2011年3月13日日曜日

麻布散歩(PART 2)

 


麻布散歩(PART 2)




うなぎ 野田岩







天然うなぎにこだわり



店を休んだ江戸前うなぎの名店




小津のグルメ手帳に出てくる店を種類別に分けたとき、一番多いのが「うなぎ屋」だ。 最初に「うなぎ」としてのくくりで17店、途中「うなぎ - つづき」として15店が追加され、計32店の「うなぎ屋」が登場する。



毎年年末には、小津は年越しそばを食べる代わりに、「太く長くいきるほうがよい」と主張して、ことさら太いうなぎを食べたというエピソードもあるほどだから、小津のうなぎ好きも相当なものだったに違いない。



大串で有名な千住の『尾花』は小津がよく通った名店だが、昔はもちろん今現在も、天然うなぎにこだわり続けている麻布飯倉の『野田岩』も、グルメ手帳に登場する名店だ。



「当時うちが出していたのは、正真正銘の江戸前うなぎ。中でも7月頃、東京湾に南風が吹くと、風に導かれるようにえさを求めて湾奥までやってくるうなぎの旨さは格別でした」



そういって当時を懐かしむのは、『野田岩』5代目、金本兼次郎さん。 当時はどの店も、うなぎはすべて天然という贅沢な時代。 小津の舌もとことん磨きがかかっていた筈だ。



しかし、小津がうなぎを堪能した昭和36年あたりから、冬場の天然うなぎが獲れなくなったという。



「周りは養殖うなぎを当たり前のように扱っていましたが、うちは以後14年間、冬場は店を閉めました」



現在では、天然物の獲得はさらに厳しい状況だが、4月中旬から12月下旬までの期間は、天然うなぎが『野田岩』のメニューに上がる。



その天然うなぎの香りと味を、金本さんは「良質のバターを火の上に落としたような濃い匂いだが、油は淡白で繊細な味わい」と表現する。



天然うなぎは、触るだけで香水のようないい香りが手に移るという。 焼きは「火鉢一生」といわれるほど難しい。








86 – 87ページ 『いま、小津安二郎』

取材・文: 丹野達弥・田中宏幸

2004年3月1日 初版第3刷発行

発行所: 株式会社 小学館








そうですわね。。。しばらく麻布界隈を歩いていませんわ。。。気晴らしに出かけようかしら。 そして、ついでに「うな重」を食べるのもいいかもしれませんわね。







そうですよ。。。僕が埼玉県の実家に居るならば、小百合さんのお供をして一緒に天然うなぎを食べたいところです。



ところで、どうして麻布に高級住宅地ができたのですか?



僕もちょっと気になって調べてみましたよ。




麻布







麻布(あざぶ)は東京都港区を現在形成する5地区の1つで、旧麻布区とほぼ重なる。

東麻布、麻布飯倉、麻布永坂町、麻布十番、南麻布、元麻布、西麻布、六本木がある。



麻布は山の手の台地と谷地で起伏に富んだ土地である。

麻布という字が当てられるようになったのは江戸時代の元禄期からといわれる。



麻布は基本的に住宅地である、特に高台は富裕層が多く住んでいると言われており地価が高い。

低地側の幹線道路沿いには高層マンションが目立つ。



地理的には麻布地域の縁を沿うように古川が流れており、この川によって山と谷、高台と低地が形成され起伏に富んだ坂道の多い地形である。

高台は閑静な住宅地となっているが、低地には古くから職人が移り住んだことで文化が形成されたと言われる(麻布十番や東麻布)など。



近年まで地下鉄でのアクセスが悪かったこともあってか、ちょっとした大人の隠れ家的なイメージがあったが、そうしたイメージを持たれる理由はアクセス面だけではなく地形も関係していると思われる。

暗闇坂や狸穴(まみあな)といった地名は、まさにそうしたイメージを彷彿とさせる。



近年まで麻布地域内の鉄道駅は六本木駅と南麻布の端にある広尾駅があるだけで、隣町に神谷町駅はあるものの鉄道でのアクセスは芳しくなかった。

しかし都電が麻布全域を走っていた頃は地域住民からしてみればさほど不自由さは感じていなかったという声もある、それが廃止されてからはバスで補われていたものの三田や清正公辺りと同じく不便さは否めなかった。

そのため車でのみ訪れることができる、イコール「不便な隠れ家」といったイメージを持たれてしまった。



しかし2000年に、南北線・大江戸線麻布十番駅、大江戸線赤羽橋駅、三田線・南北線白金高輪駅の3駅が相次いで開業し地下鉄で容易に訪れることができるようになった。



なお現在は麻布と六本木は別の町のように思っている人が多いが、元来六本木地区は麻布の一地区であり麻布材木町や麻布龍土町といった町があった。

そのため現在でも麻布と六本木は行政区分などの点で地域的繋がりが強く、例えば六本木地区にある麻布警察署や麻布図書館などはその名残である。



歴史



麻布周辺には貝塚などが見られ縄文時代から人間が住んでいた。弥生時代には農業も行われていた。

712年には竹千代稲荷(現在の十番稲荷)が創建、824年には空海により麻布山善福寺が開基、939年には氷川神社が源経基により勧請される(1659年に現在の位置に移転)。



江戸時代初期までは農村や寺社の門前町であった。

武家屋敷が建ち並ぶようになり、江戸の人口増加・拡大につれ都市化し代官支配から町方支配にうつる。

馬場が1729年に芝から麻布に移転、十番馬場と呼ばれた。馬場移転に伴い馬市が立ち麻布十番は栄える。



1859年にアメリカ公使館が善福寺に置かれる。明治時代には古川が埋め立てられ鉄道馬車が通り工業化が進む。

次第に台地の上は高級住宅街、低地には零細商工業といった分化がすすむ。


大正時代には麻布十番を中心に花街や演芸場、映画館、デパートなどが造られ東京でも有数の盛り場となる。

第二次世界大戦では空襲で大きな被害を受けるが、戦後に復興する。



戦後、地下鉄日比谷線の開通計画に際し銀座に顧客を取られることを恐れ、地下鉄駅の開設反対運動が起こり路線は変更された。

しかしながら結果として六本木に客足が向かうことになり長く商業的な停滞が続いた。

2000年、南北線の開通に伴い麻布十番駅が開設され駅前商店街の奥には六本木ヒルズが完成するなど嘗ての殷賑を取り戻しつつある。

現在の麻布は東京を代表する住宅地の1つとして知られ、芸能人・著名人・財界人など多くの人が住んでいる。



非常に多くの大使館が存在する地域である。



•アルゼンチン

•イラン

•ウクライナ

•オーストリア

•ガーナ

•韓国

•ギリシャ

•スイス

•スロヴァキア

•中華人民共和国

•ドイツ

•ノルウェー

•パキスタン

•フィンランド

•フランス

•マダガスカル

•ラオス

•ルーマニア

•ロシア



出典:

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 







でも、麻布がどうして高級住宅地になったのか? その理由が書いてありませんわね。







あのねぇ、そういう事って日本に居るとなかなか分からないのですよ。



デンマンさんは海外生活が人生の半分以上を占めるので麻布がなぜ高級住宅地になったのかが分かるのですか?



いや。。。海外生活とは直接関係ないのですよ。 例え、40年以上海外生活していても分からない人には分からないものです。



分かりましたわ。 前置きはそのぐらいで結構ですから細木数子さんのようにズバリ!とおっしゃってくださいな。



あれっ。。。大東亜戦争を肯定する愚かな漫画家のように小百合さんも僕にズバリ!ズバリ!説明しろ!と僕に強要するのですか?



いいえ。。。別に強要するわけではありませんわ。 デンマンさんは余計な事を長々と書くので記事が長くなるのですわ。 なるべく手短に説明してくださいな。



あのねぇ、上の説明の「歴史」を読めば分かるけれど麻布に高級住宅が建つようになったのは明治時代になってからです。



確かに江戸時代に高級住宅が建てられたとは書いてませんわ。 でも、どうして明治になってから建てられたのですか?



あのねぇ、これは僕の仮説だけれど、大英帝国の栄光と文明開化の影響で麻布の高台に高級住宅が建てられるようになったのですよ。



だから、その理由をズバリ!とおっしゃってくださいな。



明治時代になると何でもかんでも西洋に見習えと、明治政府が盛んに日本臣民に言い聞かせたのですよ。



その事と麻布に高級住宅が建つ事と関係あるのですか?



もちろんですよ。 大いに関係があるのですよ。 



でも、日本人は高台に家を建てる習慣はなかったでしょう?



その通りですよ。 「高い所が好きなのは馬鹿と鶏だけだ」と僕の親父はよく言っていたものですよ。 高台に家を建てたら坂を上り下りするのに大変ですよ。 ちょっと買い物に自転車で行くのだって坂を上ることを考えると嫌になってしまいますよ。 疲れるし、しんどいのですよ。 だから高台の家に住むなんて不便です。



そういえば日本の家は川の河口や平野に集まっていますよね。



そうでしょう!? 高台だと井戸を掘るにも大変でしたからね。



それなのにどうして麻布の高台に高級住宅が建てられるようになったのですか?



大英帝国の栄光が影響しているのです。



その大英帝国の栄光って何ですの?



あのねぇ、今ではイギリスはそれほど注目される国ではないけれどヴィクトリア女王が君臨していた時代(1837年6月20日 - 1901年1月22日)は、まさに英国の植民地が全世界に広がっていた。 このカナダも“英領カナダ”だった。 香港、シンガポール、インド、南アフリカ、西インド諸島の国々。。。みなイギリスの植民地だった。



イギリスの植民地と麻布の高級住宅地が関係あるのですか?



ありますよ。 旧英国殖民地を訪ねれば分かるのだけれど、当時の植民地の総督や高官の家は、まず間違いなく高台にある。



なぜですの?



英国のかつての植民地は、けっこう暑い土地に広がっていた。 低地や河口の近くはジメジメして暑苦しい。 当然、蚊やハエが多い。 蚊が病原菌を媒介するマラリアになるのが怖いから、蚊が比較的少なく、涼しい高台に家を建てるようになった。



カナダは寒い国なのに、それでも絵高級住宅地は高台にあるのですか?



そうなのですよ。 いつの間にか高台に家を建てるのが英国人の総督、役人や金持ちの間に流行した。 だから、バンクーバーでも最も高級住宅地と言われる地域は“Shaughnessy Heights(シャナシー・ハイツ)”と呼ばれている。 また、、バンクーバーからライオンズゲートブリッジを越えて北西に位置するウェスト・バンクーバー市はカナダでも所得の高い人たちが住んでいるのだけれど、その中でも高級住宅地は“British Proprties(ブリティッシュ・プロパティーズ)”と呼ばれているのですよ。











後方の山の中腹に見えるのが British Proprties 地区です。 







このような山の中腹に高級住宅が建っているのですか?



そうですよ。 次のような感じの家がたくさん建っています。















あらっ。。。素敵ですわねぇ~。。。私もこのような所に住みたいですわ。







子供が大きくなって手がかからなくなったら、またバンクーバーにやって来てくださいよ。



つまり、麻布の高台の高級住宅を建てたのはイギリス人に見習ったというのですか?



そうですよ。



でも、ウィキペディアの説明には「1859年にアメリカ公使館が善福寺に置かれる」と書いてありますわ。 イギリス公使館ではありません。



その通りです。 だけど、当時はアメリカじゃなくイギリスが世界をリードしていたのですよ。 しかも、かつてはアメリカもイギリスの植民地だった。 今でも WASP と言われる人々がアメリカの政治・文化の主流を占めているけれど、この WASP は White Anglo-Saxon Protestant の頭文字をとった略語で「白人で英国人の祖先を持った新教徒」という意味です。 つまり、英国とは切っても切れない縁がある。 要するに、アメリカ人の大使や公使になる人たちは英国人を見習っていた。 それで高台に住居を求めたわけです。



つまり、当時の日本人も文明開化で英国人やアメリカ人のやることを真似したのですか?



その通りですよ。 「鹿鳴館時代」と呼ばれた時期があった。 何から何でも西洋の真似をして毎晩のように外国人を招いて鹿鳴館でパーティーを催(もよお)した。







  鹿鳴館







もちろん、明治政府が先頭に立って文化的にも西洋に追いつこうとした。 でも、イギリスの新聞などには「日本人が盛んに猿真似して西洋の仲間入りしようとしている」なんて書かれたりした。











日本人が麻布の高台に高級住宅を建てるのも、その猿真似だったのですか?







そうですよ。 庶民は不便な高台などに家など建てたくなかったから、「官員さん」と呼ばれていた明治政府の高級官僚が英国人の真似をして麻布の高台に家を建てた。 それが麻布の高級住宅地の始まりですよ。



舶来グルメも、元をただせば明治時代の文明開化の名残(なごり)なのかしら?



そうです。 だから、あまり“西洋!西洋!”と言うのも考えものですよ。 日本にも素晴らしいものがたくさんありますからね。。。








【卑弥子の独り言】







ですってぇ~。。。

確かにそうでござ~♪~ますわ。

あたくしなどは、ずいぶん若い頃から日本の古典に親しんでおりますのよ。



舶来グルメもよろしいですけれど、

あたくしは、やっぱり日本の古典に惹かれたのでござ~♪~ます。

それで、同性として紫式部さんに憧れたのですわ。

現在、京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義しているのです。



でも、あまりにも日本の古典に熱中していましたものですから、

素晴らしいボーイフレンドを見つける暇がありませんでしたの。

たぶん最近の若い男性は純日本風のあたくしのような女よりも

コスプレに現(うつつ)を抜かしているミーハーの女のこの方がいいのかもしれませんわ。

うふふふふふ。。。



とにかく、また、あさってが面白くなりそうです。

だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。

じゃあねぇ。












ィ~ハァ~♪~!



メチャ面白い、



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こんにちは。ジューンです。



春はもうそこまで来ています。



あなたの地方ではまだ雪が残っていますか?



ところで、バレンタインデーは過ぎてしまいましたが



3月14日はホワイトデーです。



たまたま日本の英和辞典を引いたらば



次のように出ていました。




Valentine



①男の名前; 聖ヴァレンチノ (3世紀ローマのキリスト教殉教者)



②ヴァレンチノ祭に選んだ恋人; 同日異性に送るカード・手紙・贈り物など



St. Valantine's Day



聖ヴァレンチノ祭(2月14日)に恋人同士が贈り物・手紙などを交換する風習がある。








三省堂『最新コンサイス英和辞典』より




そうなのですわ。



2月14日には男女にかかわらず



恋人同士が贈り物や手紙を交換する



習慣があるのですわ。



日本では3月14日がホワイトデーです。



バレンタインデーにチョコレートなどをもらった男性が、



そのお返しにホワイトチョコレートなどを女性へ贈ります。



でも、この習慣は日本・韓国・台湾・中国の一部など



東アジア特有のものです。



欧米ではこういった習慣はありません。



なぜなら、バレンタインデーに恋人同士が



贈り物や手紙を交換するからです。



わたしはデンマンさんにGODIVAの



チョコレートを上げようとしたのです。



そうしたらロブソンストリートのGODIVAのお店が



無くなっていたのですわ。



仕方ないのでピカチューのお弁当を作って



デンマンさんにプレゼントしたのですわ。











ええっ。。。デンマンさんはどのようなプレゼントを



くれたのかってぇ~?



それが、次のようなホットパンツだったのですわ。



うふふふふふ。。。







ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。



寒さを笑って吹き飛ばしたかったら



ぜひ読んでみてくださいね。



■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』







では、今日も一日楽しく愉快に



ネットサーフィンしましょうね。



じゃあね。








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