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2011年6月29日水曜日

飛鳥坐神社再訪

 
飛鳥坐神社再訪




MESSAGE SENT THROUGH YOUR WEBSITE

This form was submitted: Jun 10 2011 / 04:52:14

userid = barclay1720
Your_Name = Gペガサス
Your_Email_Address = galaxyturfxxxx@yahoo.co.jp

Stone penis (maraishi2.jpg--410x312)

Comments:


はじめまして。
このサイト、楽しませていただいています。
ただ、飛鳥坐神社を「あすかざ・じんじゃ」と堂々と
書いてらっしゃるのは笑えます。



最近のちょっとした歴史ブームで飛鳥を訪れる
人も多く、飛鳥坐神社が「あすかにます・じんじゃ」
と読むのは常識になっていると思います。

このサイト全体のクオリティ評価に影響すると思い
ますので、至急訂正されることをお勧めします。
余計なお世話を申しました。


Thank you for using Bravenet Email Form Processing!




『飛鳥坐神社(2011年6月21日)』より

 




Subj:コメントありがとう!

Date:Mon, Jun 20, 2011 4:24 pm.
Pacific Daylight Saving Time
(日本時間:6月21日 火曜日 午前8時24分)
From: barclay1720@aol.com
To: galaxyturfxxxx@yahoo.co.jp


余計なお世話ではありませんでしたよ。(微笑)
返信が大変遅れました。

実は君のコメントを基にして記事を書いてたのですよ。
おかげで古い記事を読み返しながら、興味深い記事を書くことができましたよ。
ありがとう。

次のリンクをクリックして読んでみてください。

Phallus at Delos (phallus1.jpg--208x199)

『飛鳥坐神社』

 (2011年6月21日)


ところで、コメントに書いてあるメールアドレスは現在使っているものですか?
とにかく、このメールを送信します。

いづれにしても、またその事で記事が書けますよ。
きゃははははは。。。



転んでも只では起きません。

また、気が向いたらコメントを書いてください。
じゃあね。






デンマンさん。。。コメントに返信を書いたのですか?



そうなのですよ。 6月21日に次の記事を書いてから返信を書いたのです。

Throwing out luck-inviting papers (tengu05b.jpg--337x240)

『飛鳥坐神社』

 (2011年6月21日)




でも、上の記事の中の写真は Bandwidth Exceeded! のメッセージが出ていて見ることができませんわ。





次のリンクをクリックすれば写真も見ることができますよ。

『飛鳥坐神社(PART 1)』

『飛鳥坐神社(PART 2)』




どうして上の2つの記事では写真を見ることができるのですか?

Denman Blog の記事には外部ハードディスク(fileden.com)に保存した写真のURLを直アド(Direct Link)で書き込んであるのですよ。 画像伝送量が一ヶ月の限度(5GB:5ギガバイト)を越えてしまったので6月30日にリセットされるまで外部ハードディスクに保存したある写真は僕が投稿した記事では見ることができない。

上の2つの記事では、どうして見ることができるのですか?

あのねぇ、上の EDITA.JP のブログは 僕の EXCITE のブログの記事を自動的にコピーして掲載しているのですよ。

つまり、写真もEXCITE のブログの写真をコピーして EDITA.JP のページに自動的に貼り付けてあるのですか?

そうです。 EDITA.JP のハードディスクに自動的に保存されるから外部ハードディスク(fileden.com)の制限には関係がない。 だから、上の記事(PART 1 & 2)では、いつでも写真を見ることができる。

記事を投稿するたびに、それぞれのブログ・プロバイダーのサイトに写真をアップロードすればよいではないですか?

ただ一つのブログなら、そうしますよ。 でもねぇ、僕はたくさんのブログに投稿している。 いちいち画像をアップロードしていたら時間がかかりすぎて、それに面倒なのですよ。

それで、外部ハードディスク(fileden.com)に保存した写真のURLを直アド(Direct Link)で記事の中に書き込んでいるのですか?

そうですよ。 そうすればいちいち写真をアップロードする必要がない。 ずいぶん、手間が省けるのですよ。

。。。で、「Gペガサス」さんに返信は届いたのですか?

マジで届きましたよ。

どうして判るのですか?

メールが届かなかった場合には「あて先のアドレスが存在しませんでした」というようなメッセージが表示されるのです。 でも、そういうメッセージが何もなかった。

。。。で、コメントを書いてくれた人のことが何か分かりました?

分かりましたよ。 僕はコメントを書いてくれた人のIPアドレスを調べてみましたよ。 次のようなことが分かりました。


IPアドレス: 115.37.228.***

ホスト名:
115-37-228-***.shizuoka1.commufa.jp

IPアドレス割当国: 日本

接続回線: 光

都道府県: 静岡県

プロバイダー: 中部テレコミュニケーション株式会社

Chubu Telecommunications Co.,Inc.




あらっ。。。静岡県に住んでいるのですわね。



そうです。 ケイタイではなく、自宅のパソコンからコメントを書いてくれたのですよ。

どうして判るのですか?

ケイタイのIPアドレスではないからですよ。

でも、どうしてIPアドレスを調べたのですか?

これまでに、幾人かの愚か者が実に下らないコメントを僕の記事に書いたのですよ。 そのことで記事を書いたことがあります。 読んでみてください。



『大阪の歴史馬鹿』

 (2009年9月22日)

『めれちゃんと草加の歴史馬鹿』

 (2011年4月8日)




もしかして「Gペガサス」君も、そのうちの一人ではないかと思って、デンマンさんはIPアドレスを調べたのですか。



そうです。

該当する人は居ました?

いや。。。どのIPアドレスとも一致しませんでした。

つまり、「Gペガサス」さんが真面目な気持ちで書いたコメントだったのですわね?

そうですよ。

。。。で、この事が言いたくてこの記事を書いたのですか?

いや。。。それだけではないのです。

他の人が、またコメントを書いてくれたのですか?

いや。。。そうではありません。 実は、6月21日に書いた『飛鳥坐神社』の記事がAMEBLO.JPでは、また禁止語に引っかかり非公開にされてしまったのですよ。





あらっ。。。PART 1 が「言葉狩り」に遭ったのですわね。



そうなのですよ。 AMEBLO.JP の管理人は実に愚かな事をやっているのですよ。

その愚かな事って、一体どのような愚かな事なのですか?

あのねぇ~、太平洋戦争中に大日本帝国がやっていた言論統制と変わらないことをやっている。 次の小文を読んでみてください。


言葉狩りをする

未熟な精神構造は、

日本に何をもたらすのか?




生命の危機と言論の自由



知っていますか?
太平洋戦争時代、日本帝国政府は今から考えれば愚劣と言えるほどの言論統制で国民をがんじがらめにしたのです。

その良い例が英語を使うな、という規制です。
野球で英語が使えなかった。
ストライクと言ってはダメなんですね。
じゃあ、何と言ったか?

「当たり」「一本」「良し」とか言ったらしい。
「ボール」も使えない。
「はずれ」とか「ダメ」とか言ったらしい。

愚かと言うより、こうなるともう滑稽ですね。
しかし、戦争当時、みんなが真面目にこう言いながら野球したらしい。
いっそのこと野球も敵性スポーツとして禁止すればよかったと思うのですが、帝国政府の親玉の中に野球の好きな人がいたらしい。

それなら、英語も使わせればよいと思うのに、そうはしなかった。こういうところが片手落ちなんですよね。

アメリカはどうだったか?
すっかり逆でした。

日本人が昔から親しんだ「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という『孫子の兵法』の中の有名な格言を忠実に守ったんですね。つまり、戦争に勝つためには日本人を知らなければならない。そのためには日本語を大いに学ばねばならない。と言う事でアメリカ政府は日本語学校を作ってそこで日本語を徹底的に学ばせて、日本人の研究人材を養成したわけです。

『菊と刀』で有名な著者ルース・ベネディクト(Ruth Benedict)さんも政府から依頼を受けて「お国のために」日本人と日本文化の研究をしたんですね。彼女がレポートを提出した時には戦争が終っていた。それで、その研究に基づいて1946(昭和21)年に出版されたのが『菊と刀』です。この本の事を全く知らない人は次のリンクをクリックして僕の書評を読んでみてください。

■ 『「菊と刀」 書評』

現在でも読まれています。すでに90版以上を重ねているはずです。僕は6度程読みましたが、読むたびに新たな感動を受けています。このべネデクトさんは日本で暮らしたことが一度もない人なんですね。もちろん日本へ行ったこともない。そういう人があれだけの研究成果を出したんですから、日本研究がどれだけ進んでいたかが良く分かるんです。アメリカ政府の採った政策は日本帝国政府がやった言論統制と比べると雲泥の差です。

しかし、日本にだって良識を失わない人たちも居たんですね。極めて少なかったですが。。。太平洋戦争下で唯一といってよい言論抵抗事件がありました。このことについて、ちょっと詳しく語ろうと思います。1944(昭和19)年2月23日の『毎日』新聞の竹ヤリ事件というのがこれです。

この記事を書いたのは37歳の新名丈夫記者でした。「竹やりなんかでアメリカに徹底抗戦なんてどうかしている」と言うような趣旨の事を書いてしまったんですね。もちろん、覚悟して書いたんです。うっかりして書いてしまったわけではないんです。

でも、当時の東条英機首相はこれを読んで激怒した。

それで、頭にきたものですから、できれば書いた記者を死刑にしたい。でもいくらなんでもそんな無茶な事は出来ませんから、赤紙で徴兵して南方戦線に送り込もうとしたわけです。当時の常識として、南方戦線に送り込まれれば生きて帰れないということが分かっていました。つまり事実上の「死刑」です。いづれにしても、無茶な事をしたんですね。

当時軍部と帝国政府に真っ向から反対すれば、このような仕打ちが待っていたんです。だから、分かっていた人もおとなしく黙っていた。でも、新名記者はメディア人としての良識を持っていたわけです。アメリカを例に取れば、あのニクソン大統領を退陣に追い込む事になったウォーターゲート事件を暴露したワシントンポスト記者のボブ・ウッドワード(Bob Woodward)のような人だったわけです。

最近、命を懸けて記事を書くような新聞記者が日本にはいなくなりましたね。残念です。

この記事が発表された頃には、もう戦局は悪化していました。問題の記事が発表された前年、1943(昭和18)年には、まず2月、ガダルカナル島で日本軍の撤退が開始されました。これを契機に、米軍は一挙に攻勢に転じたわけです。以後、5月にアッツ玉砕、11月にはマキン・タラワ全滅と戦局は日々悪化していきました。1944年2月17日には「日本の真珠湾」と米軍から呼ばれた作戦の最重要拠点、トラック諸島が米軍の手に落ちてしまいました。

軍部でも、帝国政府でも太平洋戦争の敗北はすでに決定的となったと考える人がでてきました。しかし国民には「勝った、勝った」という虚偽の情報以外は一切知らされていなかったんですね。そのためにも言論は厳しく統制されたわけです。

新名さんは海軍記者となって以来半年間にわたって主力艦隊に乗り組み、戦況を自分の目で確かめていた。戦況が悪くなっていた事も充分に知っていた。陸海軍が対立し、飛行機生産のためのジュラルミン三十万トンの大部分を陸軍が本土決戦用に抑えて出さないという内幕もキャッチしていたほどです。

マーシャル陥落の発表を大本営が20日間もためらって大騒動を演じているのを見た新名記者は決意を固め、一大プレスキャンペーンを社に上申しました。メディア人としての良識です。「日本の破滅が目前に迫っているのに、国民は陸海軍の醜い相克を知りません。今こそわれわれ言論機関が立ち上がるほかはありません」
そのように便せんに書いて、吉岡文六編集局長に上申したのでした。
「よし、何とかして国民に知らせるほかない」と決意した吉岡局長は社外の大物に書かせようと、まず元中国駐劉大使・本多熊太郎氏に交渉しました。しかし、「検閲があっては書けない」と断わられてしまいました。

結局、編集会議の結果、新名さんが指名されました。当時の記事は、もちろん検閲を受けなければならなかったのです。しかし、海軍担当の新名記者が執筆したものは海軍省の検閲だけでよく、各社のキャップの書くものは無検閲でよいという紳士協定になっており、その特典を利用したのです。

「書けば東条から懲罰召集を喰らうかも知れない。社もつぶされるかも知れない。殺されるかも知れない」
新名記者は悲壮な覚悟で執筆したのでした。実際、その通りになってしまい、ハチの巣をつついたような騒ぎとなったのです。新名記者は責任を感じ辞表を提出しました。しかし、吉岡局長は突き返し、逆に金一封の特賞を出したのです。その代わり、3月1日に吉岡局長、加茂勝雄編集次長兼経理部長は責任をとって辞任しました。

しかし、こんなことで東条首相はおさまりません。東条さんは情報局次長村田五郎を呼びつけて「竹ヤリ作戦は陸軍の根本作戦ではないか。毎日を廃刊にしろ」と指示したのです。村田さんは答えました。「廃刊するのはわけありません。紙の配給を止めれば、毎日は明日から出ません。ただし、よくお考えになってはいかがですか。毎日と朝日は、いまの日本の世論を代表しています。その新聞の一つがあのくらいの記事を書いた程度で、廃刊ということになりますと、世間の物議をかもす、ひいては外国から笑われることになるでしょう」

東条首相も馬鹿ではありませんから、この説得が効いたのでしょう。廃刊は引っ込めました。しかし、陸軍からの新名さんへの執拗な処罰要求が出されたのです。そういうわけで、新名記者に対して陸軍から懲罰召集が強行されたわけです。

極度の近視ですでに徴兵検査で兵役免除になっていた37歳の新名さんへの再度の徴兵でした。海軍省は「新名は報道班員としてパラオ派遣が決定しているので、召集を延期されたい」と陸軍省に申し入れたのです。陸軍省はこれを突っぱねました。しかし、海軍も負けてはいられないと大運動を展開して、なんとか召集を解除させたのです。

ところが、陸軍中央から絶対に還すなという厳命がきており再度召集があり、丸亀連隊へ一人だけの中年二等兵の入隊になったのです。これはもう、海軍と陸軍の対立というところまでエスカレートしてしまったわけです。

これに対して海軍が再び抗議しました。「なぜ、中年二等兵が一人だけ入隊するのか?」
陸軍も黙っては居ません。何とかしようという事で、新名さんと同じく大正生まれの兵役免除者二百五十人を召集したのです。つじつまを合わせたわけですね。「新名記者憎し」の陸軍の執念はすごかった。

さらに、陸軍中央は新名さんを最激戦地の沖縄、硫黄島方面の部隊へ転属させろと厳命してきたのです。やることが汚いです。生きて帰さぬ方針を取ったわけです。こうなると、もう、無茶苦茶ですね。

しかし、陸軍の思い通りには行きませんでした。三ヵ月がたち、結局新名さんは他の戦友と除隊になりました。丸亀連隊報道部の香川進大将は 「この召集は東条大将の厳命だったんだよ。新名は絶対に還すな、重労働を課せとね。海軍や軍令部からもなんども人がきた。われわれは自分らの正しいと思う判断で君を扱った。善通寺師団司令部でも見て見ぬふりをしてくれた」と除隊の真相を説明したのです。

海軍は直ちに新名さんを報道班員としてフィリピンへ送り、陸軍の再召集を防いだのでした。新名記者がフィリピンに出発した直後、新名さんの“とばっちり”を喰らって再召集された丸亀連隊の中年二等兵たち二百五十人は硫黄島に送られ、全員玉砕してしまったのです。全くこれでは、この二百五十人の人たちの魂は泣き切れないでしょうね。ひどいものです。

言論統制から、人の命までが軽々しく一部の人間の思うように処分されてゆく。死ななくても良い人たちまでが、とばっちりを受けて250人もが硫黄島のチリとなって消えてしまう。もし、あなたがこの250人の中に選ばれたとしたらどう思いますか?

ええっ?現在、そんな馬鹿げた事は起こらない?
そうでしょうか?
太平洋戦争が終って戦争放棄を謳(うた)った憲法が出来た時、いったい誰が自衛隊が出来ると考えたでしょうか?
その自衛隊が、イラクに派遣されると誰が考えたでしょうか?

ええっ?でも徴兵なんて日本には絶対にないから、戦争で死ぬ事はない?
そうでしょうか?
あなたと私が声を大きくして、表現の自由と言論の自由のもとで戦争反対を訴えない限り、
一体、誰が徴兵の無い時代を保障しますか?

これまで読んできて、表現の自由と言論の自由の大切さが分からないとしたら、あなたも、あの250人の中に選ばれて硫黄島へ送られるということが、また起こるかもしれないですよ。
そう思いませんか?
ええっ?あなたは女だから心配ない?

しかし、アメリカを見てくださいよ。
アメリカ女性兵士がイラクで救出されたことがありましたよね。あなただって知っているでしょう?
日本はアメリカの真似をしますからね、志願だけではなく女性だって徴兵される時代が来るかもしれませんよ。現在の日本の自衛隊にも男性と同様に実戦訓練を受けている女性自衛官が結構たくさん居るんですよ。

ええっ?もう兵隊にとられるような年齢じゃない?
あなたの子供の事、あなたの孫の事を考えてくださいよ!
表現の自由、言論の自由のもとで、平和な国にしようと主張しましょうね。
とにかく、表現の自由、言論の自由を守りましょうね。




『少しでも日本を良くしたいと思いませんか?』より
(2005年7月3日)




言論統制の真似をして「言葉狩り」をしている管理人さんは自分が愚かな事をしていると分からないのかしら?



分からないのですよ。。。オツムがアホになっているのですよ。 (微笑)

それで、デンマンさんは、どうするつもりなのですか?

馬鹿に話しても分からないだろうから、こうして記事を書いて愚かな「言葉狩り」がネット市民の間に広がらないようにしているのですよ。

人の振り見て我が振り直せ

小百合さんも聞いたことがあるでしょう?

もちろん耳にしたことがありますわ。

愚かな管理人も、いつの日にか分かる時が来ると思いますよ。

そうでしょうか?

僕は人間の良識を信じてますからね。。。(微笑)


【卑弥子の独り言】



ですってぇ~。。。
確かにムカつくようなお話でござ~♪~ますわ。
アメブロ(http://ameblo.jp)の管理人さんはコンピューターに任せきりで怠けているのですわよ。
記事の内容など全く検討していないのですわよ。
怠け者でないならばロボットのように型にはまった事だけをしている無責任で無気力な人間ですわ。
あなただって、そう思うでしょう?

だいたい言葉狩りをするなんて時代錯誤もはなはだしいと思うのでござ~♪~ますう。
まるで太平洋戦争中と変わりがありませんわ。
アメブロ(http://ameblo.jp)の管理人の教養が極めて低劣なのだと思います。
あなたは、どう思いますか?

とにかく次回も面白くなりそうですわ。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。






ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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下着・ランジェリーを見つけませんか?』


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こんにちは。ジューンです。

世界の三大美人って知ってますか?

楊貴妃、クレオパトラと小野小町ですって。。。

でもね、欧米で“小野小町”と言っても

理解してもらえませんわ。

Beauty is in the eyes of the beholder.

“美人って見る人によって違うのよ。”

どの国にも、このような言い方がありますよね。

ところで、ネットを見ていたら次のようなサイトがありました。

Top Ten Most Beautiful Women In The World

1. Catherine Zeta Jones

2. Alessandra Ambrosio

3. Adriana Lima

4. Josie Maran

5. Zhang Ziyi

6. Eva Green

7. Scarlett Johansson

8. Natalie Portman

9. Jennifer Connelly

10. Aishwarya Rai

http://hubpages.com/request/975/best

あなたは、どう思いますか?

ところで、これまで書いた小百合さんの記事を集めて

デンマンさんが一つにまとめました。

もし、小百合さんの記事をまとめて読みたいならば、

次のリンクをクリックしてくださいね。

■ 『小百合物語 特集』



とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしてくださいね。

じゃあね。


2011年6月21日火曜日

飛鳥坐神社

 
飛鳥坐神社




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This form was submitted: Jun 10 2011 / 04:52:14

userid = barclay1720
Your_Name = Gペガサス
Your_Email_Address = galaxyturfxxxx@yahoo.co.jp

Comments:


はじめまして。
このサイト、楽しませていただいています。
ただ、飛鳥坐神社を「あすかざ・じんじゃ」と堂々と
書いてらっしゃるのは笑えます。



最近のちょっとした歴史ブームで飛鳥を訪れる
人も多く、飛鳥坐神社が「あすかにます・じんじゃ」
と読むのは常識になっていると思います。

このサイト全体のクオリティ評価に影響すると思い
ますので、至急訂正されることをお勧めします。
余計なお世話を申しました。


Thank you for using Bravenet Email Form Processing!




デンマンさん。。。どうして飛鳥坐神社などを持ち出してきたのですか?



もちろん、日本語が分かる世界のネット市民の一人からコメントをもらったからですよ。

。。。で、マジで「飛鳥坐神社」は「あすかにます・じんじゃ」と読むのですか?

コメントをもらって、僕はなんだか青天の霹靂(へきれき)のような気がして、すぐに『ウィキペディア』で調べてみたのですよ。


飛鳥坐神社

所在地 奈良県高市郡明日香村大字飛鳥字神奈備708

飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ、あすかにますじんじゃ)は、奈良県高市郡明日香村にある神社である。
式内社(名神大)で、旧社格は村社。

祭神

延喜式神名帳には「飛鳥坐神社四座」とある。
現在の祭神は事代主神、高皇産靈神、飛鳥神奈備三日女神(賀夜奈流美乃御魂)、大物主神の四座であるが、多くの異説がある。

•『大神分身類社鈔』 -- 事代主命・高照光姫命・木俣命・建御名方命

•『五郡神社記』 -- 大己貴命・飛鳥三日女神・味鋤高彦神・事代主神

•『社家縁起』 -- 事代主命・高照光姫命・建御名方命・下照姫命

•『出雲國造神賀詞』 -- 「賀夜奈流美乃御魂乃飛鳥乃神奈備爾坐天(賀夜奈流美の御魂の飛鳥の神奈備に坐て)」との記述がある。

また、当社地が天照大神を初めて宮中の外で祀った地「倭笠縫邑」であるとする伝承もあり(有力な説は大神神社摂社の檜原神社である)、近世には元伊勢とも称していた。

歴史

創建の由緒は不詳であるが、『出雲國造神賀詞』に「賀夜奈流美命ノ御魂ヲ飛鳥ノ神奈備ニ坐テ皇孫命ノ近守神ト貢置」とあり、大国主神が皇室の近き守護神として、賀夜奈流美命の神霊を飛鳥の神奈備に奉斎したとある。また『日本書紀』朱鳥元年(686年)7月の条に「奉幣 於居紀伊国国懸神 飛鳥四社 住吉大社」とあり、天武天皇の病気平癒祈願のため幣帛が奉られた。『日本紀略』によれば、天長6年(829年)、神託により、雷丘から現在の鳥形山へ遷座した。

寛永17年(1640年)に高取城に入った高取藩初代藩主・植村家政は、高取城の鬼門に当たる当社を深く信仰した。享保10年(1725年)に里からの火災により社殿の大半を焼失したため、天明元年(1781年)に高取藩8代藩主・植村家利により再建された。平成13年(2001年)再建から200年を経て社殿が老朽化してきたことから、吉野の丹生川上神社上社が大滝ダム建設に伴い移築するに際し、旧社殿を譲り受け再建した。

祭事

2月第1日曜日(元は旧暦1月11日)のお田植神事「お田植祭(おんだまつり)」には夫婦和合の所作があり、奇祭として知られている。
境内には、男性器を模した石が多く安置されている。



(注: 写真はデンマン・ライブラリーより
赤字はデンマンが強調)




出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




あらっ。。。マジで「あすかにいますじんじゃ」、または「あすかにますじんじゃ」と書いてありますわね。



でもねぇ、上の説明を読んでみただけでも2つの読み方があるわけですよ。 だから、「あすかざじんじゃ」という読み方が500年ぐらい経つと3つ目の読み方として定着するかもしれないのですよ。

でも、現在では、「あすかにいますじんじゃ」、または「あすかにますじんじゃ」と読むのだから、やっぱり、それに従うべきだと思いますわ。。。で、どうして記事を書くときに調べなかったのですか?

あのねぇ~、僕は「飛鳥坐神社」を素直に「あすかざじんじゃ」と読んでいた。 これ以外に他の読み方があろうとも思えなかった。

だから調べなかったのですか?

いや。。。実は念のためにGOOGLEで検索してみたのですよ。

そしたら「あすかざじんじゃ」とう読み方が出ていたのですか?

そうなのですよ。 記事を書いた2003年8月当時は、まだ『ウィキペディア』が今ほど使われていなかった。 少なくとも、僕は『ウィキペディア』よりも、まず先にGOOGLEで検索してみるのが習慣になっていた。

それで、「あすかざじんじゃ」とう読み方が検索結果に出ていたので、疑いなく「あすかざじんじゃ」と書いたのですか?

そうなのですよ。 

それで、デンマンさんが書いた笑える記事って、どんなものなのですか?

いや。。。僕の記事が笑えるんじゃなくて、僕の読み間違いが笑えるとコメントを書いた人は言っているのですよ。 小百合さんのためにここに貼り出しますから読んでみてね。


飛鳥坐(あすかざ)神社の神事と

古代ギリシャの

ディオニソス神話



by Akira Kato (デンマン)


August 2, 2003




Dionysos festival (dithyramb4.jpg--520x409)






ディオニソス誕生祭

(Dithyrambos)



【元々の意味: ディオニソスは2度生まれた】







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案内役の卑弥子こでーす。
こんにちは。あたくし、今回は古代のギリシャ民族衣装を着てみました。
どうしてかって、お尋ねですか?

もちろん、気まぐれなどではありませんよ。
ちゃんと理由があります。というのは、ギリシャの神話には欠かせないディオニソスについてお話しするためです。


先ず、この上の絵を見てください。祭りを祝う人の輪の真ん中に置かれている石造物、これ、何だか分かりますか?
もし、前のページを見ているならばすぐに分かると思います。
そうです、飛鳥で見られる「マラ石」なのです。本物は16フィート(4.8メートル)もあるんですよ。



上の「マラ石」と同じものを次の写真で示します。
これはギリシャのデロス島にあります。





Phallus at Delos (phallus1.jpg--208x199)




World map (worldmp3.gif--471x266)



比較のために、飛鳥の「マラ石」をもう一度ここに披露します。




Stone penis (maraishi2.jpg--410x312)



古代のギリシャでは、飛鳥にある飛鳥坐神社と同じように豊饒の儀式を行います。
飛鳥坐神社の神事は神社の舞台で行われますが、ギリシャの場合には屋外です。
この点を除くと、この2つの祭りは非常に良く似ています。
ギリシャでは「マラ石」はディオニソスの化身だと考えられています。



飛鳥坐神社には4柱の神様が祭られています。しかし、2月の第1日曜日に、御田(おんだ)祭と呼ばれる民族学的に、きわめて珍しい神事は、この4柱の神様のなかでも、とりわけ子宝と関係の深い御皇産霊神(たかみむすびのかみ)がギリシャのディオニソスとちょうど同じような役目をするようです。
この御皇産霊神は、飛鳥坐神社の境内の奥に祭られています。そのお姿は次の写真で示すとおり、なんと「マラ石」なのです。




Stone Penis at Asukaza Shrine (tengu07b.jpg--301x375)


奥の大石 御皇産霊神

(たかみむすびのかみ)


確かに似ているようです。古代ギリシャのディオニソスと御皇産霊神(たかみむすびのかみ)、ディオニソス誕生祭と飛鳥坐神社の御田(おんだ)祭。



しかし何と言っても、ギリシャと日本の距離は、ペルシャと日本の間よりもさらに遠いのです。
果たしてこれらのものは関連があるのでしょうか?では、このあたりで加藤さんにバトンタッチいたします。





ディオニソス誕生祭の起源





ディオニソス誕生祭とはディオニソスの生まれを祝うと同時に、豊饒を祝い、また次の年の豊穣を祈ります。
ディオニソスはワインの神でもあります。従って、この時には、飲んで歌って踊って日本で言えば、さしずめ、盆と正月が一緒に来たような気分で愉快に祭りを楽しみます。



この祭りは、紀元前9世紀ないしは8世紀頃に始められたと言われています。ギリシャの部族が“orgia”と呼んで毎年祝っていた祭りがその起源のようです。この時には、飲めや歌えのドンちゃん騒ぎをしたようで“orgy”という英単語は、このorgiaから派生した言葉です。orgasm(オーガズム)も、これに関連した言葉です。


ディオニソス誕生祭は集落の近くの広場で行われるのが普通です。収穫時には、一族がこの広場に集まって、籾から穀物を分けるための共同作業をします。今でも、ギリシャの片田舎にゆくと、このような広場が見られます。
祭りの時には、この広場の真ん中に、上の絵で示したように、マラ石を立てて、その回りに村の人々が集まってワインを飲み、歌って踊ってドンちゃん騒ぎをし、一年のウサを晴らし、それと共に豊饒を祝うわけです。



ディオニソス神話

ディオニソスは、全能の神ゼウスと人間のセメレの間に生まれた子供です。セメレはテーべという王国の姫で、とても美しい女性でした。
夫ゼウスの浮気に気づいた妻ヘラは、セメレを懲らしめるために、いろいろ策略をめぐらしました。



彼女はセメレの乳母の姿に身を変えて、セメレのところにやって来ました。そしてやさしく彼女にささやきました。
「あなた様のところに通っていらっしゃる方は、本物のゼウス様なのでしょうか。なにか証拠となるようなものを、ゼウス様にお願いしてみたらいかがでしょう」



それでセメレはゼウスに、「どうか天上より、光り輝く衣装を着けて来て下さいませ」と頼みました。 ゼウスは、以前に「なんでも望みを聞いてあげよう」と誓っていたので、仕方なく光の衣装をつけてセメレの部屋を訪れたのです。



しかし、生身の人間であるセメレは、それを見たとたん、たちまち焼け死んでしまいました。
ヘラの策略にまんまとはまってしまったのでした。セメレがすでに身ごもっているのを知っていたゼウスは、急いで火の中から子供を取り上げ、ヘラに隠れてニンフたちにその子を預けました。まさに九死に一生を得て誕生したのが、ディオニソスなのです。
一説には、ゼウスの太腿に埋め込んで誕生まで養ったとも言われています。このようなわけで、ディオニソスは2度生まれた、といわれるようになりました。



成長すると、ディオニソスはブドウの木を栽培し、そこから液を搾り出す方法を考えました。また、彼が世界中をさまよっているうちに、女神のレアは彼に宗教の儀礼を教えたのです。彼は母セメレの故郷のテーべに帰って、人々に儀式やブドウの栽培の仕方を教えました。
こうして彼はぶどう酒と祝祭の神としての地位を確立したのです。



マラ石はどのように伝わったのか?

上の神話に出てくるぶどう酒というのがキーです。日本へも間違いなくぶどう酒が伝えられたはずです。
なぜ、そういうことが言えるのか?それは、正倉院にワイングラスがペルシャから伝わっているからです。




Wine glass at Shousou-in (winglass.gif--284x360)



このグラスがどのように造られ、どのように大和へ伝わったか、ということは、このページ (飛鳥とシルクロード)で説明しています。
リンクをクリックすると新しいウィンドーが開きます。読んでください。



ワイングラスだけ伝わって、ぶどう酒が伝わらなかったというのもおかしな話です。私は、間違いなく伝わったと思います。ただし、日本の土壌には当時ぶどうの木がうまく根付かなかったのでしょう。あるいは、ぶどう酒が、酒に親しんでいた当時の日本人の口に合わなかったのかもしれません。あるいは、あまりにも高価だったので、庶民の口には届かなかったのかもしれません。



いずれにしても、ぶどう酒が日本へ伝わっていたということは、酒船石などというものが石造物の中にあることからも、傍証できます。
ペルシャ人がぶどう酒を作るために造ったのがこの酒船石ではないか、と私は見ています。
このことについては、このページ (酒船石の謎)で説明します。



ペルシャから伝わったものは、この他にもまだたくさんあります。狛犬や唐獅子も、元はといえば、ペルシャからつたわってきたものです。
このことについては、このぺージ (ペルシャ人の石工が飛鳥にやって来た)で述べています。



ワイングラスも伝わった。ぶどう酒も伝わってきた、狛犬も、唐獅子も、ペルシャから伝わってきた。ペルシャ人の石工さえ流れ流れて、
お隣の中国から半島づたいにやって来た。
聖徳太子の個人教授の中にもペルシャ人が居たほどです
しかも、聖徳太子の体内には、16分の1だけペルシャ人の血が流れていたかもしれない。これまでのページの中で述べてきただけでも、このように、ペルシャ人の存在が、チラチラ古代史の中に見え隠れしているのです。



だとするなら、なぜ「マラ石」だけが、伝わらなかったのか?という素朴な疑問が頭をもたげます。むしろ、伝わってきて当然だ、と言いたいわけです。



だけど、マラ石は日本独自に

作られたのではないの?




もちろん、その可能性が全くないとは言いません。日本には昔から、道祖神といわれる石造物が各地にありました。

しかし、平安時代に始まったということぐらいで、はっきりしたことは分かっていないようです。



平安時代も含めて、それ以降も村や荘園に住む百姓は、自由ではなかったのです。なぜなら地頭や領主の方針で百姓は土地に縛り付けられていたわけです。
そのようなわけで、よそへ行くことに慣れていなかった。だから、よそ者に対しても警戒の目を向けました。
また、よそからどんな悪霊が村に入ってくるかもしれない、という心配もありました。

村の境界は、あの世とこの世の境目だとも考えられていて、常に神聖な場所とされていました。 そこで、村を守るために道祖神がそういう道の分岐点などにまつられたわけです。



道祖神


道祖神は、塞の神(さえのかみ)とも呼ばれていて、疫神や悪霊などが村に入ってくるのをくいとめたり、追い払う神としてあがめられました。また、旅の神、生殖の神ともされたのです。

この道祖神は、元々「マラ石」から派生したのではないかと私は推定しています。
このページの初めに掲げた飛鳥坐神社の近くにあるマラ石は道祖神の先駆者じゃないかと見ています。

なぜか?


飛鳥坐神社の奥に祭られている御皇産霊神(たかみむすびのかみ)の御神体こそ、道祖神の原型で、「マラ石」は集落を守るために道端に置かれたのではないか?そう見ています。




Dousojin (dousojin3.jpg--136x164)Dousojin (dousojin4.jpg--131x201)



従って、「マラ石信仰」が広くその土地の人々に受け入れられている間は、上の左に示すような、立派なペニスの形をとどめていますが、
やがて、「マラ石信仰」が仏教に取って代わられてゆきます。そうすると、時代が下るに従って、この形を目にすることに馴染めないものを感じ始めてきます。
要するに、仏教というニューファションが広まると、「マラ石信仰」の石造物の形がダサイ物に見えてくるわけです。そうなると、左側の道祖神はすたれてゆき、右側の、お地蔵様のような道祖神がニューファションとして登場してくる、とこういうわけです。

ためしに、現在まで残っている道祖神を見渡してください。圧倒的に、お地蔵様の形が優勢です。これはなぜかといえば、見た目が悪いとか、エロチックだから目立つところに置いておけないとか、そのような理由ではなく、むしろ、「マラ石信仰」が廃れたためだと思います。



「マラ石信仰」というのは「ディオニソス信仰」そのものです。これほど分かりやすい信仰はない。日本では何よりも「マラ石」を、いわゆる「子授けの神様」という形で受け入れているようです。




Clean-up of lovemaking (tengu04b.jpg--176x220)

その証拠に、飛鳥坐神社の神事をもう一度見てください。夫婦和合の神事が滞りなく完了すると、役員がお多福の着物のすそを広げて、後始末を手伝います。要するに、おこぼれを拭い取るわけです。この拭い取る紙が非常にえんぎが良いということになっています。



つまり、拭くの紙(ふくのかみ)と福の神(ふくのかみ)をもじっているわけです。神事の後、この紙を何枚となく観衆めがけて撒き散らすのですが、これをとって持ち帰れば、子宝に恵まれ、家内安全、福が訪れること間違いなしということで、写真に見るように、争って「拭くの紙(ふくのかみ)」を奪い合います。




Throwing out luck-inviting papers (tengu05b.jpg--337x240)



信じられますか?これ、お札(お金)を投げているのではないのです。お札なら、私も仲間入りして、共に奪い合ったことでしょう。
お月様に、ロケットで行けるという時代に、子授けの神様をまだかなりの人たちが信じているのです。
この手を伸ばして「拭くの紙(ふくのかみ)」を奪い合っている人たちの中には、おそらく、創価学会の信者、キリスト教徒、イスラム教徒はいないでしょう。



このように「マラ石信仰」、つまり「ディオニソス信仰」というのは、分かりやすい信仰です。この信仰が廃れたのは、ギリシャやローマではキリスト教が起こったからです。日本では仏教が広まったためです。



ではなぜ、飛鳥坐神社には、

この神事が残ったの?




なぜなら、飛鳥坐神社に祭られている神様が反主流派の神様だからです。主流派の神様というのは、天照大神(あまてらすおおみかみ)の系列の神様のことです。つまり、現在の皇室の先祖とされている神様のことです。
現在の皇室の先祖は九州からやってきて、大和にあった古い王朝を倒して新しい王朝をたてました。
これが私たちが学校で教えられる大和朝廷です。この時の天皇が、現在まで続いていることになっています。



現在の皇室の先祖に倒された古い王朝の大王が大国主命(おおくにぬしのみこと)です。この征服の話が古事記の中の神話では、
大国主命が現在の皇室の先祖に大和の国を譲ったことになっています。その後、娘の三日比売命(みかひめのみこと)を大和に残して大国主命は出雲に移ります。
この三日比売命は人質にとられたようなものです。神話の中では、この三日比売命は皇室をお守りしているということになっています。



もっと分かりやすく説明すれば、現在の皇室の先祖は、非常にむごいやり方で、前王朝の大王を殺して大和の国を奪い取ったわけです。
だから、たたりが怖かったのです。それで、前王朝の殺された人たちの霊を鎮魂するために飛鳥坐神社を含め、前王朝の由緒ある場所に、たくさんの神社を建てて鎮魂したというわけです。



「マラ石信仰」、つまり「ディオニソス信仰」は、このような神社が建てられている頃にペルシャ人を通して日本へ持ち込まれたわけです。
まだ仏教が日本へ導入される前です。今でも、子授けの神様を信じる人が居るくらいですから、この当時、仏教も入ってくる前ですから、たくさんの信者がいたことでしょう。「マラ石信仰」は、当時としては、ニューファッションですから、飛鳥坐神社もマラ石を取り入れたわけです。
それが今に伝えられる御皇産霊神(たかみむすびのかみ)の御神体です。



しかし、やがて蘇我氏が政権を握って、仏教を導入します。当然のことながら、仏教以外の宗教を禁止します。
「マラ石信仰」、つまり「ディオニソス信仰」も駄目な宗教の中に入ります。しかし、飛鳥坐神社は例外でした。

なぜか?


この神社には、現在の皇室の先祖にむごい仕打ちを受けて殺された霊が眠っているからです。
このむごいやり方で殺された古い王朝の大王たちの怨霊は、そおっとしておかねばなりません。さもないと、たたりをなして不吉な事件を起こし、現王朝を危機に陥(おとしい)れないとも限りません。



「触(さわ)らぬ神にたたりなし」という言葉を聞いたことがあると思います。
まさにこの言葉どおりです。
飛鳥坐神社は特別な神社です。

従って、もしこの神社が「マラ石」を祭っているのであるなら、当時の朝廷は許すしか仕様がなっかたのです。そのような理由で、この神社には奇祭といわれる神事が今に伝えられているというわけです。



では、次に亀石の謎に迫りたいと思います。



Mascot girl Himiko (himiko6.gif--172x280)

最後まで

読んでくれて


ありがとう。


面白そうなリンクを


下に並べました。


クリックして読んでね。


亀石の謎


猿石の謎


天武天皇と天智天皇は


同腹の兄弟ではなかった。



聖徳太子の母親は


ペルシャ人だった?



蘇我氏は高句麗からやって来た


天智天皇は暗殺された


定慧出生の秘密


藤原鎌足と長男・定慧


渡来人とアイヌ人の連合王国


なぜ、蝦夷という名前なの?



平和を愛したアイヌ人


藤原鎌足と六韜


古事記より古い書物が

どうして残っていないの?



今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?



マキアベリもビックリ、


藤原氏のバイブルとは?






『飛鳥坐(あすかざ)神社の神事と
古代ギリシャのディオニソス神話』
より
(2003年8月2日)




あらっ。。。ずいぶん真面目な記事ではありませんか?



小百合さんも、そう思いますか?

。。。で、デンマンさん以外にも「あすかざじんじゃ」と読んでいる人が居るのですか?

調べてみましたよ。





「あすかざ」と入れて検索すると驚いたことに 1、010,000件も引っかかるのですよ。 しかも僕が書いた記事がトップと2番目に表示されるのです。(苦笑) でもねぇ、次の記事の中でも「あすかざじんじゃ」と読まれていますよ。




『桜井から飛鳥へ』




次の記事でも「あすかざじんじゃ」と読まれていますよ。



『卑弥呼の里観光案内』




まだあるのですよ。 次の記事の中でも「あすかざじんじゃ」と読まれています。



『いくらところ電話』




でもねぇ、飛鳥坐神社のホームページを見たのか? あるいは『ウィキペディア』で調べたのか? 「あすかざじんじゃ」と思っていたが「あすかにいますじんじゃ」と読むのだと書いてあるぺージもありました。



『飛鳥坐神社おんだ祭り』



次のページでは「あすかじゃじんじゃ」と読むのではなく「あすかにいますじんじゃ」と読むのだと分かって一人で感動しているのですよ。 (爆笑)



『宇奈多理坐高御魂神社』



次のページでは「あすかざじんじゃ」と読むのではなく「あすかにいますじんじゃ」と読むのだと明言しています。 (微笑)



『そよ風と秋の飛鳥をぶらり』



それにしてもデンマンさんは、よく調べましたわね。



いや。。。別によく調べたわけでもないですよ。 GOOGLEで検索してトップから一つずつ見ていったのですよ。

。。。で、デンマンさんも納得したのですか?

納得しましたよ。 でもねぇ、固有名詞といえども、名前というものは時代とともに変わってゆくこともある。

マジで。。。?

例えば、次のように。。。


19世紀末にアメリカに移住した(ユダヤ人の)ブレークシュタイン一家

一家は姓をアメリカ風に変え、ブレークストーン家とブレッグストーン家に分かれた。

前者は乳製品で有名になり、後者のフィリップ・ブレッグストーンはシカゴで判事となった。




87ページ 『多民族の国アメリカ』
著者: ナンシー・グリーン
1997年3月20日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 創元社




でもねぇ、その名前の本人が、こう読んで欲しいと言ったら、その呼び方に訂正するべきだと僕も思いますよ。



つまり、飛鳥坐神社の神主さんが「あすかざじんじゃ」と読んでもかまわないと言ったら、そう読んでもよいとデンマンさんは思うのですか?

当然でしょう? でも、歴史家の中には間違っていることを認めないで被害者本人の気持ちを無視して精神的に苦しめている研究者も居る。




東中野の論法は、被害者の証言にたいしてもつかわれる。 南京事件当時、八歳の少女だった夏淑琴さんが一家九人も殺害され、四歳だった妹とともに孤児として生きなければならなかったことを証言したのにたいし、東中野は「夏淑琴が事実をありのままに語っていれば、証言に食い違いのおこるはずもなかった」、証言内容に「一点の食い違いがあってもならない」と、証言記録(これも本人ではなく聞いた者が記録したもの)によって年齢や家族数が一致していない、として夏淑琴さんを「ニセ被害者」と書いたのである。 この論法は、東中野が聞き取り調査資料の扱いの基本も知らないことを意味している。 聞き取り調査の場合、証言者の数や年、月日に関する記憶の誤りはさほど問題にならない。 大切なのは基本的な体験記憶である。 夏淑琴さんの証言ではこの体験記憶は一致している。

さらに、ドイツ外交官ローゼンの外交文書にあった夏淑琴さんの家族の惨劇の場面の報告で、夏さんを bayoneted とあるのを「銃剣で突き殺した」と訳して(「銃剣で突き刺した」と訳すべきところ)、夏さんが死んだことにし、その後に the 8-year old girl が負傷して生き残ったと記されているのを、the(その)とある意味が理解できずに、生き残ったのは夏さんでなく、別の少女である、つまり夏淑琴さんは死んだはずなので、負傷して生存したと証言している夏淑琴さんは「ニセ被害者」であるというのである。 英文の初歩的な誤訳にもとづいて、夏淑琴さんを「ニセ被害者」と断定してはばからないのである。

日本人の研究者に「ニセ被害者」と書かれた夏淑琴さんは心に大きな衝撃と傷を受け、憤りと無念さで精神不安定な状態に陥った。 その怒りと悲しみから東中野の本を名誉毀損で提訴したのである(2006年6月)。 夏淑琴さんが来日、東京地裁の法廷に立って、「東中野に直接申し上げたい」と証言したが、東中野は法廷にあらわれることなく、準備書面で自分は「学問的な見解を述べたまで」と繰りかえし、自分の言論が被害者の夏淑琴さんの心を傷つけた「第二の罪」を犯しているという自覚はまったくない。

同裁判の東京地裁の判決が2007年11月2日に出され、夏淑琴さんの名誉毀損を認定し、慰謝料など400万円の支払いを命じた。 判決文は「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」と言い切った。 東中野の研究者としての資格を否定する厳しいものである。 東中野は「非常に心外だ。控訴する方針だ」とのコメントを出したという(『朝日新聞』2007年11月3日)。

(注: 写真はデンマン・ライブラリーより
赤字はデンマンが強調)




247 - 249ページ 『南京事件論争史』
著者: 笠原十九司
2007年12月10日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 平凡社

『冠詞の悲劇(2011年6月5日)』に掲載




でも、上のお話は名前の読み間違いとは違うと思いますわ。



もちろん、僕も分かっているつもりです。 僕はただ、間違いを認めるか認めないかの心の問題を取り挙げたのです。 本人の気持ちが大切だということですよ。 要するに、飛鳥坐神社の神主さんが「あすかざじんじゃ」と読まれると、ご神体が不機嫌になるから「あすかにいますじんじゃ」と読んで欲しいと言えば、神主さんの気持ちを尊重して僕は呼び方を変えるべきだと思ったわけですよ。

つまり、デンマンさんは素直に「あすかにいますじんじゃ」だと認めるのですわね?

いや。。。「あすかにますじんじゃ」と呼びますよ。

コメントに書いてあったからですか?

いや。。。GOOGLEで調べたら、「あすかにますじんじゃ」の方が、めっぽう多かった。







「あすかにいますじんじゃ」は 86,300件。 「あすかにますじんじゃ」は 5,690,000件なんですよ。 これだけ使われていれば、「あすかにますじんじゃ」と呼ぶほかないでしょう。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ~。。。
確かにそうですわよね。
ご本人がこう読んで欲しいと言ったら、そのように呼ぶべきですわよね。

ところで、あたくしの名前は「卑弥子」でござ~♪~ますわ。
あの有名な古代の「卑弥呼」さんと混同しないでくださいまし。

とにかく、また、あさっても面白くなりそうですわ。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。






ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

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http://hubpages.com/request/975/best

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とにかく、今日も一日楽しく愉快に

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じゃあね。