2011年9月19日月曜日

キモい戦争

 
キモい戦争
 
 


 
 

戦争の本質



日本にいてもヨーロッパにいても、マスメディアも学界もふくめたいわゆる有識者たちの発言を聴いたり読んだりしていていだくのは、この人たちはそれをする前に胸に手をあてて考えたことはあるのだろうか、という想いである。

なぜなら私には、この人たちは鸚鵡(おうむ)でもあるかのように、耳から入ってきた言葉をそのまま口にしているように思えてならないからで、その一つは戦争だ。 正義の戦争か不正義の戦争か、正しい理由があっての戦争かそうでないかをめぐって、長文の記事が書かれたり長時間の討論番組が組まれたりしている。 がだ、これらが時間とカネの無駄使いであるのは、偽善にすぎないからである。

戦争とは、良い悪いの区別がないだけでなく、防衛のための戦争か侵略のための戦争かの区別さえむずしい。 いや、戦争は、ほとんどとしてよいくらいに侵略戦争である。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)
 



53ページ
『日本人へ (国家と歴史篇)』
著者: 塩野七生
2010(平成22)年6月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋




ケイトーは、また塩野七生さんの文章を引用して彼女を非難するの?



いや。。。僕は塩野さんを非難しているのではないのですよ。

そう言いながら、どうせまたケイトーの座右の銘を持ち出すのでしょう!?



 
 
批判のないところに進歩なし。
 
 
愛なき批判は空虚にして
 
 
批判なき愛は盲目なり。





シルヴィーも分かっているのならば同じ事を繰り返さないでくださいよ。



。。。で、何を批判しようとするの?

あのねぇ~、塩野さんは「この人たちは鸚鵡(おうむ)でもあるかのように、耳から入ってきた言葉をそのまま口にしているように思えてならない」と書いているけれど、僕は同じ事を塩野さんに言いたいのですよ。

つまり、塩野さんも鸚鵡(おうむ)でもあるかのように、耳から入ってきた言葉をそのまま口にしている、とケイトーは言うの?

そうですよ。 戦争は、ほとんどとしてよいくらいに侵略戦争であるというのは僕にとっては自明の理なのですよ。 この事実は、なにも塩野さんが初めて言ったわけではない。 僕は何度も読んだり聞いたりしている。

要するにケイトーの周りには戦争絶対反対という人がたくさん居るのよ。

そうですよ。 考えてみたらシルヴィーもその一人だよね。 (微笑)

確かにそうだわ。 私は難民として家族でインドネシアからオランダに逃げたから、内乱や、動乱、戦争には、とにかく懲り懲りしているのよ。 だから、集団暴力は何がなんでも絶対に反対だわよ。。。で、塩野さんが鸚鵡(おうむ)のように当たり前の事を書いたから、ケイトーはムカついているの?

いや。。。僕はムカついてませんよ。

だから、何を批判しようと言うの?

塩野さんは次のように書いていた。


8月15日に考えたこと



中世の十字軍時代の資料を読んでいて感じたことなのだが、当時の西洋のキリスト教徒にとっての十字軍は、イエス・キリストのために行う聖戦だった。 ところが攻めてこられた側のイスラム教徒たちは、宗教戦争とは見ずに侵略戦争と受けとったのである。 宗教心から起こった戦争ではなく、領土欲に駆られての侵略というわけだ。

そのアラブ側の資料を読みながら、私は思わず、ならばその前の時代の北アフリカやスペインへのイスラム勢の侵攻は何なのよ、と言ってしまった。 その時代のイスラム教徒は、右手に剣左手にコーランという感じで、地中海の南に限らず西側までもイスラム下に加えていたのだ。

 (中略)

第二次大戦での日本も、防衛で始まり侵略に移った後でも勝ち続けて大東亜共栄圏を樹立し、しかもそれで百年つづいていたとしたら、侵略戦争と言われることもなかったろう。 だが、その前に負けたのだ。 七百年も昔にキリスト教側の敗退でケリがついているはずの十字軍でさえも、今なおイスラム側では侵略戦争としているくらいなのだ。...ゆえに私には、日本がしたのは侵略戦争であったとか、いやあれは侵略戦争ではなかったとかいう論争は不毛と思う。 はっきりしているのは日本が敗れたという一事で、負けたから侵略戦争になってしまったのだった。

となれば、毎年めぐってくる8月15日に考えることも、方向がはっきり見えてくるのではないか。 第二次大戦の反省なんてものは脇に押しやり、戦時中と戦後の日本と日本人を振り返って示す。
戦争を知らない世代に知らせるためである。 だがその後は、過去ではなく現在と未来に話を進める。 そこで論じられるのはただ一つ。 どうやれば日本は、二度と負け戦をしないで済むか、である。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)
 



218 - 220ページ
『日本人へ (国家と歴史篇)』
著者: 塩野七生
2010(平成22)年6月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋

『奈良の鹿と憲法9条』に掲載




またこの文章を引用したのね!?



いけませんか?

。。。で、何が問題なのよ?

あのねぇ~、「第二次大戦の反省なんてものは脇に押しやり」なんて言って欲しくないんだよ。

つまり、塩野さんには第二次大戦の反省が足りないと言いたいのね?

その通りですよ。 第二次大戦が始まる前だって、もう戦争など懲り懲りだと言った人はたくさん居るのですよ。




たったひとつお願いごとをしたい。 今年は豊年でございましょうか、凶作でございましょうか。 いいえ、どちらでもよろしゅうございます。 洪水があっても、大地震があっても、暴風雨があっても、……コレラとペストがいっしょにはやっても、よろしゅうございます。 どうか戦争だけはございませんように……

(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)




太平洋戦争が始まる前、1937(昭和12)年の年頭の新聞に野上さんは上のように書いていたのですよ。 でもねぇ~、40年も歴史を書いているのに、塩野さんはそう思っていない。 そればかりか「どうやれば日本は、二度と負け戦をしないで済むか」ただその事を考えればよい、というような事を書いている。



その事でケイトーはムカついているの?

あのねぇ~、僕はムカついてないと言っているでしょう!

でも、かなり感情的になっているわよ。

それはシルヴィーがそう感じているだけですよ。 ムカついても何にもならない。 エネルギーの無駄使いだから、僕はそのような無駄な事はしませんよ。

。。。で、塩野さんにどうしろとケイトーは言いたいの?

あのねぇ、僕は塩野さんにああしろ、こうしろと言いたいわけじゃない。 どのように言おうと書こうと考えようと塩野さんの自由ですからね。 それに、僕が何と言おうが考えを改めるような作家じゃないのですよ。

それなのにどうして塩野さんの文章を取り上げたの?

だから、この記事を読んでいる人にじっくりと考えてもらいたいからですよ。 塩野さんは、もうかなりの年だから、オツムが硬くなってしまって考え方を今更変えられそうにないですよ。 でもねぇ~、これから日本を背負って立つような若い人たちに塩野さんのような考えを持たれたら日本の将来はお先真っ暗になってしまう。

でも、それはケイトーの個人的な考えでしょう?

だから、この記事を読んでいる人にも個人的にじっくりと考えて欲しいと思ってシルヴィーとこうして話しているわけですよ。

。。。で、何を考えて欲しいの?

ちょっと次の文章を読んでみて欲しいのですよ。


1947年8月に文部省から出された『あたらしい憲法のはなし』では、第九条の非武装の理念について、生徒に向かってこう説明されている。




みなさんの中には、こんどの戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。 ごぶじにおかえりになったでしょうか。 それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。 また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。 いまやっと戦争はおわりました、 二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。



1945年3月の東京大空襲で

焼け野原になった江東区。


こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。 何もありません。 ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。

 (中略)

そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。 その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。 これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。 (中略) しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。 日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。 世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。

もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、自分の言い分をとおそうとしないということをきめたのです。 なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。 また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。


ここでは、「日本はただしいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。 世の中に、正しいことぐらい強いものはありません」と述べられている。 つまり、当時は、第九条をはじめとする日本国憲法は、「日本の誇り」とされていたといっていい。 戦争に負けて、科学力でも経済力でもアメリカに勝てない国だけど、憲法だけは自慢できる、というふうに。

たとえば1947年5月3日に日本国憲法が施行されたとき、各新聞の社説はこんなふうに述べている。
「敗戦後の現在にあって、われら国民が自信を持って内外に示しうるものが果たしていくつあるか。 新憲法こそややもすれば目標を見失いがちな国民にはっきりと行先を教え、世界に偽りもひけめも感じることなしに示し得る最大のものであろう」(日本経済新聞)、「(第九条は)決して単なる“敗戦の結果”ではなく、積極的な世界政治理想への先駆なのである」(読売新聞)、「これからの日本の国家綱領であり、同時に基本的な国民倫理である」(毎日新聞)。 ざっとこんなぐあいだ。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)




107 - 110ページ 『日本という国』
著者: 小熊英二
2006年3月30日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 理論社

『地球の平和』に掲載
(2011年8月9日)




私も上の9条は素晴らしいと思うわ。



でもねぇ~、最近ではこの憲法の条文はアメリカによって押し付けられたものだから、憲法を改正して軍隊を持てるようにしようという運動がないわけではない。

でも、日本には軍隊があるじゃない!

そうですよ。 しかも最近では誰もが日本に軍隊があることを不思議だと思わなくなってしまっている。 でもねぇ、戦後の日本人はそのようには思わなかった。 素晴らしい9条を誇りに思っていた。 つまり、「二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。 その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。 これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです」という素晴らしい条文が日本国憲法にははっきりと書いてある。 このように日本が平和な国になったことを戦後の日本人は喜んでいた。 

要するに、戦後、日本の政府と政治家が理想的な憲法の条文を悪く解釈して軍隊を持ち始めたというわけね。

その通りですよ。 しかも、9条を日本国憲法に盛り込んだアメリカ政府までが日本政府が軍隊を持てるように後押しをした。

その証拠でもあるの?

次のグラフを見れば歴然としていますよ。





「軍隊」と言う人はめったに居ないけれど、日本には「自衛隊」という立派な軍隊がありますよ。 しかも国防予算では世界で第4位ですよ。 要するに世界戦略の一部として日本に軍隊を持たせてアメリカのために極東の守りを固めさせたわけなのですよ。



国防予算ではアメリカがダントツじゃない!

軍事大国としてのアメリカが世界の覇権を維持するために軍事費にどんどんお金をつぎ込んでいる。 それだけではなく、アメリカは日本も十分に利用しながら世界戦略の中に日本の自衛隊も組み入れている。

日本の国民の皆様は知っているのかしら?

おそらく5%から10%ぐらいの人は知っていると思いますよ。

でも、そのような世界戦略をアメリカはマジで持っているの?

持っていますよ。 その事を初めて指摘したアメリカ人が誰あろう、第二次世界大戦でヨーロッパ戦線で指揮をとったアイゼンハワー将軍なのですよ!




アイゼンハワー大統領(Dwight D. Eisenhower: 元ヨーロッパ戦線連合軍最高司令官)が任期満了して辞める時(1961年1月17日)にアメリカ市民に“戦争インフラ”の中核をなしている“軍産コンプレックス”について次のように警告したんですね。

軍産コンプレックス

military-industrial complex


 


つまり、軍産コンプレックスを一人歩きさせてはいけませんよ!
。。。ということをアイゼンハワー大統領は警告したんですよね。
よく考えてくださいよ!
第2次世界大戦(ヨーロッパ戦線)で勝利を導いた最高司令官が
自分の国(アメリカ)で進められている“戦争マシーン(戦争インフラ)” を批判したんですよ!
警告した!

ところが、アメリカには、すでにアイゼンハワー大統領の主張に反対するAmerican Establishmentという、目に見えない、とらえどころがない隠然たる権力組織(戦争インフラ)が出来上がっていた。

アイゼンハワー大統領の心配をよそにベトナム戦争はますます泥沼化していった。

これに気付いたのがケネディー大統領だった。
軍産コンプレックスが一人歩きし始めていたので、これに鎖をつけて繋(つな)ぎ止めようとした。

ケネディー大統領は、そうしようとしたために暗殺されてしまった!
“戦争インフラ”の中核をなす軍産コンプレックスが関わっている事は明らかなんですよね。

なぜ、そう言えるのか?

ケネディー大統領暗殺にかかわるファイルは75年間封印されて今でも金庫の奥深くに眠っています。
真相が分かった時のアメリカ市民(世界のネット市民)に衝撃を与えるからですよね。
民主主義の国であるアメリカでもこのようなことが行われている。
“臭いものには蓋(ふた)”
アメリカの恥部です!

この背後に“戦争インフラ”がガッチリと守りを固めている!

このことをアイゼンハワー大統領が警告したんですよ!
それをケネディー大統領が守ろうとした。そのために彼は暗殺された。
僕が証明しなくても、その時が来て金庫からファイルが出されれば、歴史が証明しますよ。

時間があったら次の記事を読んでくださいね。





『戦争はなくす事ができるものです』

(2005年10月10日)





『戦争を無くす事はできますよね』より
(2006年6月15日)




要するにアメリカが国防予算に金をつぎ込まずに国民の生活にお金をつぎ込めば現在の経済の破綻は容易に回復できる。 でも、産官軍複合体がある限りそのような希望は夢物語に過ぎない。



それで、ケイトーはどうすべきだと言うの?

米谷ふみ子さんのような人が増えなければダメですよ。


石原「元帥」の人気を憂う



石原慎太郎東京都知事が2000年4月9日、陸上自衛隊練馬駐屯地で「不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪をですね、繰り返している。 もはや東京における犯罪の形は過去と違ってきた。 (中略) こういうものに対処するには、なかなか警察の力をもっても限りとする。 ならばですね、そういう時に皆さんに出動願って、都民のですね災害の救援だけではなしに、やはり治安の維持も、一つ皆さんの大きな目的として遂行していただきたい」などと発言した、と新聞で読んだ時、私はアメリカにおける少数民族の自分をそれに当てはめてみて身震いをした。

 (中略)

この後、真夜中に大阪で迷い回ってやっと摑まえたタクシーの私ぐらいの年恰好の運転手が石原知事の発言を誉めたもんで、「あなたは戦争を覚えているでしょ。 彼のような国粋主義者が天下を取って、兵役を敷いたら、あの人に投票した人はみな年齢を問わず兵隊に行ってもらうから」と怒鳴ったら、彼は「へえ、行きまっせ。 国のためやったら敵ぐらい何ぼでも殺したる」と言ったので私は恐ろしくなって降りようと思ったが、真夜中に不案内なところでタクシーを摑まえるのも怖いしで、そのままホテルに着いた時も怒鳴り合いの最中だった。 ドアマンがいなかったのが幸いだった。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)
 



44 - 46ページ
『なにゃ、これ? (アメリカと日本)』
著者: 米谷ふみ子
2001年6月5日 第2刷発行
発行所: 株式会社 岩波書店

『あなたの平和な日々』に掲載
(2011年9月7日)




原子爆弾を被爆した世界で唯一の国として、どのような戦争であれ、2度と戦争をしてはならないというのが日本民族の原点ですよ。



確かにそうだわ。 原子爆弾を被爆した世界で唯一の国として日本は世界の国々を前にして「絶対に戦争をしてはならない!」と言うべきなのよね。 例えば、作家の野上弥生子(1885-1985)さんのように。。。

その通りですよ!

それで塩野七生さんが次のように書いたのでケイトーはムカついたのね!


8月15日に考えたこと



中世の十字軍時代の資料を読んでいて感じたことなのだが、当時の西洋のキリスト教徒にとっての十字軍は、イエス・キリストのために行う聖戦だった。 ところが攻めてこられた側のイスラム教徒たちは、宗教戦争とは見ずに侵略戦争と受けとったのである。 宗教心から起こった戦争ではなく、領土欲に駆られての侵略というわけだ。

そのアラブ側の資料を読みながら、私は思わず、ならばその前の時代の北アフリカやスペインへのイスラム勢の侵攻は何なのよ、と言ってしまった。 その時代のイスラム教徒は、右手に剣左手にコーランという感じで、地中海の南に限らず西側までもイスラム下に加えていたのだ。

 (中略)

第二次大戦での日本も、防衛で始まり侵略に移った後でも勝ち続けて大東亜共栄圏を樹立し、しかもそれで百年つづいていたとしたら、侵略戦争と言われることもなかったろう。 だが、その前に負けたのだ。 七百年も昔にキリスト教側の敗退でケリがついているはずの十字軍でさえも、今なおイスラム側では侵略戦争としているくらいなのだ。...ゆえに私には、日本がしたのは侵略戦争であったとか、いやあれは侵略戦争ではなかったとかいう論争は不毛と思う。 はっきりしているのは日本が敗れたという一事で、負けたから侵略戦争になってしまったのだった。

となれば、毎年めぐってくる8月15日に考えることも、方向がはっきり見えてくるのではないか。 第二次大戦の反省なんてものは脇に押しやり、戦時中と戦後の日本と日本人を振り返って示す。
戦争を知らない世代に知らせるためである。 だがその後は、過去ではなく現在と未来に話を進める。 そこで論じられるのはただ一つ。 どうやれば日本は、二度と負け戦をしないで済むか、である。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)
 



218 - 220ページ
『日本人へ (国家と歴史篇)』
著者: 塩野七生
2010(平成22)年6月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋




あのねぇ~、僕は何度も言うようにムカついてません! 教養と常識を持っているはずの作家までが、このような事を言い始めている。 知識人の良識も当てにはならない! しかも、もう日本の政治家に任せておけないところまできている。



。。。で、いったいケイトーはどうしろと言うのよ?

だから、市民が立ち上がってネットを通して草の根運動(Grassroots Net Politics)を広めるのですよ。


(市民が)軍隊のない地域を(作れ!)

日本政府が憲法第九条を守らないのであれば、市民は第九条をどのように活用すればいいだろうか。
一つには、地域で第九条を活用することである。
無防備地域宣言運動はその好例である。

無防備地域宣言は、国際慣習法として認められてきた無防備地域の設定であり、1977年のジュネーヴ諸条約第一追加議定書59条にも根拠規定がある。
武力紛争から民間住民を守るために、国際人道法の軍民分離原則を具体化した規定の一つである。
要するに軍隊のない地域であり、無防備地域を攻撃すると戦争犯罪とみなされる。

無防備地域宣言運動は1980年代に林茂夫によって提唱されたが、日本政府がジュネーヴ諸条約第一追加議定書を批准していなかったので、広がらなかった。
日本政府が第一追加議定書を批准し、効力を生じたのは2005年2月である。 そこで再び運動が始まった。
自治体住民が無防備平和条例案を作成して、条例制定を要求する直接請求運動を展開した。
有権者の50分の1の署名を集めて提出すると、その審議のために議会が開かれる。

2004年の大阪市を皮切りに、札幌市から竹富町(沖縄県)まで、全国20箇所を越える自治体住民がチャレンジしてきた。
無防備平和条例の制定に賛成意見を付した首長は、国立(くにたち)市長と箕面(みのお)市長である。




大学通りの銀杏並木 (東京都国立市)



箕面の滝 (大阪府箕面市)


軍隊のない世界へ

世界には軍隊のない国家がたくさんある。 軍隊なしで安全保障を追及する知恵と創造性のある外交こそ重要である。 第九条は、60年も前に、そうした思想を世界に指し示した。 憲法第九条は、単に戦争放棄や軍備放棄だけではなく、人類社会のあり方そのものの変革を課題として打ち出している。 その第九条を世界がえらび始めた。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)




253 - 255ページ 『軍隊のない国家』
著者: 前田朗
2008年9月10日 第1版第4刷発行
発行所: 株式会社 日本評論社

『地球の平和』に掲載
(2011年8月9日)




でも、塩野七生さんに言わせれば「こんな事をしたって無駄よ」と、言うでしょうね!?



あのねぇ~、歴史の流れを見てください。 マハトマ・ガンジー、マーチン・ルター・キング牧師、ダライラマ14世、それにアウンサン・スーチー女史、。。。非暴力を掲(かか)げて市民運動を繰り広げた人、また現在も活躍している人たちが居るのですよ。

つまり、軍備を増強して「二度と負け戦をしない」という愚行よりも無防備地域宣言をする方が世界の平和のため、人類の幸福のためによっぽど意義あると言うことなのォ~?

その通りですよ!


【卑弥子の独り言】



ですってぇ~。。。
そうですわよねぇ~。

世の中には戦争をすると得をする人たちが居るのでござ~♪~ますわよう。
たとえば、ヒトラーのように権力欲に駆られた人とか
死の商人のように兵器をたくさん造っている人たちです。

このような人たちは、戦争が無くなっては困るのですわよう。
あなたにも分かるでしょう?

エストニアの人たちは独立運動を盛り上げる歌声で独立を勝ち取ったのでした。
だから、軍隊も兵器も要らないのでござ~♪~ますわ。
必要だと思っている人は、ヒトラーや死の商人のような人物の思惑に洗脳されているだけなのですわ。

とにかく、クソ暑いのですわよう。
戦争よりも、この残暑さをどうにかして欲しいものでござ~♪~ますわ。
京都は盆地なので夏は茹(う)だるような暑さなのですう。
あまり暑いので、あたくしは今日も冷し中華を食べたくなったのでざ~♪~ますわ。



あああァ~。。。「冷し中華」を思い浮かべただけで汗がタラタラと滲み出てきましたわ。
もういけません!
十二単を脱ぎ捨てて、すぐ近くの中華料理店へ走ってゆこうと思います。
うふふふふふ。。。

ところで、シルヴィーさんのことをもっと知りたかったら次の記事を読んでくださいね。



『シルヴィー物語(2011年4月27日)』

『波乱の半生(2011年4月29日)』

『シルヴィーとネット革命(2011年5月6日)』

『シルヴィーとデヴィ夫人(2011年5月30日)』

『シルヴィーとケネディ夫人(2011年6月15日)』

『バンクーバー暴動と平和(2011年6月25日)』

『ビルマからの手紙(2011年7月3日)』

『ブッシュの戦争(2011年7月7日)』

『国際的愚か者(2011年7月11日)』

『あばたもえくぼ(2011年7月14日)』

『あなたも国際市民(2011年7月18日)』

『リビエラ夫人のハンバーグ(2011年7月22日)』

『芸術とブルックリン(2011年7月26日)』

『思い出のパリ(2011年7月30日)』

『海外志向とおばさんパンツ(2011年8月5日)』

『地球の平和(2011年8月9日)』

『愚かな写真狩り(2011年8月13日)』

『死の写真狩り(2011年8月17日)』

『キモい写真狩り(2011年8月21日)』

『生パンツと床上手(2011年8月25日)』

『ヌードと写真狩り(2011年8月29日)』

『あなたの平和と幸福(2011年9月2日)』

『あなたの平和な日々(2011年9月7日)』

『奈良の鹿と憲法9条(2011年9月11日)』

『文は人なり(2011年9月15日)』


とにかく次回も面白くなりそうですわ。
あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあ、また。。。






ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

第41代および第43代米国大統領を生み出した

ブッシュ家は、軍産複合体を生業としてきました。

第43代米大統領の曽祖父のサミュエル・ブッシュは

オハイオ州で兵器を製造していた

バッキー・スティール・キャスティング社を

経営していました。
 
 

 
東京大空襲で焼け野原になった江東区
 
 
祖父のプレスコット・ブッシュは東京大空襲で

大量に使用された焼夷弾である

集束焼夷弾E46の製造を

行なっていたドレッサー・インダストリーズ社に

関与していたのです。

第41代ブッシュ大統領は

このド社の石油部門で働いていたのです。

その後、第41代ブッシュ大統領はCIA長官、

副大統領、大統領時代において、

海外との兵器貿易を押し進めており、

副大統領時代には

イラン・コントラ事件が起きています。

この事実だけを見ても、

「軍産複合体」の動きが見えてきますよね。

では、ここで面白いジョークをひとつ。


その大統領は誰?

アメリカのある高官が、イラク戦争についてのラジオ番組に出演した際に、こう語った。

「大量破壊兵器を使用した歴史を持つ恐怖の独裁国家は、国際社会から排除しなければならない。 あの強欲で無能な大統領を拘束することに成功した今、全世界はより安全で幸せになった」

番組終了後、ラジオ局には次のような問い合わせが殺到した。



「いつブッシュが捕まったんだ!?」




『バカの固定観念』より
(2011年5月26日)




ところで、卑弥子さんにもちょっと信じがたいような

恋物語がありますわ。

関心があったらぜひ次のリンクをクリックして

じっくりと読んでみてくださいね。

『平助さんが卑弥子さんに

恋をしたのがウンのつき』


では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。




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