2014年12月26日金曜日

蕎麦屋と忠臣蔵



 

蕎麦屋と忠臣蔵

 


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デンマンさん。。。 蕎麦屋と忠臣蔵が関係あるのでござ~♪~ますか?


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あれっ。。。 卑弥子さんは「忠臣蔵」を映画で観たことがないのですか?

もちろん、観たことがありますわよう。 テレビでしたけれど。。。 うふふふふふ。。。

だったら、討ち入りする前の晩に赤穂浪士たちが蕎麦屋の2階に集まるシーンが出てきたでしょう!?

そのような場面があったかしら?

ありましたよ! 。。。 じゃあ、卑弥子さんのために『忠臣藏 花の卷・雪の卷』(予告篇) を貼り付けるから、ここでじっくりと観てくださいねぇ。





あらっ。。。 世界のネット市民の皆様が解るように英語の解説が流れていますわねぇ~。。。



卑弥子さんにも分かりますか?

あたくしは、これでも英語を勉強してきましたわ。 バンクーバーにも出かけて実地に英語会話を身につけましたァ。

だったら、上の予告編を観て蕎麦屋のシーンが出てきたのが分かったでしょう!?

あらっ。。。 お蕎麦屋さんのシーンがありましたかしら?

あのねぇ~、この上のYouTubeのクリップは、せいぜい5分にも満たない予告編なのですよ。 だから蕎麦屋だと、すぐに判る場面は出てこないのです。 でもねぇ~、よ~く見れば赤穂浪士の47人のメンバーが集まっているシーン出てくるのですよ。


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この上の場面がお蕎麦屋さんの2階に赤穂浪士の47人が集まっているシーンでござ~ますか?



その通りですよ。 僕はそのシーンをソフトカメラで撮って貼り付けたのです。

デンマンさんは上の映画をマジで観たのですか?

もちろんですよ。 バンクーバー市立図書館でDVDを借りて観たのですよ。 その証拠にちゃんと観た後でコメントを書き込みました。


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『実際のカタログページ』



信用できないのならば卑弥子さんも実際のカタログページをクリックして確かめてくださいね。



そのような事はどうでもよろしゅうござ~ますわ。 それよりも、デンマンさんは日本語が解るネット市民の皆様のために日本語まで書き入れたのでござ~ますわねぇ?

いけませんか?

でも、この映画は1962年に作られたのでしょう!? もっと新しい映画があるではござ~ませんか!

あのねぇ~、この映画に出演している俳優さんを見てくださいよ。 これだけの豪華キャストの映画はもう日本では見れませんよう。

あらっ。。。 それほど素晴らしい俳優さんたちが出ているかしらァ~?

やだなあああァ~。。。 もう一度上の予告編を見てくださいよ。 原節子さんも出ているのです。


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大石 内蔵助(くらのすけ)の妻(りく)を演じているのが原節子さんですよ。



もう、ずいぶんのお年なのでしょう?

あのねぇ~、1962年当時、原さんは42歳の熟女だったのですよ。 この映画が最後の出演で、それ以来、銀幕から姿を忽然と消してしまった。 いわば、この映画は原さんの最後を飾る映画だったのですよ。

デンマンさんは、どうして原さんに拘(こだわ)るのでござ~♪~ますか?


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だってぇ~、原節子さんは僕のアイドルなのですよう。 うししししし。。。



デンマンさんは太平洋戦争前に生まれたのでござ~ますか?

ん。。。? やだなあああァ~。。。 僕は戦後生まれですよう!

だったら、戦前の女優さんなどに拘る前に、あたくしのようなアプレゲール(après-guerre)の女に目を向けてくださいなァ~!


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あのねぇ~、卑弥子さん。。。 今日は蕎麦屋と『忠臣蔵』の話なのですよう。 どうして卑弥子さんは下着姿の自分の写真を持ち出してくるのですか!?



だってぇ~、あたくしの立場も考えてくださいましなァ。 戦前生まれの女優さんの写真を持ち出されれば、あたくしだって戦後生まれの女性として対抗意識が出てくるのでござ~ますわァ。

分かりました。 この話はまた記事を改めて話すとして、そろそろ本題に入らないと記事が長くなりすぎて、退屈してネット市民の皆様が他のブログへ飛んでしまいますよ。

デンマンさんが戦前の女優さんのことを持ち出すから、こうなってしまったのですわ。。。 それでぇ、どのような訳でお蕎麦屋さんを取り上げたのでござ~ますか?

あのねぇ~、実は、お蕎麦屋さんの2階に赤穂浪士47人が集まったというのは嘘なのですよ。

ええっ。。。? 赤穂浪士の皆様方は、お蕎麦屋さんの2階に集まったのではないのでござ~ますか? 。。。でも映画では、お蕎麦屋さんの2階に赤穂浪士の面々が集まるシーンがあるのでしょう!?

確かに、そのようなシーンが出てくる。 でもねぇ~、文献を紐解(ひもと)くと赤穂浪士の討ち入りが行われた元禄15年旧暦12月14日(新暦では1703年1月30日)には、赤穂浪士47人が集まれるような2階を持つ蕎麦屋は江戸中を捜してもなかったのですよ。

マジでござ~ますか?

例えば半藤一利さんも次のように書いている。

吉良邸討ち入り・そば屋の二階


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本所のそば屋の二階に浪士集結の一席がある。
町人姿あり医者姿あり職人姿あり、三々伍々に集まる面々、ここで揃いの家事装束に身を固める。
すべての打ち合わせをすませ、腹ごしらえの力そばをすすると、刻限もよしと立ち上がる。
御大将の大石内蔵助を先頭に階段を駆けおりる。
トントントントン。
仰天するそば屋の主人、おかみ、お手伝い。
いちばんしんがりの浪士が「おやじ、勘定だ」と小判を主人の前に投げる。
チャリン…… という名場面。
これまた、絵空事とされてしまったのである、ああ。

この場面が嘘っ八の根拠は、いかなる文献をひらこうとも、元禄15年12月には、今日のように堂々たる店構えをもつそば屋が、本所くんだりにはまだ存在していなかったから、ということである。


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なるほど、そばが江戸町民の食べ物となったのは寛文年間で、同4年(1664)にはじめて江戸でそば切りの販売がみとめられ、二八そば(小麦粉とそば粉の混合の割合)とか、けんどんそばという呼称とともに、そば切りが流行していった。
そして元禄のころには、江戸町民のすこぶる好むものとなる。
で、寛文で8文の値が元禄では7文、需要がふえて値を引き下げたことがわかる。 (略) 忠臣蔵の元禄15年当時は俗に夜鷹そば、つまり振り分け屋台のそば屋で、担いでいって町なかで商いをするのがほとんどで、店舗を構えたそば屋なんか寥々たるものであった。
というのが、かけ値なしの事実というわけで、47人もの多勢が二階に集まれる座敷があって、梯子段をトントン、チャリンという具合にはいかないのである。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)



201-202ページ 『ぶらり日本史散策』
著者: 半藤一利
2010年4月15日 第1刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋



でも、デンマンさん。。。 赤穂浪士47人が眠る、あの有名な泉岳寺の近くにはお蕎麦屋さんがあって、ちゃんと「討ち入りそば」を売っていますわよう。


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あのねぇ~、赤穂浪士47人が蕎麦を食べたとしてもそれは本所ですよ。 泉岳寺の近くの蕎麦屋じゃない。 つまり、泉岳寺の近くの蕎麦屋さんは『忠臣蔵』ブームに乗って「討ち入りそば」を作って950円で売っているのですよ。 場所も蕎麦も全く違うものですよ。



じゃあ、赤穂浪士の皆様方はどこに集まったのでござ~ますか?

普通の旅籠ですよ。 本所にある大きな2階建ての旅館ということでしょうね。 やはり、大きな店構えの蕎麦屋はなかった。 実際、『真説 赤穂銘々伝』の中には赤穂浪士の一人・杉野十平次が「夜鳴きそば屋」になって情報を集めている話が出てくる。

俵星玄蕃との交友

俵星玄蕃(たわらぼしげんば)は、本所松倉町で道場を開いていた。
たいへんな力の持ち主で、槍の穂先で米俵を1俵ずつ突き上げては宙に放り投げるという荒業を持っていた。

このころ、吉良邸の前で毎夜のように店を出す夜鳴きそば屋がいた。


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吉良邸の様子を探るために変装した杉野十平次(じゅうへいじ)である。
俵星玄蕃はよく十平次の夜鳴きそばを食った。
そして、十平次の人柄が気に入った。
ある夜、夜鳴きそばを食べながら玄蕃はこういった。
「この吉良家とまた吉良家の息子殿が養子に入っている米沢の上杉家からおれに仕官の口がかかってきた」

杉野はびっくりした。
なにしろ槍の穂先で米俵を1俵ずつ空中へぶん投げるような荒業の持ち主なのだから、こんな槍の名人がもしも吉良家で雇われて、用心棒になられたらたいへんなことになる。
義士側で相当な犠牲が出る。
そこで十平次は、なんだかだといって結局は俵星玄蕃が吉良家にも上杉家にも仕官しないように仕向けてしまった。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)



219ページ 『真説 赤穂銘々伝』
著者: 童門冬二
1999年11月17日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 平凡社



つまり、この頃も浮世絵で描かれているような「夜鳴きそば屋」が主流だったのですよ。


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だから、上の絵に描かれているような「夜鳴きそば屋」になって吉良邸の前で毎夜のように杉野十平次のは店を出したのですよ。



でも、店を構えたお蕎麦屋さんもあったのではござ~ませんか?

確かに、あったのです。 でもねぇ~、浮世絵で見ると小さなものですよ。


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上の絵のどこに、お蕎麦屋さんがあるのでござ~ますか?



よく見ると橋の袂(たもと)に「二八そば」という看板が出ているのですよ。 この絵は歌川広重(安藤広重)の「東海道五十三次」の保土ヶ谷宿の場面です。 この絵が描かれたのが1833年ですからね。

討ち入りが行われたのは1703年ですわよねぇ。。。

そうです。 つまり、広重は討ち入りから 130年後に上の絵を描いたのですよ。 その時でさえ、この蕎麦屋さんは小さな藁葺(わらぶ)き屋根の平屋の店ですからね。 保土ヶ谷と言えば今では横浜の賑(にぎ)やかな場所ですよ。


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それに上の『忠臣蔵』映画では俵星玄蕃と交友があったのは杉野十平次ではなく堀部安兵衛ということになっている。



だから、俵星玄蕃は杉野十平次と堀部安兵衛の二人と交友があったのですわよ。

違うのですよ。 「ウソ」は、そればかりじゃなくて堀部安兵衛は「呑んべえ安さん」で有名だけれど、実は、安さんは酒呑みではなかった。

つまり、お酒が嫌いだったのでござ~ますか?

そうです。 『真説 赤穂銘々伝』にはそう書いてあります。 高田馬場の有名な敵討ちの日、安さんは酔っ払って寝込み、目が覚めた時にはすでに高田の馬場で菅野が討たれていたというのも真っ赤な嘘だと言うのですよ。

つまり、安さんはお酒を飲んで酔っ払ってはいなかったと。。。?

そうです。 素面(しらふ)だったのですよ。 安さんは菅野と高田馬場へ同行している。 村上側は3人で、安さん側は二人。 戦闘では助太刀であった中津川と言う薙刀(なぎなた)の名人と、村上の弟・三郎右衛門がきたない真似をしようとしたので、「卑怯!」と叫んで、安さんが二人の助太刀を切り倒した。 平和な元禄時代だったので、『忠臣蔵』と同じように、この事件はたちまち有名になってしまった。 

つまり、同様に『忠臣蔵』にも、たくさんの嘘が出てくるのでござ~ますか?

その通りですよ。 こういう事はよくあるのです。 例えば、あの有名な遠山の金さんねぇ。。。

江戸町奉行の遠山金四郎さんでござ~ますか?

そうです。 桜吹雪(さくらふぶき)の刺青(いれずみ)をしているということも、どうやら真っ赤な嘘らしい。 当時の東京地方裁判所の所長のような人がヤクザでもないのに、もろ肌になって「これが見えねえかァ~!」なんて啖呵(たんか)をきるようなことは絶対なかったらしい。

でも。。。

それに、あの水戸黄門さんねぇ~。。。 あの人も諸国を歩き回ることなんて一度もなかったらしい。 今で言えば、セキュリティの問題があるから副将軍である水戸黄門様は諸国を歩き回るようなことは絶対に許されないのですよ。

でも、越後の商人に化けて。。。

あのねぇ~、遠山の金さんにしろ、水戸黄門さんにしろ、そんな風に振るまわさせたのは勧善懲悪を望んでいる庶民が「スーパースター」を求めていたからです。 その気分に便乗して作られた話が『忠臣蔵』、『安さんの高田馬場の決闘』、『桜吹雪の刺青の遠山の金さん』、『水戸黄門様の諸国漫遊』の話なのですよ。


【初出:2013年3月9日 (土曜日)】


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【小百合の独り言】


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ですってぇ~。。。
実は、私の祖先が百済からの難民だったなんて、デンマンさんに教えていただくまで全く知らなかったのですわ。
百済から当時の平城京(現在の奈良市)に行ったようです。
でも、土地があまりなさそうなので開拓団に加わって、デンマンさんの祖先と一緒に武蔵国まで行ったのですってぇ。

ええっ。。。? 「それはデンマンがでっち上げた御伽噺」だとおっしゃるのですか?

とにかく、私の実家は館林にあるのですわ。
デンマンさんのご実家から車で20分から30分です。
ホントに、目と鼻の先です。

そのような近くに住んでいたのにデンマンさんと私は日本で出会ったことがなかったのです。
不思議な事に、私がデンマンさんに初めてお会いしたのはカナダのバーナビー市でした。
私が13年間借りていた“山の家”で巡り合ったのですわ。


(burnamap2.gif)

バーナビー市というのはバンクーバー市の東隣にある町です。
上の地図の赤い正方形で示した部分を拡大すると次のようになります。


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この地図の Deer Lake (鹿の湖)の畔(ほとり)に私が借りていた“山の家”が会ったのですわ。


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この家でデンマンさんと15年ほど前に初めてお会いしました。


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この上の写真は、デンマンさんがコラージュしてでっち上げたのですけれど、ちょうど、このように寅さんのような格好をしていたのですわ。
うふふふふふ。。。
それだけに、私は強烈な第一印象を持ちました。

でも、どうして私の祖先とデンマンさんの祖先が一緒に百済からやって来たの?

私にはよく理解できなかったのです。
デンマンさんは、おっしゃいました。

DNA に“海外飛躍遺伝子”が焼きついているのですってぇ。
デンマンさんと同じようにして、その DNAの飛躍遺伝子が1400年の眠りから覚めて、私は館林から佐野を経由してカナダのバーナビーに渡ったのです。
そして、デンマンさんと“山の家”で出会ったのでした。

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