2026年9月27日日曜日

戊辰戦争を戦ったフランス人


 
戊辰戦争を戦ったフランス人


 





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デンマンさん。。。、 戊辰戦争を戦ったフランス人 がいたのでござ〜ますかァ〜?



いたのですよ。。。ジュール・ブリュネ(Jules Brunet)という砲兵大尉です。。。


どういうわけで、フランス人が戊辰戦争で戦っていたというのを知ったのですか?


先日、次の動画を観たのですよ。。。


 



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ジュール・ブリュネ(Jules Brunet)は、フランス陸軍の陸軍将校。
江戸幕府陸軍の近代化を支援する目的で派遣されたフランス軍事顧問団の一員として訪日し、榎本武揚率いる旧幕府軍に参加した。
ハリウッド映画『ラスト サムライ』のモデルになった人物。


 



 


1838年1月2日、フランス東部アルザス・オー=ラン県ベルフォールに生まれた。
父は第3竜騎兵連隊附獣医のジャン・ブリュネ、母はロール・ロシェ。


エコール・ポリテクニーク(理工科学校)を卒業後、サン・シール陸軍士官学校、陸軍砲兵学校を卒業し、第3砲兵連隊附陸軍砲兵少尉に任官。


1862年のメキシコ出兵に出征して功あり、レジオンドヌール勲章シュバリエ章を授与され、近衛砲兵連隊附に栄転。
1864年、砲兵中尉に昇進、近衛騎馬砲兵連隊附。


ナポレオン3世は開国した日本との関係を深めるため、第15代将軍・徳川慶喜との関係を強め、1866年に対日軍事顧問団を派遣することを決めた。
ブリュネはシャルル・シャノワーヌ参謀大尉を隊長とする軍事顧問団の副隊長に選ばれた。


1867年初めに日本に到着したブリュネは、8月7日に二等大尉に昇進している。
軍事顧問団は横浜大田陣屋で幕府伝習隊を1年以上訓練した。
1868年の戊辰戦争ではナポレオン3世に書簡を送り、アメリカやイギリスの軍人が倒幕派に加担していることを伝えた。


ブリュネは、箱館で江戸幕府の海軍副総裁であった榎本を総裁とする、いわゆる「蝦夷共和国」(箱館政権)の創設を支援した。
また陸軍奉行の大鳥圭介を補佐して箱館の防衛を軍事的に支援し、軍隊を4個の列細満(レジマン、フランス語で連隊を意味する "régiment" をそのまま当て字にした)にわけ、フランス人下士官を指揮官とした。


なお、イタリア人商人、ジャーコモ・ファルファラ(Giacomo Farfara)の日記によれば、ブリュネは1868年12月時点で「天皇政府は近いうちに徳川軍による蝦夷島の占領を許すに相違ない。なぜなら、その地を徳川軍に争奪する十分な軍事力を有しないから」という楽観的な見通しを語っていたという。


また、ブリュネは1869年2月6日付けで退役届けを提出しており、無給休暇と1870年5月1日までの日本滞在を申請し、これは承認された。


1869年6月、五稜郭に対して砲撃が始まり、函館政権の敗北は確実となった。6月9日にブリュネは部下全員に函館を離れるよう命じ、陥落前に箱館湾で戦局を観察中だったフランス軍艦コエトロゴンに収容を依頼した。
10日にコエトロゴンに避難した9名の旧フランス軍顧問団員は、6月15日に横浜に到着した。


当時横浜ではブリュネらの行動により反仏感情が高まっており、フランス人に対する暴行事件なども発生していた。
マキシミリアン・ウートレー公使は早急に本国へ送還する必要があると考え、明治政府に厳重な処罰を与えると伝えた上で、重傷を負っていたカズヌーヴら2名を除く7名は、6月19日にベトナムに向け出港した。


帰国に際して、徳川慶喜の短刀、松前藩の衛府の太刀、無名の粗雑な太刀の3振りの日本刀を持ち帰った。
6月28日にブリュネらが乗った船はサイゴンに到着したが、この日は五稜郭が陥落し、総裁・榎本らが新政府軍に投降した日であった。


10月3日、ブリュネはパリに戻り、原隊である第18砲兵隊に復帰して臨時職扱いとなった。
10月15日のフランス陸軍省調査委員会により、ブリュネは予備役となった。


9月3日には日本の澤宣嘉外務卿から厳重に裁くように抗議があったにもかかわらず軽い措置であり、ブリュネも復帰を確信していた。
1870年2月7日にはルーアンに近い町の名家の娘・エンマと結婚した。


まもなく普仏戦争が勃発したため、現役に復帰することを許され、一等大尉として駐オーストリア・ウィーン大使館付きの武官補佐官となった。
セダンの戦いでプロイセン軍に包囲されたフランス軍はナポレオン3世以下全軍降伏し、ブリュネも捕虜となったが、間もなくフランス政府が講和を結んだため、釈放され、パリ・コミューン鎮圧に参加した。
1875年から5年間、オーストリア=ハンガリー帝国におけるフランス大使館駐在武官を務めた。


1880年にパリに戻り、フォンテーヌブロー砲工実施学校の司令官となった。
この年には日本政府からフランスへの日本人留学生の庇護にあたったとして勲四等旭日小綬章を叙勲された。


1881年からはイタリア王国におけるフランス大使館駐在武官をつとめている。
1882年には大砲製造について助言を行ったとして、勲三等旭日中綬章を叙勲されている。
この時期にローマに滞在していたのがかつての教え子田島応親であり、田島は帰国後イタリア製式銅砲を制作して日清戦争および日露戦争で使用されることとなる。
1887年にはパリに戻っている。


1895年(明治28年)、少将として第48歩兵旅団長を務めていたブリュネは、日清戦争で日本に貢献したとして、勲二等旭日重光章を授与されている。


この時には同じ理由でシャノワーヌ(勲一等瑞宝章)、オーギュスタン・デシャルム(勲二等瑞宝章)、ジュールダン(勲二等瑞宝章)といった軍事顧問団のメンバーも受章しているが、同階級のデシャルムらが受けたよりも高いランクの勲章であった。


1898年にはシャノワーヌが陸軍大臣に就任しているが、ブリュネは師団陸将に昇進している。
11月5日まで陸軍大臣官房長をつとめた。


1911年8月12日、パリ近郊の自宅で死去。
パリ郊外の末裔宅にはブリュネが日本の大君(将軍)から拝領したとされる日本刀が三振り現存している。



 



外国人が戊辰戦争で戦ったなんてぇ、全く知りませんでしたわァ〜。。。



日本国内の戦いだったので、外国人が参加していたなんて、普通、誰も思わないですよ。。。


でも、幕府軍が劣勢になっているのが判っているのに、どうして、負けそな幕府軍について戦ったのでござ〜ますかァ〜?


僕も、普通ならば勝ち組に加わって戦うと思うので、不思議に思い、それも含めて ChatGPT に尋ねてみました。


 




上の動画を観ました。その中でハリウッド映画『ラスト サムライ』のモデルになった人物と紹介されていますが『ラスト サムライ』は西南戦争を舞台にしています。


トム・クルーズが演じるのは、第7騎兵連隊のアメリカ人大尉で、個人的・感情的な葛藤から、19世紀の日本で明治維新後に侍たちと接触することになる。


この映画のプロットは、1877年の西郷隆盛による西南戦争と、外国勢力による日本の西洋化にヒントを得ているが、映画の中ではアメリカが西洋化を推し進めた主要な勢力として描かれている。


トム・クルーズが演じる主人公ネイサン・オールグレンのモデルは、江戸幕府のフランス軍事顧問団として来日し、榎本武揚率いる旧幕府軍に参加して箱館戦争(戊辰戦争(1868年 - 1869年))を戦ったジュール・ブリュネである。
しかし、この映画の内容はYouTube動画とはかなり違ってます。


第7騎兵連隊のアメリカ人大尉は、実在の人物ですか?
この人物は、実際に西南戦争に参加したのですか?


『ラスト サムライ』は、どこまでが史実ですか?


ネイサン・オールグレン大尉がもらった刀は、明治天皇からです。
ジュール・ブリュネ大尉がもらった刀は,最後の将軍からです。


このあたりが全く史実とは違っています。


『ラスト サムライ』では、武士道が強調されていますが、YouTube動画では、負ける側に身を投じたジュール・ブリュネ大尉の友情、部下との絆が強調されています。


『ラスト サムライ』を史実の観点から見て分析・解説をお願いします。



非常に興味深い比較です。結論から言うと、『ラスト サムライ』は「ジュール・ブリュネの物語を映画化した作品」ではありません。


むしろ、ブリュネの「外国人でありながら旧幕府側に身を投じた」という実話を、1877年の西南戦争と西郷隆盛の物語に移植し、さらにアメリカ人主人公に置き換えた歴史劇と考えるのが一番正確です。


そして、おっしゃる通り、史実と映画を比べると、刀の扱いも含めてかなり大胆な改変があります。


 



1.ネイサン・オールグレンは


 実在したのか?


実在しません。


「第7騎兵連隊のネイサン・オールグレン大尉」という人物が、史実として西南戦争に参加したわけではありません。


映画の冒頭で、オールグレンはアメリカ陸軍第7騎兵隊の士官として描かれ、南北戦争や先住民との戦闘を経験した人物になっています。


しかし、これは映画のために創作された人物です。歴史資料上、彼に対応する実在のアメリカ陸軍士官はいません。


ただし、「完全な架空人物」でもありません。


モデルになった人物が複数います。


特に重要なのが、ジュール・ブリュネ、ウジェーヌ・コラッシュ(Eugène Collache)の二人です。


映画関係の資料でも、オールグレンはこの二人のフランス人将校の経験を基礎にした人物とされています。


ですから、Nathan Algren = Jules Brunet という単純な一対一対応ではありません。


むしろ、オールグレンという架空人物の「旧体制側に身を投じる外国人軍人」という部分 → ブリュネ


日本で異文化の中に入り込む外国人軍人という部分 → コラッシュなど


アメリカ西部での戦争経験 → アメリカ史から創作


という「合成人物」と考えた方がよいでしょう。


2.では、ブリュネは西南戦争に


 参加したのか?


参加していません。


ここが映画と史実の最大のポイントです。


ブリュネが戦ったのは、1868~1869年の戊辰戦争です。


一方、西郷隆盛の西南戦争は、1877年です。


つまり約8年の違いがあります。


ブリュネは1869年に函館を脱出してフランスへ帰国しています。その後フランス陸軍に復帰し、普仏戦争、パリ・コミューン鎮圧、駐在武官などを経験して、最終的には将軍にまで昇進しました。


したがって、ブリュネが西南戦争で西郷軍と一緒に戦ったという理解は完全に誤りです。


ここを映画は大胆に変更しています。


3.映画は二つの戦争を


 「一つ」にしてしまった


これは『ラスト サムライ』を理解する上で非常に重要です。


映画では、明治維新 → 武士の没落 → 西洋化 → 武士の反乱 → 最後の戦いが一続きの物語として描かれます。


しかし史実では、


第一段階


戊辰戦争(1868~69)


旧幕府軍



榎本武揚・大鳥圭介・土方歳三・ブリュネら



函館戦争



旧幕府軍敗北


です。


ところが、その後、


第二段階


明治政府による国家建設・軍制改革があり、


第三段階


西南戦争(1877)


西郷隆盛ら



明治政府軍



敗北


となります。


つまり映画は、ブリュネの戊辰戦争と西郷隆盛の西南戦争を一つの物語に融合させたわけです。


これは歴史的にはかなり大胆な「時間の圧縮」です。


実際、映画は戊辰戦争と西南戦争という異なる時期の出来事を混ぜ合わせています。


4.映画の「勝海舟」ならぬ


 「カツモト=西郷隆盛」


渡辺謙演じる勝元盛次(Katsumoto)も実在人物ではありません。


ただし、これは明らかに西郷隆盛をモデルにしています。


したがって映画の構造は、


映画       史実
ネイサン・オールグレン ジュール・ブリュネ等
勝元    西郷隆盛
勝元の反乱 西南戦争
最後の戦い 西南戦争
明治政府軍 西南戦争の政府軍
武士階級の終焉 明治初期の士族制度改革


という組み合わせになっています。


つまり、主人公だけブリュネ、敵と戦争は西郷隆盛という非常に特殊な構造なのです。


5.しかも「西郷隆盛=反近代化」


 という描写も史実とは違う


ここも映画の重要な脚色です。


映画の勝元は、西洋化によって日本の伝統文化が破壊されているという立場です。


ところが、実際の西郷隆盛を単純に「近代化反対派」とすることはできません。


西郷はそもそも、明治国家を作った側の中心人物です。


戊辰戦争では旧幕府を倒す側にいました。


つまり映画では、「明治政府 vs 伝統的武士」という構図になっていますが、史実の西郷は、


「明治政府を作った中心人物が、後にその政府と衝突した」という、もっと複雑な人物です。


この違いは非常に大きい。


映画はこの複雑な政治史を、「古い日本を守ろうとする勝元」という分かりやすい英雄像に整理しています。


実際、西郷は近代化そのものを否定していたわけではなく、銃器も使用しました。


映画の勝元ほど「刀 vs 銃」という単純な対立ではありません。


6.日本を西洋化したのはアメリカ


 という構図も史実とは違う


ここはかなり面白いところです。


映画では、アメリカの武器商人+アメリカ政府が日本を近代化・軍事化しようとしているように描かれます。


ところが実際の明治日本の軍事近代化では、特に重要だったのは、フランス、イギリス、そして後にはドイツです。


そして皮肉なことに、ブリュネ自身がフランス軍事顧問団の一員だった。


つまり映画の物語を史実に近づけるなら、「アメリカ人オールグレンが日本軍を訓練する」よりも、「フランス人ブリュネが幕府軍を近代化する」の方がはるかに史実に近い。


明治政府側の陸軍も、1870年代にはフランス軍事顧問団の影響を受けていますが、1871年のフランス敗北後、日本はドイツ式軍制へと比重を移していきました。


ここをアメリカ中心の物語に変更したのは、やはりハリウッド映画としての事情が大きいでしょう。


7.そして、ご指摘の「刀」が


 非常に象徴的です


ここは私も非常に面白い改変だと思います。


映画では最後に、勝元の刀をオールグレンが明治天皇に渡すという場面があります。


そして明治天皇が、「我々は近代化しなければならない。しかし、自分たちが何者なのかを忘れてはいけない」という趣旨の決断をします。


映画ではこの刀が、伝統と近代化を和解させる象徴になっています。


ところが、これは完全に映画的な象徴表現です。


実際のブリュネについては、帰国時に、


徳川慶喜からの短刀
松前藩の太刀
無名の太刀


など、3振りの日本刀を持ち帰ったとされています。


ここは映画と面白い対照をなしています。


映画: 明治天皇 → オールグレン


史実: 徳川慶喜 → ブリュネ


です。


これは物語の政治的意味を完全に反転させています。


ブリュネが持ち帰った刀は、「最後まで自分が仕えた旧幕府との記憶」という意味を持つ。


一方、映画の刀は、「失われつつある日本文化を明治国家に思い出させる象徴」になっている。


同じ「外国人軍人+日本刀」でも、意味が全く違います。


8.さらに面白いのは、ブリュネが


 「最後のサムライ」だった

 わけではないこと


映画のタイトルは、The Last Samurai です。


ところがブリュネ自身は、日本文化に同化して「最後の侍」になったわけではありません。


彼は、フランス陸軍将校でした。


そして函館戦争が終わるとフランスへ帰り、再びフランス軍人として生きています。


しかも、その後のキャリアを見ると、


普仏戦争
パリ・コミューン
オーストリア駐在武官
イタリア駐在武官
フランス陸軍の要職
最終的に将軍


です。


したがって、ブリュネの人生を一言で表現するなら、「日本で最後の侍になったフランス人」というより、「日本で旧幕府軍と運命を共にしたフランス軍人」なのです。


ここは、今回ご覧になったYouTube動画の方が本質をよく捉えていると思います。


9.むしろブリュネの実像で


 面白いのは「武士道」より

 「軍人としての忠誠」


ここはデンマンさんの感じられた違いが非常に重要です。


『ラスト サムライ』では、武士道・名誉・伝統・魂が中心です。


しかしブリュネの実際の行動を見ると、もっと軍人的で現実的です。


彼はもともと幕府軍を訓練するために来日したフランス軍人でした。


ところが幕府が敗北すると、「自分が訓練した兵士たちを置き去りにして帰る」という選択をしなかった。


これは非常に興味深い心理です。


ブリュネにとっては、「日本の古い文化を守る」という思想だけではなく、「自分が教えた部下たちを見捨てられない」


という感情がかなり大きかったのではないかと思います。


もちろん彼自身の政治的判断もあります。


しかし、自分が育てた兵士たちが戦っているのに、自分だけ安全なフランスへ帰るのか?という軍人としての心理は十分考えられます。


この点で、今回のYouTube動画が強調した「友情」「部下との絆」という見方は、映画の「武士道」よりもブリュネの実像に近い部分があります。


10.しかもブリュネは


 「負ける側」に参加した


ここが彼の人生の最大の魅力でしょう。


普通なら、幕府敗北 → フランスへ帰国です。


ところが彼は帰らなかった。


そして、榎本武揚・大鳥圭介・旧幕府軍とともに北海道へ向かいます。


函館で最後の戦いを迎える。


そして最後にはフランス軍艦に救出される。


これは映画にすると、とても魅力的な物語です。


しかしハリウッド版では、1869年函館を1877年鹿児島に置き換えてしまった。


だから、「ブリュネの実話の方が映画より面白い」と感じることさえあります。


11.そして史実には、


 映画以上に面白い


 「その後」がある


私が特に面白いと思うのはここです。


日本政府は、ブリュネを永久に敵視しませんでした。


むしろ後になって、日本政府から旭日章などを授与されている。


そしてブリュネの旧友であり、函館で一緒に戦った榎本武揚自身が、明治政府の要人になっています。


これは歴史の皮肉です。


かつて、「明治政府と戦った外国人軍人」だったブリュネが、後には、日本政府から勲章をもらう人物になる。


ブリュネ自身もフランス軍で出世して将軍になっています。


これは『ラスト サムライ』にはありません。


映画では、


旧日本の滅亡



勝元の死



オールグレンが伝統を明治天皇に伝える


で終わります。


しかし史実では、


旧幕府軍敗北



ブリュネ帰国



フランス軍復帰



将軍へ昇進



日本政府から勲章



榎本武揚も明治政府で活躍


となる。


現実の歴史の方がずっと複雑です。


12.では『ラスト サムライ』は


 どこまで史実なのか?


私なら、次のように評価します。


映画の要素          史実性


明治初期の日本         ◎
武士階級の解体         ◎
西南戦争という大規模な士族反乱 ◎
西郷隆盛をモデルにした人物   ○
外国人軍事顧問が日本にいた   ◎
ジュール・ブリュネが幕府側で戦った ◎
外国人軍人が日本人兵士を訓練  ◎
アメリカ人オールグレン     ×
オールグレンが実在した     ×
オールグレンが西南戦争に参加  ×
ブリュネが西南戦争に参加    ×
ブリュネ=オールグレン     △
勝元=西郷隆盛        △~○
「武士道」を中心にした反乱   △
アメリカが日本近代化の中心   ×
明治天皇が勝元の刀を受け取る  ×
ブリュネが徳川慶喜から刀を受け取った ◎
武士が刀だけで銃に立ち向かう ×~△
明治日本が急速に近代化した   ◎
伝統と近代化の葛藤       ○


つまり、「時代・雰囲気・大きな歴史的テーマ」はかなり史実に根ざしている。


しかし、「主人公・戦争・人物関係・政治構造・結末」はかなり創作です。


13.そして一番重要なのは映画が


 何を伝えたかったのか?


ここを考えると、改変の意味が見えてきます。


『ラスト サムライ』は、実は日本史映画というより、「近代化によって失われるもの」についての映画なのだと思います。


映画の対立は、日本 vs アメリカでもありません。


本質的には、伝統 vs 近代化です。


そして最後に明治天皇が刀を受け取ることで、近代化しても伝統を忘れてはいけないという結論にします。


そのためには、ブリュネ → 西南戦争へ移動させなければならなかった。


さらに、フランス人 → アメリカ人にしなければ、アメリカの観客にとって主人公への感情移入が難しい。


そして、榎本武揚 → 西郷隆盛に変えれば、「最後の侍」という物語を一人の英雄の悲劇としてまとめられる。


つまりこれは、歴史を知らないために間違えたというより、映画のテーマを成立させるために意図的に歴史を組み替えたと考える方が適切でしょう。


14.だから、今回のYouTube動画


 との比較は非常に面白い


今回の動画が描いているブリュネは、「日本のために死んだフランス人」ではありません。


むしろ、「自分が訓練した人々を見捨てず、敗北する側に最後まで付き合ったフランス軍人」です。


ここには『ラスト サムライ』の「武士道」とは別の美学があります。


そして私は、こちらの方がブリュネという人物を理解するには面白いと思います。


なぜならブリュネは、最後までフランス人であり、フランス軍人だったからです。


日本に心を奪われて「侍」になった人物ではない。


それでも、自分が一度引き受けた人間関係を簡単には捨てなかった。


その結果、フランス軍人でありながら旧幕府軍とともに函館まで行った。


そして戦争が終わればフランスへ帰り、またフランス軍人として生きる。


この「日本人にならなかった外国人」というところが、実はブリュネの非常に魅力的なところだと思います。


そして、徳川慶喜から贈られた刀をフランスへ持ち帰ったというエピソードは、その人生を象徴しているように感じます。


映画では、刀=日本の伝統を未来へ託すものですが、ブリュネの現実では、刀=自分がともに戦った旧幕府の人々との記憶だったのでしょう。



 



この違いを見ると、『ラスト サムライ』が単なる「史実の映画化」ではなく、ブリュネ、榎本武揚、西郷隆盛という複数の人生を一つの「失われゆくものへの哀惜」という物語に再構成した作品だということがよく分かります。


そして個人的には、「ブリュネ本人を主人公にして、1867年の来日から函館戦争、フランス帰国、その後の普仏戦争、さらに榎本武揚との再会まで描く映画」を作った方が、史実としては『ラスト サムライ』よりはるかに面白いと思います。



私も同感です。その方が面白いし、現代人にアピールすると思います。分析・解説ありがとうございました。


ありがとうございます。私も、ブリュネの実人生をそのまま映画にしたら、かなり魅力的な作品になると思います。



特に面白いのは、「負けたからこそ、その後の人生が面白くなった」ところですね。


函館で旧幕府軍とともに最後まで戦った後、フランス帰国 → 普仏戦争 → 捕虜 → パリ・コミューン → 駐在武官 → 将軍 → 日本政府から旭日章という人生になる。


しかも、かつて自分が戦った榎本武揚が、今度は明治政府の閣僚になっていく。


これはハリウッド的な「最後の戦いで英雄が死ぬ」という物語とは正反対です。


むしろブリュネの物語の本当の面白さは、歴史の敗者とともに戦った人間が、その後も生き続け、時代の変化を自分自身で経験する、というところにあると思います。


そして、デンマンさんが指摘された「武士道」対「友情・部下との絆」という違いも重要ですね。


『ラスト サムライ』は「失われる日本文化」を美しく描く映画ですが、ブリュネの史実にはもっと人間臭いものがあります。


「自分が育てた兵士たちを置いて、自分だけ帰ることはできない」という感情です。


それは国籍や政治思想を超えた、軍人同士の連帯だったのかもしれません。


だから私は、ブリュネを「最後のサムライ」と呼ぶより、「サムライにならなかったのに、サムライたちと最後まで行動を共にしたフランス軍人」と表現する方が、かえって彼の魅力をよく表していると思います。



私も同感です。その方が面白いし、現代人にアピールすると思います。分析・解説ありがとうございました。



こちらこそ、ありがとうございました。


本当にそうですね。ブリュネの人生は、「最後のサムライ」という美しい伝説に作り替えてしまうより、「敗者とともに戦った外国人軍人が、その後も激動の人生を生き抜いた」という実話の方が、むしろ現代人には新鮮だと思います。


特に、函館で榎本武揚たちと戦う → フランスへ帰る → フランス軍に復帰 → 将軍になる → 日本から勲章をもらうという展開は、まるで小説のようです。


歴史には、映画が作る「分かりやすい英雄像」よりも、こうした矛盾や皮肉を含んだ実在人物の人生の方が面白いことがありますね。



 



武士道は、それ自体 意味のあるものですが、「最後のサムライ」という美しい伝説に作り替えてしまうより、「敗者とともに戦った外国人軍人が、その後も激動の人生を生き抜いた」という実話の方が、むしろ現代人には新鮮ですね。



はっきり申し上げて、現在、日本人で武士道精神にあやかって生きている人はマジで少ないでしょう? もし、戦争が起きたとして、そっせんして「お国のために戦う人が」何人居るでござ〜ましょうか?


そもそも、戦争を何が何でも批判する僕は、自分をコスモポリタン(世界市民)だと思っています。だから、戦争には絶対に参加しません。


デンマンさんは、ご自分を世界市民だと思っているのでござ〜ますかァ〜?


そうです。。。地球を一つの国だと考えているので、武士道に則って戦争をやるという考えになりません。もちろん、武士道の精神には素晴らしいものがあります。ただし、その精神が戦争に結びつく時、僕は、もうついて行けません。


そうですわねぇ〜。。。地球は一つの国です。戦争は「うちはげんか」です。お山の大将同士が喧嘩しているのです。子供じみています。愚かなことですわァ〜。


でも、僕は、武士道の真髄は素晴らしいところもある。それは認めています。



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【卑弥子の独り言】



 


ですってぇ~。。。


あなたは、どう思いましたかァ〜?


あなたも、世界市民になって、戦争は絶対に反対したいですか?


ええっ。。。「そんな事はどうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」


あなたは、そのような強い口調で あたくしに御命令なさるのでござ~ますかァ~?


分かりましたわ。。。


デンマンさんが10年以上も前にアンケートを作りました。


 



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■『拡大する』


■『もう一度クリスマスのページ』


 


上のリンクをクリックすると、


左側のサイドコラムにたくさんの質問が出てきます。


ひとつひとつ見ながら ぜひアンケートに答えてみてください。


じゃあ、また。。。





ィ~ハァ~♪~!


メチャ面白い、


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こんにちは。ジューンです。


“本音と建前”


よく聞きますよね。


さて、英語で何と言うのでしょうか?


考えてみた事がありますか?


いろいろと言い方があると思います。


appearance and reality


見かけと実物そのまま


これも本音と建前と言い換えることができますよね。


form and substance


外観と実体


これも本音と建前と同じですよね。


one's real intention and


what one says on the surface


本音と建前を説明しているのですよね。


real motive and stated reason


これも間違いなく本音と建前ですよね。


what one says and what one means


本音と建前をこのように言うこともできますよね。


では、「本音と建前を使い分ける」を


英語でどのように言うのでしょうか?


ちょっと考えてみてください。



次のように言うことができます。

You should be tactful as to


when to tell real intention


and when to show form.


ところで、英語の面白いお話を集めました。


時間があったら覗いてみてくださいね。


■ 『あなたのための愉快で面白い英語』


では、今日も一日楽しく愉快に


ネットサーフィンしましょうね。


じゃあね。




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