2011年5月21日土曜日

性愛の未来(PART 1)

 


性愛の未来(PART 1)








 


ではお答えいたします。



 

2007-04-22 17:10



質問115:

愛の営み(愛する人とのセックス)に夢中になれる人となれない人が居ますか?




夢中になれないセックスと、

愛のないセックスは

ほぼ同じだと思います。

なので、セックスとは愛ありき。

それって、あくまで理想ですけどね(苦笑)



質問117: 
レンゲさんは清水君と坂田さんの二人と関係を持っていますが、同じような関係にめれんげさんが身をおいたとして、二人の男と関係を持つ事に違和感がありますか?




もちろん!

どっちつかずな関係から、何が得られるのか?

レンゲさんは、自らのセックスの質を

落とすような性行動をとっていると思います。



質問118:

めれんげさんの場合、清水君に求める愛と坂田さんに求める愛はどういうものですか?




うーーーん??

恋愛で求めるものを、

複数の人に分散はできないですね。

「相手のことが好き」

わたしはそれしか考えていないのです。



質問119:

めれんげさんの場合、清水君から愛される愛と坂田さんから愛される愛は、どういうものを期待しますか?




むむむむむむ…。

「おたがいに理解しあって、誠実でありましょう」

誰に対しても、そう思います。



質問120:

めれんげさんが16才当時、坂田さんのような人は居なかったのですか?つまり、レンゲさんのような愛し方で男性にアプローチした事はないのですか?

要するに、包容力のある男の愛を求めていたとか。。。?




まったくなかったです…

同級生に片想い。

告白する勇気もない。

包容力なんてことを意識するほど、

精神的に早熟ではありませんでした。







質問121:

それよりも、むしろ、知的好奇心からセックスにはまったのですか?




「はまった」は、言いすぎですよおー。コラッ!!

でも、知的好奇心を満たすことが、

初体験の目的でした。



質問122:

めれんげさんは性的欲求不満からヒステリーを起こした事がありますか?




ないですね。

セックスで満たされることとは、

精神的に満たされることなので、

肉体的欠乏感に苦しむことは、ないのです。

だってね…

わたしは自慰行為すらしたことがないんですよね。

しようとも思わないし。

セックスとは、愛する人との大切な

コミュニケーション
だから、

性欲をひとりで処理するのは、

わたしにとっては、無意味なのです。







質問123:

大人の体になってから、とりわけ“したい”と思わなくなったと書いていたけれど。。。

それは、性欲が衰えたわけじゃないでしょう?

要は、やりがいのある充実した満ち足りたセックスをしたいと言う事だと思うのだけれど。。。、

つうことわあああ。。。10代の頃は好奇心と性の目覚めでセックスのためにセックスをしていた事もあるわけ。。。?




はい!

新しい遊びを知った子供のようでしたね…

恋愛自体には、おくてでしたから、

恋愛とセックスを結びつけて考えてませんでした。

…と書くと、ひどい遊び人のようですが、

若気のいたりと、受け止めてください…



質問124:

最近のめれんげさんは寂しくなってセックスしたい、なんて思うことはないですか?




さすがに学習しましたよ!

寂しさを埋めるためにセックスしたとしても、残るのは、虚しさやらバカバカしさだけ。

そんなセックスは、愚か者の自慰みたいなもの…

というのが、わたしの考えです。



質問125:

愛を基盤にしたセックスこそ、めれんげさんにとって重要なはず。

現在、めれんげさんはセックスの基盤になる“愛”人が居ますか?




いるような、いないような…(あいまいやなあ)

ただ、愛のないセックスは、しませんね!



質問126:

居るとするならば、その愛人とも、やっぱり一生一緒に居られるとは思わないのですか?

居ないのであれば、そのような相手が居ると想定した時に、めれんげさんは、その人と一生一緒に居る事が出来ると思いますか?




わたしには、誰かの人生に責任を持つほどの力がないと思うのです。

簡単にプロポーズを受けることもできません。

この世に絶対などなく、今の真実が未来において、嘘になりうることもあるならば、無責任な約束もできないのです…しょぼん。



質問127:

一生一緒に居られそうもないというその理由は。。。?

めれんげさんが性格的に飽きっぽいからなのか。。。?

より良い相手を探すために自由で居たいためか。。。?

ただ単に“束縛感”を嫌うためなのか。。。?

過去に相思相愛のカップルが別れたのをたくさん見てきたので、めれんげさん自身、一生相思相愛で居ることが不可能と思えるのか。。。?




上記でのこたえが全てです…

少々、厭世感が強いのかもしれませんが、この世のすべては、あまりにも無常なので…



質問128:

セックスから愛が生まれる事もある、とめれんげさんはかつて書いていたけれど、最近はどうですか?

セックスを基盤にした愛があると思いますか?

あるならば、それを信じる事が出来ますか?




むむむ。

これはペンディングにさせてくださいませー。







質問129:

現在のめれんげさんに欠落しているものとは。。。?




欠落しているものがわからない。

そのことが、わたしに欠落しているものだと思います。



質問130:

その欠落部分はセックスのない愛で埋め合わせる事が出来ると思いますか?




完璧にno!ですぅ。



質問132:

その欠落部分は愛とセックスの両方がないとダメなのか?

(めれんげさんは欲張りね!うへへへへ。。。両方欲しいと言うに決まっているよね?)




それも違うと思います…



質問133:

その欠落部分は輝かしいキャリアウーマンになる事で埋め合わせる事が出来ますか?

(恋人無し、愛人無しの独身で通す)




社会生活での成功が、精神的な充足をもたらすとは思えないんですよね。

答えは自分の中にしかないのですから。



質問134:

その欠落部分はお金持ちと結婚する事で埋め合わせる事が出来ますか?




それも、外的なことですよね。

リッチな生活はしたいですけどね!
 






by めれんげ








『愛と性と脳』より

(2007年4月23日)









デンマンさん。。。あんさんは、どうしてわたしのプライバシーを守ってくれへんのォ~?







めれちゃんの気持ちも、めれちゃんのプライバシーも、わては尊重しておるねん。



そやったら、わたしの回答を公開せんで欲しかったわ。



うん、うん、うん。。。めれちゃんの、その気持ちもよう分かるねん。 そやけどなァ、すでに公開していることやし、めれちゃんの回答は素晴らしいねん。 そやからなァ、文学と芸術のために。。。それに性愛の未来のために、堪(こら)えて欲しいねん。



その「性愛の未来」ってぇ、どういうことやのォ~?



めれちゃんが上の回答の中で「性愛の未来」を示唆(しさ)してるねん。



まさかァ~。。。?



いや。。。マジで、めれちゃんは「性愛の未来」を先取りしてるねん。



わたしのどの回答が「性愛の未来」を先取りしてるん?



セックスとは、愛する人との



大切なコミュニケーション




この言葉やがなァ。



この言葉が「性愛の未来」やのォ~?



そういうことなのやァ。



誰がそのような事を言うてるん?



この記事を最後まで読むと分かることになってるねん。



あんさん!。。。お預(あず)けせんで早(はよ)う言うて欲しいわア。



あのなァ~、物事には順序があるねん。 順序どおりに進めんでズバリ!ズバリ!と言うてしまうと、細木数子のように番組から降ろされてしまうねん。 うししししし。。。わてはこのブログから降ろされとうないからなァ。。。そやから、順序通りに分かり易く話を進めにゃあっか~ん。



分かりましたわ。。。。で、何から始めるん?



まず、次の映画の解説を読んで欲しいねん。




どですかでん







『どですかでん』は、黒澤明監督の映画作品。

原作は、山本周五郎の『季節のない街』。

黒澤映画初のカラー作品である。



『赤ひげ』以来、5年ぶりの監督作品。

この間、『トラ・トラ・トラ!』の監督降板騒動などで神経を削ったこともあってか、本作ではそれまでの三船敏郎とのコンビによる重厚な作品路線から一転、貧しくも精一杯生きている小市民の日常を明るいタッチで描いている。



撮影は東京都江戸川区南葛西の1万坪もあるゴミ捨て場で、廃材を使って行われた。

当時のシナリオには、黒澤自身の手による、画家のマルク・シャガール風の、死んだ乞食の子供が天に昇っていく絵コンテが描かれている。



当時の興行成績は明らかな失敗で、以降、黒澤は『デルス・ウザーラ』を挟んで10年間にわたって日本映画界の中心から遠ざかることになる。

企画・製作にある「四騎の会」とは、黒澤、木下惠介、市川崑、小林正樹の4人からなる芸術家集団で、邦画低迷の時代に4人の力を合わせてこれを打開しようとの意図で結成されたが、うまく機能せず、製作映画は本作と『化石』(1975年、小林正樹監督)に留まった。

脚本家・俳優の宮藤官九郎は、本作を「すべての映画で一番好き」と語っている。



あらすじ



とある郊外の街の貧しい地域。知的障害のある六ちゃんは、毎日近所に出かけては、他人には見えない電車を運転している。

内職職人の良太郎は、妻が浮気性なため、子供をたくさん背負っている。

穏やかな性格の島さんは、会社の同僚を家に連れてくるが、無愛想な妻の文句を言われて激怒する。

乞食の父親は、いつも息子に夢想話を語っている。

平さんは物静かで謎の多い人物。

街の長老・たんばさんは、家に押し入った泥棒に金を恵む。



ここに暮らす人たちは、変わった人ばかりである。

六ちゃんはその中で電車を走らせ、日は暮れてゆく。



キャスト







•六ちゃん:頭師佳孝

•おくにさん:菅井きん







•島悠吉:伴淳三郎

•ワイフ:丹下キヨ子








•沢上良太郎:三波伸介

•沢上みさお:楠侑子







•平さん:芥川比呂志

•お蝶:奈良岡朋子








•乞食の父親:三谷昇

•その子:川瀬裕之







•益夫:井川比佐志

•たつ:沖山秀子

•初太郎:田中邦衛

•良江:吉村実子







•綿中京太:松村達雄

•妻・おたね :辻伊万里







•姪・かつ子 :山崎知子

•岡部少年(酒店員):亀谷雅彦







•たんばさん:渡辺篤

•老人:藤原釜足



•絵描き:加藤和夫

•野本:下川辰平

•くまん蜂の吉:ジェリー藤尾

•くまん蜂の女房:園佳也子

•渋皮のむけた女:根岸明美

•屋台のおやじ:三井弘次

•小料理屋の女将:荒木道子

•レストランの主人:桑山正一

•ウェイトレス:塩沢とき

•泥棒:小島三児

•刑事:江角英明

•みさおに声をかける男:人見明

•みさおに声をかける男:二瓶正也

•みさおに声をかける男:江波多寛児



(注: 赤字はデンマンが強調)








出典:

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

写真はデンマン・ライブラリーより



『どですかブログ』に掲載

(2011年5月13日)








デンマンさん。。。どないな訳で『どですかでん』が「性愛の未来」と関わってるん?







この映画は山本周五郎の『季節のない街』に基づいて作られた映画なのやァ。 山本さんの作品の中には性愛に囚(とら)われている女、あるいは、かつて囚われていた女が登場する作品が結構あるねん。



『どですかでん』の中にも、そないな女が登場すると、あんさんは言わはるのォ?



そうやァ。。。







•平さん:芥川比呂志 •お蝶:奈良岡朋子







奈良岡さんが演じている「お蝶」さんが、かつて「性愛」に取り付かれて過ちを犯してしもうたのやがなァ。 それで、「平さん」に許してもらおうと彼が一人で住んでいる「季節のない街」のボロ小屋に訪ねてきよるねん。



。。。で、平さんはお蝶さんを許してあげるん?



それがなァ~。。。平さんは聾唖者(ろうあしゃ)ではないのやけど、映画の中では一言もしゃべらんのやァ。



どないな訳で話をせ~へんのォ~?



つまり、平さんは信頼していた妻のお蝶さんが一時の過ちにせよ、他の男と愛欲の限りを尽くしたことが許せんで、すっかり人間不信に陥ってしもうたのやがなァ。 まるで生ける屍(しかばね)のようになってしもうて、見ていても気味が悪い程やねん。



それで、お蝶さんが訪ねてきても一言もしゃべらへんのォ~?



そうなのやァ。。。お蝶さんにしてみれば、ヘビの生殺しに遭(お)うているような気分なのやがなァ。。。結局、映画の中では和解せずに二人は全く打ち解けへんで、また来た時と同じようにお蝶さんは後悔と失意と惨めな気持ちのどん底に落ち込みながら帰ってゆくねん。



。。。で、お蝶さんが他の男と愛欲の限りを尽くしてはるシーンが見られるん?



そないなシーンを画面に出せるわけがないやろう!? アダルトビデオになってしもうがなア。 



それで、お蝶さんの愛欲が「性愛の未来」と関係あるのォ~?



めれちゃん。。。そないに、せかせたらあかんがなァ~。。。



まだ他に言う事があるのォ?



そうなのやァ。 物事には順序があるさかいになァ。 次の『赤ひげ』も読んで欲しいねん。




赤ひげ



『赤ひげ』は、1965年(昭和40年)4月3日に東宝が封切り公開した映画である。

監督は黒澤明。185分、白黒、東宝スコープ作品。







山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚』を原作とする。

黒澤明監督は「日本映画の危機が叫ばれているが、それを救うものは映画を創る人々の情熱と誠実以外にはない。私は、この『赤ひげ』という作品の中にスタッフ全員の力をギリギリまで絞り出してもらう。そして映画の可能性をギリギリまで追ってみる。」という熱意で、当時のどの日本映画よりも長い2年の歳月をかけて映画化した。

前半はほぼ原作通りに進むが、後半はドストエフスキーの「虐げられた人々」を取り入れて構築されている。

完成した作品を観た山本周五郎をして「原作よりいい」と言わしめ、興行も大ヒットを収めたが、黒澤はこの作品の制作費の調達のために抵当に入れていた自宅を売却することになる。



当初、1964年(昭和39年)末封切の予定であったが、制作の遅れから不可能となり、代わりにゴジラシリーズの『三大怪獣 地球最大の決戦』(本多猪四郎監督)が制作された。

公開予定が延期に次ぐ延期となり、この作品でプロデューサーを務めた田中友幸は責任をとって「三回辞表を書いた」と語っている。



黒澤ヒューマニズム映画の頂点ともいえる名作とされ、国内のみならず、海外でもヴェネツィア国際映画祭サン・ジョルジュ賞などを受賞した。

主演の三船敏郎もヴェネツィア国際映画祭最優秀男優賞を受賞したが、同時にこれが黒澤映画における最後の「白黒映画作品」「三船出演作品」「泥臭いヒューマニズム作品」となった。

翌1966年(昭和41年)、黒澤は東宝との専属契約を解除し、海外の製作資本へと目を向けることになる。



主人公「赤ひげ」役の三船敏郎は白黒映画にもかかわらず、本当にひげを赤く染めた。

なお、劇中では薬品のため赤っぽく変色しているという説明がされるが、原作では「ひげが赤いわけではないのに何故か赤ひげと呼ばれている」という設定である。

題名は『赤ひげ』であり、トップクレジットも赤ひげを演じる三船敏郎だが、ストーリーは加山雄三演じる保本登の視点で進行しており、実質的な主人公は保本である。

この『赤ひげ』に出演するまで加山は、それまで俳優を続けようか辞めようか悩んでいたが、本作の出演をきっかけに生涯俳優として生きていくことを決意したという。



保本の両親役には笠智衆と田中絹代がキャスティングされた。

黒澤監督は、自身の先輩である小津安二郎監督作品の看板役者であった笠と、溝口健二作品に多数出演した田中を自らの映画に出演させる事により、2人の日本映画の巨匠監督への敬意を込めたと語っている。 おくにを演じた根岸明美は、10分近い長い台詞を本番1回でOKにした。

しかし本人はそのラッシュのフィルムを見ている最中に撮影中の事を思い出して感極まり、試写室を飛び出してしまった。

以来、映画本編を未だ一度も見ていないという。

二木てるみ演じる少女「おとよ」は、山本周五郎の原作からは離れて、ドストエフスキーの『貧しき人々』のネリーをもとにした映画オリジナルの設定となっている。



あらすじ







主人公の青年、保本登(加山雄三)が小石川養生所へ続く坂を上り角寸の巨大な門をくぐっていく場面から映画が始まる。

養生所の責任者である新出去定(にいできょじょう:三船敏郎)に会うように言われてきた保本だが、知らない間に養生所の医師として働くように段取りがつけられていた。



長崎へ遊学(留学)した保本は、帰ってくれば父の友人である天野源伯が推薦し、幕府の医学機関へ出仕と天野の娘で許嫁のちぐさ(藤山陽子)との結婚が決まっていた。

だが、ちぐさは保本の遊学中に他の男と恋仲になり、子供まで生んでいた。

納得できない保本だが、幕府からの辞令であるため勝手に出て行けない。

ストライキを起こし、新出が自分を追い出すまで勤務にもつかず不貞寝を決め込む。



新出が不在の夜、養生所の敷地に建てられた寮の座敷牢に閉じ込められた若い狂女(香川京子)が、保本の部屋に忍び込んでくる。

何人もの男を殺した娘と知りながら、喩えようもない美しさに惑わされ、隙を見せた保本が殺されかけるが、間一髪で新出に救われる。


怪我を負った保本を新出は叱らず「恥じることはないが、懲りるだけは懲りろ」と治療をする。



勤務に復帰した保本は、新出の往診に同行する。

松平壱岐(千葉信男)や和泉屋徳兵衛(志村喬)といった実力者の上前をハネて、裏長屋にすむ最下層の人間たちの治療費にあてる新出は、同時に社会が貧困や無知といった矛盾を生み、人間の命や幸福を奪っていく現実から目を逸らしていなかった。



許嫁のちぐさに裏切られるなど心の傷を負っていた保本は成長を遂げ、ちぐさの妹であるまさえ(内藤洋子)との結納の席で、天野の推薦で決まった幕府への出仕はせず、小石川養生所で勤務を続けたいが同意してくれるかと、まさえに問い、彼女の気持ちを確かめる。



ラスト、保本は新出と小石川養生所へ続く坂を上りながら、己の決意を伝えている。

自分が決して尊敬されるべき人物でなく、無力な医師でしかないと新出は語り、保本の情熱を無軌道なものと拒絶するが、保本はあきらめず、最後に新出は保本へ忠告する。



(注: 赤字はデンマンが強調)








出典:

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

写真はデンマン・ライブラリーより








デンマンさん。。。あんさんは、どないな訳で『赤ひげ』を持ち出してきやはったん?







この映画も山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚』を基にして作ってあるねん。



この映画にも、お蝶さんのような女が出てくるのォ?



そうなのやァ。 「座敷牢に閉じ込められた若い狂女」というのがその女なのやァ。 赤ひげ先生は“色情狂”やと言うてる。



ホンマに色情に狂うてしまいはったん?



実は、その狂女は小さな頃に店の奉公人に性的にいたずらされたのやがなァ。 それがトラウマになって、この女は“色情狂”になったと言うねん。 たいていの男がこの狂女に興味を示すのやァ。



どないなわけで。。。?



きれいな女やさかいになァ。 それに“色情狂”という言葉は衝撃的やんかァ! それで男は興味をそそられて近づくわけやァ。



つまり、男というのんは、根がすけべ~ということやねんなァ。 それで、どうなるん?



 (すぐ下のページへ続く)

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