2011年9月17日土曜日

愛と慈悲

 
愛と慈悲
 
 

 
 

京都・法然院の住職と

羽田美智子さんの対話






羽田美智子: 今の社会って、心のあり方よりも、現実や生活に追われてしまって、苦しんでいる人もたくさんいます。 ワーキングプアや、家族を養わなければならない重圧とか、それぞれに背負っているものがすごく多いですよね。 そういう時、心を解放する、自分の生きる道を見つけ出すにはどうしたらいいですか?



梶田真章: 結局、自分で考えていたのでは見つからないのだと思います。 誰かとの関係の中で見つかっていくものです。 この人にとって、私は苦しくても絶対生きなくちゃいけない。 あるいは、この社会の中での私の役割。 それが人に新たな道を探させて人間を磨かせるものなのです。 でも、私が何に向いているのだろう、私の生きがいってなんだろうと一人で考えていてもよくわかってこないんです。 (中略) すべての生きとし生けるものが安らかに生きる。 これが仏様の願いです。 これが仏様の慈悲です。 我々もこの世では愛のために生きてますけれど仏様の心は、自分のため、家族のため、地域のため、国のためという、特定の対象物のある我々の愛とは違うのです。 仏教的にいうと、愛は全然地球を救わないんです。 愛国心が戦争の原因。

羽田: 何が地球を救うんですか?

梶田: 慈悲です。

羽田: 慈悲が地球を救う…。

梶田: 一切のものに対する慈(いつく)しみと悲しみの心がね。

羽田: 慈悲=愛ではないのですか?

梶田: 愛と慈悲を仏教では区別するんです。 愛というのは狭い心、執着なんです。 自分を愛しているということ。 これがすべての人の生き方ですけれど、生きる苦しみの種なんです。 (中略) つまり、自分を愛していることが喜びでもあり、同時に苦しみの種になっている。 自分はこうあらねばならない、こうであるはずだ、こういう風に定まっているはずと思って期待しているから、失望するんです。

羽田: 自分にこだわるからこそ、自分の姿じゃないと悩んで、生きにくくなっている…。

梶田: そうです。 本来の自分はない、というのが仏教。 (中略) お釈迦様はひと言で言い切っています。 一切皆苦しい、一切皆苦ということが仏教。

羽田: 一切みんな苦しんですね。

梶田: はい。 苦しいということはままならないということです。 そう思って生きなさいよと。 (中略) それが当たり前だと思っていれば、うまくいけば嬉しいし、うまくいかなくてもそれが当たり前。 そこをベースに考えていきなさいというのがお釈迦様の生きる知恵なんです、ひと言でいうとね。



(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)




133-136ページ 『私のみつけた京都あるき』
著者: 羽田美智子
2009年10月31日 第1刷発行
発行所: 株式会社 集英社




デンマンさん。。。あんさんは、どないな訳で抹香(まっこう)くさい話を持ち出してきやはったん?



めれちゃんは抹香くさい話が好かんのかァ~?

お寺さんとはあまり仲良くしとうおまへん。

あのなァ~、わてはお寺の話をしよとしているのではのうて、愛と慈悲について話そうと思うてるのやがなァ。

あんさんの愛と、わたしの愛では解釈の仕方が違いますねん。


バカバカしい

テーマ:

ヲチヲチヲチ~♪




ああ。バカバカしい。

男女の愛が、閉鎖的であるのは当然だ。
それを、狭いなどと、何をぬかしているのか。
人間愛と、男女の愛を
いっしょくたにしているアナタは、
本音を語っているのなら、一生誰とも
愛を語れないだろう。

それとも、ただのエロなのか?

もう、バカバカしくて、相手にもしたくない。
そんな低能な方と、かかわっていると、
こちらまで、悪影響をうけてしまいますので。
 
 
posted by merange(めれんげ)

2009-03-08 18:48:47




『バカバカしい』より
(2009年3月8日)

『愛と孤独』に掲載
(2011年8月31日)




わての愛と、めれちゃんの愛の意味が違(ちご)うてる。 そやから、わては京都・法然院の住職さんと羽田美智子さんの対話を引用したのやがなァ。



あんさんは、また理屈を並べ立てて、わたしをやり込めようとしやはるの?

いや。。。別に、めれちゃんをやり込めようとするつもりではあらへん。 めれちゃも法然院の住職さんのような事を言うてるねん。


愛すること



自分を愛することが難しすぎる
それができなければ
他人を愛することもできないのか?

愛だと感じていることは
まったくのまやかしなのか?

醜い自己愛には陥りたくない
自分を大切にすることすら
嫌らしい自己満足に思える

愛さなければ愛されないのか?
などと卑しいことを考えてみる
 
 
by merange (めれんげ)

November 24, 2009 15:41




『極私的詩集 愛すること』より

『最後の愛』に掲載
(2009年11月30日)




つまり、めれちゃんは自己愛の醜い面を知ってるねん。 「自分を愛していることが喜びでもあり、同時に苦しみの種になっている」と法然院の住職さんは言うてる。 この苦しみの部分を、めれちゃんは“醜い自己愛”と呼んでいるのやァ。。。そうやろう?



あんさんにも判りはるのやね。。。

もちろんやがなァ。 でもなァ、お釈迦様は一切皆苦しい、と言うたのやでぇ~。。。つまり、苦しいのは当たり前やねん。 そう思って生きなさいと、言うてるねん。 要するに命を粗末にしてはアカンと言うてる。

あんさんは、わたしが命を粗末にしていると言わはるの?

そうやァ。

その証拠でもあるの?

もちろんやァ。。。わては根拠のない事は言わへん。。。めれちゃんは寂しくて寂しくて、このまま生きているなら死んだ方がええと言うてたのやでぇ~。。。




不安と焦燥感と寂しさ


2004/10/03 18:28

もう、このままで生きてるんなら、

命いりません。

ドナーカード持ってるから、

心臓でも角膜でも、

なんでも持っていって下さい。

家族はいません。

承諾とらなきゃいけない人は

誰もいません。
 
 
by レンゲ






『ん?体の関係と無責任大国日本』より
(2007年11月21日)




あんさん。。。これはレンゲさんが書いたものですやん。



めれちゃんも同じような事を書いてたのやア! めれちゃんも、こないに今にも死にそうな事を言うてたのやでぇ~。。。

あんさんは何にも分かってえ~へんなァ。。。時にはネットで、こないな手記を公開して誰かに同情してもらいたいという気分になるねん。

つまり、同情を誘うために書いたのかァ?

そやから、そないに心細(こころぼそ)うなるときがあるんねん。 あんさんには分からへんやろう?

分からん! ネットで寂しさを紛らわせるためにゲームをしたりコメントを書いたりするのは分かるけど、同情を誘うために「孤独で死にたい」なんてぇ、わてにはよう書けへん。 法然院の住職さんは「仏教では愛と慈悲を区別する」と言うてるのやけど、まず自分の命を慈(いつく)しむことが最も重要だと、わては思うでぇ~。。。それが“愛”の基本やがなァ!

そやけど、法然院の住職さんは「仏教的にいうと、愛は全然地球を救わないんです。 愛国心が戦争の原因」と言うてますやん。

あのなァ~。。。法然院の住職さんは「愛というのは狭い心」やと言うてるけど、わては“慈悲”というのはおおらかで広い愛の事やと思うてるねん。 リンドバーグ夫人も次のように書いてたでぇ~。。。


一種類の愛だけではない



結婚の絆ということはよく言われるが、この段階に達してそれは多くの、性質も抵抗力も違った絆の集まりになって、容易なことでは破れない一つの網が作られる。
それは愛でできているのであるが、ただ一種類の愛だけではなくて、最初の憧憬に満ちた愛、それから次第に生じた献身の情、そしてそのいずれもを絶えず支えているのは友愛である。


この網はお互いに相手に対して忠実であることや、相手に依存していることや、共同の経験ででき上がっている。
それは巡り合いや、失望の記憶で編んである。
それは共通の言語、また、言語の不足を共通に受入れることからできている。
網でもあり、相手の好みや、癖や、ものごとに対する反応の仕方の知識もその中に入っている。
それは本能や、直覚や、意識された、また、無意識の交流で作られているもので、こうしてこの網は毎日を一緒に過ごして同じ方向を眺め、その方向に一緒に仕事をすることからくる親しみから生じて、それは時間的にも、空間的にも、人生と同じ性質のものなのである。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)




71ページ 『海からの贈物』
著者: リンドバーグ夫人 訳者: 吉田健一
2000(平成12)年7月15日 第63刷発行
発行所: 株式会社 新潮社




リンドバーグ夫人がそれ程すばらしいことを書いているとは思えんわ。。。こないな事は、いわば常識とちゃうん?



ん。。? 常識。。。?

そうですう。 誰かて結婚の絆が一種類の愛だけででき上がっているとは思ってへん。

めれちゃんもマジで、そう思うのか?

そうですう。 あんさんがわざわざ引用するほどの文章ではあらへん。

つまり、めれちゃんも人生経験を積んで学習するようになって、結婚の絆がさまざまな愛ででき上がっていると理解できるようになったのかァ~?

わたしは10代の頃より、そないに思うてますねん。

何をぬかしてけつかんねん! めれちゃん!。。。いいかげんにしいやァ~。。。めれちゃんはムカついて次のように書いたのやでぇ~。。。もう一度読んでみィ~なァ!


バカバカしい

テーマ:

ヲチヲチヲチ~♪




ああ。バカバカしい。

男女の愛が、閉鎖的であるのは当然だ。
それを、狭いなどと、何をぬかしているのか。
人間愛と、男女の愛を
いっしょくたにしているアナタは、
本音を語っているのなら、一生誰とも
愛を語れないだろう。

それとも、ただのエロなのか?

もう、バカバカしくて、相手にもしたくない。
そんな低能な方と、かかわっていると、
こちらまで、悪影響をうけてしまいますので。
 
 
posted by merange(めれんげ)

2009-03-08 18:48:47




『バカバカしい』より
(2009年3月8日)

『愛と孤独』に掲載
(2011年8月31日)




あんさん!。。。ちょっとしつこいんとちゃうん? わたしをやり込めようとしてはるやん!



いや。。。やり込めようとしているのではのうてぇ、おおらかな慈(いつく)しみの心を持ちながら、こうしてめれちゃんと心が温まる対話をしているのやないかいなァ。 つまり、これこそ、おおろかで広い愛やと思うでぇ~。。。

お釈迦様は、そのように言うてまへん。

いや。。。同じことを言うてるねん。 つまり、慈しみの心とは愛(いとお)しむ心と共通するものがある。 要するに慈しむようにすべてのものを愛する事が大切だとお釈迦様は言うたのや。


【レンゲの独り言】



ですってぇ~。。。
デンマンさんの解釈らしですわ。
ところで、京都に行ったらぜひ法然院を訪ねてみてください。
そのうち紅葉が見ごろになると思いますわ。







とにかく、興味深い話題がさらに続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。






ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

リンドバーグ夫人は1906年6月22日に生まれました。

亡くなったのは2001年2月7日です。

94歳の長寿でした。

1929年に、あの飛行士で有名な

チャールズ・リンドバーグと結婚しました。

夫人は夫の勧めでパイロットや無線通信士の技術を身につけ、

乗務員として調査飛行に同行するようになりました。



1歳8ヶ月の彼らの息子ジュニアは

1932年3月1日に自宅から誘拐され、

10週間に及ぶ探索と誘拐犯人との身代金交渉の後に、

ニュージャージー州ホープウェルで

5月12日に死んでいるのが見つかったのです。

夫人の悲しみは想像に難(かた)くありません。

彼女は後年、作家となり、さらに5人の子供をもうけました。

世間ではリンドバーグ夫妻はおしどり夫婦で通っていましたが、

2003年11月、リンドバーグと

ミュンヘンの帽子屋ブリギッテ・ヘスハイマーの間に

3人の非嫡出子が生まれていたことが

DNAテストによって証明されました。

3人は、それぞれ1958年、1960年、1967年に

ドイツで生まれました。

リンドバーグとヘスハイマーの関係は1957年に始まり、

彼の死まで継続されたということです。

ヘスハイマーは2001年に74歳で亡くなりました。

ちなみにリンドバーグ大佐は

1974年8月26日に亡くなりました。

72歳でした。

人生というのは表面からだけでは

見えない部分があるものですよね。



ところで、英語の面白いお話を集めてみました。

もし、時間があったら読んでみてくださいね。

■ 『あなたのための 楽しい英語』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。




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