愛のポケット2
デンマンさん。。。あんさんは、いつからジューンさんのペットと兄弟になりはったん?
うへへへへへ。。。めれちゃんは冗談がうまいなァ。
ジューンさんにペットのように可愛がられていると言いたいん?
うへへへへぇ~。。。めれちゃんにも分かるかァ~?
何をぬかしてけつかんねん!。。。あんさんの妄想が上の写真をコラージュさせたのやないかいなァ!
めれちゃんは、わての繊細な心を押しつぶしてしまうような、ごっつう、きつい事を言うなァ~。
あんさん。。。、いつまでも無駄話をしてへんで、はよう本題に入らんかい!
めれちゃんが、そう言うなら、まず次の短歌を読んで欲しいねん。
あんさんは、なんでわたしの短歌を持ち出してきやはったん?
なぜなら、“愛のポケット”がこの短歌の中に読み込まれておるからやァ。。。
どこに読み込まれてるねん?
やさしい言葉で つつまれて
このやさしさが“愛のポケット”やねん。
突拍子もなく、そのようなことを言わはっても信じられへん。
だったら、めれちゃんの次の手記を読んで欲しいねん。
めれんげは、 それでも詩人
テーマ:文学がテーマっす
混沌とした日々が続いています。
めれんげは、詩のことばっかり考えてます。
いや。考えていることを、
如何にして詩にするかということで
頭がいっぱいなのです。
このブログには詩は書かないけれど、
「即興の詩」
「極私的詩集」には、
ほぼ毎日詩をアップしているのです。
恋愛詩。
ダークな詩。
その両方は、めれんげという車の
別々の車輪みたいなもので、
それらがなければ、わたしの活動はストップ
してしまいます。
世に認められたい気持ちはあるけれど、 ただ書きつづけて、
自分の詩が、どこまで通用するのか、
さっぱり自信がないんですよね(泣)
死ぬまで書き続けて、
わたしの消滅のあとも、
作品だけは残ればいいなあ...
なーんて思っています。
まるで、カフカのように
奇特な友人がいればなあ...
なーんて消極的でへなちょこなわたしです。
by merange (めれんげ)
2009-08-21 19:17:19
『愛の人生とカフカ』に掲載。
(2010年6月14日)
この手記がどうやと、あんさんは言わはるの?
その奇特な友人がわてやがなァ。
その証拠でもあるの?
あるでぇ~。。。まず、次の「文学少女」を読んで欲しいねん。
私は骨の髄まで
文学少女なのです
「文学少女」は普通の小説である。
探偵小説壇には普通の小説に似たものを書く人も多いけれど、その気迫において「文学少女」までいたっている作品は非常に少ないのではないかと思う。
短い短編の中に類型ではあるが、しかし決して通常人ではない一人の文学少女の生涯が、簡潔に、しかし溢れる「情熱」と「自尊心」とをもって描かれている。
。。。
僕はかつて、「日本探偵小説傑作集」の序文で、探偵作家諸君の作風を紹介したことがあるが、その中で木々高太郎君だけは、少し見誤っていたことを告白しなければならない。
彼の文学執心には医学者の余技以上のものがある。単なる精神分析作家ではない。
文学心に燃ゆること、探偵小説界彼の右に出(い)ずるものもないほどであることが、だんだん分かってきた。
僕は彼の作品に、スリルまでに高められた「情熱」と「自尊心」とを感じる。
それが人を打たぬはずはない。
「文学少女」でいえば、わざと学校の答案を間違って書くというくだり、
「恋愛は二人のことだけれど文学は孤独の業である」というくだり、
大心池(おおころち)博士が具体的表現ということから女主人公の文学素質を看破するくだり、
有名な小説家に自作を剽窃(ひょうせつ)されて怒るよりも喜ぶという心理、
その謝礼金の小切手を夫が費消(ひしょう)したことを知って、突如としてメチルアルコールを買いに行くあたりの描写、
そして、女主人公が獄中で一躍流行作家となる運命。
「先生、痛みなどは何でもありません。私は始めて人生を生きたいという希望に燃えて来ました。
(中略)
文学というものは、なんという、人を苦しめ、引きちぎり、それでも深く生命の中へと入って消すことのできないものでしょう。
でも、私はもう七度(たび)も生まれてきて、文学の悩みを味わいたいのです。
私は骨の隋まで文学少女なのです」
これは女主人公が普通の人には堪えられぬ程の骨の痛みに堪えながら、大心池先生に叫ぶ言葉であるが、僕はそれを作者木々高太郎の絶叫ででもあるように錯覚して、快い戦慄を禁じえなかったのである。
そして...
「お願いが一つあるのです。。。それは私はもう一度生まれてきて、文学をいたします。そしたら、やっぱり先生が見出してくださいますわね」
「。。。ミヤが心の内で、先生に接吻しているのを許してください」
…とやせ細った手を上げたが、それは先生を身近く招くためではなくて、近づこうとする先生を、近づかぬように制するためであった。
…という幕切れの、パッと消えてゆく情熱の花火が、消え行く刹那、たちまちその色彩を一変して見せるかのごとき、すっきりしたあの味。
僕は木々高太郎君が、「情熱」の作家であることを知っていた。
しかし彼のより以上の特徴が自尊心の作家であるということをハッキリ認識したのはつい三四ヶ月以来である。
僕は以前からも、それを漠然と感じて、「気迫」という言葉で言い表わしていたが、「自尊心」というのがもっと適切である。
pp.511-513 「文学少女」より
『江戸川乱歩全集 第25巻 鬼の言葉』
監修: 新保博久・山前譲
2005年2月20日 初版1刷発行
発行所: 株式会社 光文社
『愛のコラボと文学少女』に掲載
(2010年4月5日)
あんさんは、くどすぎまっせぇ~。。。何度この箇所を引用するねん?
そやかてぇ、“愛のポケット”を説明するのに必要やから、わては持ち出してきたのやないかいな。
。。。で、どこが“愛のポケット”やのォ~?
あのなァ~、この上の部分は全集第25巻の中では最も感動的な文章なのや。誰が読んでも感動するねん。
あんさんも感動しやはったん?
もちろんやァ!。。。初めて読んだとき、乱歩先生の感動と戦慄が生々しく伝ってくるようやったでぇ~。。。ヒロインの激痛やとか、文学にハマってしもうた、その情熱や、苦しみ。。。そして、ヒロインと大心池先生との会話。。。乱歩先生が味わった感動が、わてにもマジで伝わってきたのやがなァ~。
会話ってぇ~、どういう所が良かったのでおますのォ~?
次のところやがなァ~。
「お願いが一つあるのです。。。
それは私はもう一度生まれてきて、
文学をいたします。
そしたら、やっぱりデンマンさんが
見出してくださいますわね」
「。。。めれんげが心の内で、
デンマンさんに接吻しているのを
許してください」
…とやせ細った手を上げたが、
それはデンマンを身近く招くためではなくて、
近づこうとするデンマンを、
近づかぬように制するためであった。
うしししし。。。ここの所を読んで、わては涙がにじみ出てくるほどに感動したのやでぇ~
なんでぇ~、わたしとデンマンさんがお芝居しなければならへんのォ~?
あのなァ~。。。文学というもんは、自分と自分が愛している人をその状況に置くから、しみじみと感動するのやないかいなァ~。。。この場合には、めれちゃんがヒロインになって、わてが大心池先生になるのやがなァ~。。。そうやって上の文章を読むと、急に涙がにじんでくるのやでぇ~。。。めれちゃんだってぇ、そのように感情移入して読むことがあるやろう?
わたしが、デンマンさんのことを想いながら上の文章を読むだろうと。。。あんさんは思うたのォ~?
そうやがなァ~。。。違うのかア~?
違いますやん。。。どうして、わたしがあんさんのことを想わなアカンのですのォ~?
だってぇ~、めれちゃんは、わてのことを愛しておるのやろう?。。。違うのかァ~?
あんさんは、何が何でも、そう思い込もうとしてますねん。
さよかァ~?
わたしの言うてる事を、あんさんはマジで考えようとしてへん。
あのなァ~、めれちゃんが何と言おうとも、わてとめれちゃんの間には文学という名のコミュニケーションの絆がしっかりとできておるのやでぇ~。
口では何とでも言えますやん。あんさんが勝手に、そう思うているだけですやん。
そないな事はあらへん。そのために、わてはソフトカメラで証拠を撮っておいたのやがなァ、見てみィ~なァ。
この検索結果を見れば分かるやろう?めれちゃんはネットの世界で“平成の与謝野晶子”として存在感を増しておるのやでぇ~。。。
でも、これってぇ、ほとんどあんさんが書いたページやんかァ。
あのなァ、だから、わてはめれちゃんの願いに答えたのやないかいなァ。
「お願いが一つあるのです。。。 それは私はもう一度生まれてきて、 文学をいたします。 そしたら、やっぱりデンマンさんが 見出してくださいますわね」
これは、わたしではのうてぇ、あんさんが勝手に妄想したのですやん。
そないな事はあらへんでぇ~。。。めれちゃんは手記の中で次のように言うてたやないかいなァ。
めれんげは、
それでも詩人
ただ書きつづけて、
死ぬまで書き続けて、
わたしの消滅のあとも、
作品だけは残ればいいなあ...
なーんて思っています。
まるで、カフカのように
奇特な友人がいればなあ...
なーんて消極的でへなちょこなわたしです。
そやから、わては「平成の与謝野晶子」を見い出すために、めれちゃんと出おうたのやがなァ。
。。。で、“愛のポケット”はどうなったん?
あのなァ~、人間はだれかてぇ、不完全で未熟なのやがなァ。それはプッチーニかて、エルヴィーラかて、シビル・セリグマンかて同じやでぇ~。。。もちろん、めれちゃんかて、わてかて不完全で未熟なのやがなァ。
そやから、どうやと、あんさんは言わはるのォ~?
だから、より完全な者、より幸せな人生を歩むために、誰もが少なからず努力して毎日を生きている。努力しなくても、今よりはましな自分になろうと思っている。より良い生活を送ろうとも思っている。
でも、まだ“愛のポケット”が出てきよらん。
あのなァ~、プッチーニは少なくとも3つの愛のポケットを持っていたのやァ。一つはエルヴィーラのための愛のポケットやァ。二人は激しい恋に落ちて駆け落ちまでして結ばれた。
。。。で、2つ目の愛のポケットは。。。?
ドリアのための愛のポケットやがな。
でも、ドリアは司法解剖で処女やと判明したのですやん。
あのなァ~、愛し合うためにセックスをしなければならないという法律はないねん。
あたりまえやんかァ。そないな法律があるわけないやん。
だったら、ドリアが処女だったか?非処女だったか?そんな事は関係あらへん。
そやけど、ドリアとプッチーニは愛しおうてたん?
あのなァ~、めれちゃんが考えているような愛ではないねんけれど、二人は愛しおうていたのやァ。
どうして、あんさんは、そのように言わはるの?
エルヴィーラがドリアとプッチーニの関係を疑ったのは、親戚の一人の告げ口がもとやった。
ずっと後年になって彼女(エルヴィーラ)が書き記したものによれば、この疑い(プッチーニとドリアの関係)に彼女の目を向けさせたのは、しばしばトッレ・デル・ラーゴ(プッチーニ夫婦が住んでいた村)を訪れていたエルヴィーラの親戚の一人であったらしい。
つまり、この愚かな親戚の者はドリアとプッチーニがオペラ『蝶々夫人』について親密そうに語り合っているのを見て、男と女の関係になっているのではないかと誤解してエルヴィーラに告げ口したのやがなァ。
どうしてドリアとプッチーニがオペラ『蝶々夫人』について語り合っていたことが、あんさんには分かるん?
ドリアは自殺したのやでぇ~。。。蝶々夫人もオペラの中で自殺するのや。。。
つまり、ドリアは、プッチーニから『蝶々夫人』の話を聞いてたん?
愚かな親戚の者が誤解するほど、二人は親密にオペラのことで話し合っていたことがあったに違いないのや。プッチーニは、かいがいしく働くドリアを可愛がっていたし、ドリアも世界的に有名なオペラ作曲家を尊敬していた。
エルヴィーラから妾(めかけ)呼ばわりされた時に、それでドリアは蝶々夫人のように自殺を選びはったん?
『蝶々夫人』の影響が無かったとは言えへん。。。ドリアは、おそらく、蝶々夫人を「女の鏡」と思っていたかも知れへん。
それで、3つ目の愛のポケットがシビル・セリグマンのためのモノやのォ~?
そうや。夫のデイヴィッドは、シビルを理解していなかった。シビルを本当に理解していたのはプッチーニだけやったとわては思っているねん。そやから、シビルはプッチーニとオペラを見るのを何よりも楽しみにしていたのやァ。
プッチーニとシビルは毎晩のように劇場に出かけた。
コヴェントガーデンでプッチーニと一緒にオペラを観ることは
シビルにとって何よりの楽しみだった。
コヴェント・ガーデンにある ローヤル・オペラハウス
音楽などにはほとんど関心が無かったデイヴィッドは、プッチーニに対して表面上は好意を抱いているように装っていたけれど、内心では好感を抱いてなかった。
シビルがプッチーニと外出している時には、デイヴィッドは他の女性と情事を楽しんでいるのだった。
シビルは夫の情事に対しては、ほとんど気にかけていなかった。
そう言う訳で、20世紀の最初の10年間は、シビルにとってもデイヴィッドにとっても幸せだったと言えた。
エルヴィーラからは文学的にも音楽的にもインスピレーションを得られなかったプッチーニにとってシビルの存在は不可欠になっていた。
エルヴィーラは、ドリアの時のようにはシビルに対してムカつかなかったのやろか?
もちろん、良く思っていたはずが無いねん。でもなァ、ドリア事件でエルヴィーラも少しは反省したと、わては思うでぇ。そやから、シビルに対して妾(めかけ)呼ばわりして毒づくことも無かった。可哀想なのは自殺してしまったドリアやァ。
つまり、エルヴィーラが、プッチーニに3つの愛のポケットがあることを認めていたら、ドリアは自殺することもなかたっと、あんさんは言わはるのォ~?
その通りや。
【レンゲの独り言】
ですってぇ~。。。
デンマンさんの言う“愛のポケット”も分かるような気もするのですけれど、やっぱり第二の女や第三の女が他に居ることを思うと気持ちは穏やかではないですよね。
それを、人間が完全でないからだ、と言われれば、それまでですけれど、やっぱり、好きな人を独占したい思いは女性には共通しているのではないでしょうか?
あなたは、どう思いますか?
とにかく、あさっても興味深い話題が続きます。
あなたも、どうか明後日、また読みに戻ってきてくださいねぇ。
では。。。
あなたが絶対、 見たいと思っていた 面白くて実にためになるリンク ■ 『きれいになったと感じさせる下着・ランジェリーを見つけませんか?』
こんにちは。ジューンです。 確かに、レンゲさんが言うように 好きな人を独占したいと言う思いは 女性には共通しているのではないでしょうか? 嫉妬は、確かに、時には悲劇を招きます。 ドリア事件のように。。。 でも、悪い事ばかりとは言えません。 英語には次のような諺がありますよ。 Jealousy makes a woman beautiful. ジェラシーは女を美しく磨く。 そうですよね。 エルヴィーラも、ドリアに嫉妬して 自殺に追い込む前に、 自分自身を知的にも 芸術的にも美しく磨けば、 プッチーニは、妻の中に 別の“シビル・セリグマン”を発見することに なったかも知れませんよね。 ところで、卑弥子さんが面白いお話を集めました。 時間があったら次のリンクをクリックして 覗いてみてくださいね。 では、今日も一日楽しく愉快に ネットサーフィンしましょう。 じゃあね。バーィ
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