天神様と東日本大震災
(dazaifu2.jpg)
(tenjin09.jpg)
デンマンさん。。。天神様と東日本大震災が関係あるのでござ~♪~ますか?
いや。。。直接関係あるというわけではありません。
それなのにどうして「天神様と東日本大震災」というタイトルにしたのですか?
あのねぇ~、たまたまバンクーバー図書館から借りてきた本を読んだのですよ。
(lib20926.gif)
(lib20926b.gif)
あらっ。。。現在40冊も借りているのでござ~♪~ますか?
そうなのです。
。。。んで、どの本を読んだのでござ~ますか?
「HNKサイエンスZERO」の取材班が書いた『東日本大震災を解き明かす』という本ですよ。
その本の中に天神様と東日本大震災が関係あると書いてあったのでござ~ますか?
いや。。。直接関係あるとは書いてありませんでした。
それなのにどうして「天神様と東日本大震災」というタイトルにしたのですか?
あのねぇ~、その本の中に次のような南海トラフで起きた大地震の地図が描いてあった。
(quake02.gif)
あらっ。。。デンマンさんが作成したのですか?
そうです。。。初めデジカメでページを撮ったのだけれど字が小さすぎて拡大するとぼやけるし、そんなわけでマイクロソフトのPAINTを使って描いたのですよ。
でも、どこにも天神様は出てきませんわ。
あのねぇ~、887年の「仁和の地震」というのが天神様、つまり、菅原道真が活躍していた時代の地震ですよ。
菅原道真
誕生: 承和12年6月25日(845年8月1日)
死亡: 延喜3年2月25日(903年3月26日)
日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。
参議・菅原是善の三男。
官位は従二位・右大臣。贈正一位・太政大臣。
忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで昇った。
しかし、左大臣藤原時平に讒訴(ざんそ)され、大宰府へ権帥として左遷され現地で没した。
死後天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたとされ、天満天神として信仰の対象となる。
現在は学問の神として親しまれる。
醍醐天皇の治世でも道真は昇進を続けるが、道真の主張する中央集権的な財政に、朝廷への権力の集中を嫌う藤原氏などの有力貴族の反撥が表面化するようになった。
また、現在の家格に応じたそれなりの生活の維持を望む中下級貴族の中にも道真の進める政治改革に不安を感じて、この動きに同調するものがいた。
昌泰2年(899年)、右大臣に昇進し右大将を兼任。翌年、三善清行は道真に止足を知り引退して生を楽しむよう諭すが、道真はこれを容れなかった。
延喜元年(901年)、従二位に叙せられたが、斉世親王を皇位に就け醍醐天皇から簒奪を謀ったと誣告され、罪を得て大宰権帥に左遷される。
宇多上皇はこれを聞き醍醐天皇に面会してとりなそうとしたが、醍醐天皇は面会しなかった。
長男高視を初め、子供4人が流刑に処された(昌泰の変)。
この事件の背景については、時平による全くの讒言とする説から宇多上皇と醍醐天皇の対立が実際に存在していて道真がそれに巻き込まれたとする説まで諸説ある。
道真は延喜3年(903年)、大宰府で薨去し同地に葬られた(現在の太宰府天満宮)。
道真が京の都を去る時に詠んだ「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」は有名。
その梅が、京の都から一晩にして道真の住む屋敷の庭へ飛んできたという「飛梅伝説」も有名である。
出典: 「菅原道真」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
誕生: 承和12年6月25日(845年8月1日)
死亡: 延喜3年2月25日(903年3月26日)
日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。
参議・菅原是善の三男。
官位は従二位・右大臣。贈正一位・太政大臣。
忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで昇った。
しかし、左大臣藤原時平に讒訴(ざんそ)され、大宰府へ権帥として左遷され現地で没した。
死後天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたとされ、天満天神として信仰の対象となる。
現在は学問の神として親しまれる。
醍醐天皇の治世でも道真は昇進を続けるが、道真の主張する中央集権的な財政に、朝廷への権力の集中を嫌う藤原氏などの有力貴族の反撥が表面化するようになった。
また、現在の家格に応じたそれなりの生活の維持を望む中下級貴族の中にも道真の進める政治改革に不安を感じて、この動きに同調するものがいた。
昌泰2年(899年)、右大臣に昇進し右大将を兼任。翌年、三善清行は道真に止足を知り引退して生を楽しむよう諭すが、道真はこれを容れなかった。
延喜元年(901年)、従二位に叙せられたが、斉世親王を皇位に就け醍醐天皇から簒奪を謀ったと誣告され、罪を得て大宰権帥に左遷される。
宇多上皇はこれを聞き醍醐天皇に面会してとりなそうとしたが、醍醐天皇は面会しなかった。
長男高視を初め、子供4人が流刑に処された(昌泰の変)。
この事件の背景については、時平による全くの讒言とする説から宇多上皇と醍醐天皇の対立が実際に存在していて道真がそれに巻き込まれたとする説まで諸説ある。
道真は延喜3年(903年)、大宰府で薨去し同地に葬られた(現在の太宰府天満宮)。
道真が京の都を去る時に詠んだ「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」は有名。
その梅が、京の都から一晩にして道真の住む屋敷の庭へ飛んできたという「飛梅伝説」も有名である。
出典: 「菅原道真」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
887年というと菅原道真が満42歳の働き盛りでしたのね?
そういうことですよ。
でも、887年に起きた「仁和の地震」と菅原道真が関係あるのですか?
上の説明の中に「死後天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたとされ、天満天神として信仰の対象となる」と書いてあるでしょう。 だから、僕は死後に京都を襲う大地震も起きたのではないか? そう思って調べてみたのですよ。
。。。んで、そのような大地震が起こったのですか?
大地震ではなく、伝染病と落雷があって朝廷ではかなりの死者が出たのですよ。
菅原道真の死後、京には異変が相次ぐ。
まず道真の政敵藤原時平が延喜9年(909年)に39歳の若さで病死すると、醍醐天皇の皇子で東宮の保明親王(時平の甥)が延喜23年(923年)に薨去。
次いでその息子で皇太孫となった慶頼王(時平の外孫)が延長3年(925年)に病死。
さらには延長8年(930年)朝議中の清涼殿が落雷を受け、昌泰の変に関与したとされる大納言藤原清貫をはじめ朝廷要人に多くの死傷者が出た(清涼殿落雷事件)。
(tenjin09.jpg)
それを目撃した醍醐天皇も体調を崩し、3ヶ月後に崩御した。
これらを道真の祟りだと恐れた朝廷は、道真の罪を赦すと共に贈位を行った。
子供たちも流罪を解かれ、京に呼び返された。
まず道真の政敵藤原時平が延喜9年(909年)に39歳の若さで病死すると、醍醐天皇の皇子で東宮の保明親王(時平の甥)が延喜23年(923年)に薨去。
次いでその息子で皇太孫となった慶頼王(時平の外孫)が延長3年(925年)に病死。
さらには延長8年(930年)朝議中の清涼殿が落雷を受け、昌泰の変に関与したとされる大納言藤原清貫をはじめ朝廷要人に多くの死傷者が出た(清涼殿落雷事件)。
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それを目撃した醍醐天皇も体調を崩し、3ヶ月後に崩御した。
これらを道真の祟りだと恐れた朝廷は、道真の罪を赦すと共に贈位を行った。
子供たちも流罪を解かれ、京に呼び返された。
あらっ。。。大地震が起こってたくさんの人が亡くなったわけではなかったのですわね?
菅原道真の死後に大地震が起こったという記録は見当たらなかった。
要するに菅原道真と大地震は関係ないのですわね。
いや。。。それが関係あるのですよ。
どういうわけで。。。?
あのねぇ~、日本で最初に地震のカタログを編集したのが菅原道真なのですよ。
マジで。。。?
このような時に僕はウソや「でまかせ」を言いませんよ。
それは何と言う書物なのでござ~ますか?
「類聚國史」と呼ばれる書物です。 「日本書紀」「日本後紀」「続日本後紀」「日本文徳天皇実録」「日本三代実録」の記事を事項別に分類し、年代順に収録したのです。 この書物を完成させたのが892(寛平4)年、道真が満47歳のときでした。
あらっ。。。887年に「仁和の地震」がおきてから5年後ですわね。
そうです。
。。。んで、その書物は地震だけを書いたものなのですか?
いや、地震を記録したのは第171巻の「災異部五、地震」という箇所です。 これが日本で最初にできた地震のカタログです。
記録されている内で日本で最古の大地震はいつ起こったのでござ~♪~ますか?
416年8月23日に起こった地震で「允恭天皇五年秋七月丙子朔巳丑、地震」と書いてあるのですよ。 允恭天皇の皇居は遠飛鳥宮、陵は大阪府南河内郡にあります。 これが日本で最初に記録された地震です。
もともとはどの書物に書かれていたのでござ~ますか?
『日本書紀』に書いてあったのです。 ところで、下の表にある684年の「白鳳地震」は日本最古の巨大地震、津波の記録です。
(quake02.gif)
「南海トラフ」沿いに起こった、この白鳳地震から1946年の「南海地震」までの巨大地震の記録はプレート間地震の繰り返しの記録としては世界最長のものと言われているのですよ。
「南海トラフ」って何ですの?
あのねぇ~、本には次のように書いてありましたよ。
南海トラフとは何か
(plates.gif)
日本列島が、北米プレート、ユーラシアプレート、太平洋プレート、フィリピン海プレートという4つのプレートがせめぎ合う、世界でも珍しい位置にあることはすでに述べたとおりです。
そして、日本海溝で北米プレートの下に太平洋プレートが沈み込み、南海トラフ(海盆)でユーラシアプレートの下にフィリピン海プレートが沈み込んでいます。
つまり、南海トラフは、日本列島付近にある2つの沈み込み帯のうちのひとつ、ということになります。
(中略)
南海トラフは、日本海溝同様、プレート境界型地震が多発する場所であり、マグニチュード8を超える巨大地震が、約100~150年の間隔で周期的に発生しています。
巨大地震の発生間隔が長いのは(日本海溝では50~100年程度)、太平洋プレートの動く早さが年間約8センチメートルであるのに対し、フィリピン海プレートは年間2~4センチメートルとゆっくりしているため、ひずみが溜まるのに長い時間がかかるからです。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
イラストはデンマン・ライブラリーより)
112-113ページ
『東日本大震災を解き明かす』
編者: NHKサイエンスZERO取材班
2011年6月25日 第1刷発行
発行所: NHK出版
(plates.gif)
日本列島が、北米プレート、ユーラシアプレート、太平洋プレート、フィリピン海プレートという4つのプレートがせめぎ合う、世界でも珍しい位置にあることはすでに述べたとおりです。
そして、日本海溝で北米プレートの下に太平洋プレートが沈み込み、南海トラフ(海盆)でユーラシアプレートの下にフィリピン海プレートが沈み込んでいます。
つまり、南海トラフは、日本列島付近にある2つの沈み込み帯のうちのひとつ、ということになります。
(中略)
南海トラフは、日本海溝同様、プレート境界型地震が多発する場所であり、マグニチュード8を超える巨大地震が、約100~150年の間隔で周期的に発生しています。
巨大地震の発生間隔が長いのは(日本海溝では50~100年程度)、太平洋プレートの動く早さが年間約8センチメートルであるのに対し、フィリピン海プレートは年間2~4センチメートルとゆっくりしているため、ひずみが溜まるのに長い時間がかかるからです。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
イラストはデンマン・ライブラリーより)
112-113ページ
『東日本大震災を解き明かす』
編者: NHKサイエンスZERO取材班
2011年6月25日 第1刷発行
発行所: NHK出版
トラフとは海の中にある盆地なのですよ。 日本海溝は海の中の深い渓谷だけれど、トラフは渓谷と言うより盆地だと言うことです。
。。。んで、南海トラフ沿いに巨大地震が約100~150年の間隔で周期的に発生すると言うことは、1946年にマグニチュード8.0の南海地震が起きたのですから、その100~150年後と言うと。。。2046年~2096年に巨大地震が四国の沖合いから紀伊半島にかけて起こるのですわね。
そう言う事になりますよ。
あたくしは京都に住んでいますけれど、影響があるかしら?
ありますよ。 震度5から6の地震が京都を襲いますよ。
2046年に巨大地震が襲うとして、あたくしは70歳のおばあちゃんになっていますわ。 うふふふふふ。。。
卑弥子さん!。。。笑っている場合じゃありませんよ。 スクワットをして今から足腰を鍛(きた)えて巨大地震が起こったら速(すみ)やかに避難してくださいね。
あたくしよりも四国や紀伊半島に住んでいる方が気をつけて欲しいですわ。。。 デンマンさんはバンクーバーですから地震とは関係ありませんわね。
いや。。。バンクーバーにも500年周期で巨大地震が襲っていたと言う記録があるのですよ。
あらっ。。。マジで。。。?
たまたまバンクーバー図書館で借りたDVDを観たら1700年1月19日に日本の三陸沖を襲った大津波はバンクーバー付近の巨大地震がもたらしたものだということが判ったと断定していた。
(lib20926c.gif)
【デンマン意訳】
もし、あなたが北米大陸の北西部に住んでいたら巨大地震に気をつけてくださいね。
1万年前からマグニチュード9レベルの巨大地震が18回起きています。
あの福島原発事故を起こした2011年3月11日の東日本大地震と同じ規模の地震です。
北米大陸の北西部を襲う巨大地震は約500年周期で起こっています。
最近の巨大地震は1700年1月19日起こっています。
この巨大地震の影響で日本の太平洋海岸に面する地域を巨大津波が襲いました。
最後の巨大地震が起きてから312年が経過しました。
500年周期と言うのは確定されたものではありません。
バラつきがあります。
つまり、300年後にも、400年後にも起こる可能性があります。
300年周期なら、明日にも起こる可能性がありますよ。
心配だったら、この上のDVDをぜひ観てください。
もし、あなたが北米大陸の北西部に住んでいたら巨大地震に気をつけてくださいね。
1万年前からマグニチュード9レベルの巨大地震が18回起きています。
あの福島原発事故を起こした2011年3月11日の東日本大地震と同じ規模の地震です。
北米大陸の北西部を襲う巨大地震は約500年周期で起こっています。
最近の巨大地震は1700年1月19日起こっています。
この巨大地震の影響で日本の太平洋海岸に面する地域を巨大津波が襲いました。
最後の巨大地震が起きてから312年が経過しました。
500年周期と言うのは確定されたものではありません。
バラつきがあります。
つまり、300年後にも、400年後にも起こる可能性があります。
300年周期なら、明日にも起こる可能性がありますよ。
心配だったら、この上のDVDをぜひ観てください。
■『実際のカタログページ』
あらっ。。。バンクーバーにも巨大地震が起こる可能性があるのですわね。
その通りですよ。
確かに1700年には日本で巨大地震が起こったと言う記録はありませんわ。 大津波があったとしたら海外の地震が原因ですわね。
そうでしょう!? 1960年にチリ地震が起きた時には、日本を含めた環太平洋全域に津波が襲ったのですよ。 その時のチリ地震はマグニチュード9.5で有史以来観測された中で最大規模の巨大地震だった。
それと同じ規模の巨大地震がバンクーバーで起こったことがあるのでござ~♪~ますか?
あるのですよ。 地質を調べたら間違いなく1700年に巨大地震がバンクーバー付近で起こっていたことが判明した。
Cascadiaとは、どういう意味なのですか?
The Pacific Northwest (北米大陸の北西) のことです。 上のDVDは、この地域を襲う地震について説明したDVDなのですよ。 1964年に起こったマグニチュード9.2のアラスカ地震についても詳しく観ることができます。
でも、500年周期と言うと、次の巨大地震は2200年ではござ~♪~ませんか?
でもねぇ、僕がコメントで書いたように500年周期と明確に決まっているわけじゃない。 バラつきがあるのですよ。 すでに1700年の巨大地震から300年以上経過しているから、明日に巨大地震が起こっても、バラつきを考えると不思議ではないのですよ。
じゃあ、デンマンさんが巨大地震に巻き込まれてポックリとあの世に逝ってしまうことも十分に考えられるのですか?
そうです。
それで『ポックリ死ぬためのコツ』という本も借りてきたのでござ~ますか?
(lib20926b.gif)
やだなあああァ~。。。違いますよ。 不吉なことを言わないでくださいよう。
うふふふふふ。。。
【ジューンの独り言】
ですってぇ~。。。
地震ってぇ、怖いですよね。
古代人も地震は怖かったとみえて大地震のことが記録にも残されています。
中東には紀元前20世紀以前から地震の記録があります。
紀元前2150年頃のヨルダンのカラク付近の地震は旧約聖書にあるソドムとゴモラの滅亡との関連で地震の記録が残されています。
この他にも聖書にはシリア付近と考えられる地震の記述があり、例えばサムエル記上14・15およびマタイ27・51、28・2などが挙げられます。
紀元前2000年頃には、シリア、およびトルクメニスタンでも、それぞれ地震が発生したと記録されています。
ヨーロッパで最古の記録を持つのは古代ギリシアです。
紀元前1410年頃(紀元前1450年頃とも)、紀元前550年頃、紀元前479年、紀元前432年(古代ローマ)、紀元前426年、紀元前373年、紀元前330年、紀元前282年、紀元前227年、および紀元前223年などに地震の記録があります。
紀元前17世紀ないし紀元前1450年頃、サントリーニ島の噴火と地震はエーゲ海に甚大な津波をもたらし、クレタ島のフェストス宮殿が崩壊した原因とされています。
1755年にポルトガル沖で発生したリスボン地震は、西ヨーロッパ、北アフリカの広い範囲に強震をもたらし、大津波発生の比較的稀な大西洋全体に津波が波及したそうです。
この地震による経済など社会的影響は多大なもので、これを期に地震学が発足したそうです。
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じゃあね。バーィ。
ですってぇ~。。。
地震ってぇ、怖いですよね。
古代人も地震は怖かったとみえて大地震のことが記録にも残されています。
中東には紀元前20世紀以前から地震の記録があります。
紀元前2150年頃のヨルダンのカラク付近の地震は旧約聖書にあるソドムとゴモラの滅亡との関連で地震の記録が残されています。
この他にも聖書にはシリア付近と考えられる地震の記述があり、例えばサムエル記上14・15およびマタイ27・51、28・2などが挙げられます。
紀元前2000年頃には、シリア、およびトルクメニスタンでも、それぞれ地震が発生したと記録されています。
ヨーロッパで最古の記録を持つのは古代ギリシアです。
紀元前1410年頃(紀元前1450年頃とも)、紀元前550年頃、紀元前479年、紀元前432年(古代ローマ)、紀元前426年、紀元前373年、紀元前330年、紀元前282年、紀元前227年、および紀元前223年などに地震の記録があります。
紀元前17世紀ないし紀元前1450年頃、サントリーニ島の噴火と地震はエーゲ海に甚大な津波をもたらし、クレタ島のフェストス宮殿が崩壊した原因とされています。
1755年にポルトガル沖で発生したリスボン地震は、西ヨーロッパ、北アフリカの広い範囲に強震をもたらし、大津波発生の比較的稀な大西洋全体に津波が波及したそうです。
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