2012年9月10日月曜日

小百合さん@行田

 
 
小百合さん@行田
 

 
 
2012年8月16日 (木曜日)



母上様、元気でお過ごしですか?
バンクーバーも真夏ですが、日本の夏と比べると最高気温は27度でしのぎやすいです。
バンクーバーの市立図書館には日本語の本が2000冊ぐらい置いてあるので時たま借りてきます。
『関東と関西の違い』という本を読んでいたら「ところてん」が出てきました。
考えてみたらカナダにやって来てから今まで20年以上経ちますが「ところてん」を食べたことがない!

行田に帰省するのはいつも秋だから当然「ところてん」を食べる季節じゃない。
そういうわけで、すでに25年近く「ところてん」を食べてません。


(tokoroten2.jpg)

特に食べたいわけじゃないけれど、25年も食べてないと無性に懐かしくなります。
夏、酢醤油をかけた冷たい「ところてん」は実に旨かった。
大長寺の門前の市川さんで売っていたのかな?



子供の頃、母上様が作ってくれたようにも思うのですが、振り返って思い出してみると、どこで食べたのか?はっきりと思い出せません。

関西では酢醤油ではなく黒蜜をかけて食べるそうですよ。
つまり、黒砂糖水をかけて食べるのですって。。。
「甘いところてん」なんて考えただけでもまずそうですよね。
オエ~と吐き出してしまいそうです。


(tokoroten1.jpg)

バンクーバーのダウンタウンには日本食レストランが少なくとも50軒ぐらいはあると思うけれど、「ところてん」を食べさせてくれる店はなさそうです。
「ところてん」は夏の食べ物だから秋になったら「おでん」の方がいいですよね。

早いもので、先日、母上様にお会いしたと思っていたら、すでに8月。
来月は9月ですよ。
そろそろ飛行機の切符を買う時がやってきました。
今年は10月1日頃を目安に帰省しようと思います。
その内、切符を手配したらまた手紙を書きますね。



行田の「とんでん」と「おおぎや」で、また旨いものでも食べましょう。
また家で「おでん」も作って食べましょう。

夏は「冷やし中華」が旨いですよね。
日本に居る頃、母上様が冷やし中華を作ってくれましたが、懐かしく思い出されます。
去年の夏は多佳子さん(デンマンの叔母: お袋の一番下の妹)が行田にやって来て冷やし中華を作ってくれたと言ってましたが、今年の夏は多佳子さんはやって来ましたか?



年は取りたくないけれど、誰もが間違いなく年をとってゆくので、こればかりはどうしようもありません。
高齢社会になったから日本には80歳以上の人がたくさん居るけれど、年をとると毎日、毎日、ただ生きているだけでも大変なのでしょうね。
80歳も越えると「生きているよりも死んだ方が楽だよ」という人が多くなるけれど、死んでしまったら旨いものが食べられませんからね。
そういうわけで母上様も、たまには旨いものを楽しみに食べてください。

「さきたま古墳公園」に「田舎っぺきのこ汁うどん」を食べさせてくれる店があります。
テレビでも紹介された店で、店の中で手打ちうどんを作っています。
店の外からでも見えるようになっていて、3人ぐらいで手打ちうどんを作っているのですよ。



小百合さんが行田にやって来たときに食べに行ったのです。
きのこ汁の味がよく出ていました。
「腰」がシコシコして、歯ごたえのある太いうどんは実に旨かったですよ。

今度、帰省した時には母上様にぜひ食べさせてあげたいと思います。
楽しみにしていてください。
たまには家族みんなで食べに行ってもいいではありませんか。
家の中に閉じこもってばかりいるとつまらないですからね。。。
久しぶりに「さきたま古墳公園」の紅葉でも見て、それからうどんを食べると一味も二味も旨く食べられると思います。



夕べは珍しく子供の頃の夢を見ましたよ。
「大正座」が出てきました。
いつ頃あの映画館を壊してしまったのか?
「大正座」のあった所は、もう全く昔の面影がありませんよね。



小生は母上様の背中におんぶして羽生の伯母さんと、うちのお婆さんと小生を含めて4人で映画を見に行った夢でした。
実際にそのようなことがあったのです。
その時には、もちろん、映画の題名など解りませんでしたが『愛染かつら』を観にいったようです。
白衣を着た医者と看護婦が白樺林を歩いているシーンが記憶に残っていますよ。
医者になっているのが上原謙。
看護婦を演じているのが田中絹代だったかもしれません。

背中におんぶされている情景で、もう一つ覚えているのが行田市立中央小学校の講堂です。
現在の市役所があるところに建っていた昔の小学校の講堂です。
オヤジが講堂にあるグランドピアノを弾いているのですよ。
お昼の弁当を作って母上様がピアノの練習をしている親父に弁当箱を届けに行った時だと思います。
その時、ピアノを弾いていたオヤジの姿をはっきりと覚えていますよ。
でも、どのような曲を弾いていたのか?までは思い出せません。

もう少し大きくなった頃のことで思い出すのが宮本公園です。
滑り台があって、その日陰になるところに大きな箱をひっくり返して、その上に座って母上様は手甲と脚半のボタン付けの内職をしていたものです。
正造さん(デンマンの一番下の弟)がまだ生まれる前のことだったと思います。
小生と清正さん(デンマンのすぐ下の弟)がまだヨチヨチ歩きの頃だったでしょう。
母上様は、どこであの箱を見つけてきたのか?
1メートルの立方体ぐらいの大きさがある木の箱でした。
一度や二度ではなく、2週間か3週間、毎日、あの滑り台の所で母上様は箱の上に座って内職していたように思うのです。
傍らで二人の子供を遊ばせなから。。。
そして半日ぐらい内職をしてから家に帰ったようです。

玄関にあった靴や傘を入れる箱の中に、スッポリと体を忍び込ませて隠れたりしたのも、その頃のことだったと思います。
あのような狭い所によく入ったものだと母上様がビックリするのが面白くて、そうしたのだと思います。

その玄関のそばの障子のサンを壊して、子供がくぐれる位の大きな穴を開けて小生と清正さんで、犬になってサーカスのワッカをくぐるつもりになって、行ったり来たりしながら遊んだのも覚えています。
大きな穴の開いた障子戸をそのままにしておけないので、近くの川島薪店から薪の切れ端をもらってきて母上様がサンの修繕をしていたのを覚えていますよ。
その修繕している母上様の姿を見ながら、子供心に「めんどうをかけてしまった」と思ったでしょうね。
少し反省したようです。
それ以来、障子を壊すことを止めたものです。

それにしても、母上様はよく内職が続いたものです。
何もしないでぼんやりとしている姿を一度として見かけたことがありませんでした。
常に何かしていたようでした。
お婆さんは一時、大沢縫製工場のズボンのボタン付けの仕事を手伝ったことがあったようですが長くは続かなかったのを覚えています。
でも、小生の子守だけは一生懸命になってしてくれました。
あのおばあさんは母上様には厳しい人だったけれど、小生はずいぶんと可愛がってもらいました。
しかし子供だったから、お返しに「お婆さん孝行」をしてあげようという気持ちは、まだ起こらなかったようです。
その気持ちが起こる前にお婆さんは屋根から落ちて亡くなってしまいました。

あのお婆さんも、もう少し自分を抑えて母上様と仲良くしていれば、あのような最後を迎えることもなかったと思うのです。
でも、考えてみれば、あの時代には「意地悪ばあさん」は普通でしたね。



今では時代がすっかり変わってしまい、お嫁さんが威張っているとか。。。
姑さんが小さくなっているそうですよね。
変われば変わるものです。

ところで、多佳子さんはお盆に行田にやって来ましたか?
年を重ねたけれど多佳子さんはずいぶんと若々しく見えます。
しかし、大きな病気になったり、手術をしたりで体はかなり無理をしているようです。
ずいぶんと健康には気をつけているようだから寝込むようなことはないと思いますが。。。
多佳子さんがやって来たらよろしくお伝えください。



では、またお目にかかることを楽しみにしています。
母上様も風邪など引かないように気をつけてくださいね。
旨いものを食べるためにも元気を出して頑張ってください。
では。。。

デンマンより





デンマンさん。。。相変わらずお母さんを「母上様」と呼んでいますね。 うふふふふ。。。



もちろん、手紙の中だけですよ。

顔を合わせると何と呼ぶのですか?

“お袋、お袋。。。”と呼ぶのですよ。

それで、手紙の中では「母上様」ですか?

やっぱり、何と言うか。。。尊敬の気持ちというか。。。 苦労しながらお袋は、これまで一生懸命やってきたんだなあああァ~と。。。こうして僕が海外に飛び出して自分の好き勝手に生きてこられたのもお袋が苦労して家庭を守り続け、子供たちを一生懸命になって育てたからだと。。。年をとるにつれて、しみじみと考えるようになりましたよ。

デンマンさんにしては殊勝(しゅしょう)というか。。。けなげな心持ですわね。

うへへへへへ。。。小百合さんに褒められて、なんだか照れてしまいますよ。

半分はお世辞ですわ。 うふふふふふ。。。

ところで、小百合さんも時には子供から手紙をもらいますか?

最近の子供は手紙を書きませんわ。 何か必要な事があればすぐにケータイで連絡してきます。 本も読まなくなっているし、手紙も書かないし、全くの活字離れですわ。

時代ですよ。 これだけパソコンとケータイが普及したら、手紙を書くなんて自家用車の時代に人力車に乗るようなものですよ。

だから、デンマンさんのお手紙を見て改めて世代のずれを感じましたわ。

小百合さんはお母さんに手紙を書かないのですか?

私の母は施設に入っているので、手紙を書くよりは直接施設の方へ車で行ってしまいますわ。 それに、手紙を書いている暇がありませんわ。

書く気になればすぐに書けるでしょう?

でも、車で会いに行った方が早いし、他の用事もついでに済ませることができますから。。。

そういうものですかねぇ~。。。

それにしてもデンマンさんはお母さんの背中におんぶして観た映画のことまで覚えているのですか?

小さい頃の記憶は断片的ですからね。。。本当に数えるほどしか記憶にありませんよ。 だから、年と共にその貴重な記憶を無意識に増幅して。。。大切に、大切に、オツムの中にしまっておこうとする無意識が働いているのだと思いますよ。

そういうものでしょうか?

小百合さんにも小さい頃の記憶で鮮明に残っているものがあるでしょう?

私はおばあちゃん子でしたから、祖母のことが小さな頃の思い出にはよく出てきますわ。 でも、母に背負われていた時の思い出はありませんわ。

でも、小百合さん自身には子供を負(お)ぶって旅行して経験があるじゃありませんか。 生後8ヶ月の赤ちゃんをおんぶしてバンフでロッキー山脈を見て、その足でノース・バンクーバーの町子さんの家に立ち寄ったと町子さんが書いていましたよ。 小百合さんも覚えているでしょう?

ええ、覚えていますわ。





小百合さんは生後8ヶ月の赤ちゃんを背負ってましてん。。。



夜逃げでもしてきたと思ったのですか?

まさかぁ~!。。。、日本から夜逃げしてきたとは思わへんかったけど。。。聞くとバンフからの帰りだと言うてました。

アルバータ州からやって来たのですか?







そうですねん。。。ローキー山脈を見て来たと言うてはった。。。ビックリしましたわぁ~。





私たち夫婦がシェーヴィングトンの家を買ってまもなくでしたわ。 生後8ヶ月の赤ちゃんをおんぶして私の家にやってきたのですねん。



小百合さんは町子さんの家でホームステーを始めたのですか?

そうですねん。 18年前の話ですわ。 あまり長いこと居りませんでしたけれど。。。生後8ヶ月の赤ちゃんを連れて日本から、よう来たと思いましてん。。。一人でも大変なのに、赤ちゃんをおんぶしてのカナダ旅行ですさかいに、私は、本当に驚きましたわ。





ベースメントにも台所とダイニングテーブルと居間がありましたから、さっちゃんは、そこで過ごしたんですわ。 赤ちゃんがはいはいして、ヨダレをよ~けいジュータンにこぼしましてん。。。



へぇ~。。。そう言う事があったんですか?



『赤ちゃんおんぶして…』より
(2009年4月27日)



あのねぇ~、僕が覚えている最も古い記憶というか。。。思い出が、母親の背におんぶされて観た映画なのですよう。



つまり、一才に満たないで観た映画をデンマンさんは未だに覚えているのですか?

そうなのですよう。

でも、一才までの記憶は思い出に残らないと言いますわ。

僕も、そのような事を聞いたことがありますよう。 でもねぇ、なぜか鮮明に覚えているのですよう。 間違いなく母親の背中におんぶされて見た映像でした。

どの映画館で見たのかも覚えているのですか?

覚えていますよう。 「大正座」という映画館でした。 おそらく、名前から判断して大正時代にできたのだと思います。 当時、行田市には映画館が3つあったと思うのです。 現在の行田市駅の前に「中央映画館」があった。 中央小学校から歩いて10分ぐらいのところに「忍館(しのぶかん)」という映画館がありました。 僕が中学生になる前に、どの映画館も廃業して取り壊されたと思うのですよう。

どうしてですか?

テレビが普及したので映画館に映画を見に行く人が激減したので、もう商売にならなかったのですよう。 僕の家では、僕が小学校3年生のときにテレビを買いました。 だから、その後映画館に行ったことがなかった。

中学生のときには、全く映画館に行かなかったのですか?

一度だけ熊谷市の熊女(熊谷女子高校)のすぐそばにあった「文映」にジェームズボンドの「ゴールドフィンガー」を見に行ったと思うのですよう。

その時だけですか?

そうです。 高校の時には映画館に行った記憶がなくて、大学になってからですよう。 洋画を映画館で見るようになったのは。。。

高校3年生の恵子さんとデートした時に観た映画が「ベンハー」だったのですか?

よく覚えてますねぇ~。。。そうです。 次の記事で書いたとおりです。

『杜の都の映画 (2009年3月8日)』

『杜の都のデート (2009年3月10日)』


デンマンさんのお母様はデンマンさんをおんぶしながら一人で観に行ったのですか?

もちろん、その当時、母親が一人で映画を見に行くなんて、できませんでした。

どうして。。。?

まだ1ドルが360円の時代でした。 自由化前の、日本がまだ貧しかった時代ですよう。 経済大国を目指して、日本中のお父さんやお母さんが一生懸命働いていた時代です。 僕が赤ん坊の頃には、核家族は多くはなかった。 おばあさん、おじいさんが、たいていの家に居たものですよう。

つまり、嫁と姑の問題などがあった時代なのですね?

そうですよう。 だから、嫁が一人で映画を観て遊んでいる事なんて、中流階級以下の家庭ではまずできなかった。

それで、お母様はデンマンさんを背負いながら、おばあ様と伯母様と一緒に映画を観に出かけたのですか?

そうです。 僕の母親が映画館に行った事なんて、その時が初めで最後だったと思うのですよう。

。。。で、その時観た映画って、いったいどのようなものだったのですか?

まず、間違いなく『愛染かつら』だと思うのです。

その題名まで覚えていたのですか?

もちろん、その時には、覚えてませんよう。 第一、1才未満じゃ字が読めませんからね。 うしししし。。。

どうして題名を覚えていたのですか?

白樺林の中を白衣を着た医師と看護婦がなにやら悲しそうに向き合っている。。。そのシーンだけが一才に満たない僕のオツムのスクリーンに焼きついたのです。

それで、そのシーンから、大人になって題名を推測したのですか?

そうです。 白樺林と白衣を着た男女。。。その映像が、なぜか僕の記憶に焼きついたのですよう。 しかも、『愛染かつら』という映画は太平洋戦争前に空前のヒットを飛ばした映画だったのですよ。

あのォ~。。。デンマンさんは戦前生まれですか?

やだなあああぁ~。。。僕は戦後生まれですよう。 終戦後、何の娯楽もなくて、ようやく食糧難も収まって、娯楽が何もなかった町に映画館が復興し始めた。 それで、戦前のヒットした映画を見せ始めたのだろうと思うのです。

『愛染かつら』という映画は、それ程ヒットしたのですか?

もちろん、戦前の事は、僕は生まれてないのだから知る由もないけれど、大学生になって記憶を確かめようと思って映画史を見たら『愛染かつら』が出ていた。 あらすじを読んだら、すぐに白樺林の中を白衣を着た医師と看護婦が向き合っていたシーンが、ありありと僕の記憶に蘇(よみがえ)ってきました。

『愛染かつら』



上原謙(加山雄三の父親)、田中絹代主演で一世を風靡した松竹製作のヒット映画。
1938(昭和13)年に作られた。

【あらすじ】

津村病院に勤務する美人の高石かつ枝は、よく働き仲間からも好かれ看護婦の仕事に励んでいた。
病院長の長男である若い医師・津村浩三は彼女の人柄と美しさに強くひかれる。
かつ枝には若いころ死別した夫との間に6歳になる女の子がいた。
しかし、かつ枝は浩三にも仲間たちにも秘密にして、姉夫婦に預け自活の道を歩んでいた。

休日のある日、公園で親子の姿を仲間の看護婦に見られ、子供があることがばれてしまう。
そのことが職場の仲間たちの噂になり、かつ枝は子持ち勤務のことでののしられ、その誤解を解くために看護婦仲間の前で自分の身の上を説明する。

かつ枝は早くから親同士のゆるした許婚(いいなずけ)があった。
かつ枝が18の時、父がある事業に失敗すると、それがもとで婚約もそのまま解消しなければならないことになった。
その時、婚約者は一家の反対を押し切ってかつ枝を連れて東京へ出てゆく。
でもその結婚生活は決して幸せではなかった。
結婚して一年経った19の春、夫はその頃はやった悪い風邪におかされ、たった4,5日床について亡くなってしまう。
その時かつ枝は妊娠8ヶ月の身体だった。
子供が生まれると姉夫婦に預けて、かつ枝は看護婦募集に応募する。
幸いにも合格して、津村病院に勤務することになったのだった。

かつ枝の身の上話を聞くと同僚の看護婦たちは、それまで彼女をののしったことを後悔し、かえって同情するようになる。

ある日、津村病院院長の息子・津村浩三の博士号授与祝賀会が開かれる。
アトラクションの席上で、高石かつ枝は独唱することになった。
かつ枝は無伴奏で歌う予定だったけれど、突然、浩三がピアノの伴奏を申し出る。
こうして、かつ枝は浩三のピアノ伴奏で「ドリゴのセレナーデ」を独唱した。

そんなある日、車での往診の帰りにかつ枝は浩三に誘われて外に出た。
月光の美しい夜だった。
浩三の菩提寺は谷中の墓地を抜ける途中にあった。
浩三にさそわれ、かつ枝は菩提寺へむかった。
その菩提寺には本尊よりも名高い「かつらの木」があった。
その気のそばに愛染堂があった。
本尊は愛染明王。
昔から「愛染カツラ」と言われて、その木につかまりながら恋人同志が誓いをたてると、一時は思い通りにならなくても将来は必ず結ばれるという言い伝えがあった。
浩三にうながされ、二人はこの愛染かつらの樹に手を添えて永遠の愛を誓うのだった。

しかし、しょせんは病院の後継者と看護婦。
その当時のことだから二人はそう簡単に結ばれない。
母から反対された浩三は、二人で新しい生活に踏み切るべく家を出て京都で結婚することを決意する。
だが、京都に向かおうとした丁度その夜、娘の敏子がハシカで高熱を出し新橋駅での待ち合わせ時間に遅れてしまう。
新橋駅の階段を駆け上がる彼女の目の前を、浩三を乗せた列車は発ち去ってゆく。
ここで霧島昇、ミス・コロンビアが歌う、あの有名な主題歌「旅の夜風」の前奏が始まり、哀しいすれ違いのうちに前編が終わる。

「旅の夜風」

作詞: 西條八十
作曲: 万城目正
唄: 霧島昇、ミス・コロンビア

1 花も嵐も 踏み越えて
  行くが男の 生きる途(みち)
  泣いてくれるな ほろほろ鳥よ
  月の比叡(ひえい)を 独(ひと)り行く

2 優しかの君 ただ独り
  発(た)たせまつりし 旅の空
  可愛い子供は 女の生命(いのち)
  なぜに淋しい 子守唄

3 加茂の河原に 秋長(た)けて
  肌に夜風が 沁みわたる
  男柳が なに泣くものか
  風に揺れるは 影ばかり

4 愛の山河(やまかわ) 雲幾重(くもいくえ)
  心ごころを 隔てても
  待てば来る来る 愛染かつら
  やがて芽をふく 春が来る



デンマンさんは上のあらすじを読んで、幼児の時、お母様の背中におんぶされて観た映画が『愛染かつら』だと分かったのですか?



そうなのです。 それ程有名な映画だったからこそ、お袋も見に行ったのでしょうね。 とにかく、僕が記憶する限り、お袋が映画館に行ったのはその時が最初で最後ですよ。もちろん、お袋と映画館へ行ったのも、その時一度だけです。

でも、本当にそのような事があるのでしょうか?

僕だって信じられないほどですよう。 でもねぇ~、背中におんぶされて観たということだけは、はっきりと覚えている。 背中におんぶされるくらいだから、まず一歳未満ですよね。

そうでしょうね。

。。。で、白樺林の中を白衣を着た医師と看護婦がなにやら悲しそうに向き合っているシーンだけしか覚えていないのですか?

そうなのです。 それ以外のシーンは全く覚えてないのですよ。





あららあああぁ~。。。この上の写真はデンマンさんと私ですわね。



僕の記憶にあるイメージをコラージュして作ってみたのですよう。 ちょうどこんな感じなんですよう。 若先生の津村浩三と看護婦の高石かつ枝が、このようにして病院の裏の白樺林で、人目を盗んで会って話をしている場面なのです。

。。。で、この映画は誰の小説を基にして脚本が書かれているのですか?

第一回の直木賞を受賞した川口松太郎が書いた「愛染かつら」を基にしているのです。

映画のストーリーは小説の内容と同じですか?

僕は原作を読んだことはないけれど、ほとんど変わらないそうです。

。。。で、この“愛染かつら”というのは、どういう意味があるのですか?

あのねぇ~、長野県の上田市に北向観音という寺院があるのですよう。 その寺院に「愛染堂」があって、そのお堂のそばにある「かつらの木」のことを「愛染かつら」と呼んでいるのです。 この「愛染かつら」の木は樹齢1200年の老木で観音菩薩が影向した霊木と言われているのですよう。

この「かつらの木」に願いをかけると何かご利益(りやく)でもあるのですか?

あるのです。 その木につかまりながら恋人同志が誓いをたてると、一時は思い通りにならなくても将来は必ず結ばれるという、縁結びの木なのですよう。

どう言う訳で。。。?

あのねぇ~、「愛染堂」とは愛染明王堂のことで、“愛染明王”を祀(まつ)っているお堂なのですよう。

愛染明王 (あいぜんみょうおう)



愛染明王は、仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の1つ。
梵名ラーガ・ラージャ(Ragaraja)は、サンスクリット経典にその名は見られず、また、インドでの作例もない忿怒尊である。

衆生が仏法を信じない原因の一つに「煩悩・愛欲により浮世のかりそめの楽に心惹かれている」ことがあるが、愛染明王は「煩悩と愛欲は人間の本能でありこれを断ずることは出来ない、むしろこの本能そのものを向上心に変換して仏道を歩ませる」とする功徳を持っている。

愛染明王は一面六臂で他の明王と同じく忿怒相であり、頭にはどのような苦難にも挫折しない強さを象徴する獅子の冠をかぶり、叡知を収めた宝瓶の上に咲いた蓮の華の上に結跏趺坐で座るという、大変特徴ある姿をしている。

もともと愛を表現した神であるためその身色は真紅であり、後背に日輪を背負って表現されることが多い。
また天に向かって弓を引く容姿で描かれた姿(高野山に伝えられる「天弓愛染明王像」等)や、双頭など異形の容姿で描かれた絵図も現存する。

愛染明王信仰はその名が示すとおり「恋愛・縁結び・家庭円満」などをつかさどる仏として古くから行われており、また「愛染=藍染」と解釈し、染物・織物職人の守護神としても信仰されている。
さらに愛欲を否定しないことから、古くは遊女、現在では水商売の女性の信仰対象にもなっている。

日蓮系各派の本尊(曼荼羅)にも不動明王と相対して愛染明王が書かれているが、空海によって伝えられた密教の尊格であることから日蓮以来代々梵字で書かれている。
なお日蓮の曼荼羅における不動明王は生死即涅槃を表し、これに対し愛染明王は煩悩即菩提を表しているとされる。



出典: 「愛染明王」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



上の説明にも書いてあるとおり、昔から縁結びの神様として信仰されていたのです。



でも、なぜ川口松太郎と上のかつらの木が関係あるのですか?

実は、川口松太郎が、別所温泉に逗留していた時、この木を見て「愛染かつら」という恋物語の構想を思いついたと言われているのです。

つまり、映画の中で津村家の菩提寺には本尊よりも名高い「かつらの木」があった、と言う件(くだり)は、川口松太郎が北向観音の「愛染かつら」を見て思いついたのですわね。

そうなのです。 北向観音の「愛染かつら」は、古くから縁結びの霊木として知られていたけれど、映画と主題歌のヒットによって、ますます名が知られるようになったそうです。

どのような歌なのですか?

小百合さんのために曲を見つけてので聴いてください。







なるほど。。。でも時代がかっていて、現在のネット市民の皆様の耳にはちょっとイマイチだと思いますわ。



やっぱり古臭いですか?

そうですわね。

じゃあ今年の秋、小百合さんと会ったら、僕が現在風にアレンジして小百合さんのために歌いますよ。

いえ。。。無理してまで歌ってくださらなくても結構ですわ。 うふふふふ。。。

【卑弥子の独り言】



ですってぇ~。。。
あたくしもデンマンさんが歌う「旅の夜風」など聞きたいとは思いませんわ。

ところで、あたくしは平安時代の十二単に身を包んでこうして出てまいりますけれど、
デンマンさんはお母様をお手紙の中で「母上様」と、まるで江戸時代の武士の総領息子が書いているような呼び方をするのですよね。
驚きですわ。

山本周五郎とか藤沢周平とかの時代小説の読みすぎではないのかしら?
うふふふふふ。。。

「e-メールではなく、どうしてお手紙を書くのですか?」
そう尋ねたらお母様はパソコンはテレビで見るだけで、キーボードに触れたことなど一度もないそうですわ。
だから、お手紙にして欲しいとのことです。

とにかく、興味深い話題が続きますゥ。
どうか、あなたもまた読みに戻って来てくださいませ。
じゃあ、またねぇ。。。





ィ~ハァ~♪~!

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