海外で日本語が公用語?

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デンマンさん。。。、 海外で日本語が公用語? とは、いったいどういうことでござ〜ますかァ〜?

読んで字のごとくですよ。。。海外で日本語を公用語にしている国があるだろうか?…ということですよ。。。
海外で日本語を公用語にしている国があるのですかァ〜?
あると思いますか?
あたくしが質問しているのでござ〜ますゥわァ〜。。。
それがあるのですよ。。。

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パラオ

国旗
パラオ共和国(パラオ語: Beluu er a Belau、英: Republic of Palau)、通称パラオは、太平洋上のオセアニア州に位置し、フィリピンの東方にあるミクロネシア地域の島々からなる共和制国家。
首都はマルキョク。2006年10月7日にコロールから遷都した。
漢字表記では「帛琉」と書き「帛」と略す。現地ではべラウと呼ぶこともある。
国名の由来は、マレー語で「島」を意味する「Pulau」である。
国旗は、日本の国旗である日の丸が元となっている説もあるが、パラオの国旗の発案者のジョン・ブラウ・スキーボング(John Blau Skebong)は「私はもちろん日の丸を知っているが、特別にそれを意識してデザインしたわけではない」と否定している。
歴史
有史以前のパラオについては未解明の状況であるが、国内に多く残る遺跡などを研究した結果、約4000年前から人が住んでいたと推定されている。
紀元前と推定される居住遺跡が発見されており、7 - 8世紀の時点でインドネシア方面から文化的影響を受けていたとする研究がある。
16世紀ごろから、海軍の進歩によりミクロネシア諸島にヨーロッパ人が訪れるようになった。
初期のヨーロッパ人の訪問記録としてはスペイン人のルイ・ロペス・デ・ビリャロボス(1543年)やイギリス人のフランシス・ドレーク(1579年)によるものがある。
1783年にイギリスの帆船 (Antelope)がウーロン島で座礁した際には島民と接触している。
このときマルキョクとコロールの村落連合同士が争っており、コロールの首長イブドゥールは船長のウィルソンを助ける見返りに戦争の協力をとりつけ、勝利を収めている。
1883年、イギリスの仲介のもとで両連合は和平協定を結んだ。
ウィルソンがパラオでの体験について記した著作はヨーロッパでパラオが知られるきっかけとなった。
鯨油に代わりコプラの商品価値が高まり始めた19世紀後半、欧米の商社が本格的に進出するようになった。
中でもドイツ商社はミクロネシア地域の交易の8割を掌握するに至り、スペインはドイツのミクロネシア領有に警戒感を抱き、1874年にカロリン諸島の占有権を主張した。
ドイツは国際法上ミクロネシアは無主地であると主張したが、1885年にはローマ教皇のレオ13世により、ドイツの経済活動を認める一方でスペイン領有が認められている。
これらのヨーロッパ人の来訪とともに伝染病も流入し、交流以前には4万人いたと推定される人口は、1900年時点で4000人以下に減少したとされている。
1886年、カロリン諸島はフィリピン総督の支配下に置かれ、1887年にポンペイとヤップに政庁が設置され統治が始まった。
パラオはヤップ政庁の管轄下に置かれ、統治の過程でキリスト教の布教活動が行われているが、政庁が置かれた島ほど活発には行われなかった。
1899年、国力が衰退の一途を辿っていたスペインは、ドイツ・スペイン条約によって、フィリピンとグアムを除くスペイン領東インドを450万ドルでドイツ帝国に売却した[18]。パラオも売却対象に含まれ、これ以降ドイツ領ニューギニア(Deutsch-Neuguinea)の一部となった[18]。当初はヤップ政庁の管轄下にあったが、1905年に支庁が設置され、官吏数人と軍隊が配備された[18]。
ドイツはパラオでココナッツ、タピオカ栽培、アンガウルにおけるリン鉱石採掘などの産業振興を行った。
このうち主力産業はリン鉱石採掘で、土地貸借とともに賃金収入源となっていたが、植民地政府は赤字経営で、本国から年間約4万マルクの補助金を貰っていた。
遠く離れたドイツから送られる人員はほとんどないにもかかわらず、パラオがもたらす富はドイツ人に独占された。
大日本帝国の委任統治領
1914年に第一次世界大戦が開始されると、日本は当時締結されていた日英同盟により、イギリスやフランスなどと同じ連合国の一員として、ドイツに対して宣戦を布告し、パラオ含む南洋諸島を占領下に置いた。
当初は軍政が敷かれたが、1918年から民政への移行が進められた。
統治にあたっては伝統的な首長制度を利用し、医療や教育の改善が進められた一方で、パラオでは反日的な首長が退けられ、モデクゲイと呼ばれる統治に抵抗した新興宗教も弾圧対象となった。
1919年、第一次世界大戦の戦後処理をするパリ講和会議によって、パラオは日本の委任統治領(実質的な植民地)になった。
コロールには南洋庁および南洋庁西部支庁(パラオ支庁)が置かれ、パラオは周辺諸島の中核的な島となり、多くの日本人が移住した。
パラオ支庁管内の住民の4人に3人は日本人となった。
軍人を除く1943年6月末時点の居住者33,960人の内訳は、内地人(内地出身日本人)25,026人、朝鮮人(朝鮮半島出身日本人)2,460人、パラオ人先住民6,474人、他にスペイン人・ドイツ人宣教師18人。
日本の統治が始まってからは、電気や水道、学校や病院、道路や公的施設など社会的基盤の整備、貨幣経済への移行が重点的に行われた。
これにより1920年代ごろになるとコロールは近代的な町並みへとその姿を変貌させた。
欧米の視察団から「最善の統治」と評価された一方、1933年に国際連盟を脱退した日本は同化政策を推し進めるようになり、日中戦争が起きた1937年以降には皇民化教育が徹底されていった。
一方で、元駐日大使のミノル・ウエキは、日本はパラオでは積極的な日本化をおこなわず、教育や医療、経済といった、社会基盤の整備に努めた、と語る。
また、日本統治の開始に伴い日本語による学校教育が現地人に対しても行われるようになった。
ただし、本科3年・補習科2年の課程であり、日本人子弟とは学校が別だった(公学校)。
また、現地人は中等・高等教育を受けられなかった。
現地用の教科書編纂のため、南洋庁の書記として赴任していた中島敦は個人的感想として、原始的に暮らしている現地住民に近代的な高等教育を施すことへの疑問の手紙を家族に送っているが、民政時代には3科目を省くなど、日本国民とは異なる、差別意識に基づく教育が行われた。
公学校では、教室内の私語や母語による会話は禁止され、日の丸・君が代や教育勅語による皇民化教育が徹底され、同化政策が行われた。
アメリカの信託統治
戦争終結後の1947年に、アメリカが施政権者である太平洋諸島信託統治領の一部となった。
アメリカの統治下で首長の権威は弱まり、代わって政府の公務員や医療従事者、ビジネスマンが勢力を増していった。
アメリカはパラオを軍事戦略上の拠点として利用する一方、住民たちの伝統的生活様式を守るため、社会経済開発や福利厚生には消極的であった。
こうした政策は動物園政策と批判されたため、1960年代には政策が転換され、平和部隊派遣や、教育や医療、産業などの技術指導が行われた。
独立への動き
アメリカ合衆国はミクロネシアの自治領案を検討し、1957年に憲法制定委員会を設置した。
1969年、信託統治領の政治地位について交渉が始まり、ミクロネシア側は1970年の政治地位会議で自由連合を提案した。
当初はミクロネシア地域の統一が見込まれていたが、1971年にアメリカによるミクロネシアの軍事利用計画が明かされると、パラオとマーシャル諸島はアメリカとの個別交渉に臨んだ。
1978年、アメリカとミクロネシアは15年間の財政援助と引き換えに安全保障をアメリカに委ねることを原則とする自由連合の内容で合意した。
同年にミクロネシア連邦への加盟を問う住民投票が行われ、その結果パラオは分離独立の道へ進むことになった。
1979年、核兵器の持ち込みを禁止した「非核憲法」を住民投票で可決したが、アメリカは軍の活動に支障をきたす非核条項の修正を求め、同年内に憲法改正案が住民投票にかけられたが、これは否決された。
1980年、再び非核憲法が承認され、1981年に発布、パラオ自治政府が成立した。
自治政府成立後の政治は初代大統領ハルオ・レメリクが暗殺されたり、護憲派へのテロ行為が相次ぐなど不安定的で、この混乱は1993年にクニオ・ナカムラが大統領に就任するまで続いた。
1986年、ミクロネシア連邦とマーシャル諸島は自由連合盟約(コンパクト)締結国として独立したが、パラオは非核憲法が障害となって協定を締結できていなかった。
自治政府は独立にあたって自由連合協定が不可欠とし、協定締結を視野に憲法改正の是非を問う住民投票を実施したが、1983年から1990年にかけて7回行われた住民投票はいずれも憲法改正可決に至らなかった。
独立
その後、憲法内の非核条項をアメリカとの自由連合協定においてのみ凍結することが決まり、コンパクト承認のための住民投票の可決条件を緩和(75%から50%へ)する憲法改正のための住民投票が行われ、これが可決された。
また、同時に行われた大統領選挙でクニオ・ナカムラが当選した。
1993年には、緩和された可決条件の下、8回目の住民投票でアメリカ合衆国とのコンパクトが承認された。
これにより、1994年10月1日、自由連合盟約国として独立し、信託統治が終了、アメリカは有事の際の4地域の土地使用と軍事展開を可能にし、パラオは4億4700万ドルの援助金を取り付けた。
同年に国際連合へも加盟した。信託統治領としては最後の独立となる。
大統領府は当初コロール州のアラカベサン島に置かれていたが、2006年10月にマルキョクに遷都した。
当初アメリカの財政支援は2009年までとされたが、コンパクトの改定に伴い、2044年まで継続される予定となっている。
現在でもパラオ国会では日系の政治家が強い影響力を持つなど、日本と歴史的に密接な繋がりを持つ国である。
パラオの州
パラオは、16の行政区域に分かれている。独立前は16地区70村で構成されていたが、地区は独立後州に格上げされた。
アイメリーク州 (Aimeliik)
アイライ州 (Airai)
アンガウル州 (Angaur)
ハトホベイ州 (Hatohobei)
カヤンゲル州 (Kayangel)
コロール州 (Koror)
マルキョク州 (Melekeok)
ガラルド州 (Ngaraard)
アルコロン州 (Ngarchelong)
ガラツマオ州 (Ngardmau)
ガスパン州 (Ngatpang)
エサール州 (Ngchesar)
アルモノグイ州 (Ngeremlengui)
オギワル州 (Ngiwal)
ペリリュー州 (Peleliu)
ソンソロール州 (Sonsorol)
出典: 「パラオ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第一次大戦が終わってから、太平洋戦争の終戦まで大日本帝国の委任統治領だったのですわねぇ〜。。。

そうです。。。
それで日本語教育が現地人に対して行われたわけですねぇ〜。。。
そういうことですよ。。。
でも、公用語になっているのはアンガウル州だけなのですか?
そうです。。。他の州では公用語は英語と現地語のパラオ語です。。。もちろん、アンガウル州でも英語とパラオ語は公用語です。。。この州だけ憲法で日本語が公用語になっているのです。
どうしてですか?
この州だけは特に日本語を話す人が多かったのですよ。。。でも、最近では日本語を話す人は殆どいないそうです。。。でも、今ではパラオ語の中に日本語が1000単語以上はいっているのですよ。。。
パラオ語

パラオ語(ベラウ語とも、パラオ語: a tekoi er a Belau、英語: Palauan)は、パラオ共和国の現地人の母語で、同国の公用語である。
オーストロネシア語族のマレー・ポリネシア語派の西語群に属し、チャモロ語と並びミクロネシアの2言語のうちの1つと考えられている。
話者は、パラオ国内を中心に約1万5,000人いると推定されている。
外来語が多い。
パラオは19世紀から20世紀にかけてスペイン、ドイツ、日本、アメリカによって統治されたため、パラオ語の単語には数多くの外来語がある。
パラオ語の中の日本語
歴史的経緯から、パラオ語における日本語からの借用語は非常に多く、政治用語・学術用語から日常表現まで幅広く用いられる。
さらに単語にとどまらず、たとえば聖歌隊の練習中に「Ichirets ni narande! (一列に並んで!)」「Genki dasite! (元気出して=もっと元気良く!)」と言い合うなど、フレーズとして日本語が定着している。
日本語教育を受けていない若い世代や子どもたちも「それが日本語由来であると意識せずに」用いており、定着につながっている。
日本語由来の語を人名に用いることもあり、「タロウ」「クニオ」「ヨシコ」などの他、「ジンジャ(神社)」「クルマ」など日本では人名に用いない語を用いる例もある。

出典: 「パラオ語」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

若い世代や子どもたちが「それが日本語由来であると意識せずに」用いて居るというのは、面白いですわねぇ〜。。。

日本がパラオを統治していた時代に日本語教育が義務教育のように行われていたのが、これだけパラオ語の中に日本語の単語や言い回しが定着しているという原因ですよ。。。

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【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
あなたも、今度の夏休みにパラオに出かけてみてはどうですか?
日本語が へっこう通じるそうですよ。。。でも、物価が高いそうです。。。
ええっ。。。「そんな事はどうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」
あなたは、そのような強い口調で あたくしに御命令なさるのでござ~ますかァ~?
分かりましたわ。。。
デンマンさんが10年以上も前にアンケートを作りました。

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上のリンクをクリックすると、
左側のサイドコラムにたくさんの質問が出てきます。
ひとつひとつ見ながら ぜひアンケートに答えてみてください。
じゃあ、また。。。


ィ~ハァ~♪~!
メチャ面白い、
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別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


こんにちは。ジューンです。
“本音と建前”
よく聞きますよね。
さて、英語で何と言うのでしょうか?
考えてみた事がありますか?
いろいろと言い方があると思います。
appearance and reality
見かけと実物そのまま
これも本音と建前と言い換えることができますよね。
form and substance
外観と実体
これも本音と建前と同じですよね。
one's real intention and
what one says on the surface
本音と建前を説明しているのですよね。
real motive and stated reason
これも間違いなく本音と建前ですよね。
what one says and what one means
本音と建前をこのように言うこともできますよね。
では、「本音と建前を使い分ける」を
英語でどのように言うのでしょうか?
ちょっと考えてみてください。

次のように言うことができます。
You should be tactful as to
when to tell real intention
and when to show form.
ところで、英語の面白いお話を集めました。
時間があったら覗いてみてくださいね。
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。



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