愛と孤独
愛すること
自分を愛することが難しすぎる
それができなければ
他人を愛することもできないのか?
愛だと感じていることは
まったくのまやかしなのか?
醜い自己愛には陥りたくない
自分を大切にすることすら
嫌らしい自己満足に思える
愛さなければ愛されないのか?
などと卑しいことを考えてみる
by merange (めれんげ)
November 24, 2009 15:41
『極私的詩集 愛すること』より
『最後の愛』に掲載
(2009年11月30日)
デンマンさん。。。あんさんは、またわたしの古い手記を持ち出してきましたのやね?
あきまへんか?
アッカ~ンとは言わへんけど、ちょっとくどいやんか!
決してそないなことはあらへん。。。「愛と孤独」は古くて新しい話題やねん。 人間が生きている以上いつでも心のどこかに愛と孤独についての疑念が巣くっているねん。
それは、あんさんの個人的な意見とちゃうん?
いや。。。わてだけの問題とちゃうでぇ~。。。リンドバーグ夫人かてぇ、愛と孤独についてずいぶん昔に次のように考えていたのやァ。
孤独という砂漠
私は一人でいて私の同類にも前よりも親しみを持つことができた。 なぜなら、我々を他の人間から切り離すのは地理的な意味での孤独ではなくて、精神的な孤独だからである。
我々を我々が愛している人たちから遠ざけるのは無人島や、砂漠ではない。 それは我々の頭の中に広がる砂漠、また心の中の荒地であって、そこを我々は行く所もなくてさ迷っている。
自分が自分に対して他人であるならば、我々は他人に対しても他人であることになって、自分と接触がなければ、他人に近づくこともできない。
私は大きな都会の中にいて、誰か友達と握手しながら、その間に荒野が横たわっているのを何度感じたことだろうか。 私たちは二人とも、かつては私たちの生命を養っていてくれた泉を見失うか、或いはそれがいつの間にか涸(か)れてしまったのを発見して、そうして荒野の中をさ迷っているのだった。
自分自身の心臓部と繋がっている時にだけ、我々は他人とも繋がりがあるのだということが、私には漸(ようや)く解ってきた。 そして私にとっては、その心臓部、或いは内的な泉を再び見つけるのには一人になるのが一番いい。
(注: 赤字はデンマンが強調
写真とイラストはデンマン・ライブラリーより)
39-40ページ 『海からの贈物』
著者: リンドバーグ夫人 訳者: 吉田健一
2000(平成12)年7月15日 第63刷発行
発行所: 株式会社 新潮社
どうや、めれちゃん。。。覚えがあるやろう? 孤独というのは地理的な意味での孤独ではなくて、精神的な孤独やんか!
そないなことは、あんさんに言われなくても、リンドバーグ夫人に言われなくて分かってますねん。
さよかァ~? そやけど、めれちゃんは次のように寂しくなって死にたいと言うてたのやでぇ~。。。
不安と焦燥感と寂しさ
2004/10/03 18:28
もう、このままで生きてるんなら、
命いりません。
ドナーカード持ってるから、
心臓でも角膜でも、
なんでも持っていって下さい。
家族はいません。
承諾とらなきゃいけない人は
誰もいません。
by レンゲ
『ん?体の関係と無責任大国日本』より
(2007年11月21日)
あんさん。。。これはレンゲさんが書いたものですやん。
めれちゃんも同じような事を書いていたのやア! めれちゃんも、こないに今にも死にそうな事を言うてたのやでぇ~。。。
あんさんは何にも分かってえ~へんなァ。。。時にはネットで、こないな手記を公開して誰かに同情してもらいたいという気分になるねん。
つまり、同情を誘うために書いたのかァ?
そやから、そないに心細(こころぼそ)うなるときがあるんねん。 あんさんには分からへんやろう?
分からん! ネットで寂しさを紛らわせるためにゲームをしたりコメントを書いたりするのは分かるけど、同情を誘うために「孤独で死にたい」なんてぇ、わてにはよう書けへん。
そやから、あんさんには孤独というもんが分からへん。
そないなことはないでぇ~。。。わてはめれちゃんの孤独に答えて次のように返信したのやないかいなァ。
レンゲさん、本当の寂しさはマイナス42度の原野で
人っ子一人居ないところで
上のようなオーロラを見るときに感じるものですよ。
イエローナイフに2年近く居ましたが、
このオーロラを見るたびに人間は
一人一人皆、孤独だということを
しみじみと感じましたね。
政府の職員官舎から5分も歩くと
こういう原野がず~と、ず~と広がっています。
寂しさというよりも、孤独ですよね。
こういうところにゆくと、しみじみと一人なんだと感じます。
でもね、結局、誰もが一人で生きているんですよ。
このオーロラは写真では黄色がかって見えますが、
実物は、いぶし銀のように光っています。
とにかく神秘的で、幻想的で、
自分が吸い込まれて行きそうな感じを覚えながら
ポケー。。。として見上げるんですよ。
それからバンクーバーに出てきました。
対話の世界です。
レンゲさん、寂しさをなくす、
孤独で居たくないということは、
対話を持つことですよ。
そしてこの対話が切れたとき、
人間はますます孤独になってゆくものです。
これから、時たま見に来ますね。
そう、深刻に考えることもないですよ。
じゃあね。。。。
(^Д^)ギャハハハハ。。。
Denman (デンマン)
2004/09/04 00:00
『群衆の中の孤独』より
(2005年12月31日)
あんさんは、こないな事を書いても、ホンマのわたしの孤独が分かってへんと思うねん。
わては分かってたつもりやでぇ~。。。
いいえ、分かってえ~へん。
しかしなァ~。。。めれちゃんは死にたいほどの孤独を味わっているというけど、その死にたいほどの孤独が、わての胸にはひしひしと伝わってき~へんかったでぇ~。
それは、あんさんにホンマの孤独を経験したことがあらへんからやア!
そやけどなァ、次の小文を読むと死にたくなるような気持ちが、わてにも分かるねん。
及川島の悲劇
及川島という呼称は正式の呼び名ではない。 私が後になって手に入れたカナダの地図には、ドーン・アイランドと記されていた。 地図で探すと、それは島というよりも、フレーザー川の河口に形成された中洲である。 ...すぐそばに、アナシス・アイランドという大きめの島がある。 その小さな島で及川しまさんは生まれ、13歳の5月、日本に帰国するまで暮らしていた。
(中略)
ある日しまさんは、自分と二つ違いの兄が、フレーザー川で溺死した日のことを、ポツリポツリと語ってくれた。 明治45年の5月、そのときしまさんは8歳だった。
「どうして、そのような事が起きたのか、私は今でもわかりません。 とても賢くて、敏捷な兄でしたから……。 目撃者もいないのです。 多分、ボートに乗ろうとして落ちたのだろうって、父は言ってました。
とにかく、夜になっても帰ってこないので、母が探しにいって、どこにもいないので、それから島中大騒ぎになって、ずーっと川下のスチーブストンという港町に近い河口で、白人の方が死体をみつけて、『日本人の子供だ』ってね、それで知らせてくださって……。
そのことがあってから、母は寝こんでしまいました。 川を見るのが嫌だって、ね。 川の流れる音を聞くだけで、気が狂いそうだって……。 お葬式にも出ませんでした。 あんなに気丈で、あんなに我慢づよかった母が、一度に気が弱くなって……、夢遊病にかかったようになって、寝ていたかとおもうと、突然起き上がって、急に『栄治!栄治!』って叫んで、川に飛び出していったり……。
私は幼かったし、恐ろしいのと心配とがいっしょになって、どうしたらよいか、ただオロオロするばかりでね。 『母ちゃんから絶対に眼をはなすなよ』。 私は父から、そのように言いつかっていましたからね。 これは子供心に、私に対する父の絶対の命令だなって……。 私は、この命令を必死で守りましたよ」
(注: 赤字はデンマンが強調
地図はデンマン・ライブラリーより)
125 - 127ページ 『失われた風景』
著者: 山形孝夫
1996年11月15日 第1刷発行
発行所: 株式会社 未来社
上の文章を読むと子供を亡くした母親が死にたくなる気持ちが、わての胸にもひしひしと伝わってくるねん。
つまり、わたしが死にたいほどの孤独を味わってたことが、あんさんには理解できへんかったのやァ!
それほど言うなら、わてにも理解できるように書いたらええやん。 ところで、わてが上の小文を持ち出してきたのには、もう一つ理由があるねん。
その理由とは。。。?
リンドバーグ夫人は当時1歳8ヶ月の息子を誘拐されて、新聞やラジオで大センセーションを巻き起こした挙句、可愛い息子は殺されていたのやァ。 そのリンドバーグ夫人の心の内は上の母親よりももっと悲惨だったに違いないと、わてにも察しがつくねん。
つまり、「死んでしまいたい」と思ったことはリンドバーグ夫人にとって一度や二度ではないと、あんさんは言わはるのォ~?
そうやァ。。。死にたいほど悲惨な思いをしたにもかかわらず、リンドバーグ夫人は立ち直って、その後、五人の子供を生み育てて長寿を全(まっと)うしたのやァ。 その中で書いたのが次の文章や。 もう一度味わいながら読んでみィ~なァ。
孤独という砂漠
私は一人でいて私の同類にも前よりも親しみを持つことができた。 なぜなら、我々を他の人間から切り離すのは地理的な意味での孤独ではなくて、精神的な孤独だからである。
我々を我々が愛している人たちから遠ざけるのは無人島や、砂漠ではない。 それは我々の頭の中に広がる砂漠、また心の中の荒地であって、そこを我々は行く所もなくてさ迷っている。
自分が自分に対して他人であるならば、我々は他人に対しても他人であることになって、自分と接触がなければ、他人に近づくこともできない。
私は大きな都会の中にいて、誰か友達と握手しながら、その間に荒野が横たわっているのを何度感じたことだろうか。 私たちは二人とも、かつては私たちの生命を養っていてくれた泉を見失うか、或いはそれがいつの間にか涸(か)れてしまったのを発見して、そうして荒野の中をさ迷っているのだった。
自分自身の心臓部と繋がっている時にだけ、我々は他人とも繋がりがあるのだということが、私には漸く解ってきた。 そして私にとっては、その心臓部、或いは内的な泉を再び見つけるのには一人になるのが一番いい。
(注: 赤字はデンマンが強調
写真とイラストはデンマン・ライブラリーより)
39-40ページ 『海からの贈物』
著者: リンドバーグ夫人 訳者: 吉田健一
2000(平成12)年7月15日 第63刷発行
発行所: 株式会社 新潮社
要するに、わたしが感じていた孤独は取るに足りない孤独やったと、あんさんは言いたいねんなァ。
ちゃんねん。。。孤独というのは比較できへん性質のものやと、わては思うねん。 そやけどなァ、リンドバーグ夫人のように深い悲しみを経験して感じ取った愛を考えてみると、めれちゃんにも「愛と孤独」が改めて身近なものというか? 考え直してみたくなるというか? そないな風に感じ取れると思うねん。
。。。で、リンドバーグ夫人が深い悲しみを経験して感じ取った愛って、どないなものやねん?
次のような愛やんかァ。
一種類の愛だけではない
結婚の絆ということはよく言われるが、この段階に達してそれは多くの、性質も抵抗力も違った絆の集まりになって、容易なことでは破れない一つの網が作られる。 それは愛でできているのであるが、ただ一種類の愛だけではなくて、最初の憧憬に満ちた愛、それから次第に生じた献身の情、そしてそのいずれもを絶えず支えているのは友愛である。
この網はお互いに相手に対して忠実であることや、相手に依存していることや、共同の経験ででき上がっている。 それは巡り合いや、失望の記憶で編んである。 それは共通の言語、また、言語の不足を共通に受入れることからできている。 網でもあり、相手の好みや、癖や、ものごとに対する反応の仕方の知識もその中に入っている。 それは本能や、直覚や、意識された、また、無意識の交流で作られているもので、こうしてこの網は毎日を一緒に過ごして同じ方向を眺め、その方向に一緒に仕事をすることからくる親しみから生じて、それは時間的にも、空間的にも、人生と同じ性質のものなのである。
(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)
71ページ 『海からの贈物』
著者: リンドバーグ夫人 訳者: 吉田健一
2000(平成12)年7月15日 第63刷発行
発行所: 株式会社 新潮社
それ程すばらしいことが書いてあるとは思えんわ。。。こないな事は、いわば常識とちゃうん?
ん。。? 常識。。。?
そうですう。 誰かて結婚の絆が一種類の愛だけででき上がっているとは思ってへん。
めれちゃんもマジで、そう思うのか?
そうですう。 あんさんがわざわざ引用するほどの文章ではあらへん。
つまり、めれちゃんも人生経験を積んで学習するようになって、結婚の絆がさまざまな愛ででき上がっていると理解できるようになったのかァ~?
わたしは10代の頃より、そないに思うてますねん。
何をぬかしてけつかんねん! めれちゃん!。。。いいかげんにしいやァ~。。。めれちゃんはムカついて次のように書いたのやでぇ~。。。
バカバカしい
テーマ:
ヲチヲチヲチ~♪
ああ。バカバカしい。
男女の愛が、閉鎖的であるのは当然だ。
それを、狭いなどと、何をぬかしているのか。
人間愛と、男女の愛を
いっしょくたにしているアナタは、
本音を語っているのなら、一生誰とも
愛を語れないだろう。
それとも、ただのエロなのか?
もう、バカバカしくて、相手にもしたくない。
そんな低能な方と、かかわっていると、
こちらまで、悪影響をうけてしまいますので。
posted by merange(めれんげ)
2009-03-08 18:48:47
『バカバカしい』より
(2009年3月8日)
『雨降って仲直り?』に掲載
(2009年4月6日)
あんさんは、わたしを虚仮(コケ)にするために、上の手記を持ち出してきやはったん?
ちゃうねん。。。そないな悪意があって持ち出したんとちゃうでぇ~。。。めれちゃんがいい加減な事を言わんようにと、証拠のつもりで載せたのやがなァ。
そやかて、なんとのう、わたしをギャフンと言わせるために持ち出したように思えるねん。
さよかァ~。。。でもなァ、めれちゃんにもリンドバーグ夫人の言う愛が理解できるようになったのなら、わてもうれしいでぇ~。。。ついでやから、『即興の詩』サイトも再開したらどうやねん?
【レンゲの独り言】
ですってぇ~。。。
そうですよねぇ。
めれんげさんが『即興の詩』サイトを閉鎖してしまったので嘆いているファンの方もたくさんおられると思うのですわ。
この際、気持ちを新たに再開して欲しいものですわ。
あなただってぇ、めれんげさんの『即興の詩』をもっと読みたいと思うでしょう?
とにかく、興味深い話題がさらに続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。
ィ~ハァ~♪~!
メチャ面白い、
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■『軍隊のない国(2011年3月21日)』
■『士風と「葉隠」(2011年3月23日)』
こんにちは。ジューンです。
リンドバーグ夫人は1906年6月22日に生まれました。
亡くなったのは2001年2月7日です。
94歳の長寿でした。
1929年に、あの飛行士で有名な
チャールズ・リンドバーグと結婚しました。
夫人は夫の勧めでパイロットや無線通信士の技術を身につけ、
乗務員として調査飛行に同行するようになりました。
1歳8ヶ月の彼らの息子ジュニアは
1932年3月1日に自宅から誘拐され、
10週間に及ぶ探索と誘拐犯人との身代金交渉の後に、
ニュージャージー州ホープウェルで
5月12日に死んでいるのが見つかったのです。
夫人の悲しみは想像に難(かた)くありません。
彼女は後年、作家となり、さらに5人の子供をもうけました。
世間ではリンドバーグ夫妻はおしどり夫婦で通っていましたが、
2003年11月、リンドバーグと
ミュンヘンの帽子屋ブリギッテ・ヘスハイマーの間に
3人の非嫡出子が生まれていたことが
DNAテストによって証明されました。
3人は、それぞれ1958年、1960年、1967年に
ドイツで生まれました。
リンドバーグとヘスハイマーの関係は1957年に始まり、
彼の死まで継続されたということです。
ヘスハイマーは2001年に74歳で亡くなりました。
ちなみにリンドバーグ大佐は
1974年8月26日に亡くなりました。
72歳でした。
人生というのは表面からだけでは
見えない部分があるものですよね。
ところで、英語の面白いお話を集めてみました。
もし、時間があったら読んでみてくださいね。
■ 『あなたのための 楽しい英語』
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
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