2015年9月30日水曜日

小柴垣草子


 

小柴垣草子

 


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デンマンさん。。。 どうして“小柴垣草子”を持ち出してきたのでござ~ますかァ~?


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どうしてでしょう?

惚(とぼ)けた事を言わないでくださいましなァ~。。。 タイトルに“小柴垣草子”と書いてあるではござ~ませんかァ! デンマンさんが持ち出してきたのですわよう!

あのねぇ~、上のタイトルをつけたのは僕じゃないのですよ。

でも、タイトルを書くのはデンマンさんしかいないじゃござ~ませんかァ!

確かに、タイトルを書いたのは僕なんだけれど、タイトルを書くように仕向けたのは僕じゃないのですよ。。。 ちょっと次のリストを見てください。


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『拡大する』



上のリストはライブドアの僕の『徒然ブログ』の3月1日から28日までの4週間の「リンク元URL」のリストなのですよ。 赤枠で囲んだ 15番に注目してください。



あらっ。。。 GOOGLEで検索して『後白河上皇とポルノ』を読んだネット市民の皆様が 14名いたということですわねぇ~。。。

そうなのですよ。。。 次の記事を読んだのです。


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『後白河上皇とポルノ』



でも。。。、でも。。。、どうして『後白河上皇とポルノ』と“小柴垣草子”が関係あるのでござ~ますか?



確かに、ポルノにハマってない人にとっては、関係があるとは思えないかも知れませんよねぇ~。。。

あらっ。。。 “小柴垣草子”はポルノなのでござ~ますか?

いや。。。 ポルノと言ってしまっては身も蓋もありません。。。 ちょっと次のリストも見てください。


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『拡大する』



上のリストは『徒然ブログ』の3月1日から28日までの4週間の「人気検索キーワード」のリストなのですよ。 赤枠で囲んだ 8番に注目してください。



あらっ。。。 “小柴垣草子”が出てきたではござ~ませんかァ~。。。 8番目に人気があるのですわねぇ~。。。 でも、これだけでは『後白河上皇とポルノ』と“小柴垣草子”の関係がイマイチ分かりませんわァ~。。。

卑弥子さんのために“小柴垣草子”を入れてGOOGLEで検索してみました。。。 その結果を見てください。


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『現時点での検索結果』



“小柴垣草子”を入れてGOOGLEで検索すると、3、440件ヒットして、『徒然ブログ』に掲載された『後白河上皇とポルノ』が 9番目に表示されるのですわねぇ~。



そういうことです。

。。。で、“小柴垣草子”というのはポルノにハマっている人にとっては 人気がある“草子”なのでござ~ますか?

『ウィキペディア』には次のように書いてありますよ。

小柴垣草紙


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小柴垣草紙(こしばがきぞうし)は、春画の絵巻物である。
「小柴垣草子」「野宮草紙」とも称され、また後述する長文系統の話末に独自の宗教観に基づく評釈があることから、宗教的な極意伝授を意味する『灌頂巻』と呼ばれることもある。

原本は平安時代末期に描かられたと推測されるが、現在残っているのは江戸時代の模本や写本である。
他にも古春画絵巻は、後世の模写によって何点か残っているが、その中でも『小柴垣草紙』は、官能的な物語を流麗な筆致の詞書と濃密な愛欲描写の挿絵によって描き、日本の古春画最高傑作とみなされている。

寛和2年(986年)花山朝の斎宮済子女王が、天皇の名代として伊勢神宮に奉仕するため洛西嵯峨野の野々宮で潔斎していた折、美男の滝口武者平致光を誘惑し密通したとの噂が流れ、ついには済子の伊勢行きが取りやめになったという、『十訓抄』第五にある物語に基づく秘戯図である。

伝写本は数多いといわれ、さまざまな異本があるが、原本はおそらく12段前後の詞書と挿絵から成っていたと推測される。
画は藤原信実筆、詞は藤原為家筆とも、奥書より画は住吉慶恩(13世紀初頭の絵師。住吉派の祖とされる)筆、詞は後白河天皇または久我通具筆ともいい、ほかに豊後法橋画というもの、土佐光則画というものなどがある。
しかし、あからさまに性愛を扱う内容のため、公開される機会は極めて少ない。

伝承としてこの絵巻物は、承安元年(1171年)高倉天皇に嫁いだ平清盛の娘平徳子に対して、彼女の叔母にあたり後白河天皇の女御だった平滋子が贈ったとする説がある。
後白河天皇は、絵巻物好きで好色な人物だったことを考えると、小柴垣草紙も後白河の意向で制作された可能性が高い。

『小柴垣草紙』は詞書の長短で二種類に分類できる。
一つは斎宮と平致光の一夜の逢瀬を濃密な性表現によって描写した後、この密通が発覚して斎宮群行が取りやめられた結末で終わる短い内容の伝本群。

もう一つは前者の内容に加えて、逢瀬の後に再会し、噂を耳にした女房も加わり、最後は性行為の有り難さについて宗教的言説を用いて解説した、やや長い内容を持った伝本類である。
順序としては、まず短文系統が成立し、次いでこれを増補する形で長文系統が現れたと見られる。



出典: 「小柴垣草紙」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



。。。で、どういうわけで“小柴垣草子”を取り上げたのでござ~ますか?



だから、僕が取り上げたのじゃないと言ってるでしょう!。。。 知る人ぞ知る“小柴垣草子”には 隠れた人気があるのですよ。。。だから 14人が“小柴垣草子”を入れて検索して『後白河上皇とポルノ』を読んだのですよ。

だから、どう言う訳で隠れた人気があるのでござ~ますか?

人間の本性を代弁しているからですよ。

たとえば。。。?

例えば次のように。。。


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平安時代の末期である院政期には「日本で一番前衛的な天皇様」である後白河上皇が大活躍をして、絵巻物の黄金時代を現出させた。

(中略)

日本の国宝級の絵巻物を続々と生み出した日本最大の文化プロデューサーである後白河上皇は、ポルノというものが嫌いだったのだろうか?---ということになると、そんなことはない。
彼はちゃんと、ポルノグラフィーの制作に関与している(らしい)のだ。
男女---あるいは人間同士の性交渉を描写した(たぶん)日本で最初の絵巻物《小柴垣草子絵巻》の詞書(ことばがき)は、後白河上皇が直接書いたのだといわれている。
彼はちゃんと、やっている(らしい)のだ。

 (中略)

平安時代には、賀茂神社と伊勢神宮という二つの大きな神社の神に仕える、“斎院”“斎宮”と呼ばれる特別な未婚の女性がいた。
“特別”というのは、この女性たちが内親王をはじめとする皇族の娘たちだったからだ。
“神の花嫁”となって、斎院は京都の賀茂神社へ、斎宮は伊勢神宮へと出向いていった。
彼女たちは当然“未婚の処女”でなければならないし、神に仕える間に男との交渉を持ってはならない。
がしかし、その神聖な処女である伊勢の斎宮が、ある時警護の男性と密通をしてしまった。
大スキャンダルになって、彼女は斎宮の地位を下ろされて出家させられてしまうのだが、《小柴垣草子絵巻》は、その“歴史上の大事件”を題材にした絵巻物なのである。

 (中略)

986年の夏、やがては伊勢に下ってゆくことになる斎宮・済子(さいし)は、京都の野の宮で、身を清めるための潔斎に時を過ごしていた。
決して男を近づけてはならない斎宮を守るために身辺警護の男達がいて、その中に平致光(むねみつ)という武士がいた。
《小柴垣草子絵巻》の詞書によれば、「この男を御簾の間からご覧になった斎宮はポーッとなってしまった」のである。

ポーッとなってしまった斎宮は、夜になって、その致光が庭の小柴垣のそばで横になっているのを発見した。
身辺警護の武士たちが夜勤の時にいつもそうするように、致光も庭の垣根のそばで寝ていたのである。
ポーッとなった斎宮は、御簾から出て、その男を誘惑してしまった。


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赤字はデンマンが協調のため。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより。)



168ページ 『ひらがな日本美術氏2』
著者: 橋本治
1997年8月25日 第1刷発行
発行所: 株式会社 新潮社



なるほど。。。 なるほど。。。 うふふふふふ。。。 神聖な処女である伊勢の斎宮が 庭の垣根のそばで寝ていた平致光(むねみつ)さんを見て ポーッとなってぇ、御簾から出て誘惑してしまったのですわねぇ~。。。 とっても。。。、とっても。。。、積極的なのですわねぇ~。。。 うふふふふふ。。。



卑弥子さん。。。 あまり興奮しないでくださいよ。。。 鼻息が荒くなってきましたよ。。。

つまり、平安時代の女性は性的に積極的だったのでござ~ますか?

それは僕よりも京都の女子大学で“腐女子”たちに「日本文化と源氏物語」を講義している卑弥子さんの方がよく知っているでしょう!? 次のような話も源氏物語にはあるじゃありませんか!

好色な老女官(ろうにょかん)をめぐる

恋のさやあて



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頭の中将は「源氏に、自分だと気づかないうちに、ここを抜け出そう」と、無言のまま、怒り狂ったふりをして、太刀を抜くと、源の典侍(げんのないしのすけ)は「あなた様、あなた様。どうかお助けを」と、中将に向かって手をすり合わせるので、もう少しで吹き出すところだった。

典侍(ないしのすけ)は、色っぽく若作りしているので、うわべは何とか見られるが、57、8歳の女がだらしない姿でうろたえて、しかも二十歳(はたち)の若者たちの間で震えているのは、なんともぶざまだ。

頭の中将は、別人をよそおい、恐喝(きょうかつ)するふりを演じて見せたが、源氏はかえって目ざとく見抜いてしまった。

「自分と知ってわざとやったんだ」と気づくと、ばかばかしくなった。

「頭の中将だな」とわかると、おかしくてたまらず、太刀を握った腕を捕らえて、ぎゅっとつねった。

中将のほうも、見破られてしゃくに障るものの、我慢しきれず、吹き出してしまった。

(pp.86-87)

頭の中将が、源氏と老女官の寝ている部屋に忍びこみ、屏風(びょうぶ)をがたつかせて脅(おど)す場面である。
『源氏物語』の滑稽譚(こっけいたん)の最たるものだ。

女性は、早いと30代で床離れするのが、当時の夫婦生活である。
当然、この老女官は淫乱症として、徹底的に嘲笑されることになる。



源の典侍(げんのないしのすけ)は

紫式部の兄嫁か?


源の典侍は、50半ばの好色な老女として描かれている。
徹底的に戯画化して描かれ、彼女の登場は笑いを誘わずにはおかない。

ところが、この源の典侍にはモデルがあって、なんと、作者紫式部の兄嫁だというから驚く。
当時の公家日記に照合すると、確かに源明子という典侍が実在し、年齢も同じ50半ばだという。

しかも、『源氏物語』の評判を恥じて、辞表まで出したと推測されている。
もし事実ならば、紫式部という小姑(こじゅうと)の底意地の悪さは相当なものだ。
もっとも、事の真相は不明だが。

(pp.88-89)



『愛の形』より
(2009年6月6日)



卑弥子さんの専門の源氏物語にも 57、8歳の大年増(おおどしま)の好色な女官が出てくるのですよ。。。 でしょう!?



好色な大年増なら分からないことでもござ~ませんわァ。。。 でも、花も恥らう10代の女性で積極的なのは どうかと思いますわァ~。。。

あのねぇ~、年に関係なく、人間というものは性に関心を持つものなのですよ。。。 卑弥子さんだって10代の頃に性に関心を持ったでしょう!?

それは。。。 それは。。。 少しは。。。

少しどころじゃないでしょう! 10代の頃に性に関心を持ったので卑弥子さんは源氏物語を読み始めたのですよ!。。。 そうでしょう!?

デンマンさん! んもおおおォ~。。。 そのようなことをネット市民の皆様の前でバラさないで欲しいのでござ~ますわァ~。。。

とにかく、後白河上皇も好色な上皇だったのですよ。。。 だから、次のように書いている。


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御髪(おぐし)はいと心くるしくこぼれかかりて、また、黒くにくさげなるところ、月の影にほのばかり見ゆる心まどひ、言はんかたなし。



(現代語訳)

長い髪は痛ましげにこぼれかかって、黒くてちょっとヤバいところが、月の光でかすかにセクシーに見えてドキドキしてしまうところは、もうなんとも言えないのだよ。



上の写真はぼんやりしてよく解りまへんけど、誘惑された平致光(むねみつ)さんが斎宮の「黒くてちょっとヤバいところ」を見つめているところなのでござ~ますかァ~?



そうですよ。。。 その気持ちが僕にも伝わってきますよ。 うししししし。。。

そのように下卑た笑いを浮かべないでくださいましなァ~。。。 要するに、男性が喜ぶポルノですわねぇ~。。。

あのねぇ~、平安時代は性に対しておおらかな考え方を持っていたのですよ。 だから、現在のように隠れてコソコソとポルノを見るような雰囲気はなかった。 語弊があるかもしれへんけど、現在と比べれば、フリーセックスの時代だった。 そういうわけで、ポルノの需要がほとんどなかった。

でも、後白河上皇が性交渉を描写した(たぶん)日本で最初の絵巻物《小柴垣草子絵巻》の詞書(ことばがき)を書いたのでしょう!? ポルノの需要がなかったら、そのような事は書かないでしょうに。。。

あのねぇ~、卑弥子さんも知ってのとおり、平安時代には性に対するタブーは現在から比べれば極めて少なかった。 しかし、その少ない中のタブーが“斎院”と“斎宮”にまとわりついていた。

つまり、“斎院”と“斎宮”と呼ばれる女性は“未婚の処女”でなければならないし、神に仕える間に男との交渉を持ってはならないということですか?

そうですよ。。。 だから、当然、このタブーに男たちの関心が注がれる。 《小柴垣草子絵巻》という絵巻は、そのタブーを犯した事件があったから、男たちの関心が集まったというわけですよ。 原本は失われて、現在に伝わってない。 だけど、何度となく模写したらしく、そのコピーが現代に伝わっている。

要するに性的タブーがあって初めてポルノが生まれたと、デンマンさんは考えているのでござ~ますか?

それが大きな理由の一つだと思いますよ。 つまり、タブーを犯したという事実は、いつの時代にも、その当時の社会に衝撃を走らせる。 社会に波紋を広げてゆく。 その波紋が好奇心をくすぐって《小柴垣草子絵巻》という絵巻が出現したと思うのですよ。

斎宮・済子(さいし)と平致光(むねみつ)の密通事件は、それほどの波紋を投げかけたのでござ~ましょうか?

あのねぇ~、平安時代の性的におおらかな時代に、“斎院”と“斎宮”に厳しい“戒律”を押し付けることがそもそも不自然なのですよ。。。 だから、当然それを破る女性が出てきても不思議じゃない。。。 だから、この話は現代まで語り継がれているのですよ。



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ですってぇ~。。。
あなたは、実際に斎宮・済子(さいし)と平致光(むねみつ)の密通事件があったと思いますか?

関係者は皆、あの世に逝ってしまっているので、“死人に口無し”でござ~ますわ。
真相は闇の中に隠されたままでござ~ます。

ところで、古代にも いろいろな不思議な謎がございます。
お時間があったら、古代の謎も 探求してくださいませぇ。

平安史、古代史の記事を用意しましたわァ。
ぜひ お読みくださいまし。
では。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。
 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?


マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?


とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。



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『外人に乗っ取られた日本?』

『失われたバレンタイン』

『軽井沢夫人@日本王国』

『都知事になれなかった男』

『落選男の正体?』

『カナダはカエデの国なの?』

『海外飛躍遺伝子』

『ふるさとは遠きにありて…』

『芭蕉と遊女の出会い』

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『宮沢りえと3723人の観客』

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『チョー有名な三角関係』

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『デンマンの死@玉淀』

『血の絆』

『イジメられたら?』

『アタマにくる一言をかわすには』

『顔文字がダメなら?』

『日本の一番長い日』


(annasalleh.jpg)

『オルフェと聖徳太子』

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『心にしみるウンチ』

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『愛とロマンの昔話』

『愛とロマンのアクセス解析』

『兄妹の恋のつづき』

『源氏物語エロいの?』

『酒が行って着物目変境』

『日本は外人に乗っ取られたの?』

『ん?ヒトラーはベジタリアン?』

『ふるさとの選挙と黒い霧』


(hama10.jpg)

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『光源氏もビックリ』

『エロエロ源氏物語』

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『卑弥子のえっち』

『白妙の和歌を探して』

『キーワード診断』

『紅のボート難民』

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『下衆のかんぐり』

『桓武天皇のママがネットで』

『ござが天皇とGOOGLE』

『エロ 建礼門院』

『一敗が三人に!』

『行田の黒い霧をはらう』

『ペルシャ人が飛鳥に』


軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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