2026年9月4日金曜日

蘇我入鹿の首塚


 
蘇我入鹿の首塚


 





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デンマンさん。。。、 蘇我入鹿の首塚 ってぇ、あの有名な乙巳(いっし)の変で蘇我入鹿が 後の天智天皇に切られて、その首が飛鳥寺まで飛んでいった、という その首塚ですかァ〜?



そうです。。。そのように言われています。。。伝説です。。。


でも、どうして そんな気味の悪いことを取りあげるのでござ〜ますかァ〜?


実は、先日、次の詩情豊かなドキュメンタリーを観たのですよ。。。


 



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蘇我入鹿は悪人として語られてきましたけれど、実際には、それほど悪い人ではなかったようですわねぇ〜。。。蘇我入鹿の死を悼む人がいて、首塚を作ったのですから。。。



歴史は勝者が書くものです。。。蘇我入鹿を殺した後の天智天皇が殺人を正当化するために、蘇我入鹿は悪人でなければならなかったのですよ。。。


そういえば、大化の改新を成し遂げた中大兄皇子(後の天智天皇)は、なかなか天皇になれなかったのでござ〜ますわァ〜。。。やっぱり豪族たちは、皇子のやり方に不満を持っていたのでしょうねぇ〜。。。


 



 



そういうことですよ。。。豪族の中の筆頭が蘇我氏だから、皇子のやり方を見て、いづれ自分たち豪族もクビをきられるのではないか?…そういう心配があって、皇子を良くは思わなかったに違いないのです。



その辺の事情はどうだったのでござ〜ますかァ〜?


詳しいことはよく解らないので、ChatGPT に尋ねてみました。


 




上の詩情豊かな動画を観ました。


『藤氏家伝』によれば、蘇我入鹿は青少年期に僧・旻に学問堂で『周易』を学び、「吾が堂に入る者に宗我大郎(蘇我入鹿のこと)に如くはなし」と言われる程の秀才だったとされ、入鹿の学識と人物が優れていたことや、旻から最新の統治技術や国際情勢を積極的に学んでいた人物であった。(頭の良さで菅原道真によく似ている)


乙巳の変で首を斬り落とされた時、その首は飛んで行ったという伝承があり、その首が飛来した、あるいは埋葬されたとされる場所が幾つかあり、その一つである飛鳥寺の首塚には、鎌倉時代または南北朝時代に建立されたとみられる五輪塔がある。


乙巳の変で首を斬り落とされそうになった時に、入鹿は御簾(みす)の向こうにいる皇極女帝に向かって「私は何の罪もないのに殺されようとしている」と助けを求めたと言われている。
つまり、入鹿にとっては冤罪だというのです。


日本には冤罪でなくなった人をまつる風習があります。
菅原道真などは、その典型です
。


飛鳥寺の首塚には、鎌倉時代または南北朝時代に建立された、ということは、その当時にも蘇我入鹿は冤罪だったと信じている人たちがいたということです。
それで、入鹿の怨霊を鎮魂するために五輪塔を建てた。


乙巳の変での殺人事件は、どういう事だったのでしょう。
教科書では悪者にされている。
入鹿は無罪だったのか?
学会の定説は?



とても興味深い点に着目されています。


実は、現在の歴史学では「蘇我入鹿は絶対的な悪人だった」という教科書的なイメージはかなり修正されています。


一方で、「完全な冤罪だった」というところまでは学界の定説にはなっていません。


以下、現在の研究状況を整理します。


 



1.「悪人・暴君」というイメージは


 どこから来たのか?


まず重要なのは、『日本書紀』です。


『日本書紀』は720年に完成しましたが、その編纂は天武・持統朝、さらに藤原氏という乙巳の変の勝者側によって行われました。


つまり、中大兄皇子(後の天智天皇)、中臣鎌足が政変を起こしたことを正当化する必要がありました。


そのため、「蘇我氏は天皇をないがしろにする大悪人」という描き方になった可能性は、多くの研究者が認めています。


2. 実際の入鹿は優秀な


 政治家だった


ご紹介の『藤氏家伝』の記述は重要です。


そこでは、僧・旻に最新の学問を学ぶ、『周易』を修める、学識は当代随一と評価されています。


つまり、武力だけの豪族ではなく、知識人・政治家として描かれているのです。


実際、中国・朝鮮半島情勢を理解し、中央集権国家を目指していた可能性も指摘されています。


3. 皇極天皇への叫び


『日本書紀』には、入鹿が斬られる際、「私は何の罪があるのですか」と皇極天皇に訴えたと書かれています。


これは非常に印象的な場面です。


もし本当に「私は天皇を倒そうとしていた」のであれば、そのような訴え方はやや不自然にも思えます。


もちろん、最後の命乞いだった可能性もあります。


しかし、「自分は国家反逆者ではない」という意識だったとも読めます。


4. 本当にクーデターを


 計画していた証拠は?


ここが一番重要です。


実は、決定的証拠はありません。


『日本書紀』には、


宮殿を造った


武器を集めた


皇位を狙った


などが書かれています。


しかし、これらはほぼすべて勝者側の証言です。


現代の歴史学では、刑事裁判でいう「物証」に相当するものは存在しません。


5. 乙巳の変は政治クーデター


 だったという見方


現在、多くの研究者は、乙巳の変を「改革派と蘇我政権との権力闘争」として理解しています。


つまり、善と悪の戦いではなく、政権交代だったという考え方です。


この見方では、入鹿は「改革を妨害した悪人」ではなく、旧政権の実力者という位置づけになります。


6. 首塚や五輪塔の意味


ここは非常に面白い点です。


日本では、非業の死を遂げた人物について、怨霊信仰が発達しました。


代表例は菅原道真、平将門、崇徳天皇です。


飛鳥寺の首塚や五輪塔も、「怨霊を鎮める」という意味合いを持っていた可能性があります。


ただし、これは「冤罪だったと断定した証拠」ではありません。


当時の人々は、「非業の死を遂げた人物は祟る」と考えていました。


したがって、実際に罪があったかなかったかに関係なく、供養塔が建てられることは珍しくありません。


7. 現在の学会の定説


現在の研究を要約すると、「蘇我入鹿は極悪人」という教科書像は見直されている。


『日本書紀』は勝者側の史料であり、その記述は批判的に読む必要がある。


入鹿は学識に優れた有能な政治家だった可能性が高い。


皇位簒奪を計画していたという決定的証拠はない
。


乙巳の変は、善悪ではなく政権交代・宮廷クーデターとして理解されることが多い。


一方で、「入鹿は完全な無罪であり、冤罪だった」とまでは現在の学界は結論づけていない。


つまり、学界の現在の立場は、「従来の悪人像はかなり誇張されていた可能性が高い。


しかし、無罪であったと断定できるだけの証拠もない」という慎重なものです。



 



歴史学では、「勝者が歴史を書く」という視点は重要ですが、それだけで敗者を自動的に無実とみなすことも避けます。


蘇我入鹿は、その典型例の一人であり、近年は「改革の敵」ではなく「別の国家構想を持った有力政治家」として再評価が進んでいます。



ずいぶんと昔のことなので入鹿がフレームアップされたというような新しい資料は出て来ないでしょうね。


もしかすると新たな遺跡が発掘されて、そこから何か資料が見つかる可能性はありますか?



十分に可能性はあります。ただし、「入鹿は冤罪だった」という決定的な証拠が見つかる可能性はかなり低いというのが現実的な見方です。


理由は、7世紀の日本では、政治の実態を記した公文書や個人の日記がほとんど残っていないからです。


仮に蘇我氏側が記録を残していたとしても、乙巳の変後に焼失・散逸した可能性が高いと考えられます。


しかし、考古学は別の形で歴史像を変えることがあります。


例えば、飛鳥地域では今でも発掘調査が続いており、蘇我氏の本拠地とされる甘樫丘周辺では、邸宅や土地利用の実態を明らかにしようという研究が進められています。


大型建物や石垣、焼土層などが確認されており、蘇我氏の政治基盤を理解するうえで重要な資料になっています。


もし今後、次のようなものが発見されれば、歴史の見方が大きく変わる可能性があります。


蘇我氏の邸宅から木簡(荷札や文書)


未知の寺院跡から奉納文や銘文


墓誌や石碑など、人物の業績を記した資料


外交文書や朝鮮半島・中国との交流を示す遺物


特に木簡は期待されています。奈良時代以降の木簡は大量に出土していますが、飛鳥時代前半のものはまだ少なく、新たな発見があれば政治や行政の実態が一気に明らかになる可能性があります。


実際、考古学はこれまでも文献の内容を修正してきました。


飛鳥寺の発掘では、『日本書紀』だけでは分からなかった伽藍配置や、大陸から導入された高度な建築技術が明らかになりました。


近年も飛鳥地域では古墳や宮殿跡の新発見が続いています。


ただ、仮に「蘇我氏の行政文書」が見つかったとしても、「中大兄皇子が入鹿を陥れた」と直接書かれている可能性は極めて低いでしょう。


古代の公文書は政治や行政に関するものが中心で、陰謀や政変の内幕まで記録されることはあまりありません。


そのため、歴史学者が期待しているのは、「無罪を証明する文書」よりも、蘇我氏が実際にはどのような政治を行っていたのかを示す証拠です。


もしそれによって蘇我氏が高度な国家運営を行っていたことがさらに明らかになれば、「権力を私物化した悪人」という従来のイメージは一層修正される可能性があります。


興味深いことに、このような再評価はすでに始まっています。


現在では乙巳の変は「善が悪を倒した事件」というよりも、「新しい政治勢力が旧政権を武力で倒した政変・クーデター」として理解する研究者が増えています。


その意味では、今後の発掘は「入鹿が無罪だったこと」を証明するというより、「入鹿とはどのような政治家だったのか」という実像を、さらに鮮明にする方向で歴史を書き換えていく可能性が高いと言えるでしょう。



解説、ありがとうございました。当時の状況がより良く理解できました。



どういたしまして。蘇我入鹿をめぐる問題は、日本古代史の中でも特に「勝者が歴史を書く」という視点が重要な事例の一つです。


近年の研究では、「蘇我氏=悪、中大兄皇子=善」という単純な構図ではなく、蘇我氏は飛鳥寺建立や仏教保護など、国家形成に大きく貢献した一族だったこと


入鹿自身も高い学識を備えた政治家だった可能性が高いこと


乙巳の変は、道徳的な「悪の討伐」というより、権力をめぐる政治的クーデターとして理解すべきこと


が重視されるようになっています
。


一方で、中大兄皇子や中臣鎌足を単純に「加害者」と決めつけることもできません。


当時は朝鮮半島で国家間の緊張が高まり、東アジア情勢が激動していました。


その中で、中央集権国家をいかに築くかという切迫した課題があり、政治路線の違いが最終的に武力衝突へ発展した可能性があります。


歴史学の面白いところは、新しい史料がなくても、既存の史料を新しい視点で読み直すことで歴史像が変わることです
。


 



 



考古学の成果や中国・朝鮮半島の史料との比較、文献学の進歩などによって、『日本書紀』の記述をより客観的に評価できるようになり、蘇我入鹿の人物像も少しずつ立体的になってきました。


今後、「入鹿は完全に冤罪だった」と証明される可能性は高くありませんが、「従来考えられていたほどの悪人ではなかった」という方向への理解は、今後もさらに深まっていく可能性があるでしょう。


古代史は証拠が限られているからこそ、一つの史料を絶対視せず、考古学・文献学・国際情勢を総合して考える姿勢が特に大切なのだと思います。



 



歴史は勝者(天智天皇&藤原氏)が書いたものです。殺された蘇我入鹿は冤罪だった可能性が強い!



確かに、そのような事はあると思いますわァ〜。。。原爆を落とされた日本は敗者だから、アメリカは戦争犯罪人にはならなかった。。。もし、日本が更にゲリラ戦で戦い、ベトナム戦争のように勝利を収めたら、アメリカのトルーマンやルメイ将軍は絞首刑にされていたでしょう。


たぶん、そうなるでしょうねぇ〜。。。


敗者は常にバカを見るのでござ〜ますわァ〜。。。これも歴史が教えていますわァ〜。。。


そういうことですよ。。。つまり、歴史は常に正しくはない。


超古代文明だって、あたくしはあったと思いますわァ〜。。。


僕も、そう思いますよ。。。権威を持った歴史家が必死で否定しているように見えます。。。


本当の歴史をネットで深堀りするのが あたくしたちのネット市民の役目だと思いますわァ〜。。。😁😁😁😁😁



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【卑弥子の独り言】



 


ですってぇ~。。。


あたくしも、たまには良い事を言うでしょう? うふふふふふふ。。。


勝者の作った歴史を検証するのですわァ〜


だって、日本が戦争犯罪を犯したのならば、アメリカだって原爆を落として、市民共々無差別に何十万人も殺戮したのです。。。


これは明らかに戦争犯罪ですわァ〜。。。


東條英機さんが死刑にされたように、アメリカの原爆投下責任者も死刑にされるべきだったのですわァ〜。。。


でも、勝者だから、そうならなかったのです。。。


ええっ。。。「そんな事はどうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」


あなたは、そのような強い口調で あたくしに御命令なさるのでござ~ますかァ~?


分かりましたわ。。。


デンマンさんが10年以上も前にアンケートを作りました。


 



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■『拡大する』


■『もう一度クリスマスのページ』


 


上のリンクをクリックすると、


左側のサイドコラムにたくさんの質問が出てきます。


ひとつひとつ見ながら ぜひアンケートに答えてみてください。


じゃあ、また。。。





ィ~ハァ~♪~!


メチャ面白い、


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こんにちは。ジューンです。


“本音と建前”


よく聞きますよね。


さて、英語で何と言うのでしょうか?


考えてみた事がありますか?


いろいろと言い方があると思います。


appearance and reality


見かけと実物そのまま


これも本音と建前と言い換えることができますよね。


form and substance


外観と実体


これも本音と建前と同じですよね。


one's real intention and


what one says on the surface


本音と建前を説明しているのですよね。


real motive and stated reason


これも間違いなく本音と建前ですよね。


what one says and what one means


本音と建前をこのように言うこともできますよね。


では、「本音と建前を使い分ける」を


英語でどのように言うのでしょうか?


ちょっと考えてみてください。



次のように言うことができます。

You should be tactful as to


when to tell real intention


and when to show form.


ところで、英語の面白いお話を集めました。


時間があったら覗いてみてくださいね。


■ 『あなたのための愉快で面白い英語』


では、今日も一日楽しく愉快に


ネットサーフィンしましょうね。


じゃあね。




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