2011年3月18日金曜日

パール判事とゴーマン(PART 1)

 


パール判事とゴーマン(PART 1)








本書(『平和の宣言』)では、判決書では語られなかった、日本の戦争に対するパールの考えも読み取ることができる。 300年続いたイギリスによる殖民統制下のインドに生まれ育ったパールは、平和主義者でありながら日露戦争の日本の勝利に喜び、民族の誇りが目覚めたと言い、インドをはじめアジア各地の独立運動はここから始まったと言ってもいいと述べている。



 (中略)



だがその一方では、パールは絶対平和主義者であり、世界連邦を提唱し、日本の再軍備反対を唱えたことも事実である。 現在の価値観では、なぜそれが両立するのか理解できないだろう。 これには、時代の背景を考えなければならない。

大規模な戦争の後には、戦争を二度と起こさないための平和運動や平和機構の提唱が行われるのが歴史の常であり、未曾有の大惨事となった第二次世界大戦の後には、世界中で同時多発的に「世界連邦」の思想が生まれた。

これは各国間の主権と軍備を制限して、世界連邦という国際法による法治共同体の一員として秩序づけようというものである。 誤解されがちであるが、国家を解消して単一の世界国家を作ろうというものではない。



 (中略)







パールが再来日した1952年は朝鮮戦争の真っ最中であり、第三次世界大戦、核戦争、人類滅亡という恐怖はすぐそばにある現実だと、誰もが思っていた。 パールも、核兵器の登場によって戦争も武器も無意味になってしまったと考え、核戦争への恐怖が、人類は団結しなければならないという「紐帯(ちゅうたい)」になったと期待したのだ。



パールは戦前に関しては「アジア開放の戦い」にも共感しているが、戦後に関しては一切の武力を否定している。 戦前と戦後の間に断絶があるといってもいいだろう。 それは一見矛盾しているようだが、核兵器の登場によって世界史は一変し、戦争の意味合いも全く変わってしまったと考えられていた当時としては、それなりに筋が通った思想だったのである。 さすがに人類が核の恐怖にすら慣れてしまうという事態は、パールにも想定外だったのだ。



 (中略)



「戦争のために死ぬ命なら、平和のために死ぬ覚悟を示してもらいたい。恐怖の観念を捨てよ。命を投げ出すとき、そこには恐怖はない」と言っている。「命こそすべて」の日本の反戦平和とは正反対の思想である。 これこそがガンジー主義の真髄なのだ。 ガンジー主義とは、平和のためなら恐怖心もなく自らの命を投げ出さねばならぬという、大変な危険思想なのである。 日本の平和主義者がそこまでの覚悟をした上で、日本国民にも非暴力で死ねと説得できるだろうか。



残念ながらいま見ればパールの平和主義は破綻したと言わざるを得ない。 パールがガンジー主義に基づく平和国家を貫くと信じていた当のインドでさえ、今やNPT(核拡散防止条約)体制を無視したまま、堂々の核保有大国である。








105-107ページ 『パール新論』

著者: 小林よしのり

2008年6月28日 初版第1刷発行

発行所: 株式会社 小学館



デンマン注:写真はデンマンが貼り付けました。

強調のための赤字もデンマンが施(ほどこ)しました。








デンマンさん。。。オイラをお呼びですか?







おおォ~。。。マンガ家! 首を長くして待っていたんだよォ。



今日はパール判事のことですか?



そうだよ。 オマエの『パール真論』をじっくりと読んだよ。



マジで。。。?



もちろんだよ! 最初のページから最後のページまでじっくりと読んだよ。



でも、デンマンさんがオイラの本をじっくりと読んだとは思いません。 もし、じっくりと読んだのであればデンマンさんの読解力には問題があると思うのですよ。



オマエはどうしてそのように思うの?



だってぇ、デンマンさんは次のように書いてましたよ。





 
 


過ちはもう繰り返しません
 
 






広島の原爆死没者慰霊碑には、このように書かれている。 つまり、あのような悲惨な戦争は日本人として2度とやりませんという誓いの言葉だよ。







だから。。。?



だから、この言葉の裏には当然のことながら大東亜戦争を否定する気持ちが込められている。 ところが、オマエは大東亜戦争を肯定している。 そうだろう?



そうです。



なぜ、オマエは大東亜戦争を肯定するの?



デンマンさんはオイラの本をじっくりと読んだのでしょう?



そうだよ。



だったらオイラの大東亜戦争肯定論が理解できたでしょう?



もちろん理解できたよ。 だから、こうしてオマエを呼び出して批判しようとしているんじゃないか!








『漫画家の壁』より

(2011年3月10日)








大東亜戦争肯定論を理解しているのにデンマンさんはオイラを批判するのですか?







あのさァ。。。、正しく理解する事と賛成する事は全く別な事だよ!



つまり、デンマンさんはオイラの大東亜戦争肯定論を愚劣だと決め付けるのですか?



そうだよ!! オマエの知性を僕は疑うよ。 オマエが愚劣だと主張している日本の言論人・知識人よりもオマエの方が愚劣だと僕には思える。



デンマンさんはオイラの『戦争論』が65万部以上売れたのを知っているでしょう?



もちろん、知っている。



2011年までの販売部数を計算すれば100万部を突破しているはずですよ。



つまり、『戦争論』が現在までの販売部数で100万部を突破したからオマエの大東亜戦争肯定論が日本人に迎えられていると、オマエは素直に信じているの?



いけませんか? (満足そうな爆笑)







だからオマエは愚劣だと僕は言うのだよ! 少なくともオマエの読者の一人である僕はオマエの本を数冊読んだけれど大東亜戦争肯定論を読んでオマエが見下している日本の言論人・知識人よりもオマエの方が愚か者だという事を僕はしみじみと理解できたよ。



デンマンさんはオイラがミリオンセラーを出したので、その事が気に喰わないのですか?



愚かな事を言うなよ。 あのなァ、オマエの大東亜戦争肯定論など、僕は端(はな)からおバカタレントの“たわごと”だとしか思えなかった。



それなのにデンマンさんはオイラの本をじっくりと読んだのですか?



そうだよ! なぜなら、オマエは本の中で次のように書いていた。



わしの本も読まずに



愚かな言論人知識人が



わしを批判し自らの底の浅い知識を



曝け出している。




確かにオマエの本を読まずに批判したとしたら、そういう人物は愚人だとしか言いようがないよ。 オマエの『パール真論』を読んだ時に“日本の言論人・知識人”と自他共に認めている人間が、いかに愚人かという事を僕はオマエと一緒に苦笑したものだよ! うししししし。。。



デンマンさんもオイラに同感したのですか?



うん。。。そいつらの本が1万部ぐらいしか売れないのが良く分かったよ。



だったら、オイラの本がミリオンセラーになった事はメチャすごいでしょう!



オマエはバカだねぇ~。。。百万部売れようが千万部売れようが僕はビックリしないんだよ!



なぜ。。。?



オマエの「大東亜戦争肯定論」は所詮売り上げを伸ばそうというキャッチフレーズでしかない。 「売れないでもともと、もしかすると奇抜なキャッチフレーズに飛びつく読者がいるかも。。。?」 オマエはおそらく、このように考えたのだよ! そうだろう?



デンマンさん。。。それこそ愚者のかんぐりですよ。 オイラの本を読んだのであれば、オイラがマジで大東亜戦争肯定論に全力を傾けて書いたということが理解できるはずですよ。



そうだよ! その通りだよ! オマエが大東亜戦争肯定論に全力を傾けて書いたという事が僕にも十分に理解できたよ。



それなのに「大東亜戦争肯定論」は「売り上げを伸ばすための単なるキャッチフレーズ」だと言うのですか?



あのなァ、オマエ、冷静になって考えてごらんよ! オマエの視点は日本国内を出ていない! 僕はすでに人生の半分以上を海外で暮らしてきた。 これまでにソ連、中国、アメリカ、ヨーロッパを含めて34カ国を放浪してきた。 行ってないのは南極大陸だけ。。。北極圏に近いイエローナイフにも2年近く滞在したことがある。



だから。。。?



だから、僕の視点は常に海外と言うか。。。世界にあって。。。日本はその中に含まれている一地方に過ぎない。



だから。。。?



だから、僕がオマエならば「大東亜戦争肯定論」など言い出さない。



どうして。。。?



中国の人口がどれほどか? オマエ、知ってるだろう?



13億人。



日本人は。。。?



多く見積もっても2億人どまり。



中国では反日教育が20年以上行われている事をオマエも知っているだろう?



もちろん、知ってますよう。



だったら「大東亜戦争肯定論」は“数の論理”から言えば、絶対に否定されるのだよ!



どうして。。。?



あのなァ、たとえ日本人すべてが肯定したとしても、せいぜい2億人どまり。 中国の反日教育の成果を考えれば、少なくとも10億人以上が大東亜戦争を否定している! 10億人が大東亜戦争を否定しているのに対して、肯定論はおそらく日本には1000万人も居ないだろうよ。 オマエの大東亜戦争肯定論の本が売れたと言っても、せいぜい100万部留まりだよ! 中国一国だけを取り上げても、これだけ否定論者が多い! 世界の人々に「大東亜戦争を肯定しますか?」と尋ねれば50億近い世界の市民は大東亜戦争を否定するに違いない! もし、オマエの視点がグローバル化しているならば「大東亜戦争肯定論」など端から書かないものだよ!



つまり、絶対多数でオイラの「大東亜戦争肯定論」は反対されるとデンマンさんは主張するのですか?



オマエは「大東亜戦争肯定論」を書いて本が売れればいいと思っている。 でもなァ、読者をナメるなよ!



デンマンさん。。。やっぱり、分かってしまいますか?(微笑しながら苦笑)



だから、オマエは愚か者だと言うんだよ!



でも、日本の愚かな言論人・知識人が出す本は、せいぜい1万部が売れればいいところ。。。自慢する奴でも5万部留りですよ。 ところが、オイラの『戦争論』は、これまでに百万部を突破していますからね。 自慢じゃないけれど大東亜戦争肯定論に共感する読者は多いんですよ!



オマエは、だから、浅はかだと言うんだよ! 読者をナメるなよ!



読者をナメてません!



ナメてるじゃないか! この僕も、その百万部の中の一読者なんだよ!



マジで。。。?



オマエの本を読まずに批判できるわけね~だろゥ!? だから僕もオマエの本をじっくりと読んだ。 それで僕はオマエを愚か者だと思った。 大東亜戦争肯定論など屁のツッパリにもならないと思ってるんだよ。 うへへへへ屁。。。



デンマンさん!。。。真面目にやってくださいよ! 理不尽にオイラをバカにすればマジで東京地方裁判所に「名誉毀損」でデンマンさんを訴えますよ。



オマエは東京地方裁判所が好きだねぇ~?



デンマンさんはオイラが書いた次の部分を読みましたか?




膨大な批判が出たことは出たけれど、まず言いたいのは、まともに『戦争論』を読みもせず、ただレッテル貼りしようってだけの論調が多すぎる!ってこと。

読者をナメてるんだよね。

そんな本いくら出したって、売れるはずないのに。

何冊批判本が出たって、どーしたって1万部にも達しなくて、同じ人間がどの本もどの本も買ってて、左翼が書いて左翼が読んで、内輪だけでぐるぐるぐるぐる回ってるって状態でしょ。



わしの『戦争論』では65万の人間が涙し、感動し、「目からウロコが落ちた」って、今までの戦後民主主義の感覚から雪崩(なだれ)を打つように転向している。

そんな状況すらあるんだよ。

それに対して、批判する側はわしの主張を突き崩し、状況を挽回しようと本気で思っているのかどうか、わしにはそれすらわかんないんだよね。

なにしろ向こうが新刊で出す批判本の全部の部数よりも、『戦争論』の1回の増刷の部数の方が多いくらいなんだから(笑)。



(注: 赤字はデンマンが強調)








28 - 29ページ 『「個と公」論』

著者: 小林よしのり

2000年5月10日 第2刷発行

発行所: 株式会社 幻冬舎








もちろん、この部分を読んだよ。 それがどうだと言うんだい?







65万の人間が涙し、感動し、「目からウロコが落ちた」って、言うんですよ!



だからオマエは愚か者だと僕は言うんだよ。 読者をナメるなよ! その読者の一人が僕なんだよ! 僕はオマエが愚か者だと笑って涙を流したよ(微笑)。 でもなァ、感動したわけでも、目からウロコが落ちたわけでもない。 それどころか、2011年の2月まで僕はオマエの名前も知らず、オマエの本を一冊も読んでない。 ところがバンクーバー図書館でオマエの本を読んだら呆れるほどの愚論を恥ずかしげもなく得意げに展開している。 僕は「平和が正義」だ!という格言に肩を押されて、こうして批判しているわけなんだよ。 65万人の読者の中には僕のように批判的な人間もかなり居ると思うよ。 ところで、「宮台クン」の次の「数値的分析」は興味深かった。




宮台氏の「分析」によると、『戦争論』が発行50万部なら、うち1~2割りは書店の棚にあるから実売は40万+α。

そこから神社本庁や遺族会の「組織票」を差し引き、さらに年長の世代を引くと、若者層(10代後半~20代後半)に売れたのは最大に見積もって15万部、しかも「メディア戦略の成功」で「アンチ」の読者も相当入っているから、若者世代で『戦争論』に賛同したのはたかだか8万~9万、若者2百人に1人、0.5パーセントいるかいないか、意見分布としては「統計誤差の枠内」で「絶対数が多く見えても、まったく問題ない数字であり、少しも危ない現象は生じていません」だそうです。



(注: 赤字はデンマンが強調)








323 - 324ページ 『「個と公」論』

著者: 小林よしのり

2000年5月10日 第2刷発行

発行所: 株式会社 幻冬舎








つまり「宮台クン」の分析によると大東亜戦争肯定論に賛同したのは、たかだか8万から9万。 若者200人に一人という分析結果を出している。







デンマンさんも、そのような下らない分析結果を信じるのですか?



いや。。。僕は信じているわけじゃない。 参考にしているだけ。。。でも、オマエ自身が無意識に信じているのだよ!



何を根拠に、そのような愚かな事をデンマンさんは言うのですか?



だってぇ、オマエは次のように書いていた。




『戦争論』には5000通以上の読者カードが返ってきていて、その年代別集計も公表しているし、「組織票」だの「アンチ」だのって何の根拠もなく言ってるだけじゃないか。

分析間違っているよ。もう一度幻冬舎行ってそろばん弾き直してきなさいって。



(注: 赤字はデンマンが強調)








324ページ 『「個と公」論』

著者: 小林よしのり

2000年5月10日 第2刷発行

発行所: 株式会社 幻冬舎








5000通以上だと言うことは6000通未満だよなァ!?







そうです。



…と言うことは、実際に感動して涙して、読者カードを投函した人は多くても6000人以下だと言うことだろう? その中にはムカついてオマエのことを軍国主義者!とか、国粋主義者!とか、ナチスよりひどい!とか。。。アクタレを書いたカードもあるはずだよな!?



まあ。。。ほんのわずかですが、そういうカードも確かにありましたよ。



ウソつけ! ほんのわずかじゃないだろう? オマエは次のようにも書いていたぞ!




『戦争論』では司馬氏についてはたったの一コマ、

「あの司馬遼太郎だって『日清・日露までの日本人は偉かった 立派な国だった 昭和が魔法にかかったように愚かでダメだった』

そりゃ負けたから言ってるだけだ」

と描いたのですが、「司馬史観」の信奉者からは轟々(ごうごう)たる抗議の手紙が届きました。



(注: 赤字はデンマンが強調)








359ページ 『「個と公」論』

著者: 小林よしのり

2000年5月10日 第2刷発行

発行所: 株式会社 幻冬舎








あのなァ、『戦争論』で司馬さんについてオマエが一コマ描いただけでも『司馬史観』の信奉者からは轟々たる抗議の手紙が届いたと書いてある。 つまり、オマエの本を読むと日本の言論人・知識人からの反対ばかりか、オマエの考え方に反対する者とか抗議する者が読者の中にはかなり居ることが分かる。 こう言う僕自身もオマエの愚かな考え方に批判的な読者の一人なんだよ!







でも、多くの読者はオイラの「大東亜戦争肯定論」に賛成してますよ。



それも当てにならない! 仮に5000通から6000通のカードを出した人が感動して涙を流して賛同したとしても65万の読者の何パーセント?。。。ほんの1パーセント未満なんだよ!



つまり、オイラの本の読者のほとんどが大東亜戦争肯定論に反対だとデンマンさんは思い込んでいるのですか?



そうだよ。。。しかも、オマエ自身が自分の書いた本の内容に対して懐疑的なのだよ!



まさか!



だってぇ、オマエは次のように書いていたじゃないか!




香山(リカ)氏の発言なんですけど、「心理学に少し通じたものなら、『洗脳』の基本は『現実の否定』と『単純で明快な教義の呈示』、ということを連想するかもしれない」って、『戦争論』は「洗脳の書」だということまで示唆しているのですが。



小林: そこまでの洗脳の効果が、作品、本一本にあるって認めてくれるんだったら、それはそれですごい賛美だけどね。

そんなものすごい書物を書いた人間なんか、なかなかいないでしょう。



(注: 赤字はデンマンが強調)








71ページ 『「個と公」論』

著者: 小林よしのり

2000年5月10日 第2刷発行

発行所: 株式会社 幻冬舎








それは言葉のアヤで内心ではオイラは“奇跡の書”を目指して書いていますよ!







いや。。。それはオマエの日和見主義だよ。



その根拠は。。。?



もともとオマエはギャグマンガ家なんであって、あえて大東亜戦争肯定論を仕掛けてみたに過ぎない!



だから、その根拠は。。。?



オマエは評論家の佐藤貴彦氏の次の分析を見事だと、その通りだと言っている。




ギャグ漫画の本質とは「定式化された物語を破綻させる」ことである。 例えば大人社会のタテマエが崩れてホンネがかいま見えた時、人は笑う。

優れたギャグ漫画家・小林よしのりはこういうことは得意である。



 (中略)



戦後民主主義の物語と『戦争論』の物語は両極に位置し、おのれの物語を維持するためには相手の物語を完全に粉砕するしかない。

ところがどちらも相手の物語性を叩けば叩くほど、おのれの拠(よ)って立つ物語性を妙に浮き上がらせてしまう。

そうしたジレンマが『戦争論』には最初から仕掛けられているというわけです。

宮崎哲弥氏は「これはギャグではないか」と言ったが、『戦争論』自体がギャグではなく、『戦争論』をめぐる騒ぎの全体の構造がギャグなのであり、宮崎氏はそれに気づかず、一時ギャグのストーリーの中に完全にハマっていた、そう佐藤氏は言います。



確かに、今まで見てきたとおり、『戦争論』を批判した者は、そのことによって自分がどんな物語の上に立脚しているのかを見事にさらけだしている、そんな気がします。



(注: 赤字はデンマンが強調)








394 - 395ページ 『「個と公」論』

著者: 小林よしのり

2000年5月10日 第2刷発行

発行所: 株式会社 幻冬舎








分かるだろう? たかがマンガ家が、偉そうな事を言う日本の言論人・知識人の底の浅い知性を結果として暴(あば)いて見せたギャグなんだよ! 大東亜戦争肯定論は、そのギャグを見せ付けるための仕掛けなんだよ!







でも、その事はすでに佐藤氏が言っていることですよ。 それを再度繰り返して言うためにデンマンさんはオイラを批判しているのですか?



もちろん、僕の「物語」を語るためにオマエを批判してみようと思い立ったわけだよ。



そのデンマンさんの「物語」とは。。。?



あのなァ、大東亜戦争肯定論の先に何があるのか?



何があるのですか?




 
 


“平和は正義!”
 
 


これがあるのだよ! “日本の平和”ひいては“世界の平和”を建前(たてまえ)で謳(うた)いあげて日本帝国は“一億玉砕”を日本臣民の心に植えつけて大東亜戦争を戦い抜こうとした。



その通りですよ。 だからオイラは大東亜戦争を肯定したのですよ。



でも、それは間違っている!



どうして。。。?



あのなァ、僕が尊敬している世界の James Herriot さんは次のように言っている。








"It's not what you do,



it's the way that you do it."









200 page "The Real James Herriot"

by his son, Jim Wight

published in 1999

by McClelland & Stewart Inc.








つまり、何を成し遂げるかも重要なのだけれど、もっと重要なことがある。 それは、どのように成し遂げるかだ、と言うのだよ。







要するに、日本の平和、ひいては世界の平和を達成するために大東亜戦争をしたことは間違っていたとデンマンさんは主張するのですか?



そうだよ!



大東亜戦争が間違っているという根拠は。。。?



次のエピソードの中の悲惨な少女の姿を思い浮かべてみろよ!








アメリカの空襲を受けて、東京をはじめ都市部はどこも焼け野原。

おまけに政府は戦争を続けるために国債を大量に乱発していたので、敗戦直後はものすごいインフレになった。

物価は数十倍になって、戦前に貯めていた貯金や財産は無に等しくなった。

おまけに空襲で家をなくし、人びとは食糧不足で苦しんだ。







1945年3月の東京大空襲で



焼け野原になった江東区。




「約310万人が死んだ」とか簡単にいうけれど、一人の人間が死ぬことは、遺族や縁者に、大きな傷を残すことだった。

作家の夢野久作の長男だった杉山龍丸という人は、敗戦直後に復員事務の仕事に就いていたときのことを回想して、こう述べている。



「私達は、毎日毎日訪ねてくる留守家族の人々に、貴方の息子さんは、御主人は亡くなった、死んだ、死んだ、死んだと伝える苦しい仕事をしていた」。

「留守家族の多くの人は、ほとんどやせおとろえ、ボロに等しい服装が多かった」。

杉山はある日、小学校二年生の少女が、食糧難で病気になった祖父母の代理として、父親の消息を尋ねにきた場面に出会った経験を、こう書いている。




私は帳簿をめくって、氏名のところを見ると、比島(フィリピン)のルソンのバギオで、戦死になっていた。

「あなたのお父さんは---」

といいかけて、私は少女の顔を見た。 やせた、真っ黒な顔。

伸びたオカッパの下に切れの長い眼を、一杯に開いて、私のくちびるをみつめていた。

私は少女に答えねばならぬ。

答えねばならぬと体の中に走る戦慄を精一杯おさえて、どんな声で答えたかわからない。

「あなたのお父さんは、戦死しておられるのです。」

といって、声がつづかなくなった。

瞬間 少女は、一杯に開いた眼を更にパッと開き、そして、わっと、べそをかきそうになった。







…しかし、少女は、

「あたし、おじいちゃまからいわれて来たの。 おとうちゃまが、戦死していたら、係りのおじちゃまに、おとうちゃまが戦死したところと、戦死した、ぢょうきょう(状況)、ぢょうきょうですね、それを、かいて、もらっておいで、といわれたの。」



私はだまって、うなずいて……やっと、書き終わって、封筒に入れ、少女に渡すと、小さい手で、ポケットに大切にしまいこんで、腕で押さえて、うなだれた。

涙一滴、落さず、一声も声をあげなかった。

肩に手をやって、何か言おうと思い、顔をのぞき込むと、下くちびるを血が出るようにかみしめて、カッと眼を開いて肩で息をしていた。

私は、声を呑んで、しばらくして、

「おひとりで、帰れるの。」と聞いた。 少女は、私の顔をみつめて、

「あたし、おじいちゃまに、いわれたの、泣いては、いけないって。おじいちゃまから、おばあちゃまから電車賃をもらって、電車を教えてもらったの。 だから、行けるね、となんども、なんども、いわれたの。」

…と、あらためて、じぶんにいいきかせるように、こっくりと、私にうなずいてみせた。

私は、体中が熱くなってしまった。



帰る途中で私に話した。

「あたし、いもうとが二人いるのよ。 おかあさんも、しんだの。 だから、あたしが、しっかりしなくては、ならないんだって。 あたしは、泣いてはいけないんだって。」

…と、小さな手をひく私の手に、何度も何度も、いう言葉だけが、私の頭の中をぐるぐる廻っていた。

どうなるのであろうか、私は一体なんなのか、何が出来るのか?




(注: 写真とイラストはデンマンライブラリーから貼り付けました)








84 - 88ページ 『日本という国』

著者: 小熊英二

2006年3月3日 初版第1刷発行

発行所: 株式会社 理論社








『漫画家と平和』に掲載

(2011年3月6日)








小学校2年生の少女をこのような悲惨な状況に追い込んだから大東亜戦争は間違いだとデンマンさんは主張するのですか?







そうだよ。



でも、それ以外に方法は無かったのですよ。



あったじゃないか! 日本は一億玉砕に向かって竹槍だけでも米軍と戦おうとした。 建前(たてまえ)では天皇と皇統を守るために一億玉砕しようとした。 しかし、昭和天皇は一億玉砕をする愚に気づいた。



 (すぐ下のページへ続く)

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