韓国からようこそ!
デンマンの祖先は百済からやって来た
僕の家は徳川時代には忍城下で“木のくりもの屋”をしていた。僕の祖父の代までこれが続いて、大正時代に作品の品評会があって、これに出品して埼玉県知事からもらった2等賞の賞状が家宝のようにして2階の床の間に飾ってありましたよう。つまり、僕の祖父は腕のいい木工職人だったのですよう。家にも祖父が作ったと言う置物がたくさんありました。僕のオヤジが行田市の博物館にすべて寄付したようです。
それで徳川以前はどうだったのでござ~♪~ますか?
後北条氏に仕えていた騎馬武者だった。つまり、『更級日記』の作者が見たと言う騎馬武者の末裔(まつえい)だったのですよう。
つうことわあぁ~。。。デンマンさんの遠い祖先は百済から逃げてきた難民だったのでござ~♪~ますわね?
難民と言うと響きは悪いけれど、唐と新羅の連合軍と戦った騎馬隊の一員だった訳ですよう。
それで、戦いに負けて百済の国が滅びてしまったので仕方なしに日本へ逃れて来たと言うことでござ~♪~ますか?
そう言う事ですよう。
。。。んで、デンマンさんのご実家には家系図が残っているのですか?
そんなモノは残っていませんよう。
。。。んで。。。、んで。。。、どうして上のような事を、さも史実のように言うことができるのでござ~♪~ますか?
僕の体の中にある DNA に僕の祖先から伝わっている遺伝子が刻み込まれているからですよう。
その。。。その遺伝子って。。。いったい、どういうモノでござ~♪~ますか?
“海外飛躍遺伝子”ですよう。うしししし。。。
つまり、デンマンさんの遠い祖先は戦い敗れて百済から“海外”である日本へ渡ってきた。それから、京都に下って行ったけれど、生活の糧を得るためには畑仕事でもして食料を得なければならない。でも、近畿地方には土地がないので開拓団に入って関東まで落ちていったのでござ~♪~ますか?
そうですよう。
でも、結局、後北条氏に仕えたけれど、秀吉の小田原征伐で後北条氏が滅びると、騎馬武者から“くりもの屋”になって忍城下でお店を開いたのでござ~♪~ますか?
その通りですよう。
。。。んで、その“くりもの屋”が大正時代まで続いて、デンマンさんの代になると、1400年近く眠っていた“海外飛躍遺伝子”が眠りから覚めて、デンマンさんは34カ国を放浪した末に、カナダに安住の地を求めて定住した、と言う訳でござ~♪~ますか?
全く、その通りですよう。。。うしししし。。。どうですか?。。。これが、僕のつむぎだした壮大な叙事詩ですよう。
。。。んで、小百合さんの祖先も百済からやって来て武蔵国に定住したのでござ~♪~ますか?
そうですよう。おそらく、百済から当時の平城京(現在の奈良市)に行ったけれど、土地があまりなさそうなので開拓団に加わって一緒に武蔵国まで行ったのですよう。
どうして、そのような事が分かるのでござ~♪~ますか?
小百合さんの実家は館林にあるのですよう。僕の実家から車で20分から30分ですよう。目と鼻の先ですよう。
そのような近くに住んでいたのにデンマンさんは日本で小百合さんにお会いした事は無かったのでござ~♪~ますか?
不思議な事に小百合さんと僕が初めて出会ったのはカナダのバーナビー市で小百合さんが13年間借りていた“山の家”だったのですよう。
バーナビー市というのはバンクーバー市の東隣にある町です。上の地図の赤い正方形で示した部分を拡大すると次のようになります。
この地図の Deer Lake (鹿の湖)の畔(ほとり)に小百合さんが借りていた“山の家”があるのですよう。
この家でデンマンさんは10数年前に小百合さんと初めてお会いになったのでござ~♪~ますか?
そうですよう。次のように小百合さんの“山の家”の応接間で会ったのですよう。
これって、またデンマンさんがコラージュしてでっち上げたのでござ~♪~ますわね?
確かに、上の写真は僕がでっち上げたのだけれど、現実でもねぇ、僕は、こうやって小百合さんと会ったのですよう。
でも、どうして小百合さんの祖先とデンマンさんの祖先が一緒に百済からやって来たと分かるのですか?
小百合さんの DNA にも“海外飛躍遺伝子”が焼きついているのですよう。僕と同じようにして、その DNAの飛躍遺伝子が1400年の眠りから覚めて、小百合さんは佐野からカナダのバーナビーに渡ったわけですよう。そして僕と“山の家”で出会ったのですよう。
ただ、それだけの事でござ~♪~ますでしょう?
ただ、それだけじゃないですよう。ちょっとジューンさんの言ったことを思い出してくださいよう。
こんにちは。ジューンです。
袖触れ合うも他生の縁
(そでふれあうもたしょうのえん)
聞いたことがあるでしょう?
なかなか味わいのある諺ですよね。
袖が触れ合うようなちょっとしたことも、
前世からの深い因縁によって
起こるものである、と言う事です。
わたしは、初め、“袖触れ合うも多少の縁”
だと思ったのですわ。うふふふふ。。。
つまり、袖が触れ合ったのは、
全く偶然ではなくて、少しは
そうなる運命にあったのよう。。。
私は、そのように思い込んでいたのです。
でも、「多少」じゃなく「他生」だと。。。
「他生」というのは「前世」の事だと、
デンマンさんに教わったのですわ。
調べてみたら、「他生」とは
「前世」と「来世」の事を言うのですって。
上の諺では、文脈から
「前世」となる訳ですよね。
この世の事は「今生(こんじょう)」と言うのです。
そう言えば「今生の別れ」と言う語句を
何度か耳にしたことがありました。
仏教の輪廻(りんね)と
関係のある諺なのでしょうね。
わたしは英語には、この諺は
無いと思っていたのですけれど、
調べてみたら、次のようなものがありましたわ。
A chance acquaintance
is a divine ordinance.
Even a chance meeting is
due to the karma in previous life.
つまり、「偶然の出会いは神の定め」
と言う事なのです。
多分、日本の諺を英訳したのでしょうね。
カナダでは耳にしたことがありませんわ。
『出会い系の悪魔』より
(2008年9月10日)
僕と小百合さんの出会いは、偶然の出会いのように見えて偶然ではないのですよう。つまり、小百合さんと僕に共通するモノが実にたくさんあるのですよう。
“海外飛躍遺伝子”でござ~♪~ますか?
それも一つですよう。まず、車で30分も走れば会える距離に住んでいたのに、僕と小百合さんが初めて出会ったのは、何千キロも離れたバーナビーだった。僕の祖先と小百合さんの祖先が1400年程前に百済から日本に一緒に渡ってきた事が分かるような気がしますよう。小百合さんの祖先の娘は、やがて武蔵国から現在の栃木県の栗山村へ嫁にゆき、上の昔話を伝える事になったのですよう。どうですか?
確かに、そのような可能性があったかもしれませんわ。だってぇ~、デンマンさんの祖先の中には、きっとお話に出てくるような「ばか息子」が居たでしょうからねぇ~。。。うしししし。。。
一人ぐらい変わり者が居たかもしれませんよう。。。とにかく、このように見てゆくと、すべての話がここで丸く収まるのですよう。卑弥子さんも、そう思いませんか?
『歴史を散歩させる食べ物』より
(2009年5月1日)
僕の家は徳川時代には忍城下で“木のくりもの屋”をしていた。僕の祖父の代までこれが続いて、大正時代に作品の品評会があって、これに出品して埼玉県知事からもらった2等賞の賞状が家宝のようにして2階の床の間に飾ってありましたよう。つまり、僕の祖父は腕のいい木工職人だったのですよう。家にも祖父が作ったと言う置物がたくさんありました。僕のオヤジが行田市の博物館にすべて寄付したようです。
それで徳川以前はどうだったのでござ~♪~ますか?
後北条氏に仕えていた騎馬武者だった。つまり、『更級日記』の作者が見たと言う騎馬武者の末裔(まつえい)だったのですよう。
つうことわあぁ~。。。デンマンさんの遠い祖先は百済から逃げてきた難民だったのでござ~♪~ますわね?
難民と言うと響きは悪いけれど、唐と新羅の連合軍と戦った騎馬隊の一員だった訳ですよう。
それで、戦いに負けて百済の国が滅びてしまったので仕方なしに日本へ逃れて来たと言うことでござ~♪~ますか?
そう言う事ですよう。
。。。んで、デンマンさんのご実家には家系図が残っているのですか?
そんなモノは残っていませんよう。
。。。んで。。。、んで。。。、どうして上のような事を、さも史実のように言うことができるのでござ~♪~ますか?
僕の体の中にある DNA に僕の祖先から伝わっている遺伝子が刻み込まれているからですよう。
その。。。その遺伝子って。。。いったい、どういうモノでござ~♪~ますか?
“海外飛躍遺伝子”ですよう。うしししし。。。
つまり、デンマンさんの遠い祖先は戦い敗れて百済から“海外”である日本へ渡ってきた。それから、京都に下って行ったけれど、生活の糧を得るためには畑仕事でもして食料を得なければならない。でも、近畿地方には土地がないので開拓団に入って関東まで落ちていったのでござ~♪~ますか?
そうですよう。
でも、結局、後北条氏に仕えたけれど、秀吉の小田原征伐で後北条氏が滅びると、騎馬武者から“くりもの屋”になって忍城下でお店を開いたのでござ~♪~ますか?
その通りですよう。
。。。んで、その“くりもの屋”が大正時代まで続いて、デンマンさんの代になると、1400年近く眠っていた“海外飛躍遺伝子”が眠りから覚めて、デンマンさんは34カ国を放浪した末に、カナダに安住の地を求めて定住した、と言う訳でござ~♪~ますか?
全く、その通りですよう。。。うしししし。。。どうですか?。。。これが、僕のつむぎだした壮大な叙事詩ですよう。
。。。んで、小百合さんの祖先も百済からやって来て武蔵国に定住したのでござ~♪~ますか?
そうですよう。おそらく、百済から当時の平城京(現在の奈良市)に行ったけれど、土地があまりなさそうなので開拓団に加わって一緒に武蔵国まで行ったのですよう。
どうして、そのような事が分かるのでござ~♪~ますか?
小百合さんの実家は館林にあるのですよう。僕の実家から車で20分から30分ですよう。目と鼻の先ですよう。
そのような近くに住んでいたのにデンマンさんは日本で小百合さんにお会いした事は無かったのでござ~♪~ますか?
不思議な事に小百合さんと僕が初めて出会ったのはカナダのバーナビー市で小百合さんが13年間借りていた“山の家”だったのですよう。
バーナビー市というのはバンクーバー市の東隣にある町です。上の地図の赤い正方形で示した部分を拡大すると次のようになります。
この地図の Deer Lake (鹿の湖)の畔(ほとり)に小百合さんが借りていた“山の家”があるのですよう。
この家でデンマンさんは10数年前に小百合さんと初めてお会いになったのでござ~♪~ますか?
そうですよう。次のように小百合さんの“山の家”の応接間で会ったのですよう。
これって、またデンマンさんがコラージュしてでっち上げたのでござ~♪~ますわね?
確かに、上の写真は僕がでっち上げたのだけれど、現実でもねぇ、僕は、こうやって小百合さんと会ったのですよう。
でも、どうして小百合さんの祖先とデンマンさんの祖先が一緒に百済からやって来たと分かるのですか?
小百合さんの DNA にも“海外飛躍遺伝子”が焼きついているのですよう。僕と同じようにして、その DNAの飛躍遺伝子が1400年の眠りから覚めて、小百合さんは佐野からカナダのバーナビーに渡ったわけですよう。そして僕と“山の家”で出会ったのですよう。
ただ、それだけの事でござ~♪~ますでしょう?
ただ、それだけじゃないですよう。ちょっとジューンさんの言ったことを思い出してくださいよう。
こんにちは。ジューンです。
袖触れ合うも他生の縁
(そでふれあうもたしょうのえん)
聞いたことがあるでしょう?
なかなか味わいのある諺ですよね。
袖が触れ合うようなちょっとしたことも、
前世からの深い因縁によって
起こるものである、と言う事です。
わたしは、初め、“袖触れ合うも多少の縁”
だと思ったのですわ。うふふふふ。。。
つまり、袖が触れ合ったのは、
全く偶然ではなくて、少しは
そうなる運命にあったのよう。。。
私は、そのように思い込んでいたのです。
でも、「多少」じゃなく「他生」だと。。。
「他生」というのは「前世」の事だと、
デンマンさんに教わったのですわ。
調べてみたら、「他生」とは
「前世」と「来世」の事を言うのですって。
上の諺では、文脈から
「前世」となる訳ですよね。
この世の事は「今生(こんじょう)」と言うのです。
そう言えば「今生の別れ」と言う語句を
何度か耳にしたことがありました。
仏教の輪廻(りんね)と
関係のある諺なのでしょうね。
わたしは英語には、この諺は
無いと思っていたのですけれど、
調べてみたら、次のようなものがありましたわ。
A chance acquaintance
is a divine ordinance.
Even a chance meeting is
due to the karma in previous life.
つまり、「偶然の出会いは神の定め」
と言う事なのです。
多分、日本の諺を英訳したのでしょうね。
カナダでは耳にしたことがありませんわ。
『出会い系の悪魔』より
(2008年9月10日)
僕と小百合さんの出会いは、偶然の出会いのように見えて偶然ではないのですよう。つまり、小百合さんと僕に共通するモノが実にたくさんあるのですよう。
“海外飛躍遺伝子”でござ~♪~ますか?
それも一つですよう。まず、車で30分も走れば会える距離に住んでいたのに、僕と小百合さんが初めて出会ったのは、何千キロも離れたバーナビーだった。僕の祖先と小百合さんの祖先が1400年程前に百済から日本に一緒に渡ってきた事が分かるような気がしますよう。小百合さんの祖先の娘は、やがて武蔵国から現在の栃木県の栗山村へ嫁にゆき、上の昔話を伝える事になったのですよう。どうですか?
確かに、そのような可能性があったかもしれませんわ。だってぇ~、デンマンさんの祖先の中には、きっとお話に出てくるような「ばか息子」が居たでしょうからねぇ~。。。うしししし。。。
一人ぐらい変わり者が居たかもしれませんよう。。。とにかく、このように見てゆくと、すべての話がここで丸く収まるのですよう。卑弥子さんも、そう思いませんか?
『歴史を散歩させる食べ物』より
(2009年5月1日)
小百合さん、どうですか?。。。なかなか味わい深い話でしょう?
でも、海外飛躍遺伝子なんて誰も信じませんわ。
確かに遺伝学的には、まだ「海外飛躍遺伝子」は発見されていません。でもねぇ、僕は時間の問題だと思いますよう。いずれ「海外飛躍遺伝子」は発見されるはずですよう。
。。。で、上の長いお話と今日のタイトルは関係あるのですか?
もちろんですよう。上の話を持ち出さないと、これから話すことに説得力がないのですよう。
つまり、韓国の人がデンマンさんのブログを読みにやって来たのですか?
そうなのですよう。まず、昨日のライブドアのページを見てください。
あらっ。。。バレンシアの人が出てきましたわね。
そうなのですよう。毎日のようにやって来て熱心に記事を読んでくれるので僕はマジで幸せな気分になっているのですよう。うししししし。。。
でも、韓国の国旗が上のリストには見えませんわね。
そうです。上のリストには出てない。Real-time view をクリックしてリアルタイムの表示を見たら出ていたのですよう。その時のリストをソフトカメラで撮ったので見てください。
あらっ。。。ホントに韓国の国旗がありますわ。でも、韓国に駐在している日本人の商社マンか?その奥様かもしれませんわ。
いや、日本人ではありません。
どうして、日本人ではないと断定できるのですか?
なぜなら、日本語を韓国語に翻訳して読んでいるからですよう。
翻訳していることがどうしてデンマンさんには分かるのですか?
もう一度リストを見てください。
あらっ。。。infoseek のトランスレーター(translation)を使っているのですわね。
その通りですよう。
でも、日本語がよく読めないのに、デンマンさんのブログをどうやって探したのですか?
上の表示をよく見てください。書いてありますよう。shiori_smile さんの happy feeling♪ のページからやって来たのですよう。
shiori_smile さんがデンマンさんのページを紹介しているのですか?
実は、初め、僕もそう思ったのですよう。それで shiori_smile さんのブログへ飛んでいったのですよう。
。。。で、デンマンさんのページを紹介している記事が見つかったのですか?
いや。。。残念ながら僕のページを紹介している記事はなかった。でもねぇ、shiori_smile さんのブログにも僕のブログと同じように FEEDJIT が貼り付けてあるのですよう。
この上の画面はデンマンさんが shiori_smile さんのブログのページを開いた時に撮ったものですか?
そうです。
つまり、FEEDJIT のリストに表示されたデンマンさんのアバターについているリンクをクリックしてやって来たのですか?
僕も初め、そう思ったのですよう。でもねぇ、韓国の人が僕のブログにやって来た時間に、僕のアバターはリストの中には無かったのですよう。
では、いったい、どのようにしてデンマンさんのブログを見つけたのですか?
あのねぇ、答えは意外に簡単でしたよう。。。上のリストにも書いてある通り、韓国の人は shiori_smile さんの happy feeling♪ のページからやって来たのですよう。つまり、happy feeling で検索して shiori_smile さんのブログを見つけたのではないか?
つまり、同じ検索結果にデンマンさんのブログも表示されるのですか?
そうなのですよ。実際に検索してみました。その結果を見てください。
上の結果に表れたページは、韓国の人が検索した時にも表示されたはずですよう。
でも、いったいデンマンさんのブログのどのページを読んだのですか?
だから、『デンマンの祖先は百済からやって来た』という上の話を読んだのですよう。
でも、2009年5月1日の記事を読むでしょうか?
あのねぇ~、次のアメーバ・ブログの統計を見てください。
7月23日には 2005年に書いた記事が4ページも読まれたのですよう。2005年の記事に比べたら2009年の5月に書いた記事は、ごく最近の記事ですよう。うへへへへへ。。。
でも、どうして『デンマンの祖先は百済からやって来た』という、夢のような話を読んだのですか?
やだなあああァ~。。。僕が妄想を書いたように言わないでくださいよう。。。韓国の人は僕の上の話を読んでジューンさんの言った言葉をしみじみと噛み締めたはずですよう。
ジューンさんが言った言葉ですか?
そうですよう。次の言葉ですよう。
袖触れ合うも他生の縁
つまりねぇ、僕の祖先と、小百合さんの祖先と、その韓国人の祖先の人が1400年前に、一つの釜をかこんで一緒にご飯を食べたかもしれないと言う事をしみじみと考えたのですよう。うししししし。。。
初出: 2010年8月4日 (水曜日)
【卑弥子の独り言】
ですってぇ~。。。
かなり飛躍がありますわよね。
あなただってぇ、そう思うでしょう?
いつものように、デンマンさんのこじつけでござ~♪~ますわよう。
それにしても、よく考えますわ。
うふふふふふ。。。
とにかく、あさっては、もっと興味深い話題が続きますわ。
だから、あなたも明後日、読みに戻ってきてくださいましねぇ。
では。。。
ですってぇ~。。。
かなり飛躍がありますわよね。
あなただってぇ、そう思うでしょう?
いつものように、デンマンさんのこじつけでござ~♪~ますわよう。
それにしても、よく考えますわ。
うふふふふふ。。。
とにかく、あさっては、もっと興味深い話題が続きますわ。
だから、あなたも明後日、読みに戻ってきてくださいましねぇ。
では。。。
メチャ面白い、
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■『ぶんぶく茶釜(2009年11月21日)』
こんにちは。ジューンです。
外国語を学ぶのは本当に難しいですよね。
特に日本語は難しいと思います。
なぜならば読み方が一つとは
限らないからです。
また、同じ物を言い表す場合でも
一つの漢字とは限らないからです。
たとえば、「ふとん」には
2つの漢字の書き方がありますよね。
私は知りませんでした。
「布団」は知っていましたが、
「蒲団」は知りませんでした。
だから、わたしは「蒲団」を“うらだん”と読んだのです。
デンマンさんに笑われてしまいました。
うふふふふふ。。。
「布団」の「布」は当て字なんだそうです。
そう言われてみると、
田山花袋の「蒲団」は
必ず「蒲団」と書いてあります。
「布団」とは書いてありません。
それにしても「団子」の「団」は“だん”と読むのに、
「布団」の「団」は“とん”と読むのですよね。
どうして。。。?
デンマンさんに尋ねたら、
“だん”は呉音で
“とん”は唐音ですって。。。
日本語って難しいですよね。
ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。
時間があったらぜひ読んでみてくださいね。
■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
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