2014年2月9日日曜日

ハルヴァの面白い話

 
 
ハルヴァの面白い話
 

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デンマンさん。。。 今日もハルヴァですか? ちょっとくどいのではありませんか?


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小百合さんはハルヴァが嫌いですかァ?

嫌いも何も、まだ食べたことがないのですものォ~。。。 話よりもデンマンさんが実物を食べさせてくれるのを期待しているのですわァ。 (微笑)

僕もバンクーバーでハルヴァを探すつもりなのですよ。 今度 買出しに行くときに、近くのスーパーで見つけるつもりです。

スーパーで売っているでしょうか?

ダメもとですよ。

。。。で、今日はデンマンさんが取って置きのハルヴァの面白い話をするのですか?

あのねぇ~、実は、ハルヴァの面白い話を書こうと思って ネットで検索してみたのですよ。 その結果を見てください。


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『現時点での検索結果』



あらっ。。。 マジで そのものズバリ!“ハルヴァの面白い話”と入れて検索したのですわね。



そうですよう。。。 そしたら、なんとォ~ 7,560件ヒットした内のトップに 2ちゃんねるの“米原万里”がトップに躍り出たのですよ。


(2ch40205.gif)

『実際のページ』



54番の赤枠で囲んだ箇所を見てください。 米原万里さんが急逝したと書いてあるじゃありませんかァ!



あらっ。。。 デンマンさんは知らなかったのですか?

いや。。。 全く知りませんでしたよ。 何度か言ったように、僕は米原さんの本を初めて読んで“ハルヴァ”という夢のようなスウィーツがあるということを知ったのですよ。

トルコの蜜

小学校3年生の秋、両親の仕事の都合でチェコスロバキアのプラハに移り住んだ。
学校の帰り道、学友たちと駄菓子屋によって買うお菓子の人気ナンバーワンが“TURETSKIJ MED” 直訳すると、「トルコの蜜」 すなわちトルコ蜜飴だったのだ。

ヌガーをもう少しサクサクさせて、ナッツ類の割合を多くした感じ。
並みのキャンディーやチョコレートじゃ太刀打ちできないぐらい美味しい。

なのに、ロシア人のイーラは言う。
「これなら、ハルヴァの方が百倍美味しいわ
「そのハルヴァっていうの、食べてみたい」
「えっ、ハルヴァを知らないの。 じゃあ今度、モスクワに帰ったときに買ってきてあげる」


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夏休み明けの9月1日、イーラは約束を果たしてくれた。
ちょうど靴磨きのクリームが入っている缶のような形とサイズの青い容器。
蓋に白字で“хaлва”とだけ書かれてある。
今も青い丸い缶に“NIVEA”と白地で書かれたニベア・スキンクリームの容器を見るたびにイーラが持ってきたあの缶を思い出す。


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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)



73 ページ 『旅行者の朝食』
著者: 米原万里
2002年6月10日 第2刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋



上の本には米原万里さんが亡くなったことは書いてなかったのですか?



書いてありませんよ。 いつ亡くなったのですか?

かなり前ですわよ。 私もはっきりとは覚えてませんけれど、『ウィキペディア(Wikipedia)』には次のように書いてありますわ。

米原万里


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誕生 1950年4月29日
死没 2006年5月25日(満56歳没)

ロシア語同時通訳・エッセイスト・ノンフィクション作家・小説家である。
著作には、『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』、『魔女の1ダース』、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』、『オリガ・モリソヴナの反語法』などがある。

日本共産党常任幹部会委員だった衆議院議員・米原昶の娘として東京都中央区の聖路加病院で生まれる。

大田区立馬込小学校3年生だった1959年(昭和34年)、父が日本共産党代表として各国共産党の理論情報誌 『平和と社会主義の諸問題』編集委員に選任され、編集局のあるチェコスロバキアの首都プラハに赴任することとなり、一家揃って渡欧した。
9歳から14歳まで少女時代の5年間、現地にあるソビエト連邦外務省が直接運営する外国共産党幹部子弟専用の8年制ソビエト大使館付属学校に通い、ロシア語で授業を受けた。

チェコ語による教育ではなくソビエト学校を選択したのは、ロシア語ならば帰国後も続けられるという理由だった。
ソビエト学校は、ほぼ50カ国の子供達が通い、教師はソ連本国から派遣され、教科書も本国から送られたものを用いる本格的なカリキュラムを組んでいたという。

クラスの人数は20人を越えると二つに分けるなど、きめ細かい教育だったが、最初の約半年間は、教師や生徒が笑っていても言葉がわからず、「先生の話すことが100パーセント分からない授業に出席し続けるのは地獄」だったと述懐している。

1964年(昭和39年)11月、ソビエト大使館付属学校を第7学年で中退し日本に帰国。
1965年1月、大田区立貝塚中学校第2学年編入。
日本の試験が○×式あるいは選択式であることにカルチャーショックを受けた。
ソビエト学校はすべて論述試験だったからである。
プラハの春(1968年)が起こったのは日本へ戻った後の、18歳のときだった。

東京外国語大学外国語学部ロシア語学科に入学、この頃に日本共産党入党。
1975年3月に同大を卒業し、同年4月、汐文社に入社。
1976年3月、同社を退社し、同年4月、東京大学大学院人文科学研究科露語露文学専攻修士課程に進学。
1978年3月、同修士課程修了。
大学院在学中の1985年(昭和60年)、「東大大学院支部伊里一智事件」に連座して党から除籍処分を受けたが、死亡時『しんぶん赤旗』訃報欄には、党歴無記載ではあるが掲載された。
後年(2002年5月13日)、逮捕直前の佐藤優に米原は「私は共産党に査問されたことがある。あのときは殺されるんじゃないかとほんとうに怖かったわ。共産党も外務省も組織は一緒よ」と語っている。
また、日本共産党から離れた後「今の社会の仕組みや矛盾を説明するのに、カール・マルクスほどぴったりな人はいないわよ。絶対的とは言わないけれど、今読むことのできる思想家の中では、あれほど普遍的に世の中の仕組みや矛盾をきちんと説明できる思想家は他にいない」とたびたび語っていた。

1980年ロシア語通訳協会の設立に参画し、初代事務局長となる。

TBSのテレビ番組『シベリア大紀行』という番組で、厳寒期の平均気温がマイナス60度になるヤクーツクを取材し、厳冬期のシベリアを一万キロにわたり横断。
この経緯をテレビ番組のみならず、児童向けの『マイナス50°Cの世界 寒極の生活』(1986年)として著した。

1983年(昭和58年)頃から第一級の通訳として、ロシア語圏要人の同時通訳などで活躍。
特にペレストロイカ以降は、ニュースを中心に旧ソ連・ロシア関係の報道や会議の同時通訳に従事する。

1990年1月、エリツィン・ソ連最高会議議員(当時)来日にあたって、随行通訳を務める。
エリツィンからは「マリ」と呼ばれ、大変可愛がられていた。

2003年から2006年の死去まで、ロシア語通訳協会会長を務める。

晩年は、肉体的にも精神的にも負担の多い同時通訳からは身を引いて作家業に専念した。
またTBSのテレビ番組『ブロードキャスター』にコメンテーターとして出演していた。

卵巣癌を患い除去したが1年4ヶ月で再発し、2006年(平成18年)5月25日に神奈川県鎌倉市の自宅で死去した。

エピソード

趣味は駄洒落と下ネタ、そして犬や猫と暮らすこと。
親しい友人のイタリア語同時通訳者の田丸公美子も駄洒落と下ネタが得意で、米原は田丸に自分の渾名「シモネッタ・ドッジ」なる称号を献上、田丸は米原を「え勝手リーナ」(エカテリーナ)と呼んでいた。
かつてモスクワで橋本龍太郎から強姦未遂の被害を受けた逸話を、評論家の佐藤優が米原本人から聞いた話として

ロシア語通訳の米原万里は大きな瞳で筆者を見つめ「私橋龍に襲われそうになったことがあるの」と言った。
橋本龍太郎・元首相はエリツィンとの会談で通訳してもらう内容について相談したいと米原万里を3部屋続きのプレジデント・スイートに呼び出し暫く打ち合わせたが途中から様子が変わり米原万里に迫ってきたということだ。


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「ほんと怖かった。やっとの思いで部屋から逃げ出したわ。仕事にかこつけて呼び出しておいて迫るのは男として最低だわ」
と米原万里は続けた。

と、著書『インテリジェンス人間論』に記載している。



出典:「米原万里」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



あれっ。。。 2006年に亡くなったということは 8年前じゃないですかァ~!



テレビにもコメンテーターとして出ていましたわ。 行田市に帰省した時に デンマンさんはテレビで見たことはなかったのですか?

いや。。。 ありませんよう。 とにかく、バンクーバー市立図書館で『旅行者の朝食』という本を今年の1月に借りて読むまでは、全く知りませんでしたから。。。 この本が出版されたのが2002年だから、亡くなる 4年前ですよね。 道理で、本には亡くなったことが書いてないはずですよ。

亡くなったと知って デンマンさんは かなりのショックでしたか?

何と言うかァ~。。。 面白い事を書く人が一人居なくなってしまったという感じで。。。残念ですよねぇ~。。。 まだ 米原さんの面白い本があるはずだと思って、今度また借りて読もうと思っていた矢先のことですからねぇ~。。。

米原さんが書いたもので どれが面白かったのですか?

次のエピソードですよ。
 
食い気と色気は共存するか


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「知れ床旅情」が爆発的に流行した時期でもあり、まさに旅情をそそられた。
そうだ、家永君の家に泊めてもらえれば、宿代が浮くではないか。 (略) 言われたとおり、札幌から電報を打った。

翌日の夕暮れ時、知床斜里駅のプラットホームに降り立ったわたしは、改札のところで呼び止められた。
「マリさんではありませんか」
振り向くと、中年の夫婦者らしい男女が立っている。 (略) どう見てもよそ行きの身なりで、ひどくかしこまっている。
「いつも俊男がお世話になっております」

ヒャーッ、慌ててしまった。
家永君の両親だったのだ。
よれよれのジーパンにTシャツ姿のわたしは、とたんに身の置き所がなくなったものの、今さらどうしようもない。
札幌のデパートで買い求めた菓子折りを差し出すのがやっとだった。

なんでも家永君は、2日前から網走の方へ友人たちと遊びに行ってしまい、連絡が取れない。
そこへ、わたしからの電報が届いたのだと言う。

それにしても、家にたどり着くまでの道すがら、それに、家に到着してからは、なおさら、家永君の両親の口ぶりが妙である。
「結婚してからも、お仕事されていくおつもりですか」
とか、
「わたしどもは、別に同居しなくともいいと思っているんですよ」
とか、初対面にしては、ずいぶん踏み込んだことを言ってくれる。

そのうち、夕食が整い、食卓に呼ばれた。
家永君のお母さんが、
「つまらないものですが」
と謙遜するその一品一品の美味しかったこと!
野菜も魚もとれたてで、みずみずしい甘みがある。
たちまち、わたしはご飯とみそ汁を平らげ、3回ずつお代わりをした。
当然、わたしに割り当てられたおかずも跡形もなく消え去った。
「ほれ、僕の分も食べなさい」
見かねて家永君のお父さんが、自分の皿を差し出す。

食後は、お風呂をいただいた。
「庭で取れたものなんですよ」
湯上りに出された山盛りのトウモロコシ。
あれほど美味なトウモロコシは空前であり、今にいたるまで絶後でもある。
一瞬にして6本だか7本だかは、わが胃の腑におさまった。

 (略) 翌朝の食卓は、わたしの皿だけ、おかずが3倍多めにしてあった。
そして、例の思わせぶりな話は、ピタリとしなくなっていた。

東京にもどってから、家永君に直接会う機会があり、事の次第の背景と全貌が明らかになったのだった。
やはり、家永君は、両親にわたしのことを話し忘れて出かけたみたいで、突然あの電報を受け取った昔気質の両親は、てっきりこれは、息子の恋人か許嫁に違いないと早とちりしたという。

「万里さんの喰いっぷりにはたまげたみたいだぜ」
「こんな大食いの嫁に来られたら、破産してしまうと心配になったのかしら」
「いや、息子に気があったら、こんなに食い気むき出しにするわけないと思ったみたいなんだ」


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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)



208-211 ページ 『旅行者の朝食』
著者: 米原万里
2002年6月10日 第2刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋



米原さんは、結局、亡くなるまで独身だったのですってぇ~。。。



うん、うん、うん。。。 上のエピソードを読めば、多分、誰でも そうだろうなァと思いますよ。 (微笑) ところで、小百合さんも「食べるの好きな人」だけれど、よく結婚できましたねぇ~?

デンマンさん! 失礼ですわァ。 結婚を考えている人の前では、絶対に食い気をむき出しにしませんでしたわァ~。 うふふふふふ。。。

なるほどォ~。。。 そういうものですかァ~? 米原さんは一生涯、食い気を誤魔化すことができなかったのでしょうね。 若い頃と比べて25キロ太ったと本に書いてありましたよ。 

橋本龍太郎・元首相にナンパされそうになった時には 次のように痩せていたそうですわ。


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うん、うん、うん。。。 なるほど。。。 なるほどォ~。。。納得。。。 納得。。。



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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。
あなたは“食べるの好きで”ござ~♪~ますかァ~?
食べるのが好きでも結構でござ~ますけれど、結婚を考えている相手の前ではオナラだけは出さないようにしてくださいねぇ。
うへへへへ屁へへ。。。






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うふふふふふ。。。

全く、バカバカしいざ~♪~ますわア。

アハハハハハア~♪~


とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますう。
だから、あなたも、お暇なら、また ぜひ読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


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