チョコレートと甘い権力
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人々が食糧問題でアメリカに依存するようになる可能性があるとのことである。
協力を取り付けるという観点から考えて、人々をアメリカ頼みとし、アメリカに依存するようにしたいならば、食糧の依存は最高だと思われる。
--- ヒューバート・ハンフリー上院議員 (1957年)
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対外援助は、アメリカが世界に影響と支配を及ぼす地位を維持するための方策である。
--- ジョン・F・ケネディ大統領 (1961年)
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念頭におくべきは、援助の主目的が他国の支援ではなく、自国の支援であるということである。
--- リチャード・ニクソン大統領 (1968年)
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つまり、ケイトーは、アメリカの対外援助は本音では他国の支援ではなく、自国の支援であると、言いたいわけね?
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当然でしょう! どこの国だって、どんなに奇麗事を並べても、本音を言えば、対外援助は自国のためだと思いますよ。
。。。で、その事とチョコレートが関係あるの?
ありますよ。 アメリカがベリーズのカカオを強力に後押ししていたのも、アメリカの大手チョコレート・メーカーのハーシー社と組んで、アメリカが世界に影響と支配を及ぼす地位を維持するための政策だったのですよ。
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1986年世界銀行が重要な報告を発表、カカオ価格の低下傾向はまもなく逆転するだろうと予測した。
国際市場にカカオがあふれて、フェリックス・ウーフェ・ボワニのコートジボワールの奇跡が崩れ去り、多国籍企業が喜んだことなど、トレドの農民はまったく知らなかった。
業界関係者は皆、これはバラ色の見通しの中の小さな染みにすぎないと農民に語った。
楽観主義の一因として、アメリカ政府の方針と政策がベリーズのカカオを強力に後押ししているのを皆が知っていたことがある。
ベリーズのカカオ生産を推進していたのは、アメリカ国際開発庁(USAID)だった。
この部局はアメリカの外交政策の重要な実行部隊だった。
支援を必要とする相手に物質的な恩恵を与えるが、USAIDは自ら目的の優先順位を決して間違えることはない。
1961年にケネディが身も蓋もなく言った通り、「アメリカの政治的、経済的利益を推進する」ことだ。
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USAIDの官僚はCIA(中央情報局)と怪しげなつながりを持っている。
繰り返し否定されてはいるが、ベトナム戦争期の東南アジア、ニカラグアやエルサルバドル動乱のときの中米・ソ連侵攻時のアフガニスタンでの工作にも関係してきた。
いずれにせよ、USAIDはアメリカの利益が関わるところではどこでも、政治的・経済的影響力を働かせる手段になっている。
1980年代後半、USAIDとその下部機関、保守的な汎米開発基金(PADF)はハーシー社、ベリーズ農務省と共同で、「カカオ促進プロジェクト」を始動させた。...1988年、3日間にわたってベリーズで開かれた長い会議の資料と議事録を見ると、有力関係者がカカオ産業の商業的可能性について、どれほど甘い言葉を並べたかがわかる。
。。。
壇上に上がった別のベリーズ政府関係者は、耳寄りな話をちらりと披露して見せた。
わが国は現在、2000万ドルの融資を世界銀行と交渉中である。
わが国の熱帯雨林を生産性豊かなカカオ農園に生まれ変わらせるためだ。
世界でもっとも有力な機関のうちの2つまでがついている。
カカオ促進プロジェクトの有難い話にも説得されたとれど農民に、議論の余地などあるはずもなかった。
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。。。
ハーシー社は、ベリーズ産の豆をすべて「市場価格で」買い取るという約束を喜んで守るつもりだった。
1988年、ベルモパンのフォーラム会場を埋めた生産者にハーシー社が約束したときには1ポンド当たり1ドル70セントだった。
まもなく1990年代初めに価格は1ドル25セントに下落、さたに90セント、70セントと急落した。
1993年ハーシー社が55セントしか出さないことに決めたとき、農民たちはこれでおしまいだと悟った。
「収穫することさえ意味がなくなっていました」
。。。
農民たちはカカオを農園で腐るに任せた。 。。。祖先が2000年前に育てた奇跡の作物で貧困を脱出するという夢は敗れ去った。
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(赤字はデンマンが強調のため。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
338-343ページ 『チョコレートの真実』
著者: キャロル・オフ (北村陽子・訳)
2007年9月1日 第1版第1刷発行
発行所: 英治出版株式会社
『チョコレートと世界銀行』に掲載
(2012年2月10日)
そのように考えれば、CIAが絡(から)んでくるのも納得がゆきます。
でも、CIAが絡むなんて、ちょっと露骨過ぎるのじゃない?
だから、それが本音なのですよ。 政治の世界は表面で建前を装(よそお)いながら、裏では本音で動いてますからね。 だから、本音を語らせれば、上のアメリカの3人の政治家のように身も蓋も無い事を言うのですよ。 しかも、そのような考え方は昔から伝統的にアメリカ政府の考え方でもあった。
その証拠でもあるの?
歴史的事実がそれを物語っていますよ。
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キューバは「アメリカ的生活様式」にとってきわめて重要だと考えられていた。
アメリカの砂糖貴族は、キューバに数千万ドルを投資していた。
19世紀後半には、ニューヨークで発行された「キューバ独立支援国債」をアメリカ資本が購入し、スペイン支配の打倒を援助した。
1902年、キューバは独立を宣言したが、主権は最初から絵に描いた餅だった。
アメリカ政府は、キューバの外交政策にも、また「生命、財産、個人の自由」といった内政問題にも権力を行使した。
アメリカの砂糖貴族がキューバを支配している。
それが実態だった。
数万人の中国人クーリーとアフリカ人奴隷は、命をつなぐのがやっとの賃金で働き、砂糖貴族のプランテーションの繁栄を維持していた。
このシステムから恩恵を受けていたのは、アメリカの製菓業、ソフトドリンク製造業の親玉たちだった。
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ハーシー社のカカオ豆調達先を正確に言うのは難しいが、砂糖をどこから得ていたかははっきりしている。
アメリカ企業は、砂糖生産のためにキューバの農地を何十万エーカーも購入、さらに熱帯原生林を切り拓いた。
キューバは、農業部門が単一栽培に傾斜するにつれて、基本食料品の輸入国になっていった。
ハーシー社は、キューバで65、000エーカーのサトウキビ畑を購入。
。。。
キューバの土地は安く、労働力は囲い込める。
ハーシーをはじめとするアメリカ資本家は、絶対君主のように、自社のプランテーションに君臨した。
米国のキューバ支配を通して、ハーシー社は大量の砂糖供給を確保、コカコーラ社への砂糖供給で最大手の一つになった。
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(赤字はデンマンが強調のため。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
109-110ページ 『チョコレートの真実』
著者: キャロル・オフ (北村陽子・訳)
2007年9月1日 第1版第1刷発行
発行所: 英治出版株式会社
でも、ずいぶん昔の話じゃないの! 現在のアメリカの政治家に、そのような事をテレビのインタビューで語る人は居ないでしょう?
もちろん、本音をむき出しで語ったらリベラルな考え方を持っているアメリカ国民の反発を買いますよ。 だから、そのような愚かな真似はしません。 でもねぇ~、本音をうまく内に秘めて裏で非人道的な事をしている政治家は現在でも居ますよ。
それってぇ、誰よ?
僕は、たまたま“The Trial of Henry Kissinger”という DVD をバンクーバー市立図書館で借りて観たのですよ。
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つまり、ヘンリー・キッシンジャー氏がそのような政治家だとケイトーは言うのォ~?
その通りですよ。 以前から胡散(うさん)臭い政治家だとは思っていたけれど、これ程までにあくどい事をやってきたとは思いもよりませんでした。
それ程ひどいことをしてきたの? でも、キッシンジャー氏は1973年にノーベル平和賞まで受賞したじゃないの!
あのねぇ~、確かにそうなのだけれど、裏でカンボジアに空爆を実施したのはキッシンジャーだったのですよ。 そのような裏の状況を DVD は暴露しているのです。
でも、キッシンジャー氏はベトナム戦争では和平協定を進めたのでしょう?
そうですよ。 でもねぇ、裏でカンボジアに空爆を実施したキッシンジャーが、どうして和平に踏み切ったか? そのままではどうしようもないと思ったからですよ。 それは、その後のベトナム戦争の成り行きを見れば明らかなことですよ。 そもそもカンボジアを秘密裏に空爆することが間違っていたのですよ。
でも、それは結果論でしょう?
あのねぇ、キッシンジャーはアメリカ議会の承認も得ずに、独自に、しかも秘密裏にカンボジアの空爆を実施したのですよ。 米空軍の記録にはカンボジアではなくベトナムに爆弾を落としたことになっている。
でも、戦争というのは、もともと常識では考えられないような事をやることでしょう!?
だけど、現代の戦争は国際法とかジュネーヴ協定を守って戦争をやることになっている。 それをキッシンジャーはアメリカ議会の承認も得ず、ペンタゴンとか、国務省とかを無視してカンボジア空爆を実施した。 そして風向きが悪くなると和平協定に乗り出した。
和平協定は確か1973年1月27日に調印されたのよね。
そうです。 すべての参加国は「1954年のベトナムに関するジュネーヴ協定によって承認されたベトナムの独立、主権、統一性、領土を尊重する」ように要請された。 その後、アメリカは1969年に開始した米軍の撤退を継続し、同年1月29日、ニクソン大統領はベトナム戦争の終戦を宣言した。 アメリカ軍は3月29日に南ベトナムから撤退完了した。 表面的には、そのような調印へ向けての功績を称え、ヘンリー・キッシンジャー大統領特別補佐官と北ベトナムのレ・ドゥク・ト特使にノーベル平和賞が与えられることになった。 でもねぇ、レ・ドゥク・ト特使は辞退したのですよ。
どうして。。。?
グエン・バン・チュー大統領をはじめとする南ベトナム政府は協定に反対だった。 結局、その後も戦争は続いたからですよ。 1973年にキッシンジャーがノーベル平和賞をもらった時、ベトナムにはまだ平和はなかった。 だから、レ・ドゥク・ト特使はノーベル賞を辞退したのですよ。 1975年3月10日に北ベトナム軍は総攻撃を再開し、4月30日にサイゴンを占領。 南ベトナム政府は無条件降伏した。 翌年、1976年7月に南北は統一され、ベトナム社会主義共和国が成立した。 DVDで、あるジャーナリストはキッシンジャーは和平派(war-ender)と言うよりも、むしろ戦争派(war-maker)と言う方がふさわしいと述べている。
。。。で、キッシンジャー氏が裏で非人道的な事をしたと言うのはどういうことなの?
あのねぇ~、キッシンジャー外交は人権問題へは無関心だった。 中国共産党の支配の下で国民は過酷な統制下におかれていたけれど、人権問題を無視して中華人民共和国との国交を樹立した。
でも、日本政府だって同じようなことをしたのでしょう?
その通りですよ。 日本はアメリカの追従ですからね。 バンドワゴンに乗り遅れないようにと中国との国交を結んだわけですよ。
それが、キッシンジャー氏が裏で行った非人道的な事なの?
いや、まだありますよ。 DVD ではキッシンジャーが1973年にチリのサルバドール・アジェンデ政権転覆に深く関わっていた事を暴露しているのです。 続く親米軍事政権として知られたアウグスト・ピノチェト政権の国内弾圧もキッシンジャーは黙認していた。 ピノチェトのクーデターについて、キッシンジャーは、「われわれは、ひとつの国がその国民が無責任なせいで、共産主義化するのを無為に見ている必要はない」と述べた。 つまり、キッシンジャーは反共主義や勢力圏の安定という自らの信念を民主主義より上位に置き、選挙によって示されたチリ国民の民意を積極的に踏みにじろうとしたのですよ。 アメリカ国内でも、キッシンジャーの態度はタカ派、リベラルを問わず多くの非難を受けた。 1998年にピノチェトが亡命先のヨーロッパで拘束された時には、チリ国内における過去の弾圧への加担者としてキッシンジャーを裁判にかけようとする動きまであった。
でも、どうして、そうならなかったの?
実は、チリのシュナイダー将軍の遺族が2001年9月10日にキッシンジャーをワシントンの連邦裁判所に告訴したのですよ。
どのような罪で。。。?
ロベルト・ビオー(Roberto Viaux)将軍がシュナイダー将軍を誘拐する計画にキッシンジャーとCIAが援助の手を差し伸べたと言う罪ですよ。 抵抗したのでシュナイダー将軍は殺されてしまった。
。。。で、どうなったの?
アメリカの連邦裁判所は 主権免除・外交特権(sovereign and diplomatic immunity)に基づいてキッシンジャーに対する告訴を取り上げるのを拒んだ。
でも、そのようなニュースを聞いたことがないわ。
あのねぇ~、翌日、9月11日に、あのハイジャックされた飛行機がニューヨークの貿易センターに突っ込んだ。 その騒ぎのために、キシンジャーのニュースは全く問題にされなかったのですよ。
でも、世間ではキッシンジャー氏は「外交の達人」として評価されてるじゃないの。。。?
そうですよ。 キッシンジャーが国務長官退任後に発表した著書や回想録がひろまって、そのように評価されるようになったのですよ。 でもねぇ、知っている人は知っていた。
どういうこと。。。?
ニクソン政権時代には外交政策の司令塔を国家安全保障会議に集中させるあまり、キッシンジャーは国務省の職業外交官たちを重要な外交政策から排除してしまった。 本来なら外国語と外交交渉のプロ集団である彼ら職業外交官を、ニクソン・キッシンジャー外交の手足として協力させるべき責任のあったキッシンジャーだったけれど、彼らを使いこなすことはしなかった。
どうして。。。?
だから、キッシンジャーが自分で権力を握りたかったからですよ。 それで、1971年の極秘訪中の際も、アメリカ代表団に国務省は入ってなかったため、アメリカ側に中国語の通訳ができる人物がおらず、中国側の英語通訳に依存して交渉が行われた。
どうして国務省の役人たちをツンボ桟敷(さじき)にやってしまったの?
キッシンジャーは権力を自分の手の中に集中させようとしたのですよ。
それが「甘い権力」だと言うの?
そうです。 当時のキッシンジャーの敵は中国でも、ソ連でも、北ベトナムでもなかった。 キッシンジャーにとっての真の敵は、アメリカ国内の国務省の高官とか、ホワイトハウスのスタッフだったと言うのですよ。 これには面白いエピソードがあるのです。 キッシンジャーが秘密にしておいたカンボジアの件が新聞記者に漏れた。 これはキッシンジャーに親しい誰かが故意に新聞社に漏らしたというわけで、キッシンジャーはFBIに協力を要請して身近な人物の電話に盗聴器をつけさせたというのです。 あとでニクソン大統領が辞任に追い込まれるウォーターゲート事件の盗聴器は、この時のキッシンジャーの盗聴器のアイデアが使われたようなものですよ。 つまり、何が何でも自分に権力が集中するようにキッシンジャーは手段を選ばず裏で動いたのです。 DVDの中で女性ジャーナリストが言ってるのですよ。 「あなたにとって何が最も重要ですか?」と尋ねたらキッシンジャーは答えたと言うのです。
なんて。。。?
権力こそ、もっとも甘い強壮剤・媚薬(Aphrodisiac)だってぇ。。。
冗談でしょう!?
半分冗談としても、キッシンジャーが自分に権力が集中するように動いていたことは国務省をないがしろにしていた事実からもはっきりしていますよ。 1977年、キッシンジャーがフォード政権の退陣と共に国務長官を退任した時に、コロンビア大学から教授就任の誘いを受けた。
それで、キッシンジャー氏は教授になったの?
ところが、コロンビア大学の学生はキッシンジャーの裏を知っていた。 それで学生の激しい反対にあい、就任を断念しなければならなかったと言う経緯(いきさつ)があるのですよ。 世間を騙したつもりになっても、知っている人は知っているのですよ。
。。。で、その後キッシンジャー氏はどうなったの?
1982年、キッシンジャーは国際コンサルティング会社「キッシンジャー・アソシエーツ」を設立した。 そして、社長に就任したのです。 同社にはジョージ・ブッシュ(父)政権で国務副長官を務めたローレンス・イーグルバーガー(後に国務長官)や、国家安全保障担当大統領補佐官を務めたブレント・スコウクロフトなどが参加しているのです。 また、バラク・オバマ政権で財務長官に就任したティモシー・ガイトナーも、一時同社に籍を置いていた。 世間では「現代外交の生き字引的存在」としてもてはやされているので、キッシンジャーは現在、本を書いたり、世界各国で講演活動を行っているのです。 実際、ニクソン以降のアメリカの歴代大統領をはじめとする世界各国の指導層と親交を持っており、国務長官退任から30年以上たった今でも、その国際的影響力は相当なものだと評価されている。 チリに頭を突っ込んだのも、現地の AT&T とペプシコーラが国有化されそうだということで相談を受けたのが、そもそもの始まりだと言うことですよ。
つまり、キッシンジャー氏のしてきた事は、アメリカ大手企業と CIA、それにチリの軍隊を巻き込んだ軍産複合体の黒い霧だとケイトーは言いたいの?
その黒い霧の奥から次の二人の大統領の言葉が聞こえてくるようですよ。
対外援助は、アメリカが世界に影響と支配を及ぼす地位を維持するための方策である。
--- ジョン・F・ケネディ大統領 (1961年)
念頭におくべきは、援助の主目的が他国の支援ではなく、自国の支援であるということである。
--- リチャード・ニクソン大統領 (1968年)
でも、ケネディ大統領は、軍産複合体の危険に気づいてベトナム戦争から手を引くことにしたのでしょう!?
その通りですよ。 だけど、その軍産複合体の意向に反対したので暗殺されたのですよ。
【初出: 2012年2月22日 『チョコレートと甘い権力』】
【卑弥子の独り言】
(himiko22.gif)
ですってぇ~。。。
なんだか真面目すぎるお話でござ~♪~ますわ。
アフリカの皆さんが貧困なのは、アメリカの企業と世界銀行が結託してチョコレートの原材料を安く確保できるようにしているのではないかしら?
つまり、アフリカの皆さんの生活が豊かになると言うことは、人件費も高くなてしまうのですわよ。
そうなると、当然カカオ豆も高くなるのですわよね。
(cacao2.jpg)
だから、アフリカの皆さんの生活が極貧に近いままの方がチョコレート企業としては儲かるのですわ。
要するに、アメリカ企業主体で今後もチョコレートを生産してゆく限り、アフリカの皆さんの生活は、いつまでたっても改善されないと言うことなのですわよ。
あなただって、そう思うでしょう?
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アメリカ軍用チョコレート。
そのチョコレートを作っている米国チョコレートメーカー最大手のハーシー社。
そのハーシー社からアメリカの有力な政治家に選挙資金が流れている。
当然、そのお金をもらっている政治家はハーシー社のために便宜を図るのでござ~♪~ますわ。
つまり、このようなことから「軍産複合体」というモンスターが姿を覗かせるのですわ。
ところで、シルヴィーさんのことをもっと知りたかったら次の記事を読んでくださいね。
■『シルヴィー物語(2011年4月27日)』
■『波乱の半生(2011年4月29日)』
■『シルヴィーとネット革命(2011年5月6日)』
■『シルヴィーとデヴィ夫人(2011年5月30日)』
■『シルヴィーとケネディ夫人(2011年6月15日)』
■『バンクーバー暴動と平和(2011年6月25日)』
■『ビルマからの手紙(2011年7月3日)』
■『ブッシュの戦争(2011年7月7日)』
■『国際的愚か者(2011年7月11日)』
■『あばたもえくぼ(2011年7月14日)』
■『あなたも国際市民(2011年7月18日)』
■『リビエラ夫人のハンバーグ(2011年7月22日)』
■『芸術とブルックリン(2011年7月26日)』
■『思い出のパリ(2011年7月30日)』
■『海外志向とおばさんパンツ(2011年8月5日)』
■『地球の平和(2011年8月9日)』
■『愚かな写真狩り(2011年8月13日)』
■『死の写真狩り(2011年8月17日)』
■『キモい写真狩り(2011年8月21日)』
■『生パンツと床上手(2011年8月25日)』
■『ヌードと写真狩り(2011年8月29日)』
■『あなたの平和と幸福(2011年9月2日)』
■『あなたの平和な日々(2011年9月7日)』
■『奈良の鹿と憲法9条(2011年9月11日)』
■『文は人なり(2011年9月15日)』
■『キモい戦争(2011年9月19日)』
■『バカの歴史(2011年9月23日)』
■『ムカつく検査(2011年11月1日)』
■『アッシジからの平和(2011年11月5日)』
■『中国からの怪電話(2011年11月9日)』
■『気になる英単語(2011年11月18日)』
■『戦争を知らないの?(2011年11月23日)』
■『熟女ヌードとデンマン(2011年11月29日)』
■『山形とバンクーバー(2011年12月8日)』
■『ねえ、ねえ、ねえ見て(2011年12月10日)』
■『URL スパマー(2011年12月20日)』
■『坂の上の平和(2012年1月4日)』
■『平和と武士道(2012年1月10日)』
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■『常連さん、こんいちは(2012年1月23日)』
■『チョコレートと軍産複合体(2012年1月28日)』
■『壁に耳あり障子に目あり(2012年2月3日)』
■『チョコレートと世界銀行(2012年2月10日)』
とにかく次回も面白くなりそうですわ。
あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあ、また。。。
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ですってぇ~。。。
なんだか真面目すぎるお話でござ~♪~ますわ。
アフリカの皆さんが貧困なのは、アメリカの企業と世界銀行が結託してチョコレートの原材料を安く確保できるようにしているのではないかしら?
つまり、アフリカの皆さんの生活が豊かになると言うことは、人件費も高くなてしまうのですわよ。
そうなると、当然カカオ豆も高くなるのですわよね。
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だから、アフリカの皆さんの生活が極貧に近いままの方がチョコレート企業としては儲かるのですわ。
要するに、アメリカ企業主体で今後もチョコレートを生産してゆく限り、アフリカの皆さんの生活は、いつまでたっても改善されないと言うことなのですわよ。
あなただって、そう思うでしょう?
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アメリカ軍用チョコレート。
そのチョコレートを作っている米国チョコレートメーカー最大手のハーシー社。
そのハーシー社からアメリカの有力な政治家に選挙資金が流れている。
当然、そのお金をもらっている政治家はハーシー社のために便宜を図るのでござ~♪~ますわ。
つまり、このようなことから「軍産複合体」というモンスターが姿を覗かせるのですわ。
ところで、シルヴィーさんのことをもっと知りたかったら次の記事を読んでくださいね。
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とにかく次回も面白くなりそうですわ。
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こんにちは。ジューンです。
『壁に耳あり障子に目あり』
よく耳にしますよね。
さて、英語では何と言うのでしょうか?
たとえば、次のような会話の中で使われることがありますわ。
「そんなに大きな声でしゃべらないでね。
壁に耳あり障子に目あり、と言うでしょう!?」
Don't speak in such a loud voice.
As the saying goes, "walls have ears."
次のように言うこともできますわ。
「誰が見ているか誰が聞いているか、
分かったものではありませんわ」
You never know who is watching or listening.
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ところで、卑弥子さんにもちょっと信じがたいような
恋物語がありますわ。
関心があったらぜひ次のリンクをクリックして
じっくりと読んでみてくださいね。
■『平助さんが卑弥子さんに
恋をしたのがウンのつき』
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
(sylvie500.jpg)
(kissx.gif)
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