2015年8月14日金曜日

宗長の奥の細道


 

宗長の奥の細道

 


(sochou3.jpg)


(hosomichi2.jpg)


(basho3.jpg)

 



(sayuri55.gif)

デンマンさん、“宗長の奥の細道”じゃなくて“芭蕉の奥の細道”ではありませんか?


(kato3.gif)

うん、うん、うん。。。 確かに、“芭蕉の奥の細道”の方が有名ですよ。

そもそも“宗長”という人は、どのような人なのですか?

だから、上の画像にも書いてあるように戦国時代に活躍した連歌師なのですよ。

戦国時代に活躍した連歌師を、どういうわけで持ち出してきたのですか?

あのねぇ~、“芭蕉の奥の細道”のことを、僕はかつて記事の中で書いた覚えがあるのですよ。。。 どの記事だったか? それが思い出せない。。。 それで、次のようにして検索してみたのですよ。


(gog50814a.png)

『現時点での検索結果』



「奥の細道 セミの声 デンマン」と入れて GOOGLE で検索してみたのですよ。。。 赤枠で囲んだ記事に注目してください。



あらっ。。。 『愛と死のオーラ』というタイトルですわね。

そうです。。。 2011年12月5日に「次郎のブログ」に投稿した記事ですよ。。。 


(jir11205e.png)

『実際の記事』



4年も前に書いた記事だからタイトルを思い出せないのも無理ないですよ。



それで、どのような内容なのですか?

あのねぇ~、小百合さんが登場する記事なのですよ。。。 芭蕉の奥の細道が出てくる部分をここに貼り出しますから小百合さんも読んでみてください。


(foolw.gif)

Subj:小百合さん、おはよう!

明日か、あさって、

また会いたいですね。

デンマンより愛を込めて…

きゃはははは。。。



(daibuts85.jpg)

From: denman@infoseek.jp
To: sayuri@hotmail.com
Cc: barclay1720@aol.com
Date: 2011年10月24日
(月曜日)午前11時53分

小百合さん元気ですか?
10月22日の土曜日には叔母が北鴻巣からやって来ました。
翌日23日の日曜日に来るものだと思い込んでしまっていた僕は朝ごはんをゆっくりと食べてから8時半に実家を出ました。
それで自転車をこいで「自遊空間」へ行ったのです。

午後4時に実家に戻ったら
お袋は応接室で昼寝をしており、誰かがキッチンでカタカタと料理しているのでした。
誰かな?と思ったら叔母がポテトサラダを作り、天ぷらを揚げ、サツマイモの煮込みを作り、割子ソバを茹でていました。

叔母は何もせずにお客さんで居ればよいのですが、お袋が自由に動けないので代わりに夕食の用意をしていたのでした。
僕のお袋が長女で叔母は10人兄弟姉妹の一番下です。
僕よりも6歳年上なだけなのです。

僕にとって親戚中で誰よりも話が分かる叔母です。
僕のお袋がやきもちを焼くほど叔母と僕は仲が良いのですよ。

僕がまだ大学生の頃、
叔母と二人だけで日光へ旅したのだけれど、
その旅は日帰りだったのです。

ところが、お袋の記憶の中で僕と叔母は日光で一泊したと思い込んでいるのですよね。
それほど僕と叔母の間が親密だと思い込んでいるのですよ。
今回もお袋がその話しをするのですよ!んもお~~!

もちろん近親相姦などあるはずもないのですが。。。(苦笑 & 爆笑)
お袋が心のどこかで、そう思い込むほどに僕と叔母の関係が親密なのですよ。

そのような訳で夕食が済んだ後で、しばらく皆で和気藹々(わきあいあい)とオシャベリしたのでした。
そのあと僕と叔母だけで大長寺のすぐそばの「馬車道」へ行ったのでした。


(pasta11.jpg)

叔母はポテトグラタン。


(basha002.jpg)

僕はヴォンゴレ・ロッソを食べました。

ヴォンゴレ


(basha001.jpg)

ヴォンゴレ (vongole) は、アサリなどの二枚貝を使ったイタリア料理(本来はナポリ料理)のパスタ料理である。

イタリア語の vongole は、本来はアサリ類・ハマグリ類などのマルスダレガイ科の二枚貝を指すヴォンゴラ (vongola) の複数形で、料理のことはイタリアでは spaghetti alle vongole(ヴォンゴレスパゲッティ)などとよぶ。

種類

代表的なものにナポリ名物のイタリア料理「スパゲッティ・アッレ・ヴォンゴレ」(spaghetti alle vongole)がある。

本場イタリアでは地中海産のガリアハマグリ (Chamelea gallina) やヨーロッパアサリ (Venerupis decussata) などが使用されるが、近年では日本から移入されたアサリも多く利用され、日本でもアサリを用いるのが一般的であるが、どれもマルスダレガイ科の二枚貝である。

トマトソースを使ったヴォンゴレ・ロッソ(ロッソ=赤)と、使わないヴォンゴレ・ビアンコ(ビアンコ=白)にわけられるが、トマトを潰していない中間的な物も良く見られる。
ペスト・ジェノヴェーゼなどのバジリコを使った「ヴォンゴレ・ヴェルデ」(ヴェルデ=緑)やイカスミを使った「ヴォンゴレ・ネロ」(ネロ=黒)を供する店も出てきている。

使用するパスタは、スパゲッティやスパゲッティーニ、ヴェルミチェッリ、リングイネ等のロングパスタである。



出典: ヴォンゴレ
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

午後6時半から9時半まで話が弾(はず)んでシャベリまくりました。
実家に戻ったら、またお袋が「一晩中でも話を続けているだろうね」とヤキモチを焼くのでした。(爆笑)

日曜日は、のんびりとテレビを見て過ごしました。
NHK総合テレビで午後1時50分から「私が選んだあの番組」をやっていましたよ。
ゲストは森村誠一さんで
1989年に放映された画家の池田満寿夫が解説する「みちのく紀行」を再放送しました。
もちろん僕は1989年の放送を見ていない。

芭蕉がたどった奥の細道を池田満寿夫が画家の目線でたどってゆくという番組でした。
なかなか見ごたえがありました。


(yama901.jpg)

 

山寺や

 

岩にしみいる

 

セミの声

 


(semi100.jpg)

山形県の「立石寺」が出てきて懐かしい風景を映し出していたけれど、やはり日本の風景の中でも日本をしみじみと感じさせてくれる風景でした。


(yama900.jpg)

森村誠一さんは「写真俳句」というのをやっている。

写真と俳句を合わせて表現するのは邪道だという人も居るらしい。

「表現方法は無限だから写真と俳句を組み合わせても良いではないか!」

森村さんはそう言っていたけれど、もっともだと思いながら聞きましたよ。

番組の最後の方で東日本大震災で被災した人の印象に残る俳句を森村さんは挙げていました。


(summer001.jpg)

 

抱きしめて

 

君の瞳に

 

夏の雲

大震災に遭い、死んでしまったのではないかと諦めていた。

しかし、お互いに生存していたと知って再会し、抱き合った時に詠んだ人の句なのですよ。

う~~ん。。。いいですよね。

僕も上の句をしみじみと味わいながら1年ぶりで小百合さんと再会して、Hよりも感じるハグをした時を思い出しながら詠んでみました。


(bearhug05.jpg)

 

抱きしめる

 

きみのぬくもり

 

秋の空

 


(autumn02.jpg)

どうですか、さゆりさん。。。?

いいでしょう!?

明日か、あさって、また会いたいですね。

楽しみにしています。

じゃあね。


(denman01.gif)



『愛と死のオーラ』より
(2011年12月5日)



このようなメールを持ち出してきて、デンマンさんは恥ずかしくないのですか?



ん。。。? 恥ずかしくない?。。。 どうして僕が恥ずかしいと感じなければならないのですか?

だってぇ~、「Hよりも感じるハグをした時を思い出しながら詠んでみました」なんてぇ書いたら、この記事を読んでいる人が白けるというか、読む人までが恥ずかしくなりますわよう。

あのねぇ~、白ける人は白けてもらってもいいのですよ。。。 僕は、その部分はどうでもいいのです。。。 要は、松尾芭蕉が山寺で詠んだ俳句ですよ。。。 僕は仙台で5年ほど暮らしたことがあるから、山寺にも何度か行ったことがあるのですよ。。。 だから、上のセミの声の俳句は実に懐かしいのです。

。。。で、芭蕉の“奥の細道”のように、宗長さんも、東北地方を旅して歩いたことがあるのですか?

そうなのですよ。

でも、どうしてあまりよく知られていない宗長さんを取り上げたのですか?

あのねぇ~、実は、小百合さんが今年の3月3日に書いた次のメールが ひょっこりオツムに浮かんできたのです。


(sayuri5.gif)

遅くなりましたが、

2月の終わり頃に

バレンタインのBOXを送りました



(valent23.jpg)

From: sayuri914@yahoo.co.jp
To: barclay1722@aol.com
Date: Tue, Mar 3, 2015 at 8:16 PM

バレンタイン・デーに、贈り物が届くように 誰もが小包を送るので
カナダの郵便局は、どこでも忙しくなることでしょう。

去年は、おそらく、そういうこともあって、なかなかデンマンさんの手元に
バレンタインの小包が着かなかったのだと思います。

そう言う訳で、今回は 意識的に送る時期をずらしました。
2月の終わり頃にバレンタインのBOXを送りました。

たぶん、デンマンさんの手元に着くのは早くても3月の下旬、
遅くなると、4月の初旬になると思います。

ところで、今年の節分の豆まきには、
子供をつれて館林市の長良神社へ行ってきました。


(mamemaki2.jpg)



館林の総鎮守とされる氏神で、かつて上野国の国主としてこの地を治めた藤原長良を主祭神として祀っていることになっています。

赤井良遠なる人物が上野国の佐貫荘長柄郷瀬戸井(現在の邑楽郡千代田町)に勧請したものが始まりとされ、館林城を築城した赤井照光によって館林に勧請されたと伝われています。

でも、実際には長良が上野国の国主を務めたという事実は無いそうです。

本当は 佐貫荘を開いた佐貫氏が鎮守として祀ったのが始まりだということです。

デンマンさんも、遅ればせながら豆まきをして

2度と風邪にかからないようにしてくださいね。

 

小百合より


(sayuri15.gif)



『短歌に込められた愛の真実』
(2015年3月18日)



このメールがどうだと言うのですか?



今年の節分の豆まきに、小百合さんが子供を連れて館林の長良神社へ行ったという事が気にかかっていたのです。

どうして。。。?

その長良神社は、「かつて上野国の国主としてこの地を治めた藤原長良を主祭神として祀っていることになっています。 (略) でも、実際には長良が上野国の国主を務めたという事実は無いそうです」という部分が気にかかっていたのですよ。

どうして気にかかっていたのですか?

僕は、郷土史にも関心があるので、行田市の歴史には けっこう詳しいのです。。。 行田の郷土史家の大澤氏が書いた本の中に次のような箇所がある。

成田氏の文化


(oshijo09.jpg)

成田氏の祖は藤原鎌足(614-669年)に始まり、13代行成(972-1027年)の子忠基を初祖とし、その15代親泰(1464-1524年)が延徳3年(1491年)に忍城を築城すという。 (略)

成田氏の文化程度と財宝は驚く程で、如何にその勢力が大きかったか想像出来る。
氏長は特に学芸を愛して連歌の道は、その史上に残る人であった。

当時の連歌の第一人者“宗長”も永正6年(1509年)忍城に来たことが『宗長日記』に出ているし、天正13年(1585年)兼如も来ている。
兼如は家康の連歌の師となった人である。

天正15年(1587年)氏長はたくさんの連歌師を招き、春日神社で大連歌会を行い、奉納連歌百韻をかかげたとあるのをみても、成田氏の文化程度を知ることが出来る。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)



201-203ページ 『行田史跡物語』
著者: 大澤俊吉
1979(昭和54)年12月20日 初版発行
発行所: 歴史図書社



行田市は戦国時代には成田氏が治めていたのですよ。。。 当時、権威を保つためには、やはり血筋が問題だった。。。 どこの馬の骨とも解らない領主に仕えるのは、納得のいかない、要するに、自尊心が許さない人だっていたわけです。。。 だから、領主になる人は、自分の祖先が藤原氏と関係していると言えば、かっこいいわけですよね。



つまり、長良神社は「かつて上野国の国主としてこの地を治めた藤原長良を主祭神として祀っている。 (略) でも、実際には長良が上野国の国主を務めたという事実は無い」というのも、藤原氏との関係を下々の者に示すために、藤原氏を祀った神社を建て、しかも、実際には、国主になったこともないのに、国主に藤原氏をいただいていたということにして、権威付けをしていた、とデンマンさんは言うのですか?

そいうことですよ。。。 当時は、藤原氏との関係を持つことが権威を高めることになっていたのです。。。 だから、行田にも藤原氏の氏神である春日神社があるのです。


(kasuga02.jpg)



。。。で、宗長さんは、どうなっているのですか?



あのねぇ~、当時、宗長さんは連歌の第一人者で有名人だった。

つまり、そのことも権威を保つことと関係しているのですか?

もちろんですよ。。。 豊臣秀吉が権威と文化を誇示するために、いろいろな催しを開いたでしょう!? たとえば、北野大茶会(きたのだいさのえ)ですよ。


(teaparty2.jpg)



現代ならば、さしずめ、こういう茶会を大々的に開いて、多くの人を呼び寄せる。。。 すると、下々の人がそれを見て、「さすがは太閤さんだ。。。 昔は百姓をしていたが、今は天下人でありながら、文化人でもある。。。。さすがはすごい人だ。。。」と、敬(うやま)うようになる。。。つまり、太閤秀吉の権威が高まるわけですよ。



昔の行田市の領主の成田氏長さんも、権威を高めるために、たくさんの連歌師を招き、春日神社で大連歌会を行い、奉納連歌百韻をかかげたのですか?

そうですよ。。。 そうやって、下々の人々に成田氏の文化程度を知らせたのですよ。

マジで。。。?

でも、それは、表向きの話です。。。 実は、宗長さんは当時の連歌の第一人者だから、有力な戦国領主に呼ばれるわけです。。。 秀吉や信長の時代の茶人のように、連歌師はスパイの役目も果たしていたわけです。

つまり、成田氏長さんは宗長さんから諸国の情報を聞きだすために招いたのですか?

当然でしょうね。。。 成田氏長という人は、かなりのやり手だったと僕は思っているのですよ。。。 あの有名な娘の甲斐姫をみても、それは頷(うなづ)ける。。。 成田氏長という すぐれた父親がいたからこそ、娘の甲斐姫は忍城を豊臣軍から守ることができたのですよ。。。 豊臣軍が攻略できなかった城は、忍城だけだったのですよ。。。 館林城は陥落したけれど、忍城は最後まで持ちこたえた。。。 小田原城が開城になってので、仕方なく降参したけれど、父親の命令がなければ、甲斐姫は忍城を死守したはずですよ。

つまり、成田氏長という人は、天下を狙っていたと。。。?

あのねぇ~、戦国領主は機会があれば、誰だって、天下を狙っていたはずです。。。 そのためにこそ、成田氏長は、宗長さんから諸国の情報をそれとなく聞きだしていたわけです。

宗長さんは、それほど諸国を歩いていた人なのですか?

そうですよ。。。 だから、「宗長手記」、「宗長日記」が現在に伝わっている。

要するに、松尾芭蕉さんの「奥の細道」は、宗長さんの「宗長日記」の影響を受けて書いたということですか?

そうですよ。。。 宗長さんの“奥の細道”の方が先にあったのですよ。。。 僕は、そう信じているのです。


【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~。。。
あなたは、どう思いますか?

あたくしは、松尾芭蕉さんよりも、宗長さんよりも、断然、甲斐姫の方に関心があるのでござ~ますわ。


(kaihime9.jpg)



なんつったってぇ~、甲斐姫の人気は現在でも すごいのでござ~ますわァ。

実は、あたくしの人気も“日の出の勢い”で上昇中なのでござ~♪~ますわ。
うふふふふふ。。。

あなたは、信じられないでしょう?!

じゃあ、次の検索結果を見てくださいましなァ~。。。


(gog50104a.png)

『現時点での検索結果』

あたくしの熱烈なファンが上のようにして検索したのですう。

ご覧のようにトップに、あたくしの「卑弥子さんの下着姿」が出てくるのですわよう。
うふふふふふ。。。


(himiko32.jpg)

この写真いかがでしょうか?

けっこうイケテルと思いませんかァ~♪~?

ええっ。。。? やっぱり、小百合さんの「おばさんパンツ姿」の方がいいのでござ~ますか?


(sayuri31.jpg)

んもおおおォ~。。。
そのような事を言わないでくださいましなァ~。

ところで、どうして小百合さんが「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?
あなたは ご存知でござ~♪~ますかァ?

実は簡単な事なのですわよう。
小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。
分からない事ではござ~ませんわァ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。
現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


(suikyu9.jpg)

それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉



軽井沢のイルミネーション



秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩



とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。

だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。

じゃあねぇ~~。


(hand.gif)

メチャ面白い、

ためになる関連記事




(linger65.gif)

■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(house22.jpg)

■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)

■ 『月夜のベリー@バレンタイン』

■ 『カナダのマルサの女』

■ 『思い出を食べる@麻布』

■ 『バレンタイン焼きそば』

■ 『串カツと黒豚』

■ 『阿蘇山@栃木県』

■ 『焼きそばソース@バレンタイン』

■ 『鶏肉ダメなの?』

■ 『泰国酸辣醤のロマン』

■ 『豆腐がチーズに?』

■ 『猫と柚子とロマン』

■ 『トリュフと軽井沢タリアセン夫人』


(fragran11.jpg)

■ 『ロマンの香り愛のスパイス』

■ 『愛と人生のスパイス』

■ 『愛と人生の陰で』

■ 『愛のポテトチップサンド』

■ 『インドカレー@熊谷』

■ 『スープカレー@行田』

■ 『軽井沢タリアセン夫人@Bike』

■ 『かねつき堂と亀姫』

■ 『甲斐姫と軽井沢タリアセン夫人』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)

■ 『蕎麦屋と軽井沢タリアセン夫人』

■ 『おしまいでございます』

■ 『軽井沢タリアセン夫人 愛の写真』

■ 『菊ちゃんと阿部忠秋』

■ 『菊ちゃん、知恵伊豆、忠秋』

■ 『丸墓山は誰の墓?』

■ 『外国人SEXデンマン再訪』

■ 『日本最高?』

■ 『短歌に込められた愛の真実』

■ 『3月のバレンタイン』

■ 『かぎろいミステリー』

■ 『40代女性の魅惑』

■ 『私のバレンタイン』

■ 『バレンタイン@4月』

■ 『豆まき@バレンタイン』

■ 『夢のココナッツ』

■ 『日本の失敗』

■ 『しじみ@愛のロマン』

■ 『とろけるカレー@バレンタイン』

■ 『バレンタイン夫人』

■ 『昭和の表象空間』

■ 『ズロースなの?』

■ 『焼きそばサンド』

■ 『平成の表象空間』

■ 『かぎろい夫人』

■ 『人気の40代女性ヌード』



(curryind.jpg)


(byebye.gif)

0 件のコメント:

コメントを投稿