核の外野になった
おほほほほほ。。。
卑弥子でご
ざ~♪~ますわよゥ。
また出てきて
しまいましたわぁ~
どうしてもあなたに
お会いしたかった
のですわ。
ええっ?あなたは
あたくしに
会いたくないの?
そんな、つれない事を
言わないで
くださいましよ。
ねっ?
仲良くしましょうね。
ええっ?
下らない事を言ってないで
「核の外野になった」って
どういうことなのか早く話せ!
あなたは、そのように
きつい事を言うのでござ~♪~ますか?
分かりましたわよ。
考えてみたら、今日はそのことについてお話しようと思って
出てきたのでござ~♪~ますわ。
うふふふふ。。。
あたくしもデンマンさんに言われてパソコンっつうモンを使い始めて、
こうしてネットをやっているのでござ~♪~ますわよう。
国際化しなさい、グローバル化しなさいって言われているのでござ~♪~ますわぁ。
だから、あたくしも国際化して、せいぜいキーボードを叩いて、
情報を世界のネット市民の皆様に向けて発信しているのでござ~♪~ますわよう。
ええっ?どんな情報を発信しているのかって。。。?
おほほほほ。。。
これから、その面白い情報をここに書くのですわよ。
まず、可笑しなタイトルから書きますわね。
実はね、あたくしがパソコンっつうモンを使っていて出くわした
面白い間違いをここに書こうと思い立ったのでござ~♪~ますわよゥ。
うふふふふ。。。
あたくしは、たまには中国の古典のことでも書こうと思ったのでござ~♪~ますわ。
それで、次のように書いたのでござ~♪~ます。
イメージがあまりにもかけ離れてしまって、
もう核の外野になった
これでは全く意味が分からないでしょう?
実は『漱石と虞美人草』という記事を読み返していたのでござ~♪~ますわ。
あなたも読めばお分かりになると思います。
ちょっと読んでみてくださいまし。。。
漱石と虞美人草
ここで悲しい愛の物語が始まるのでござ~♪~ますわよ。
項羽は愛妾の虞美人と信頼する部下と共に最後の宴を開いたのです。
そして、有名なあの「垓下の歌」を詠(うた)ったのでござ~♪~ますわ。
この虞美人さんはきれいな人だったのでしょうね。
項羽はもうこれまでだと思ったわけですけれど、虞美人には生きて欲しいと思ったわけなのでござ~♪~ますわよ。
この虞美人は虞姫(ぐき)とも呼ばれます。
虞は姓である(漢書)とも名(史記)であるとも言われていますわ。
「美人」も後宮での役職名であるとも、その容姿を表現したものであるとも言われているのです。
いわゆる側室か二号さんなのですが、小説やテレビドラマでは項羽の妻として描かれている事が多いようです。
でも、これほど有名な虞美人も項羽との馴れ初(そ)めについては、史記にも漢書にも一切記載されていないのでござ~♪~ますわ。
ただ垓下の戦いで、劉邦率いる漢軍に敗れた傷心の項羽の傍には、いつも虞美人がおり項羽は片時も彼女を放すことがなかったと紹介されています。
項羽が上の歌を詠ったあとで垓下から脱出するのですが、小説では項羽の足手まといにならぬようにと虞美人は自殺しています。
しかし、『史記』や『漢書』では、その後の虞美人については一切書いてないのでござ~♪~ます。
虞美人の自殺が語られるようになったのは、女性の貞節が口うるさく言われるようになった北宋時代からだと言われていますわ。
とにかく、自殺した虞美人の伝説は、ヒナゲシに虞美人草という異名がつく由来となったのでした。
どうですか?ケシの花ですわよねぇ~。
何とはなしに生々しい美しさですよねぇ~。
虞美人が自殺してその血を吸いながら、その場に咲いたのが虞美人草だそうですわ。
悲劇、悲恋を吸い取ったような妖艶で鮮(あざ)やかなヒナゲシの別名ですわ。
ところで夏目漱石の作品に『虞美人草』があります。
この作品を漱石自身は最も嫌悪していたそうでござ~♪~ますわ。
なぜ?
衆知のようにこの作品は漱石が大学教師を辞めて朝日新聞社の専属作家になった時の第一作で、極めて通俗性の濃い作品でした。
つまり、通俗性が強かったために嫌ったようですわ。この作品は勧善懲悪の小説です。
善玉は思索の人である甲野。悪玉は甲野の異腹の妹・藤尾です。
この藤尾が漱石の頭の中で“虞美人”あるいは“虞美人草の花”のイメージになっていたのでしょうか?
藤尾は魔性を兼ね備え、男を誘惑する女として登場します。
『虞美人草』は漱石の作品中、唯一の失敗作と見なされることの多い作品です。
なぜ?
その根拠としてかならず上げられるのが、作品の執筆を開始してから1ヶ月半ほどが過ぎた明治40年7月16日付で高浜虚子に書いた手紙でござ~♪~ますわ。
漱石がなぜこれほど嫌になってしまったのでしょうか?
あたくしは思うのでござ~♪~ますわよ。
歴史の中の虞美人のイメージと小説に出てくる“虞美人・藤尾”の通俗的なイメージがあまりにもかけ離れてしまって、もう書くのが嫌になったのでは。。。?
これは漱石にとって確かに失敗作だったようです。
なぜならば、漱石が新聞小説三作目に「三四郎」を書いています。
『虞美人草』で取り上げたテーマをもう一度扱っています。
失敗から学び、その原因を突き詰め、スタート地点に戻ってやり直すというのが漱石の生涯を貫く流儀でござ~♪~ましたわ。
漱石は『虞美人草』の通俗性をすっかり洗い落とし、装飾過多の文章を簡素化し、改めて『虞美人草』と同じテーマに挑んで「三四郎」を書いたのでした。
『漱石と虞美人草 (2007年5月18日)』より
ここで悲しい愛の物語が始まるのでござ~♪~ますわよ。
項羽は愛妾の虞美人と信頼する部下と共に最後の宴を開いたのです。
そして、有名なあの「垓下の歌」を詠(うた)ったのでござ~♪~ますわ。
力は山を抜き、気は世を覆う。
時、利有らずして、騅行かず。
騅行かざるを如何せん。
虞や虞や汝を如何せん。
時、利有らずして、騅行かず。
騅行かざるを如何せん。
虞や虞や汝を如何せん。
この虞美人さんはきれいな人だったのでしょうね。
項羽はもうこれまでだと思ったわけですけれど、虞美人には生きて欲しいと思ったわけなのでござ~♪~ますわよ。
この虞美人は虞姫(ぐき)とも呼ばれます。
虞は姓である(漢書)とも名(史記)であるとも言われていますわ。
「美人」も後宮での役職名であるとも、その容姿を表現したものであるとも言われているのです。
いわゆる側室か二号さんなのですが、小説やテレビドラマでは項羽の妻として描かれている事が多いようです。
でも、これほど有名な虞美人も項羽との馴れ初(そ)めについては、史記にも漢書にも一切記載されていないのでござ~♪~ますわ。
ただ垓下の戦いで、劉邦率いる漢軍に敗れた傷心の項羽の傍には、いつも虞美人がおり項羽は片時も彼女を放すことがなかったと紹介されています。
項羽が上の歌を詠ったあとで垓下から脱出するのですが、小説では項羽の足手まといにならぬようにと虞美人は自殺しています。
しかし、『史記』や『漢書』では、その後の虞美人については一切書いてないのでござ~♪~ます。
虞美人の自殺が語られるようになったのは、女性の貞節が口うるさく言われるようになった北宋時代からだと言われていますわ。
とにかく、自殺した虞美人の伝説は、ヒナゲシに虞美人草という異名がつく由来となったのでした。
どうですか?ケシの花ですわよねぇ~。
何とはなしに生々しい美しさですよねぇ~。
虞美人が自殺してその血を吸いながら、その場に咲いたのが虞美人草だそうですわ。
悲劇、悲恋を吸い取ったような妖艶で鮮(あざ)やかなヒナゲシの別名ですわ。
ところで夏目漱石の作品に『虞美人草』があります。
この作品を漱石自身は最も嫌悪していたそうでござ~♪~ますわ。
なぜ?
衆知のようにこの作品は漱石が大学教師を辞めて朝日新聞社の専属作家になった時の第一作で、極めて通俗性の濃い作品でした。
つまり、通俗性が強かったために嫌ったようですわ。この作品は勧善懲悪の小説です。
善玉は思索の人である甲野。悪玉は甲野の異腹の妹・藤尾です。
この藤尾が漱石の頭の中で“虞美人”あるいは“虞美人草の花”のイメージになっていたのでしょうか?
藤尾は魔性を兼ね備え、男を誘惑する女として登場します。
『虞美人草』は漱石の作品中、唯一の失敗作と見なされることの多い作品です。
なぜ?
その根拠としてかならず上げられるのが、作品の執筆を開始してから1ヶ月半ほどが過ぎた明治40年7月16日付で高浜虚子に書いた手紙でござ~♪~ますわ。
「虞美人草はいやになつた。
早く女を殺して仕舞いたい。
熱くてうるさくつて馬鹿気てゐる。
是インスピレーションの言なり」
(書簡番号771)
早く女を殺して仕舞いたい。
熱くてうるさくつて馬鹿気てゐる。
是インスピレーションの言なり」
(書簡番号771)
漱石がなぜこれほど嫌になってしまったのでしょうか?
あたくしは思うのでござ~♪~ますわよ。
歴史の中の虞美人のイメージと小説に出てくる“虞美人・藤尾”の通俗的なイメージがあまりにもかけ離れてしまって、もう書くのが嫌になったのでは。。。?
これは漱石にとって確かに失敗作だったようです。
なぜならば、漱石が新聞小説三作目に「三四郎」を書いています。
『虞美人草』で取り上げたテーマをもう一度扱っています。
失敗から学び、その原因を突き詰め、スタート地点に戻ってやり直すというのが漱石の生涯を貫く流儀でござ~♪~ましたわ。
漱石は『虞美人草』の通俗性をすっかり洗い落とし、装飾過多の文章を簡素化し、改めて『虞美人草』と同じテーマに挑んで「三四郎」を書いたのでした。
『漱石と虞美人草 (2007年5月18日)』より
イメージがあまりにもかけ離れてしまって、
もう書くのが嫌になった
あなたも読みながらお分かりになりましたか?
上の引用の中で赤字にした部分ですわよう。
どう?面白いでしょう?
ええっ?ちっとも面白くないの?
分かりましたわ。
じゃあね、下のリンクから興味がありそうなものをクルックして読んでくださいましね。
ィ~ハァ~♪~!
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卑弥子さんが買い物に行くので
わたしが代わりに登場いたしました。
ネットには愚かな人がたくさん居ますわよね。
パンツにコカイン君は、相変わらず
下らないコメントを書いていますわ。
FC2のてんね君はデンマンさんのことを
告げ口する事に生きがいを感じているようでした。
でも、今では、そうする事の愚かさに
気づいたようですわ。
えっけん君と太田将宏老人は
ムカついたままコメントを書いてしまいます。
みっともないコメントになるだけです。
ええっ?そんなことより、
もっと面白い話がないのかって。。。?
卑弥子さんのお話だけでは
物足りないのですかぁ
だったらね、メチャ面白いお話を
あなたにおせ~♪~てあげますわ。
ちょっとこれ見てぇ~。
これ、何だと思います?
亀なのですわよ。
でも、これってずうっと昔の
奈良時代に作られたものなんですわ。
ど~お。。。何のために、こんなの作ったのォ~?
ちょっと面白いと思わない?
デンマンさんが、その事について書いているのよ。
もし関心があったら次のリンクをクリックして読んでみてね。
■ 『あなたの好奇心を揺さぶる亀石の謎』
わたしも読んだけれどねぇ、結構面白いのよゥ。
あなたも上のリンクをクリックして読んでみてね。
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
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