2012年12月13日木曜日

期待される人間像


期待される人間像







ケイトー。。。ジューンさんのような人が「期待される人間像」だと言いたいの?



いけませんか?

つまり、ボインでプロポーションのいい人がこれからの社会に期待されていると言いたいのォ~?

貧相な人よりも見ごたえのある人の方がいいでしょう!? (微笑)

でも、外見で人間の値打ちを決めるのはいけないと思うわ。

うん、うん、うん。。。 シルヴィーはきっとそう言うだろうと思いましたよ。

分っているのだったら冗談めいたことを言わないでよ。

出だしから堅苦しいのはダサいからね。 うへへへへへ。。。

ケイトーの記事はそれでなくても長いのよゥ。 余計な事は言わなくてもいいからすぐに真面目な話に戻ってよゥ。

じゃあ、まず次の話を読んでみてよ。


(yosef03.jpg)

イスラエルにおいてすでに忘れ去られつつある英雄的な人物がいる。
ヨセフ・トルンペルドール(1880-1920年)というユダヤ系の出自をもつ元ロシア軍人である。
かつてはシオニズムにおける勇敢さを象徴する人物だった。
彼が生命を賭して守った場所であるテル・ハイにはトルンペルドールを顕彰する記念館がある。
社会主義シオニズムがナショナリズムとして国民統合の原理としてまず十分に機能していた1960年代まで、教育を通じて祖国防衛の英雄として顕彰されてきた。
日本で言えばさしずめ日露戦争時、旅順港口封鎖作戦で部下を救うために戦死し、軍神として大分県の広瀬神社に祀られ、文部省唱歌として歌われて顕彰された広瀬武夫・中佐(1868-1904)であろう。


(hirose09.jpg)


(hirose08.jpg)

戦前の日本では教育の中で繰り返し教えられ、尽忠報国のために戦死した代表的な人物である。

この二人の人物はイスラエルと日本で祖国防衛の英雄として顕彰されてきた点で共通するだけでなく、接点がある。
旅順港の攻防戦である。
トルンペルドールはロシア軍のなかでは例外的なユダヤ人将校として参戦したが、旅順港をめぐる戦いで負傷し、片腕を失って日本の捕虜になり、大阪にあった浜寺俘虜収容所に収容された。


(yosef02.jpg)

その後1912年にパレスチナに渡り、。。。第一次大戦後、パレスチナがイギリスの委任統治領としてフランス委任統治領であったシリアやレバノンから切り離されると、シリアからやってきたアラブ・ゲリラはパレスチナ北部にあったユダヤ人の軍事拠点を攻撃し、その防衛戦のために1920年3月、戦死した。
現在、トルンペルドールの勇敢さを象徴する獅子像はフーレ湖とゴラン高原を臨む高台に鎮座してあたりを睥睨している。
その戦略的要衝はテル・ハイという。
彼は今わの際に次のような言葉を残したという。
「大丈夫。自分の祖国のために死ぬことはすばらしい。」
彼は戦う勇敢なシオニストとして祖国防衛のシンボルに祭り上げられた。

(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより
読み易くするために改行を加えています)



74-76ページ
『世界化するパレスチナ/イスラエル紛争』
著者: 臼杵 陽
2004年5月27日 第1刷発行
発行所: 株式会社 岩波書店



つまり、「期待される人間像」というのは国を動かしている政治家が自分の国にとって都合の良いような人物をでっち上げて教育によって広めると言いたいのォ~?



シルヴィーは意外と物分(ものわか)りがいいんだね。

この程度のことならば誰でも読んですぐに分るわよゥ。

シルヴィーが言ったとおりですよ。 だから時代と共に当然「期待される人間像」というのは変わってくるものです。 戦前、戦中を通してあれだけ有名だった広瀬武夫・中佐のことを現在の中学生に尋ねれば、多分10人のうち9人までが知りませんよ。

マジで。。。?

僕は戦後生まれだけれど、小学校・中学校に通っている時には広瀬武夫・中佐のことを全く知らなかった。 あとで広瀬中佐と耳にした時には南極探検に挑戦した白瀬・中尉のことだと思ったほどですよ。 僕にとって日露戦争などは遠い昔のことで、南極探検の方がロマンと夢を掻(か)き立てた。

。。。で、現在の日本では「期待される人間像」はどうなってるの?

だから、そのことですよ。 上の文章を読んで最近の日本ではどうなっているのだろうか? 僕もそう思ったのですよ。

だから、どうなってるのよ?

実は、ここ20年ばかり「期待される人間像」という言葉を聞いたことがない。

どうしてよ?

実は、その言葉にはネガティブな響きがまつわりついているのですよ。 僕自身はそのように感じていた。

どうして。。。?

ちょっと次の小文を読んでみてよ。

(森戸辰男は)1950年、強く嘆願されて初代広島大学学長に就任、原爆の跡が生々しく残る同大学の再建・充実に尽力。
地域性を生かし水畜産学部や政経学部を新設、政経学部に国立大学初の夜間部を設けた。
また当時の千田町キャンパスで正門から理学部一号館(旧・広島文理大本館)に至るメインの大通りを設置し、この通りは彼の名にちなんで「森戸道路」と呼ばれた。
1963年まで13年間務め広島大学を退官。

この間、広島高師出身の屋良朝苗に協力し、屋良の口利きで沖縄の多数の学校で日本の教育改革を説明した。
また教員の地位向上に努め1952年、日本ユネスコ国内委員会発足で副会長(のち会長)、国際会議・総会に度々出席し日本のユネスコ参加に尽力。
東京に戻ると文部大臣の諮問機関・中央教育審議会会長に推されて就任。
池田内閣が「人づくり」は国造りの基礎であるとし、人間形成の重要性を国民に訴えたのを受け1971年(昭和46年)生涯教育、奨学制度問題、教師の職制・給与の改善等を柱とする「第三の教育改革」を答申する。
これは明治の教育改革と敗戦後の改革に続くという意味で、いわゆる「46答申」あるいは「四十六年答申」として知られ、30年以上経った現在も臨時教育審議会の参考資料として利用されるなど、教育改革の実施に強い影響力を及ぼしている。

1958年には森戸が戦前に務め戦後に再建された大原社会問題研究所・労働科学研究所理事長に就任。
労働関係や公的関係者を多数受け入れ研究部を充実させた。
また職場の災害(労働災害)など産業公害(当時はまだ公害という言葉はなかった)調査で実績を挙げた。
1961年、学校放送を研究する全国放送教育研究会連盟理事長。
1962年、日米文化教育会議発足で初代委員長・首席代表。

恩師・高野がNHK会長を務めていた縁で、1963年開校したNHK学園高等学校校長、能力開発研究所理事長。
1964年、日本図書館協会会長。
国語審議会会長時代には漢字仮名まじり文を踏襲する発言を行った。

1974年、松下幸之助に請われ松下視聴覚教育研究財団理事長。
1975年、教育の正常化を目標とする日本教育会発足で会長など多くの役職に付き、教育界の役職をほとんど独占、戦後教育改革の手直しに取り組んだ。
ただし彼が文部大臣として教科書検定制度を創始したこと(これにより「家永教科書裁判」において国側証人として出廷した)、さらに中教審会長として国家主義的とされる「期待される人間像」を答申したことに関しては、彼の社会民主主義的な政治的立場とは矛盾するのではないかとの批判もある。



出典: 「森戸辰男」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



昭和時代には、こういうことがあったのですよ。 要するに、森戸辰男氏は国家主義的とされる「期待される人間像」を答申したと批判された。



それで、日本では「期待される人間像」と言うと、なんとなく国家主義的な響きがついてまわるとケイトーは言うのォ~?

それは僕の印象だけれど。。。、だから、「期待される人間像」という言葉はマスコミでも受けが良くないので、取り上げなくなってしまったんだと思うのですよ。

。。。で、ケイトーにとって現代的な「期待される人間像」って、どのような人間像よ?

だから、ジューンさんを冒頭に登場させたでしょう!





ケイトー。。。、今度はおばさんパンツ姿のジューンさんを持ち出してきたじゃない! いい加減にしなさいよ! 冗談言ってる場合じゃないのよ!



いや。。。冗談言ってるわけじゃない。 ジューンさんを登場させたのには訳があるのですよ。 次のリストを見てください。


(ame21206.gif)



これは11月7日から12月6日までの30日間の人気記事のリストなのですよ。



『あなたの国際感覚』がダントツで読まれているじゃない。 でも、どうしてジューンさんが関係あるのよ?

あのねぇ、その記事の冒頭にジューンさんが登場するのですよ。



『あなたの国際感覚』



つまり、ボインのジューンさんが見たいので記事が読まれていると言いたいのォ~?



違いますよう!。。。 やだなあああァ~。。。 ボインとは関係ないのですよ。 「あなたの国際感覚は。。。?」と尋ねられたら誰しも気になる。 自分は国際感覚を身に着けているのだろうか? タイトルを見た人は、そう思いながらリンクをクリックして記事を読んだわけですよ。

でも、上のリストではダントツと言えども30日間で、たったの 305人が『あなたの国際感覚』を読んだということじゃないのォ~。

だけど他の記事の読者数と比較してくださいよ。 305人というのは飛びぬけて読まれているということなのですよ。

でも、30日で305人というのは、たいしたことないと思うわ。

分かりました。 シルヴィーがそう言うのなら次のリストも見てください。


(ame20402d.gif)



これは3月3日から4月2日までの30日間の人気記事のリストですよ。



『海外で信用されたい』が 30日間に 1、721人に読まれたのね。

『海外で信用されたい』

そうですよ。 アメブロの僕のブログで1つの記事がこれだけ読まれたということはかつてなかった。

つまり、ネット市民の皆様は国際化について、かなり興味を抱いているとケイトーは言いたいのね?

その通りですよ。 要するに、政治家が都合のいいように勝手にでっち上げた「期待される人間像」じゃなく、ネット市民が自ら選んだ「期待される人間像」というのは国際的に信用されるような人間になるということなのですよ。

例えば、どのような人物。。。?

新渡戸稲造のような人物ですよ。 


(nitobe07.jpg)



彼は国際的にも通用する教養を持っていた。 しかも、その教養は海外の人々をも感動させるに十分だった。



例えば。。。?

ちょっと次の小文を読んでみてよ。

ロシアはすでにそうと察し、開戦後ほどなく、駐米ロシア大使カシニーに対し、アメリカにおいて同情世論を形成せよ、と命じた。
カシニーの世論形成法は、いかにもロシア風であった。 米国における新聞という新聞を片っぱしから買収してかかったのである。
たとえば、ロシアに買収されたワールド紙などは露骨な反日論を掲載した。日本人のことを、
「Yellow little monkey」
とよび、日本人がいかに卑劣で、とるにたりない国力しかもっていないかということを書き、日本人はわれわれキリスト教徒の敵である、といったふうの、かつての十字軍時代の布告文をおもわせるような論説まで書いた。



 金子堅太郎



 ルーズヴェルト大統領

金子堅太郎がサンフランシスコに上陸したのが、あたかもルーズヴェルト大統領の局外中立の宣言が出たときであった。
金子はもともとこの根まわしに自信がなかったため、上陸早々この宣言を読んで失望し、
「とうてい任務を全うできない」
とおもった。
かれは日本としては精一杯の機密費をもってきたが、しかしロシアのように全米の新聞を買収しようというほどの金ではなく、もっとも有力な日本宣伝の武器としてかれが携えてきたのは、二冊の書物だけであった。
新渡戸稲造が英文で書いた「武士道」とイーストレーキの「勇敢な日本」であり、このたった二冊の本で全米に親日世論をまきおこさねばならないかと思うと、勇気よりもむしろ自分のみすぼらしさがさき立って、気おくれがした。

(赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)



213-214ページ 『坂の上の雲(七)』
著者: 司馬遼太郎
2009年11月20日 第29刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋



新渡戸稲造が居なかったら日本は日露戦争に負けていたかもしれないのですよ。



まさかァ~。。。

日露戦争概略



日露戦争物語





シルヴィーは僕の言うことが信じられないのォ~?



だってぇ、いくら新渡戸稲造が国際人だからと言っても、たった一人の存在が大きな戦争の行方(ゆくえ)を左右するわけないじゃない!

ところが左右してしまったのですよ。

どのように。。。?

あのねぇ、ルーズヴェルト大統領と金子堅太郎はハーヴァード大学のクラスメートだった。 要するに、学生時代にルーズヴェルトは金子堅太郎の人物の中に「勇敢で誠実なサムライ」を見ていたに違いない。 つまり、二人の間に友情が芽生えた。 そうでもなければ、ルーズヴェルト大統領が金子さんの申し出を素直に受け入れる理由がない。 日英同盟を結んでいた英国でも末松謙澄さんの申し出はむしろ反発を受けるほどだった。

要するに、末松さんの場合には英国人の中に真の友人が居なかったのね?

その通りですよ。 でも、ルーズヴェルト大統領と金子堅太郎の友情だけではなかった。

他にどのような理由があるの?

新渡戸稲造が英文で書いた「武士道」ですよ。

その本がどうだというの?

あのねぇ~、僕が知りえたエピソードの中で面白いのは、ルーズヴェルト大統領は旧友の金子堅太郎に日露戦争講和の仲介を頼まれた時に初めは断ったというのですよ。 堅太郎さんが思ったとおりタイミングが悪かった。 ルーズヴェルト大統領の局外中立の宣言が出たときだった。 だから、彼はどうせ無理だろうと思った。 案の定、ルーズヴェルト大統領は断ったのですよ。

。。。で、堅太郎さんはどうしたの?

せっかく二冊の本を持ってきたのだから、これだけは置いてゆこうと思った。 「君には断られてしまったけれど、君がこの二冊の本を読めば少しは日本人を理解してくれるだろうと思う。 ロシアに買収された新聞の反日論などに毒されないためにも、暇がある時にこの二冊の本を読んでもらいたい。 それで、もし気が変わったら、改めて講和の仲介のことを考えて欲しい」 そう言って二冊の本を手渡したのですよ。

それで、ルーズヴェルト大統領の気が変わったの?

大統領は旧友の申し出を断ってしまったので、多少後ろめたいものを感じたのでしょう。 せっかく二冊の本を持ってきれくれたので捨てるのも申し訳ないと思って、読み始めたのですよ。

それで。。。?

ルーズヴェルト大統領は『武士道』を読んでマジで感銘を受けたのですよ。 それで彼は堅太郎さんに言ったのです。 「私は日本人を見直したよ。 このような精神を持っている国民であるならば、私も仲介の労を惜しまない」

マジで。。。?

このような時ウソや冗談を言えませんよ。

『武士道』という本がそれ程の感銘をルーズヴェルト大統領に与えたの?

もちろんですよ。 だからこそ大統領は考え方を改めたのですよ。 要するに、ルーズヴェルト大統領に感銘と感動を与えるほどの教養と国際的に通用する表現能力を新渡戸稲造は持ち合わせていた。 これこそが将来、日本が必要とする。。。いや、世界が必要とする「期待される人間像」なのですよ。



【ジューンの独り言】



ですってぇ~。。。
確かに新渡戸稲造の存在はすごいと思いますわ。





「ペンは剣よりも強し」



まさにその通りですよね。
あなたは、どう思いますか?
 
ところで、シルヴィーさんの事をもっと知りたかったら次の記事を読んでくださいね。




『シルヴィー物語(2011年4月27日)』

『波乱の半生(2011年4月29日)』

『シルヴィーとネット革命(2011年5月6日)』

『シルヴィーとデヴィ夫人(2011年5月30日)』

『シルヴィーとケネディ夫人(2011年6月15日)』

『バンクーバー暴動と平和(2011年6月25日)』

『ビルマからの手紙(2011年7月3日)』

『ブッシュの戦争(2011年7月7日)』

『国際的愚か者(2011年7月11日)』

『あばたもえくぼ(2011年7月14日)』

『あなたも国際市民(2011年7月18日)』

『リビエラ夫人のハンバーグ(2011年7月22日)』

『芸術とブルックリン(2011年7月26日)』

『思い出のパリ(2011年7月30日)』

『海外志向とおばさんパンツ(2011年8月5日)』



『地球の平和(2011年8月9日)』

『愚かな写真狩り(2011年8月13日)』

『死の写真狩り(2011年8月17日)』

『キモい写真狩り(2011年8月21日)』

『生パンツと床上手(2011年8月25日)』

『ヌードと写真狩り(2011年8月29日)』

『あなたの平和と幸福(2011年9月2日)』

『あなたの平和な日々(2011年9月7日)』

『奈良の鹿と憲法9条(2011年9月11日)』

『文は人なり(2011年9月15日)』

『キモい戦争(2011年9月19日)』

『バカの歴史(2011年9月23日)』

『ムカつく検査(2011年11月1日)』

『アッシジからの平和(2011年11月5日)』

『中国からの怪電話(2011年11月9日)』

『気になる英単語(2011年11月18日)』

『戦争を知らないの?(2011年11月23日)』

『熟女ヌードとデンマン(2011年11月29日)』

『山形とバンクーバー(2011年12月8日)』

『ねえ、ねえ、ねえ見て(2011年12月10日)』

『URL スパマー(2011年12月20日)』

『坂の上の平和(2012年1月4日)』

『平和と武士道(2012年1月10日)』

『スカートをはいた兵隊(2012年1月15日)』

『レモン戦争(2012年1月16日)』

『常連さん、こんにちは(2012年1月23日)』

『チョコレートと軍産複合体(2012年1月28日)』

『壁に耳あり障子に目あり(2012年2月3日)』

『チョコレートと世界銀行(2012年2月10日)』

『チョコレートと甘い権力(2012年2月22日)』

『CIAの黒い糸(2012年3月6日)』

『CIAの黒い手(2012年3月12日)』

『平和が一番(2012年3月29日)』

『オツムの中の英語(2012年4月17日)』

『誰?あなたなの?(2012年5月5日)』

『ジャンボのエンジンが全部停止!』
(2012年5月15日)

『日本の良心は停止したの?』
(2012年5月17日)

『愚かな詭弁を弄する東電』
(2012年8月16日)

『僕のお父さんは東電社員』
(2012年8月20日)

『小学生でも知っている国のウソ』
(2012年8月25日)

『ん?オバマ大統領暗殺?』
(2012年9月3日)

『なぜ戦争するの?(2012年9月15日)』

『なぜ原発作ったの?(2012年9月19日)』

『国際感覚ダントツ(2012年11月11日)』

『国際化できてる?(2012年11月19日)』

『国際化とアクセスアップ(2012年11月23日)』

『国際化とツイッターと国際語(2012年11月27日)』

『お百度参りも国際化(2012年12月1日)』


とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。





ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

ためになる関連記事





■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』



■ 『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』



『夢とロマンの横浜散歩』

『愛とロマンの小包』

『下つきだねって言われて…』



『銀幕の愛』

『パリの空の下で』

『愛の進化論』

『畳の上の水練(2011年3月15日)』

『軍隊のない国(2011年3月21日)』

『アナクロニズム(2011年3月27日)』






0 件のコメント:

コメントを投稿