デンマンの死@玉淀
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デンマンさん。。。 なんだか おもろい画像でござ~♪~ますわねぇ~。 おほほほほほ。。。んで、今日はデンマンさんが亡くなる時のお話でござ~ますかァ?
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いや。。。 僕が亡くなった時の話ですよう。
おほほほほほ。。。 京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授を前にして ご冗談もほどほどにしてくださいませぇ。
いや。。。 冗談ではありませんよう。
でも、デンマンさんが一度亡くなって生き返ったなんてぇ誰も信じませんわよう。 おほほほほほ。。。
あのねぇ~、卑弥子さんも“臨死体験”という言葉を聞いたことがあるでしょう?
ありますわァ~。。。 でも、あたくしはそのような事を信じておりませんわァ。
じゃあ、信じるか?信じないか? それは卑弥子さんの勝手として、僕の話を聞いてくれますかァ~?
でも、そもそも、どうしてそのような眉唾モノのお話を急にする気になったのでござ~ますかァ?
あのねぇ~、実は夕べ寝転がりながら本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。
玉淀
(tamayo03.jpg)
奥秩父に源を発する荒川は、長瀞を過ぎて寄居まで来ると大きく迂回しながら一気に川幅をひろげ、玉淀(たまよど)と呼ばれる美観を生む。
ここは桜が見事だから、花の時期だけは多少人が集まるが、その他の季節は閑散としている。
(tamayo04.jpg)
もともと玉淀は武州鉢形城として知られる戦国時代の要衝だった。
切り立った断崖の南側が鉢形城で、かつて北条氏邦が秀吉軍3万5千の大敵を向かえて籠城し、わずか三千の城兵で1ヶ月余を持ちこたえた名城である。
いま城址は森林公園になっていて、城の名残は地形から察するしかない。
(tamamap.png)
(tamayo05.jpg)
一番高い所にあったという本丸跡から、笹曲輪、二の丸、三の丸などを歩くと、(なるほど、これが豊臣勢を手こずらせた堅城だったのか。。。)と、実感が湧く。
(中略)
この鉢形城址から川向こうを見下ろすと、正面に「京亭」という小さな宿がある。
見た目には風流人の別荘である。
それもそのはずで、京亭はもとはといえば旅館ではなく、「祇園小唄」の作曲者として不朽の名を残す佐々紅華(さっさこうか)の晩年の棲み家だった。
(中略)
池波正太郎は滅法この京亭が気に入って、「こういう小さな宿は宣伝してはいけない。 京亭のことは決して書くなよ」と私に厳命しておきながら、自分で「こんな素晴らしい宿がある。 ここの鮎飯は江戸時代の鮎飯そのものだ」と書いてしまった。
おかげでいまは、“池波正太郎がぞっこん惚れ込んだ鮎の宿”として有名になり、食べるのも、泊まるのも、予約を取るのが大変になっているようだ。
(tamayo08.jpg)
(tamayo09.jpg)
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
地図と写真はデンマン・ライブラリーより)
86-87ページ 『池波正太郎指南 食道楽の作法』
著者: 佐藤隆介
2009年10月25日 初版発行
発行所: 株式会社 新潮社
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奥秩父に源を発する荒川は、長瀞を過ぎて寄居まで来ると大きく迂回しながら一気に川幅をひろげ、玉淀(たまよど)と呼ばれる美観を生む。
ここは桜が見事だから、花の時期だけは多少人が集まるが、その他の季節は閑散としている。
(tamayo04.jpg)
もともと玉淀は武州鉢形城として知られる戦国時代の要衝だった。
切り立った断崖の南側が鉢形城で、かつて北条氏邦が秀吉軍3万5千の大敵を向かえて籠城し、わずか三千の城兵で1ヶ月余を持ちこたえた名城である。
いま城址は森林公園になっていて、城の名残は地形から察するしかない。
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一番高い所にあったという本丸跡から、笹曲輪、二の丸、三の丸などを歩くと、(なるほど、これが豊臣勢を手こずらせた堅城だったのか。。。)と、実感が湧く。
(中略)
この鉢形城址から川向こうを見下ろすと、正面に「京亭」という小さな宿がある。
見た目には風流人の別荘である。
それもそのはずで、京亭はもとはといえば旅館ではなく、「祇園小唄」の作曲者として不朽の名を残す佐々紅華(さっさこうか)の晩年の棲み家だった。
(中略)
池波正太郎は滅法この京亭が気に入って、「こういう小さな宿は宣伝してはいけない。 京亭のことは決して書くなよ」と私に厳命しておきながら、自分で「こんな素晴らしい宿がある。 ここの鮎飯は江戸時代の鮎飯そのものだ」と書いてしまった。
おかげでいまは、“池波正太郎がぞっこん惚れ込んだ鮎の宿”として有名になり、食べるのも、泊まるのも、予約を取るのが大変になっているようだ。
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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
地図と写真はデンマン・ライブラリーより)
86-87ページ 『池波正太郎指南 食道楽の作法』
著者: 佐藤隆介
2009年10月25日 初版発行
発行所: 株式会社 新潮社
つまり、上の本を読んでいたら“玉淀”が出てきて、それで急に衝撃的な“臨死体験”を思い出したのでござ~ますかァ~?
その通りですよ。 僕は“臨死体験”を少なくとも5回思い出として持っていた。。。 ところが“玉淀”での“臨死体験”をすっかり忘れていたのですよ。 実は、玉淀で死んで生き返ったのが、生まれて初めての“臨死体験”だったのです。
マジで。。。?
あのねぇ~、このような時に、わざわざデマカセで記事など書くわけないでしょう!
。。。で、いつ頃のお話でござ~ますか?
僕が行田中学の2年生の時でした。 夏休みに入っていて、清掃日かなんかで、その日は全校生徒が登校したのですよ。 久しぶりに顔を合わせたクラスメートと「どこか面白い所に泳ぎに行かないか!?」という話が持ち上がった。
デンマンさんが言い出したのですか?
いや、僕じゃなかったですよ。 仕立て屋の息子の岡田君あたりが言い出したのかもしれません。 彼は泳ぎが得意だった。 それから下忍地区から通っていた荻原君。 そして、溺れて僕が助ける羽目になるT君。 T君はクラスは違っていたけれど、行田中央小学校で一緒だった。 確か6名ぐらいで行くことになったのですよ。
つまり、行田市から寄居町の玉淀まで、わざわざ泳ぎに行ったのですか?
そうですよ。 海まではかなり遠いので、寄居町なら手ごろな距離だった。 秩父鉄道の電車で1時間ぐらいですよ。 日帰りで行ってこれる距離にあったのですよ。
そのような行為が学校で許されていたのですか?
もちろん、川で泳ぐのは禁止されていた。 見つかれば問題になるはずだった。
デンマンさんが死にそこなったというのに問題にならなかったのですか?
ラッキーだったのですよう。 僕は6度も死にかけたのに、どの場合でも大きな問題にはならなかった。 本当に幸運だったといっていい。。。
それで、T君はどうして溺れたのですか?
彼は6名の内では川で泳ぐことに最も不慣れだったということが判明したのですよ。 それは、彼が溺れて初めて判ったことだけれど。。。
デンマンさんは友達すべてが泳ぎがうまいと知っていたのですか?
T君を除いて他の友達は、プールでの泳ぎなどを見ていたから、結構、泳ぎがうまいことを見ていた。 でも、T君の泳ぎは見たことがなかった。 だけど、T君は野球部に所属していたから、運動神経がいいだろうと思って、あとは彼の自慢話に載せられてしまった。
デンマンさんは泳ぎには自信があったのですか?
もちろんですよ。 僕は小学校対抗の水泳選手に選ばれたことがあったから、小学校6年生350人の内では泳ぎがうまかったわけですよ。 体育の先生が25メートルを泳がせてタイムを計ったのです。 僕は5番以内に入っていた。
。。。で、溺れたT君をデンマンさんが助けようとしたわけですか?
そうなのですよ。
玉淀のどこで泳いだのですか?
次の地図の赤丸で囲んだ場所ですよ。
(tamamap.png)
。。。んで、T君は、どのようにして溺れたのですか?
玉淀の急流に巻き込まれて深みにハマッって 両手をバタバタやって沈んでゆくのが見えた。 上のビデオクリップを見ても解るけれど、けっこう流れが速く、危険な感じですよ。 速い流れと深みを経験してないと、ちょっとぐらい泳ぎがうまくてもビビッてしまうのですよ。
T君は、つまり、ビビッてしまったわけでござ~ますかァ~?
その通りです。 口ほどには泳ぎがうまくはなかったのですよ。 それまでは、問題なく泳いでいた。 ところが、急流に呑まれたように深みにハマッて驚いたのでしょうね。 たぶん。。。 それで、急に不安になって、ビビッて、手足が萎縮して心臓がパクパクして、もうどうにもならなくなって、両手をバタバタしていた。
それまでにデンマンさんは溺れた友達を助けたことがあったのですか?
もちろん、初めての経験ですよ。 でもねぇ~、僕は2年6組の級長だったのです。。。 やっぱり、責任を感じた。 バレれば、学校で大問題になりますからね。。。 もう、助けることができるとか、どうのこうのと言っている場合じゃない! とにかく、助けないことには大きな問題になる!
それで、見境もなく飛び込んだわけですか?
そうなのですよう。 ところが、僕は身長が162センチ。 体重が52キロぐらいだった。 T君は身長が172センチ。 体重が65キロもあった。 僕は救助訓練など受けたことがない。 とにかく、初めての経験で、とにかく助けなければ!という気持ちだけで飛び込んだ。
それまではどうしていたのですか?
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T君以外の友達は、僕も含めて ひと泳ぎして赤丸で囲んだ岩の上に座って休憩していたのですよ。 T君だけが一人で急流に泳ぎだしていった。
写真では、ほとんど流れがないように見えますけれど。。。
僕らが泳ぎに行った日は、増水していて、このような静かな感じではなかったのですよ。 ビデオクリップのようにかなりの流れがあった。
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それで、助けようとしたデンマンさんまでが溺れてしまったのでござ~ますか?
とにかく、助けたいという気持ちだけはあったけれど、僕は救助訓練など受けたことがない。 しかも、それまでに人を助けた経験もない。 さらに悪いことには T君は僕よりも身長が10センチも高く、体重は10キロ以上も重い。 僕が彼を助けようとして近づいたら、T君は必死で抱きついてくる。 もう、泳げるような状態じゃない。 とにかく、死に物狂いの馬鹿力は想像を絶するものでした。
。。。で、そのままデンマンさんは馬鹿力に圧倒されて諦めたのですかァ~?
もちろん僕だって必死に彼を助けようとしましたよ。 でもねぇ~、T君の馬鹿力には、もう どうすることもできない。 とにかく、彼は必死ですがり付いてくる。 僕の体重は52キロプラス65キロで、急激に増加して 117キロになってしまったようなものですよ。 泳げるわけがない。
それで、二人とも川底へ沈んで行ったわけですかァ~?
そうですよう。 他に、もうどうしようもないのだから。。。
つまり、デンマンさんも、死を覚悟して諦めてしまったのですねぇ~?
あのねぇ~、瞬間的に、「死ぬということは、こういうことなのかなァ~」という思いがオツムに浮かんできましたよ。 「でも、助けようとした僕が、どうして死ななければならないのォ~」という気持ちもすぐに追いかけるようにオツムに浮かんでくる。 でも、そう思う頃には、もう意識が薄らいでいる。
。。。で、デンマンさんは暗い川底に沈んでいったのですか?
そうなのですよ。 僕の意識は真っ暗闇の中に沈んでゆく。。。 どこからともなく“恨み節(うらみぶし)”が聞こえてくる。。。 「どうしてこうなるのォ~。。。どうして助けようとした僕が、こうなってしまうのォ~」 僕は薄れてゆく意識の中で、そんな風に思っている。
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上の映画は、あの有名な黒澤明監督の『羅生門』だけれど、妻を奪われ殺されてしまう貴族の男の証言を得るため、裁判の白洲で巫女が呼ばれる。 上の写真はそのシーンですよ。 ここで死んだ男は巫女の口を借りて“恨み節”をタラタラとしゃべるのだけれど、僕もちょうど気分的にはあんな感じですよ。 沈んでゆきながら、薄れてゆく意識の中で“恨み節”をつぶやいているのですよ。 「どうして。。。どうして。。。なぜ。。。こうなるのォ~。。。」
。。。で、そのまま意識が薄れてゆくと死んでしまったわけですよねぇ~。
その通りですよ。
T君は、デンマンさんに関わっていたら一緒に死んでしまうと思ったので、離れていったわけですよね。
そうですよう。。。 後で考えたら、まったく馬鹿馬鹿しい限りですよう。 要するに、T君は、僕にすがり付いていたらどうせ死んでしまうからというので、やっと自我に目覚めて 自分でどうにかしなければならないと思って、僕から離れていったのですよう。 全く、馬鹿馬鹿しいのですよう。
。。。で、デンマンさんはどうなさったのでござ~ますかァ~?
あのねぇ~、僕は神様を信じていないけれど、神様のような人が僕を見ていたのでしょうね。 T君を助けようとすれば 結果的に一緒に溺れてしまうのに、そんな事も考えずに反射的に自分よりも大きくて重たいT君を助けようとして、僕は無我夢中で速い流れに飛び込んで助けに行った。 その事を“神”さまは見ていたのですよう。
長い話はいいですから、一体何が起こったのですか?
あのねぇ~、僕は意識が薄れるままに川底に沈みながら流されていったのですよ。。。 そして、意識がなくなろうとするその瞬間ですよ。 ゴツッ! 一撃を腰に喰らったのですよ! イテッ~~! 痛いのなんのってぇ~。。。 これからグッスリと永遠の眠りにつこうとしている僕を神様が起こしたのですよう。 気づくと川底の岩に腰をぶつけた僕がいる。 意識が戻って、ハッとした時には水面に顔を出していた。 つまり、岩に腰をぶつけたときに浅瀬に乗り上げていたのですよう。
偶然ですわねぇ~。
そうですよう。。。 今から考えれば偶然なのですよう。 しかし、川底の深みが続いていたら僕もT君も、間違いなく死んでいたのですよう。 とにかく、助かったという思いは意識に戻ってきたけれど、しばらくは死んだも同然で、話すこともできず、歩くこともできず、真っ青な顔をしてしばらく横たわっていたそうですよ。
。。。で、わざわざ この記事を書く気になったのはどうしてでござ~ますか?
あのねぇ~、人が溺れて助けようとする時には、絶対に飛び込んで助けようとしては駄目だということですよう。
じゃあ、どうすればよいのでござ~ますか?
縄か紐か、木の枝でもいい。。。 とにかく、子供を助けるならばいざ知らず、水の中に入って大人が大人を助けるのは無理です。 溺れる者の馬鹿力は想像を絶するものですからね。。。 だから、縄か紐を投げて溺れたものを引き寄せるか、枝を差し延べて、つかまらせて引き寄せるか。。。 そうでもしないと、二人とも力が尽きて死んでしまうのですよう。 とにかく、僕が力尽きて、川底に沈んでゆく時に、T君が やっと僕から離れてゆく時には、後で考えたら、馬鹿馬鹿しいほど人間というのは自分勝手なものだと しみじみと思いましたよゥ。
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ですってぇ~。。。
あなたは、どう思いますか?
“溺れる者は藁をもつかむ”と言いますけれど
T君でなくとも、助けに来たデンマンさんにすがり付いてゆくでしょうね。
でも、助けに来た人が溺れそうになったら、それまで助けられようとしていた人が離れてゆくのは、なんとも現実的で、人間というものの身勝手さが面白いようですよね。
うふふふふふふ。。。
ところで、『羅生門』の映画を上のクリップで全編見ることができますけれど、
あの平安時代というのは 上の映画でも観れば解るように決して平安ではなかったのでござ~ますわ。
■『平安時代は決して平安ではなかった』
たまには、古代史の記事も読んでくださいね。
そういうわけで あなたのために平安史、古代史の記事を用意しました。
ぜひ 覗いてみてください。
では。。。
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とにかく、次回も興味深い記事が続きますわ。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、またねぇ~。。。
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ところで、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。
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