愛の夕顔
天の夕顔
私が京都の大学生のころ、はじめてあき子に会いました。 彼女は、下宿先の家の娘で、すでに結婚した身で、子供ももおり、夫は外国にいました。
まもなく、彼女の母親が病気で亡くなりました。 私が通夜や葬儀、さらに四十九日の観音講(かんのんこう)の際、なにくれと手伝ったため、彼女からその礼などを認(したた)めた手紙が送られてきました。 知人の家に移っていた私は、どういうわけか、その通りいっぺんに見える手紙がうれしくてたまらず、思えばそれが、私の運命を左右するきっかけになったのです。
(中略)
6月の末、私は試験の準備に忙しいころでした。 彼女は結婚生活に悩んでいる様子を話しました。 はじめは姉弟のような気持ちだったが、しだいに私に惹かれるようになり危険を感じ出した、これ以上交際を続けているのは自分の立場が苦しくなるので今日は別れを言うために来た、と言うのです。 私は恋愛の気持ちなどなく、友情だと思っていたのに、「別れに来た」と言う言葉には少なからず狼狽し、意外な気持ちながら、彼女の威厳ある堅い決意に従うほかありませんでした。
これが、彼女から突き放された最初です。 それまで会うこともなかったのに、こんな気持ちになったのが不思議でしたが、これ以来私は今に至る20数年、あの人のことを思い続ける運命に陥ったのです。
(注: イラストはデンマン・ライブラリーから)
92 - 93ページ
『天の夕顔』 中河与一・著
「あらすじで読む日本の名著 No.2」
編著者: 小川義男
2003年11月13日 第2刷発行
発行所: (株)樂書館
デンマンさん。。。なんだか不倫めいたお話を持ち出してきたのですわね。
いけませんか?
デンマンさんは、そのようなお話が好きそうですから私はかまいませんけれど、なんとなく引っかかるものを感じますわ。
ん。。。? 引っかかる。。。?
そうですわ。。。私とデンマンさんのお付き合いについて何か言いたいのですか?
いや。。。小百合さんと僕の付き合いについて、とやかく言いたいわけではありませんよ。 たまたま上の話を読んで、なんとなく惹かれるものを感じたのです。
どういうところに。。。?
その事について書きたいと思ったのですよ。 でもねぇ、僕は「中河与一」という作家を知らなかった。 初めて見た名前だったのです。 小百合さんは知っていますか?
いえ、私も初めて見るお名前ですわ。
けっこう有名らしいのですよ。
中河与一 (1897 - 1994)
香川県に生まれる。
1918年に画家をめざして上京。
翌年、早大予科文学部に入学するが、中退。
1935年以降、日本浪漫派に接近し、しだいに民族主義を唱え始める。
1938年、新感覚運動を川端康成、横光利一らと興す。
代表作である『天の夕顔』において東洋的叙情に到達し、戦後に発表された『失楽の庭』『悲劇の季節』とあわせ、三部作と見なされている。
作者は「文藝春秋」の初期の同人として横光利一、川端康成と並んで世に称えられた。
泉鏡花、谷崎潤一郎、佐藤春夫と続いた王朝以来のロマンチシズムの系譜が作者へと継承されている。
『天の夕顔』が1938年に発表された当時は、世俗的、大衆的という理由で文壇からは受け入れられなかったが、永井荷風や徳富蘇峰らは激賞し、また当時の青年子女に愛読された。
あらっ。。。有名な人たちとお仲間なのですわね。 川端康成も横光利一も知っておりますわ。
日本人ならば横光さんを知らなくても、川端さんの名前はまず間違いなく知っていますよ。 とにかくノーベル文学賞をもらったのですから。。。
でも、どうして中河与一さんのお名前は知られていないのかしら?
あのねぇ~、僕は調べてみたのだけれど、どうやら太平洋戦争中の悪い噂のために戦後の文壇で孤立したようなのですよ。
その悪い噂って、どのようなものなのですか?
あのねぇ~、中河さんが戦時中に、左翼的文学者のブラックリストを警察に提出して言論弾圧に手を貸したという噂がだいぶ流れたらしい。
そのために作品が読まれなかったのでしょうか?
戦後は左傾する人が多かったから、もしかすると戦中の噂が影響したのかもしれません。 それで人気が出なくて、ミーちゃんハーちゃんに知られることがなかったのかもしれませんよ。
。。。で、上のお話のどこにデンマンさんは惹かれたのですか?
これ以来私は今に至る20数年、
あの人のことを思い続ける運命に
陥ったのです。
この箇所ですよ。 20数年というのは、誰にでもできることではないですよ。
そうでしょうか?
あのねぇ~、実は次の記事を僕は書いたばかりなのですよ。
■『あなただけに…』
(2011年5月17日)
私も読ませていただきましたわ。
だったら、僕が「20数年、あの人のことを思い続け」たという事に惹かれる気持ちが分かるでしょう!? アインシュタインは次のように言っているのですよ。
結婚とは、ひとつの偶然から
永続的なものを作りだそうという、
成功するはずのない試みだ。
---アルバート・アインシュタイン
しかもアインシュタインの結婚生活を覗くと次のようなことが分かるのですよ。
アインシュタインは1897年、スイスのチューリッヒにある連邦工科大学で学んでいたとき、最初の妻になる女性と出会い、恋に落ちた。 その女性はミレーヴァ・マリッチ。
ミレーヴァ・マリッチとアインシュタイン
アインシュタインと同じ講座の学生で、生まれつき足が悪かった。 二人に共通していたのは、コーヒーとソーセージが好きということだった。 彼女と知り合ってまもないころ、アインシュタインが書いた手紙には、ミレーヴァを呼ぶ愛称がこれでもかとばかりに登場する。 僕のかわいこちゃん、僕の子猫ちゃん、僕の愛する魔女、僕の小さなすべて……そして愛の告白もあった。 1900年、アインシュタインが21歳のときの手紙にはこう書かれている。 「哀れな人間たちの群れのなかで生きてゆこうと思ったら、君のことを思わずにはいられない」
二人はともに勉強し、音楽を楽しむうちに、友達から恋人へと関係を進んだ。 同級生からミレーヴァの足のことを問われ、僕なら不具の女と結婚などできないと言われたアインシュタインは、「でも彼女はすばらしい声をしている」と答えた。 最後には二人の関係は破局を迎えるのだが、そこにいたる事情は深く複雑なものだった。 自分の心はミレーヴァのものだと言っているときから、アインシュタインはいろいろな意味で遠い存在だった。 離ればなれで暮らした時期も長く、研究のことしか頭にないアインシュタインには、子供のいる雑然とした生活は耐えがたいものだった。 結婚前に生まれた娘ルイーズは養子に出され、その後もアインシュタインとミレーヴァの間には、二人の男の子が生まれている……のちにハンス・アルバートは水力学の専門家になり、次男エドゥワルドは精神分裂病で施設に入った。 そのかたわら、アインシュタインはいとこのエルザに求愛するようになり、二人はやがて結婚する。
エルザとアインシュタイン
1913年、ミレーヴァとの離婚が成立する5年以上も前に、アインシュタインはこんな手紙をエルザに書いている。「私にとって妻は、クビにできない雇い人のようなものです。私は寝室も別にして彼女を避けています……私と、私の人生を支配できるのは自分以外の誰でもありません」
エルザは夫の研究にいっさい口出ししなかったし、知性面で夫と張りあおうという気持ちもさらさらなかった。 そんな二番目の妻に対しても、アインシュタインは同じことを繰りかえしてしまう。 夫婦の間から愛もセックスも消えうせ、アインシュタインはほかの女性に盛んに言いよりはじめる。 友人によると、その様子は「磁石が鉄粉に引きよせられるようだった」という。 またしても寝室が別になり、妻は雇い人に等しい存在になりさがった。 ただし海外旅行や映画のプレミアのときは、夫と行動をともにすることが許された。 アインシュタインはエルザに、「きみの話、私の話をするならいい。だが『私たち』のことは一切話題にしないでくれ」と申しわたしている。
年を経るにつれて、アインシュタインは女性を苦々しく思うようになった。 彼にとって、愛は偽りの概念に過ぎないし、生涯の結びつきなどという理屈はもっと始末におえないものだった。
(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーから)
39 - 41ページ
『アインシュタインをトランクに乗せて』
著者: マイケル・パタニティ(Michael Paterniti)
訳者: 藤井留美
2002年6月20日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社ソニー・マガジンズ
つまり、結婚してもいない相手を20数年も思い続けたということがデンマンさんに感銘を与えたのですか?
上のアインシュタインの結婚生活を覗くと僕が『天の夕顔』に感動したのが小百合さんにもうなづけるでしょう?
そうですわね。。。デンマンさんが感銘を受けるのが分かるような気がしますわ。。。で、『天の夕顔』は、その後どうなるのですか?
次のように続くのです。
別れた後、彼女から受け取ったハガキには、別れたことへの葛藤、妻として母として生きようと決心しながらも力が及ばなかったことへの後悔などが綿々と綴られていました。 私はすぐに、自分のことをもっと知ってもらいたい旨の返事を書きましたが、それきり手紙も何も来なくなってしまいました。 私は彼女の決意の堅さを感じながらも、かえってあの人を追いかけていきたい気持ちが強くなっている自分に気がつきました。
8月下旬の夕暮れ、私はじっとしていられなくなり、神戸のあの人の家を訪ね、私の気持ちを伝えましたが、彼女の決意は変わらないようでした。 帰るとき、階段に降りようと二人が向かいあった瞬間、二人の身体に、同時になにか恐ろしいものが走ったのを感じたのです。 そのとき互いに理性を越えて飛びつきたかったに違いありません。 でも、私たちはそれをしませんでした。 そこに私たちの今日までの愛情の形式があったといえます。
(中略)
私が23歳の夏の初めでした。 7つ年上のあの人の美しさはもはや私には絶対的なもので、それ以上のものはありませんでした。 深遠で情熱を含んだ静かな強さが私を苦しくするほどに執着させ、話すときは当たり前の口調でしたが、互いの目の中に互いの運命の暗示をいつも読んでいたように思われます。 私の心はどんなことがあっても彼女を失いたくないという切ない願いでいっぱいになりながらも、いつか彼女を見失うのではないかという不安がつきまとい、私は人が不倫のために自殺する気持ちをはじめて理解しました。
(中略)
そのころ、私の下宿先の隣家に私とあまり年の違わない娘がいました。 私はその娘と親しくなりましたが、あの人との関係に比べればあわあわしいものでした。 あの人は私にとってだれとも比較などできないほど絶対的で永遠の存在だったのです。 しかし、その娘から結婚を迫られ、5年ぶりにその相談のために、あの人に会うことになりました。 私の27歳の夏でした。
私は耐えられないなつかしさで彼女と会いましたが、彼女は案に反して隣の娘との結婚を勧めたのです。 (中略)
私は結局、隣の娘と結婚しましたが、不運なことに彼女は肋膜(そくまく)を患い、2年間介抱に明け暮れました。 とうとう、私は結婚に対して耐えられない苦痛を感じ、病身の妻と別れる決心をしたのです。 自分の魂の本然(ほんぜん)にかえりたい、それが自分に与えられた運命だと悟り一人で生きていく決心をしました。 私の31歳の春でした。 あき子とはじめて会ってからすでに10年の歳月が流れていました。
(注: イラストはデンマン・ライブラリーから)
93 - 95ページ
『天の夕顔』 中河与一・著
「あらすじで読む日本の名著 No.2」
編著者: 小川義男
2003年11月13日 第2刷発行
発行所: (株)樂書館
なんだか男の人がずるいと思いますわ。
どうしてですか?
だってぇ、隣の家の娘さんと結婚するのに、どうして7つ年上の人に相談に行くのでしょうか?
あのねぇ~、それは男がその人に会いたいからですよ。 とにかく、7つ年上のあの人の美しさが男にとって絶対的なものになっているのですよ。
ただ美人だからということで。。。?
いや。。。違いますよ。 見かけも美人なんだろうけれど、性格的にも美しい人に違いないのですよ。 そうでなければ、男が20数年も思いつめませんよ。 次の箇所を読むと7つ年上の人の素晴らしさが詩的に分かるのですよう。
彼女は5年たったら、もう一度会うことを約束してくれました。 私にとってもはや5年の年月などなんでもありません。 雪の季節にも、しみ通るような寒さにも、私の心はあの人に会える喜びで明るく輝いていました。
あの人と約束した5年目が近づくころ、私はもう45歳になっていました。 あと1日であの人に会えるという日。 私はあの人が末期の思いで書いた悲しい手紙を受け取ったのです。 動かしがたい死の予告を綴った手紙に私は泣いても泣いても、泣ききれないほどの悲しみに突き落とされたました。 あんなに求め続けていた人とついに会えなかったこの哀れな男の運命を想像してください。 すぐあの人の家へ駆けつけましたが、そこでハッキリとあの人の死を確かめただけでした。
(中略)
天国にいるあの人に消息するたった一つの方法は、夏の夜の花火を打ち上げることでした。 若いころ、あの人が摘んだ夕顔の花を、青く暗い夜空に向かって華やかな花火として打ち上げたいのです。 花火が消えたとき、私は天にいるあの人がそれを摘み取ったのだと考えて、今はそれをさえ自分の喜びとしているのです。
(注: 写真はデンマン・ライブラリーから)
96ページ
『天の夕顔』 中河与一・著
「あらすじで読む日本の名著 No.2」
編著者: 小川義男
2003年11月13日 第2刷発行
発行所: (株)樂書館
若いころ、あの人が摘んだ夕顔の花を、
青く暗い夜空に向かって
華やかな花火として
打ち上げたいのです。
この部分を読むとねぇ、7つ年上の人の面影が僕にも思い浮かんでくるのですよ。
あらっ。。。なんだか実感が込められているようですけれど。。。デンマンさんも同じようなご経験があるのですか?
あるのですよ。。。うしししし。。。
マジで。。。?
冗談ではありませんよ。 僕も愛しい人を20数年間思いつめ、慕い続けたのですよ。
デンマンさんも、その年上の女性が摘んだ
夕顔の花を、青く暗い夜空に向かって華やかな花火として打ち上げたのですか?
いや。。。残念ながら、そこまでやるだけの役者心は僕にはありませんでしたよ。 うへへへへ。。。
つまり、『天の夕顔』を読んで、デンマンさんも、その年上の女性を思い出したのですか?
そうなのですよ。。。僕も読みながらジーンと涙が込みあげてきたのですよ。
つまり、その事を自慢したかったのですか?
いや。。。自慢したいためにこの記事を書き始めたのではありません。
じゃあ。。。なんのために。。。?
あのねぇ~、僕は『天の夕顔』が作者自身の経験に基づいて書かれたのか? なんとなく気になって調べたのですよ。
。。。で、実際、作者の経験に基づいて書かれたのですか?
それがねぇ~。。。この作者は一癖も二癖もありそうな人物なのですよ。
火の無い所に煙は立たず
昔の人はこのように言ったけれど、中河さんの悪い噂は、彼の弟子に言わせると事実無根ということなのですよ。
つまり、中河さんを恨んでいた人が噂を流したと。。。?
そうだと、中河さんの弟子は言っていたのですよ。 その噂は、プロレタリア文化運動に関係した平野謙氏や戦後の反戦平和運動に関わった中島健蔵氏が意図的に流したデマに過ぎなかったと中河さんの弟子は調査結果を発表したのです。
でも、何のためにデマを流したのですか?
平野氏と中島氏は、中河さんに濡れ衣を着せることによって自分たちの戦争協力行為を隠蔽するためだった。 中河さんの弟子は、そう言ったのです。
つまり、中河さんはスケープゴートにされたわけですか?
そうらしい。
。。。で、『天の夕顔』は作者自身の経験に基づいて書かれたのですか?
ところが、これも問題を起こしたのですよ。
どのような。。。?
『天の夕顔』主人公モデル問題
中河の代表作『天の夕顔』は不二樹浩三郎という按摩の身の上話に基づく作品だったため、不二樹は中河に対してこの作品を自分との共著とすることを要求した。
しかし中河は「話をしてくれただけで、それがあなたに何の関係があるのですか。法廷へ出ても何処へ出ても」とこの要求を退けると共に、主人公のモデルの実名公表を拒み続けたため、不二樹との間に深刻な確執が生じた。
不二樹から中河に脅迫状が届き、その直後に中河家の愛犬が不審な死を遂げたこともある。
一連の経緯について中河が警視庁成城警察署に相談したものの、刑事事件には発展しなかった。
一方、不二樹の側でも中河を訴えようとしたが弁護士費用の問題からこれを果たせず、その代わり『名作「天の夕顔」粉砕の快挙──小説味読精読の規範書』(1976年)と題する書物を自費出版してこの作品が中河の創造力の所産ではないことを世に訴え続けた。
不二樹は1990年に93歳で死去した。
出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
僕はこの事情を読む前に『天の夕顔』を読んだのだけれど、マジで名作だと思いましたよ。 その思いは僕にとって今でも変わらないのです。
でも、なんだかデンマンさんは不満そうですわね。
あのねぇ~、文学作品は芸術として鑑賞したいのだけれど、こうしてモデル問題でガタガタしたのを知ると、ちょっと興醒(きょうざ)めしますよね。
分かりますわ。。。だから、文学作品のモデルの詮索などする必要が無いのではありませんか?
でもねぇ、モデルを知ることによって文学作品がさらに引き立つことだってあるのですよ。 例えば堀辰雄の『風立ちぬ』ですよ。 1933(昭和8)年、堀さんは軽井沢で矢野綾子さんと知り合うのです。 まず、その頃の軽井沢での体験を書いた『美しい村』を発表したのです。 1934年、矢野綾子さんと婚約するのだけれど、彼女も肺を病んでいた。 そのため、翌年、八ヶ岳山麓の富士見高原療養所にふたりで入院する。 しかし、綾子さんはその冬に死んでしまうのです。 この体験が、堀さんの代表作として知られる『風立ちぬ』の題材となったのですよ。 このようなことを知ると、『風立ちぬ』を読んで、いっそう心を打たれるのですよ。 そういうわけで、僕は野次馬根性を出してモデルを詮索することがある。
でも、期待はずれになることが多いのですか?
そうですよ。。。上のモデル問題などは、読んでゲッソリするような現実の醜い面が表れていますよ。 『天の夕顔』の話は按摩さんの身の上話に基づく作品なのだろうけれど、ずいぶんと脚色されているような気がします。
なぜデンマンさんは、そのように思うのですか?
本当にモデルも素晴らしく、また作品も素晴らしいものならば関係者はそっとしておくと思うのですよ。 矢野綾子さんの遺族が堀さんを訴えたなんて聞いたことが無い。 モデル問題を読んでから『天の夕顔』を読むと、現実の美しい部分だけを拾い上げて書いたような気がします。 現実の醜い部分がモデル問題となって顔をのぞかせているのですよ。
現実をそのまま作品として書くということは難しいのでしょうか?
いや。。。そんなことは無いと思いますよ。
事実は小説より奇なり。
でもねぇ、昔の人は、このようにも言いましたからね。 現実をそのままに書いても、なかなか信じてもらえないものですよ。
あらっ。。。デンマンさんも、そのように感じるのですか?
たとえば「あの人」の旦那さんが手紙を書いてきたとしますよ。
どのような。。。?
次の手紙ですよ。 小百合さんは現実の手紙として信じることができますか?
毎年いつも年末に妻の美千代にお便りをお寄せくださり誠に有難うございます。
厚くお礼申し上げます。
実はつらく悲しいことでありますが美千代は去る7月18日に亡くなりました。
昨年の春先に胸が傷むと病院へ行きましたところ、肺のあたりに水がたまっているという奇病で、すぐに入院し水を抜く手術をしました。
手術は成功したのですが若いころ結核をわずらったことがあり原因を調べるため検査設備の整っている東北大学病院へ行くことになり、通院や入院を半年以上、各種いろいろの検査をうけました。
結核の関係はないと判定され、近くの病院から往診していただくことになりました。
しかし、そのことが美千代には不本意だったようで、断って別の病院に通うようになりました。
そのうち段々足腰や体も弱ってきて、たびたび転んだりして車椅子の生活になり、時々は救急車のお世話になるようになりました。
短期入院や点滴してもらって帰るようにもなりました。
それでも、そんなにひどいようには見えず食事は食堂へ出てくるし、家の中を立って伝い歩きもしました。
当日も夕食中、食べ物が喉につかえ呼吸困難となり、救急車を呼んで病院へつれて行き、いろいろ手を尽くしていただきましたがそのまま回復せずに亡くなりました。
診断は「心臓周囲病」ということで心臓も衰弱していたことと思われます。
私が先に逝くものとばかり思っていましたのに、思いもよらぬ逆縁で申し上げる言葉もありません。
元来、頑健丈夫とは言えず、むしろどちらかと言えば病弱なところもありました。
それでも気の強いところもあって新聞社に勤めたり、百貨店の仕事などもやって、退社後も、大学の研究室で秘書などの仕事もしました。
30代で自動車免許を取得したり、一時はスナック経営などもやり、貸家を建てたりもしました。
精一杯生き抜いたと言えましょう。
また、多くの人々から好かれ愛された生涯でありました。
デンマンさんにも永い間ご厚誼をいただき本当に有難うございました。重ねて厚くお礼申し上げます。
どうぞお体を大切に、ますますお元気でご活躍なさいますようお祈り申し上げます。
2010年11月24日
梶尾一郎
福島県会津若松市東栄町
郵便番号: 965-8601
『生きることって愛すること?』より
(2010年12月18日)
『即興の詩バンザイ』にも掲載
(2010年12月4日)
この手紙は、ほとんどそのまま書き出したものです。 小百合さんは信じることができますか?
今晩、じっくりと眠りながら考えて見ますわ。
【卑弥子の独り言】
ですってぇ~。。。
あなたは信じることができないでしょう?
あたくしだって信じられませんわよ。
このような事があるはずが無いのでござ~♪~ます。
あなただってぇそう思うでしょう?
でもねぇ、あたくしとジョンレノンの話は事実ですわよ。
“キャ~ 素敵ィ~♪~”
ええっ。。。あなたは、もうビートルズのことはウンザリしたのでござ~♪~ますか?
でもねぇ、あなたはウンザリしているかもしれませんけれど、あたくしはビートルズの熱烈なファンなのでござ~♪~ますもの。。。
うふふふふふ。。。
あたくしが、またビートルズの事を持ち出してきたので、あなたは“んもお~~ またかよ!”と思っているのでしょう!?
こうして、たびたびビートルズの事を持ち出したら、
あなたにとっては、面白くもなんともないでしょうね!?
ところが何度も何度も、あたくしはビートルズの夢を見るのでござ~♪~ますわ。
軽井沢の万平ホテルに行くと
ジョンレノンとあたくしがカフェテラスで会うような気が、マジでするのでござ~♪~ますう。
あなたも信じてよねぇ~。
滞在中のジョン・レノンは朝9時半ごろ、
このカフェテラスに下りてきたのですよ。
わたしたちに「おはようございます」と
日本語であいさつしたものですわ。
いつも庭に面した一番奥の席にすわって、
他のお客様には背を向けるような格好で
腰掛けていました。
ジョン・レノンのお気に入りは
ローヤルミルクティーでしたわ。
『幸福の谷』より
(2008年4月6日)
あたくしは万平ホテルのカフェテラスでマジでジョン・レノンとローヤルミルクティーをいただいている記憶が鮮明に甦ることがあるのでござ~♪~ますわ。
あなたは信じられないでしょう?
あたくしだって信じられないのですから。。。
でもねぇ、これがあたくしとジョンレノンのお話なのですわよ。
あなたがどう思おうと、あたくしはジョンレノンとローヤルミルクティーを楽しんだのですわ。
おほほほほほ。。。
とにかく次回も面白くなりそうです。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。
ィ~ハァ~♪~!
メチャ面白い、
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■『アナクロニズム(2011年3月27日)』
こんにちは。ジューンです。
あなたはデンマンさんが受け取ったお手紙を
信じることができますか?
わたしは信じたいのですわ。
確かに、勇気を持って逝くことに臨むことは、
2倍に生きることになるのかも知れませんよね。
美千代さんは多くの人を愛し、
また、多くの人々から好かれ
愛された生涯だったのでしょうね。
夫の一郎さんに、そのように思われながら看取られた事は
幸いだったに違いありません。
美千代さんのご冥福を
心よりお祈りいたします。
あなたも、精一杯生き抜いてくださいね。
とにかく、興味深い話題が続くと思います。
あなたもどうか、またあさって
読みに戻ってきてください。
ところで、卑弥子さんにもちょっと信じがたいような
恋物語がありますわ。
関心があったらぜひ次のリンクをクリックして
じっくりと読んでみてくださいね。
■『平助さんが卑弥子さんに
恋をしたのがウンのつき』
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
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