ロマン・ロランも理解した(PART 2)
第六幕 親鸞上人病室
かえでは唯円と結婚して入信し、勝信と名乗り二人の娘をもうけた。 親鸞の臨終が近づき、弟子たちが周りを取り囲んでいる。
親鸞: ああ、永遠の安息が近づいている。 私は一生の間、運命を素直に受け取って、それを愛してきた。 そして冠が今私の頭に載せられる。 私は尊い聖衆の中の一人に加えられるのだ。 なんという平和であろう。
唯円: お師匠様の百年のご寿命を祈りたてまつるのでございますけれど。
勝信: 美しく輝く冠ほど、聖人様にふさわしい。 (小声で)それにしても善鸞様の遅いこと。
善鸞: (急ぎ登場)父上。 会いとうございました。 許してください。
親鸞: おお、善鸞か。 許されているのだよ。 裁く心と誓う心は悪魔から出るのじゃ。 私はもうこの世を去る。 おまえは仏様を信じるか。
善鸞: (苦悶の表情)
親鸞: お慈悲を拒んでくれるな。 わしの魂が天に帰る日に安心を与えてくれ……。
善鸞: 私の浅ましさ……。 わかりません……。 決められません。 (前に伏す)
親鸞: おお (目をつむる) それでよいのじゃ。 みな助かっているのじゃ。 善い、調和した世界じゃ。 おお平和! 最も遠い、最も内の。 (尊き感動。 親鸞の魂、天に帰る)
(注: 写真とイラストはデンマン・ライブラリーから)
61ページ
『出家とその弟子』 倉田百三・著
「あらすじで読む日本の名著 No.2」
編著者: 小川義男
2003年11月13日 第2刷発行
発行所: (株)樂書館
どこが脚色されているのですか?
ハッピーエンドにしているのですよ。 現実にはハッピーエンドではなかったに違いない。
どのような不幸があったとデンマンさんは考えているのですか?
善鸞は、さらに深い苦悩の中に落ち込んだかもしれない。 また、唯円と勝信(かえで)の間にも深い溝ができて離れることになったかもしれない。。。
なぜ、デンマンさんはそのように考えるのですか?
親鸞上人は次のように言っている。
この世で罪をつくらずに
恋をすることはできないのだ。
我われのような平成時代に生きている人間には、このような考え方は理解できないですよ。 恋をしながら罪を犯しているなんて、たぶん現在の日本人は誰もそのように信じていないでしょう。
昔の人は罪を犯していると感じながら恋をしていたのですか?
そうですよ。 戦前の昭和時代だって、罪を犯していると感じながら恋をしていた人は、けっこう沢山居たのですよ。
マジで。。。?
例えばあの有名な詩人の北原白秋ですよ。 白秋は隣家に住んでいた松下俊子さんと恋に落ちたのですよ。 彼女は、当時、夫と別居中の人妻だった。 でも、夫は姦通罪で告訴したのですよ。
あらっ。。。姦通罪があったのですか?
太平洋戦争まで姦通罪があったのですよ。 日本が戦争に負けていなければ、現在でも姦通罪が生きていたかもしれませんよ。 だから、唯円と勝信(かえで)の自由な恋愛結婚を謳歌した『出家と弟子』は、たちまちベストセラーになって当時の若者にメチャ読まれたのですよ。
。。。で、ロマン・ロランが『出家と弟子』の中に「現代世界の宗教作品の最も純真なものの一つ」を見たのはなぜですか?
ロマン・ロラン(Romain Rolland)
親鸞の姿勢と態度だと思いますよ。 つまりねぇ、何でも受け入れて仏様が許しを与えるという考え方がロマン・ロランの平和主義にマッチしたのだと思います。 親鸞の考え方は「みな助かっているのじゃ。 善い、調和した世界じゃ。 おお平和!」というものだった。 だからロマン・ロランは対立や憎しみや争いよりも、幸福を求める親鸞や唯円の考え方の中に純真なものを感じたのですよ。
でも、そういう考え方にデンマンさんは脚色されたものを感じるのですか?
そうですよ。。。あのねぇ~、親鸞上人は唯円に次のように言っていた。
愛憎の煩悩に惑(まど)わされて、いそいでお浄土に参りたいという心が起こらない浅ましい身に気づくならば、その身をなげくより、そんな私を捨てずに救うという阿弥陀様の大悲(だいひ)のたのもしさを仰(あお)ぎ「わが往生は一定(いちじょう)なり」と思いとるがよい。
はい!
ありがたいのう。ナマンダブ、ナマンダブ。唯円よ。名残り惜しくも娑婆と縁がつきたその時こそ、お浄土に共に参らせてもらおうじゃないか。
ありがたいことです。聖人さま、唯円を救っていただきありがとうございます。
親鸞上人はこのようにおっしゃっていますけれど、現実はこうではなかったとデンマンさんは思っているのですか?
親鸞上人が生きていた時代は苦しみ多い世の中だったから、苦労だけが多い現世に別れを告げて早くあの世に行きたいと思った人たちが居たかも知れませんよ。 それでも唯円さんは、極楽浄土に早く行きたいという気持ちになれないと告白した。 でもねぇ、平安時代や鎌倉時代から比べれば、平成時代の世界は極楽浄土のようなものですよ。
■『平安時代は決して平安ではなかった』
だから、今、「名残り惜しくも娑婆と縁がつきた」なんて考える人なんて、まず居ませんよ。
どうして、デンマンさんは、そう考えるのですか?
あのねぇ、僕が帰省していた時に、お袋が救急車で運ばれて行田中央病院へ入院したことがあったのですよ。
そうでしたわね。 私もお見舞いに行きましたわ。
母が救急車に運ばれて…
。。。んで、デンマンさんは、お医者様に何か苦情をおっしゃったのでござ~♪~ますか?
あれっ。。。卑弥子さんは良~く分かりますねぇ~!。。。そうなのですよう。僕は冷静なつもりでも、かなり感情的になって苦情を。。。いや。。。病院の医療体制、それに、付き添いの人に対する医師の態度・意識に対して批判したのですよう。
めれんげさんのように感情を爆発させてしまったのでござ~♪~ますか?
いや。。。めれんげさんほど感情をむき出しにしなかったと思いますゥ。
マジで。。。?
もちろんですよう。。。お袋の命にかかわることだから僕は冷静になろうと努力しながらナース・ステーションへ行って看護婦さんに「担当のお医者さんに会いたい」と申し出たのですよう。
そしたら。。。?
お袋の担当医は二人居るのですよう。一人は当日(10月28日水曜日)「休んでいる」と言うのです。
。。。んで、もう一人の担当の先生は。。。?
「ただいま巡回中です」と言うのです。30分から1時間以内に会えるでしょうか?と僕が尋ねたら、検査がすべて済んでから、担当の医師からご家族の方へご連絡がゆきますから、その時、先生にお聞きください、と言ったのですよう。
それがデンマンさんには不満だったのでござ~♪~ますか?
あのねぇ~、僕のお袋は10月26日(月曜日)の午後3時半に救急車で行田中央総合病院へ搬送されたのです。
。。。んで、デンマンさんは生まれて初めて救急車に乗ってお母様と一緒に病院へ行かれたのでござ~♪~ますか?
そうなのです。僕の叔父が救急車で病院へ搬送され診断ミス・医療ミスで亡くなった事があったから、お袋にはそのような事が無いようにと僕はかなり心配していたのですよう。
■『診断ミス・診療ミスによる死亡例』
デンマンさんの叔父様は行田中央総合病院で亡くなったのでござ~♪~ますか?
いや、別の町の病院です。詳しいことは上の記事に書きました。
それで、デンマンさんは何が不満だったのでござ~♪~ますか?
お袋は救急医療室で手当てを受けたのです。
それで。。。?
救急担当の医者に聞いたら、「これから検査をします。それからですね」と言った。意識障害と狭心症という診断で2週間の予定で入院することになった。手続きは翌日にすることにして、とりあえず5時半に僕は実家に戻った。
それで。。。?
翌日(27日)、お袋の病室に見舞いに行ったけれど、状態は快方に向かっているように見えた。しかし、亡くなった叔父も病状が急変して死亡したように、お袋の病状も急変するかもしれない。だから、僕は心配だった。それで担当の看護婦さんに担当医と会って話がしたいと言ったら同じ返事が返ってきた。つまり、検査がすべて済んでから担当医の方から連絡がゆくから、その時にお会い下さいと言う事だった。
。。。んで、デンマンさんはどうなさったのでござ~♪~ますか?
28日の午後3時にお袋の病室に見舞いに行った時に、どうしても担当の先生に話がしたいと思ったのですよう。
やっぱり、心配になったのでござ~♪~ますか?
当然でしょう!僕の叔父は診断ミス・医療ミスで亡くなったのですからね。そうならないように僕は担当医にしっかりとお袋の病状を尋ねようと思ったのですよう。
それでナース・ステーションに行ったのですか?
そうですゥ。
それで。。。?
看護婦さんは、やっぱり同じ事を言ったのですよう。「検査がすべて済んでから担当医の方から連絡がゆきます。その時にお会い下さい」と言うのです。
。。。んで、デンマンさんはどうなさったのでござ~♪~ますか?
あのねぇ~、お袋が病院に搬送されてからすでに48時間が経過していたのですよう。その間、僕は看護婦からも担当医からも何の説明も受けてなかった。
つまり、デンマンさんは心配のあまり、かなりムカついたのでござ~♪~ますわね?
当然でしょう!たとえばねぇ、外来患者として歩いて病院へ行って検査を受けて、その結果を待つ、と言うのなら48時間何も連絡が無くても我慢できるかもしれない。だけど、お袋の場合には救急車で病院へ搬送されたのですよう。僕はお袋が死んでしまったのではないだろうか?そう思ってテーブルにうつ伏せているお袋の肩を揺らした。そうしたら弱々しいけれど意識があった。それで、緊急を要すると思って救急車を呼んだ。それなのに48時間、僕は看護婦からも担当医からも何の説明も受けてない。
それでデンマンさんはムカついてしまったのでござ~♪~ますか?
だから、僕はなるべく冷静になって、めれんげさんのような見苦しいヒステリー状態にならないようにと最善の努力を払ったのですよう。んも~~
それで。。。?
僕は看護婦さんに言いましたよう。救急医療を必要としている救急患者が今、どのような状態なのか?付き添いの人は心配している。それなのに48時間も何の説明も無く放置されていたら、付き添いの人はどれほど心配になっているか?あなたには、そういう付き添いの人の心理が理解できないのですか?!僕は必死になって長いブログを書くような心の状態で懇切丁寧に、その時の僕の心配のほどを説明しましたよう。
それで。。。?
看護婦さんは、僕の話を聞いても、また同じ事を繰り返すのですよう。僕は冷静になろうとしたけれど、自分の頬が怒りでピクピク痙攣するのを感じましたよう。
。。。んで?
看護婦さんも僕が異常に怒っているのが判ったと見えて「お待ちください。先生に連絡してみますから」。。。そう言って出てゆきました。
それで。。。?
僕はお袋の病室で10分ぐらい待ちました。看護婦さんがやって来て、「先生がお見えになりましたから、どうぞ」と言う。
それで。。。?
看護婦さんは僕をナース・ステーションに案内した。そこで副院長が僕を待っていた。僕は副院長と話をしたいわけじゃない。担当医と話がしたい、と言った。
そしたら。。。?
担当医は巡回中で僕には会えないと言う。「担当医でないあなたには僕のお袋の病状は分からないでしょう!」。。。僕がそう言うと「いいえ、あなたのお母さんの検査結果を私も見ているから、あなたにご説明できます」と言う。
それで、副院長様はデンマンさんに、ご説明し始めたのでござ~♪~ますか?
その前に僕は行田中央総合病院の緊急医療体制には問題があると批判し始めたのですよう。
マジで。。。?
もちろんですよう。副院長はギョッとしたような表情を浮かべたけれど、あくまで冷静でした。(デンマン注: あとで分かったことだけれど、この先生は院長先生だった!)
デンマンさんは、またお医者様に対して文句を言ったのでござ~♪~ますか?
文句ではないのですよう。批判です。
緊急医療体制の問題なんて。。。飛躍過ぎているのではござ~♪~ませんか?
『人のための医療 (2009年10月30日)』より
この入院中に僕が院長に苦情を言ったものだから、念のためにMRI(核磁気共鳴画像法)検査を受けてくださいと言うことになったのですよ。 ところが、お袋はその検査機械を以前どこかの病院で見たとみえて、「あのような騒々しい発動機のような機械に入ったら死んでしまう」と子供のように怯(おび)えたのですよ。 まるで死刑囚が絞首台に行くのを拒むような怯え方だったのですよ。 80歳を過ぎて「いつ、お迎えが来ても私には悔いはない…」なんて言っていたのに、その時には本音を漏らしましたよ。 「あのねぇ~、やっぱり、まだ死にたくはないよ。 いくつになろうと生きていたいものなんだから。。。」
デンマンさんのお母さんが、そのような事を言ったのですか?
そうなのですよ。
80歳を越えてからも、人ってぇ、それほど生きることに執着するものなのかしら?
あのねぇ~、僕は最近、黒澤監督の『夢』をDVDで観たのですよ。
『夢』(英題:Dreams)
『夢』は、1990年に公開された黒澤明による映画作品である。
日本とアメリカの合作。
「日照り雨」「桃畑」「雪あらし」「トンネル」「鴉」「赤冨士」「鬼哭」「水車のある村」の8話からなるオムニバス形式。
黒澤明自身が見た夢を元にしている。
各エピソードの前に、「こんな夢を見た」という文字が表示されるが、これは夏目漱石の『夢十夜』における各挿話の書き出しと同じである。
黒澤映画の中では「デルス・ウザーラ」同様、国内でのフィルム上映の機会に恵まれない作品である。
あらすじ
水車のある村
撮影に使われた大王わさび園水車小屋旅先で、静かな川が流れる水車の村に着く。
壊れた水車を直している老人に出会い、この村人たちが近代技術を拒み自然を大切にしていると説かれ、興味を惹かれる。
老人の初恋の人であった老婆の葬式が行われた。
村人は嘆き悲しむ代わりに、良い人生を最後まで送ったことを喜び祝い行進するのであった。
出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
赤字はデンマンが強調
『性愛の未来(2011年3月27日)』に掲載
最後の「水車のある村」のエピソードで103歳の老人を演じていた笠智衆(りゅうちしゅう)さんが言ってましたよ。
「人は年を取ると、この世に未練がないような事を言うが、
それは見せかけじゃよ。
誰もが長生きしたいものじゃ。
生きるということはいいもんじゃよ」
臨終の床に就いた親鸞上人も本音はまだ生きたかったとデンマンさんは考えているのですか?
そうですよ。 そこに建前と見せかけを感じましたね。
【卑弥子の独り言】
ですってぇ~。。。
そのようなものでござ~♪~ましょうか?
あたくしは根が楽天的なのか?
未だに死ぬ事を身近なものとして感じたことは一度もないのですわ。
幸せなのかもしれません?
もしかすると、ノー天気なのかもしれませんわ。
おほほほほほ。。。
とにかく次回も面白くなりそうです。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。
ィ~ハァ~♪~!
メチャ面白い、
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■『畳の上の水練(2011年3月15日)』
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■『軍隊のない国(2011年3月21日)』
■『士風と「葉隠」(2011年3月23日)』
■『アナクロニズム(2011年3月27日)』
こんにちは。ジューンです。
『夢』は楽しい映画でしたわ。
わたしは「鴉(カラス)」のエピソードが
一番気に入りました。
美術館で主人公が、あの有名な
「吊り橋」の絵をみているのです。
やがて、その絵の中に主人公が入ってゆくのです。
川で洗濯しているフランス人の女性が
活き活きと動き始めます。
「絵描きのゴッホ先生はどこにいるのでしょうか?」
「ああ。。。あの人ならばさっき畑の方に歩いてゆきましたよ。
でもねぇ、ちょっとオツムがいかれているから気をつけてね」
女たちが笑い転げます。
ゴッホは「カラスのいる麦畑」に居ました。
ショパン「雨だれの前奏曲」が流れているのが
印象的でした。
黒澤監督の映画もいいですけれど、
わたしは寅さんの映画が好きですわ。
嫌いな人に言わせると、
“あんなワンパターンの映画のどこがいいの?”
と言います。
でも、そのリフレーンがいいのですよね。
歌でも同じ言葉やリズムの繰り返しが
イヤではなく、むしろ快く響く事ってありますよね。
寅さん映画のテーマの繰り返しは
例えて言えば、歌のリフレーンのように快く響きます。
基本的には人情喜劇なんですよね。
寅さんという「非日常」を登場させることによって、
社会や家庭、人間が持っている普遍的な悩みを
浮き彫りにさせ、家族のあり方や人間の生き方を
考えさせてくれるのですよね。
そう思いませんか?
自分の恋は成就しなくとも、
結果的に周りを幸せにする寅さんは、
ピエロとして描かれています。
寅さんという自由人は、
平凡な人にも幸せな気分を味合わせてくれるような
化学で言う“触媒(しょくばい)”ですよね。
自分は変わらないのに相手が変わって行く
“幸せの触媒”です。
ところで、卑弥子さんにもちょっと信じがたいような
恋物語がありますわ。
関心があったらぜひ次のリンクをクリックして
じっくりと読んでみてくださいね。
■『平助さんが卑弥子さんに
恋をしたのがウンのつき』
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
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