2012年9月14日金曜日

夢をかなえる

 
 
夢をかなえる
 

 




Subj:長い電話お疲れ様でした

Date: 01/10/2007 1:52:14 AM
Pacific Daylight Saving Time
日本時間: 10月1日 午後5時52分 
From: fuji@adagio.ocn.ne.jp
To: barclay1720@aol.com




長い電話お疲れ様でした。
良くわかりました。

経理をしなくてはいけない。
それも13年分。
誰にたのもうか?
レシートもなくてと迷って朝方まで寝られない夜が毎晩だった時、
デンマンさんと話して、ここまで経理が進んだことをホットしてます。

いくら 請求がきても カナダに納めるのならいいやと思いはじめました。 
バーナビーで夏休みを過ごすことは 毎年私の支えの時間でした。

あの古い家は、夏休みで休むというより
ペンキ、芝のクローバむしり、
りんごの木の手入れ、
玄関まで高く長い階段のペンキはがしや、
しばらくみがかないガラス、
シミだらけのじゅうたん、
BASEMENTはランドリーのホコリとくもの巣、
行けば、掃除ばかりの家に大変でしたが
また戻りたいと思っていました。



実父の病気に、もう自分勝手にしていては駄目だ。
と今年決意しました。

こんな私でも欲しい物があります。
別荘です。
場所は長野です。

買ったら元家主の藤田桃子さん夫婦も招きたいです。
よかったらデンマンさんも。

日本だったら、親をおいていくことなく、ゆけます。

でも、29才からバーナビーで夏休みを過ごすことができた事は
私の人生にとって良かったと思います。
ではまた。。。



小百合より




『ロマンと悪妻』より
(2008年7月31日)




デンマンさん。。。また古いメールを持ち出してきたのですわね。



いけませんか?

何度もこのメールを見て「またかァ~!」とうんざりしている人も居ると思いますわ。

なかには、そういう人も居るかもしれません。

それなのに、どうしてまた上のメールを持ち出してきたのですか?

あのねぇ~、たまたまバンクーバー図書館で昨日、内館牧子さんが書いた『夢を叶える夢を見た』という本を借りてきたのですよ。 その本の中に次のように書いてあった。



(kogal2.gif)

具体的な夢を持っている人たちにしても、現状から飛び出そうか出すまいか揺れる際、「情熱と努力」でどこまで行けるものなのかを必ず考えるだろう。
成功するには才能や運や勢いや、あらゆる要素が必要だと思うにせよ、運や勢いは自分ではどうにもできない。
それはどこからかやってくるものだ。

だが、「運は努力で引き寄せられる」ということも確かに聞く。
自分は情熱なら負けないし、努力も自分でできることだからいくらでもする---となれば、情熱や努力で、足りない才能をカバーできるのだろうか。
どの程度カバーできるのだろうか。
どの程度運が引き寄せられるのだろうか。
それがわかれば、現状から飛び出すかいなかの判断がつく。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
イラストはデンマン・ライブラリーより)




78ページ 『夢を叶える夢を見た』
著者: 内館牧子
2002年12月25日 第1刷発行
発行所: 株式会社 幻冬社




私が軽井沢に別荘を持つという夢を実現したので上のメールを持ち出したのですか?



そういうことですよ。

内館牧子さんというのは脚本家の内館さんですか?

そうです。 小百合さんは知っていたのですか?

日本では結構、名前を知られた脚本家ですわ。 NHK朝のドラマの「ひらり」を書いた人ですわ。

そうらしいですね。 僕は全く知りませんでした。 何しろ内館さんは1989年にブレークしたらしいですからね。 当時、僕は海外に居て日本に目を向けていなかった。 日本で起きていることに関心がなかったのですよ。 女性脚本家といえば向田邦子さんぐらいしか知りませんでした。

向田邦子さんはかなり有名でしたからね。

そうです。 内館さん自身も向田邦子さんやウディ・アレン(Woody Allen)を目指して脚本家の道を目指していたらしいです。

内館さんは初めから脚本家ではなかったのですか?

違うのですよ。 武蔵野美術大学デザイン科を卒業してから伯父さんのコネで三菱重工業に入社したのです。 13年半勤めることになるのだけれど、その当時は将来脚本家になろうとは思ってなかったというのです。

どうして脚本家の道に進んだのですか?

あのねぇ、小百合さんも少しは知っているだろうけれど、当時の大手企業では男性社員と女性社員では進路がはっきりと分かれていた。 女性社員が正社員であっても、主任、係長、課長、部長となる道は初めから閉ざされていた。 女性社員はお茶汲みと、コピーと、雑用だけしかやらされなかった人がほとんどだった。 大体23歳から25歳までに女性社員は結婚して辞めてゆくのが当然と考えられていた。。。そういう時代だったのですよ。 経済大国を目指して日本が猛烈に頑張っている頃というのはそういう状態だった。

つまり、内館さんは男性と肩を並べて頑張ってゆきたいという考えを持っていたのですか?

そうなのです。 だから、こんな事をやっていていいのか? お茶汲みと雑用で定年を迎えていいのか? 。。。と深刻に悩むようになったらしい。 実際、当時、三菱重工業には40歳、50歳でお茶汲み、雑用だけをして年を重ねた独身の女性社員が居たというのですよ。

内館さんは、そのような女性にはなりたくないと思ったのですか?

そうなのです。 ちょうど内館さんのお母さんと同い年の女性社員が居て「あなたも早いところ、この会社に見切りをつけないと私のようになってしまうわよ」とアドバイスしてくれたというのです。

それで内館さんは脚本家になろうと決めたのですか?

そうなのです。 でも、そんな事は同僚には言えない雰囲気だったから、ごく親しい女友達にしか言わなかったけれど、脚本家養成学校の夜間部に通ったらしい。

つまり、『夢を叶える夢を見た』という本は内館さんがいかにして夢を叶えたか?。。。ということを書いた本なのですか?

そうです。。。でもねぇ、内館さん自身について書いた部分はごく一部分で、現状に満ち足りないで飛び出した人、飛び出せなかった人。。。そういう人たちのことを書いた本なのですよ。

そう言えば、デンマンさんも一流企業といわれた松下電器産業の正社員を3年ほどで辞めて海外に飛び出したのですわね。

そうです。 僕は内館さんよりは若いけれど、ほぼ同じ世代です。 だから、内館さんのように意欲のある女子社員がお茶汲み、雑用だけをして居る姿を会社で見ていましたよ。

でも、デンマンさんが実際に働いていた職場では女子社員もデンマンさんと同じような仕事をしていたのでしょう?

あのねぇ~、当時の日本では会社にランクがあって、松下、三菱、三井、住友といった大手企業では女子社員は正社員でも課長になる道は閉ざされていた。 でもねぇ~、経済大国になりつつある日本企業では人材が不足していたのですよ。

それでデンマンさんもスカウトされたのですか?

そうです。 当時コンピューターのソフトをやる人が極めて少なかった。 だから、情報処理工学系の学科に居る人は女性でも引き手あまただった。 僕が居た大学の研究室にも同じ研究室を卒業してナショナルソフト(株)という会社で働いていた佐藤さんという先輩が部長と一緒に研究室にやって来た。

人材を採用するためですか?

そうです。

それでデンマンさんはその場で採用になったのですか?

そうですよ。 


当時、ぼくは“ナショナルソフト”という
松下通信工業が100%出資していたソフトウェアの子会社で働いていました。
日本が経済大国に向かって伸びている時だったので、ソフトウェア業界は人手不足でした。

そのようなわけで、僕はその会社にストレートで引きぬかれて、
“無試験”で松下産業の正社員となり、
出向で松下通信工業に配属され、
そのまた出向でナショナルソフトに出向いて働いていたのです。
この“ナショナルソフト”は間もなく“パナファコム”に吸収合併されてなくなりますが。。。

僕を誘った女性は松島優子(仮名)さんでした。
僕よりも1年前に入社した早稲田大学の理工学部数学科を卒業した人でした。
どちらかと言えば目立たない地味な人でした。
“お友達と一緒に見に行くつもりが、急に行けなくなったのだけれど、一緒に行きませんか?”
当日そのように言われたんですよ。

もちろん、僕が“お目当て”で、そのような手の込んだことをする人か?と言えば、
決してそのようなレンゲさんタイプの女性ではないんですよ。
確か神奈川県民ホールだったと思います。
当時そのホールはできて間もなかったと思います。
海岸通りにありました。
今、ネットで調べたら次のように出ていました。


(kanahall.jpg)


神奈川県民ホールは1975年に全国屈指の大型文化施設として、
県立音楽堂は1954年、日本初の本格的音楽専用ホールとして誕生。
以来国際レベルの音楽や舞台芸術など、多彩なプログラムを提供しております。


間違いなく、県民ホールです。
ただ、ハンガリー国立フィルハーモ二ーだったか?
ウィーン・フィルハーモ二ーだったか?
とにかく有名な交響楽団で指揮者も有名な人だったですよ。カラヤンだったろうか?
調べてみたけれど、そこまでは分かりませんでした。

僕はクラシックにハマッテいたわけではありません。
でも6月13に日に書いた記事(『ん? クラシック興味ある?』)の中で述べたように、クラシックとまったく無縁であったわけでもありません。
有名なフィルハーモニーの演奏を聴きに行くと言うよりも、
優子さんに誘われたと言うことが僕には“衝撃的”なことだった。
仕事が終わる頃に誘われたのでした。
彼女の方が1年先輩のわけですし、それまで親しく話しをしたと言うわけでもない。
でも、優子さんにまったく関心が無かったか。。。?と言えば、やはり関心がありましたよね。

当時、同期に入社した女性が3人居ました。
東京学芸大学を出た良子(仮名)さん、
学習院を出た淳子(仮名)さん、
それに横浜国立大を出た小百合(仮名)さん。
この中で最も僕と気が合って、よく話をしたのは良子さんでした。

この3人は、どちらかと言えば、まだ子供っぽいところがあって、
僕もけっこう馬鹿やるほうですから、面白おかしく楽しくやっていましたよね。
でも、優子さんは1年先輩だと言うだけなのに、“お姉さん”という印象を与える人でした。
とっつきにくいと言うわけではない。
でも、ベラベラ話をすることもないし、
ゲラゲラ笑うことも無く、おっとりとして、地味で静かな人でした。

そういう人から誘われたわけですよね。やっぱり、意外というか。。。どうして。。。?
“ん? 僕とですか。。。?”
“ええ、他に用事でも。。。?”
“いや、別に。。。”



そういうわけで、その日残業もせずに優子さんと東横線の綱島駅から出かけたわけです。
でも、無料の残業食は松下通信工業のカフェテリアで食べてから出かけたように記憶しています。

。。。で、あまり話をしない人かと思っていたけれど、
話し始めれば、優子さんはいろいろと話題の豊富な人でした。
話をしていても、話題に事欠かなかったし、きまづい沈黙などまったくありませんでしたね。

でも不思議なことに音楽のことはほとんど話さなかったですね。
意識して話さなかったわけではなく、話題が音楽とは関わりの無い方向に行っていたと言うことです。
優子さんが常に“お姉さん”のように、おっとりと構えていたので僕も気楽に話をすることができました。
その時の曲目が何であったのか、まったく記憶にありません。
そういうわけですから、曲を聴いた感動もまったく無い!
きれいサッパリ音楽の思い出はまったく無いんですよね。
今、振り返ってみても、自分で馬鹿らしくなるほど、音楽の記憶がまったく無い!

自分でチケットを買って行くのなら、音楽を聴きに行くと言うつもりにもなったのでしょうが、
誘われて音楽を聴きに行く。
はっきり言って、当時僕にとってクラシックなんてどうでも良かったですからね。

なぜ、出かける気になったのか?
意外にも優子さんに誘われたと言うことと、この人ってどういう人なんだろうか?
それだけが動機だったと言っていいのです。

ただはっきりと記憶に残っているのは、演奏会が終わった後、
僕は夜食をとろうと言い出して彼女を誘ったのです。
それまで、僕は1円も出していませんでしたから、
お礼を兼ねて食事でも。。。というつもりでした。
当時、僕は松下通信工業の男子寮に居ました。
門限は12時ですが、僕の部屋は1階にありましたから12時を過ぎても問題は無いんですよ。
窓から入れますから。。。

彼女は自宅から通っていました。
つまり、両親の家から通っていました。
“もう、遅いから家に帰りますわ。また別の機会に。。。”
良家の子女の“たしなみ”。。。
そういう事が、ごく普通に守られていた時代だったんですよね。

もちろん、食事をしてから温泉マークに行くことなど僕は考えてもいませんでしたよ。
そういう考え方が全くオツムに思い浮かばなかったのか?
それは考えとしてそういうこともあるよなあああ~。。。とは思いましたよ。
しかし、考えることと、実際に行動を起こすこととは、全く次元の違う話です。

あなたと僕が思うことをすべて実行にうつしただけでも、
この地球上は私生児であふれかえってしまいますからね。

優子さんと個人的に話したことは、それが初めで最後でした。
僕は間もなく会社をやめて海外に出てゆきましたから。。。
“別の機会”は、あれから20年以上になりますが、まだありません。




『ん?クラシックと津軽じょんがら節?』より
(2006年7月9日)




あらっ。。。優子さんとデートしたのは、マジでこの一度だけだったのですか?



そうなのですよ。 僕は海外に飛び出すことでオツムが一杯の頃でしたから。。。

でも、松下産業の正社員だったのでしょう? 無試験で入ったのに、3年ほどで辞めてしまうのは全くもったいないと思いますわ。

今でも、従兄弟などはその事を言いますよ。 「辞めずに居たらデンマンさんならば、今頃、松下の常務か専務になっていただろうに」と。。。

実際にそうなったかもしれませんわ。

いや。。。そんなに甘いものじゃないですよ。 でも、そのたびに僕は言うのですよ。 山一證券がつぶれた時の事を思い出してみろよ!と。。。 尻拭いさせられるために社長に祭り上げられたとも知らずに社長になったら会社が倒産する。 テレビの前の記者会見で「社員は悪くない」と号泣した社長。 美談としても取り上げられたけれど、理不尽な人事にもめげずに真面目に働いて社長に昇りつめたら大企業が倒産。 僕は、もともと社長だとか専務だとか、そういう地位には興味がなかった。

じゃあ、どうして就職する気になったのですか?

海外に飛び出すための資金作りのためですよ。 3年働いて残業をバンバンやって350万円貯めて飛び出しました。 寮費が月に3000円。 7万円が給料で残業するから14万ぐらいになる。

食費は。。。?

払ってなかった。。。残業すれば残業食がつくから社員食堂で食べましたよ。 それに、僕が海外へ飛び出すことを知っていた親切な寮母さんが「デンマンさん、食事が余っているから食べていいわよ」と僕の部屋に言いに来たものですよ。 だから、ビックリするほどお金がたまった。 残業で忙しくって遊ぶ時間がほとんどなかった。 当時それ程日本企業はフル回転していたものですよ。 富士通に行った僕の大学時代の友人なども残業時間が月に80時間を越えていたと言っていましたからね。。。90時間を越えることも珍しくなかった。

でも、労働基準法や組合の規則があるからそんなに残業できないでしょう?

そういう時には下請企業に出向いて深夜残業するのですよ。

猛烈な時代だったのですわね。

そうです。。。「猛烈社員」という言葉があったほどだから。。。

。。。で、この事が言いたかったのですか?

いや、違いますよ。 本の中で内館さんが面白いことを書いていた。


OL時代の私は、まっとうな人と結婚することしか考えていなかった時期がある。
「まっとうな人」というのは、結局は「いい大学」を出て、「大きな会社」に勤めていることに尽きた。
私にとって、これは「安泰な生活」を約束してくれる両輪だった。

今でも思い出すことは二つある。
ひとつはその両輪にかなう人と我慢してつきあっていた時の、私自身の暗さだ。
彼は「超」が二つくらいつくほどのエリートだったが、私はまったく彼に魅力を感じなかった。
それでも、相手は私との結婚を考えており、私としても彼の両輪だけは魅力だった。

が、デートの前日から暗くなる。
あの面白くない男とどうやって時間をやり過ごそうかと考えただけで奈落に落とされる。
そして、とうとうある日、私は雑踏の中で彼を撒(ま)いて逃げ帰ってきた。
むろん、それをきっかけに私は振られた。



しかし、いざ振られると、もったいなくて長いこと後悔した。

もうひとつは、その後につきあった人である。
彼もエリートで、かつ面白かった。
長身で容姿もよく、私にしてみれば完璧だった。
ところが、「女は自己主張せず、バカが可愛い」という思想の持ち主だった。


(bike500.jpg)

私の赤いマニキュアを嫌い、相撲やプロレスやボクシングを好むことを嫌い、小田実や高橋和巳を読むことを嫌う。
私は彼に合わせてマニキュアの赤をやめ、ブリッ子として童話を読み、「趣味はお料理」を示すために料理学校に通った。
相撲とプロレスとボクシングは彼に隠れて観ていたが、いつバレるかとヒヤヒヤしていた。

しかし、結局は彼とも別れた。
自分を殺して合わせていることに「やってらンない」となったのである。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
イラストはデンマン・ライブラリーより)




150-151ページ 『夢を叶える夢を見た』
著者: 内館牧子
2002年12月25日 第1刷発行
発行所: 株式会社 幻冬社




会社を飛び出した内館さんでも、心の中では揺れていたのですよ。 どうですか、小百合さん。。。思い当たることがありませんか?



確かに、言われてみれば付き合っていた彼に気に入られようとしてブリッ子になったことも一度か二度はありましたわね。

やっぱり。。。?

そうでしたわ。。。でも、内館さんと同じように「やってらンない」となりましたわよ。 うふふふふふ。。。
 

【卑弥子の独り言】



ですってぇ~。。。
うらやましいですわア~!
あたくしは「やってらンない!」と言えるまでに、ブリッ子してでも殿方と親しく付き合ったことがないのでござ~♪~ますわよ。
んもお~。。。嫌になってしまいますわ。

もう誰でもいいですわ。
あたくしの婚活に対して少しでも興味のある人はe-メールをくださいな。
お待ち申し上げておりますう。

とにかく、興味深い話題が続きますゥ。
どうか、あなたもまた読みに戻って来てくださいませ。
じゃあ、またねぇ。。。






ィ~ハァ~♪~!

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