頭の上に手をかざすのやァ。

すると、どうなるん?

死んだはずの赤ん坊が見事に生きかえってしまうのやがなァ。 わてのように宗教心の薄い者には、なんだか喜劇映画のようになってしまうねん。 (微笑)

要するに、1959年制作の映画の方が泣かせる映画になってるのォ~?

そうなのやァ。

つまり、あんさんは、この事が言いたかったん?

ちゃうねん。 わては『ベンハー』の主題について改めてめれちゃんと話したかったのやァ。


相容れぬならば

語ることもなし

 
 

 
 
ひとはひと

己の思う

愛があり

相容れぬならば

語るは愚か

 
  
by めれんげ
 
2009.03.08 Sunday 12:34




【即興の詩】
『相容れぬならば語ることもなし』より




めれちゃんは、こないな短歌を詠んでいたのやァ。



あんさんは、よう覚えてますなァ~?

わてはコメント欄に次のように書いた。。。




う~♪~ん。。。
めれちゃんが言うとることは
『ベンハー』の本質に近いでぇ~

「愛があり
相容れぬならば。。。」

めれちゃんは、このように言うてるけれど、
本当の愛があるならば
「相容れぬ」 ことにはならへんでぇ~!

なぜならば“愛”の基調は「許し合う」ことにあるからなんやでぇ~

実は、めれちゃんの短歌の裏には隠された主題がある。
それは何か?

ひとはひと

己の思う

考えありて

愛なかりせば

憎しみ合うなり

 
 
by めれんげ

めれちゃんの言いたい事はこのことに尽きるのやでぇ~
わては、めれちゃんの、そのテーマに返歌を詠みますがなぁ~

ひとはひと

十人十色と

言うなれど

愛あるならば

許し合うなり

 
 
by 心の恋人 (デンマン)

これが『ベンハー』の主題やがなぁ~!
めれちゃんの心に響きますやろか?
どうでっしゃろか?
うしししし。。。

実は、めれちゃんが書いた次の短歌を使わせてもらって
仙台の思い出を書いたのやがなぁ。

【ひとを選びて】

木々の芽は

未だ固く

閉じれども

ひとを選びて

その花を誇る

 
 
by めれんげ 2009.03.07 Saturday 23:32

デートで『ベンハー』を観に行ったことやがなぁ~
結構、面白い記事になったでぇ~
めれちゃんにとっても面白く読めるはずやでぇ~。

いつものことやけれどォ、
めれちゃんから、たくさんのインスピレーションをもらいましたがなぁ!
本当におおきにィ~!

3月10日のライブドアのブログに
すでに予約投稿してあるよってにィ、
時間があったら読んでなぁ。
題して『杜の都のデート』ですうゥ。

■ 『杜の都のデート (2009年3月10日)』

楽しみながら読んでぇ~なァ。
頼んだでぇ~
おおきにィ~

\(^_^)/ キャハハハ。。。

じゃあねぇ~

by 心の恋人 (デンマン)

2009-03-09 07:07 AM




【即興の詩】
『相容れぬならば語ることもなし』のコメント欄より

『その詩が戯作なら人生も戯作やでぇ~』に掲載
 (2009年3月11日)




“愛”の基調は「許し合う」ことにあると、あんさんは言わはるのォ~?



めれちゃんも分かってるやん!

そやかてぇ、わたしに、そう言わせるように、あんさんは書いてますねん。

さよかァ~?


【レンゲの独り言】



ですってぇ~。
あたしもDVDで『ベンハー』を観ましたけれど、確かに感動的な映画でした。
でも、受け止め方は人それぞれではないでしょうか?
デンマンさんのように“愛”の基調は「許し合う」ことにあると受け留める人がいるかも知れません。
憎しみよりも愛が勝(まさ)っていると言う印象を持つかもしれません。

でも、中には憎しみは消えないと信じている人も居るでしょう。
見解の相違と言ってしまえばそれまでですけれど、
十人十色です。
考え方が違っていて当たり前です。
あなただってぇ、そう思うでしょう?

とにかく、まだ面白い話題が続きます。
あなたもどうか、また、あさって読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。




メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

『ベンハー』の事が出てきましたけれど、

わたしもDVDでこの映画を見ました。

確かにデンマンさんが書いているように

キリストの顔は一度もスクリーンに

表れませんでした。





キリストの役をやった俳優の名前も

配役の画面に表示されなかったのです。

でも、あの役をやった人物は記録に残されています。

実は、俳優さんではなかったのです。

なんと、あのキリストはオペラ歌手の

クロード・ヒーター(Claude Heater)さんだったのです。



前にも後にも演技したのは『ベンハー』だけだったそうです。

どうしてキリストの顔を見せなかったのでしょうか?



General Lew Wallace

原作者のルー・ウォーレス(Lew Wallace)さんが

そのような表現を望んでいたからだと言うことです。
 
ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら、ぜひ覗いてください。

■ 『あなたのための 楽しい英語』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。




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