2014年7月25日金曜日

あえかな味@そば湯



 

あえかな味@そば湯

 


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あらっ。。。 デンマンさんは“そば湯”がお好きなのでござ~♪~ますかァ?


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いや。。。 特に好きだと言うわけではないのですよう。

だってぇ~、わざわざタイトルに“そば湯”を取り上げているではござ~ませんかァ!

あのねぇ~、たまたま夕べ 本を読んでいたら“そば湯”が出てきたのですよう。

あたくしは お蕎麦を食べたら“そば湯”を飲まないと、なんだか物足りないような気になってしまうのでござ~ますわァ。

あれっ。。。 卑弥子さんは、見かけによらず~、奥深いことを言うのですねぇ~。

あらっ。。。 お蕎麦を食べたあとで“そば湯”を飲まないと、なんだか物足りないような気になるのは“奥ゆかしい”ことなのでござ~ますかァ?

あのねぇ~、僕は そばを食べた後で“そば湯”を飲むと、いつでも、げっそりしてしまうのですよ。

どうして。。。?

「こんなまずいものを飲ませやがってぇ~!」。。。 口には出さないけれど、そのような思いが どうしようもなく湧き上がってくるのですよ。 つまり、アンチクライマックス(anticlimax )なのです。 せっかく旨い蕎麦を食べた後で“そば湯”を飲むと、せっかく盛り上がったのに、あの、取り留めのない、味気ない味でげっそりしてしまうのですよ。

それは感性の問題でござ~ますわァ。

確かに、そう言われると、そうかなあああァ~、とも思いますよ。。。個人個人によって、これほど感受性が違うものかァ~!?。。。 そう思って僕は次の小文を読んで考え込んでしまったのです。

そば湯


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そば屋に行く愉しみのひとつに、そば湯がある。
そばを手繰ったあと、ひと呼吸置いてから、あたたかなそば湯を掌に取る。
とろりと白い湯をひとくち、ふたくち、静かにゆっくり啜るうち、喉もとから腹の底へひとすじの太いぬくもりが通る。

飲み終わるころには、からだじゅうにおだやかさが滲み広がっている。
そば湯の味わいに気づいたのは、旅さきの出雲だった。
地元のなんでもないそば屋の暖簾をくぐり、そば湯の入った湯桶を傾けて猪口に注いで、啜った。


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すると、どうだろう。
とろりと濃厚なそば湯が舌のうえに流れこむと同時に、やわらかい香りがふくよかに広がる。
ああ、そばの香り。
そばの持ち味が湯のなかに溶け出た、たっぷりふくみのある舌触り。
そのなかに腰をおろしているのは、確かな安心の気配。

おいしいとか、おいしくないとか、ありきたりの味覚を超えている。
これほどの落ち着きをひとに与える味があったのか。
それがそば湯だったとは。
すこし動揺していた。


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そば湯は、いってみれば軽いポタージュのようなもの。
しかし、そこから先が問題だ。
そば湯を口にふくむ。
つぎに、自分の味覚を研ぎ澄ませ、こまやかに働かせる。
すると、遠くのほうからおずおずとそば湯の味わいがすがたをあらわす。

迫ってくる味ではないのだ。
丹念に自分で探し当てるあえかな味。

だから私にとって、そばとそば湯は切っても切れない関係だ。
そばをゆでた後、そば湯を捨てるなどもったいない。
少ないそばをゆでてつくるそば湯は、そば屋の味わいとは比べようもないけれど、それでもやっぱりそば湯を啜らなければものたりない。
終わらないのである。
しんとおだやかな味は、こころの波立ちもいつのまにか消し去る。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)



96-98ページ 『忙しい日でも、おなかは空く』
著者: 平松洋子
2008年9月22日 第1刷発行
発行所: 日本経済新聞出版社



。。。そうですわ。。。 全く同感でござ~♪~ますわァ~。。。 あたくしも、お蕎麦をいただいたあとで“そば湯”を飲むと、いつも このような感動に浸(ひた)るのでござ~ますわァ。。。おほほほほ。。。



卑弥子さん!。。。 やだなあああァ~。。。 便乗して調子に乗らないでくださいよう!。。。 僕が、たまたま引用した文章が 少しばかり格調が高いからといって、卑弥子さんまでが その気になるなんて可笑しいですよう。

あたくしは、何も便乗しているのではござ~ませんわァ。。。 マジで同感したのですわ。

卑弥子さんは、あのとり止めも無いような不味い“そば湯”を飲んで、「丹念に自分で探し当てるあえかな味」を味わうことができるのですか?

そうでござ~ますわァ!

僕には信じられません。 第一、卑弥子さんは“あえかな味”という意味を知っているのですか?

あらっ。。。 デンマンさんは、あたくしを侮辱するのでござ~ますか? これでも、あたくしは京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授でござ~ますわァ。 “あえかな味”というのは、あたくしにとって ごく身近な言葉でござ~ますゥ。

あえか


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【形容動詞】 【雅語】

か弱く、頼りないさま。

きゃしゃで弱々しいさま。

【例文】

「あえかに咲く花」

「まだいと あえかなる程もうしろめたきに」(「藤裏葉」より)


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この折に添へたてまつりたまへ。
まだいとあえかなるほどもうしろめたきに、さぶらふ人とても、若々しきのみこそ多かれ。
御乳母たちなども、見及ぶことの心いたる限りあるを、みづからは、えつとしもさぶらはざらむほど、うしろやすかるべく……



【現代語訳】

この機会にお付き添わせ申しなさいませ。
まだとてもか弱くいらっしゃるのも不安なので、伺候する女房たちとしても、若々しい人ばかり多いのです。
御乳母たちなども、気をつけるといっても行き届かない所がありますから、わたし自身は、ずっとお付きできません時、安心なように……

【注釈】

「藤裏葉」(ふじのうらば)は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。

第33帖。

巻名は内大臣が詠んだ和歌「春日さす藤の裏葉のうらとけて君し思はば我も頼まむ」に因む。



ほおォ~。。。 『源氏物語』に出てくるのですかァ~! それは全く知りませんでした。



デンマンさんは『源氏物語』を お読みになったことがあるのでしょう?

もちろん、あそこをかじり、ここをかじり、蚕のように。。。桑の葉を食べるように。。。『源氏物語』を読み散らかしたけれど。。。 “あえか”なんてぇ~、全く僕の記憶にありませんよう。。。 僕は上の本を読んで、生まれて初めて見る言葉に出くわしたと思って、唖然としたほどですからねぇ~。。。 

つまり、お年を召されて 記憶が抜け落ちるようになったのでござ~ますわァ。

あのねぇ~、僕はまだボケるような年代ではありませんよう!。。。 マジで、“あえか”という言葉を見たことも使ったことも無い!

それで、こうして記事を書く気になったのでござ~ますかァ~?

もちろん、それもあるけれど、さっき言ったように個人個人によって、これほど感受性が違うものかァ~!?。。。 そう思って僕は驚いたのですよ。

それは、デンマンさんの感性が鈍いという証拠ですわ。

今度は 卑弥子さんが僕を侮辱するのですかァ~?

いいえ。。。 あたくしは事実を申し上げているのでござ~ますわァ。

それじゃあ、なおさら悪意があるじゃありませんかァ! 言っていい事と悪い事があるのですよ。 日本で暮らしている卑弥子さんには 僕の言う意味が解るでしょう!?

つまい、デンマンさんはご自分では感性が豊かだと思っているのでござ~ますかァ?

そうですよう! 感性が豊かだから“そば湯”ほど不味いものはないと感じるのですよう! んもおおおォ~!

それは違いますわ。 感性が豊かであるならば、旨い不味いを超えて、奥深い味わいを感じるのもですわ。


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おいしいとか、おいしくないとか、ありきたりの味覚を超えている。

これほどの落ち着きをひとに与える味があったのか。

それがそば湯だったとは。

すこし動揺していた。



あのねぇ~、上の本の著者・平松洋子さんは、近所のそば屋で食べていたら、このような気持ちにはならなかったのですよう。 “非日常”の中で蕎麦を食べたので、たまたま感性が研ぎ澄まされていたのですよ。



“非日常”の中で蕎麦を食べたァ~。。。?

そうですよう! 次のように書いてあるでしょう!

そば湯の味わいに気づいたのは、旅さきの出雲だった。

地元のなんでもないそば屋の暖簾をくぐり、そば湯の入った湯桶を傾けて猪口に注いで、啜った。


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すると、どうだろう。

とろりと濃厚なそば湯が舌のうえに流れこむと同時に、やわらかい香りがふくよかに広がる。

ああ、そばの香り。

そばの持ち味が湯のなかに溶け出た、たっぷりふくみのある舌触り。

そのなかに腰をおろしているのは、確かな安心の気配。



出雲という“古代”を感じさせる雰囲気の中で“非日常”を感じていた。 だからこそ、普段よりも感性が研ぎ澄まされていた。 それで、あの不味い“そば湯”にあえかな味を探し当てることができたのですよ。



なるほどォ~。。。 確かに、そのようなことがあるかもしれませんわァ。

あるかもしれないじゃなくてぇ、事実、出雲という“非日常の世界”に居たから、普段ならば気づかないあえかな味を感じることができたのですよ。

なるほどォ~、それで解りましたわ。

何が解ったのですか?

デンマンさんは次のようなお手紙をお母様に書いていましたわよねぇ。


2014年6月10日 (火曜日)


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母上様、お元気ですか?
関東地方は暑い日が続いているようですね。
でも、もう梅雨に入っているでしょうか?
ジメジメ、ムシムシした天気にもめげずに元気で楽しく過ごしてくださいね。


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バンクーバーは とても過ごしやすく清々しい朝を迎えるようになりました。
今朝は、いつになく涼しくて気温が12度ですよ。
昨日は すばらしく晴れ渡っていましたが、今朝はどんよりとした曇り空です。

5月29日には電話をありがとうございました。
久しぶりに母上様の元気なお声が聞けて安心いたしました。
5月30日の消印の手紙は 6月6日に受け取りました。
母上様が予測したとおり 6月6日に手にいたしました。

“桜井の別れ”の歌が書いてありました。
実は、初めて読む歌です。
全く知りませんでした。
『ウィキペディア』という無料百科辞典がコンピューターを使うと利用できるのです。
さっそく調べてみましたよ。

“桜井の別れ”は、西国街道の桜井の駅で楠木正成・正行父子が訣別する逸話なのですね。
桜井の駅で別れた後、正成は湊川の戦いに赴いて戦死し、今生の別れとなりました。
「桜井の駅の別れ」、「桜井の訣別」とも言う。
なるほど。。。

古典文学『太平記』の名場面のひとつで、国語・修身・国史の教科書に必ず載っていた逸話で、いわゆる戦前教育を受けた者には大変有名な話だった、と書いてあります。
なるほど。。。
戦前の教育を受けた母上様だから知っていたのでしょうね。

日本の唱歌の一つですか?
残念ながら小生は聞いたこともありません。

作詞:落合直文 作曲:奥山朝恭


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桜井の駅まで進軍して来た正成は意を決し、息子・正行を呼び、「兵庫へは討死覚悟で出陣するが、汝は故郷へ帰るように」と告げる。
正行は「いかに父上の命とは言えど、年若くとも死出の旅の供をしたい」と願い出る。
正成は「私の死後は足利尊氏の天下となろう、その日に備え成長し、国の為に天皇に仕えよ」と諭(さと)す。
さらに先年、天皇より賜った刀を差し出し、これを我が形見にせよと言い残し、「老いた母の元に帰れ」と正行に告げ、両者は泣く泣く別れ行く。
なお、史実では、正行の母(南江久子)は正成より年下であり、当時三十代であったと考えられるから、高齢ではない。

『太平記』によると、「桜井の別れ」のあらましは次の通りだそうです。

建武三年五月(1336年6月)、九州で劣勢を挽回して山陽道を怒濤の如く東上してきた足利尊氏の数十万の軍勢に対し、その20分の1ほどの軍勢しか持たない朝廷方は上を下への大騒ぎとなった。

新田義貞を総大将とする朝廷方は兵庫に陣を敷いていたが、正成は義貞の器量を疑い、今の状況で尊氏方の軍勢を迎撃することは困難なので、尊氏と和睦するか、またはいったん都を捨てて比叡山に上り、空になった都に足利軍を誘い込んだ後、これを兵糧攻めにするべきだと後醍醐帝に進言したが、いずれも聞き入れられなかった。

そこで正成は死を覚悟し、湊川の戦場に赴くことになった。

その途中、桜井の駅にさしかかった頃、正成は数え11歳の嫡子・正行を呼び寄せて「お前を故郷の河内へ帰す」と告げた。
「最期まで父上と共に」と懇願する正行に対し、正成は「お前を帰すのは、自分が討死にしたあとのことを考えてのことだ。
帝のために、お前は身命を惜しみ、忠義の心を失わず、一族朗党一人でも生き残るようにして、いつの日か必ず朝敵を滅せ」と諭し、形見にかつて帝より下賜された菊水の紋が入った短刀を授け、今生の別れを告げた。

数えで11歳ということは満で10歳ですよね。
今で言えば、正行は小学校3年生か4年生でしょう!?
とても戦場に出て戦える年齢ではないですよね。

正成が亡くなったのは1336年。
生まれたのは1294年。
つまり、満42歳で亡くなっているのです。

正行は数え年11歳ではなく、すでに20歳になっていたという話もあります。


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正行の母(南江久子)は、当時三十代であったそうですから、36歳とすれば 20歳の息子がいても昔ならば可笑しくないはずです。
室町時代ならば14歳で結婚して 15歳で子供を生んでも不思議ではない。
小生の考えでは、正行は少なくとも戦場に出る年になっていたろうと思います。
つまり、18歳か19歳にはなっていたろうと。。。

では、どうして数え年11歳にしたのか?
修身の教科書に載せて軍国教育、富国強兵政策のために小学生を教育するならば、同じ小学生の年頃に設定した方が教育の効果が上がると当時の文部省のお役人は考えたのでしょうね。
“天皇陛下に万歳して戦死するように教育する”には、20歳前後だった正行を 数え年11歳にした方が効果があると思ったのですよ。
その方が“お涙ちょうだいの物語”になります。

「老いた母の元に帰れ」と正行に告げ、両者は泣く泣く別れ行く。
しかし、この時の正行の母は30代だったのですから「老いた母」にしてしまうのは可哀想と言うものです。
でも、修身の教科書には「老いた母」と書かねばならなかったのでしょう。

母上様も、たぶん、この「老いた母」の気持ちになって“桜井の別れ”を聞いたのでしょうね。
この歌が有名だったということは、小生にも理解できます。
なぜならば、小生の同級生の野原自転車屋の息子の名前が“正行”なのですよ。

恐らく、野原君のお母さんは小学校の修身の時間や唱歌の時間に“桜井の別れ”を何度も何度も聞いて、子供が生まれたら息子に“正行”という名前をつけようと考えたのでしょう!?
それほど“桜井の別れ”を聞いて 野原君のお母さんは感動したのでしょうね。
でも、あの正行君は、面白い奴で 戦争がもし起きたとしても 絶対に戦争など行くような男ではありません。
逃げ回りますよう。 (笑)
たぶん、小生と一緒に外国に脱出します。 (爆笑) 間違いありません!


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母上様が小生の名前を“正行”ではなく“明”にしたのは正解でした。
小生は絶対に戦争になど行きません。
もし、1960年代、1970年代に日本とアメリカで戦争があったとしても、小生は“明”るい気持ちでカナダに脱出しましたから。。。
母を悲しませてはならないと信じます。。。 (微笑)

そういうわけで、母上様が元気で長寿に恵まれているのは かえすがえすも喜ばしいことです。
正成の妻のような不幸を舐めなかっただけでも 幸せというものです。

これからも母上様は、皆で仲良く楽しい毎日を送ってください。
一生は一度だけです。
悔いのない思いで来世に行けるよう、心置きなく笑って楽しんでください。
お互いに悔(く)いのない人生を送りましょう。

では、母上様も お元気で。。。

デンマン


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『かしこの母上様』より
(2014年6月12日)



この手紙が どうだと卑弥子さんは言うのですか?



つまり、“非日常の世界”だから お手紙に“母上様”と書けるのですわよう。 日常、デンマンさんはお母様のことを“母上様”とは呼ばないでしょう?

もちろんですよう!。。。 時代劇をやっているわけじゃありませんからねぇ~。。。

だから、お母様も“非日常の世界”でデンマンさんに お手紙を書いたのですわァ。


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デンマンさん、お元気ですか?
一度は死にました私ですが
暖かく見守ってくれていた家族のおかげで、
そして親戚の方々の励ましによって
生かされています。

また春がめぐってきて、そして夏を迎えようとしています。
生きていることに感謝しないではいられません。

妹の多佳子さんには いろいろとお世話になっております。
デンマンさんからも 宜しくお伝えください。

2週間ほど 行田市にある介護施設「ハートフル行田」で過ごしてきました。
皆さん、気持ちの良い方ばかりで 楽しく過ごさせていただきました。

時には演芸大会ではありませんが
皆で、順番に歌を唄ったりいたします。
私は唄うのは上手ではありませんが、
皆さんが順番に唄うので唄わないわけにはゆきません。

たまたま 思いつくままに「桜井の別れ」を唄いました。
子供の頃の歌というのは、いつまでも覚えているものです。
小さな頃は 意味も良く解らずに唄っていたものですが、
年をとるにしたがって、涙なくしては唄えなくなります。

デンマンさんは知らないと思いますが
次の歌を私が小さな頃はみんなが唄っていたものです。

桜井の別れ


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青葉茂れる桜井の
里のわたりの夕まぐれ
木の下蔭に駒とめて
世の行く末をつくづくと
忍ぶ鎧の袖の上に
散るは涙かはた露か

正成涙をを打ち払い
我子正行呼び寄せて
父は兵庫に赴かん
彼方の浦にて 討死せん
汝はここ迄来つれども
とくとく帰れ故郷へ

父上いかにのたもうも
見捨てまつりてわれ一人
いかで帰らん 帰られん
此正行は年こそは
未だ若けれ諸共に
御供仕えん死出の旅

汝をここより帰さんは
わが私の為にならず
己が闘死為さんには
世は尊氏の侭ならん
早く生い立ち大君に
仕えまつれよ国の為め

此一刀は往し年
君の賜いし物なるぞ
此世の別れの形見にと
汝にこれを贈りてん
行けよ正行故郷へ
老いたる母の待ちまさん

共に見送り見反りて
別れを惜しむ折からに
復も降り来る五月雨の
誰かと哀と聞かざらん
あわれ血に泣く其声を

この歌のように 昔の人は 命を惜しまなかったのですね。
時代が違うと言えばそれまでですけれど。。。

でも、時代が違うと言えども、命が大切だったことに変わりはないと思います。

正成の息子を思う気持ち。。。
そして妻を思う気持ち。。。

“行けよ正行故郷へ

老いたる母の待ちまさん”


この別れの場面を想うと泣けてきます。

デンマンさんも 命の大切さを改めて考えて、自分のためには もちろん、
カナダのお国のために、
そしてカナダ人のためにも 悔いのないように 毎日を送ってください。

そして デンマンさんの ブログを読んでいる 日本語が解る方々のためにも
生きているということは本当に素晴らしい事だと
お伝えください。

 

かしこ。。。

母より

平成26年5月30日



僕の母親が“非日常の世界”で上の手紙を書いたと卑弥子さんは言うのですか?



そうですわァ。。。 だから、感性が研ぎ澄まされているのですわ。 そうでもなければ、『桜井の別れ』をお手紙の中に書く気になれなかったでしょうし。。。 そもそも、最近では お手紙の中に “かしこ”という言葉を書く女性は居なくなりましたわァ。

なるほどねぇ~。。。

何が なるほどなのでござ~ますかァ~?

どうして、今日の記事『あえかな味@そば湯』を書く気になったかが解りましたよう。

どうして、でござ~♪~ますか?

僕も、今、“非日常の世界”に居るからですよう。 このバンクーバーでの暮らしは、僕にとって“非日常の世界”ですからねぇ~。。。



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ですってぇ~。。。
確かに、バンクーバーに住み始めて3ヶ月ぐらいまでは“非日常の世界”と言えますけれど、20年も住んだ人にとっては、もはや“日常の世界”でしょうに。。。

でも、次のビデオクリップを見ると“非日常の世界”と言うデンマンさんの気持ちがわかるような気がしますわ。


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では、あなたも“非日常の世界”を味わってください。
あなたのために平安史、古代史の記事を用意しました。
ぜひ 覗いてみてくださいねぇ。
では。。。

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?


マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?


とにかく、次回も興味深い記事が続きますわ。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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ところで、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。
卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


『曲屁(きょくべ)』

『天神様と東日本大震災』

『日本は良い国か?』

『日本を良い国に…』

『エロい熟女』

『アッと驚くマキアベリ!』

『良寛さんの顔』

『あなたの中の阿修羅』

『蝦夷って悪い意味?』

『伎楽は呉の音楽?』

『呉越の謎』

『紅のボートピープル』

『蕎麦屋と忠臣蔵』

『ピンクと桃色』

『妻の不貞』

『卑弥子さん、ご指名ですよ!』

『カン違い大岡越前』

『ロマンのカシオペア』

『カシオペアの現実』

『エロい徳子を探して』

『紫式部と皇国史観』

『エロい道鏡と薬師如来』

『天平の麗しき淑女』

『元からの饅頭』

『なぜ唐に留まったの?』

『下着美人』

『一所懸命』

『ねぇ、ねぇ、ねぇ効果』

『遊女と三つ子』

『布袋さんの魅力』

『今、エジプトに?』

『鍋かむり祭り』

『日本人はどこから来たの?』

『卑弥子も待ってます』

『卑弥子の源氏物語』

『源氏物語もエッチなのに』

『失意の紫式部』

『めちゃムカつく足枷』

『床上手な女になりたい』

『日本へ、紀元前のメイフラワー号』

『日本の死海文書』

『今さら聞けない、床上手』

『兄妹の恋と大乱』

『えっ、ヒトラーはベジタリアン?』

『外人に乗っ取られた日本?』

『失われたバレンタイン』

『軽井沢夫人@日本王国』

『都知事になれなかった男』

『落選男の正体?』

『カナダはカエデの国なの?』

『海外飛躍遺伝子』

『ふるさとは遠きにありて…』

『芭蕉と遊女の出会い』

『芭蕉と遊女が…あれぇ~!』

『宮沢りえと3723人の観客』

『血のつながり』

『チョー有名な三角関係』

『日本の真ん中』

『デンマンの死@玉淀』

『血の絆』


軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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