蝦夷って悪い意味?

(蘇我入鹿の暗殺の場面)
平和を愛したアイヌ人

原日本人であるアイヌ人が好戦的でなかった。
これが和の精神として、理想主義の聖徳太子に引き継がれ、やがて、この波乱の時期を経て、平安時代へと持ち込まれてゆくわけです。
しかし、いわゆる平安時代になって、蘇我入鹿の暗殺に見るような血なまぐさい事件は少なくなるわけですが、それ以前のこの百年間という時期は、どう見ても、「日本的」ではありません。
どちらかといえば、大陸的、もっと正確に言うならば、中国的なのです。
しかし、よく考えてみれば、当然なことです。
この一連の事件のシナリオ・ライターは誰かといえば、中臣鎌足です。

中央が中臣鎌足 (藤原鎌足)
向かって右が長男の定慧、左が次男の藤原不比等
彼の生まれが、百済でないとしても、大陸の文化や六韜の強い影響を受けて、考え方や、やり方がすっかり大陸的になっているわけです。
従って、この一連の事件が、日本国内でなく、唐の長安のあたりで起こったとすると、ああそうか、というように自然と納得できます。
しかし、長安からは程遠い、見る人を威圧するような、町を取り囲む城壁もない、まだ草深い、今の感覚からすれば、片田舎で、このような血なまぐさい事件が起きている。
これは、異常としか思えません。
この百年の時期に起きた事件を見ると、戦争でもないのに、天皇は殺されるは、皇子は暗殺されるは、とにかく血のにおいと死臭がプンプンとただよっているわけです。
もう一つ見逃しにすることができないのは、この事件に登場する人物のことです。
皇極天皇も含めて、この事件に出てくる、すべての人物は、何代かさかのぼると、みな大陸や、朝鮮半島からやってきた人々とつながりを持っています。

ということは、感覚的に言って、この人たちは、原日本人的な考え方にどっぷりと、つかっていたというよりは、彼らの考え方や生活観が、どちらかといえば、渡来人的であったわけです。
したがって、蘇我入鹿の暗殺に見るような血なまぐさい事件は、彼らの耳目には、それほどめずらしいことではありません。
大陸や、朝鮮半島での、戦乱や悲惨な状況、あるいは難民となって逃げてきたその惨めな逃避行のことなど、渡来人の親戚や知人から話を聞いて知っています。
したがって、そのような血なまぐさい事件を、あまり抵抗なく実行してしまうような素地が出来上がっていたということが言えます。
この当時、原日本人と呼ばれるアイヌ人は、現在の福島県のあたりまで追いやられていました。
したがって、都にいる人々は、言葉の響きはよくありませんが、アイヌ人と渡来人の混血児の子孫です。
しかも半分以上は渡来人の血です。
したがって、現在日本に住んでいるほとんどの日本人も、多かれ、少なかれ、このような人たちの血を受け継いでいます。もちろん私もそのうちの一人です。
すでに書いたように、95パーセント以上が渡来人の血でしょう。
現在アイヌ人だと本人も、また日本政府も認めている人たちの数は、1986年に行われた政府の調査で約25,000人ということになっています。
ほとんどのアイヌ人たちは北海道の阿寒湖のあたりに住んでいるそうです。
しかし、Cultural Survivalという国際的な組織の推定では、200,000という数字を挙げています。
この程度の数字の違いが出てきても仕方がないでしょう。
アイヌ人とは何か?
日本人とは何か?という定義は非常にむずかしいからです。
現在、その25,000人の中に数えられている人たちでも、特に、子供たちの多くは、もうアイヌ語が話せないそうです。
この子供たちを写真で見る限り、日本人とまったく区別がつきません。
したがって、親から言われなければ、本人たちもアイヌ人だという自覚がないわけです。
そういうわけで、アイヌ人であっても、日本人だと信じている人たちが、たくさん居ます。
なぜかというと、アイヌ人だと言うと、差別されるので、親が黙っているそうです。
しかしこの差別の問題は、何も、つい最近になってから始まったというわけではありません。
すでにもう、聖徳太子の頃から差別がありました。
なぜ、そういうことが言えるのか?と疑問に思われるかもしれません。
しかし、今まで書いてきたことの中にちゃんと証拠があります。
それは、入鹿の父親の名前に現れています。
そうです。蝦夷という名前です。
蝦夷というのは、簡単に言ってしまえば、アイヌ人のことです。
でも、蘇我蝦夷はアイヌ人ではありません。
蘇我氏というのは、高句麗から渡来した氏族です。
そのことは、このページ(蘇我氏は高句麗からやってきた)で説明しています。
それなのにどうして、蘇我馬子は、自分の息子に、蝦夷という名前をつけたのでしょう?
そもそも、蝦夷とは何?

蝦夷とは、大和朝廷の勢力圏の外にある東日本・北日本の異文化の人達に対する、支配者たちの呼び方でした。
日本書紀に、斎明天皇五年(659)、「道奥(陸奥)蝦夷男女二人を天子に示す」とあって、唐に夷人を献上した、と解釈する学者も居ます。
このエミシについて三種があり、遠いのが「都加留(つがる)」、次が「アラ蝦夷(あらえびす)」、もっとも近いのが「熟蝦夷(にぎえびす)」と言われていました。
日本の律令国家の形成期にあたり、東北南部までが古代国家の版図に編入され、北東北の人々を区別して「蝦夷」と書き表すようになったようです。
以後、エミシは「王化に従わない、荒ぶれる民」「礼儀を知らない野蛮人」であり、天皇の威徳をもって、臣隷せしむべき対象となったわけです。
「礼儀を知らない野蛮人」という言い方を見ても分かるとおり、決して尊敬するような呼び方ではありません。
蔑称であり、現在なら、さしずめ、差別用語と呼ぶのにふさわしい言葉です。
日本書紀には更に、こうも書かれています。
- 東の国の人々は性質が凶暴で乱暴ばかりしている。
- 国を治める人がいないので、領地争いばかりしている。
- 山には悪い神、野には悪い鬼が住んで、道を通る人に悪いことをしたり、苦しめたりしている。
- 中でも最も強いのが蝦夷(えみし)である。蝦夷は男と女が雑居して暮し、親子の礼儀を知らない。
- 冬は穴に住み、夏は木の上で暮らしている。
- 獣の皮を着て動物の血を好み、兄弟は中が悪くて争ってばかりいる。
- 山を登るときは鳥のように速く、獣のように野原を駈けまわっている。
- 人から恩を受けてもすぐに忘れるが、人に恨みを持つと必ず仕返しをする。
- 自分の身を守ったり、仕返しをするためいつも頭の髪に矢を差し、刀を隠し持っている。
- 仲間を集めては、朝廷の国境に侵入して農家の仕事を邪魔し、人を襲っては物を奪ったりして人々を苦しめている。
- 征伐するため兵士を差し向けると、草に隠れたり、山に逃げたりして、なかなか討つことができない。
どうして、蘇我馬子は、
自分の息子に、
蝦夷という名前をつけたの?



それで蝦夷の名前の方は
どうなりました?

『平和を愛したアイヌ人』より (2003年7月17日)


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蝦夷なんて名前を親がつけるわけないという思いがかいけつされました。
もっと早くここを見ればよかった。
今度本を買ってよく読みます。
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ところで、アイヌとはアイヌ語で「人間」を意味する言葉です。
もともとは自然界の全てのものに心があるという精神に基づいて自然を指す呼称の「カムイ」に対する概念としての「人間」という意味であったとされています。
7世紀以前、日本列島に居住した民族は、中国から倭人と呼ばれましたが、これは当時の日本人が自らを「我(ワ)」と呼んだためとする説があります。
アイヌの社会では、アイヌという言葉は本当に行いの良い人にだけ使われました。
丈夫な体を持ちながらも働かず、生活に困るような人物は、アイヌと言わずにウェンペ(悪いやつ)と言ったそうです。
これが異民族に対する「自民族の呼称」として意識的に使われだしたのは、和人(シサム・シャモ)とアイヌとの交易量が増えてきた17世紀末から18世紀初めにかけてだとされています。
理由はアイヌが、「蝦夷(えぞ/えみし)」と呼ばれるのを嫌い、「アイノ」と呼ぶように求めたとされています。
当時の内地人の耳には「アイヌ」と聞こえたようです。
なぜかというと、アイヌ語の母音「u」の発音は日本語のウとイコールではなくオにも聞こえる音であるためです。
「アイヌ」という呼称そのものが普遍化したのは明治以降になってからのことです。
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