漫画家と平和
苫小牧放置殺人事件
去年の暮れに報道された恐ろしい愛情の無い事件です。
先日漸く判決が出ました。
懲役15年
北海道苫小牧の何処かで、
3歳の男児長男&1歳の男児三男の兄弟が鍵の掛かったアパートに閉じ込められ放置され、長男は生米や冷蔵庫のマヨネーズやケチャップで飢えを食い凌いだが、三男は飢餓と低体温症で死亡した痛ましいNEWSです。
昼間に自動的に入る暖房で、餓死した弟が無残に腐食する横で、お兄ちゃんは必死で飢えを凌ぎ生き抜いて、若くて綺麗なホステス嬢のママの帰りを待ち続けた。
でも、ママは特定の交際相手の部屋に住み着いて1ヶ月以上幼子の養育一切を拒み、彼氏と成った男の前で低堕落に過ごす。
渋々そんな中帰宅して幼子放置したアパートに戻った時。
「何で生きてるの?」
と長男を見て驚いた。
三男は既に死亡して腐敗し、其のアパートの一室は異臭で充満していた中、長男はママの帰宅が嬉しくて「ママ、遅いよ」と泣きながら飛びついてきたと冒頭陳述で述べられたと言う。
NEWSでは実際此処から先の情報は途絶えましたけど……。
長男は児童保護施設。
三男は死体遺棄。
謎の次男は2004年突然死(恐らく母親の育児放棄による死亡?)
新たな情報がNEWSで報道されました。
この若いママ逮捕されてから、獄中で実は四男も出産していたそうです。
本来、この少子化の御時世四人も男児を産み育てれば勲章モノです。
育児養育だって様々な福祉でもサービスでも取れるし、母子家庭なら養育施設のサービスだって無料でもやってくれる行政や自治体だって利用すれば慎ましくも幸せな家庭だった筈。
(中略)
女性として、母親として子を産んだにもかかわらず、子育てを放棄し子供に愛情を顧みない身勝手で自己満足で無情の最悪なお手本とも言えるこの事件。
腐敗して変わり果てる弟の姿を見ながら、育児を放棄され捨てられ餓死する様に狡猾に仕組まれた密室殺人の生贄として「死」を望まれていた事を疑わないでママを寒いアパートの一室で待ち続けた長男。
NEWSでしか知らない他人事でも、自分の周囲でこんな悲痛で酷い事が起きていないとは限らない日本だったりします。
(中略)
こんないい加減なママが子供を殺さない様にする対策って何が有るのか考えてみませんか?
赤ちゃんPOST
児童福祉、児童保護等諸々の施設や相談窓口だってございます。
低堕落なお馬鹿達への生活保護や働かないNEETなんかの支援より、早急に充実して欲しいモノです。
年金問題だのなんだので騒ぐ師走の日本。
「偽」の連中に注ぐ福祉や支援より、どうして「命」に関わる本当の危機に税金が使われないのか考えると、納税者として悔しさばかりが募りますね。
それに堕胎や生命を軽視する様な恋愛何か自慢する馬鹿は子供なんか産んで欲しくは無いし、生殖機能を摘出でもして自堕落に遊べば良い。
危険思想かも知れないけど、記憶の片隅に残るNEWSの最新情報を観て心底そう思いました。
私の意見は極端に偏っているかもしれないけれど、こんな酷い事が無い世界に憧れます。
平成と言う時代にありながら、人間に絶望した事件と私の記憶に残る痛ましい「命」と「死」のお話です。
2007-12-18 09:02
【デンマン注】
「ダ・ヴィンチ」さんは、現在「魔女」というハンドル名を使っています。
一部編集して、画像を加えました。あしからず。
『2006年12月のNEWSの記憶』より
『愛の進化論』に掲載
(2010年12月22日)
デンマンさん。。。オイラをお呼びですか?
おおォ~。。。マンガ家! 首を長くして待っていたんだよォ。
でも、どうして全く関係ない『苫小牧殺人事件』など長々と引用したんすかァ?
あのなァ~、我が子を二人殺した母親とオマエの精神構造がよく似ていると思ったのだよ。
デンマンさん! いい加減にしてくださいよ。 オイラはめちゃ忙しいのですよ。
分かっているよ! オマエは次のように書いていたからね。
田中康夫の『なんとなく、クリトリス』。。。じゃなくて『なんとなく、クリスタル』はX。 この人もバブルの人だから不況に弱いよね。 たちまち市民運動やり始め「いい人」になって延命図っているもんね。 見え見えなんだよ。 あれじゃもう、ろくな女にモテねーだろ。 なにしろ神戸の地震の時に、わしに一緒にボランティアに行こうって「SPA!」の編集者を通して誘ってきてさ。 仕事上無理だから断ったら、その断ったことを悪いことのように批判してやがんの。 市民主義のファシズムなんだよな。
あいつは原稿をFAXで送りゃ食っていける身分だろうけれど、こっちは絵を描く仕事なんだから。 仕事場でアシスタント4,5人使わなきゃやれない身分なんだからね。 わしは漫画を描くプロ。 わしはわしの現場を離れられないから、ただちに神戸に寄付金は送ったけどね。 田中康夫なんて一体、何のプロなの? 正義を背負った市民主義者になちゃって、ざまねーよ。
(注: 写真はデンマンライブラリーから貼り付けました)
24 - 25ページ 『「個と公」論』
著者: 小林よしのり
2000年5月10日 第2刷発行
発行所: 株式会社 幻冬舎
オイラがめちゃ忙しいのが分かっているんなら下らない事で呼び出さないでくださいよ。
オマエは読者をナメてるのか?
ナメてるはずがないでしょう! デンマンさんのような面白い人をナメるわけがないでしょう。(苦笑) オイラは読者を大切にしてますよ。 デンマンさんもオイラの読者なら分かっているでしょう!?
でも、オマエは次のように書いていたぞォ!
そもそもわしは丸山眞男(まさお)に始まり、加藤(典洋)や大江(健三郎)の言ってきた昔ながらの「個の確立」というやつに対するアンチテーゼとして『戦争論』を描いたんだからね。
にもかかわらず彼らの書いた反論というのは、なおも昔ながらの言葉をそのまま繰り返しているだけ。
そんなんじゃわしの『戦争論』を到底崩せるはずがない。
どうにも時代遅れというか、向こうの方がずっと古い議論なんだよ、本当はね。
あんなんで若い人たちが説得されるはずがない。
ナメてるんでしょーね、やっぱ。 読者をナメきっているってのが一番目についたなー。
(注: 赤字はデンマンが強調)
34ページ 『「個と公」論』
著者: 小林よしのり
2000年5月10日 第2刷発行
発行所: 株式会社 幻冬舎
デンマンさんも昔ながらの「個の確立」というやつを書きまくったのですか?
いや。。。書きまくる程書いたわけじゃないけれど、僕はオマエの熱烈な読者なんだからナメて欲しくないんだよ。。。(微笑)
デンマンさんはマジでオイラの熱烈な読者なんっすかァ~?
マジだよ。 このような場所で悪ふざけはできないんだよ。 僕だってオマエのように忙しい人間なんだから。。。
分かりました。 でもねぇ~、『苫小牧殺人事件』の母親とオイラの精神構造が同じだなんて理不尽な事をネットで広めないでくださいよ! ことと場合によっては「名誉毀損」でデンマンさんを東京地方裁判所に訴えますよォ!
オマエはやっぱり分かってないんだね?
分かってないのはデンマンさんでしょう!! どうしてオイラが『苫小牧殺人事件』の母親と同じ精神構造を持っているのか? その理由を述べてくださいよう。 んもお~~
分かった。 オマエは自分の言っている事も良く理解してないようだから、どうしてオマエの考え方が『苫小牧殺人事件』を起こした母親と同じ精神構造なのか? その理由を分かりやすく説明するよ。
前置きはいいですから細木数子のようにズバリ!と言ってくださいよ!
あのなァ~。。。ズバリ!ズバリ!と順序も考えないでしゃべると誤解を招いて細木数子のようにテレビの番組から降ろされてしまうのだよ。 だから、物事の順序は大切にしないといけないのだ!
分かりました。 じゃあ、手短に順序通りに話してくださいよ。
“平和こそ正義!”
まずこれだよ!
デンマンさん!。。。いい加減にしてくださいよ! こんな事を言うためにオイラを呼び出したのですか?
マンガ家!! オマエ、不満そうな顔をするなよ! 今しがた言ったように誤解がないように分かり易く順序通りに話すから苦虫をつぶしたような顔をするなよなァ。
デンマンさんはオイラの本をマジで読んだのですか?
読んだよ。
だったら、オイラは次のように書いたのですよ。 知っているでしょう?
歴史に道徳持ち込む愚に
そろそろ気づいてよ
どうしようもないねー、その良心主義者みたいな感覚が。
戦争に道徳持ち込んで良心主義者的感覚で語るなんて、クラウゼヴィッツすら知らんのかねと思ってしまう。
(中略)
言葉を「進出」に書き換えたところで、そこに道徳的価値観を持ち込んで「悪」だったなんて言うんだから、それは旧態依然とした「侵略=悪」って話をしているのと全く同じだよ。 とにかく「侵略=悪」っていう固定観念があるところが左翼なんだよな。 左翼はずーっとそう言ってきたわけだから。
20世紀ってのは、帝国主義と共産主義とファシズムの時代だったわけだよ。 「帝国主義」とはつまり「植民地争奪主義」で、15世紀にスペイン・ポルトガルが海外に出て行った、いわゆる「大航海時代」から始まって、以降ずっと白人の帝国主義の振る舞いをマネなければ近代国家にはなれなかったんだよ。 とにかく植民地を持つこと自体が「近代国家」だったんだから。
そういう時代性を無視して、現在の基準で過去を見て、侵略はいけない、悪だとか言ったってダメなんだよ。 帝国主義か、しからずんば東南アジアのように植民地になるのか。 その二者択一しかない時代だったのであって、そんな時に「侵略はいけない」って言うのは20世紀前半の価値観からいくと、
「植民地になることが善である! 植民地になって、白人にムチ打たれることのみが、善なのだっ!!」
…って言ってることになるからね(笑)。
その時代に今の民主主義の観念なんか通用しないんだから。
今の時代の価値観でしかものを考えられないという「思想の不自由さ」がクダラナイわけよ。
(注: イラストはデンマンライブラリーから貼り付けました)
176 - 178ページ 『「個と公」論』
著者: 小林よしのり
2000年5月10日 第2刷発行
発行所: 株式会社 幻冬舎
僕は上の文章を読んだよ。 だからどうだとオマエは言うのォ~?
オイラの本を読んで理解しているのなら“平和こそ正義だ!”なんて言わないでくださいよ。
だからオマエの精神構造は『苫小牧殺人事件』の母親と大して変わらないと言っているんだよ。 自分の自由な人生には子供が邪魔になると彼女は考えた。 それで我が子を殺そうと思ってアパートの部屋に1ヶ月近くも閉じ込めておいた。 もう二人とも死んでいると思ってアパートに戻ってみると長男がまだ生きていた。
オイラも“大東亜戦争を肯定する人生”を追求するために我が子を殺すことになるとデンマンさんは思っているのですか?
いや。。。オマエは、もっと酷いことをする可能性がある!
もっと酷い事ってどういう事っすかァ~?
オマエは勝ち誇ったように実に愚かな事を書いた。
福沢(諭吉)は『瘠我慢(やせがまん)の説』で三河武士の士風の美を讃え、幕府のために戦って死ななかった勝海舟や、一度は箱根に籠城したのに、負けた後、新政府で出世してしまった榎本武揚(たけあき)を批判しているんだ。
それは徹底的に忠君愛国の武士道の「瘠我慢」を支持しているんだからね。
冒頭、出てくる「立国は私なり、公に非ざるなり」というのは、単なる「自分のことしか考えない私を寄り集めたら国ができる」なんて話じゃないからね。
世界大で見れば、立国は徹底した自己本位の私情を貫くことに他ならない。
他国の利益を考えてやるような公共心は世界大では通用しないという、恐るべきナショナリズムのことなんだよ。
これを戦後の文学者も批評家もすべて読み誤っている。
福沢はまず一般的な人の持つ疑問を並べ立ててみせるんだよ。
人と人はなんで国境を決めて争うんだろう、君主を立てるんだろう。
こんなものはすべて、人間の私情から生じたものなのに、と。
そして現実論を言い始める。
そうは言っても、現実は開国以来、世界中を見てみれば、各種の人民相別れて一群を成し、国や政府を作って忠君愛国が最上の美徳となっている。
忠君愛国は世界大の哲学からみれば人類の私情なんだが、やはり今日までの厳しい世界事情の中では美徳であり、「立国の公道」と言わざるを得ない。
…そういうふうに話は逆転してくるんだ。
そして、ついに福沢は、こう言い始める。
「自国の衰退に際し、敵に対して固(デンマンは【個】だと思いますが…)より勝負なき場合にても、千辛万苦、力のあらん限りを尽くし、いよいよ勝負の極に至りて、始めて和を講ずるか、若しくわ死を決するは、立国の公道にして、国民が国に報ずるの義務と称す可きものなり」
これが福沢の言う「瘠我慢の説」だよ。
つまり合理主義を排している。
負ける戦争と分かってるものをするな、という司馬遼太郎や、最近の保守主義者が言ってるような生ぬるい感覚じゃないんだ。
「士風こそを後世に伝えよ」と言っとるんだ。
まさに大東亜戦争にわしが共鳴するゆえんのところを福沢はすでに、この時点で言ってくれてるんだからね。
これこそが、わしが『戦争論』を描いたモチーフになっとる。
だから最初にわしは『戦争論』の中で、すもう大会のエピソードを描いたんだ。
負けるとわかっているのに、すもう大会に出ていって大恥をかく。
その非合理の中にしか倫理は生まれないだろうって。
あのエピソードと、大東亜戦争の重なりの意味を、誰も見抜けない。
それは戦後の文学者、批評家が福沢諭吉すら、ちゃんと読み解く能力がなかったからに他ならない。
(注: 写真とイラストはデンマンライブラリーから貼り付けました)
369 - 370ページ 『「個と公」論』
著者: 小林よしのり
2000年5月10日 第2刷発行
発行所: 株式会社 幻冬舎
つまりだねぇ~、オマエは「すもう大会に出ていって大恥をかく。その非合理の中にしか倫理は生まれない」と信じて大東亜戦争を肯定している。
デンマンさんもやっとオイラの言いたい事が理解できたようですね!?
バカだねぇ~。。。だから、オマエは愚か者だと僕は言うんだよ。 倫理とは僕の国語辞典では次のように定義されている。
倫理
行動の規範としての道徳観や善悪の基準
三省堂『新明解国語辞典』より
そうですよ。 これは国語の読解力の問題ですよ。(微笑)
でもオマエは次のように書いた。
歴史に道徳持ち込む愚に
そろそろ気づいてよ
どうしようもないねー、その良心主義者みたいな感覚が。
戦争に道徳持ち込んで良心主義者的感覚で語るなんて、クラウゼヴィッツすら知らんのかねと思ってしまう。
(中略)
言葉を「進出」に書き換えたところで、そこに道徳的価値観を持ち込んで「悪」だったなんて言うんだから、それは旧態依然とした「侵略=悪」って話をしているのと全く同じだよ。
とにかく「侵略=悪」っていう固定観念があるところが左翼なんだよな。
左翼はずーっとそう言ってきたわけだから。
20世紀ってのは、帝国主義と共産主義とファシズムの時代だったわけだよ。
「帝国主義」とはつまり「植民地争奪主義」で、15世紀にスペイン・ポルトガルが海外に出て行った、いわゆる「大航海時代」から始まって、以降ずっと白人の帝国主義の振る舞いをマネなければ近代国家にはなれなかったんだよ。
とにかく植民地を持つこと自体が「近代国家」だったんだから。
そういう時代性を無視して、現在の基準で過去を見て、侵略はいけない、悪だとか言ったってダメなんだよ。
帝国主義か、しからずんば東南アジアのように植民地になるのか。
その二者択一しかない時代だったのであって、そんな時に「侵略はいけない」って言うのは20世紀前半の価値観からいくと、
「植民地になることが善である! 植民地になって、白人にムチ打たれることのみが、善なのだっ!!」
…って言ってることになるからね(笑)。
その時代に今の民主主義の観念なんか通用しないんだから。
今の時代の価値観でしかものを考えられないという「思想の不自由さ」がクダラナイわけよ。
(注: 写真はデンマンライブラリーから貼り付けました)
176 - 178ページ 『「個と公」論』
著者: 小林よしのり
2000年5月10日 第2刷発行
発行所: 株式会社 幻冬舎
だから。。。どうだとデンマンさんは言うのですか?
だからじゃないだろう! 自分で道徳を持ち出すな!と言っておきながら『道徳観や善悪の基準』としての倫理を持ち出してきた。 しかも「士風こそを後世に伝えよ」というようなバカバカしい古い封建的な考えを持ち出してきて大東亜戦争を肯定している!
いけませんか?
いかん! いけないよ! アッカ~♪~ン! オマエがこれ程までの愚か者だとは思わなかったよ。
「士風こそを後世に伝えよ」がそれ程いけませんか?
あのなァ、オマエは次のようにも書いている。
現実は開国以来、世界中を見てみれば、各種の人民相別れて一群を成し、国や政府を作って忠君愛国が最上の美徳となっている。
忠君愛国は世界大の哲学からみれば人類の私情なんだが、やはり今日までの厳しい世界事情の中では美徳であり、「立国の公道」と言わざるを得ない。
369ページ 『「個と公」論』
著者: 小林よしのり
2000年5月10日 第2刷発行
発行所: 株式会社 幻冬舎
今日までの厳しい世界事情を考えても忠君愛国や士風は決して美徳などではないよ!
その根拠は。。。?
オマエの言う美徳の「士風」を一部の日本人が後世に伝えるために、いかに多くの日本人が不幸のどん底に落ちなければならなかったか!?
だから、その根拠は。。。?
オマエがそれ程根拠に拘(こだわ)るのならば次の小文を読めば僕の言おうとする事が分かると思うよ。
アメリカの空襲を受けて、東京をはじめ都市部はどこも焼け野原。
おまけに政府は戦争を続けるために国債を大量に乱発していたので、敗戦直後はものすごいインフレになった。
物価は数十倍になって、戦前に貯めていた貯金や財産は無に等しくなった。
おまけに空襲で家をなくし、人びとは食糧不足で苦しんだ。
1945年3月の東京大空襲で
焼け野原になった江東区。
「約310万人が死んだ」とか簡単にいうけれど、一人の人間が死ぬことは、遺族や縁者に、大きな傷を残すことだった。
作家の夢野久作の長男だった杉山龍丸という人は、敗戦直後に復員事務の仕事に就いていたときのことを回想して、こう述べている。
「私達は、毎日毎日訪ねてくる留守家族の人々に、貴方の息子さんは、御主人は亡くなった、死んだ、死んだ、死んだと伝える苦しい仕事をしていた」。
「留守家族の多くの人は、ほとんどやせおとろえ、ボロに等しい服装が多かった」。
杉山はある日、小学校二年生の少女が、食糧難で病気になった祖父母の代理として、父親の消息を尋ねにきた場面に出会った経験を、こう書いている。
私は帳簿をめくって、氏名のところを見ると、比島(フィリピン)のルソンのバギオで、戦死になっていた。
「あなたのお父さんは---」
といいかけて、私は少女の顔を見た。 やせた、真っ黒な顔。
伸びたオカッパの下に切れの長い眼を、一杯に開いて、私のくちびるをみつめていた。
私は少女に答えねばならぬ。
答えねばならぬと体の中に走る戦慄を精一杯おさえて、どんな声で答えたかわからない。
「あなたのお父さんは、戦死しておられるのです。」
といって、声がつづかなくなった。
瞬間 少女は、一杯に開いた眼を更にパッと開き、そして、わっと、べそをかきそうになった。
…しかし、少女は、
「あたし、おじいちゃまからいわれて来たの。 おとうちゃまが、戦死していたら、係りのおじちゃまに、おとうちゃまが戦死したところと、戦死した、ぢょうきょう(状況)、ぢょうきょうですね、それを、かいて、もらっておいで、といわれたの。」
私はだまって、うなずいて……やっと、書き終わって、封筒に入れ、少女に渡すと、小さい手で、ポケットに大切にしまいこんで、腕で押さえて、うなだれた。
涙一滴、落さず、一声も声をあげなかった。
肩に手をやって、何か言おうと思い、顔をのぞき込むと、下くちびるを血が出るようにかみしめて、カッと眼を開いて肩で息をしていた。
私は、声を呑んで、しばらくして、
「おひとりで、帰れるの。」と聞いた。 少女は、私の顔をみつめて、
「あたし、おじいちゃまに、いわれたの、泣いては、いけないって。おじいちゃまから、おばあちゃまから電車賃をもらって、電車を教えてもらったの。 だから、行けるね、となんども、なんども、いわれたの。」
…と、あらためて、じぶんにいいきかせるように、こっくりと、私にうなずいてみせた。
私は、体中が熱くなってしまった。 帰る途中で私に話した。
「あたし、いもうとが二人いるのよ。 おかあさんも、しんだの。 だから、あたしが、しっかりしなくては、ならないんだって。 あたしは、泣いてはいけないんだって。」
…と、小さな手をひく私の手に、何度も何度も、いう言葉だけが、私の頭の中をぐるぐる廻っていた。
どうなるのであろうか、私は一体なんなのか、何が出来るのか?
(注: 写真とイラストはデンマンライブラリーから貼り付けました)
84 - 88ページ 『日本という国』
著者: 小熊英二
2006年3月3日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 理論社
お涙ちょうだいの話を持ち出してきてデンマンさんは読者の感情に訴えるのですか?
オマエは分かってないねぇ~。。。オマエは読者をナメてるのかア? 僕はオマエの本の読者なんだよ! オマエ、自分の書いたものをもう一度じっくり読めよ!
そもそもわしは丸山眞男(まさお)に始まり、加藤(典洋)や大江(健三郎)の言ってきた昔ながらの「個の確立」というやつに対するアンチテーゼとして『戦争論』を描いたんだからね。
にもかかわらず彼らの書いた反論というのは、なおも昔ながらの言葉をそのまま繰り返しているだけ。
そんなんじゃわひの『戦争論』を到底崩せるはずがない。
どうにも時代遅れというか、向こうの方がずっと古い議論なんだよ、本当はね。
あんなんで若い人たちが説得されるはずがない。
ナメてるんでしょーね、やっぱ。
読者をナメきっているってのが
一番目についたなー。
(注: 赤字はデンマンが強調)
34ページ 『「個と公」論』
著者: 小林よしのり
2000年5月10日 第2刷発行
発行所: 株式会社 幻冬舎
オマエは、こんな事を書いているけれど、オマエこそ読者をナメてるんだよ!
デンマンさんはマジでオイラの本の読者なのですか?
オマエはくどいよ! 僕はオマエの熱烈な読者なんだよ! これだけオマエの本をじっくりと読んで、まともに批判する奴は他に居ないだろう?
居ますよ! うじゃうじゃ居ますよ! 日本の言論人・知識人の馬鹿さかげんがウンザリする程分かりましたよ。
つまり、オマエよりも愚か者が日本にはたくさん居ると言いたいの?
うへへへへへ。。。そのようですね。 (満足の微笑)
オマエ! 笑っている場合じゃないだろう!?
デンマンさんはオイラを馬鹿にするようですけれど日本はABCD包囲陣(アメリカ、イギリス、中国、オランダ)に経済封鎖を受けて戦争に追い込まれたのですよ。 日本は戦争しなければ植民地にされるところまで追い込まれた。
確かにそうだよ。
あれっ。。。デンマンさんも同意するのですか?
同意するよ。 でもなァ、愚かなオマエと違って、絶対に大東亜戦争を肯定するようなことはしない!
なぜ。。。?
そんな事はごく簡単に説明がつくよ。
だったら、ズバリ!言ってくださいよ。
あのなァ、オマエが美徳だという「士風」は歴史的に見て単なる「私情」でしかなかった。 しかも、その「私情」さえ、大東亜戦争の終結の前には、粉々になって消えていた。
その根拠は。。。?
ちょっと次の小文を読んでみてよ。
天皇が否応なしに思い出すことになるのは、前日、(昭和20年)6月8日の御前会議で読み上げられた「国力ノ現状」がまさしく絶望的であり、恐ろしいかぎりのものであったことだ。
すべての生産がどうやらつづくのはこの夏までだ。
(中略)
首相、陸軍大臣、枢密院議長、重臣たちのだれもが、もはや大義、名誉、海外領土、権益、なにひとつ守ることはできないと諦めているが、ただひとつ、皇室と皇統を守るために戦いをつづけなければならないのだと主張してきた。
(注: 赤字はデンマンが強調)
149 - 150ページ
『原爆を投下するまで日本を降伏させるな』
著者: 鳥居民
2005年6月7日 第1刷発行
発行所: 株式会社 草思社
分かるだろう? 首相、陸軍大臣、枢密院議長、重臣たちのだれもが、もはや大義も名誉も何一つ守ることはできないと諦めていた。 「士風」など消えていたのだよ! それなのに何のために戦い続けたのか?
皇室と皇統を守るためですよ。
いや、違う! なぜなら皇室と皇統は正義じゃない! 平和こそ正義だと天皇が気づいた。
その根拠は。。。?
次の小文を読んでみろよ!
天皇陛下はどうなさっているのかという国民の声なき声がある、一億玉砕を叫び立て、本土決戦をおこなうことになり、多数の非戦闘員がころされることになれば、陛下にたいする怨みは噴出すると、二人(高木八尺と南原繁)は言うのだ。
自分にたいする怨みの感情が国民のあいだに起きるという、初めて聞く話に、天皇は当惑し、混乱しはしたものの、理解できたにちがいない。
(中略)
林のあいだの小道を歩きながら、天皇は南原と高木が説いたとおりだと重ねて思ったにちがいない。
戦争を早くやめなければ「皇室護持」の(元駐日大使)グルーの力は弱まり「皇室抹殺」派の力が強まる。
(中略)
そのときから13日、昭和20年6月22日、天皇は6人の政府、統帥部の首脳に向かって、戦争終結の決意を述べた。
149 - 150ページ
『原爆を投下するまで日本を降伏させるな』
著者: 鳥居民
2005年6月7日 第1刷発行
発行所: 株式会社 草思社
分かるだろう? 戦争も侵略も悪なんだよ。 オマエのように大東亜戦争を肯定する人間は悪人なんだよ。 天皇は悪人になることを避けたのだよ。
その根拠は。。。?
オマエは根拠に拘るんだね。。。あのなァ~、天皇は平和があってこそ、皇室と皇統が守られるということに気づいた。 それで戦争終結の決断をした。 もし、天皇がオマエのような愚か者だったら戦争をやめるどころか「士風」こそ後世に伝えよ、と言い張って一億玉砕に突き進むのだよ! でも、天皇はそうしなかった。 皇室と皇統よりも平和の方が大切なことが分かった。 これで愚かなオマエにも平和が正義だということが分かったろう?
いや。。。分かりません!! オイラは何が何でも、あくまで大東亜戦争を肯定します。
あっ、そォ~♪~。。。じゃあ勝手にすればァ~。 日本国憲法では「言論の自由・表現の自由」が保障されているし、「思想および良心の自由」もあるからね。 オマエが大東亜戦争を肯定するのに僕は異存はないよ。 でもなァ、僕は大東亜戦争を99.9%否定する!
分かりました。 しかし『苫小牧殺人事件』の母親とオイラの精神構造が同じだという説明がまだありません。
オマエは、それまで僕に言わせるのォ? あのなァ~、平和が正義なんだよ! だからもし、日本に居る母親が愛欲とふしだらな生活の虜(とりこ)になって自分の子供を殺し始めたら平和が保たれると思うか?
保たれると思います。
馬鹿言うなよ! 『苫小牧殺人事件』を起こした母親が日本女性のほとんどを占めたら、日本の母親たちが気が狂ったように我が子を殺し始める。 日本の平和が保たれるわけがね~だろう!
どうして。。。?
『苫小牧殺人事件』を起こした母親にもオマエにも「平和が正義だ」という思想が欠如している。 だから、あの母親は我が子を殺すことができた。 オマエは一億玉砕を主張するような愚劣な考えに凝り固まって大東亜戦争を肯定している。 もし、第3次世界大戦になって、オマエが日本政府の先頭に立ったら、それこそ国家権力を後ろ盾にしてサリンのような凄まじい事をやるに違いない。 「士風こそを後世に伝えよ」というオマエの愚かな考え方のために、何千万何億という人間が犠牲にされるに違いない! つまり、『苫小牧殺人事件』の母親もオマエも人権無視・生命無視の同じ精神構造を持っているということだよ。
【レンゲの独り言】
ですってぇ~。。。
デンマンさんは言いたい放題のことを言ってますよね。
ところで、あなたは小林よしのりさんが書いた『戦争論』を読みましたか?
デンマンさんが取り上げた『「個と公」論』も読みましたか?
『戦争論』は65万部売れたのですって。。。
出版されたのは、もう10年以上も前のことですから、現在までにはもっと売れているもしれません。
かなり話題になりましたよね。
あなたは大東亜戦争を肯定しますか?
戦争が正義か?
平和が正義か?
考えてみたことがありますか?
とにかく、また、あさってが面白くなりそうです。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。
ィ~ハァ~♪~!
メチャ面白い、
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こんにちは。ジューンです。
わたしもデンマンさんに薦められて
『「個と公」論』を読んでみましたわ。
インタビュー形式で対談のようになっています。
マンガは全く描いてありません。
言葉を惜しみなく駆使した実験だそうです。
インタビュアーが「時浦兼」という人物なんですね。
同書の403ページに書いてあります。
でも、「時浦兼」という人物が実在したとしても
二人の会話がそのまま活字になったのではないと
わたしは思います。
2ちゃんねる流に言えば「自作自演」ですよね。
良くてインタビューに見せかけた「創作」だと思います。
デンマンさんのこれまでの記事を読めば
分かると思いますけれど、
上の記事はデンマンさんの「自作自演」です。
マンガ家の「オマエ」と「僕」はデンマンさんが
一人で二役を演じています。
つまり、「創作」です。
ただし、記事で引用した本の内容は
小林よしのりさんが書いたそのものを引用しています。
誤解がないように老婆心から申し上げました。
ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。
寒さを笑って吹き飛ばすために
ぜひ読んでみてくださいね。
■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
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