2011年3月18日金曜日

パール判事とゴーマン(PART 2)

 


パール判事とゴーマン(PART 2)








天皇陛下はどうなさっているのかという国民の声なき声がある、一億玉砕を叫び立て、本土決戦をおこなうことになり、多数の非戦闘員が殺されることになれば、陛下にたいする怨みは噴出すると、二人(高木八尺と南原繁)は言うのだ。



自分にたいする怨みの感情が国民のあいだに起きるという、初めて聞く話に、天皇は当惑し、混乱しはしたものの、理解できたにちがいない。



 (中略)



林のあいだの小道を歩きながら、天皇は南原と高木が説いたとおりだと重ねて思ったにちがいない。

戦争を早くやめなければ「皇室護持」の(元駐日大使)グルーの力は弱まり「皇室抹殺」派の力が強まる。



 (中略)



そのときから13日、昭和20年6月22日、天皇は6人の政府、統帥部の首脳に向かって、戦争終結の決意を述べた。



(注: 写真はデンマンライブラリーから貼り付けました)








149 - 150ページ

『原爆を投下するまで日本を降伏させるな』

著者: 鳥居民

2005年6月7日 第1刷発行

発行所: 株式会社 草思社








『漫画家と平和』に掲載
(2011年3月6日)








でも、大東亜戦争を始めたからこそ天皇の上の英断があったのですよ。







何を愚かな事を言ってるんだよ! その英断を太平洋戦争開戦する前にすべきだったのだよ! 310万人が死んだ後で天皇は大東亜戦争、太平洋戦争の愚に気づいた。



やってみなければ分からなかったのですよ!



あのなァ、日本とアメリカの物量の違いを計算して日本がアメリカと戦争をすると負けます、と戦前の経済企画庁のような役所のお偉いさんが分析していたのだよ! でもなァ、陸軍の愚か者が日本は神の国であるから絶対に勝つといって合理的な分析結果など「屁のツッパリにもならない!」と嘲笑しただけだった! 冷静に、合理的に考える人にとって太平洋戦争は負けることが分かっていた。 負けることが分かっていた戦争をあえて断行したのは、オマエの言う「士風」のためだったのだよ!



でも、オイラはあえて言います! 日本民族にとって「士風」は大切です。



オマエが書いた次の愚論を僕もじっくりと読んだよ。








福沢(諭吉)は『瘠我慢(やせがまん)の説』で三河武士の士風の美を讃え、幕府のために戦って死ななかった勝海舟や、一度は箱根に籠城したのに、負けた後、新政府で出世してしまった榎本武揚(たけあき)を批判しているんだ。

それは徹底的に忠君愛国の武士道の「瘠我慢」を支持しているんだからね。

冒頭、出てくる「立国は私なり、公に非ざるなり」というのは、単なる「自分のことしか考えない私を寄り集めたら国ができる」なんて話じゃないからね。

世界大で見れば、立国は徹底した自己本位の私情を貫くことに他ならない。

他国の利益を考えてやるような公共心は世界大では通用しないという、恐るべきナショナリズムのことなんだよ。

これを戦後の文学者も批評家もすべて読み誤っている。



福沢はまず一般的な人の持つ疑問を並べ立ててみせるんだよ。

人と人はなんで国境を決めて争うんだろう、君主を立てるんだろう。

こんなものはすべて、人間の私情から生じたものなのに、と。

そして現実論を言い始める。

そうは言っても、現実は開国以来、世界中を見てみれば、各種の人民相別れて一群を成し、国や政府を作って忠君愛国が最上の美徳となっている。

忠君愛国は世界大の哲学からみれば人類の私情なんだが、やはり今日までの厳しい世界事情の中では美徳であり、「立国の公道」と言わざるを得ない。

…そういうふうに話は逆転してくるんだ。

そして、ついに福沢は、こう言い始める。



「自国の衰退に際し、敵に対して固(デンマンは【個】だと思いますが…)より勝負なき場合にても、千辛万苦、力のあらん限りを尽くし、いよいよ勝負の極に至りて、始めて和を講ずるか、若しくわ死を決するは、立国の公道にして、国民が国に報ずるの義務と称す可きものなり」



これが福沢の言う「瘠我慢の説」だよ。

つまり合理主義を排している。

負ける戦争と分かってるものをするな、という司馬遼太郎や、最近の保守主義者が言ってるような生ぬるい感覚じゃないんだ。







「士風こそを後世に伝えよ」と言っとるんだ。


まさに大東亜戦争にわしが共鳴するゆえんのところを福沢はすでに、この時点で言ってくれてるんだからね。



これこそが、わしが『戦争論』を描いたモチーフになっとる。

だから最初にわしは『戦争論』の中で、すもう大会のエピソードを描いたんだ。

負けるとわかっているのに、すもう大会に出ていって大恥をかく。

その非合理の中にしか倫理は生まれないだろうって。



あのエピソードと、大東亜戦争の重なりの意味を、誰も見抜けない。

それは戦後の文学者、批評家が福沢諭吉すら、ちゃんと読み解く能力がなかったからに他ならない。



(注: 写真とイラストはデンマンライブラリーから貼り付けました

赤字はデンマンが強調のために施しました)








369 - 370ページ 『「個と公」論』

著者: 小林よしのり

2000年5月10日 第2刷発行

発行所: 株式会社 幻冬舎








『漫画家と平和』に掲載

(2011年3月6日)








オマエは、まだ分からないの? その非合理な「士風」によって大東亜戦争そのものが日本に不幸をもたらしたのだよ! 第3次世界大戦でオマエが戦って戦死したら、オマエの子供は上の小学校2年生の女の子のような悲惨な体験をしなければならない!







でも、日本民族にとって「士風」は大切です!
 
 


歴史を学ばない者は



失敗を繰り返す

 
 


大東亜戦争を肯定するものは、明らかに歴史を学んでないと言う事なのだよ!



でも、デンマンさんは重要なことを見落としてますよ。



何だい? その重要なことってぇ。。。?



パール判事は原爆死没者慰霊碑を見て激怒したのですよ。











この碑を読んでパール判事はどうしてムカついたの?







原爆を投下したという“過ち”を犯したのはアメリカなのに、なぜ日本人が日本人に向かって「過ちは繰り返しませぬ」と誤っているのか、と。



あのなァ~、確かに原爆を落としたのはアメリカ人だけれど、主語は「この地球に住む我々は」という意味なのだよ。



それはデンマンさんの解釈ですか?



いや。。。この碑文を書いた雑賀忠義さんの真意だよ。 ちょっと次の説明を読んでみろよ。




(碑文は)は、自身も被爆者である雑賀忠義・広島大学教授(当時)が撰文・揮毫したもの。

浜井信三・広島市長が述べた「この碑の前にぬかずく1人1人が過失の責任の一端をにない、犠牲者にわび、再び過ちを繰返さぬように深く心に誓うことのみが、ただ1つの平和への道であり、犠牲者へのこよなき手向けとなる」に準じたものであった。



この「『過ち』は誰が犯したものであるか」については、建立以前から議論があった。1952年8月2日、広島市議会において浜井市長は「原爆慰霊碑文の『過ち』とは戦争という人類の破滅と文明の破壊を意味している」と答弁している。同年8月10日の中国新聞には「碑文は原爆投下の責任を明確にしていない」「原爆を投下したのは米国であるから、過ちは繰返させませんからとすべきだ」との投書が掲載された。これにはすぐに複数の反論の投書があり、「広く人類全体の誓い」であるとの意見が寄せられた。浜井市長も「誰のせいでこうなったかの詮索ではなく、こんなひどいことは人間の世界にふたたびあってはならない」と、主語は人類全体とする現在の広島市の見解に通じる主張がなされている。



インド人法学者のラダ・ビノード・パール(極東国際軍事裁判の判事)は、同年11月3日から4日間、講演のため広島を訪問した。慰霊碑を訪れる前日4日の講演(世界連邦アジア会議)でも、「広島、長崎に原爆が投ぜられたとき、どのようないいわけがされたか、何のために投ぜられなければならなかったか。」と、原爆投下と、投下を正当化する主張を強く批判していた。そして5日に慰霊碑を訪れた際、献花と黙祷の後に、通訳を介して碑文の内容を聞くと「原爆を落としたのは日本人ではない。落としたアメリカ人の手は、まだ清められていない」と、日本人が日本人に謝罪していると解釈し非難した。



これを聞いた雑賀は、同年11月10日パールに「広島市民であると共に世界市民であるわれわれが、過ちを繰返さないと誓う。これは全人類の過去、現在、未来に通ずる広島市民の感情であり良心の叫びである。『原爆投下は広島市民の過ちではない』とは世界市民に通じない言葉だ。そんなせせこましい立場に立つ時は過ちを繰返さぬことは不可能になり、霊前でものをいう資格はない。」との抗議文を送った。



このことをきっかけとして、主語は原爆死没者か日本人かアメリカ人もしくは世界人類か、「誰」が過ちを繰り返さないといっているのか。「繰返しませぬから」か「繰り返させませぬ」かといった碑文論争が行われた。



なお雑賀による碑文の英訳は「Let all the souls here rest in peace; For we shall not repeat the evil」で、主語は“We”(われわれは)、これは「広島市民」であると同時に「全ての人々」(世界市民である人類全体)を意味すると、雑賀が1952年11月に広島大学教養部での講義などで述べている。



1970年2月11日には、「碑文は犠牲者の霊を冒涜している」と主張する「原爆慰霊碑を正す会」(岩田幸雄会長、児玉誉士夫顧問、荒木武相談役)なる市民グループによって碑文の抹消・改正を要求する運動が盛り上がった事があった。また、この運動を軍国主義的・民族主義的主張であると反発する市民グループが対抗して「碑文を守る会」を結成し、激しい論戦が繰り広げられた。この運動に対して、時の市長山田節男は「再びヒロシマを繰返すなという悲願は人類のものである。主語は『世界人類』であり、碑文は人類全体に対する警告・戒めである」という見解を示した。この見解が出されて以降、碑文の意図するところは、「日本」「アメリカ」といった特定の国の枠を超えて、全ての人間が再び核戦争をしないことを誓うためのものである、とする解釈が公式見解となった。



また、1983年には、慰霊碑に主語としてトルーマンと記された札が貼り付けられる事件が発生、これを受けて広島市は、浜井市長の答弁を基にした説明版(日本語と英語で表記)を慰霊碑西側の池の中に設置した。説明板では「碑文はすべての人びとが、原爆犠牲者の冥福を祈り、戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である。」とあり、犠牲者への冥福と不戦の誓いの言葉であると解説されている。



以上の経緯を経て、「碑文の主語は人類」が公式見解となり、大きな論争は無くなったと見られたが、現在も碑文は「日本人の過ち」と解釈される、もしくは「世界市民」という思想に批判的などの理由で、広島市側の見解が受け入れられていない事例も存在している。



出典:

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』








でも、やっぱりオイラは「大東亜戦争肯定論」を主張せずには居られません。







オマエは、まだその事にこだわるの?



『パール真論』を読んだのなら、デンマンさんもオイラの気持ちが分かるでしょう?








マスコミも学者もほとんどバカで、中島(岳志)の本を読んでもその狂いに気づかないんだ。



国語力がないから!



まあ、本の中で、小林よしのりや靖国神社が批判されていれば、大マスコミと学者どもはほとんど絶賛なんだけれどね。



ごーまんかましてよかですか?



言っておくが、わしはパールの取り合いしたり、パールを神棚に上げるために描いているのではない。



「国語力」の問題としてやっているのであり、



「権威主義」と「デマゴギー」の問題として、やっている。



そこんとこ、勘違いするなよ!








64ページ 『パール新論』

著者: 小林よしのり

2008年6月28日 初版第1刷発行

発行所: 株式会社 小学館



デンマン注:イラストはデンマンが貼り付けました。
強調のための赤字もデンマンが施(ほどこ)しました。








あのさァ~。。。一人でイカって熱くなっているけれど、オマエには「国語力」の問題というよりも「言葉の認識論」の問題がありそうだよ。







「言葉の認識論」の問題ってぇ何っすかァ?



「肯定」って辞書を引くと次のように出ている。




肯定



(問題となっている事柄について)その通りでまちがっていないと、認めること。



【用例】 肯定判断、肯定表現



【反対語】 否定



三省堂『新明解国語辞典』より








そのような事ぐらいデンマンさんに言われなくても分かってますよ。







だったら次の公理も理解できる?




戦争=悪


 


 


平和=正義








確かに日本人の多くは、そのように思っているでしょうね。







そうだろう!? オマエだってぇ、分かるだろう! それなのに「大東亜戦争肯定」と書くと、大東亜戦争はまちがっていないと、認めることになるんだよ。 良い戦争も正しい戦争もない! 戦争というものは、すべて悪いに決まっているんだよ! つまり、「戦争=悪」とは数学で言うところの公理なんだよ! だからパール判事だって上の公理を認めている平和主義者なんだよ。



でも、そんな事はパール判事は書いてませんよ!



あのなァ~、公理というのはパール判事が判決書の中にも意見書の中にも『平和の宣言』にも書く必要ないんだよ! 世界中のほとんどの人が誰に言われなくとも正しいと理解できるものが公理なんだよ。



もし、上の公理を認めない人が居たら?



そいつは、オマエのような愚か者だよ!(爆笑)



つまり、オイラが「大東亜戦争肯定」と書くのはイカン!とデンマンさんは言うのですか?



いや。。。、日本もカナダも言論の自由・表現の自由が許されているからね。 オマエが何を言っても何を書いても僕はオマエの言論の自由・表現の自由を尊重するよ。



だったら、いつまでも下らない事を書かないでくださいよ。



あのさァ~。。。オマエが、そう言うのだったらオマエこそナンセンスなことを書くなよ! だいたい、「大東亜戦争肯定」など全くのナンセンス! どのような戦争であれ、良い戦争も正しい戦争もない! 戦争はすべて悪いのだよ! だから、「大東亜戦争肯定」などという愚かな事を書けば非難や抗議がわんさと湧き上がる! オマエだってぇ、これまでに嫌と言うほどの非難や抗議を受けただろう?



でも、オイラの『戦争論』は65万部以上売れたのですよ! オイラの「大東亜戦争肯定」は日本人の読者に受けているのですよ!



あのなァ~。。。オマエは、どうしてそれ程の単細胞なの?



オイラがノー天気だとデンマンさんは信じているのですか?



もちろんだよ!



その根拠は。。。?



あのなァ~。。。最近の日本のおバカテレビ番組を見ろよ! その番組に登場するおバカタレントを見ろよ! 驚いたことに、オマエが蔑(さげす)んでいる日本の言論人とか知識人と言われている人物も、そういうおバカ番組に出てくるのだよ。 視聴率が10%としても1270万人のミーちゃんハーちゃんがテレビの前にかじりついて馬鹿笑いしているのだよ。 そういう視聴者がおバカタレントの言うことをすべて信じているとオマエは素直に思い込んでいるの?



思い込んでいません!



そうだろう? だったら、漫画家のオマエが書いたものをすべての読者が支持しているなどと、そのようなノー天気な事を言うなよ!



デンマンさんは、オイラをバカにするのですか?



いや。。。、僕は漫画家のオマエを尊敬していると何度も言ってるだろう!



でも、オイラを尊敬しているようには見えません。



それは僕の問題じゃなくて、オマエの問題だよ! 僕本人がオマエを尊敬していると言っているのに、オマエが否定しているのだよ! ついでだから大東亜戦争も否定してよねぇ。 (微笑)



デンマンさん! 冗談は止めてくださいよ! オイラは真剣にデンマンさんと語り合っているのですから。。。



だったら、読者をナメるなよ! 



ナメてません!



ナメてるじゃないか! オマエは本の中で次のように書いていた。








『SAPIO』連載中、



もう中島(岳志)いじめはいい、



小者は相手にするな



パールの話はあきた、




という反応が読者からあった。



論理を徹底せず、あいまいで済ます



いかにも日本人の反応だ!



そんなことだから戦後の言論空間は



サヨクのデマに支配されたままなんだ!









172ページ 『パール新論』

著者: 小林よしのり

2008年6月28日 初版第1刷発行

発行所: 株式会社 小学館



デンマン注:イラストはデンマンが貼り付けました。

強調のための赤字もデンマンが施(ほどこ)しました。








つまり、読者はオイラから離れているとデンマンさんは言うのですか?







いや。。。僕がそう言ってるんじゃない! オマエが自分で本の中に書いている!



でも、一人だけですよ!



いや。。。一人だけじゃない! 非難や抗議の手紙や読書カードをオマエはたくさんもらっているはずだ! オマエの本の中にそう書いてある。



どうしてオイラは誤解されるのでしょうか?



あのなァ~。。。オマエは一人で熱くなって本の中で狂って居るからだよ!






時が、熱狂と、偏見を

やわらげた暁には、

また理性が、虚偽から

その仮面を剥ぎ取った暁には、

そのときこそ、

正義の女神はその秤を

平衡に保ちながら

過去の賞罰の多くに、

その所を変えることを

要求するであろう




パールが「判決書」の最後に書いたこの予言が、

実現する日は来るのだろうか?









235ページ 『パール新論』

著者: 小林よしのり

2008年6月28日 初版第1刷発行

発行所: 株式会社 小学館








オマエ自身が熱くなって「大東亜戦争肯定」を書いている限り正義の女神は微笑まないんだよ! パール判事は「大東亜戦争肯定」など書いてない!











でも、「判決書」を読めば「大東亜戦争肯定」まで、あと一歩ですよ!



しかし、「判決書」をどう読んでもパール判事は戦争を肯定しているわけではない。 あくまでも平和主義を貫いている。 ところが、オマエは重箱の隅を突っつくようにして法解釈がああだこうだと、クダクダ、クダクダと飽きもせずに書いている。



いけませんか?



ダメだね。 だから、他の読者からも「もう中島(岳志)いじめはいい、小者は相手にするな パールの話はあきた」という声があがるのだよ! つまり、オマエの議論は面白くない! しかも、前向きで建設的じゃない!



どうして。。。?



あのなァ~。。。パール判事を天国から呼び戻して原爆投下を決断したトルーマン大統領や無差別東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイ将軍を被告人にして“ワシントン裁判”を開廷すれば「人道に対する罪」でアメリカは有罪になる。 



その通りですよ!



でもなァ~、そんな裁判を開こうとしても、もう不可能だよ! しかも、戦後に開こうとしたって、敗戦国の日本がどんなに叫んだところで実現不可能!
 
 


勝てば官軍!
 
 


このような事は幕末・明治維新の時にも明らかだった。 日本無罪論=ナンセンス アメリカ無罪論=ナンセンス! いつまでもそのような非建設的な議論を続けるよりも、“すべての戦争は悪だ!”という公理に従って“国際連邦”を実現させるために建設的な議論や活動を起こすことこそパール判事が望んでいたことだと僕は思うね。 




戦争=悪


 


 


平和=正義



 

【レンゲの独り言】







ですってぇ~。。。

デンマンさんは言いたい放題のことを言ってますよね。

ところで、あなたは小林よしのりさんが書いた『戦争論』を読みましたか?

『パール真論』を読みましたか?

デンマンさんが取り上げた『「個と公」論』も読みましたか?



『戦争論』は65万部売れたのですって。。。

出版されたのは、もう10年以上も前のことですから、現在までにはもっと売れているもしれません。

かなり話題になりましたよね。



あなたは大東亜戦争を肯定しますか?

戦争が正義か?

平和が正義か?

考えてみたことがありますか?



とにかく、また、あさってが面白くなりそうです。

だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。

じゃあねぇ。












ィ~ハァ~♪~!



メチャ面白い、



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こんにちは。ジューンです。



わたしもデンマンさんに薦められて



『「個と公」論』を読んでみましたわ。



インタビュー形式で対談のようになっています。



マンガは全く描いてありません。



言葉を惜しみなく駆使した実験だそうです。



インタビュアーが「時浦兼」という人物なんですね。



同書の403ページに書いてあります。



でも、「時浦兼」という人物が実在したとしても



二人の会話がそのまま活字になったのではないと



わたしは思います。



2ちゃんねる流に言えば「自作自演」ですよね。



良くてインタビューに見せかけた「創作」だと思います。




『パール真論』を読んでいたら「時浦兼」という人物は“小林漫画”スタッフの一人だと書いてありましたわ。



このような事は『「個と公」論』の中で明記すべきだと思います。



そうでないと誤解を招きますよね。




デンマンさんのこれまでの記事を読めば



分かると思いますけれど、



上の記事はデンマンさんの「自作自演」です。



マンガ家の「オマエ」と「僕」はデンマンさんが



一人で二役を演じています。



つまり、「創作」です。



ただし、記事で引用した本の内容は



小林よしのりさんが書いたそのものを引用しています。



誤解がないように老婆心から申し上げました。







ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。



楽しいから、ぜひ読んでみてくださいね。



■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』







では、今日も一日楽しく愉快に



ネットサーフィンしましょうね。



じゃあね。








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