2011年4月20日水曜日

裸婦と今一つの世界

 


裸婦と今一つの世界








ぼくがバルテュスに興味を持つようになったのはそんな昔ではない。 1980年代に入ってぼくが絵画を始めるようになって10年ほど経った頃からだから、今から10年ほど前ということになる。 ぼく自身の作品が物語色の強い傾向を帯び出してからである。



ぼくはこの頃小説や物語の挿絵に、10代の頃興味を持って以来の興味をもう一度持ち始めた。 そんなぼくの眼でバルテュスを見直すと、どの絵も小説や物語の挿絵のように見え始めたのである。 その時からである。 バルテュスにどんどん近づいていったのは。



それがまるでエロティックな探偵小説の挿絵のように見えたのだった。 探偵小説といってもぼくは江戸川乱歩以外知らないので、きっとバルテュスの中に探偵小説の世界を垣間見たのかもしれない。 こんな勝手な見方ができるのも絵画の持つ想像性がそうさせるのだろう。







江戸川乱歩 『闇に蠢く』



横尾忠則の挿絵




10代の頃に読んだたったの3篇の江戸川乱歩の小説がその後何十年も経った現在でもちっとも色褪せずに大きな影響力を持っているのにはわれながら驚かされる。 バルテュスの絵はどの絵を見てもエロティックだけれども、江戸川乱歩の探偵小説もこれに近いエロティックな感覚が流れているように思う。



バルテュスと江戸川乱歩を結びつけるものは恐らくぼくだけだろうけれども、ぼくの中では見事に結びつくのである。 そしてぼくはいつも思うのだが、、江戸川乱歩のような世界がぼくの描く絵にいつも現れてくることを密かに願望しているのである。 ということは、バルテュスの絵が持つあのちょっと危険な感じのするエロティックな世界が描けたらそれで十分なのである。



(注:イラストはデンマン・ライブラリーから貼り付けました。

赤字はデンマンが強調)








148 - 151ページ

『名画 裸婦感応術』

2001年6月15日 初版第1刷発行

著者: 横尾忠則

発行所: 株式会社 光文社








デンマンさん。。。あんさんはどうして横尾忠則さんの本を取り上げはったん?







めれちゃん。。。上の文章を読んで分からへんのか? 横尾さんは、たったの3篇の江戸川乱歩の小説を読んだだけだけれど、その後何十年も経った現在でもちっとも色褪せずに大きな影響力を持っている、と言うておるのやでぇ~。。。



そやから、あんさんはどうやと言わはるのォ~?



めれちゃんにとっても江戸川乱歩の小説と横尾忠則のイラストは大きな影響力を持っておるねん。



どうして、あんさんはそないな事を言わはるのォ~?



めれちゃん。。。惚(とぼ)けたらアカンでぇ~。。。めれちゃんのこれまでの日記やブログを読んだら、見え見えやんかァ!



そうですやろか?



まだ、惚けるのやなァ~。。。!? そやったら、わてが証拠を見せるさかいに、めれちゃんもじっくりと読み返したらええやん。





読書して怒られる



 





2006/05/11 14:16



子供のころから、

家にはたくさんの本がありました。



わたしは江戸川乱歩の少年探偵団を、

よく読んでいたのですが、

そのうち、飽き足らなくなったのか、

親が持っていた「江戸川乱歩全集」を、

愛読するようになりました。



しかし。

その全集には、

横尾忠則氏の挿絵がついていて、

えっちなんです。

なので、親には読んじゃダメと

言われていました。

(だったら、かくしといてくれ)



わたしはこっそりかくれて、

そのえっちな江戸川乱歩の本を、

読んでいたのでした。

しょっちゅう見つかって、怒られました。



さらに。

印象的なのが

「チャタレイ夫人の恋人」です。

もちろん禁止本です。

禁止されたら、読むに決まってます。



・・・ませガキ。

・・・エロガキ。



by めれんげ








「めれんげの日記」

『だれかつっこみいれて!』より



『エロい文学少女』に掲載

(2007年4月11日)









どうや、めれちゃん。。。思い出したやろう? こないな事を2006年の5月の日記に書いていたのやないかいな!







デンマンさん。。。あんさんは、わたしの書いた物ならば何でも保存しておきはるのォ~?



そうやァ! めれちゃんが惚けて知らん振りする時の用意に、わてはこうして保存しておくのやでぇ~。。。うししししし。。。



そやけど、たった一度のことやんかァ~!



たった一度ではあらへん。



あんさんは出任(でまか)せを言わはるのォ~?



出任せではあらへん。 めれちゃんは次のような手記まで書いていたのやでぇ~。。。




「エログロナンセンス」の時代



特有の、妖しげな表現に



魅せられました。




2007-04-13 13:53







デンマンさん

わたしの言う「エロい」は、

やはり少々お下品だったかな?

この表現って、

わたしにとっては「ギャグ」に近いんですよ

わたしは関西人のなかでも特に?

ウケをねらう傾向が強すぎるものでして、

必要以上に自分をコミカルにデフォルメするという、わるーい癖があるんですよね



で、回答へとまいりますね。。。



江戸川乱歩全集に関してですが、

とにかく横尾氏のイラストが、

エロチックだったのです。

幼いころから、女性の肉体の美しさに

強烈に魅了されていたわたしは、

偉大な画家たちの描く裸婦や、

女性のヌード写真を見て

「わたしも早くこんな風にキレイになりたいなあ!」

と、成熟へのあこがれを強く感じていました。



乱歩の作品自体については、

「エログロナンセンス」の時代特有の、

妖しげな表現に魅せられました。







「人間椅子」での、愛する女性のソファに、

自ら入り込み、悦楽にひたる男の異常な愛などは、

「家畜人ヤプー」に通じるものがあり、

それはむしろ、純粋なものすら感じました。



そういえば…

乱歩の時代のことが知りたくて、

おばあちゃんに

(今は亡き愛するおばあちゃんです!)

「見世物小屋行ったことある?」

「衛生博覧会って、どんなんやった?」

などと、聞きまくっていたものです



「チャタレイ夫人の恋人」ですが…

ぶっちゃけエロい箇所の拾い読み、

というのが事実です!

だってねえ…あの小説の大半は、

ロレンスの思想の

展開だと思いませんか?



小学生のわたしに、

そんなものを理解できるような

知性も理解力もなかったっす…

で、大人になってから読み返したのですが、

森の番人の野卑でありながらも、

深い洞察力に満ちた性格に、

恋愛感情にも似た気持ちを感じました。

おまけに、セックスは上手ですしね(キャー!)



女性が自らの性欲を恥じる必要など

ないということを、

わたしは少女時代に、

あの小説によって知ったのかもしれませんね。




フロイトも、ヒステリーの原因は、

性的欲求不満であると、言ってましたよね?

セックスとは、

愛を基盤とした自由なものであるべきだと、

わたしはずーっと信じてます!



by レンゲ








『ゴスロリと黒パンツ』より

江戸川乱歩の世界

(2009年5月6日)








こないな事を2007年の4月に書いていたのやがなァ。







あんさんはホンマにくどいなァ~!



ん。。。? わてがくどい?



そうやんかァ! 上の手記は何べんもあんさんが引用しましたやんかア!



それを知っているのなら、はよう認めんかいなァ!  めれちゃんが惚けているから、わてが持ち出してきたのやないかいなァ。



それで、あんさんは何が言いたいねん?



つまり、めれちゃんが江戸川乱歩だけではなくて横尾忠則のイラストからも大きな影響を受けていると言いたかったのや。



そんな事、この記事を読みはってる人には関係あらへん。



あのなァ~。。。例えとして出したまでやァ。



何の例え。。。?



横尾忠則さんもマルグリットの影響を強く受けてるねん。 つまり、人間っつうもんは。。。、めれちゃんだけやなしに、刺激的な芸術からは、やっぱり強烈な影響を受けるものなのやァ。



なんでマグリットを持ち出してきやはったん?



わては4月17日の記事の中でマグリットの絵を紹介したのやァ。








この絵の不思議さと謎は、部屋という三次元空間にいる画家の筆先が、この作品は単に平面の絵画ですよ、立体像ではなく、キャンバスに描かれたペラッとした絵具が塗られたただの裸婦像ですよ、といっているのがわかる。



このややこしい二重性がぼくの筆力によってどれほど理解されたか少々心配だが、なんとなく分かっていただけただろうか。



もちこの絵が裸婦だけを描いたものであれば、左手は未完成のまま終わってしまったのだろうな、と鑑賞者に想像させるだけで十分なのだが、この絵をややこしくさせてしまったのは腕の続きを描く画家自身が画面の中に入り込んでしまったからだ。 なんだか食べ物が喉にひっかかったようなすっきりしないものを感じるが、ここはマグリットのペテン師的才能である。



ある意味では観念的(コンセプチュアル)な作品である。 現代作家に人気があるのもこのようなマグリットの観念的な発想に魅かれるからであろう。 ぼくは観念的な芸術をあまり好きになれない。 言葉や論理が優先する頭脳的な芸術よりも、肉体に直接響くような官能する作品が好きである。 芸術は生命の表象したものだと思っているからだ。



でもマグリットはなぜか好きである。 どういうところが好きであるかというと、彼の一枚の絵には何種類かの違った描写がされているからである。



この作品に関しては該当しにくいが、大抵の絵には実物を見ながら描いた部分、目の記憶によって描いた部分、写真や図版を模写するように描いた部分、これらの3つの、または4つの要素が一枚の絵の中に見事に調和しながら共存しているのである。 マグリットの絵の不思議さはアイデアにもよるが、この多様な様式の統合に負う部分も多いのである。



ぼくがマグリットを愛するのはこの後者の考え方である。 このことによってマグリットは本物のような嘘の現実を演出する。 これは丁度われわれの記憶が、真実と作りものによって構成されていることに似ている。 記憶というのは時間とともにどんどん変化していく。 マグリットの多様な様式はこのように変化していく時間を描いているように思うのである。



(注:写真はデンマン・ライブラリーから貼り付けました。

なお、ビキニはデンマンが描き加えたものです。

赤字はデンマンが強調)








82 - 83ページ

『名画 裸婦感応術』

2001年6月15日 初版第1刷発行

著者: 横尾忠則

発行所: 株式会社 光文社



『記憶のデフォルメ』に掲載

(2011年4月17日)








上のマグリットの絵を見ると横尾さんが描いた次の挿絵が影響を受けているのが、よう判るのやァ。







江戸川乱歩 『闇に蠢く』



横尾忠則の挿絵








そうやねぇ~。。。言われてみれば手を描き込んだところはマグリットのアイデアを真似たのかも知れへん。。。で、あんさんはこの事が言いたかったん?



いや、そればかりではあらへん。



。。。で、他に何が言いたねん?



次の小文を読んでみれば、めれちゃんにも分かるでぇ~。。。








三島由紀夫は、横尾作品の評をもとめられた時、「日本固有のものだ、と考えられていた横尾の土着感覚は、実は、世界中のあらゆる民族が持っている土着的なものと、どこかで類縁性がある」という意味のことを書いた。 どの民族の神話もお伽噺も、話の骨格もタッチも、よく似ていることが、その証明となる。



 (中略)



名声は、ロックシーンにまでおよび、サンタナからLP「ロータスの伝説」のジャケット製作を直接依頼され、サンタナの音楽以上に、その二十二面観音開きの作品は“驚異”の評価を受けた。 大島渚監督の映画『新宿泥棒日記』に主演男優として出演した。 また写真家宣言をして、当時としては世界記録(それまではジミー・ヘンドリックスのLP「エレクトリック・レディランド」の10名ほど)の36名の女優を河口湖畔につれてゆき大スペクタクル・素人完全ヌード写真を撮影した。







横尾さんの、多方面のはなやかな活動は、無名の若者たちを刺激し、イラストレーターという地味な仕事を、憧れの職種ナンバーワンにおしあげた。



 (中略)



冥感(みょうかん)という言葉がある。 真心、あるいは自分をからっぽにして、神仏に接すると、神仏すら感動させてしまう、という意味だ。 横尾さんの作品にも人格にも、そういう、いたずらっぽい冥感があり、世界中の人々、有名無名人をとわず、“YOKOO”に会いたい、会いたい、といわれ続ける。 デイビッド・ボウイから、禅の高僧までも横尾家の応接間のソファに座る。



 (中略)











横尾さんの冥感が、ただ一度だけ、ただ一人にだけは通じなかったことがある。 1970年代のある日、スペインのポルトリガトにある、古城のような、サルバドール・ダリの家の門をたたく。 ダリは、自分の絵画技術が超絶すぎるという理由で、ガラ夫人の霊感にたよって絵を描いていた。 そのガラ夫人がでてきて、いきなり横尾さんにむかって、現代経営学的な罵詈雑言をはく。 多分、ガラ夫人は、横尾さんと異なる宇宙観=暗黒銀河団系、を持っていたのだと思う。 横尾さんは銀河系宇宙観の代表芸術家のような人だから…。 隕石の衝突のような出会いだった。







(注:写真はデンマン・ライブラリーから貼り付けました。

赤字はデンマンが強調)








179 - 184ページ 『オーラな人々』

2009年2月28日 初版発行

著者: 椎根 和 (しいねやまと)

発行所: 有限会社 茉莉花社








つまり、三島由紀夫さんと横尾さんとのつながりを持ち出したかったん?







まあ。。。そう言う事やなァ。



でも、どないなわけで三島さんが関わってきやはるのォ~?



横尾さんは横尾さん独自の世界を作り出したと、わては思うておるねん。



つまり、三島さんも三島さんの独自の世界を作り出したと。。。?



そうやァ。。。そう言う訳で二人は、何か共感するモノを共有していたと、わては感じるねん。



三島さんの独自の世界ってぇどないなモノやのォ~?



次の小文を読めば、めれちゃんにも見当がつくはずやァ。








三島由紀夫の遺作となった小説『豊饒の海』第一巻『春の雪』は、作者が美智子妃への思いをもとに、想像力の赴くままに書き上げた私小説である。

その結末は破天荒で、これが戦前ならば不敬罪に当たることを、作者は百も承知で書き進めた。 そしてその頃、生涯の計画として、人の意表を衝く「死に場所」を求めていた三島は、その完成の日こそ己れの自決の日であると、秘かに心に決めていた。







その執筆と併行して彼が組織した「楯の会」は、“左翼革命”が起こるであろう日、自衛隊を先導して、硝煙けむる二重橋を渡り、火傷するほど熱い握り飯を捧げ持って、意中の人に献上するための私兵であった。

ところが、三島の期待に反した“左翼革命”は、待てども起こらなかった。

昭和43年、44年と学生デモ隊は警察機動隊の力で徹底的に鎮圧され、自衛隊の出動は見送られ、憲法改正の機会も見失われて、ついに「楯の会」は栄えある出陣の場を失ってしまったのである。

三島由紀夫が自由に生きた時代、それは昭和20年8月15日、敗戦の日で終わった。




次郎 …女はシャボン玉、お金もシャボン玉、名誉もシャボン玉、そのシャボン玉に映っているのが僕らの住んでいる世界、そんなこと、みんな知ってらあ。



 ただ言葉で知っておいでなだけでございますよ。



次郎 うそだ。 僕はみんな知っちゃったんだよ、だから僕の人生は終わったのさ。



(『邯鄲(かんたん)』昭和25年)




三島は、現人神(あらひとがみ)が「人間天皇」となった昭和の御代(みよ)を怒り、呪った。

大正10年(1921)11月25日は皇太子裕仁が大正天皇の摂政に就任し、事実上、昭和の御代が始まった日であるが、三島はこの11月25日という日を決行の日に選び、自衛隊に突入したのではないかと考えられる。



 (中略)



現代において、何かを創造するには、歴史感覚の欠如や社会性への無視は許されないが、三島が生涯にわたって愛読した『葉隠』には、ある種の時代錯誤を感じないではいられない。 この書は、真の武士道とはほど遠く、三島の人生誤算の大きな原因となったのではあるまいか。



(注:写真はデンマン・ライブラリーから貼り付けました。

赤字はデンマンが強調)








280 - 283ページ

『三島あるいは優雅なる復讐』

2010年8月26日 第1刷発行

著者: 高橋英郎

発行所: 株式会社 飛鳥新社



『アナクロニズム』に掲載

(2011年3月27日)








三島さんの世界は昭和20年8月15日、敗戦の日で終わったと、書いてますやん。







その通りやァ。



そやけど、それ以後の三島さんの世界について何も書いてまへん。



いや。。。全く書いてないわけではあらへん。 『葉隠』の世界が三島さんの戦後の世界に大きな影響を与えたと、わては思うておるねん。



そやけど、それは時代錯誤の世界ですやろう?



そうかもしれへん。。。そやけど、どないな世界を持とうと個人の問題やァ。 世間の知った事ではあらへん。 江戸川乱歩先生は次のように言うてるねん。




今一つの世界







ここにもし、それらのものとは全く違った、また目新しい、「今一つの世界」があって、魔法使いの呪文か何かで、パッと、それがわれわれの目の前に現れたなら、そして、たとえば竜宮へ行った浦島太郎のように、その世界で生活することができたなら、われわれはまあどんなに楽しく生甲斐のあることでしょう。



でも、われわれは浦島太郎にはなれっこない。そんな「今一つの世界」なんてあるはずもなく、そこへ住むなんて思いもよらぬことだ。われわれはやっぱり、このきまりきった、面白くもない日常茶飯事を繰り返して行くほかに生き方はないのだ、とおっしゃるのですか。だって「今一つの世界」を求めるわれわれの欲望の烈しさは、どうして、そんなことをいってあきらめていられるものではないのですよ。



ご覧なさい。子供がどんなにお伽話をすくか、青年がどんなに冒険談をすくか、それから大人のお伽話、冒険談は、たとえばお茶屋の二階、歌い女、幇間(ほうかん)。それぞれ種類は違っても、われわれは一生涯、何か日常茶飯事以上のもの、「今一つの世界」を求めないではいられぬのです。お芝居にしろ、音楽にしろ、絵画にしろ、小説にしろ、それらはみな見方によっては、人間の「今一つの世界」への憧憬から生まれたものではありませんか。



暑中には避暑をする。それは何も暑さを避けるためばかりではないのです。われわれはここでも「今一つの世界」を求めている。飽き果てた家庭を離れて、別の世界へ行きたがっているのです。



もろもろの科学にしても、やっぱり人間のこの欲望の現われではないでしょうか。例えば天文学者は星の世界に憧れているのです。歴史家は遠い昔の別世界に思いを寄せているのです。動物や植物の学問はもちろん、生命のない鉱物にだって、薬品にだって、やっぱり「今一つの世界」を見出すことができないでしょうか。



古来のユートピア作者達が、それを夢見ていたことは申すまでもありません。さらにまた宗教ですらも、天上の楽園と言う「今一つの世界」に憧れているではありませんか。



ある型に属する小説家は、誰しも同じ思いでしょうが、わたしもまた、わたしの拙い文字によって、わたし自身の「今一つの世界」を創造することを、一生の願いとするものでございます。







江戸川乱歩(左)と三島由紀夫








(130 - 132ページ)

江戸川乱歩全集 第30巻 「わが夢と真実」

光文社文庫 2005年6月20日 初版1刷発行



『上流夫人 (2008年8月30日)』に掲載








江戸川乱歩先生も「今一つの世界」を創造することを、一生の願いとするものです、と言うてるねん。







つまり、三島さんも死にはる前に「今一つの世界」を創造したと、あんさんは言わはるのォ~?



そうやァ。。。昭和43年、44年と学生デモ隊は警察機動隊の力で徹底的に鎮圧され、自衛隊の出動は見送られ、憲法改正の機会も見失って、ついに「楯の会」は栄えある出陣の場を失のうてしもうたのやァ。



それで。。。?



そやから、三島さんは、戦後の終わってしまった現実の世界では生きられへん。 何が何でも自分の生きる「今一つの世界」を創造せにゃあかん。 それで創造したのが自衛隊で自決する「今一つの世界」やァ。



現実の世界では見出せなかった天上の楽園と言う「今一つの世界」に三島さんは憧れはったのォ~?



そう言う事だと、わては思うてるねん。




【レンゲの独り言】







ですってぇ~。。。

そうですよね。

誰でも「今一つの世界」を持っているのかも知れませんよね。

実は、あたしにもありますわ。

ええっ? どんな世界かってぇ。。。?



現実の世界は、なかなか思うようになりません。

あたしの「今一つの世界」は“愛とメルヘンの世界”です。

落ちこんでいる時など、その“癒しの世界”で、しばしの安らぎを得るのが、あたしのささやかな楽しみです。



ところで「今一つの世界」をどのように実現するか?

ある人にとっては空想のままでよいのかもしれません。

あたしの場合も、強(し)いて実現させようとは思いません。

でも、三島さんは「今一つの世界」を実現させようとしたのですよね。

それで、あの悲劇を生んでしまった。

あたしは、そのように感じています。

あなたは、どう思いますか?



とにかく、次回も面白くなりそうですわ。

あなたもどうか、またあさって読みに戻ってきてくださいね。

では、また。。。








メチャ面白い、



ためになる関連記事









■ 『きれいになったと感じさせる



下着・ランジェリーを見つけませんか?』




■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』



■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』







■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に別荘を持つことを



夢見る小百合さんの物語』




■ 『今すぐに役立つホットな情報』



■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』



 『あなたもワクワクする新世代のブログ』







■ 『バンクーバーの寒中水泳』







『夢とロマンの横浜散歩』



『愛とロマンの小包』



『下つきだねって言われて…』







『銀幕の愛』







『パリの空の下で』



『夢の中華パン』



『愛の進化論』







『漫画家と平和(2011年3月6日)』



『漫画家の壁(2011年3月10日)』



『漫画家と奴隷(2011年3月12日)』







『畳の上の水練(2011年3月15日)』



『パール判事とゴーマン(2011年3月18日)』



『軍隊のない国(2011年3月21日)』



『士風と「葉隠」(2011年3月23日)』



『アナクロニズム(2011年3月27日)』









こんにちは。ジューンです。



20代の三島由紀夫の短編に『ラディゲの死』があります。



若き日の三島は、堀口大學が訳した



『ドルジェル伯の舞踏会』を読んで



感銘を受けたそうです。



『ドルジェル伯の舞踏会』は、



ラファイエット夫人が書いた



『クレーヴの奥方』を参考にして、



高度に文学的な手腕で換骨奪胎し、



別の次元の「フランス心理小説の傑作」に



ラディゲが仕立て上げました。



「夭折の天才」の名にふさわしい



文学的実力の持ち主であったことが



『ドルジェル伯の舞踏会』を読むと理解できます。







三島も、この本を読んで自己同一化する程、



多大な影響を受けました。



それで書いたのが『ラディゲの死』と言われています。







ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。



楽しいから、ぜひ読んでみてくださいね。



■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』







では、今日も一日楽しく愉快に



ネットサーフィンしましょうね。



じゃあね。








0 件のコメント:

コメントを投稿