2012年10月17日水曜日

足袋御殿

 
 
 
足袋御殿
 
 








Subj:あの足袋御殿はでた?

From: sayuri@hotmail.com
To: denman@coolmail
Date: 2011年10月16日 16:22:25

こんにちは。。。
久しぶりに実家に帰って
のんびりと癒されていますか?



デンマンさんとご一緒にいただいた「田舎っぺきのこ汁うどん」はメチャ美味しかったですよ。
手打ちなのですね。
“こし”があって、なかなか噛み応えのある手打ちウドンでした。
いつか子供を連れて、また食べてみようと思います。



「行田のグルメ20」に選ばれただけのことはありますね。



「きんぴら」は栃木の「きんぴら」とは違って、とても大きく切ってあるのでビックリしました。
埼玉県では、あのように大きな「きんぴら」を食べるのですか?

水城公園ではゆっくりとお話ができて気分がすっきりとしました。
今まで気づきませんでしたけれど、
「ホテイアオイ」の花がたくさん咲いていたのには驚きました。





「ホテイアオイ」の花

ところで次の記事を読みました。
 

 
『タリアセン夫人と再会』

(2011年10月13日)


デンマンさんは私のメールをそのまま記事の中で使ってしまうのですね。
それってぇ、かなりムカつくのですよ。
名前や地名がすぐにでるんだから。。。
んもお~~。

。。。と書いても、またこのメールも記事の中で使うのでしょうね。
半ば諦めていますが、ほどほどにしてください。
私の堪忍袋がブチ切れないうちに止めてくださいね。(苦笑)





水城公園から見た「足袋御殿」は昭和の古い時代を垣間(かいま)見せているようでした。
「足袋御殿」のオリジナルの建物の写真はネット上で公開されていますか?

また水城公園でのんびりとお会いしたいですよ。
そのうち電話します。
では。。。

小百合より


 


Subj:小百合さん、おはよう!

ゆったりとした気分で

コーヒーを飲みながら

「足袋御殿」の応接室に居る

気分に浸ってね。

きゃはははは。。。






From: denman@infoseek.jp
To: sayuri@hotmail.com
Cc: barclay1720@aol.com
Date: 2011年10月18日
(火曜日)午前10時39分

アイリッシュ クリーム コーヒー ビーンズを調べてみましたか?
日本ではあまり人気がないようで
このコーヒー豆を売っている店は極めてまれです。



10日ほど前にYAHOO!で検索した時にゲットした Irish Cream Coffee Beans の画像は10月16日に画像検索した時には見つけることができませんでした。

今日調べてみたら次の画像が見つかりました。



『ハワイ島のコナ地区から生まれた

世界の名品コナコーヒー』
より

バンクーバーで売っているアイリッシュ クリーム コーヒー ビーンズと比べると約2倍の値段ですよ!

それにしても小百合さんがアイリッシュ クリーム コーヒー ビーンズにハマっているのはちょっと不思議な気がします。
やっぱりカナダの思い出と強く結びついているのだろうね。

僕にとってはとりわけ印象に残るコーヒーではないけれど、
小百合さんが選んだコーヒー豆ということだけが記憶に残っていますよ。

しいて言えば、甘いコーヒー豆の香りが強烈で、
この香りを嗅ぐと小百合さんを思い出すようにになりました。
きゃはははは。。。

僕にとってアイリッシュ クリーム コーヒー ビーンズは小百合コーヒー・ビーンズになりましたよ。

「足袋御殿」をじっくりと調べてみました。
今では御殿は懐石料亭になっています。





足袋御殿で食べる国産黒毛和牛懐石
昭和の初め、足袋の産地として栄えた行田。
その行田に”足袋御殿”と呼ばれた邸宅があります。
彩々亭はその足袋御殿を懐石料亭として生かしたもの。
洋館と日本家屋からなる和洋折衷造りは、何か懐かしさの漂う落ちついた雰囲気です。



昭和天皇がご覧になられた庭園を眺めながら、国産黒毛和牛の、そして、季節の懐石料理をお楽しみください。
きっと普段の喧騒さを忘れて料理を堪能し、往時のゆっくりした時の流れもお楽しみいただけます。



『彩々亭ご紹介』より

「足袋御殿」の建物と歴史も調べてみましたよ。



水城公園と南大通りの間にある懐石料亭「彩々亭」。
南大通りの入り口正面から。



上の写真は、水城公園の散策路からの様子です。
元々は、足袋製造業者であった新井八郎氏が大正14年に現在地(佐間)に工場を建設するとともに、昭和元年頃に写真のようにモダンな緑色の洋風瓦が特徴的なスクラッチタイル貼りの外壁を持つ2階建ての事務所兼住宅を建設し、その後西側に3階建ての離れ等を増築したと言われています。

往時には政財界で活躍した八郎氏の迎賓館的な役割を果たし、昭和天皇をはじめとする多くの名士が訪れており、「足袋御殿」と称されていました。
歴史あるこの建物は、平成19年に国の「登録有形文化財」に登録されています。



『行田市内の見所』より

調べた限りでは、あの建物は建てられたまま改築されたということが書いてない。
おそらく僕の記憶違いだとしか思えない。

しかし,僕の記憶の中にある建物は、もっと荘厳な石造りの建物で、印象的には国会議事堂のような厳(いかめ)しい感じを与えたものでした。
小学生の目にはそのように見えた。

現在建っているようなちゃちな物とは大違いでした。

それにしても小百合さんがどうして「足袋御殿」にこだわるのか?

小百合さんとの思い出を手繰(たぐ)り寄せながら考えてみて判りましたよ。



あの軽井沢タリアセンの中に建っている「睡鳩荘」に小百合さんはこだわりを見せたけれど、ちょうど同じような気持ちで「足袋御殿」に強く惹かれるのだろうね。

心の中に軽井沢タリアセン夫人としての上流志向があるのかもね?
きゃはははは。。。

では、今日もアイリッシュ クリーム コーヒー ビーンズをドリップして、ゆったりとした気分でコーヒーを飲みながら「足袋御殿」の応接室に居る気分に浸ってね。



明日も、また会えるといいね。
今度は「さきたま古墳公園」で“ゼリーフライ”でも食べましょう。
じゃあね。





私が「足袋御殿」にこだわるのは軽井沢タリアセンにある「睡鳩荘」にこだわるのと同じだとデンマンさんは考えているのですか?



その通りですよ。。。いわゆる「昭和の上流社会」を覗いてみたいという気持ちが小百合さんにはあるのではありませんか?

そうかしら。。。?

だから小百合さんは無意識のうちに「軽井沢タリアセン」に惹かれるのですよ。

軽井沢タリアセン
 
 

 
 


デンマンさんとご一緒に出かけた時には閉まっていましたわね。



 レストラン 湖水



小百合さんは、このレストランを知っていたのですか?

私は軽井沢タリアセンには子供をつれて何度か行ったことがありましたから知っていますわ。




 
 
 睡鳩荘(すいきゅうそう)


 
 


小百合さんと一緒に行った時には睡鳩荘(すいきゅうそう)を見て、それからレストラン・ソネットへ行ったのですよね。



 レストラン ソネット
(1階がレストランで2階は「深沢虹子・野の花美術館」)







そうでしたわ。 チーズケーキをいただきながらコーヒーを飲んだのでしたわね。



そうでした。 寒い日で、園内には数えるほどの人しか居なかった。 「レストラン湖水」 が閉まっていたのも納得がゆきましたよう。 確か11月の寒い日で、季節外れだったのですよね。

でも、またいつか行く機会があると思いますわ。

じゃあ、来年の秋に、小百合さんと一緒にブイヤベースを食べましょう。





ブイヤベースはないと思いますわ。 うふふふふ。。。



マジで。。。?

デンマンさんは、何かといえばブイヤベースですわね? 他に気のきいた料理の名前を覚えてないのですか?

もちろん、他にも料理の名前ぐらい覚えていますよう。。。でもねぇ、ブイヤベースの響きが、なんとなく格調高くありませんか?

そうでしょうか?



『しんみりした曲ですね』より
(2010年12月27日)



こうして読み返してみると、小百合さんには「昭和の上流社会」を覗いてみたいという気持ちがあると僕には思えるのですよ。



私自身はそのような事を考えたこともありませんけれど。。。

そういうものですよ。。。自分では分からないものです。

。。。で、デンマンさんは現在の懐石料亭「彩々亭」の建物は改築されたものだと思うのですか?

そうですよ。。。僕の記憶の中にある建物は現在建っている建物とは全く違っているのですよ。

何十年かの間にデンマンさんの記憶が変化してしまったのではありませんか?

う~ん。。。確かに、その可能性がないわけじゃないけれど、現在の建物のと僕の記憶の中の建物を比べてみると、なんだか狐に鼻をつままれた感じですよ。

でも、どうしてそれほど印象深く昔の建物がデンマンさんの思い出の中に強く残っているのですか?

あのねぇ~、それには訳がある。。。

どのような。。。?

僕は小学校5年生と6年生の時、理科クラブでプランクトンの研究をしていたのですよ。

マジで。。。?

毎朝、職員会議が行われる自習時間に水城公園へ出かけて採集ネットでプランクトンを集めた。

忍沼のプランクトンの研究





その当時の小学校の僕の担任の先生が志保田先生だった。この先生は理科クラブの部長だった。それで、僕も理科クラブに入っていた。



何を研究したのですか?

今でもあるけれど行田市の水城公園に忍沼があるのですよう。



この忍城は1988年(昭和63年)に本丸跡に再建されたものですよう。僕が小学生の頃は、この城が建っている場所はグラウンドになっていて少年野球の会場になっていた。忍沼は、昔は城を巡る外堀だったところです。そこへ毎朝、先生が職員会議をしている自習時間に、同じクラブのメンバーの二人と3人でプランクトンを取りに行ったものですよう。

それで、そのプランクトンをどうするのですか?

放課後、理科実験室で顕微鏡で覗いてプランクトンが泳いでいる様子を写生するのですよう。そうやって研究した訳ですよう。

何か賞でももらったのですか?

もらいましたよう。当時、オリンパスが理科の全国コンクールをやっていたのですよう。

オリンパスってあのカメラのオリンパスですか?

そうですよう。オリンパスは顕微鏡も作っていたのですよう。多分、その関係で理科のコンクールを開いていたのでしょうね。

それで、入選したのですか?

そうですよう。3人(山田君、松本君、それに僕)で取り組んだ「忍沼のプランクトンの研究」が優秀賞に選ばれて、カメラ3台と顕微鏡3台をもらったものですよう。

一人それぞれ1台づつもらったのですか?

カメラと顕微鏡は学校に寄付ですよう。その代わり、当時の田高校長先生から水銀の寒暖計をもらいましたよう。

それで、その事と工学部と関係があるのですか?

志保田先生の話で電子頭脳というのが面白かった。僕が小学校5年生の頃は電子計算機と言わずに電子頭脳と呼ぶ人の方が多かった。とにかく、その電子頭脳が東京の丸ビルぐらい大きい、と志保田先生が言ったのですよう。

それで、デンマンさんは電子計算機の道へ進んだ訳ですか?

そうなのですよう。



『光さす庭 (2008年6月20日)』より



これってぇ、マジですか?



もちろん真面目な話ですよ。 嘘や“でまかせ”ではありません。 当時は、今のようにきれいな公園になっていなかった。 葦(アシ)が茂る広大な沼地だった。 その沼地の向こうに石造りの「足袋御殿」が聳(そび)え立っているように見えたものですよ。 子供の目には国会議事堂のような尊厳な建物に見えたものです。

それだけのことですか?

いや、それだけじゃない! 小学校を卒業して行田中学に入学した。 それで僕は1年2組に入ったのですよ。 そのクラス50人の中に新井久代さんという名前の頭の良い可愛い女の子が居た。





この女の子が足袋御殿と関係あるのですか?



ありますよ。。。大有りですよ。 その久代さんは「足袋御殿」に住んでいたのですよ。

あらっ。。。「足袋御殿」のお嬢様だったのですか?

そうなのですよ。

デンマンさんは、小学生の時には久代さんのことを知らなかったのですか?

僕は中央小学校だった。 久代さんは南小学校だったのですよ。 だから小学生の頃、僕は彼女に一度も会ったことがない。

。。。で、中学1年生の頃に新井久代さんの住んでいる「足袋御殿」に遊びに行ったことがあるのですか?

小百合さんも、そう考えるでしょう? でもねぇ、残念ながら一度も彼女の住んでいる「足袋御殿」に遊びに行ったことがないのですよ。 今から考えると本当に残念なことをしました。 僕がクラスの委員長で彼女がクラスの副委員長というようなこともあった。 それなのに僕は純情可憐な男の子だったから久代さんの家に遊びに行きたいなんてとても言い出せなかった。

信じられませんわ。 デンマンさんならば、何が何でも押しかけてゆきそうじゃありませんか!

だから、当時の僕は気の小さい控(ひか)えめな少年だったのですよ。

信じられませんわ。

人間は年とともに変わるものなのですよ。

そうでしょうか。。。?

(初出:2011-10-18)

【卑弥子の独り言】



ですってぇ~。。。
小学生時代のデンマンさんは気の小さい控(ひか)えめな少年だったと、あなたは信じることができますか?
あたくしには想像もつきませんわ。(微笑)

確かに、時と共に、性格は多少は変わってゆくと思いますけれど、“三つ子の魂百までも”と申しますわ。
性格は極端には変わらないものでござ~♪~ます。

あなたの小学生時代を思い浮かべてくださいまし。
現在のあなた自身と性格が変わっていますか?
それほど変わってないでしょう?

ええっ。。。あたくしですか。。。?

考えて見れが、ずいぶんと性格が変わりましたわ。

どうしてかってぇ~。。。?

だってぇ、あたくしはビートルズの熱烈なファンなのでござ~♪~ますわ。
ビートルズの影響だと思うのですわ。



“キャ~ 素敵ィ~♪~”





お分かりでしょう!?
ビートルズのファンは熱烈なのですわ。
だから、性格までも変わってしまうのですわ。
うふふふふふ。。。



でも、日本も含めて世界中にビートルズの熱狂的な嵐が吹き荒れたのは、あたくしが生まれる以前のことでしたわ。
ところが何度も何度も、あたくしはビートルズの夢を見るのでござ~♪~ますう。
軽井沢の万平ホテルに行くと
ジョンレノンとあたくしがカフェテラスで会うような気が、マジでするのでござ~♪~ますう。



滞在中のジョン・レノンは朝9時半ごろ、

このカフェテラスに下りてきたのですよ。

わたしたちに「おはようございます」と

日本語であいさつしたものですわ。

いつも庭に面した一番奥の席にすわって、

他のお客様には背を向けるような格好で

腰掛けていました。

ジョン・レノンのお気に入りは

ローヤルミルクティーでしたわ。



『幸福の谷』より
(2008年4月6日)

あたくしは万平ホテルのカフェテラスでマジでジョン・レノンとローヤルミルクティーをいただいている記憶が鮮明に甦ることがあるのでござ~♪~ますゥ。
あなたは信じられないでしょう?
あたくしだって信じられないのですから。。。
おほほほほほ。。。

とにかく次回も面白くなりそうですわ。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあ、また。。。





ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

あなたは軽井沢に出かけたことがありますか?

私はデンマンさんとご一緒に

一度だけ訪れたことがあります。



この湖は“Swan Lake”という

英語名がついているのですわ。

昔、宣教師の方が軽井沢に

別荘を持っていたのですって、

その家族の人たちが名づけたらしいのですわ。

10月でしたが、紅葉が見ごろになっていました。
 
 
軽井沢・雲場池の紅葉


 
 
まだ冬景色には程遠かったのですけれど、

湖にしては小さなその池のほとりに立ったら、

どこからともなく白鳥が飛んできそうな

感じがしましたわ。



そう言えば、バンクーバーの

クイーン・エリザベス・シアターで

デンマンさんとご一緒に

バレー『白鳥の湖』を見たことがありましたわ。
 
 

 
 

 
 
あの時のチャイコフスキーの曲が

聞こえてきたものですわ。

それで、私はいつになく

感傷的になったことを覚えています。

ところで、日本に帰省してから

デンマンさんが小百合さんのことで

次のような記事を書いています。

時間があったら覗いてみてください。

『白鳥はどこに?(2011年10月8日)』

『思い出の軽井沢(2011年10月7日)』

『日本は汚染される(2011年10月4日)』

『おばんざい(2011年10月4日)』

『バーナビーと小百合さん(2011年10月3日)』

『杜の都で食べる PART 1(2011年10月2日)』

『杜の都で食べる PART 2(2011年10月2日)』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。





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