2011年3月28日月曜日

アナクロニズム

 


アナクロニズム








大田区南馬込(まごめ)の三島邸は、女優で演出家の長岡輝子の家から路地をひとつ隔てたところにあった。

陽光に映える三島趣味のヴィクトリア朝コロニアル様式の白亜館が新築されて以来、長岡とは、芝居でのつき合いというよりも、むしろご近所のつき合いがあった。

自決事件(昭和45年11月25日)からしばらくして、長岡は手作りの惣菜を持って三島邸を訪れた。

夜食でもともにして、母親の倭文重(しずえ)夫人を慰めるつもりだった。

「…でもね、由紀夫さんは、自分のなさりたいことはぜんぶ成し遂げて、それこそ藤原道長の歌じゃないけれど、「望月」の本望がかなった方じゃありません?…」

と長岡はたずねた。

すると倭文重は、ややあって、

「今度はじめて、やっとあの子が本当にやりたかったことができたのですから、その意味では、男子の本懐を遂げたことになります。…でも、あの子には、ふたつだけ叶わなかったことがあります。

ひとつは…ノーベル文学賞をもらえなかったことです」

「ノーベル文学賞はおれが取るぞって、意気込んでいらしたからね…」

「それが川端先生に決まったとき、弟の千之(ちあき)に向かって、大声で、くやしい!と叫んでいました。…

それと、もうひとつは、結婚問題です。本命の人と結婚できなかったんです。…お見合いをして、不成立の縁談で、唯一、心残りの方がありました…」

「それは…どなた?…」

倭文重の顔は紅潮していた。

長岡は、ひと言も聞きもらすまいと耳を傾けた。

「のちに皇太子妃になられて、時とともにあの子の意中の人として消えがたくなっていったようです。もし、美智子さんと出遭っていなければ、『豊饒の海』は書かなかったでしょうし、自決することもなかったでしょう…」







「でも、どのみち畳の上では死ねなかった方よ。…どこかに死に場所を探されたでしょうけれど…」



(注:写真はデンマン・ライブラリーから貼り付けました。

赤字はデンマンが強調)








7 - 9ページ

『三島あるいは優雅なる復讐』

2010年8月26日 第1刷発行

著者: 高橋英郎

発行所: 株式会社 飛鳥新社








デンマンさん。。。オイラをお呼びですか?







おおォ~。。。マンガ家! 首を長くして待っていたんだよォ。



今日は自決した三島さんを持ち出してきてオイラをイジメるのですか?



いや。。。僕はオマエをイジメようとしているのじゃないよ!



でも、そう見えますよ。



あのなァ~、三島さんを持ち出してきたのは、オマエと三島さんが似ていると思ったのだよ。



あれっ。。。デンマンさんは、マジでそう思っているのですか?



そうだよ。 でも、そう言われたからって、オマエが急にうれしそうに笑顔を振りまかなくてもいいのだよ!



だってぇ、オイラがノーベル漫画賞をもらえるとデンマンさんは思っているのでしょう?



馬鹿言うなよ! ノーベル漫画賞なんてないよ!



でも、オイラと三島さんが似ていると言ったばかりじゃないっすかァ!



あのなァ、三島さんはノーベル賞候補に挙がっていたけれど、結局ノーベル文学賞はもらえなかった。 オマエがもらえるはずがないじゃないか!



でも、分かりませんよ。 オイラのためにノーベル漫画賞が創設されるかも。。。



そんな事はオマエが逆立ちして日本一周しない限りありえないことだよ!



オイラが喜んではダメなのですか?



いや。。。喜びたければ喜んでもいいよ。。。、でもなァ、後で後悔すると思うよ。



どうしてですか?



三島さんは出口のない世界に自分を追い込んで、気づいた時には、もう出られない程奥深い所に行き着いてしまった。 それで、現実と完全に切り離されてしまったわけだよ。 たった一つ残されたのは自決する道だけだった。



つまり、三島さんのようにオイラも「死に場所」を探さなければならないとデンマンさんは主張するのですか?



いや。。。オマエの場合は閉ざされた世界に自分で埋没しているけれど、自決するだけの勇気は持てないだろうよ。



それはデンマンさんの独断と偏見ですよ。



だから、今日はその事についてオマエとじっくりと考えてみたいと思ったのだよ。



そんな事は時間の無駄ですよ。 閉ざされた世界にハマッているのはデンマンさんの方でしょう!?



いや。。。僕は開かれた世界に生きている。 オマエと違って僕は34カ国を放浪したからね。



そんな事は自慢になりません。 それよりも三島さんは現在、皇后陛下の正田美智子さんとマジで見合いをしたのでしょうか?



どうやら事実のようだよ。 運命の出遭いだったんだと僕は思うね。



。。。で、どうして三島さんを持ち出してきたのですか?



あのなァ~、もう一つ三島さんとオマエが似ているのは大東亜戦争になぜか親しみを持っていることだよ。



つまり、オイラの「大東亜戦争肯定論」に三島さんが生きていたら共鳴するだろうとデンマンさんは言うのですか?



そうだよ。



その根拠は。。。?



高橋英郎さんは次のように書いていた。




23歳の新進作家・三島は短編集『宝石売買』(昭和24年2月)を上梓するに当たって、戦争中から尊敬していたリラダン(長編小説『未来のイヴ』)の訳者、渡辺一夫をたずねて、序文をもらおうとした。ところが、「そこで出る話はもっぱら戦後の食糧難の話で、つまらぬ愚痴ばかり聞かされて、つくづくうんざりした。しかも書いてもらった序文が「偽序」と題されている。どうせ書いてくれるなら、ちゃんとした序文を書いてくれればよさそうなものなのに、いくら謙遜したにしても「偽序」とはひどいじゃないか」(澁澤龍彦「三島由紀夫をめぐる断章」)---というのが三島の言い分である。

その「偽序」の内容とは次のようなものであった。




以前に一度、三島氏には偶然にさる喫茶店でお目にかかったことがあります。その際、三島氏は、平和論者というよりも戦争恐怖患者たる僕に向かい、わざと「僕は戦争がすきなんです」と言われました。僕は大変弱りましたが、三島氏が戦争崇拝者ではないことは知っていますし、氏が戦争によって苦悩する人間を愛して居られることも、氏の哀傷も夢想も推量できます。しかし、氏の愛に価(あたい)する人間性が戦禍中にあるからと言って、「戦争をすきだ」などと仰(おっ)しゃろものではありません。それは悪いレトリックです。




以後、三島はこのフランス文学者が大きらいとなり、この慇懃無礼と紙一重の東大教授の自己卑下を、口をきわめて痛罵することになった。



 (中略)







1945年3月の東京大空襲で



焼け野原になった江東区。




渡辺一夫にしてみれば、空襲を越えて戦中戦後、食うや食わずの生活のなかでやっと貴重な文献類を守り、切り抜けたものの、一番の痛恨事は優秀な学徒が相ついで“天皇”の名のもとに戦陣に散って行ったことだった。 そして渡辺は、出陣学徒兵の遺稿集である『きけ わだつみのこえ』(昭和24年10月)の序文に「人間らしい感情、人間として磨きあげなければならない理性」を備えた若者たちも、戦争に追いつめられれば「獣や機械」になる。そのように追いつめるものの一切を「人間社会から除き去らねばならぬ」と書いた。 渡辺は、日本のあらゆる問題の根底に「天皇制」という岩盤が横たわっているのを三島とは正反対の立場から見つめていた。 「日本には“天子様”がおられますからね…」と食事中でも直立不動の姿勢を取って、にまっと笑うのも、渡辺の精一杯のパロディであった。



その渡辺の前に「戦争は決して私たちに精神の傷を与えはしなかった」(「重症者の兇器」昭和23年)と称するラディゲ・ファンの新進作家が現れて、没落家族の娘たちの遺産物語に「序文」を求めてきたのは、見当はずれではなかったか。 ラディゲにしたってフランス文学はもっと大人で社会性がありますよ、と渡辺は思ったにちがいない。 三島は、人選を誤ったというべきであろう。



(注:写真はデンマン・ライブラリーから貼り付けました。

赤字はデンマンが強調)








106 - 108ページ

『三島あるいは優雅なる復讐』

2010年8月26日 第1刷発行

著者: 高橋英郎

発行所: 株式会社 飛鳥新社








オイラは三島さんと違って「僕は戦争がすきなんです」と言ってませんよ。







あのなァ~、もし現在、渡辺一夫さんが生きており、オマエの『戦争論』を見たとしたら、「“大東亜戦争を肯定します”などと書くものではありません」と言うだろうよ。



渡辺一夫さんならば、そう言うかもしれません。 でも、オイラの読者のほとんどは「大東亜戦争肯定論」に賛同していますよ。



それこそオマエの独断と偏見だよ。



その根拠でもあるのですか?



オマエは次のように書いていたじゃないか!








『SAPIO』連載中、



もう中島(岳志)いじめはいい、



小者は相手にするな



パールの話はあきた、




という反応が読者からあった。



論理を徹底せず、あいまいで済ます



いかにも日本人の反応だ!



そんなことだから戦後の言論空間は



サヨクのデマに支配されたままなんだ!









172ページ 『パール新論』

著者: 小林よしのり

2008年6月28日 初版第1刷発行

発行所: 株式会社 小学館



デンマン注:イラストはデンマンが貼り付けました。

強調のための赤字もデンマンが施(ほどこ)しました。








『パール判事とゴーマン』に掲載

(2011年3月18日)








こうしてオマエの考え方や、やり方に反発する読者もけっこう居るのだよ。







いや。。。せいぜい一人か二人ですよ!



ウソつけ! オマエは次のようにも書いていたじゃないか!




『戦争論』では司馬氏についてはたったの一コマ、

「あの司馬遼太郎だって『日清・日露までの日本人は偉かった 立派な国だった 昭和が魔法にかかったように愚かでダメだった』

そりゃ負けたから言ってるだけだ」

と描いたのですが、「司馬史観」の信奉者からは轟々(ごうごう)たる抗議の手紙が届きました。



(注: 赤字はデンマンが強調)








359ページ 『「個と公」論』

著者: 小林よしのり

2000年5月10日 第2刷発行

発行所: 株式会社 幻冬舎








『パール判事とゴーマン』に掲載

(2011年3月18日)








分かりました。 確かに「司馬史観」の信奉者からは轟々(ごうごう)たる抗議の手紙が届きました。 でも、それもオイラの読者のごく一部ですよ。







あのなァ~、僕もオマエの読者の一人なんだよ。 その僕が徹底的にオマエを批判しているのだよ。



でも、オイラの「大東亜戦争肯定論」に批判する人が居るのも当然のことですよ。 もともと日本人のほとんどが戦後、大東亜戦争を否定していたのですから。。。ところで、三島さんの世界が閉ざされていて、抜け出せる道は自決の道だけだったというのはどう言う訳ですか?



次の小文を読めばオマエにも分かるはずだよ。








三島由紀夫の遺作となった小説『豊饒の海』第一巻『春の雪』は、作者が美智子妃への思いをもとに、想像力の赴くままに書き上げた私小説である。

その結末は破天荒で、これが戦前ならば不敬罪に当たることを、作者は百も承知で書き進めた。 そしてその頃、生涯の計画として、人の意表を衝く「死に場所」を求めていた三島は、その完成の日こそ己れの自決の日であると、秘かに心に決めていた。







その執筆と併行して彼が組織した「楯の会」は、“左翼革命”が起こるであろう日、自衛隊を先導して、硝煙けむる二重橋を渡り、火傷するほど熱い握り飯を捧げ持って、意中の人に献上するための私兵であった。

ところが、三島の期待に反した“左翼革命”は、待てども起こらなかった。

昭和43年、44年と学生デモ隊は警察機動隊の力で徹底的に鎮圧され、自衛隊の出動は見送られ、憲法改正の機会も見失われて、ついに「楯の会」は栄えある出陣の場を失ってしまったのである。

三島由紀夫が自由に生きた時代、それは昭和20年8月15日、敗戦の日で終わった。




次郎 …女はシャボン玉、お金もシャボン玉、名誉もシャボン玉、そのシャボン玉に映っているのが僕らの住んでいる世界、そんなこと、みんな知ってらあ。



 ただ言葉で知っておいでなだけでございますよ。



次郎 うそだ。 僕はみんな知っちゃったんだよ、だから僕の人生は終わったのさ。



(『邯鄲(かんたん)』昭和25年)




三島は、現人神(あらひとがみ)が「人間天皇」となった昭和の御代(みよ)を怒り、呪った。

大正10年(1921)11月25日は皇太子裕仁が大正天皇の摂政に就任し、事実上、昭和の御代が始まった日であるが、三島はこの11月25日という日を決行の日に選び、自衛隊に突入したのではないかと考えられる。



 (中略)



現代において、何かを創造するには、歴史感覚の欠如や社会性への無視は許されないが、三島が生涯にわたって愛読した『葉隠』には、ある種の時代錯誤を感じないではいられない。 この書は、真の武士道とはほど遠く、三島の人生誤算の大きな原因となったのではあるまいか。



(注:写真はデンマン・ライブラリーから貼り付けました。

赤字はデンマンが強調)








280 - 283ページ

『三島あるいは優雅なる復讐』

2010年8月26日 第1刷発行

著者: 高橋英郎

発行所: 株式会社 飛鳥新社








つまり、三島さんにとっての世界は昭和20年8月15日までで、戦後の世界は三島さんにとって空虚の世界だった、生きがいのない世界だったとデンマンさんも思い込んでいるのですか?







もちろんだよ。 三島さんが自決した動機はそれ以外に考えられないじゃないか!



。。。で、三島さんの生き方もオイラに似ていると、デンマンさんは主張するのですか?



そうだよ。 オマエの文章の中にも『葉隠』と共通するものがある。



デンマンさんにも分かりますか?



オマエが書いた『「個と公」論』にも『パール真論』にも“葉隠”という言葉は一度も使われてないけれど、「士風」とは『葉隠』で言うところの「武士道」だと僕は思うのだよ。



まあ。。。当たらずと言えども遠からずと言うところですよ。



そうだろう!? オマエは意識して『葉隠』を持ち出さなかったの?



生理的に『葉隠』を受け付けない人も居ますからね。



でもさァ~、オマエの文章を読むと『葉隠』が行間に見え隠れしている。



デンマンさんにも、そう見えますか?



そうだよ。 しかもだよ。 オマエがりきんで熱くなって“「士風こそを後世に伝えよ」と言っとるんだ”なんて叫んでいるのを見ると、三島由紀夫が出てきそうな気がするんだよ。(微笑)



あれっ。。。デンマンさんは、そこまでオイラの本を深読みしてしまったンすかァ~?



そうだよ。。。もしかして、オマエは三島由紀夫の熱烈なファンなんじゃないの?



デンマンさんは、その事が言いたくて『葉隠』を持ち出してきたのですか?



いや、違う! たまたま高橋秀郎さんが書いた本を読んでいたら、とっても興味深い箇所に出くわしたんだよ。




『葉隠』は、「武士道といふは死ぬ事と見つけたり」で知られる、18世紀佐賀の隠士・山本常朝が口述し、その部下の中堅武士・田代陣基(つらもと)が記述した鍋島藩の武士道論書である。

名誉を重んじ、主君のためにはいかなる自己犠牲をも惜しまない古武士の人生哲学を記したもので、冒頭に、この11巻は追って「堅く火中に」焼却すべし、と書かれていた。

しかしその後、誰も焼かなかったという奇書
であるが、三島は『葉隠』を、ラディゲ、上田秋成(あきなり)につぐ愛読書にあげている。



だが、常朝の説く「死に狂い」には、徳川泰平ムードへの警世(けいせい)の書とはいえ、理念もなければ、意義も、ロマンもなく、「救済」もない。

あらゆる思索を捨て去って、ひたすら死へと向かわせる指南書と言ってよい。




 (中略)



ついでながら、語り主の山本常朝は、暗君・鍋島光茂にひたすら迎合した武士と言われ、主君の死後、殉死禁止令が出されたのをよいことに61歳まで生きながらえて、無事、畳の上で死んだと言われている(山本博文 『「葉隠」の武士道』)。



 (中略)



丸山真男は『葉隠』と三島の関係について、次のように語っている。




加藤周一の『日本文学史序説』に即していえば、『葉隠』の「武士道」がいかに武士道ではないか、つまり江戸が天下泰平の時代に入って、かつての戦国武士の行動様式を追想し、美化した「イデオロギー」にすぎないか、これはちゃんと歴史を学んでいる人にとっては常識なのです。



 (中略)



ですから、三島由紀夫などが『葉隠』などを読んで武士道をかついだのは、私に言わせれば二重の悲喜劇なんです。(「文学史と思想について」)




要するに、三島の歴史感覚の欠如が『葉隠』愛読というアナクロニズム(時代錯誤)を招き、人生設計を誤らせたと言っても過言ではない。








58 - 61ページ

『三島あるいは優雅なる復讐』

著者: 高橋秀郎

2010年8月26日 第1刷発行

発行所: 株式会社 飛鳥新社








『士風と「葉隠」(2011年3月23日)』に掲載








これは明らかに『葉隠』を貶(けな)す書ですよ。







貶しているのではなくて批判しているのだよ。



デンマンさんは高橋さんが書いている文章を信用するのですか?



あのなァ~。。。上の文章は高橋さんが独断で『葉隠』を批判しているのではない。 山本博文さんは、『「葉隠」の武士道』の中で次のように言っている。



山本常朝は、暗君・鍋島光茂に



ひたすら迎合した武士と言われ、



主君の死後、



殉死禁止令が出されたのをよいことに



61歳まで生きながらえて、



無事、畳の上で死んだ




加藤周一さんは『日本文学史序説』の中で次のように書いている。



『葉隠』の「武士道」が



いかに武士道ではないか、




丸山真男さんは次のように主張している。



三島由紀夫などが『葉隠』などを読んで



武士道をかついだのは、



私に言わせれば二重の悲喜劇




そして最後に高橋さんが次のように総括しているのだよ。



三島の歴史感覚の欠如が



『葉隠』愛読という



アナクロニズム(時代錯誤)を招き、



人生設計を誤らせたと言っても



過言ではない。




つまり、上の文章中で4人の知識人が『葉隠』は人生設計を誤らせる悪書だと言ってるのだよ。



デンマンさんも『葉隠』は悪書だと思い込んでいるのですか?



仮に良書だとしても僕は『葉隠』に書いてある忠君愛国だとか、名誉を重んじ、社長のためにはいかなる自己犠牲をも惜しまない、なんてバカバカしい事を考えない。 現在に生きる我々が『葉隠』を人生設計に使ったら、それこそ二重三重の悲喜劇に終ってしまうのがオチだよ。



デンマンさんは上の4人の似非知識人の言葉を信じるのですか?



あのなァ~。。。オマエが丸山真男を嫌って馬鹿にしているのを僕は知っている。 でもなァ~、似非知識人だとしても、正真正銘の知識人だとしても、完璧な知識人など、人間である以上、居るわけがない! オマエも僕も完璧な人間じゃない! 僕は上の文章を読んで、これまで得た僕の知識と経験から判断しているだけだよ。 上の四人を僕は個人的に知らないし、だから嫌いでも好きでもない。



でも、上の本は明らかに『葉隠』を貶(けな)す書ですよ。



そのようにムキになるなよ! この記事を読んでいる人の中には、尤(もっと)もだと思って『葉隠』について改めて考え直す人だって居るはずだよ。 高橋さんが上の本で『葉隠』を貶していると感じるのは、オマエの個人的な受け留め方にすぎない。



つまり、オイラが持ち出した忠君愛国を『葉隠』と結びつけ、さらに、「士風」を『葉隠』の武士道と結びつけ、オイラの「大東亜戦争肯定論」を『葉隠』と同じものとして貶すことがデンマンさんの目的なのですか?



いや。。。僕はオマエの「大東亜戦争肯定論」を貶そうとしているわけじゃない。 合理主義を排して大東亜戦争を肯定しているオマエの考え方を見ながら、現在に生きる我々が、オマエの信じる「大東亜戦争肯定論」を参考にして人生設計すると、二重三重の悲喜劇に終ってしまうだろうと思ったまでのことだよ。



要するに、デンマンさんはオイラの「大東亜戦争肯定論」を貶しているのですよ!



オマエはくどい! 貶してない! 僕は批判しているのだよ。



批判のないところに進歩なし



愛なき批判は空虚にして



批判なき愛は盲目なり




分かるだろう? オマエを貶したって意味が無い。 お互いに批判することによってオマエも僕も未来に向かって前向きに生きてゆける。 オマエだって三島さんのように閉ざされた時代錯誤の世界の中で割腹自殺などしたくないだろう?



もちろん、オイラは割腹自殺などしませんよう。



だったら、「士風」などを持ち出すなよ。



いけませんか?



次の文章など、まるで三島さんが書いたのじゃないかと僕は思ったほどだよ!








福沢(諭吉)は『瘠我慢(やせがまん)の説』で三河武士の士風の美を讃え、幕府のために戦って死ななかった勝海舟や、一度は箱根に籠城したのに、負けた後、新政府で出世してしまった榎本武揚(たけあき)を批判しているんだ。

それは徹底的に忠君愛国の武士道の「瘠我慢」を支持しているんだからね。

冒頭、出てくる「立国は私なり、公に非ざるなり」というのは、単なる「自分のことしか考えない私を寄り集めたら国ができる」なんて話じゃないからね。

世界大で見れば、立国は徹底した自己本位の私情を貫くことに他ならない。

他国の利益を考えてやるような公共心は世界大では通用しないという、恐るべきナショナリズムのことなんだよ。

これを戦後の文学者も批評家もすべて読み誤っている。



福沢はまず一般的な人の持つ疑問を並べ立ててみせるんだよ。

人と人はなんで国境を決めて争うんだろう、君主を立てるんだろう。

こんなものはすべて、人間の私情から生じたものなのに、と。

そして現実論を言い始める。

そうは言っても、現実は開国以来、世界中を見てみれば、各種の人民相別れて一群を成し、国や政府を作って忠君愛国が最上の美徳となっている。

忠君愛国は世界大の哲学からみれば人類の私情なんだが、やはり今日までの厳しい世界事情の中では美徳であり、「立国の公道」と言わざるを得ない。

…そういうふうに話は逆転してくるんだ。

そして、ついに福沢は、こう言い始める。



「自国の衰退に際し、敵に対して固(デンマンは【個】だと思いますが…)より勝負なき場合にても、千辛万苦、力のあらん限りを尽くし、いよいよ勝負の極に至りて、始めて和を講ずるか、若しくわ死を決するは、立国の公道にして、国民が国に報ずるの義務と称す可きものなり」



これが福沢の言う「瘠我慢の説」だよ。

つまり合理主義を排している。

負ける戦争と分かってるものをするな、という司馬遼太郎や、最近の保守主義者が言ってるような生ぬるい感覚じゃないんだ。







「士風こそを後世に伝えよ」と言っとるんだ。


まさに大東亜戦争にわしが共鳴するゆえんのところを福沢はすでに、この時点で言ってくれてるんだからね。



これこそが、わしが『戦争論』を描いたモチーフになっとる。

だから最初にわしは『戦争論』の中で、すもう大会のエピソードを描いたんだ。

負けるとわかっているのに、すもう大会に出ていって大恥をかく。

その非合理の中にしか倫理は生まれないだろうって。



あのエピソードと、大東亜戦争の重なりの意味を、誰も見抜けない。

それは戦後の文学者、批評家が福沢諭吉すら、ちゃんと読み解く能力がなかったからに他ならない。



(注: 写真とイラストはデンマンライブラリーから貼り付けました

赤字はデンマンが強調のために施しました)








369 - 370ページ 『「個と公」論』

著者: 小林よしのり

2000年5月10日 第2刷発行

発行所: 株式会社 幻冬舎








『漫画家と平和』に掲載

(2011年3月6日)








士風を賞賛してはいけないのですか?







いや。。。何を言っても書いてもいいよ。 日本もカナダも言論の自由・表現の自由が憲法で保障されているし、これは世界的な傾向だから。。。



だったら、クダクダと批判めいたことを言わないでくださいよ。



オマエは批判されるのが嫌いなの?



いや。。。もう慣れていますから、デンマンさんがオイラを批判したところで痛くも痒くもありません。



だったら、タラタラ不満そうに言わなくてもいいだろう。



でも、デンマンさんの真意は何ですか? オイラをイジメたいのですか?



僕はオマエをイジメてないよ! 何度も言ってるだろ! オマエの世界が閉ざされている。。。過去のものになりつつあると僕は指摘しているだけだよ!



その証拠でもあるのですか?



あるよ。 オマエは上の文章の中で次のように書いていた。








忠君愛国が最上の美徳となっている。



忠君愛国は世界大の哲学からみれば



人類の私情なんだが、



やはり今日までの厳しい世界事情の中では



美徳であり、「立国の公道」と言わざるを得ない。



千辛万苦、力のあらん限りを尽くし、



いよいよ勝負の極に至りて、



始めて和を講ずるか、



若しくわ死を決するは、



立国の公道にして、



国民が国に報ずるの義務と称す可きものなり



負ける戦争と分かってるものをするな、



という司馬遼太郎や、



最近の保守主義者が言ってるような



生ぬるい感覚じゃないんだ。







士風こそを後世に伝えよ」と言っとるんだ。



(注: 赤字はデンマンが強調)








これでは三島さんの言っていた事とあまり変わりがないだろう!?







そうでしょうか?



そうだよ。 繰り返して言うけれど、合理主義を排して大東亜戦争を肯定しているオマエの考え方を見ながら、現在に生きる我々が、オマエの信じる「大東亜戦争肯定論」を参考にして人生設計すると、二重三重の悲喜劇に終ってしまうだろうと思ったまでのことだよ。 つまり、時代錯誤! オマエの考えはアナクロニズムなんだよ!




【レンゲの独り言】







ですってぇ~。。。

デンマンさんは言いたい放題のことを言ってますよね。

ところで、あなたは小林よしのりさんが書いた『戦争論』を読みましたか?

『パール真論』を読みましたか?

デンマンさんが取り上げた『「個と公」論』も読みましたか?



『戦争論』は65万部売れたのですって。。。

出版されたのは、もう10年以上も前のことですから、現在までにはもっと売れているもしれません。

かなり話題になりましたよね。



あなたは大東亜戦争を肯定しますか?

戦争が正義か?

平和が正義か?

考えてみたことがありますか?



とにかく、また、あさってが面白くなりそうです。

だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。

じゃあねぇ。












ィ~ハァ~♪~!



メチャ面白い、



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こんにちは。ジューンです。



わたしもデンマンさんに薦められて



『「個と公」論』を読んでみましたわ。



インタビュー形式で対談のようになっています。



マンガは全く描いてありません。



言葉を惜しみなく駆使した実験だそうです。



インタビュアーが「時浦兼」という人物なんですね。



同書の403ページに書いてあります。



でも、「時浦兼」という人物が実在したとしても



二人の会話がそのまま活字になったのではないと



わたしは思います。



2ちゃんねる流に言えば「自作自演」ですよね。



良くてインタビューに見せかけた「創作」だと思います。




『パール真論』を読んでいたら「時浦兼」という人物は“小林漫画”スタッフの一人だと書いてありましたわ。



このような事は『「個と公」論』の中で明記すべきだと思います。



そうでないと誤解を招きますよね。




デンマンさんのこれまでの記事を読めば



分かると思いますけれど、



上の記事はデンマンさんの「自作自演」です。



マンガ家の「オマエ」と「僕」はデンマンさんが



一人で二役を演じています。



つまり、「創作」です。



ただし、記事で引用した本の内容は



小林よしのりさんが書いたそのものを引用しています。



誤解がないように老婆心から申し上げました。







ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。



楽しいから、ぜひ読んでみてくださいね。



■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』







では、今日も一日楽しく愉快に



ネットサーフィンしましょうね。



じゃあね。








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