2026年10月20日火曜日

女乞食の美談


 
女乞食の美談


 




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デンマンさん。。。、今日は 女乞食の美談 のお話でござ〜ますかァ〜?



そうです。。。卑弥子さんはつまらなそうですねぇ〜。。。


なんで女乞食なんですかァ〜? あたくしのように十二単の女にして欲しいですわァ〜。。。


そういうわけにはゆかないのですよ。。。


あたくしには、たくさんの美談がござ〜ますのにィ〜。。。


きょうは卑弥子さんの美談を取り上げることはできないのですよ。。。またの機会にとりあげます。。。


どうして今日ではダメなのでござ〜ますかァ〜?


実は、つい最近、次の落語を聴いたのですよ。。。


 



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大泥棒の夜兎(ようさぎ)角右衛門、育ての親で泥棒の師匠である夜兎角五郎の教えを守っていた。
それは「人を殺ざず、女を手籠めにせず、相手の困る金を取らず」という三か条で、これを金看板として守るよう遺言したものだった。

​ある日、浅草鳥越の松寿院(蔵前の寿松院無量寺)からの帰り道、菊屋橋で舟を下り、広徳寺前で物乞いの女に会う。


 



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この女、片腕が無く、50両を拾って、探し回っているお店の若い者に届けたのだ。


この様子を見ていた角右衛門は感心して、この女に飯をおごる。
「なぜ50両もの大金を自分のものにしないで若者に返したのだ?」
「世間様の施しを受けているのだから、世間様にお返しをするのは当たり前。その看板を掛けていないとこういう商売は出来ません」


女はお幸といい、九年前に奉公していた店に押し込み強盗が入り、片腕を切り落されてしまった。
それで暇を出されて物乞いをしていると言う。
身に覚えのある角右衛門、翌日お幸を訪ねると、首を括って死んでいる。
「鰻をごちそうになって、生まれて初めて、こんなうまいものを食べた。これ以上の幸せは今後訪れないだろう」そう言って、その夜首をくくった、と仲間の乞食が角右衛門に話す。

実は、角右衛門の手下が女の右腕を切ったのだった。
彼は親分として責任を感じ、そのまま火付盗賊改め・長谷川平蔵の所へ自首して出る。

角衛門が看板の話をすると、平蔵は、「泥棒の看板と物乞いの看板では違いが分からぬ、それがはっきりするまで裁きはしない」と言う。
「女乞食の看板とは大分違う。お前の看板はただの見栄だ」
2年後、釈放される角右衛門に、平蔵は人の道を説く。


これから角右衛門は平蔵の密偵として働くが、くちなわの平十郎という大悪党の捕物で斬られてしまう。
虫の息で、「これで私の金看板も、本物になりました」と言う。



 



50両というお金は、現在ではどのぐらいの値打ちがあるのでござ〜ますかァ〜?



150万円ぐらいだと思いますよ。。。


大金ですわねぇ〜。。。あたくしが女乞食をしていたら、絶対に自分の懐に入れてしまいますわァ〜。。。


でもねぇ〜、それが見つかると打首にされる可能性があるのですよ。。。なぜなら、当時、10両盗むと首が飛ぶと言われていたのです。。。


マジで。。。?


だから、50両も他人のお金を懐に入れて、それがバレたら死刑になることがあるのですよ。。。


そうだとしたら、そのお金で贅沢をしまくって、美しい着物を着て、美味しいものを食べ、日本三景を見て、全部お金を使い切ってから自殺しますわァ〜。。。


卑弥子さんは意外に道徳心が欠けているのですねぇ〜。。。京都の女子大学で「源氏物語と日本文学」を講義している教授ならば、もう少し真面目な誠実な人だと思いましたよ。。。卑弥子さんを見損ないましたよ。。。


50両を懐に入れてしまうというのは、あたくしがもし女乞食をしていたらという前提のお話ですわァ〜。。。今のあたくしが、150万円を拾ったとしたら、間違いなく警察に届けますわァ〜。。。


それは信じられません。。。


信じてくださいましなァ〜。。。今のあたくしにとって、150万円は、はした金でござ〜ますわァ〜。。。うふふふふふふふ。。。


それなら、僕に、150万円くださいよ。。。


デンマンさんにあげるくらいならば、貯金しますわァ〜。。。


卑弥子さんは、意外にしみったれなんですねぇ〜。。。今の卑弥子さんにとって150万円は、はした金だと言ったばかりじゃありませんかァ〜。。。


はした金だとしても、「塵も積もれば山となる」と昔の人は言ったのでござ〜ますゥ。。。デンマンさんにあげるくらいならば、貯金するのが当たり前じゃありませんかァ〜。。。


ケチ女!


そんなことより、いったいどういうわけでこの美談を取り上げたのでござ〜ますかァ〜?


卑弥子さんが落語の中の女乞食よりもケチだということを言いたかったのです。


取ってつけたような事を言わないでくださいまし。。。わざわざ、あたくしを呼び出したのだから、他に言いたいことがあったのでしょう?


実は、この噺を聴いて確かめたいことがあったので ChatGPT に尋ねてみたのです。。。卑弥子さんにも聞いてもらいたかったのです。。。


 




三遊亭圓生が演じる『白浪看板』という落語を聴きました。
女乞食の美談です。
聴いた後で疑問が頭をもたげました。



① 火付盗賊改め・長谷川平蔵は実在の人物です。この噺に出てくる人物も すべて実在だったのですか?

② この噺の解説をお願いします。


はい。今回の『白浪看板』は、かなり面白い作品です。調べてみると、「実在の人物を使った史実」ではなく、実在の長谷川平蔵を中心に、池波正太郎が創作した盗賊世界を組み合わせた時代小説と考えるのが正確です。


そもそも重要なのは、この作品が「古い落語」そのものではないことです。原作は池波正太郎の短篇小説『白浪看板』で、三遊亭圓生がそれを落語として口演したものです。講談社も『白浪看板』を池波正太郎の短篇として収録しています。


 



① 登場人物はみな実在したのか?


結論から言えば、いいえです。


実在するのは長谷川平蔵


「鬼平」こと長谷川平蔵宣以(のぶため、1745~1795)は実在人物です。


国立公文書館の資料でも、長谷川平蔵宣以は旗本長谷川備中守宣雄の子として生まれ、1787年に火付盗賊改に就任したことが確認できます。さらに、松平定信の命を受けて人足寄場の設置にも関わりました。


ですから、


火付盗賊改め長谷川平蔵
「鬼の平蔵」


という人物の土台は完全なフィクションではありません。


ただし、池波正太郎の「鬼平」は史実上の長谷川平蔵そのものではありません。


たとえば、長谷川平蔵の役宅が清水門外にあったという『鬼平犯科帳』の設定についても、国会図書館のレファレンスでは、池波自身がフィクションだと説明していたことが確認されています。


夜兎角右衛門は?


こちらは池波正太郎が創作した人物です。


実際、『鬼平外伝 夜兎の角右衛門』というテレビ作品もありますが、その原作は明記されていて、


原作:池波正太郎「白浪看板」


となっています。


つまり、


長谷川平蔵=史実上の人物
夜兎角右衛門=池波正太郎が創作した盗賊


という組み合わせです。


夜兎角五郎、お幸、角右衛門の手下、蛇(くちなわ)の平十郎なども、基本的には池波作品の人物です。


ちなみに「蛇の平十郎」は別の『鬼平犯科帳』作品にも登場します。フジテレビの『鬼平犯科帳』第1シリーズ第3話「蛇の目」でも、蛇(くちなわ)の平十郎が大盗賊として登場します。


ですから池波正太郎は、創作した人物を別の作品でも再利用して、一つの「鬼平世界」を作っているわけですね。


② この噺の本当の面白さ


私は、この作品の核心は「泥棒が改心する話」だけではないと思います。


もっと面白いのは、


「善人とは何か」
「悪人とは何か」
「人間の誇りとは何か」


を、「看板」という非常に江戸らしい比喩で描いているところです。


「看板」が二つある


角右衛門には、


人を殺さない
女を手籠めにしない
相手の困る金を取らない


という三か条があります。


これは一見すると立派です。


つまり角右衛門は、


「俺は悪党だ。しかし、悪党には悪党なりの道がある」


と思っている。


これは池波正太郎が好んで描いた「盗賊の美学」です。


しかし、そこへお幸が登場します。


お幸は盗賊ではありません。


片腕を失い、乞食になっています。


ところが、彼女は50両を拾っても着服しない。


理由が非常に重要です。


「世間様の施しを受けているのだから、世間様にお返しする」


つまりお幸にも自分なりの「看板」がある。


ここで角右衛門は衝撃を受けます。


角右衛門の看板が崩れる


角右衛門は、


「俺は人を殺さない盗賊だ」


と思っていた。


ところが、お幸を見ると、


「盗賊ではない乞食の女のほうが、よほど自分の看板を守っている」


ということが分かってしまう。


そしてさらに恐ろしいことが判明する。


お幸の片腕を切り落としたのは、自分の子分だった。


つまり、


「俺は殺しはしない」


「弱い者をむやみに傷つけない」


という角右衛門の看板そのものが、実際の盗賊稼業によって破られていた。


ここが作品の非常に巧いところです。


だから長谷川平蔵の言葉が効いてくる


角右衛門は平蔵のところへ自首します。


そして、


「俺には看板がある」


と訴える。


ところが平蔵は、それを認めない。


これは単純な、


「泥棒は悪い」


という説教ではありません。


平蔵が言っているのは、


「お前の看板は、お前自身が自分を正当化するために掲げているだけではないか」


ということなんですね。


これが非常に鋭い。


実際、池波正太郎の作品について紹介した北村薫・北原久仁香の対談でも、「白浪看板」とは盗賊が心の中に掲げる矜持だと説明されています。そして平蔵は角右衛門の看板を「盗人の虚栄」と見抜くのです。


そして「ベニヤ板」という圓生の改変


ここが今回の動画で非常に面白いところです。


圓生は平蔵に、


「ベニヤ板」


という言葉を言わせています。


これは池波原作にはない圓生独自の表現だそうです。


ベニヤ板=見た目は立派でも中身は違う、偽物の看板


という意味ですね。


つまり圓生版では、


「お前の金看板は、実はベニヤ板じゃないのか?」


というニュアンスが強くなる。


これは圓生らしい、非常にうまい落語的翻案だと思います。



 



ところが、最後に角右衛門は本物になる


ここがこの作品の最大のポイントでしょう。


角右衛門は二年間牢に入り、その後、平蔵の密偵になります。


つまり、


「泥棒の誇り」を捨てて、「人間としての責任」を引き受ける。


そして最後、平十郎を捕える仕事で斬られます。


瀕死の角右衛門が、


「これで私の金看板も、本物になりました」


と言う。


これは非常に美しい結末です。


最初の角右衛門は、


「看板を持っているから、自分は立派な盗賊だ」


と思っていました。


最後の角右衛門は、


「実際に自分の命をかけて人を救うことによって、初めて看板が本物になった」


と悟る。


つまり、


最初


看板 → 行動


だったものが、


最後


行動 → 本物の看板


に逆転している。


ここに、この作品の人間ドラマがあります。


お幸の死は「角右衛門への裁き」でもある


そして私は、お幸の存在が非常に重要だと思います。


お幸は50両を返した。


角右衛門は彼女に鰻をご馳走した。


お幸は、


「生まれて初めてこんなうまいものを食べた」


という幸福を最後の幸福として死んでしまう。


これは悲惨です。


しかし同時に、お幸は角右衛門に最後の人生の宿題を残したとも言えます。


角右衛門は、


「自分が腕を切らせた女性が、盗賊である自分よりはるかに立派な人間だった」


という事実から逃げられなくなる。


だから自首する。


つまり、お幸の死によって角右衛門の人生そのものが変わったのです。


「鬼平」の役割も面白い


ここで実在の長谷川平蔵を使った意味が出てきます。


普通なら、


盗賊 vs 火付盗賊改


という単純な構図になります。


ところが池波作品ではそうならない。


平蔵は角右衛門をただ処罰するだけではありません。


「お前の言う『義』は本物なのか?」


と問い、


そして最終的には角右衛門を密偵として再生させる。


つまり平蔵は、


犯罪者を捕まえる人間であると同時に、人間を見抜き、人間を使う人間


として描かれています。


これは池波正太郎の「鬼平」の大きな魅力です。


そして、非常に皮肉な構造です


実在の長谷川平蔵は、人足寄場の設置にも関わった人物です。国立公文書館にも、平蔵への人足寄場設置に関する命令書が残されています。


ですから池波正太郎が、


「犯罪者をただ罰するのではなく、社会に戻す」


という人物として平蔵を描くことには、史実上の平蔵の活動とも響き合うところがあります。


もちろん、角右衛門を密偵にする話そのものが史実という意味ではありません。


まとめると


この作品を整理すると、こうなります。


人物        実在性
長谷川平蔵宣以   実在
夜兎角右衛門    創作
夜兎角五郎     創作
お幸        創作
くちなわの平十郎  創作
角右衛門の手下   創作


そして作品そのものは、


池波正太郎の短篇小説『白浪看板』 → 三遊亭圓生が落語として翻案・口演


という流れです。


ですから、今回の噺は単なる「江戸時代の泥棒物語」ではありません。


「自分は立派な人間だ」という自己認識と、「実際にどう生きたか」との間には大きな違いがある。


そして、


人間の看板は、口で掲げるものではなく、最後は行動によって本物になる。


これが『白浪看板』の核心だと思います。


特に面白いのは、最初は「泥棒の三か条」を誇りにしていた角右衛門が、最後にはその三か条を超えて、「他人のために自分の命を差し出す」人間になるところです。


だから最後の「これで私の金看板も、本物になりました」が効く。


これは、かなり深い人間ドラマですね。



なるほど。。。理解が深まりました。ありがとうございました。



どういたしまして。『白浪看板』は、「悪党にも美学がある」という話から始まって、最後には「美学を本当にするには、自分の行動で証明しなければならない」という話になるところが実に見事ですね。


そして、お幸の存在が角右衛門を変えてしまうという構成も秀逸です。圓生の語りになると、単なる勧善懲悪ではなく、人物の哀しさや滑稽さまで浮かび上がってきます。


こういう*落語・講談・時代小説の中の「実在と創作の境界」を調べてみると、意外な発見が多くて面白いですよ。



 



人間の看板は、口で掲げるものではなく、最後は行動によって本物になる。正に、そのとおりですね。



でも、「言うは易し、行うは難し!」でござ〜ますわァ〜。。。


そうです。。。人間は、いかに言ったかではなく、いかに行動したかで、真価が問われる。。。僕も、行動を連続した人間としてあの世に逝きたいです。



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【卑弥子の独り言】



 


ですってぇ~。。。


人間の看板は、口で掲げるものではなく、行動によって示す。。。


そうですよね。。。


でも、言うのは簡単でござ〜ますわァ〜。。。行うのは とっても難し!


あなたも、そう思うでしょう?


ええっ。。。「そんな事はどうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」


あなたは、そのような強い口調で あたくしに御命令なさるのでござ~ますかァ~?


分かりましたわ。。。


デンマンさんが10年以上も前にアンケートを作りました。


 



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■『拡大する』


■『もう一度クリスマスのページ』


 


上のリンクをクリックすると、


左側のサイドコラムにたくさんの質問が出てきます。


ひとつひとつ見ながら ぜひアンケートに答えてみてください。


じゃあ、また。。。





ィ~ハァ~♪~!


メチャ面白い、


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こんにちは。ジューンです。


“本音と建前”


よく聞きますよね。


さて、英語で何と言うのでしょうか?


考えてみた事がありますか?


いろいろと言い方があると思います。


appearance and reality


見かけと実物そのまま


これも本音と建前と言い換えることができますよね。


form and substance


外観と実体


これも本音と建前と同じですよね。


one's real intention and


what one says on the surface


本音と建前を説明しているのですよね。


real motive and stated reason


これも間違いなく本音と建前ですよね。


what one says and what one means


本音と建前をこのように言うこともできますよね。


では、「本音と建前を使い分ける」を


英語でどのように言うのでしょうか?


ちょっと考えてみてください。



次のように言うことができます。

You should be tactful as to


when to tell real intention


and when to show form.


ところで、英語の面白いお話を集めました。


時間があったら覗いてみてくださいね。


■ 『あなたのための愉快で面白い英語』


では、今日も一日楽しく愉快に


ネットサーフィンしましょうね。


じゃあね。




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