2011年5月8日日曜日

愛しの山河

 


愛しの山河


















件名:連休楽しんでますか?



きゃはははは。。。








Date: Thu, May 5, 2011 12:33 pm.

Pacific Daylight Saving Time

日本時間: 5月6日(金曜日)午前4時13分

From: denman@coolmail.jp

To: sayuri@hotmail.com

CC: barclay1720@aol.com




小百合さん元気ですか?

バンクーバーも春めいてきましたよ。

でも、残念ながら、今日は小雨です。

春雨じゃ、ぬれてゆこうですよ。

きゃはははは。。。



小百合さんは連休でルンルン気分ですか?

軽井沢で森林浴ですか?

それとも栃木の山小屋でコケの手入れでもしていますか?

伊豆の海辺をそぞろ歩いていますか?

もしかすると横浜の「港の見える丘」から太平洋を挟んでバンクーバーのイングリッシュ・ベイを幻視しているのかも。。。?

うしししし。。。



いづれにしても連休を大いに楽しんでね。

たまには行田の「さきたま古墳公園」へ行って、小百合さんと一緒に生八ツ橋を食べながらローズティーを飲んだ、あの休息パビリオンでのんびりと半日過ごしたら?

腹が減ったら道路を隔てた向かいにある「田舎っぺ」の店に入って僕の分まで「きのこ汁うどん」をたらふく食べてね。







それに、すぐそばにゼリーフライを売ってる「さかもと」もあるから、小百合さんも退屈しませんよ。







でも、もう桜はすっかり散っているかもね。



バンクーバーは遅咲きの桜がまだ咲いていますよ。

日本は連休でもカナダはいつもの週と変わりがありません。

ただ、春めいてきたので気分的にはルンルンです。



春はやってきたけれど、特に旅行をしたいという気分にはなりません。

ブログの記事を書くのに疲れると、マンネリを打ち破るために日本映画のDVDを図書館で借りて観ていますよ。

昨日(5月4日)は「シルヴィーとネット革命」の下書きを書き終えてから黒澤明監督作品“DERSU UZALA”(1974年制作)を観ました。







15年ほど前に初めて観た時には、つまらない映画だと思って印象的に残ったシーンは、全く一つとして無かったのだけれど1975年のアカデミー賞外国部門で賞をもらっているほどだから、僕が見逃している所があるに違いないと思って改めて観る気になったのですよ。

大学時代にロシア語を習ったけれど、ほとんど忘れてしまって、英語の字幕を見ないと内容が分からなかった。

でも、今回は感動する部分がありました。

この映画は高齢化社会向けの映画だよね。

ある程度年をとらないと映画の良さがじっくりと理解できないと思うね。

若者向きの映画じゃない!



5月3日の晩には「憂国と英語」を投稿した後で、黒澤明の脚本を基にして作った熊井啓監督の『海は見ていた』を観ました。

原作は山本周五郎の「何の花か香る」と「つゆのひぬま」です。







10年ほど前、僕は山本周五郎作品にハマッていた時期があってUBC(ブリティッシュ・コロンビア大学)のアジア図書館に通って全集をすべて読みまくりました。

映画を観ながら原作を思い出して懐かしく観ることができましたよ。




今日(5月5日)は、さっきDVDの棚を見たら市川崑監督の記録映画『東京オリンピック』が目に付いたので借りることにしました。

東京オリンピックは1964年なんだよね。

小百合さんが生まれたのはその翌年。

それを思うと世代の差を感じますよ。

きゃはははは。。。







でも、気持ちだけは小百合さんとの世代の差を感じませんよ。

つまり、小百合さんも僕も若いということですよ!

そう言う訳だから、小百合さんも軽井沢タリアセン夫人として、この5月の連休をルンルン気分で楽しく過ごしてね。



時間があったら次の記事を読んでみてね。

小百合さんへのメールを使ってますよ。








『運命を天に任せて』



(2011年5月2日)




タグ: マグニチュード, 福島原子力発電所, 運命を天に任せて, 自然災害, 自然災害被災者, 震源地, 被災者救援, 大地震, 大津波, 津波



カテゴリー: アクセス解析, アメーバブログ, デンマンさんが登場, ニュース・時事問題, バンクーバー, 環境汚染・自然破壊, 自然・環境・植物, 行田市, 卑弥子さんが登場, 国際化・グローバル化, 国際協力・国際支援, 地球物理・宇宙科学, 地震・津波・自然災害, 小百合さんが登場, 小百合物語< /a>, 日本人・日本文化・生活様式



URL: http://wp.me/pKmp5-1Lf




じゃあね。












どうですか、小百合さん。。。「さきたま古墳公園」をそぞろ歩いた頃が懐かしくありませんか?







そうですわねぇ。。。



なんだか懐かしくなさそうですね?



いえ。。。とっても懐かしいですわ。



マジで懐かしいのなら、もっとルンルン気分で喜んでくださいよ。



手放しで喜べない事がいろいろとあって。。。でも、こうして改めて「さきたま古墳公園」の写真を見ると本当に懐かしくなってきますわ。 「さかもと」で買って食べたゼリーフライの味が思い出されてきましたわ。



















また出かけてみたいですわ。







出かけてくださいよ。 僕は休憩パビリオンで小百合さんが入れてくれたローズティーを飲みながら生八ツ橋を食べたことをまるで昨日のように思い出すのですよ。



















そうですわね。。。私ものんびりとローズティーでも飲みながら生八ツ橋を食べたいですわ。







小百合さんは栃木に居るのだから、出かける気になればいつでも「さきたま古墳公園」に行けるでしょう?



でも、子供が学校で問題を起こして「さきたま古墳公園」へ行く気分ではないのですわ。



あのねぇ~、子供の世界で子供はいろいろと悩んでいるのだから、小百合さんまでが子供と一緒に悩んでも仕方がないのですよう。



そうでしょうか?



そういう時には母親はおおらかな気持ちで子供を温かく見守るのですよ。 子供が母親の笑顔を見てホッとするような、そんな場を作ってやることですよ。 家に帰ってきて母親の笑顔を見ると子供はホッとして安心できる。 家に帰って来た時ぐらい子供は学校での嫌な事を忘れたいのですよ。 小百合さんにだって、そんな子供の頃があったでしょう?



確かに、言われてみればそうかもしれないけれど、うちの子供は手に負えないのですわ。



あのねぇ~、母親がそう思ってしまってはダメですよ。 先生や友達がダメな奴だ!と思っていても、小百合さんだけは常に子供の味方をしてやらないと。。。そうでないと、子供がホッと一息つく場所がまったく無くなってしまうでしょう。 子供をますます追い込む結果になってしまいますよ。



でも、子供の味方になるということは甘やかすことになりますわ。



でもね、子供が孤立してしまって、さらに母親がガミガミ小言を言ったら子供はますますひねくれてしまいますよ。 最悪、自殺に追い込んでしまうかもしれませんよ。



そうでしょうか?



だからねぇ、悪い事を言わないから、そういう時には小百合さんが自分の気持ちを静めるのですよ。 冷静になって子供を温かく見守るつもりになるのですよ。



でもねぇ~。。。なかなか、そのような温かな気持ちになれないのですわ。



そういう時には映画でも見るのですよ。



Dersu Uzala のような映画ですか?



いや、Dersu Uzalaは高齢化社会向けの映画だから小百合さんにとっては、あまり参考にならないと思いますよ。



じゃあ、東京オリンピックの映画ですか?



いや。。。1964年の記録映画を見てもあまり参考にはならないでしょうね。



だったら、『海は見ていた』ですか?



そうですね。。。上の3つの映画の中では『海は見ていた』が一番小百合さんにとって癒しになる映画だと僕は思いますよ。



どういうお話なのですか?



次のような話なのですよ。




『海は見ていた』







あらすじ



江戸・深川の岡場所にある日、一人の若い侍(吉岡秀隆)が逃げ込んでくる。

刃傷沙汰を起し追っ手に追われているという。自らの居室にかくまった娼婦のお新(遠野凪子)は、その後も何かとお新の元に通う侍に恋をするが、若侍はただ居心地がいいから通っていただけで恋心など毛頭ない事を知り打ちひしがれる。

やがて、貧困ゆえに過酷な人生を歩んできた町人・良介(永瀬正敏)と再び恋に落ちるが、ある嵐の夜、置屋で度々問題を起していた客が娼婦の姉さん分である菊乃(清水美砂)をめぐって暴れだす。

そこに居合わせた良介は人の良さから止めようとして問題を起した男と激しく揉み合い殺してしまう。

誰の目にも非は問題の男にあることは明白であったが、役人の処罰は必至であり、既に将来を約束するお新と良介は一転、悲劇へと突き落とされてしまう。

しかし、折からの豪雨が激しさを増し、海から溢れた水がついには岡場所全体を飲み込んでしまう。

お新・菊乃・良介はそれぞれ避難するが、見渡す限り水没した町の景色は、まるで、過酷な人生を歩んできた二人を海が見守っていたかのごとく、事件の証拠を全て隠してしまうのであった。



エピソード



•元々黒澤明監督により撮影される予定であったが、ラストの洪水のシーンで莫大なコストがかかることが原因で、製作に至らなかった作品である。

後年、遺志を継いだ熊井監督の手で、黒澤の本来の意図よりは縮小した形だが、東宝の砧撮影所の撮影用大型プールを使い撮影が実現した。

黒澤はお新=宮沢りえ、菊乃=原田美枝子のキャスティングで撮影するつもりであり、二人には脚本も渡されていた。

なお房之助=吉岡秀隆は黒澤の意向通りの配役である。



•脚本の前半と後半のエピソードのつながりに問題があると指摘(黒澤久雄)されたため、黒澤は脚本をさらに改稿するつもりだったが、製作実現の目途が立たなかったためにそのままになっていた。

そのためもあり、クレジットには明記されてないが熊井啓が脚本に自ら手を入れている。



•黒澤が全編ラブストーリーで構成される作品を執筆したのは大変珍しく、映画の予告編では「最後に黒澤が撮りたかったのはラブストーリーであった」とセンセーショナルに紹介した。



•建物のセットや衣装、小物、髪結方法まで徹底的にリアリティを追求し、また江戸の粋といった時代風俗も丹念に描いた作品であり、ストーリーだけでなく映像の美しさや歴史考察の上でも完成度が高い作品といえる。



出典:

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』








岡場所の映画ですか?







確かに娼婦の話なんだけれど、黒澤監督が脚本を書いて映画にしようとしたほどの作品だから、ただの娼婦の物語ではないのですよ。 山本周五郎さんが書いた原作を僕は読んでいたから、どのように映画にしたのだろうかと興味津々(しんしん)で観ました。 ほぼ原作通りでしたよ。 いい映画でした。



。。。で、私が見ても参考になるのですか?



もちろんですよ。



どのようなところがですか?



あのねぇ~、上のあらすじの中には書いてないけれど、僕が考えさせられたのはヒロインの「お新」ではなく「菊乃」の生き方ですよ。



菊乃さんってぇ、どういう女性なのですか?



姉御肌(あねごはだ)でしっかり者ですよ。 ただし、あまりにも不幸な人生を経てきたので現実の世界を認めることができない。 つまり、その点で三島由紀夫の生き方と共通するところがある。



でも、三島さんは、あまりにも不幸な人生を経てきたわけではないでしょう?



確かに表面的には不幸ではないかもしれないけれど精神的には極めて不幸な人生でしたよ。



どう言う訳で。。。?



つまり、三島さんにとって現実の人生は終戦の時に終わってしまった。 少なくとも三島さんはそう信じ込んでいた。




三島由紀夫の世界







三島由紀夫の遺作となった小説『豊饒の海』第一巻『春の雪』は、作者が美智子妃への思いをもとに、想像力の赴くままに書き上げた私小説である。

その結末は破天荒で、これが戦前ならば不敬罪に当たることを、作者は百も承知で書き進めた。 そしてその頃、生涯の計画として、人の意表を衝く「死に場所」を求めていた三島は、その完成の日こそ己れの自決の日であると、秘かに心に決めていた。







その執筆と併行して彼が組織した「楯の会」は、“左翼革命”が起こるであろう日、自衛隊を先導して、硝煙けむる二重橋を渡り、火傷するほど熱い握り飯を捧げ持って、意中の人に献上するための私兵であった。

ところが、三島の期待に反した“左翼革命”は、待てども起こらなかった。

昭和43年、44年と学生デモ隊は警察機動隊の力で徹底的に鎮圧され、自衛隊の出動は見送られ、憲法改正の機会も見失われて、ついに「楯の会」は栄えある出陣の場を失ってしまったのである。

三島由紀夫が自由に生きた時代、それは昭和20年8月15日、敗戦の日で終わった。




次郎 …女はシャボン玉、お金もシャボン玉、名誉もシャボン玉、そのシャボン玉に映っているのが僕らの住んでいる世界、そんなこと、みんな知ってらあ。



 ただ言葉で知っておいでなだけでございますよ。



次郎 うそだ。 僕はみんな知っちゃったんだよ、だから僕の人生は終わったのさ。



(『邯鄲(かんたん)』昭和25年)




三島は、現人神(あらひとがみ)が「人間天皇」となった昭和の御代(みよ)を怒り、呪った。

大正10年(1921)11月25日は皇太子裕仁が大正天皇の摂政に就任し、事実上、昭和の御代が始まった日であるが、三島はこの11月25日という日を決行の日に選び、自衛隊に突入したのではないかと考えられる。



 (中略)



現代において、何かを創造するには、歴史感覚の欠如や社会性への無視は許されないが、三島が生涯にわたって愛読した『葉隠』には、ある種の時代錯誤を感じないではいられない。 この書は、真の武士道とはほど遠く、三島の人生誤算の大きな原因となったのではあるまいか。



(注:写真はデンマン・ライブラリーから貼り付けました。

赤字はデンマンが強調)








280 - 283ページ

『三島あるいは優雅なる復讐』

2010年8月26日 第1刷発行

著者: 高橋英郎

発行所: 株式会社 飛鳥新社



『アナクロニズム』に掲載

(2011年3月27日)








三島さんは現実の世界に失望して生きるために「今一つの世界」を創造したのですよ。




今一つの世界







ここにもし、それらのものとは全く違った、また目新しい、「今一つの世界」があって、魔法使いの呪文か何かで、パッと、それがわれわれの目の前に現れたなら、そして、たとえば竜宮へ行った浦島太郎のように、その世界で生活することができたなら、われわれはまあどんなに楽しく生甲斐のあることでしょう。



でも、われわれは浦島太郎にはなれっこない。そんな「今一つの世界」なんてあるはずもなく、そこへ住むなんて思いもよらぬことだ。われわれはやっぱり、このきまりきった、面白くもない日常茶飯事を繰り返して行くほかに生き方はないのだ、とおっしゃるのですか。だって「今一つの世界」を求めるわれわれの欲望の烈しさは、どうして、そんなことをいってあきらめていられるものではないのですよ。



ご覧なさい。子供がどんなにお伽話をすくか、青年がどんなに冒険談をすくか、それから大人のお伽話、冒険談は、たとえばお茶屋の二階、歌い女、幇間(ほうかん)。それぞれ種類は違っても、われわれは一生涯、何か日常茶飯事以上のもの、「今一つの世界」を求めないではいられぬのです。お芝居にしろ、音楽にしろ、絵画にしろ、小説にしろ、それらはみな見方によっては、人間の「今一つの世界」への憧憬から生まれたものではありませんか。



暑中には避暑をする。それは何も暑さを避けるためばかりではないのです。われわれはここでも「今一つの世界」を求めている。飽き果てた家庭を離れて、別の世界へ行きたがっているのです。



もろもろの科学にしても、やっぱり人間のこの欲望の現われではないでしょうか。例えば天文学者は星の世界に憧れているのです。歴史家は遠い昔の別世界に思いを寄せているのです。動物や植物の学問はもちろん、生命のない鉱物にだって、薬品にだって、やっぱり「今一つの世界」を見出すことができないでしょうか。



古来のユートピア作者達が、それを夢見ていたことは申すまでもありません。さらにまた宗教ですらも、天上の楽園と言う「今一つの世界」に憧れているではありませんか。



ある型に属する小説家は、誰しも同じ思いでしょうが、わたしもまた、わたしの拙い文字によって、わたし自身の「今一つの世界」を創造することを、一生の願いとするものでございます。







江戸川乱歩(左)と三島由紀夫








(130 - 132ページ)

江戸川乱歩全集 第30巻 「わが夢と真実」

光文社文庫 2005年6月20日 初版1刷発行



『上流夫人 (2008年8月30日)』に掲載








三島さんにとっての「今一つの世界」が『葉隠』の世界ですか?







そうですよ。 その「今一つの世界」を三島さんは自分で映画にしたのですよ。 それが『憂国』です。



















。。。で、『海は見ていた』の菊乃さんは、三島さんのように「今一つの世界」を作り上げたのですか?







そうなのですよ。



菊乃さんの「今一つの世界」ってどういうものなのですか?



菊乃さんは貧しい農家に生まれ育って惨めな生活を送り、結局、女郎屋に売り飛ばされてしまった。 もう生きる希望も張り合いもない。 でも、死にたくはない。 しかし、現実の世界で女郎として生きてゆくにはあまりにも自分が惨め過ぎる。



それで菊乃さんは、どのような「今一つの世界」を作り上げたのですか?



旗本の武家屋敷に生まれて結婚し、子供ができた。 でも夫の不始末によってお家が取り潰されてしまった。 しかたなく子供は里子に出して菊乃さんは借金を返すために女郎に身を落として働くことになった。



それが菊乃さんの作り出した「今一つの世界」なのですか?



そうなのですよ。 お新さんにも、同僚の女郎にも、女郎屋の女将(おかみ)さんにも、それが自分の生い立ちだと告げていた。



そういう「今一つの世界」を信じなければ、菊乃さんには生きる張り合いがなかったのですか?



そうなのですよ。



最後の最後。。。ラストの洪水のシーンで、お新さんと菊乃さんは屋根の上で助けを待つのだけれど、もう死ぬのを覚悟した菊乃さんは本当の事をお新さんに打ち明けるのですよ。 やがて良介さんがお新さんを探しに小船でやってくる。 しかし、あいにく小船には二人しか乗れないのです。 菊乃さんは、はお新さんと良介さんを見送りながら「ああ、これでさっぱりしたわ!」。。。そう言って一人で死んでゆくのです。



なんだか、悲しいお話ですわ。。。で、その結末が今の私にとって参考になるのですか?



そうですよ。 小百合さんの子供は学校で問題を起こしても、やがては一人で生きてゆく。 どう考えたって、お新さんや菊乃さんよりも小百合さんの子供の方がずっとよい境遇なのですよ。 つまりねぇ、小百合さんが子供のことで必要以上に心配するのは意味のないことですよ。 それよりも小百合さん自身の人生を考えた方が、子供にとっても小百合さんにとってもベターなのですよう。。。僕は、メールを書いた後で小百合さんの事を考えながら、そう思ったのですよ。




【卑弥子の独り言】







ですってぇ~。。。

こうなったら、あたくしも絶対に『海は見ていた』をDVDを借りて観ますわよう。

あなたも観たくなったでしょう?



でもねぇ、娼婦の話よりも、あたくしはビートルズの方が、ずっと興味があるのですわ。

とにかく、あたくしはビートルズの熱烈なファンなのでござ~♪~ますもの。。。

うふふふふふ。。。







“キャ~ 素敵ィ~♪~”



またビートルズの事を持ち出してきたので、あなたは“んもお~~ またかよ!”と思っているのでしょう?











でもねぇ、日本も含めて世界中にビートルズの熱狂的な嵐が吹き荒れたのは、あたくしが生まれる以前のことでしたわ。



こうして、たびたびビートルズの事を持ち出したら、

あなたにとっても、面白くもなんともないでしょうね!?



ところが何度も何度も、あたくしはビートルズの夢を見るのでござ~♪~ますわ。

軽井沢の万平ホテルに行くと

ジョンレノンとあたくしがカフェテラスで会うような気が、マジでするのでござ~♪~ますう。








滞在中のジョン・レノンは朝9時半ごろ、



このカフェテラスに下りてきたのですよ。



わたしたちに「おはようございます」と



日本語であいさつしたものですわ。



いつも庭に面した一番奥の席にすわって、



他のお客様には背を向けるような格好で



腰掛けていました。



ジョン・レノンのお気に入りは



ローヤルミルクティーでしたわ。







『幸福の谷』より

(2008年4月6日)




あたくしは万平ホテルのカフェテラスでマジでジョン・レノンとローヤルミルクティーをいただいている記憶が鮮明に甦ることがあるのでござ~♪~ますわ。

あなたは信じられないでしょう?

あたくしだって信じられないのですから。。。

おほほほほほ。。。



とにかく次回も面白くなりそうですわ。

だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。

じゃあねぇ。












ィ~ハァ~♪~!



メチャ面白い、



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こんにちは。ジューンです。



デンマンさんはコラージュの名人ですわ。







これもコラージュで、でっち上げたのですわ。







この上のサイクリングの写真は次のようにして



コラージュしたのですわ。







この上の写真がバックグラウンドになるのです。







この写真から3人のサイクリストを取り出します。











余計な部分を取り除きます。



そして一人をコピーして描き加えます。



それから背景の上に重ね合わせます。







わたしも、おばさんパンツを穿かせられて



何度となくデンマンさんのブログに



登場していますけれど、



すべてコラージュですわ。







これもコラージュです。



実物のわたしは、もう少し



太っているのですわ。



うふふふふふ。。。



写真を撮ってお見せできるような



スタイルではありません。



減量してスマートになったら、



実物のわたしをお見せできると思います。



期待しないで待っててくださいね。



ところで、卑弥子さんが面白いサイトを



やっています。



興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして



覗いてみてくださいね。







『あなたのための笑って幸せになれるサイト』



とにかく、今日も一日楽しく愉快に



ネットサーフィンしましょう。



じゃあね。バーィ








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